Life is beautiful: なぜ「iPhoneキラー」がことごとく失敗するのか
何をもち「iPhoneキラー」とするか、あるいはそもそも「iPhoneキラー」なる商品群が「ことごとく」登場した上に「失敗」を重ねたのか、というシンプルな疑問を呈示できる時点でこのエントリが既に破綻しているのは明白である。
元々Microsoftで主要な地位のエンジニアだったらしいこの中島某という人は、今ではAppleに入れあげること甚だしい。その入れあげぶりは、まるでおもちゃを与えられ大喜びしている幼い子供のごとくである。
まあいい。好きこそ物の上手なれと言う。とはいえ、中島某がAppleに拘泥するあまりに、そのスリークで特異なデザインやUIをベスト・プラクティスと捉えるなら大いに道を誤ることとなるだろう。
あと、SoftBankモバイルがiPhoneをやたらとコモディファイ(渡辺聡あたりがよく使う「コモディタイズ」というコトバは誤りだ)しようとしているあたりにはどうにも懸念が感じられてならない。
スティーブ・ジョブスが「囲い込み」を行いたい対象は、中島某のような熱心なApple信者、ないしはMicrosoft棄教者にほかならない。Appleがアフィリエイトに並々ならぬ力を入れているのもその一環だ。もしiPhoneが、既にあるケータイと同様に肌身離さず持つコモディティになるとどうなるか。
それは、本来ジョブスがターゲットと目するコアなユーザのさらなる獲得が叶わなくなるということだ。コモディティ化したiPhoneなど、誰が持ちたいと思うものか。
そのあたりを鑑みずに「ジョブスはマーケッテングの天才」と言いはばからない中島某は実におめでたい。ジョブスはこうした盲目的狂信的ファン(= chauvinist(s))をせいぜい(福田康夫ふう)大事にするとよかろう。