エロゲしたことないけど擁護してるということは「いかなる内容であれ性表現を規制すべきでない」と考えてるということになるはず。そうでないなら、内容によっては規制してもいいということなんだから、見てもいないものが規制されていいかどうかを判断できないはず。(単に恥ずかしいから、してないって嘘ついてるんじゃね?と思うが)
レイプゲーム関連の話題で「わいせつ物頒布罪」の存在がスルーされてる気がするけど、俺が見落としてるだけ?それとも擁護派は刑法もろくに知らない情弱ばかりなの?
そもそも「(ハイスペックゲーム機の本体もソフトも)数秒で起動させろ」という要求自体が無茶だって事は理解してる?
なんだか、その気になれば実現出来ると思ってるように見えるけど。
現状困難なのは理解してるよ
でもハイスペックが必要なゲームだけ開始まで時間がかかるって仕様なら、割とできそうじゃね?
ゲーム機起動してすぐにソフト判断して、その後の起動処理変わるような仕組み
すぐに起動、ロード時間ほぼ無し
■PS3程度の大容量
ブルーレイorDVD
これくらい現状の技術で簡単にできるだろ
小容量でも処理落ち無くなるって利点あるから制作側もやる気出るだろ
これからが本当の地獄だよ。ここ数ヶ月で見えてくるかと。
俺は彼女に「ちょっとトイレ行ってくる」って言われて10分くらいかかってたので
「長かったね」と言ったら(これは今思うと最低な返しだったと思う…若かったのだ…)
「うん、大の方だったから。すっきりしたー」
って言われたよ。
彼女曰く「人類みんなうんこするのに、なぜうんこすることを恥ずかしがる必要が?目の前でうんこするならともかく……」といっていたよ。
彼女といっても昔のことで、今は妻だけど。
ドル暴落は大変とかよく言われれるが、ニクソンショック後もプラザ合意後もそれほど大変なことになってないので今回だってたいしたことないと思うんだよな。百年に一度の危機といわれたサブプライム問題もたいした事になってないしね。この世の終わりが繰るかのように煽りまくってた人は今どうしてるんだろ。「これからが本番」と10年でも百年でも言い続けてそう。
イネを叩いてるだけならいつものことだが今回のは同時に矢吹のスキャンダルを触れ回ってることになってるのが悪質だと思う
よくやるよ本当に
作品を「読み解く」ことの傲慢さ自体を問うているのがわからないかね。
言語で説明できるような作品なら言語以外の媒体で出す必要がない。
「レイプレイ」はともかく、陵辱エロゲ一般が芸術作品になり得ないとは決して断言できない以上、それを「正しさ」によって弾圧するのはスターリニズムだということだ。
俺は「ドン・ジョヴァンニ」の作品としての意義なんて言葉では説明できんよ。モーツァルト自身ですらできたかどうか俺には知らない。ただ、音楽がすごいということだけは俺にでもわかる。それだけだ。
悪を表現することが偉大でありうるのは、「悪を表現しているから」ではない。戦争の悲惨を表現した作品が名作でありうるとして、その理由が「戦争の悲惨を表現しているから」ではないのと同じように。悪を表現することを通じて、何をしようとしているのか、その表現の意義は何か、ということが、常に問われる。そして、名作・傑作とは、その意義の実現に大きく成功している作品に対して言われる。意義を作者が示す必要はない。しかし、その意義を読み解くことが「誰もできない」ような表現には、表現としての価値はないし、表現としての役割を果たしてもいない。逆に言えば、一人でもちゃんと読み解けるんであれば、そこに価値を見ることは可能だ。
陵辱ゲームはいかに「読み解かれて」いるのか。以上述べたような肯定的な読み解きはまったくない。それは陵辱をたのしむことを目的とした表現であり、つまり、それが肯定されることは前提されている。繰り返すが、「前提されている」だ。それは人間の中にある悪を悪として「問うている」のではなく、それを前提して「たのしんでいる」のだ。そのような「読み解き」を前提するならば、それは純然たるヘイト・スピーチ以外の何物でもない。そんな表現に意義などないし、規制論を押しとどめるものはもはやない、ということになる。これに抵抗したいならば、別の「読み解き」を示す必要がある。ところが、示されない。言い換えれば、陵辱ゲーム擁護論は「表現の自由市場」に参加していない。
これを引用するだけで、「ドン・ジョヴァンニ」を抹殺する必要などないことが分かるのだが。
一本取ったつもりかね?
