2009-11-15

恐ろしいと思ったこと

 昨夜、風邪による発熱にうなされながら思ったこと。

 人がなぜ恋愛をするのか?という問題について考えると、自信満々でこう答える人がいる。「性欲に決まってンじゃんかよ」と。

 その人は、僕の友人だったり、ネット上の赤の他人だったり、僕の心の一部分だったりするのだけれど、それは間違っている。

 なぜ間違っているかと言えば、確かに人が恋愛を始める原初の動機は、性欲である場合が極めて多いが、物事の大本にある物がその全てであるとは限らないのである。

 異性に対して、おっ、こいつなかなかええやんけ、と思うだけで、恋愛がはじまる条件は揃うが、後にその恋愛成就するためには、様々な問題をクリアーする必要があるわけで、個々の問題に対する動機付けが性欲でない場合も大いに有り得る。問題とは、具体的に言えば、相手や自分心の問題、第三者との関係、金銭面の事など。

 恋愛とはそうやって、パートナーその者に対する「以外の」動機付けがあるからこそ成り立つ。もし恋愛パートナーとの一対一の関係のみに深化してしまうと、色々ヤバイ。身近でヤバくなった人の話を聞いたことがある。僕がそんな事を考えたのは、新潮12月号に掲載された山崎ナオコーラ小説を読んだからかもしれない。

 第一、全てが性欲で説明できるなら、一生自分で性欲処理していれば済む話だろう。

 んで、僕が恐ろしいと思ったことは一対一問題についてでは無かったりする。話が逸れて申し訳ない。僕が言いたいのは、おっ、こいつなかなかええやんけ問題についてである。

 僕が、ええやんけ、と思うのは、その原初は性欲であることが多いのだけれど、でも性欲で物事を決めるのはそれは畜生にも似た浅はかな行為であるような気がして、性欲以外のポイントに目をやろうとする。

 そうすると、僕の性欲とは一見無関係な、その人の魅力が見つかるのだけれど、もしかしてそれは僕のええやんけが、その人の変哲のない部分を魅力に見せているのではないか、性欲補正がかかっているのではないか、という疑念が心から離れなくなる。恐ろしい。

 もっと恐ろしいのは、僕が天然に、自然に気づいた人の魅力と、性欲補正によって見いだした人の魅力、その二つの区別がつかなくなってしまうという事。

 一体どうすればいいのか。っていうか、本当にそんな事が起こるのかどうか。それすらもわからないし、そんな妄想をしていても、恋愛は出来ない。まぁ、出来ない分には構わないんだけど。

 別に常日頃からそのような妄想にかかずらわっている訳では無いけれど、そんな事を一分一秒でも考えている間にも僕は世間から取り残されていっているような気もして、それもまた恐ろしい。

 最近では、そんな妄想を文章に出来るようになりたいと思って努力したりしているのだけど、どうなんでしょ。まぁいいや。ちなみに僕は関西人じゃありません。

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