ちょっと昔の話。今よりも僕はずっとずっとネギが好きで、ネギだくするのが好きだったんです。
でまぁ、当時も今と変わらず牛丼好きなんで、
男友達と飲みながら「ねぎがない、だから牛丼が美味しくないんだ」と文句言ってたのです。
すきやで。
したらまた、この友達が「じゃあ、わかった」と言うのです。「今からネギだけ頼もうぜ」と。
ネギだけの注文なんかしたことないオレは焦りました。「いや、ちょっと待って」とあわてます。
でも友達は、少し遠くで働いている店員を指さし、「あそこ行って一緒に頼もうぜ」と言い、席を立ちます。
オレは「いや、向こうも迷惑だし」とか「さすがにうざいっしょ」とか言って止めます。
友達は「嫌がられたら戻ってくればいいんだよ」と言ってましたが、オレが動こうとしないので行くのをやめました。
「じゃあ、お持ちかえりで、ネギだけ歩いている食べるか?」と友達は言います。
「逆にそっちの方が難易度高いだろ」とオレは顔をしかめます。
「でもねぎがないんだろ? だったら頼むしかないだろ」と友達は口調を強めます。
「そうだけど、もっと普通に注文したいっていうか」とオレ。
「なに、普通って?」
「つゆだくとか、ねぎだくとか、そういう…」とハッキリ言えない自分。
「じゃあ、オレが今から注文してきて、それでお前に分けてあげたらいいか? それもネギだけだよな」という友達。
「それは…、だけど、ほら、お前もこの前言ってたじゃん。ネギだけでついてくるネギって軽い味付けが多いとか」
「は?」
「その…」
「…軽い味じゃねぇよ。イキが良いネギだよ」
「あ、そうだったね。…でもオレ、イキが良いネギ、少し苦手だし。そこまでしてネギが欲しいってわけでもないし…」
友達はオレの顔をじっと見つめながら、一言、
「だせぇ」
と言いました。
ごちゃごちゃ言ってるけど、牛皿のお肉がないだけじゃん
彼は言います。
言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、
ネギがない牛丼を必死になって正当化してるだけじゃん、と。
ネギだけ注文する勇気もないやつが、ネギがないとか言うんじゃない。
どうせネギだけ頼めば「ネギだけで出される味は…」って言うし、
松屋につれていけば「ああいう店のネギは苦手だし、そういうところのネギ美味しく食べれそうにない」とか言うだろうし、
デパ地下の美味しいネギを狙えって言えば「いや、デパ地下とはすきやと違って味がないし」って何かにつけて言い訳するんだろ?
だったら「自分には店員に話しかける勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。
そっちの方が、よっぽど何かってときにネギ分けてあげたいって思うし、
つーか、ネギない理由並べて、今の牛丼を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。
あれは悔しかったー。すげぇ。美味しかった。
その場は言い訳もできず笑ってごまかしたけど、家に帰ったら彼の顔とセリフが思い浮かんで、
布団の中で「でもさ、でもさ」と必死に言い訳考えてた。
オレにはオレの事情があるんだ、しょうがねぇじゃんかよって。キン肉マンの 「牛丼音頭」聞きながら(笑)
ひとしきり考えたら、そんな自分を「だせぇ」って思った。
そういうところから、どういう行動を取り始めるかは人それぞれで、
「いいさ、どうせオレなんか」と、うずもれてしまうこともできたんですが、
ただ、「ダサくはなりたくない」ってことだけは強く思ってて。
食べたいとか、そんなたいそうなことじゃないんだけど、ネギないのはイヤだった。
あの頃に比べたら、言い訳を言う量はだいぶ減ったかなーと思う。
「ネギない」と言われると、カッとなって「ホントにそうか?」と言いたくなる
だから何かにつけて牛丼を食べる人を見ると「ネギがないからやだなーって思ってる部分があるんだろな」って思ったりします。
でも、自分もそうだったから「だせぇ」とはあまり思わずに、どうしたらネギが頼めるようになるか、力になれないかって考えたりします。
僕の友達がやったような荒療治がいいときもあるだろし、
