http://anond.hatelabo.jp/20080206142916
とりあえずはてなブックマークを使ってみたら?
そして一日に五個のブクマをつける。
そういうことをしばらくやってみたらどうだろう。
で、いちばん左のキミ、代案は?
若者の離職率が高かったりニートが大量発生しているのはわがままな人間が増えたからではない。面接というシステムが機能不全に陥っているのである。
今現在日本で行われている就転職時の面接というのは「その求職者がその仕事ができるか否か」を測るものではない。そもそもほとんどの仕事というのはおよそ人間であれば誰にでもできるものであって、その人でないと絶対に不可能という仕事は弁護士や学者やスポーツ選手や芸術家などほんの一部でしかしかない。そうでなければ人事異動など成立するはずないのだから。
では面接の場で何が行われているのか。それは”価値観ぶつけ合いゲーム”である。企業はどんな業務に関わるどんな人間が欲しいのか情報を開かそうとせず求職者に意味不明な探偵ごっこを強いる。そして求職者は面接の場では「言ってはいけないこと」でがんじがらめに縛られる。ここで行われるのは憶測でしか情報を把握できない一方的な減点ゲームである。もちろん減点されるのは求職者だけで、雇用側が圧倒的に有利なのはいうまでもない。価値観ぶつけ合いゲームで得点する方法は雇用側の価値観の枠内に収まる答えを提示することである。そこにはもはや職に就くための話し合いは存在しない。求職側は何とかして雇用側の価値観に沿うような事実を吐き出すか、雇用側にとって耳ざわりの良い嘘をつくことしかできない。ここで問題になるのは求職側に嘘が認められていることである。この場で吐かれる嘘は単純に雇用側にとって心地よいだけで事実や本心ではないのだ。かくして嘘をついた者とつけなかった者の双方に雇用のギャップが生まれる。なおここでいう雇用のギャップは「こんなはすでは」と辞めることと「雇用すべきだった人が面接ゲームではじかれてしまう」ことの二つの意味がある。
そもそも就業形態自体が能力主義だ使い捨てだと高度経済成長時代からは変質化しているのに対し、面接のシステムだけ旧来通りなのが異常なのである。昔の日本で行われていたのは人を育てるための面接だったはずだ。でも今の企業は人を利用するだけで育てはしない。「こいつは何の役に立つんだ?」と雇用側が品定めするだけの面接を続けていては今後も不幸な人間関係が日々再生産されるだけだろう。
ひょっとして、エロ>>恐怖ってことなのか!?と思ったけど、僕だけかなあ。
だいたい合ってる。おおざっぱに言うと
不安=交感神経系=覚醒
だから。チンコ勃つと眠くなるのは道理。
お前の彼SGEEEEEEEEEEEE
始めてその場所に来た僕は右も左もわからず、ただ周りに圧倒されるばかりだった。
大勢の人がそこにはいたし様々な会話が飛び交っていたが、僕は参加できず独り言をつぶやくばかり。
定型的な、たとえば挨拶だとか、そういうことはしていたが、特に親しい人はいなかったし、いつも孤独でいつ逃げだそうかとも思っていた。
そんなある日、彼女は僕に話しかけてくれた。
考えてみればその場所でまともに話をしたのは、彼女が始めてかもしれない。
きっかけは些細なこと。
今日はなにを食べたとか、好きな映画の話とか。そう、とても些細な会話だったのかもしれない。
しかし、孤独だった頃の僕には、彼女はそう、まるで女神のようだった。
彼女と話すようになってから、そこでの友人は増えた。
僕は水を得た魚のようにいろんな人と話をした。有名人にも会えた。技術的な話で夜を明かしたこともあったし、時にはふざけあって周囲に怒られた時もあった。
とても楽しい日々を送っていたが、多くの人と話すことによって、次第に彼女とは話さなくなっていった。
それでも僕はあの場所が好きだった。
しかし、それは急に現れた。
あまりに楽しい日々にうつつを抜かして、日常生活に支障がでたのだ。
僕は帰らねばならない。小鳥のさえずるあの場所、彼女と出会ったその場所から距離を置くことにした。
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それからいくつかの月を経て、僕はパソコンを買った。白くてリンゴのマークが愛らしいラップトップ型のパソコンを買った。
僕はブラウザを立ち上げた。そう、以前あの場所であった人たちとまた楽しい会話が出来ることを夢見ながら。
しかし、僕が思い描いていた場所はそこにはなかった。
以前よりも人が増え、周囲の声は届きにくい、とても楽しい場所とはいえない、そんな場所になっていたのだった。
大勢のなかを探すと、以前話した人がいた。
「おひさしぶりです。おぼえていますか」
しかし、返事はなかった。
周囲の雑音にまみれ、小鳥のさえずりさえ聞こえない、ネコの鳴き声も聞こえない、ただ大勢の会話が多く、ノイズが多く。
僕は決心した。やはり、ここにはいるべきじゃなかった。最初から「逃げ出して」いればよかったんだと。
それっきり、白いリンゴのパソコンに電源を入れることは無かったし、ましてブラウザを立ち上げることなんて。
