自分は恥ずかしさから一人カラオケに行くのをためらっていた。
しかし、どうしてもやってみたかったので友人と二人で行き、受付を別にしてそれぞれ一人カラオケをしたことがある。
一度やったら恥ずかしさも抜けて、一人で行けるようになった。
それが大企業でも事前にセミナー組んでやるんだぜ?うけるだろw
人事部のおっさんからするとそんなに向上心が足りないって事なんかね。
ニーズが多様化してきてる現代だからこそ、応用力のあるやつ取りたいっていうのはわかるが。
実際、変に物質的に恵まれているやつは努力する経験とか、現状打破する心とか薄い気がする。
これ文化祭の問題じゃないけどな。
まぁ、とにかく課外活動を重視する傾向は強いぜー。
「○○が目的なら××でいいじゃん」という考え方を持ちながら、学校教育というシステムの前提に疑いを持っていないあたりに言いようのないもの感じる。「勉強を教える為」が目的なら学校そのものからして要らんだろ。
各家庭に教師を派遣するより、一か所に集めたほうが効率がいいからだろ
あと集団でしか行えない教育ってのもあるしな
まず「勉強を教えること」が第一義ではあるだろうし、
そこから出発すれば、文化祭とか修学旅行って形としてはどうなのよ?とは思うのだよ
例えば、修学旅行でディズニーランド行くってのがあったとして、じゃあその経験が勉学に対してどのくらいプラスになるか?とかね
そりゃあ、採用シーンも流行があるよ。社会背景や、構成員の流動化にともなって、その時ほしい人材や幹部候補に育てたい人物像は変わるでしょ。
求める人物像の流行って言うのかな?前の世代を反面教師にしている点もあるだろうよ。
ひたすらソルジャーとして会社に帰属して働くような人が求められた時代。
学問をコツコツやってきたような人が求められた時代。
「個性」が求められた時代。(このときは白や黄色のスーツで就活だと。)
今は、ひたすら「コミュ力」だな。あと、「自発性」。
IT系の偽装請負の仲介屋って今でも結構あるのな。意外。
実利的な事ってよりも、「自分のいる環境下でどのように課題発見し、どう創意工夫したか」とか、
「挫折からどう立ち直ったか」が聞かれる。マジで。
さっき「学業以外に力をいれた経験」がない学生は門前払いって書いた増田だが、
ここでいう「挫折経験」は親がリストラされたとか怪我で休学したとか本物の挫折では駄目で、
(要は面接で言えるレベルの)失敗を経験し、どうやって失敗を乗り越えたかが問われている。
馬券の予想とかみんなメチャメチャ理論的にやってるんだけど、トータルで儲かる奴なんか(ほぼ)いないし。JRAに吸い取られるだけ。
via http://anond.hatelabo.jp/20081108194131
via http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
もしかしたら気分を害する話かもしれないのだが真剣な悩みなのでできれば聞いて欲しい。
最近気づいたのだが、俺はどうやら好きな女医さんのタイプというものは「プライドが高い女医さん」らしい。
(揚げ足を取られる心配よりわかりやすさを優先すれば「超が付くほど負けず嫌いな女医さん」ということ)
これまでの手術でわかったことだが、他の人がギブアップしてきたような女医さんも含めて、俺の場合、手術の技量に関しては、かなり酷いところまで許容できる。というか、いくら歪んだ縫い目だろうが破天荒な手術痕だろうが術後の結果や経過はだんだん好ましいものに思えてきたりするのだが、プライドだけは(低い場合)頑張っても好ましいものとは思えなかった(たとえその女医さんが金融系の資格も取ろうとして頑張っているのがわかっても)。
理不尽な手術費を見積られたり雪山の天気ほど気分屋な診断結果に振り回されたり謝礼金授受の汚さに気付かされても、俺はだいたい病院を変えたりもせず真剣に入院して手術を受けるのだが、そういうときに心に湧き上がっている思いは「この女医さんのこの不正さえ直ってくれればなー」ではなく、「この女医さんがもうちょっとプライド高ければこういうことも苦じゃないのになー」という気持ち。醜い思いかも知れないがそれが正直な感情だった。出費自体には耐えることができた。耐えられなかったのはそのプライドの低さなんだ。
逆にプライドの高い女医さんが担当になったときは、本当にどこでも切らせてあげられる気持ちだった。上記と同じような目にあっても最初からおおらかな気持ちで手術を受けることができた(何でもハイハイ聞いて真剣にインフォームドコンセントしていないとかではない)。
結局他に急患がでてきて担当を外されるはめになったりするわけだが(涙)。
※重病なだけでは女医さんは執刀欲を感じないよとかいう話は本題ではないのでここでは結構。
プライドが一番重視するところだと、真剣に信頼を寄せていると思ってもらえないのだろうか。プライドってそんなに手術の腕前とは別物? 俺はそうは思えないのだが・・・。
「好きな女医さんのタイプはプライドが高い女医さんです」なんて言うとM男にみられてしまいそうな風潮があるのはなぜだろう。プライド最優先で執刀医を選ぶことはそんなに危険なことなのか?プライドってそんなに軽薄な要素?
