2008-06-07

森博嗣が終わる3

それから私は森博嗣を読み始めるようになった。私は色んなものの子供で、それもわかり良すぎるほどの素直さで受け売りを自分の意見とするような感じ。素朴なのかもしれなかった。

北村薫宮部みゆき子供は元は、神坂一子供で、秋田禎信の弟であった。大森望は私のおじさんであって、そこからミステリ新本格に入っていったところ、その作品たちのミステリという枠組みの捉え方がクラシック音楽のそれと似ていて、行き詰まりかどうかは別としても、受け手にもいろいろと勉強が求められるようになっている、その共通が面白かった。

私は今、アメリカ風の直截にコンサイスに喋り、書くことを求められていて、またその指導さえしているけれどこのようなつらつらと書くことを忘れられないのは、日本文化の下の日本人だからでしょうか。そうではなく、忘れる日が来るのでしょうか。

話がそれたけれど、創作の文章があって、そして日記言葉があって、同じことの繰り返しであっても毎日を知りたいと思う。

なぜだろうか現実世間への言及はほとんどない人だけれど、なぜだろうか寂しさかどうかももうわからない。

追憶ノスタルジーの中で生きることを私はきっと、小学生のころに知っていた。ランドセルの中に入るのか入らないのか。いずれにせよ今はもう入らない。

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