お世話になってます。信じる信じないはお任せしますが、運営の一員として意見をのべさせていただきます。
あなたのような主張は、一種の、言論の自由を脅かすものです。ニコニコ動画は、あらゆる弾圧にも負けません。自由であるべきです。会員ならそのことは理解していると思っていたのですが、あなた様のような人が居るとは残念です。
ニコニコ動画は、人をほめることが許されますが、それと同時に、人を批判することも許されるのです。
今回は、中村イネ様の落ち度であることは創意として、見解が一致しています。
言論のいいとこどりは許しませんし、それは社員の総意思と取ってもらって、良いものです。
厳しい面があるからこそ、作者はいいものが作れるのです。
西村も同じ考えです。
間違いを認めることは、恥ずかしいことではありません。今からでも、発言を消去して、謝罪するべきです。
でないと、あなたの言ってることは特定の人に対する、誹謗中傷に当たりますから、訴訟も検討されるべきものだと議論されるかもしれません。
ただし、これはあくまで一個人としての、私の考えで会社を代表するものではありません。誤解なきように。
どこから突っ込んだら良いんだ
「倫理」とか「正しいこと」なんて時代や政治体制でなんぼでも変わるだろうに。
例えば、民主主義を採用している国家にとっては、「人権」とか「民主主義」は人類普遍の価値観とされるけど、
中共にとっては、公共の場で口に出した奴は国家転覆扇動罪として捕まえて、
そいつをタクラマカン砂漠の砂の数を数える仕事とか、一日かけて素手で掘らせた穴を次の日に埋め戻させる仕事を通じて「矯正」させなけりゃならんほどの敵性言語なんだぜ・・・
いわゆる陵辱エロゲ規制問題で、私はid:mojimoji氏、id:hokusyu氏をはじめとする諸氏の言説、たとえばこれやこれやこれにいたく感銘を受けた次第であります。
全くその通りで、陵辱エロゲは女性を性的に暴行・侮辱することを肯定的に描く表現であり、しかもそれを正当化する術をどこにも持っておらず、擁護派はあろうことか「表現の自由」と強弁してヘイトスピーチを正当化しようとするばかり、全く同情の余地はない、「生きるに値しない表現」です。このような明晰かつ明快な論法にまずは敬意を表したいと思います。
その上で私は、このような糾弾の声、表現の純化と浄化の声をさらに強くすべく、エロゲ以外の分野の規制をも求めて声を上げていくことを提案したいと思うのです。特に、世界的に良識の名の下に女性への暴力を肯定している例を私は知っており、ぜひとも一緒に声を上げていただきたいと思うのです。
私が具体的に糾弾したいのはとある演劇作品です。主人公は典型的なレイプ魔で、女性を甘い言葉で誘わしては慰み者にするという、ただそれだけで特徴づけられる人間です。要するに陵辱エロゲと何も変わりません。そして他の登場人物は、その言語道断な主人公に阿諛追従する男、そんな主人公にいくらでもなびく都合のよい女、それに対して何も手出しのできない情けない男と、いかにもこの種のエロゲヲタにとって都合のよい人物像ばかりが並べられているのです。
然るに、この演劇作品は日本ばかりか世界全体に流通しており、あろうことか一部では絶賛する声まで挙がっている有様です。北欧のある非モテの文筆家は、これを世界最高の芸術作品とまで評しています。また、フランスの進歩的な知識人の間では、この主人公を、権威を打倒し自由を追及する男として肯定的に評価する声さえ挙がったといいます。
どうして良識的な人々がここまで騙されてしまったかは私にも理解に苦しみますが、憶測するに結末として主人公が罰せられることになっているからでしょう。しかしよく見れば主人公以外の登場人物の喜びようは余りにもおざなりであり、このような話の筋は単なるとってつけたような免罪符であることに想像の余地はありません。
この作品に言及する声は意外なところにまで及んでおり、ある分野で世界最高の芸術家と評される人物は、話の筋に眉をひそめつつも、作品の質自体には賞賛を惜しんでいません。他にも、多くの分野からこの作品を崇拝する者は後を絶たないのです。
しかもあろうことか、世界最高のミュージシャンとも賞賛される人間がこの演劇に音楽を付けてしまったのです。これにより、この作品の評価は時が経つにつれ、上がることはあっても、下がることは全くないという有様です。
みなさん、この反動的な作品を規制し、上演禁止に追い込むようにご協力願います!
