中身の無いイケメンほど手のひらを返される率が高いような気がする。
単純な劣化以外にも、女が10代のうちはモテたのに、見る目が養われてきた年代になると手のひらを返され、付き合ってみたらつまらなかったと言って手のひらを返され、キャーキャー言われたと思ったら実は単なる目の保養目的で、本当にお付き合いしたい人は別の男だと手のひらを返される。
その運動は草の根的に少しずつ全国に浸透していき、次第に大きな声になっていった。男たちは女たちに向かって口々にずるい、と言った。「何の努力もしないで女に生まれたということだけで、自分たちが努力して築きあげてきたものを結婚という形で横取りする」「結婚すればつらい仕事をする必要もない、経済的に夫に寄生すればいいから」「子供は自己満足で産んだのだから少しくらい大変な目に遭うべきだ。とはいっても仕事の大変さに比べれば大したことはないし、妻も子供も自分の努力を食いつぶすことしない」
それに賛同するものは意外に多かった。反対する者もいたが、その声の大きさとしつこさに次第に沈黙するようになっていた。いつしか、その声が「男」の声として叫ばれるようになった。「男は家庭に」それはスローガンとなった。
女を責めるものばかりでもなかった。「ありのままの自分を見てほしい、金や社会的地位じゃなくて」「女のように生まれ持った美貌だけで選ばれるようになりたい」「男に生まれてきたというそれだけで愛されたい」「女性のようにうまれつき人とうまくやる能力がほしい」「女のように」
そうして男たちは化粧品を顔に塗りたくり、ダイエットに励み、すべすべの肌を手に入れた。最初は顔をしかめるものも多かったが、それらが次第に多数派になるに従って、当然にたしなみとされるようにすらなっていった。
「女性が稼いできてくれるなら専業主夫になりたい」「子どもを産んでみたい」「待っているだけで異性に声をかけられて恋愛に至りたい」「毎日子供と遊んでいる生活にあこがれる」などの声を受けて、政府や社会はしゃかりきになって制度の改変を勧めた。渋る会社も多くあったが、家庭に入りたがる男が大多数を占める中で男性の教育をするのはもはや割に合わなくなりつつあった。安い賃金で働いてくれる女性も次第にその勤務時間の長さから、正社員化や以前の男性のような待遇を望むようになっていたし、産休で休むことはあるものの仕事に戻ってくる率の高い女性のほうが扱いやすかった。少なくとも、ただの凡庸で家庭に入りたいということばかり言って文句ばかりつける男よりはずっとましだった。
要するに女の方が使いやすくなったのだ。彼女らは低賃金で働くことには男ほどは文句を言わなかった。子供のために提示で帰りたがることも夫が会社を辞めて専業主夫化する、もしくは逆に夫が定時に帰りたがるケースが増えれば、女性だけの問題ではなくなったのだ。
さらに男性の出産への姿勢に男性の出産を可能にする技術開発が盛んに勧められるようになった。妊娠期間に入ればしばしば病院に行くために早退もしくは遅出することや、産休という休暇を男が女と同等に要求したのだ。少子化に悩む日本社会にとって「子どもを産みたい」という男性は、まさに渡りに船だった。子供を産むことに対してあまり積極的でない女性を相手に策を弄すよりはそういう男性向けに技術研究を盛んに行った方が根本的な改善となったのである。
かくして男たちは家庭に入った。女たちは社会へと出ていった。男たちはただ選ばれるのを待ち、女が男たちを選んだ。もちろん今まで通り働き続ける男性も、過程に入りたがる女もいたが、その数が同等程度になれば性別はもはや関係なかった。女はいままでの習慣で自分たちを磨き、男たちは女がするように自分たちを磨いた。
と、そこであれほど叫ばれていた「男性は家庭へ」というスローガンが唐突にかききえた。「働くことはつらいこと、それ以外は楽なこと」「顔で選ばれること」「出産すること」「子育てすること」あるいは「専業主婦として養われること」という事実に男たちは気づいたのだ。だが、もう世の中の流れは戻すことはできなかった。今まで長い年月をかけて地道に社会へ進出していく気を伺っていた女たちが簡単に得たものを手放すわけがなかった。
「出産は痛いからもう産みたくない」という男性にある女は「でもあなたがやりたいと言ったんでしょう?自己責任だよね」と言い放った。
「育児がつらい、もっと妻が手伝うべきだ」と訴える男性に「でもあなたたちが昔やっていた仕事よりは楽なんでしょう?仕事の方がつらいんでしょう?手伝うべきはあなたたちじゃないの。稼いでもないのに」と女性は心底不思議そうに言い返した。
