顔は… まぁ普通だと思う。彼女は「化粧がへたくそすぎるけど今の時点で平均はクリアしてる」ってる。
うpは勘弁な。
で、どの方面でどのぐらい需要がある女なのかわかる方法ってない?
そろそろ「成熟」という概念も聖性を失って来ているような気がしていたのに
というか60までそんな幼稚な考えでいくのかwww
誰も相手にしてくんなそうだぞ。
俺は35歳だが、さっさと子供が欲しい、いま頑張ってる。
子供を育てることにより成長する側面が大きいと思っているからだ。
俺の弟もリア充だなぁ。慶応の体育会運動部で、マネージャーやってたしな。
親父がむかし、「うちの息子は、ふたり揃って文武両道です」って、いってたのだ。
兄弟というのは不思議なものだ。俺の息子(四才)は、どうも弟に似ている気がする。
>ぶっちゃけ、転職斡旋会社に飲まれているあんたの責任じゃね。
数うちゃ当たる発想のコンサルから、緊密に人事担当と連絡を取って1つの案件をモノにするコンサルまで
ダメだったら次に進む発想がないと。
業界のことも知らないし、米澤穂信も読んだことはないけれど、森奈津子なんかそんな感じなんだろうか?
その「中間に位置するような」小説がジャンルとして名前がついていないから、ピンポイントでそこだけ狙っていくのは辛いんじゃないだろうか。
60代ってのがちょっと極端なだけで、これが40代や50代前半なら全然有じゃないかと思った。仕事はいつかは飽きる、飽きるというのとは違うがむなしくなる瞬間が来るが、男30歳はその境地に達するには早過ぎるだろう。
ただ、女30歳は子供を産む気があれば焦っても仕方ない年齢なので、奥さんが同世代ならちとかわいそうかも。
同世代のパートナーを望むなら女の出産年齢に合わせないと駄目で、その場合男の都合には合わない、これは生物学的限界だからしょうがない。パートナーが同世代でなくていいなら自分の都合に合わせて選べばいいが、その場合は、出産の年齢限界がある女を拘束するのは遠慮して欲しい。
「学校に行きたくない」と泣きじゃくる娘 - OhmyNews:オーマイニュース
>「そんなに学校に行きたくないならもういい! ランドセルなんかもういらないんだから捨ててくる!」と言って
>そのときは次女が泣きながらランドセルを拾ってきたからよかったが……。
これ最悪だ。よくねーよ。
こんなことされたら余計に学校に行きたくなくなるし、なにより親への不信感倍増。
自分も子供のころ親に似たようなことされて、それに関しては親を憎んでる。
ジュブナイルポルノと官能小説の中間に位置するような小説を書きたい。
一般文芸で言えば米澤穂信みたいなポジション。そしてあわよくばそれでお金を貰いたい。
業界のことはよくわからないけど、こういうのは出版してもらえるのでしょうか。
絵師のサイト見てると、未だにnicky.cgiとか使っててホントに苛つく
頼むからでフォルトでrssを吐かないようなcgiを使うなよと。
rss吐かせるには、また別にrssnicky.cgiってモジュールを導入しなきゃならない。
でも、nicky.cgiを使ってる奴の2/3はrssnicky.cgiの存在すら知らないんじゃなかろか
最近、マッチョ関係の話がかまびすしい。ただ僕は、マッチョ的な生き方をするしない、マッチョになれるなれないだけじゃなく、マッチョと呼ばれる人がそのように生きられる期間はどれくらいか、ぶっちゃけマッチョの「賞味期限」にもの凄く興味がある。
僕の父親は、公務員だった。職場でも家庭でも細かいことにうるさい完全主義者で、どこへ行っても疎まれていた。もちろん同僚は顔に出さないし、父も表面上の人間関係は如才なく振舞ってはいたけれど、子供の頃の僕から見ても挨拶と世間話程度の会話でしかないのに、父と職場の同僚の双方に不自然さが見え隠れしていた。
何でこんな事が言えるかというと、夏に職場で家族連れで泊りがけのキャンプに行く(付き合い上無理矢理行かされる)ことが何度もあって、そこで色々見聞きできるんだよね。特に夜中寝床をこっそり抜け出して酔っ払っている人の話を影から聞くともうwwwwwwwまぁそれ以外にも現在に至るまで人づてで色々聞いたけど、もう酷いとか厳しいという形容詞を通り越して笑い話になっている状態。