なお、作品の題名は「ドン・ジョヴァンニ」で、出典はスペインの伝説ですが、演劇化を試みたのはモリエールという男です。この戯曲をアレンジした台本に音楽を付けたのはモーツァルトというオーストリア出身の音楽家で、これを賞賛した北欧の知識人とはデンマーク出身のキェルケゴールという男、一定の留保を付けつつも作品を賞賛した芸術家はベートーヴェンという名前です。これらの反動文化人の作品を抹殺すべく、同志の皆様もぜひご協力願いたいと思うのであります。
表現というものの価値は意図と関連づけて測られるものではなく、表現の質として測られるのである。そして、作品から読み取れる作者の意図というものは決して一通りに決まるものではない。たとえば、「ヴェニスの商人」を読んでシェイクスピアが反ユダヤ主義者だったかどうかを判断するのは難しい。事実、シャイロックというユダヤ商人は、屈折した苦悩を持つ人物として見事に描かれており、反ユダヤ主義を糾弾する文脈でも演じることは大いに可能だからだ。ナチスを経験したヨーロッパでさえ、「ヴェニスの商人」を禁書にしようなどという馬鹿はどこにもいまい。
こう言うと、「エロゲに芸術性などあるものか」と言われるかもしれない。だが、紛れもないポルノである春画でさえ芸術性を評価する者はいるのだ。また、偉大な芸術作品の多くは、発表当時理解されなかったことも多い。これだけから見ても、法的立場から表現を規制することの愚かしさがわかろうというものだ。原則として、表現はただ表現によってのみ批判されるべきなのである。
なお、ショスタコーヴィッチという旧ソ連の作曲家は、スターリンによって作品を「革命的」だとか「反動的」だとかいろいろ評価を変えられ、作曲活動に大きな影響が出たことも付記しておく。笑うべきことに、当時問題になった作品はオーケストラだけで演奏される交響曲で、歌などによる言語表現すら一切含まれていなかったのだ。
和姦エロゲーであっても「男の都合の良いように作られたシナリオ!女キャラの人格が存在しない!差別だ!」って糾弾されそうな…
オリーブオイルかけて塩コショウすればノー問題
行政改革による財政再建が、改革を放棄して、足りない銭は増税すれば良い、とりあえず消費税を12%にという話になっているようだ。
骨太の方針も、代を経るごとに骨抜きになり、ついには、羊頭狗肉になってしまった。
企業が従業員を解雇できるようする労働市場の流動化は、公務員を解雇(免職)できるようにするという改革を実現する為に行われた。
しかし、実際には、企業はコストの高い正社員を解雇して派遣にエコ替えしているのに、公務員の免職は、懲戒以外には聞かない。年金未納問題で懲戒免職された人々ですら、看板を付け替えただけの年金機構に採用されている。天下り先は、麻生首相のばら撒きで堂々と復活している。
それもこれも、公務員を使うのに、おだてて高待遇と天下り先を与えるという使い方しかやれない議員ばかりだった為である。民間企業の幹部社員が平従業員に対して行っている、査定によって賃金を上下させ、解雇をちらつかせ、誤解と錯誤を発生させるような言い方で忠誠心を引き出して安価にこき使い、2年11ヶ月たったら解雇というやり方を、公務員に対する統治にも導入するべきなのに、そういった汚れ仕事を実行できる管理職経験者がいないのである。
結局、民間企業で雇用の流動化がおきて賃金水準が低下すれば、当然、税収も減る。減った分だけ、公務員を削減していかなければならないのだが、その路線を、後継者達は進めなかった。それどころか、骨太の方針とさえ名づけておけば、どんな法案・予算案でも衆議院の3分の2が使えるという、悪弊だけが残ってしまっている。
次の選挙の為の公約が、おそらく、骨太の方針の最後となるであろう。小泉氏の政界引退と同時に、自民党の議院における影響力も消え、誰も鼻にもかけない方針となるし、当然、敗北の責任をとって、自民党の総裁選挙が行われるという事になる。誰が下野中の自民党をまとめて引っ張っていくかという点に、興味がある。
この問題は、民主党が政権を担える政党ではなく、民主党単独ではダメ、公明党を始めとするその他の野党との寄り合い所帯にして、空転させて1年くらいで政権を投げ出させるという展開にしなければならないのだが、その仕掛けが上手くいくかどうかにかかっている。
たとえば、宏池会+麻生グループ(81人)が自民党を離党して新党を結成し、野党連合政権に入り込むという展開もありえる。かつての小沢グループが新生党を作り、民主党に野合していったように。野党には政務次官経験者すらいないのだから、与党からの脱藩者がそれなりの人数でまとまっていれば、大臣ポストは象徴的にばら撒かなければならないが、実務は副大臣級でまとめてしまうというやり方で、実質的に政権を維持できるのである。
細川内閣や麻生内閣のように、首相になりたがる軽くて馬鹿な神輿が見つかれば、実現する可能性は高いと思われる。
国民の所得が減少しているのに、歳出が減らないというのは、国民と苦楽を共にするつもりの無い層が、日本国内に発生しているという事である。大臣には人事権者として、公務員の首を切れる権力を与えているのに、それを使わず、軽くて馬鹿な神輿にされている事に気がつかないというのでは、多選規制ですら手ぬるいのかもしれない。
お前が言うことはつまり、「ごはんじゃなくてパンじゃだめなの?」って言うようなもんだと思うぞ。
例の人が
中国の本当の狙いは奈辺にあるのか、ドル基軸をいきなり毀損するのか?
