2009-12-08

ただここに自分はいる。生きている。

HIKIKOMORIから抜け出なかった理由は、私の心の中にもありました。

親の一言で 気にしてしまい、まともに 深く 受け止めてしまい

傷ついてしまって 周りの人にどう思われるか、気にしたり、昔のようなことになったりしないか、傷つけられたりしないか、

という怖れが出てしまう。勇気をなくしてしまっていた。

きっかけ」は、いくつかあります。

メル友との会話。相手を見つめ、話を聞くことは自分の姿を見ることと同じでした。気付くこともありました。

理解しあう、わかってもらうのは忍耐が要る。

親が (対応も言葉も)変わってきたこと。

 私が(幸せになろうと努力して・そのために)何らかの行動をしても 親からは、何も言われないのだ、とわかると ほっとしました。

私が真正面から 親の反応を受けとめなくなり、気にしなくなったこと・・・など重なります。

家族以外の人からも 愛情、理解、温かさ、協力、援助、支えをもらえるし、助けてほしかったら、素直になって、きちんと伝えればいい、とわかったから。

1歩踏み出しても大丈夫、一人じゃないから・一人でも生きていけるんだ。とわかって 勇気出して 行動してみようかな、と思いました。

今は学校、行っています。

社会復帰していない、職に就いていないことへのこだわり、というか、劣等感みたいなものがありましたが

それは、以前の、「過去の私の価値観」から出てきた考え方でした。

自分は何のために生き、何のために働くのか、何をしたい(やりたい)のか?」

「大事なこと」を知るために ひきこもったのかもしれないです。

苦しむためじゃない、終わらせるつもりもない。

「どこにいても 何をしていてもいいよ。そのまま ありのまま自分でいていいよ。

休みたいなら 気楽に力抜いて リラックスしていいよ。

自由に生きていいんだよ。」って 今は 自分を許しています。

ただここに自分はいる。生きている。たくさんの傷を知っている。

生きようとして 勇気出そうとしている。

それだけで もう、その人は立ちあがっていると思います。

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