俯瞰的な視点で言わせてもらうと、
挫折を知っている人と挫折を知らない人がいるとするなら、挫折を知っていることがプラスにはたらくケースも長い人生の中では出てくる。
だから、今は打ちのめされている感覚で心がいっぱいなのだろうけど、まずその心の持ち様を何とかしていかないと自分に自分で落伍者の印鑑を押し続けることになっちゃうと思う。
次。例えばだけど、半年間運動してなかった人がいきなり1時間マラソンしたとしたらどうなると思う?30分でバテるとするよね。でもそれはある意味運動生理学的に当然な肉体反応なのかも知れないよ。ただそれでへこまずに2ヶ月トレーニングしたら(ここでの時間の長さはかなり適当だけど)1時間バテずに走れるようになるとする。これ仮定ね。
でもこの仮定で話を進めると、半年ぶりの勉強が思うように行かないのって落ち込む事じゃないかも知れない。当然の結果、個々人の能力差とは別に、だいたい普通そうなるわけで、ならない方が異常なのかも知れない。じゃあ落ち込む事じゃないのかも知れない。落ち込む事じゃないのに落ち込んでいるとしたら、なぜ落ち込んでしまったんだろう、落ち込まないためにはどうすれば良いんだろうと考えざるを得なくなってくると思うな。今はそういう気分にはなれないのかも知れないけど。
あと君の考えと私の考えの違う点を一つ書きます。友だちは自分を弱い人間と自覚している人ほどつくるべきです。(でも自分と合わない人を友だちにしちゃダメだよ)傷のなめ合いをしていてはダメかも知れませんが、強い人間はそれこそ自分だけで生きていくこともできるでしょう。でも自分に能力がない人間が社会で生きていくときに友だちはものすごい武器になります。自分の精神を安定させる意味で。だから、「友達が居てもいい身分じゃない」のは君のような普通の公立校出の人ではなくて、親のスネで一生安泰のお坊ちゃまの様な人の方だと思う。
あとおまけ的なことというか、反則というか、そんな感じのこと。
君にとって受験は、「たかが受験、されど受験」だとする。(我ながら超身勝手な推測だな)これを「されど受験、だが、たかが受験」と順番を変えることのススメ。
今は差し迫っているから中々そうは思えないのは分かる。受験のシステムそのものがおかしいというのも負け犬の遠吠えになりやすいのも分かる。分かるけど、「たかが受験」は別の面からは正しい指摘でもあるということ。(例えば、私は大卒で、私の従兄は専門卒だけど、私の親には、従兄の方が人生幸せに生きられていると言われたりもする。幸せの形はそんなに単純なものじゃないという意味ね。)かつそう考える方が前向きになれるのだとしたら、そう考えた方が良いと思う。
えらそうに書いたけど、それは私も君ぐらいの年には似たようなことで悩んだし、精神的にも不安定になった。たぶん君より不真面目だったけどw。できないことを君ほど自分のせいにしなかった。環境のせいにした。
一般化は出来ないけど、高校出て数年くらいの年齢だったら、悩みが色々あるのは普通だと思うな。決していけない事じゃないし、自分を否定する必要はないと思う。
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