ゆっくりと一緒に解決した方がいいときもあると思うし。
正直なところ、
言い訳したり、ネギ探しをしたりしながら今の自分を守って、それで280円払ってもいいと思うんです。
イヤミとかそういうんじゃなくて、それもひとつの生き方だと思うし。
ただ個人的には、欲しいネギはなんとしてでも手に入れるべきと思ってるのと、
勇気が出ないっていう本音をカモフラージュしながら何十年も言い訳をしつづけるのは、考えただけでげんなりするので、
ネギない理由を考える暇があるなら、できることだけでもやってしまった方がいいと思うし、そっちをおすすめしたいんです。
「それができない人もいる」という意見は、とてもよくわかるんだけど、最近はわからないフリしてる。
ホントにそうか?って思う。
なぁなぁ、ホントにネギないか? ネギない理由って具体的になんだ。それに対してこれまで行った対応策はなんだ。
意外と具体的には言えなくて「なんとなくネギない気がしてる」だけのときってあるし、
突き詰めてみると、「それってお金を出して一歩踏み出せば解決するんじゃん?」ってことが案外あったりすると思ってるんです。
オリジナル
聞いたってわかるもんじゃないじゃん。
今は「大丈夫」って言っても、そんなの関係なく気持ちが揺れ動いちゃう!ってもんな気がする。
実際彼女は感情を自分でコントロールできないことがたまにある。
スイーツ予備軍だとかは思ってない。単に確率の問題だと言ってるだけ。
同人シューティングゲームやってたらエンディングで
「月に人間が行けるわけがない。行ったとしたらそれは偽物の月だ」
なんて意味の文章が出てきて、この作者頭が本気で心配になった
こんなトンチキな文章の出てくるゲームが売れてるってのが信じられんなぁ
学生じゃなくてつくづくよかったと思う。
1、理不尽ないじめはほとんど存在しないし、あっても逃げることができる
2、存在しない敵と戦わなくていい
3、お金が手に入る
4、ほとんどの判断は合理的で、議論の余地が少ないので物事の展開が着実
PMSの症状がないラッキーと思ってたら無排卵月経なだけだった。現在治療中。薬が全然効きません。ホルモン出ません!まぁ不妊症になるのかなぁそうなったら仕方ないけど…うーん。
というひとのことはどういうんだろう、PMSが云々言ってた元増田は。
いや、いっしょに乗り越えようとしてくれるならいいよ。
「私がこう(俺をゴミのように扱う)なったのは身体の機能だから仕方がないの。私は悪くないわ。」
「あなたをゴミだと思う気持ちは自分じゃ抑えられないの。」
「あなたのことがウザったいから邪険に扱ってしまうのは仕方がないわ。」
とか言い出さないのなら。
「ねえお父さん、新しい足音ダウンロードしていい?」
「ん?去年変えたばかりだろう」
「もうあきちゃったよう」
「お母さんに聞きなさい」
小学校4年に上がったばかりの美奈子にねだられると、宇崎はなかなかダメだと言えない。厳しかった父が見たらせせら笑うだろう。自分で子供を厳しく育てるのがこれほど難しいとは思わなかった。
一昨年他界した父のことを思っているうちに、予想に反して、妻のよう子はダウンロードを許可してしまった。2万円もするサウンド・コラージュ・スキンをだ。父が「お母さんに聞きなさい」と言うのは暗黙のNoであり、母はそんな場合決して首を縦に振らなかったが、宇崎の家庭ではまだそこまで阿吽の呼吸ができていない。結婚して13年になるのに。
美奈子は妻が返事を終えるか終えないかの内にコンピュータに飛びついて、スキンの最終選定に入った。プリウス・サウンド・コラージュ・スキン。しかし日本ではもっぱら足音と呼ばれている。2010年、カリフォルニア州議会での歩行者保護のための法案可決を受けて各社がハイブリッド車用の「仮想エンジン音」を実装した。同時に、一部車種でクラッキングが成功するとカスタム・スキンが爆発的な流行を呼ぶことになった。メーカーは公式プラグイン以外の存在を認めていないが、それはそれ、解析できないはずのエンジン・コントローラですら、ガレージハウスに解析してもらえるよう、分かりやすい実装がなされているのだ。一般層の売り上げに直結するスキンに厳重なプロテクトなどかけるはずがない。著作権無視の勝手スキンから、ポルノまがいのどこに持っていっても堂々たるアングラで通用しそうなスキンまで、探せばなんでもそろう。
