何故聖書とニセ科学や歴史修正主義を同列にしている、その発想がわからん。
それは俺の脳内で勝手に補完するとして、現代に繋がる科学や化学、経済の重要なとこを作ったのはキリスト教徒。
イスラムや古代中国の文化だって負けてないけど、ニセ科学や歴史修正主義は自分たちの正当性を主張するばかりで、世のため人のために役立つ何かを作ってないから。
聖書に認められてるとか退けるべきとか書かれていること以外の新しいモノが世に出た場合、基本的には主の代理人たるローマ法王や法王庁が○か×かを決める。それだけ聖書は柔軟な余地がある。この余地が一切認められなかった時期が宗教裁判や宗派間戦争ばっかりの世の中。今でも非主流派にそういう原理主義はいるけど、力を持たないから問題視されてない。
1633年 第2回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から有罪の判決を受け、終身刑を言い渡される(直後にトスカーナ大公国ローマ大使館での軟禁に減刑)。