おいらが「デザイン」という言葉からはなれられないのとよく似てる。
おいらのことを話そうか。
おいらはデザインを学びたかった。絵を描くことが好きだったから。(今は分かるけど絵はデザインとはちがうけどね)
おいらは芸大に落ち、いったんその道を諦めた。
4年間ずーっと忘れられないわけ。「デザイン」
かといって、練習、独学本気でやるってわけでもない。
なぜか全く絵も描かなくなった。当たり前だけどどんどん下手になっていった。
かいていると楽しいけど。
「デザイン科を目指していた」という過去をよく人に話していたよ
でも、なんかむなしくなってきたんで最近は言わなくなった
むなしい理由は、なんだろう
忘れれるもんなら忘れたい。
昔は絵の方面へ進むことを期待されたが昔のおいらはいまのおいらではない。
デザインというしがらみはおいらをしめつけつづけた
そうじゃなきゃまたぶつぶつ考えるだろうし
で、実際。悪くない。けどまだなんかむなしい。
たぶん学生時代にデザインの話とか友達と共有したかったんだろうといまは思う
これはもうできない。
あなたに言えることは、
その人と芸術のことを話していて本当に楽しいのなら芸術好きだから多いに「芸術」しなさい。
その人に近寄る口実なら、あなたをさらに苦しめるだけだから「芸術」はおやめなさい。別のアプローチだってあるはず
こんなかんじ
私は映画やら漫画やら音楽やら舞台やら絵画やらが好きです。 サブカルって言葉はもう死語でしょうか。そういうもの。 ちょっとオタクよりのものからオシャレなものも、クラシカルな...
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一昔前には、 ジャズの世界で「自分は黒人じゃないから本物のジャズが出来ない」と悩んでいた白人とか黄色人種みたいだ。
ohnosakiko先生かp_shirokuma先生を召喚すると幸せになれそう。はてなでは定期的に蒸し返されるテーマだ。
しろくましゃん吹いた。
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浅くてもいいじゃん。 美は正義。好きになって当然。
愛してるかどうかって自分がどう思っているかだけで、客観的な評価基準があるわけじゃないじゃん。 広く深く知っていたり、固執したりするのは愛の一つの形であり、必要条件ではな...
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