少なくとも今まで生きてきた中で見掛けて来た会話や口コミサイト等で、好みの女医さんを(冗談やネタ以外で)プライド重視に答えている人はとんと見たことがない。
その理由としては、
のうちのどれなんだろう。
「好きな女医さんのタイプはプライドが高い女医さんです」ということは、本当に危険なことなんだろうか。
別に相手の腕前を見る気がないわけじゃない。腕前は体にメスを入れられればわかる自信があるのだ。
だから聞きたい。
もしあなたの目の前に、「好きな女医さんはプライドが高い女医さん」「手術して欲しい女医さんは西川史子」というような人が現れたら、頭悪い?
はっきり言ってオススメな気持ちで言っているのではなく、それが正直な気持ちだから今後そう言って過ごすべきかと考えているのだが・・・
偽装請負が能力向上に役立つか?ってのはまったくもってナンセンスだろ
受け入れ企業からすれば、むしろ自社で雇用する社員に比較すると、偽装請負の社員を育成するインセンティブは圧倒的に低いよ
実作業員に割り当てられる賃金原資が目減りするだけだし、給与が下がればやはりそこには優秀な人材は集まらないんじゃないのかね
経営が苦しくなるからやめて、というのは一方的な泣きごとにしか聞こえない
力のないところは潰れてもらって、残ったところに人が集まったほうがいいんじゃないの
10年前、20年前の新卒が、そこまでの能力を期待されてたかっていうと疑問なんだけどね。とてもそんな能力がいまだにあると思えない先輩方をたくさん見てきたので。
うろ覚えだが、あちらのポルノビデオは男性と女性の映るシーンが1秒違わず同じである必要があるんだそうな。
だから日本製のAVは、女優の外見が(彼らの感覚で)幼く見えている上に男性が殆ど映らないから重宝されるんだとか何とか(笑)。
コンビニやスーパーでアイスを買うことが多いのだが、よくスプーンをくれないことがある。
忘れずにスプーンつけて下さいと言えばいいのだが、忘れることがある。
俺の部屋にはなぜかスプーンが無い。金属製の普通のスプーンね。
だから、アイス用の木またはブラスティックのスプーン(あのちっこいヤツね)を店でもらわなかった場合には
困ったことになる。
そこで、やむを得ず、木の割り箸で食うことになるのだが、そうすると、これはもうなんとも美味しくないのである。
なるほどアイスの味はするのだが、どうも割り箸だと趣が損なわれるというか、精神的な物足りなさを感じるのである。
こんなふうに不可避的に割り箸でアイス食べてるのは、たぶん俺だけだろうが、他にもいたら教えて欲しい。
逆に、割り箸でアイスを食うのを当たり前とする国があるとしたら、そこで育てば、割り箸でのアイス賞味による趣消失効果は大してないのだろうか、どうなのだろうか?
要するに、こんなの俺だけだと思うけど、ちょうどいい感じのネタになるかなと思って、暇に任せてこのエントリ書いちゃったというわけです。おしまい。
いや、実際今就活してるけど、『コミュ力』とか『問題解決能力』とか『向上心』とか、キーワードだよ。
実利的な事ってよりも、「自分のいる環境下でどのように課題発見し、どう創意工夫したか」とか、
「挫折からどう立ち直ったか」が聞かれる。マジで。
兵隊にもできないような学生が増えてるって言うのが正直なところじゃないか?
まずは嫌悪感を感じ、直後に哀れみを感じるエントリーだな。運動会、修学旅行、文化祭といったイベントを一度でも楽しんだ人間であれば、こんな事は思いも付かないはずなんだが。
「○○が目的なら××でいいじゃん」という考え方を持ちながら、学校教育というシステムの前提に疑いを持っていないあたりに言いようのないもの感じる。「勉強を教える為」が目的なら学校そのものからして要らんだろ。
ああスマン。マジレスだと思ったんで、改変だと気付いてなくてしてたらなかわいそうかなと思って。
黒人ってのはさ、やっぱりフルメタルジャケットに出てきたような「危険はニガーにおまかせよ」みたいな役どころが一番自然だよ。妙にインテリの役なんかやらせるのも逆差別だ