動きが急である。
中国がIMFの「SDR債」なら米国債のかわりに買うと言い出したのは、じつはロンドン・サミット(G20)直前の王岐山・副首相論文からである。英紙『ザ・タイムズ』(3月27日付け)に寄稿して、高らかにドル基軸体制への不信を提唱したのだ。
抽象的な揺さぶりと関係者は軽視した。
ところが、中国はIMFの米国主導にくさびを撃ち込む仕掛けを、このときから熟慮していた気配濃厚である。
G20(ロンドン・サミット)直前に周小川・中国人民銀行総裁が提唱したのは「米ドル基軸のIMFは不公平であり、たとえばSDRを実際の通貨にせよ」という内容で、G20ではロビィで盛んに討議されたが本会議では無視された。
議論は水面下で続いていた。
欧米が油断していた隙を突いて中国はアンゴラに20億ドルのクレジットを供与し、コンゴには90億ドル、これらはIMFをガタガタに揺らした。なぜならIMFの開発途上国支援はいつのまにか、前の買付金の延長でしかなく、利払いを終えると『真水』はほとんどない。
IMFを通じての中国の活躍の余地はなかった。
IMF原資の17%が米国であり、しかし重要な決定は85%の賛成が必要。つまりIMFは永久に米国主導が固定されている。
中国が目をつけたのは、このポイントだった。
SDRの現況を見ると『通貨バスケット』の中味は米ドル44%、ユーロ34%、ポンド11%、日本円11%となっている。
中国は単純に米ドルだけのリスクを背負うより、このバスケットに目をつけた。
米ドルが急激に減価しても、通貨バスケットでバランスをとるSDRならば、よりリスクを軽減でいる。
さらに中国はIMF改革でNAB(New Arrangement to borrow)の提言をした。つまり、米国主導によらず新しい貸し付け制度をつくれ、と主張しているに等しく、ゼーリック世銀総裁もガイトナー財務長官も真っ青になるのは当然だろう。
ゼーリックは米中関係を『ステークホルダー』と言い出した親中派の先魁であり、ガイトナーは中国に留学したほどの中国通。
そしてガイトナー財務長官は日本の頭越しに北京へ飛んでいった。北京大学で講演し「米国祭投資は大丈夫。米ドルは安定する」と言うと会場から失笑された。
・・・しかし、大変な時代の変化に、日本はノンビリしているなぁ・・。
パラオのジョンソン・トリビオン大統領は「米国から要請のあったウィグル人17名の身柄を暫定的に引き受ける」と10日に表明した。
「これはあくまでも人道的措置である」と付け加えながら。
米国は一月に発足したオバマ政権が「一年以内にキューバのグアンタナモ基地を閉鎖する」という公約に基づき、拘束中のアルカィーダ容疑者らの移転先を検討してきた。
中国は彼ら全員の送還を米国に迫っていたが、ろくな裁判もない国には返還できないとして、最初の五人を米国はアルバニアへ亡命させた。
グアンタナモ基地で拘束されている、所謂「反米戦闘員」のなかで、ウィグル人と見られるのは50人。
米国はほかの容疑者の移転先を、およそ100ヶ国と密かに交渉してきたが、すげなく断られてきた。
というのも、中国が「彼らは中国の安全を脅かすテロリスト」と言って、100ヶ国に強く受け入れないことを要求してきたからだ。
この間、フランスとイギリスが例外的に各ひとりを受け入れたが、ドイツは拒否した。
ドイツ国内には、「東トルキスタン独立」を主張するグループが複数あり、すでにウィグル人の社会もあるため、混乱を忌避したのだ。
豪にも少数のウィグル人の社会が形成されており、過去二回、米国の要請を断ったが、いまのラッド政権は人道上、受け入れに前向きという(ヘラルドトリビューン、6月11日付け)。
パキスタンはアルカィーダと見られる被疑者らをそのまま中国に送還し、うち何人かは即刻処刑されたという。
パラオは94年まで米国の信託統治、独立後、北京ではなく台湾と外交関係を維持しているので、北京からの抗議をはねつけることが出来る。
パラオはフィリピンの東800キロに位置する群島で主要な八つの島と250の小島、無人島からなる、人口二万人の「ミニ国家」。だが、難破船を救助し、「難民」を受け入れてきた歴史を誇る。
そして復活早々言いたい放題の陛下w