結局車通勤は労力的にも金銭的にも楽じゃないってことでは?地方でも交通インフラ整ってたら車より電車のほうがマシってことになりそう。
だいたい書きたいことは書いたような気がする。そういえば私、この前Vガンダムの最終回をニコニコ動画で見ました。
十と何年かぶりでしたが自分の心にぴたりとはまるものがあった。
ただここ十年ほどは、そういった感情、気持ちの高まりや感動とかが体の中でぐるぐるとしていて、私は存在することそのものに我慢がならない。わたしのほしいものはもうある程度固まりつつあって、それは私の選択と思考の結果、その積層がなすのでしょうが、その中興の礎である森博嗣が、消えようとしている。
何かと向き合うということは極めて個人的なことで、共通見解を持つことも持たないこともあるけれど、最終的に何を引き出すかは全員が違い、それはその人の生き方と選択と、変容であるから、それをもって他人に言うこともないし、他人が言うこともない。出来ないというほうが正しいかもしれない。客観的に私を、この森博嗣に求めるものをその実に個人的な要素をわかる人がいたら、いいえいるとは思えないし、いなくて当たり前だし、いてなんになるというのか。私はほしいものが決まっていて、それは目の前にあって、高台からの眺めは追憶の中にしかなく、今現実に里帰りしても、見ているのは二十年前だとすればそれが生きる力に、遠まわりしてでもなっているのであれば、受容とは本当に個人的な行為で、ここにはもはや森博嗣も立ち入れない。それは私の森博嗣体験であるから。
人文学の成果は知っている。
ただ現実に、実感としてそれをまざっと私に見せ付けたその人のキャリアが最後になろうとしていると思うと、思うと。
スカイ・クロラ、私にしか見えない雲と雲の間で。
スカイ・クロラ、私の最後の道行きの、はるか手のとどかぬ上を。
スカイ・クロラ、私の知らぬうちに気づかぬうちに。
すいてるというのがどの程度かにもよるが、自分の路線では本も読める程度だし、車にしたいというほどの苦痛はない。今でも多くの人が電車通勤のままなのは車よりマシと思ってるからでは?車ならひいたら犯罪者で罪重い、賠償金も示談金とは桁違い。罰金刑ですむレベルより高リスク。
それどころか3日単位で変わっていくよ。けど1年単位で見ればたいして変化がないのも事実。増田の話題は「空気読め」用法で言うところの空気みたいなもんだからなあ。そんとき盛り上がってる話題にみんなノッてるけど、別にこだわりがあるわけでもなく、次の話題がはじまればズルズルとそっちに流れていく。
自分が運動部系の奴らの仕事ぶり見てきて思うのは、奴隷が得意ってのもそうなんだけど、逆に「他人に命令するのが得意」って部分もあるんだよね。非運動部系の人は全部自分でやらないと気が済まない系が多い。それだと周りが育たないんだよね。重要な情報も周りに下ろさなかったり。全部自分で片付けちゃおうと思ってるから。その点運動部の奴は他人をちゃんと使える。もちろんこれは悪い面もあって、過剰に他人にきつく当たったりとかもあるんだけど。
あと運動部系の奴って緊張しないから持ってる能力をフルに発揮してる感じ。逆に非運動部系は緊張するからせっかく高い能力を持っていてもそれが発揮されない感じ。すぐにテンパる人多いし。
ここに書いたのはもちろん「ある程度の傾向」程度の話であって、そうじゃない人はいっぱいいる(←と保険をかけておく)。
コカコーラのキャンペーンで小説がドラマ化されて私はあせった。世間の人が森を知れば、私は今よりもずっと仕事のできない人間になると思って恐れた。相対的に順位が下がる、それもドラマティックに下がることを真剣に恐れた。
素人目に見てもキャンペーンは陳腐で大失敗どころか、マーケティングとかブランドイメージの確立とかそれらの全く出来ない人たちがありもしない勢いで作ったかのような「顔の見えない」キャンペーンで、そもそもキャンペーンではなく、ただのコマーシャルのいち形態なのかと思うほどでやっぱりドラマもどうにも中途半端で少なくとも森を感じさせる映像作品ではなかった。
スカイ・クロラが監督の作品となったときも少し怖くなったが、やはり杞憂だろうと思う。
そして私はいまこう思う。
森博嗣の熱い世代がうらやましい。オタク第一世代というのかフロンティアの気概はやはり私を、いい時代だったんだなと思わせるのです。
私は今のファンや若者に力も熱もあると思うし、仮になくてもその中で自分を全うしたいと真剣に思い、そうあることを願います。
ちょっとわかってきました。私は森博嗣や鶴田謙二、庵野秀明たちに置いて行かれると思っているのかもしれません。いや消えるのは森さんだけでしょうが、彼らの中には共有する時代があって、それを持ったまま森さんの声は私に届かなくなってしまうのです。
庵野秀明はゼロ年代を越えてもいくばくかの創作はするだろうし、山田章博も作品を発表するはずで、岡田斗司夫も唐沢俊一も社会に伴走し続け、鶴田謙二は相変わらず早送りにしても微動が確認できないくらいの遅筆でしょう。
私の妄想はとどまらないようです。
森博嗣の日記の終わりは、きっと創作への別れなのだと思います。漫画から研究、そして小説を経て、工作への傾注は私の前を通り過ぎる電車のようで私はそれを見送るより他ないのです。工作も創作だろうし、いやただ消えてもう見えなくなってしまうことの失いはどれほどの遺産があっても私には大きすぎるのです。
