2008-06-24

 当事者でない者には事象を語る資格がないと規定することは、「語り部」の減少を招くことによって世に対してその事象をより知られざるものとし、結果的に当事者を理解する(少なくともその潜在的可能性を持つ)者を減らして、当事者自身の孤立化を招くことになる。

 サバルタンについてはむしろ語れ。「語り得ぬもの」についてもどんどん語れ。

 誤解と誤認と無理解を伴った試行錯誤の「語り部」生成のプロセスなくしては、その後の「理解」のプロセスだって発生するはずがないのだ。神ならぬ身の人間には、試行錯誤の蓄積を全く伴わないただ一度の回答によって、万人をすべて納得させられるような“正解”を言い当てられるはずなどないのだから。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん