あんただけでなくApeman支持者全員に言いたいのだが、「比喩の適切性」というのがそれほどまで強く求められるという価値観は社会的に一般的ではないよ。たとえば「産む機械」騒動というのがあったが、あれも話の構造としては似たようなものだ。そして、「産む機械」という言葉を比喩と断ってでも使ってはいけないという意見はさほど広く支持されてはいなかったはずだ。少なくとも、比喩に目くじらを立てることに懐疑的な人間は多くいた。そのことには注意を喚起しておく。
当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。
あんたらはそういうことを言うが、あれを「女性性への揶揄」と読むのは勘繰りが過ぎると思うし、仮に女性性への揶揄だとしてもどういう含みになるのか俺には理解できん。
現地でトリアージに当たった医師が専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。
福耳先生という経営学の専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?
あんた、学部生かなんかだろ。「専門性」ってものがわかってない。ある意味では過大評価してるし、ある意味では過小評価しすぎてる。
たとえば、俺が数学の話をちょっとしたら俺の専門が数学だと断定したが、俺が披露した程度の知識はたとえば経済学においても常識レベルの話だ。そもそも、あの話は普通は工学に分類するものだが。
そういう意味で、あんたは「専門性」を狭くとらえすぎている。トリアージの話が経営学の話と極端に乖離しているように誤解しているのはたぶんそのせいだろう。
一方、専門家は自分の専門以外の分野では素人だ。福耳氏も医者氏も倫理的判断においては専門家ではない。もっと言えば、そんな専門家などいない。倫理学や宗教学はやや近いが、それであってさえ「倫理」や「宗教」という現象を説明しようという営みだ。従って、この件の倫理性に関する判断で、福耳氏がどういっただの、あるいは医者がどういっただのという意見は一当事者の主観以上の意味がない。
じゃあ、その「平易な言葉で過不足のない説明」を抜き出してみてくれ。それはいったいどこにあるんだ。あと、自分を基準にして物事の難易度を測るのはやめた方がいい。あんたはいい意味でも悪い意味でも特別な存在ではないから。
俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?
あんたの話題の設定が曖昧すぎて何とも言えない。だからあんたのゲームの比喩については答えようがない。
露悪的にユダヤ人を描いたのであればそりゃもちろん問題があるだろう。だが、本人の内心に秘めていたはずの秘密が何らかの形で暴露されてしまったとかいうケースならそれはよくわからない。
似たような話として、ワーグナーの話がある。ワーグナーは死後に作品をナチスによって政治利用された人物で、イスラエルでは現在もタブーなのだが、彼が本当に反ユダヤ主義者だったかどうかはグレーゾーンとしか言いようのないところだ。
で、ワーグナーの曲をイスラエルで敢えて演奏したバレンボイムという音楽家がいて、非難を浴びたことがある。そしてバレンボイムは自身がユダヤ系のイスラエル人なのだ。
つまり、ちょっとのことで話の性質は変わってくる。一般的にああだこうだと言うことはできないだろう。ワーグナーとバレンボイムの件などは、もはや当事者の主観の枠内だけで話を付けるしかなかろうと俺は思う。程度の差はあれ、ゲームの問題(テトリスであろうと囲碁・将棋であろうと)にも似たようなことが言える。
ついでに言うと、俺は戦争ゲームが好きではない。たとえば、信長の野望や三国志には抵抗があるし、大戦略などは頼まれてもやりたくない。ホラーも嫌いだ。一方で、ドラクエやFFや囲碁・将棋はむしろ好きだ。こういう好みはあり得ることだと思うが、ただその線引きに倫理的な必然性があるとも思えない。単なる俺の主観だ。
そういうことから、ゲームの件にせよトリアージの件にせよ、「これが絶対正しい、これが絶対間違い」なんてことは言えると思っていないし、トリアージを比喩に用いるのは言語道断不届き千万という言説には強く反発を覚えるのだ。
俺は「左翼」という言葉を使っていないし、「人文系」という言葉は「今までのお前らの説明は高踏的な人文系用語の羅列と、過度に込み入った構文によるはしょった説明ばかりでとうてい理解できん」という一文で一度使ったのみだ。そして、「高踏的な人文系用語」を羅列する人間は別に人文系に限らんよ。俺も一時期やってたことがあるしな。
そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場の医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。
終わってない。当事者がどう考えようと問題が消滅したことにはならない。少なくとも俺は、福耳氏は謝罪すべきではなかったと思っている。もっとも、福耳氏の立場なら、理非はどうあれ謝罪しておかなければ実害が及びかねなかったから、それはそれで仕方のない判断だとも思うが。
何度も言うが、デリケートな例を持ち出してはいけないという根拠はどこにあるのだ?不快感を覚える人間がいるかも知れないというのは理解できる。だが、不快感は倫理的判断の根拠にはならないぞ。
ついでに言っておくが、俺はトリアージに近い扱いを受けたことがある身分だ。
俺は阪神大震災で負傷した。全治十日程度の怪我だったが、しかし命に別状はなく、相対的には軽傷と言ってよかった。そこで、病院に行ったところ、俺の治療は徹底的に後回しにされ、重傷者ばかりが優先的に治療されていた。そして、包帯が不足していた当時、俺は包帯を没収されてガーゼと絆創膏だけで我慢させられた。当時は包帯を洗濯して使っていたのだ。
俺はまだガキだったが、それでもこの判断には感銘を覚えたものだよ。俺は不利益な扱いを受けたにもかかわらず、な。
歴史学でホロコーストを教えるのは普通に本題だろ。 なんで経営学で関係もないトリアージの話をせにゃならんのだ。デリケートな話題を他所の分野から持ってくるから現場の人に怒ら...
