2007-09-05

入口と出口

最近、自分が「末端的な人間」であるということを、ときどき感じることがあります。上から教えられることは瞬時に吸収できるのに、下にそれを上手に伝えることができない。

楽器を教えている後輩は全く音感がないから、まずそれを直さなくちゃいけないのだけれど、自分は入部してすぐ絶対音感がついたから、音感がない、という状態がどういう状態なのか理解できない。それでも、自分が吹いた音を再現できないのを見てると、「どうしてそんなことすらできないの?」という気持ちになることが、最初の頃はたびたびあった。

でも、後輩から見ればそんなことはとんでもないことだから、同じ目線に立って、正確な指導をしなくちゃならない。口で言うのは簡単だけど、これって実際はすごく難しいんですよね。

自分がやってきたメソッドが自分にしか適用できないことだから、後輩に合ったメソッドを考えなくちゃならない。これってつまり、後輩の体で練習をしていくことと等価なわけで。

ところが、逆にあまり楽器が上手じゃなくても、指導がとても上手い人もいる。本人の話だと、自分がやってきたことを後輩に教えているだけ、というけれど、私は同じことをやっても上手くいかない。

結局、「得る」才能と「与える」才能は全く別物なのだな、ということを、じわりじわりと感じる毎日です。

他人なら気にしないんだけど、自分が責任のある人だから余計に辛いわー。

  • それはもしかして自分の「欠点」と考えているのだろうか。 「指導」をうまく吸収できる能力はすばらしいと思う。 中には「指導」されたことを「説教」されたと受け取って耳を貸さな...

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