ある時、友人に柑橘類の香りがする、そんな場所を紹介してもらった。
そこには大勢の人がやはりいたが、それぞれが「部屋」と言う概念で仕切られ、空気が透きとおった場所で、僕の声はみんなに届いた。
会話をするのは得意ではなかったが、あの場所での経験を生かし、なんとか周りにもなじめた。
そして、彼女がそこにいた。
僕は目を疑った。
一度は仲良くなったものの、自分で距離を置いたようなものだったので、彼女に声をかけるのはとても出来なかった。
そんなことを考えていると、彼女の方から声をかけてくれた。
「おひさしぶりです、おぼえていますか」
昔高専に通っていた頃、試験前になると有志で勉強会をやっていた。出席率は日(教科)によって変動はあるものの概ね30-40%くらいはあったかと思う。つまり、15人弱くらい。
他の高専はどうかは分からないが、うちの高専は大体試験というと、2ないし3教科×5日、くらいの日程だった。教官も一応考慮してくれているのか、暗記系科目(とにかく覚えていないと話にならない教科)+計算系科目(理解していないと話にならない教科)、という組み合わせになっていることが多かった。3教科の日はこの二つに、教養科目(わりとどうでもよい教科)か過去問依存教科(過去問さえやっていればOKな教科)あるいは今更足掻いても不可能な難問教科、が加わる。
基本的に暗記科目は前日資料を作って覚えて……というわけにはいかない。従って、まじめな人間は一週間くらい前には試験範囲をまとめた資料を作るし、不真面目な人間はそれを入手する(作る過程で覚える事項の方が多いのでかなりダメダメなのだが)。そして暇を見ては眺めることで大体の試験勉強は終了する。あとは試験直前のダメ押しくらいだ。
故に、前日の試験勉強は計算系科目に絞られる。しかし公式を覚えていれば何とかなる教科(これはどちらかというと、暗記系教科に分類されがちだが)はともかく、ほとんどの計算系科目(つまり力学系)は公式を覚えるだけでは太刀打ちできない。公式暗記ではちょっとした(あるいはかなり意地悪な)ひねりに対応できないのだ。しかし授業を聞いても理解できなかった諸々が、突然試験前に一人で勉強したからといってどうにかなるわけがない。
前置きが非常に長くなったが、ここで勉強会の登場である。
大体クラスが40人もいれば、何人かはものすごく飛びぬけてできる人間がいるし、10人も集まれば一人くらいはその教科が好きで好きで堪らない人間がいる。よって持ち回りで講義するのだ。教える人間は教えることで自分の理解を深めることができるし、教えられる人間は教官よりも「分かり易い言葉」で理解を得られる。大昔に理解した人間よりも、最近理解した、まだまだ理解したときのフレッシュさが残っている人間の方が、やっぱり説明はうまいのだ。経験論なのだけど。
なので試験の前日(というか試験期間中)はずっと、放課後の教室で持ち回り講義大会をやっていた。メールで「今日、○○が線形代数の講義するよー」とか、「材力の演習3-1が分からないんだけど分かる人いる?」「分かるから今日の放課後教室でやろか?」「あ、講義するならいく」みたいなやり取りがよく流れていたし、どうしても分からないことがあったりすると誰かが教官の研究室に突撃する→放課後講義大会でクラス全員に教える、というようなルートが確立したりもしていた。あるいは電気系の教科だったりすると、電気科の知り合いにゲスト出演願ったり(これまた機械科が死にそうな目にあってるものだって、電気の人間にすれば「常識常識へのかっぱ」だったりするのだ)。
中学時代なんかは試験勉強というと孤独な戦いだったり、試験勉強会と称したお茶会だったりしたものだけど、高専でようやく、"効率的な勉強"みたいなものを知ったなーと思う。
私はわりと材料力学が好きだったので材料力学担当的な位置にいたのだけど、誰かに教えるとなるとかなり深く理解していないといけないし、何より「教えなければ」と思うと、「責任を持って今回の材力の試験範囲は完璧にしておく!」みたいな心持になったりもする。
結局二年生頃に始まったこの習慣は、五年生で卒業するまで継続した。五年生時は各自の研究室でさまざまに講義大会が開催されて、結構な活発ぶりだった。いい感じであの勉強会は続けられたなあ、と今でも思う。勉強が楽しかった記憶というと、まず最初にこの時代が思い浮かぶくらいだ。
教官方には、「常日頃からそれをやってくれれば……」などと嘆かれることもあったけれど、でも試験勉強、というイベント的なものだからあそこまで勉強にのめり込んだり熱心になったりできたんだろうな、と思う。
ふとした思い出話。
>ノーマルを一通り貪った後、そのノーマルの中にあった教師モノからそれにどっぷりハマり、そこから更に年上女性全般に転移し、それの一環でショタ系とふたなりを少しだけ通り過ぎた後、痴漢モノに到着し、そこから発展し無理やり系へと進んでいきました。
待 て 。
ブロガーはブログを書くのがいいと思ってブログを書いている人たちなので、ブログを書くといいよ、と言うだろう。
まぁ、感情とも理性ともうまく付き合っていくのが、いいのではないですか?