昨年のスキン購入時に美奈子には公式スキンしか買わないときつく言ってある。今もPCの前で迷いに迷っている長女は結局2017年版の「野鳥の声」あたりを選んでくるのだろう。前回2016年版の野鳥の声を美奈子が選んできたときには暗い気持ちになった。上京したとき、人で溢れかえるJRのホームで聞いた、場違いな鳥のさえずりを思い出した。あのときの苦い気分は、忘れるどころか最近は思い返す一方だ。
「美奈子、もう9時だぞ。寝なさい」
「はーい」
購入許可と言う勝利をもぎ取ったせいか、今夜は馬鹿に素直だ。長女がシャットダウンしたコンピュータを見つめながら、宇崎は嫌な気分を振り払えないでいる。床に就くまでウィスキーをもう二杯呑まなければならなかった。
………
「…おいしい、おいしい、焼き芋だよ…」
家を出た宇崎の横を、三軒となりの佐藤さんの車が小声でつぶやきながら追い越していく。佐藤さん本人は「分をわきまえた」人だったが、子供の教育はそれほどでもなかった。大学生になった長男に古い車を譲った途端、安全音がさおだけ売りの珍妙な声に変わった。今聞いたのは通算三つ目だ。運転している本人は「笑える」とでも言っているのだろう。
「…舎利子 是諸法空相 不生不滅…」
「…おほん、うぉっほん、うぉっほん…」
ニュースによれば、ほとんどの人はまともな安全音にしている。本当だろうか。そもそも「まとも」とはなんだろうか。ほぼ無音で走ることのできる車に、閑静な住宅街でわざわざエンジン音を鳴らさせるのがまともだろうか。後ろからぴちゃぴちゃと足音が近づいてきて、ハイブリッド・クラウンが追い越していった。
住宅地の外の道路に出る。幹線道路との合流まで続くハイブリッド車の列は、思い思いのつぶやき声を上げている。
あるものは小声で歌い、あるものはキャタピラの音を立て、あるものは鼻歌、ひづめの音、単車のエンジン音、ヘリコプター、ジェット機、口笛…
21世紀は、白昼から百鬼がうろついている。
http://anond.hatelabo.jp/20080416201618
http://anond.hatelabo.jp/20080416202136
結婚とか無理そうとまでは思ってないけどね。
その(ゴミ扱いされる)可能性があるからリスクとして考慮しなければならないってだけで。
好きとか何とかいう感情とは全く別の話なんだ。
俺は感情だけで行動することはできないし、むしろ論理は感情に優先することが多い。
それが非人間的だと感じる人もいるだろう。特に感情重視派の女性陣の中には。
そういう意味も含めて、俺みたいなのは結婚しない方がいいかなとも思うわけ。
でも男は大体こんなもんじゃない?そうでもないのか?
やってやる!やってやる!
法は最低限の権利を報償しても平等は保障してくれない。
法治国家のこの国においてやってられない根本的な原因は不平等にある。
ならどうやってこの不平等を解消すれば良いのか。合法的な不平等をどうやって打破すれば良いのか。
犯罪しかない。
「ぼく、将来大きくなったら、力仕事を全くしない人間になるんだ!」
そんな生活に常々不満を持っていた小さい頃の自分。
その気になれば一年中全く運動しなくても生きていける大人達がキラキラと輝いて見えた。
頭しか使わない仕事について、重いものを持たされる肉体的疲労やチームプレイスポーツの精神的苦痛とは無縁になりたい――
運動能力の平均値と一般的イメージによって無条件に力仕事を免除される女の人がうらやましく、唇を噛み締めることも数多くあった。
天気がよければ外で運動、雨が降っても体育館で運動、と、どちらに転んでも絶望的な結果しか生まない体育の恐ろしさに何度も打ちひしがれた。
そんなとき励まされたのが、力仕事はしないと14歳の時点で誓った、という京極堂の台詞。
フィクションながらも、自分と同じ信念を持ち、それを実現している姿勢に大きく心を打たれた。
その後、夢の実現にもっとも大きく近づいた一歩。
それはちょうど20才の頃、生涯最後の体育の授業が終わった瞬間だった。
これで二度と強制的に運動させられる機会はなくなる…!
