HIKIKOMORIから抜け出なかった理由は、私の心の中にもありました。
親の一言で 気にしてしまい、まともに 深く 受け止めてしまい
傷ついてしまって 周りの人にどう思われるか、気にしたり、昔のようなことになったりしないか、傷つけられたりしないか、
という怖れが出てしまう。勇気をなくしてしまっていた。
「きっかけ」は、いくつかあります。
メル友との会話。相手を見つめ、話を聞くことは自分の姿を見ることと同じでした。気付くこともありました。
理解しあう、わかってもらうのは忍耐が要る。
親が (対応も言葉も)変わってきたこと。
私が(幸せになろうと努力して・そのために)何らかの行動をしても 親からは、何も言われないのだ、とわかると ほっとしました。
私が真正面から 親の反応を受けとめなくなり、気にしなくなったこと・・・など重なります。
家族以外の人からも 愛情、理解、温かさ、協力、援助、支えをもらえるし、助けてほしかったら、素直になって、きちんと伝えればいい、とわかったから。
1歩踏み出しても大丈夫、一人じゃないから・一人でも生きていけるんだ。とわかって 勇気出して 行動してみようかな、と思いました。
今は学校、行っています。
社会復帰していない、職に就いていないことへのこだわり、というか、劣等感みたいなものがありましたが
それは、以前の、「過去の私の価値観」から出てきた考え方でした。
「自分は何のために生き、何のために働くのか、何をしたい(やりたい)のか?」
「大事なこと」を知るために ひきこもったのかもしれないです。
苦しむためじゃない、終わらせるつもりもない。
「どこにいても 何をしていてもいいよ。そのまま ありのままの自分でいていいよ。
自由に生きていいんだよ。」って 今は 自分を許しています。
ただここに自分はいる。生きている。たくさんの傷を知っている。
生きようとして 勇気出そうとしている。
それだけで もう、その人は立ちあがっていると思います。