父は幼少期食べる物にも困ったような家庭だったようで、ここから中学校に行きつつ働き、苦労して高校を出た後一般企業に就職→転職して公務員になり、そこからかなりの努力をして高卒としては異例の出世をした。昔のことだから今の「マッチョ」のような起業や独立等とは考えなかったようだけど、頭は切れて仕事はできたようだし、少々特殊な職場環境を考えても左遷的なことはされなかったようだから庁内政治力はあったのだろう。いわゆる「旧式マッチョ」と呼んでもよいのではないだろうか。
でも、仕事の能力も年を経るに従って衰えるし、そもそも人望が無い状態での庁内政治力にも限界ってものがある。退職前から露骨に疎まれ始めたようで、最後の年はかなり悲惨だったようだ。退職したら自分の存在理由というべき「ちゃんと仕事をしてる」というものが無くなったせいか抜け殻のようになっているらしい。
そう、僕もここのところ全く彼と会っていない。人の顔を見れば命令か説教か罵倒しかしない奴にどうしてわざわざ会わなきゃならないんだ?昔の口癖で、どんな事でも予測して準備して「ちゃんと」やれば……乗り切れるんだよね。だったら子供が親の意図したとおりに育たなかったり、老後の面倒を見たりしないことも世間では普通にあることなのだからこれは当然想定の範囲内で、それに対して「ちゃんと」準備してるんだろwwwww
現在、父には誰からも連絡が来ないようで、年賀状も激減したようだ。昔よく鳴っていた携帯電話はまるで鳴らないとのこと。父はいつまで鳴らない携帯電話を契約し続けるのだろうか。職場に依存し続けた典型的なダメ団塊世代としての「旧型マッチョ」なんてこんなものじゃないかと思うが、今の「新型マッチョ」はどんな将来を迎えるのだろう?僕はそういつまでも頑張っていられるものじゃないと思うのだけど。
……ま、大きなお世話なのは分かってますよ。
東ハトから発売されたらしい「ふわ丸」が気になってしょうがない!
音がしないスナック、しけたような食感って書いてあって、これはどうもパクったんではないかと気になって仕方ない。
なんだか根本的に伝わっていない、ということがわかりました。
(あれだけの情報量では伝わるはずもないのですが、
それなのにどうしてこんなに助言をしたがる人がいるんだろう。)
自分がかわいい、
やめたくないからやめられない、
すごーく当たり前のことですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20080310195600
http://anond.hatelabo.jp/20080309220629
でもそんな単純なことばかりじゃないからなぁ。
んー
その気持ち、なんか初々しい感じで懐かしくもあり、恥ずかしくもあり、って感じだなぁ…。
あぁ、恥ずかしいって言っても、その初志を貫徹できなかった自分に対して、って意味だから悪く取らないでもらえればありがたい。
ただ、やっぱり人文系の学問って、はっきり成果といえるものが見えにくいなぁって、(文学ではないけど)文学部だった者からはお節介ながら一言言っておきたい。
院まで見据えてるならそうそう焦ることもないだろうけれど、早々に細部まで詰めることなく、全般的に見る目を持って、専門だけに拘らずやってもらいたいと思う。
あと、大学の勉強をあまり真剣にやってそうに見えない人を気にしすぎるのもよくないと思う。
そう見える人って往々にして友達づきあいやバイト、サークルへの比重が高いんだけど、よくよく観察すればその人たちも学問外のことから意義を得ているしね。
長々と説教臭いこと言ってしまってごめんなさいね。
…にしても、なんていうのかな、人文系ってなんというか、そんな変?な目で見られてるものなのかなぁ。理解してくれる人も割りといそうに思うんだけれど…。
インターネット上では「ネタ」により潤滑なコミュニケーションが可能になる。「ネタ」が匿名世界に秩序をもたらしている。参加者は「ネタ」についての意見や感想を投げあうだけで、コミュニケーションを楽しむことが出来る。親しくない人と会話するときのように、話題を考える必要は無い。
はてなでは、ライフハック・非モテなどが「ネタ」となっている。常にそれらの話題が人気なのは、誰でも話題に参加できるからだ。プログラミング技術のように、前提となる知識が必要となる話題にはどうしても人気が限られてしまう。たとえそれが刺激的であってもだ。
「ネタ」を中心とするサイトでは、必然的に得られる情報の密度が薄くなる。発言することそれ自体に目的を含むため、少し考えれば思いつくような意見(例えばこの文章)が堂々と発表される。予測されるようなトラバが律儀に送られてくる。それは仕方が無いことなのだ。