女性たちは不思議だったのだ。かつての姿を一変させ、女たちと同じように美しく綺麗に着飾った男性が妻の稼いできた金で、自分たちがそう望んだにもかかわらずつらいつらいと嘆き、自分たちは虐げられていると叫ぶことが。自分たちが望んでいたのに、さんざんそんなのは幻想であって決して良いものではないと説いたにもかかわらず、絶対にそうなのだと譲らなかった男性がいまさらそういうことが。
男がある晩、泥酔したまま夜道でわめいていた。「外見だけで選ぶなんて不公平だ」「女どもが俺たちの仕事を奪った」「おまえたちが俺を選ばないから俺はいつまでたっても結婚できない!こんなに努力しているのにお前たちは所詮外見だけでしか選ばないんだ!」「若さだけでしか見ないんだ!本質を何も見ようとしない!」「こんなにつらいのに!」「こんなに努力しているのに!」「なのになにも評価しようとしない!」
道端のごみが笑った。よく見るとホームレスだった。男か女か判別できないのは男が泥酔しているからか、闇が濃いからか、それともそのホームレスが薄汚く汚れているからなのか。
男は悲鳴をあげて飛び下がった。最近では男がレイプされる事件も増えている。同様に痴漢も日常茶飯事だ。
それは大丈夫、わたしが不妊症だから、治療しないと妊娠はできない!
今の20代とかで、フリッパーズギターばりに新しい(かつ音楽性の高い)方向性を示してるミュージシャンっているのかな?
いないような気がしてしまうのは俺が歳食ったからなんだろうけど、誰かいるなら知りたいなあ。
そーいうあんたがレトリックに引っ張られて本題を読めて無いじゃないの。
そういうくだらない言葉遊びをやめろって言ってんの。
こういうのがあまり考えもせずに頭の悪いキャッチフレーズを作るんだろうなあ。
そりゃ、運動で激しく付加を与えた骨は伸長するよ。
テニスやってれば片方の腕だけ長くなるし俺は水泳やっててそういう体型になってる。
そんな話は否定しておらん。
顔で言うなら
「鼻糞をアグレッシブにほじくっていたので鼻の穴が北島三郎風」
とかなら別に否定はしないよ。物体としての変形は。
俺が否定してるのは「ブスやブサイクが心の醜さの表れ」というとんでも低レベル理論。
http://anond.hatelabo.jp/20090311015518
ことし40歳になる有名人
「今年30歳の有名人」と違って、もう既に若者扱いされることもなく立派な中年。芸人なら中堅、スポーツ選手は半分以上は引退して指導者になってたり、芸能人になったり、政界に転出してたりする。
90年代の日本の音楽シーンの中心だった人たちもこの世代。ミスチル、LUNASEA、ラルク、コーネリアス、渡瀬マキ、大黒摩季、槇原敬之。福山雅治と加勢大周と東幹久って同い年なんだね。ジャンル的に同じでも、出てきた時期が微妙に違うからそう思わなかった。
あとこの年齢だと、既に他界している人もいる。年を取るってそういうことなんだね。
あ、本気で書いてたんだ?相当読解力弱いね。
これになんか頷けないのは何でだろうなあ~と考えて、わかった。
女が綺麗さで好かれるのと男が収入で好かれるのは意味が全然違うんだ。
後者は「そんなんで好かれてもなあ」とか「それで好かれてるってことはこの女警戒しなきゃ」って反応になる。
踏み込んで言えば、全然嬉しくなくて、不愉快さや警戒心が湧き上がる男が多い。
その理由は本能的なことで、
「私は、カッコウのヒナを育ててきた」
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20050117
夫が、妻に収入で好かれているってわかった瞬間に嬉しくなくなるのは
妻の最良の繁殖戦略が「自分と子供作ること」ではないとわかるからだよ。
おたくは「書かれてる事も読めない文盲」ですねわかります。
何これぬるいんですけど。ちゃんと冷やしてあるはずの棚から取ったのに。
元から入っていたものは一列ずつ前に引き出してください><
ビール6本パックとかだとそれも大変なのかな。大変なのかもしれないな。
二段組になってたしな。裏側から入れられるような棚でもなかったしな。
とかおよそ実現しそうもない政策ばかり掲げて選びたくなる政党がない。
最終的に財源確保できなくて国債発行。問題の先送り。
前みたいに人口が増えて行けば、税収も将来増えることが期待できるので、
そのネズミ講みたいな政策もなりたつかもしれないけど。
少子高齢化で税収が落ち込んで、そのうち首が回らなくなる。
日本国民はこのことをどう考えているんだろうか?と心配になることがある。
あまり悲観的に考えずぎても身動きできなくなって悪循環だけど、
少し楽観的になにも考えず発言しているようにおもう。
結局のところ正規料金との差額は税金で埋めてるんでしょ。
5000億円の税金が元JHへ流れてるだけでしょ。
得したような気になってる人がいるのはなぜ?