グッドバイと言えればいいのでしょうが。もともと日記の終わりをリアルタイムで経験しなかった私は、一度の別れで済むのです。覚悟して二度目を迎えるほうが幸せでしょうか、今こうして吐き出しながら覚悟をしきれないでいるほうが幸せでしょうか。
底辺タレントのブログにそこまでコストかけないだろ。常識的に考えて。
有名芸能人の本とかのもっと金になりそうなのならやる忌みあるだろうけど。
車通勤だと事故で死ぬ確率は電車より圧倒的に高いし、運転する労力やコスト考えたら割に合わないよな。痴漢とか冤罪はノイジーマイノリティが騒いでるだけで多くの人は関心ないでしょ。
結局エッセーと日記を好むようになって作品は後回しに。作者の自信作、よりはもう少し切れ味の鈍いわかりやすいほうを好んだと思うし、さらにはエッセーのような構成されたものよりもそのまま出てきた日記の文章が良かった。
ネットで話題になることもあまりなかったように思う。新本格自体がそうであったとも言えるし、ネットの発達がはっきりとした頃はもう西尾維新が出ていたからその流れもあったかも知れない。ところで流水と維新はべたべたとくっつくな!お前らは森さんを理解できてないじゃないか!!と怒っていたこともあったけど、今は怒りや嫉妬の気持ちはなく、ただ受け取り方が違うのだなと思う。違う人間だから当たり前といえば当たり前で。本当に当然のことを言ってしまうのもつらつら事だから然りとかなんとか。
最も面白かったのはその思考で、現状を把握することの冷静な態度とその記述に私情の入らぬこと。どうもうまく言葉にはならないが、私はあの分厚い日記を読んだとき、いっぺんでそれがわかった。吾妻ひでおさんは玉子様をエコロジーと言っていたが、限りがあり、それを理解し、望む将来を自分で考え、その結果を実現しようとするきわめて現実的な姿勢を言い表してないと思うし、私の感じ方に近い人を探すのもなかなか大変だったことを覚えています。
とにもかくにもいっぺんでわかったということとそれからのつながり、数年間は私の研究とうまく接合できなかったがそれはそれとして現実の不具合はさておいて、森を読むことは稀有な体験だったと思う。あれがなければ今の私はない。ありえない。おそらくまだ辛い精神を抱えて右や左へ行っていたのだろうと思う。
あんまり自分語りの多く、それでも尽きないことは驚きであります。
それから私は森博嗣を読み始めるようになった。私は色んなものの子供で、それもわかり良すぎるほどの素直さで受け売りを自分の意見とするような感じ。素朴なのかもしれなかった。
北村薫と宮部みゆきの子供は元は、神坂一の子供で、秋田禎信の弟であった。大森望は私のおじさんであって、そこからミステリ、新本格に入っていったところ、その作品たちのミステリという枠組みの捉え方がクラシック音楽のそれと似ていて、行き詰まりかどうかは別としても、受け手にもいろいろと勉強が求められるようになっている、その共通が面白かった。
私は今、アメリカ風の直截にコンサイスに喋り、書くことを求められていて、またその指導さえしているけれどこのようなつらつらと書くことを忘れられないのは、日本文化の下の日本人だからでしょうか。そうではなく、忘れる日が来るのでしょうか。
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話がそれたけれど、創作の文章があって、そして日記の言葉があって、同じことの繰り返しであっても毎日を知りたいと思う。
なぜだろうか現実世間への言及はほとんどない人だけれど、なぜだろうか寂しさかどうかももうわからない。
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追憶とノスタルジーの中で生きることを私はきっと、小学生のころに知っていた。ランドセルの中に入るのか入らないのか。いずれにせよ今はもう入らない。
http://blog.oricon.co.jp/powder-snow_yui-1117/archive/317/0
今回は私のblog等において皆様に不快な思いをさせてしまい大変申し訳ありませんでした。
その記事は書いておりませんので記事の真相を私自身も追究していく気持ちです。謝罪文が遅くなり申し訳ありませんでした。今事情を把握し、正直ただただ混乱し、尚且つ驚いております。ただここまで話題が膨らみ伊藤アナウンサーの発言内容が飛び交ったのも伊藤アナウンサーのファンの方、SMAPのファンの方に不快な思いをさせたのも私のblogのせいだと思っています。私自身の考え、謝罪の気持ちを持ちまして、暫くblog更新は控えさせて頂きます。
皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
>その記事は書いておりませんので記事の真相を私自身も追究していく気持ちです。
どこからツッコめばいいのか分からないって、こういうことなんだな。
事務所からの指示なのか、自分で考えたのか。
絶対に笑わない女って、なんか気持ち悪いね・・・。
くだらないネタでもすぐにおもしろがる女もちょっとアレだけど、能面みたいな顔して絶対に笑わない女よりは100倍マシだと感じました。
前者ならうまくやれば払わずにやれる。
金目当てでやってくるからといって払う義務はないわけで金を払いそうなそぶりを見せつつ、媚びさせる様仕向けるのが紳士のたしなみというもの。