なんで経営学で関係もないトリアージの話をせにゃならんのだ。デリケートな話題を他所の分野から持ってくるから現場の人に怒られるようなことになんだよ。 関係はあるだろ。トリ...
関係はあるだろ。トリアージを含めた「制約条件の下での最適化」という問題は非常に普遍的であって、応用数学のほとんどあらゆる分野に顔を出す。 「制約条件の下での最適化」に...
「制約条件の下での最適化」にまで抽象化・一般化してしまったらトリアージという例示である必要がまったくない。 いや、福耳氏の文章からすると、「制約条件の下での最適化」と...
いや、福耳氏の文章からすると、「制約条件の下での最適化」という発想を理解してもらいたかったと考えるのが自然だろう。 当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考え...
あんただけでなくApeman支持者全員に言いたいのだが、「比喩の適切性」というのがそれほどまで強く求められるという価値観は社会的に一般的ではないよ。たとえば「産む機械」騒動とい...
いや、だからもうやめようよ。というか、福耳先生発言には産む機械発言やユダヤ人絶滅ゲームと同じくらい問題がない、と言いたいのならそれはよく分かったから。Apemanさんにもhokusyu...
いや、だからもうやめようよ。というか、福耳先生発言には産む機械発言やユダヤ人絶滅ゲームと同じくらい問題がない、と言いたいのならそれはよく分かったから。 「あたまがわる...
分かった分かった。「産む機械」発言を擁護しようが無い程度には俺は頭が悪いし、そういうものを擁護できて、ユダヤ人絶滅ゲームに対する倫理的判断も宙ぶらりんに出来るくらい君は...
満足できない。 トリアージ記事に問題があると判断した根拠の提示を求めている。
。「産む機械」発言が正当でありえて、ユダヤ人絶滅ゲームに対する倫理的判断も宙ぶらりんでいいという前提に立てば、トリアージ発言には問題はないかもしれないねえ。これで満足か...
あんたはゲームの件で曲解してるきらいがあるのでその件を度外視して考えてもらいたい。 産む機械発言を否定しないという立場に立てば、トリアージの一件も糾弾されるべきでない結...
あんたはゲームの件で曲解してるきらいがあるのでその件を度外視して考えてもらいたい。 曲解も何も、書いたとおり、君はユダヤ人絶滅ゲームを倫理的に擁護しうる人なんだろう? ...
産む機械発言を擁護できる程度には福耳先生のトリアージ発言も擁護できると思うよ。それでいいんじゃないかなあ。 本当にそれでいいんだな?だったら勝利宣言させていただくよ。 ...
産む機械発言を擁護しえないというのが主観であるのなら、そのとおりだね。おつかれ。
ありがとさん。あんたらの徒労にこそお疲れと言いたいが。 あくまで福耳先生のあの経営学に関する発言についての議論なのだから。いちおうそこは指摘しとく。 どっちだって同じだ...
モデルとして複雑になるのを避けたいならそういえばいい(多分そっちのほうが回答としては適切)。 全くそうだよねー いや問題あるだろ。必要も無い他分野の用語を不用意に持ち...