そんなんだからいつまでも役人にバカ扱いされるんじゃないの?
まだ、
定額給付金を5000円上乗せしてもらった方がちょっとはマシじゃね?
もっとも、
いつから環境問題には「地球のため」などといううさんくさい枕詞がつくようになったのか。
環境問題は「環境」の問題であって、人間の「住む環境」を良くしようと言うのが本題のはずである。
環境問題を訴えるならば「環境を汚すとお前も生きて行けないよ」と言えば、よりストレートに伝わるメッセージではないか。そしてそれは全くの本音でもある。「地球の事なんて俺知らねえし」などと言われる事も無いのである。
そもそも地球がそんな事を望んでいるなどと誰が調べたのだろうか。地球はこの50億年地球としてあったし、またこれから50億年変わらず地球であり続けるだろう。その内部にとんでもないエネルギーの対流を今もなお抱えている地球が、ほんの些細な地表のエネルギー活動の変化など気にするはずが無いではないか。そんなものは地球にとっては誤差である。
「地球のため」というのはなんともくだらない陳腐なファンタジーである。ファンタジーでは世界は変わらない。21世紀になったというのにまだ人間は「少し先の生活を豊かにする為に、身辺環境を整えましょう」などという単純明快極まりない戒めを、ファンタジー(宗教)に頼らなくては保てないと言うのだろうか。なんとも悲しい事ではないか。
今日はSaGa2のトレーラーが公開されたと聞いたので、早速見てみようと思った。
とりあえずパソコン起動して、検索かけてみようとしたら俺の子供が、横から見てきた。
俺が3Dかよクソと思っていたときに息子が言った。
「うわー。何これ?」
興味津々だった。DSはかってやっていたけどポケモンしかしないようなやつなので、これを気に買ってやろうかと思う。
こう見てみると俺たち大人は子供のために色々してるんだと思う。
これからを作っていくのも息子なんだと思うと楽しくなってきた。
私は、美術の教員でphotoshopとIllustratorを使って作品を作る美術の授業を教えている。
作品のアイディアスケッチを描かせているときに、「桜」を描きたかった生徒が資料を探していた。
その生徒のとった行動はPowerPointを起動させてテンプレートの中の桜から資料を探してた。
ネットつながっているよ…。
インターネットでググってみたら?と言ってみた
「桜」で検索。地名やら店名やらもいっぱいでてくるので手当たりしだい開いてたけど、見つからなかったらしい。
「桜 写真」とか「桜 素材」とか「桜 名所 写真」というアンド検索もできないし、アンド検索のためのキーワードもでてこなかったようだ。
昨年、情報Aという授業をうけてた&その生徒は授業をちゃんと受けてなかったり、消極的な生徒ではなくてむしろ逆。
美術の先生の中には、「描きたい絵の資料を集める=積極的」という考えの先生もいて、生徒が自主的に集めてくるのが当然という考えの人もいるんだけどもそうもいってらんない気がする。
方法そのものを知らないんじゃどうしようもない。
さらに言うとphotoshopとIllustrator動かせてもアイディアがいいものでそれを具体的にできないととどうしようもない。
photoshopとIllustratorを教えている場合でないような気がしてきました…。
PCインターサーフで規制がかかる仕組みになっいるし(県内ぜんぶそうらしい)。
ちなみに他の学校では情報Aの授業を高1で実施せずに高3で情報Cをする学校もあるようです。仮にそのときまでアンド検索知らないままとかんがえるとかなりぞっとする。
授業がおわって新聞見てたら「株式学習ゲーム」というので、架空の1000万を手に実在する株を売買しながら資金を増やすというゲームをしながら、株式市場や政治経済を学ぶ高校生の話がありました。
すでに使われる側と使う側がはっきり分かれてしまっているよねこれ…。
子供の頃は勉強しない俺にいつも「もっと勉強しろ」と言ってたなあ。
俺が勉強し出してからは、何もわからなくなったようで、アドバイスは何もくれなかった。
別に親をけなしてるわけじゃないが、俺の現状はかなり俺自身で掴み取ったもんがあると思うがね。