ずっと欲しがっていたものにも関わらず、小学校入学以来ずっと続いてきたその苦しみの突然の終わりに実感が沸かず、そのときはまだ半分宙に浮かされたような気分だった。
それでも後から思い返す度、体育がなくなったということは自分にとってやはり非常に大きな変化だった。
なにしろあれほど一分一秒が長く感じられる時間は他になかったし、「ペアを作って練習しろ」と言われ暗澹たる気分になることも、
息が切れているのに意に反して走らされることも、飛んでくるボールに神経をすり減らすことも今はもうない。怪我をすることも少なくなった。
でももちろん、夢はそう簡単には叶わなかった。
イベントでのテント設営の手伝い、引越しや長旅で避けて通れない重い荷物の運搬、工場での製造実習――。
力仕事が発生してしまう機会は日常のあちこちに潜んでいて、常に注意深く意識を巡らせていないと、すぐにその魔の手に絡みとられてしまう。
それでも今現在、おおよそ体力仕事とは縁のない職場で働くことが出来るようになっている。
今後望まない体力仕事をすることは、もはや一度もない…という確証は持てない。
けれど、子供の頃の自分に胸を張れるほど、運動をせずに住む環境にいる。
もし今、同じような夢を抱えている子がいるのなら、ぜひ将来への希望を持って今を耐えて欲しい。
きっと将来、その夢を叶えることはできるのだから。
http://anond.hatelabo.jp/20080416062404
具体的に何してダメだったとか分からないけども。
いろいろしたけど、一番分かりやすい例としては、バレンタインにチョコ渡して、一人にしか渡してないと伝えるくらいのことはしてみた。その反応が「・・・」て感じだったので、以降避けられているような気もしたので、そこで脈無し(むしろ迷惑)と判断して、呼び出して告白まではしなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20080416082341
それって強引なことなのか。
いきなり告白する前に、いろいろ探って、脈有りとか迷惑じゃないかとか判断した上で告白するなら強引じゃない普通の行為だと思う。でもそういうの抜きで突撃とか、脈無しまたは迷惑って分かってるのに突破しようとしたら強引と言ってもよいと思う。自分の感覚としては。
元の話題に戻って、
http://anond.hatelabo.jp/20080416011800
高学歴理系男子は直接的にアピールされると思わず疑ってしまったり引いてしまったりするので、共通の友人や知り合いを通して間接的にアピールすると効果的だよ、って偉い人がゆってた。客観的なエビデンスがあれば彼らは強いからね。
http://anond.hatelabo.jp/20080416062404
うーん、こういう系の人はサインとかアピールとか駆け引きとか、そういうコード体系自体がごっそり丸ごと抜け落ちてるからなあ。それこそ、呼び出して女から告白するくらい直接的で強引じゃないと(日本語が解釈できれば誤解の余地がない、くらいのレベルで)ダメだろうなあ。
そういうの楽勝って言わないよね?普通の人より難しいよね?かなり自分に自信があって(自信がないと強引になりきれないから)、人間心理に長けていて、冷静に状況判断して臨機応変に行動出来る人じゃないと無理だよね?やっぱ90点以上じゃないと無理な気がする・・・
横増田。
他の増田も言うように、おれもこの話は飛躍があると思う。仮説に仮説を重ねても、それで証明できたことには全然ならない。それから、ホルモンバランスって言葉を一義的に使ってるけど、PMSと、出産後とで、分泌されるホルモンは同一のものなんだろうか?
PMSがどうのこうのゆー話題は割とどうでもいいんだが、論理の飛躍が気になる。
1と2に相関関係があるという根拠は?まあ、あくまでも仮説なんだからいいのか。
問題は、毎日何時間も嫁と会話してないと愛情を疑われるとか、休日には必ず一緒にどこかに出かけないと愛情を疑われるとか、仕事と私とどっちが大事なのとか聞かれるとか、子供ができたら家族サービスしないとすぐグレるとか、そういう部分なんだ。
それは順番が逆じゃないかな。そもそもの愛情に不安を感じているから、会話の頻度とか休日の過ごし方とか仕事が続いたくらいで動揺しちゃうのであって。ここ参照。研究者とかは、以外と愛情深かったり子煩悩な人が多いよ。短い時間にちゃんと愛情を伝えてるんじゃないかな。すごく忙しい親の子でまともに育った例は多いし、本当に賢い人は情緒が安定していて愛情を与えるのがうまい。
ちゃんと愛情を伝えない(言わなくても分かるだろ)、でも俺は俺の時間は全て自分の自由に使いたいし、ちょっとでも口出しされるのは嫌
何も言えなくなったからってレッテル貼りしないでくれ。
詭弁のガイドライン参照。
http://anond.hatelabo.jp/20080416183422
こっちに反論してくれ。論理的に。