みんな美人で、それでもみんな別人なんだよ。
でもさ、見ててだんだんツマらなくなるわけ。
一緒じゃん、って。
現実にはそんな美人がゴロゴロしてるわけじゃないからさ、街中で飽きたりはしないだろうけどさ。
でも結局大方の人間が目指している、推奨する方向みたいなのをまざまざと見せ付けられたとき感じたのは嫌悪感だった。
なんてツマらないことやってるんだろう、人間って、ってね。
残念ながら生まれてみたら理想像とは遠いところに居たりして、違う道を模索したり、模索もしなかったりするわけだけど、
それでもどこか奥底の部分で求めるものがあり、それが少数パターンの理想像だという現実。
そしてその理想像に該当した幸運な女を見せられれば、やっぱり美人だ可愛いと感じる自分。
そう感じつつもキモい、そうとも感じる自分。
人種のサラダボール。そこにも求める理想像が存在するんだろうけど、多数の人種、ただそれだけで、その種の数だけは少なくとも理想像が存在する。
それはどうあがいても同一化できない。それは不幸なことでもあるかもしれないが、俺にはずっと面白そうに見える。
普通にも色んな普通がある。キモいにも色んなキモいがある。美人にも色んな美人がいる。
その色んなを諦めなのか受け入れなのか分からないが、その多様さが実質単一民族単一文化と思っている日本に生み出されることは望めない気がして、退屈で憂鬱だ。
アメリカは好きじゃない。でも日本人が、その大多数が、求めるものが、いや求めていること、そのことそのものが好きになれない。