2009-09-19

疲れる

原因は母だ。

いつからかパチンカーとなっていた母は、私が高校入学しバイトをはじめた頃から

私の財布から金を抜いたり、財布ごと盗んで数週間後に何食わぬ顔で「○○の裏にあった」などと

返してくることが常となった。(最初は信じていたが、ある日不信のあまり

母のかばんを覗きみたところ、私の財布と通帳が入っていたことがあった。

母が私にそれを「見つけた」と言って寄越してきたのは10日後のことである)

私は何度もそれを咎めたが「私が寝ている間に"借りるね"といったら承諾した」という

理不尽言い訳逆ギレでうやむやにされ、またかんしゃく持ちの父の暴発を恐れて

父に相談できなかった私は結局「学費や生活を保障してもらっている分、必要な経費」と割り切ることにした。

その後、私が大学に進学したと同時に、母が街金に対して450万もの借金を作っていたことが明らかになった。

父は母への不信と暴力的な取り立てへの対応、そして自責の念に苛まれて精神不安定になり

母も罪悪感とパート勤め、そして波の激しくなった父への対応に神経をすり減らすようになった。

その時点で学費も1年滞納していたことが分かり(学費の半分は私が自分で出していたが、お金自体は母に預けていた)

今後も支払い能力不安があるということで私は大学3年にして退学の危機に陥った。

私がバイトを増やすことと、今は亡き祖父の協力によりなんとか金は工面できたが、

この頃から母は私にこっそりと金の無心をするようになった。

なんのことはなく、今までの「必要経費の捻出」を母自ら口に出すようになっただけのことだった。

元々家計を省みずに自分希望を果たすために進学してしまったことへの

罪悪感があったことで、私は特に何も言わずこれに応じていた。

もう借金はないのだし、最初のうちの苦しい間だけ、と思っていたのだが、それがいけなかったのかもしれない。

無心は私が就職してからも途切れることはなかった。

そればかりか、香典やその他もろもろの送金さえ着服するようになっていった。

何度もいいかげんにしろと叫びたい衝動に駆られたものだが

相手は青森、私は鹿児島。眼の届かない場所にいるだけに、母の精神状態が

どのように変動するのか、父の躁鬱にどれほどの影響があるのかが恐ろしく

結局自分が黙って金を払い続けるのが正しいように思えてしまう。

それとは別に父宛への仕送りがあり、母の小口せびりの総額をあわせると

ほぼ私の月収の3/5に相当する。限界は近い。

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