2008-03-10

鳴らない、電話

最近マッチョ関係の話がかまびすしい。ただ僕は、マッチョ的な生き方をするしない、マッチョになれるなれないだけじゃなく、マッチョと呼ばれる人がそのように生きられる期間はどれくらいか、ぶっちゃけマッチョの「賞味期限」にもの凄く興味がある。

僕の父親は、公務員だった。職場でも家庭でも細かいことにうるさい完全主義者で、どこへ行っても疎まれていた。もちろん同僚は顔に出さないし、父も表面上の人間関係は如才なく振舞ってはいたけれど、子供の頃の僕から見ても挨拶世間話程度の会話でしかないのに、父と職場の同僚の双方に不自然さが見え隠れしていた。

何でこんな事が言えるかというと、夏に職場家族連れで泊りがけのキャンプに行く(付き合い上無理矢理行かされる)ことが何度もあって、そこで色々見聞きできるんだよね。特に夜中寝床をこっそり抜け出して酔っ払っている人の話を影から聞くともうwwwwwwwまぁそれ以外にも現在に至るまで人づてで色々聞いたけど、もう酷いとか厳しいという形容詞を通り越して笑い話になっている状態。

父は幼少期食べる物にも困ったような家庭だったようで、ここから中学校に行きつつ働き、苦労して高校を出た後一般企業就職転職して公務員になり、そこからかなりの努力をして高卒としては異例の出世をした。昔のことだから今の「マッチョ」のような起業や独立等とは考えなかったようだけど、頭は切れて仕事はできたようだし、少々特殊な職場環境を考えても左遷的なことはされなかったようだから庁内政治力はあったのだろう。いわゆる「旧式マッチョ」と呼んでもよいのではないだろうか。

でも、仕事能力も年を経るに従って衰えるし、そもそも人望が無い状態での庁内政治力にも限界ってものがある。退職前から露骨に疎まれ始めたようで、最後の年はかなり悲惨だったようだ。退職したら自分の存在理由というべき「ちゃんと仕事をしてる」というものが無くなったせいか抜け殻のようになっているらしい。

そう、僕もここのところ全く彼と会っていない。人の顔を見れば命令か説教罵倒しかしない奴にどうしてわざわざ会わなきゃならないんだ?昔の口癖で、どんな事でも予測して準備して「ちゃんと」やれば……乗り切れるんだよね。だったら子供が親の意図したとおりに育たなかったり、老後の面倒を見たりしないことも世間では普通にあることなのだからこれは当然想定の範囲内で、それに対して「ちゃんと」準備してるんだろwwwww

現在、父には誰からも連絡が来ないようで、年賀状も激減したようだ。昔よく鳴っていた携帯電話はまるで鳴らないとのこと。父はいつまで鳴らない携帯電話契約し続けるのだろうか。職場依存し続けた典型的なダメ団塊世代としての「旧型マッチョ」なんてこんなものじゃないかと思うが、今の「新型マッチョ」はどんな将来を迎えるのだろう?僕はそういつまでも頑張っていられるものじゃないと思うのだけど。

……ま、大きなお世話なのは分かってますよ。

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