2009-06-15

私には実の親がおりません。

両親とも、私に自我が芽生える前にこの世を去ってしまったからです。

私は昔でいう孤児院のような所で育てられました。私の最初の記憶は、沢山の子供達と遊ぶ風景です。

普通の家庭?と違っているのは、それが学校公園ではなく、施設ですので朝起きてから夜寝るまで、

ずっと彼らと一緒に行動していたことです。

ですが幼かったですし、一般家庭の事情はわかりませんので、そうやって沢山の友達と過ごすのは

そういうものだろうと思っていましたし、楽しかったのも事実です。

その施設では1人の同い年とされる(誰も正式な年齢は知りませんでした)女の子と仲良くなりました。

仮名でA子とします。彼女は幼い私の目から見ても可憐でおしとやかで、臆病でした。

お転婆で、男の子に混じって遊んだり、時に彼らを泣かせたりと、いたずら大好きだった私とは正反対で、

そんな私の姿を木の陰から遠く眺めているような子でした。私はA子が大好きでしたし、幼く、臆病だった

A子にとって私は、唯一心を開ける相手でした。

私はA子を守らなければならないと思うようになり、A子は時が経つほどに、どんどん私に依存していくように

なりました。そうやって私たちは心を寄せ合い、世界と向き合っていました。

1年を通して、施設には子供に恵まれない夫婦が訪れました。そういう時には、前日の夜ごはんを食べているときに、

私たちにそのことが知らされました。その時に子供達は少し、色めきたち興奮して寝られない子供

少なくありませんでした。

彼らは大抵お昼ごろにやってきました。彼らは私たちを優しい目で見守り、一緒に食堂ごはんを食べました。

そしてその後、何人かのこどもたちは別の部屋に呼ばれて、彼らとお話をしました。そして、数日後に突然、

子供が施設を出て行くことになったと知らされるのです。

私が大きくなるにつれてそれが、養子を探しに来る大人たちだとわかりました。その頃には私も、家族というものに

ついて拙い理解と、そして少し心が浮くような気持ちを抱いたりしていました。

施設での生活は何一つ不自由なく、大勢の友達に囲まれて幸せでしたが、未だ見ぬ家族への憧れは、

日に日に大きくなっていくのでした。施設を巣立っていく子供達を見送る朝は、憂鬱たまりませんでした。それは

そのこたちと会えなくなってしまう気持ちと、自分はいつまでもここにいるのだろうかという、漠然とした気持ちでした。

A子は大抵、施設を訪問するどの夫婦にも気に入られている様子で、必ずごはんの後に呼ばれていきました。

しかし、どうしたことかその後、何も無かったように時がすぎていくのです。その度に私は安堵の気持ちと、

そして次にまたいつ大人たちがやってきて、A子を連れて行ってしまうのだろうと怖くて悲しい気持ちで

いっぱいになりました。でもA子の前ではいつものとおり、明るく元気に振舞っていました。

そしてそれは突然でした。

前夜のごはんの時に、明日はとても特別な方々が見えられますと、説明がありました。

その時私は特別な方々についての説明はほとんど理解できませんでしたが、何かいやな予感がしたのです。

そして次の日のお昼前に彼らはやってきました。幼い私の目にはなにがどう、とはわかりませんでしたが、

彼らはとても裕福で、立派なひとたちなんだと、みんなが眩しいものを見るような目でその夫婦を見つめていました。

彼らは優しい目をしていましたが、私にはなんだか空恐ろしい人たちに見え、A子の手をひっぱって、

裏山の私たちだけの秘密基地に隠れて、時間がすぎるのを待っていました。

昼ごはんで彼らと会うと思うと気が重かったのですが、珍しくA子が私を促すので、しぶしぶ彼女の後に

続きました。思ったとおりその夫婦は、おひるごはん中にA子のところに行き、A子とだけ話をしていました。

A子も今までに見せたことがなかったような楽しく明るい顔をして話をしていました。

そしてその後、A子だけが連れて行かれました。A子が戻ってくるまで、私は頭が真っ白になり、

何も考えることができませんでした。ただ、A子がどこかに行ってしまうという恐怖だけを、実感していました。

随分と長い時間、A子達は話をしていたようです。

やっとその夫婦が帰っていったとき、丘の向うに太陽が沈もうとしていました。長い影を引きずって、

A子がやってきました。私達は何も話さず、私達が大好きだったブランコで遊びました。

そしてその日の夜、A子が施設から出て行くことが知らされました。私は頭の中に鈍い痛みを感じましたが、

彼女に向き合って、笑顔で祝福しました。なぜならA子も家族に対する憧れがとても強かったことを、

私は知っていたのです。

A子は戸惑ったような表情を見せた後、泣き出しました。私も泣きたかったのですが、この時は精一杯

ガマンをして、ずっと彼女祝福の言葉を送り、そして、A子は私に手紙を書いてくれること、いつか私が

施設から出たとき、そしてお互いが大きくなって自由になった時、必ず会おうと言ってくれました。

私はその言葉空虚な思いで聞いていましたが、その夜は彼女の為に最後まで笑顔でいました。

A子が出て行った後、私は悲しみにくれましたが、私は努めて明るく振舞いました。幸いにも施設には

いつも沢山のこどもたちがおり、私はまたすぐに男の子に混じって遊ぶ毎日でした。

それからちょうど1年後、私も引き取られることが決まりました。それも突然でした。

雨の降る朝にやってきたその夫婦は、愛想笑いの一つも見せないような、陰気な感じの2人でした。

私は今回のそのイベントも、他人事のように受け取ってやり過ごそうとしていましたが、

おひるごはんの後に何故か私だけが呼ばれてしまいました。寮長さんのお部屋で私は、彼らに

質問攻めにあいました。今までに大きな病気をしたことがあるか、虫歯はあるか、視力はいいか、

いつも清潔にしているか、などなど、私の体調についてとても興味をもっているようでした。

いえ、興味をもっているのではなく、単に確認をしておきたかったのでしょう。

実際、そうでした。

私が体に不調をきたしたことはないし、全くの健康であることを寮長さんが説明をしてくれました。

私はひとこと、「はい、元気です」と答えたきりでした。彼らは私を気に入ったのです。

私は彼らのことが好きではありませんでしたが、それよりも家族への憧れが遥かに勝ったのです。

私は即答しました。いきたい、と。それで私の人生は決まりました。それより丁度2週間後に、

私は生まれ育った施設を旅立ちました。

初めての外の世界にわたしはずっと浮かれていました。なんて沢山の人で溢れているのでしょう。

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