http://anond.hatelabo.jp/20070823221002
「とぼしめる」って読むんだよ!
「既出」は「がいしゅつ」って読むんだよ!
「破綻」は「はじょう」って読むんだよ!
あとなにがあるかな?
子供の頃に、自由帳やチラシの裏に自分の好きなキャラクターを書いて、親に自慢した記憶があると思います。
それを大人になってもやっているわけで、大人の知識が付いているから、エロな方向に妄想が膨らんでしまう。
そのままそれを漫画調にして、本を作ってしまった。自分の妄想を同じ趣味の友人に見せたい!という方向に進む。
しかし、本を印刷するのにもお金がかかるだから実費をもらってみんなに配るそう言う流れなのかな?と思う。
あのさー、男として言わせてもらえれば、古めの作品で言うならメーテルやセイラさんにラムちゃんといったキャラクターの「塗れ場」だとか、そういうシーンを想像・妄想する事ってのは、誰しもあるもんだよ。嘘だと思ったら、近所の男性数人ほどに聞いてみ?(そしてそれは、「やおい」でのいわゆる「カップリング妄想」でも、自己の妄想を勝手に投影しているという点では同じ)
ちなみに、元ネタであるドラえもんの中でなぜか頻出している「しずかちゃんのお風呂シーン」に関しては、大半の男子は劣情は湧かないけどね(^^;
あと、最近オタク系の掲示板で『誰それは俺の嫁』って言い回しがネタとして存在するのも、「あのキャラクターは、俺の彼女にこそふさわしいのだ」って願望は、その作品に触れて親しみを持つ男子なら、規模の大小は違えど持つ感情であるからこそ、オタ同士での共通認識というか“掛け合い”の中に出てくる言葉なわけ。そもそもこういった妄想ってのは、背景としての作品世界にどっぷり親しんでなきゃ出てこない発想だし、そういう意味では「作品に対する一定の敬意」は持ってるもんだ。
基本的にパロディ物の同人誌はエロだろうが、ギャグだろうが、ダメなんですよ。
まず、書いたものや作ったオリジナルなものには著作権がある事を教える事が重要だと自分は思います。
それが出来ないから海賊版とかそう言う物が出回るわけです。
残念ながら、これはハズレ。和歌の伝統に「本歌取り」(もとの作品のエッセンスを踏まえた上で、それをパロディ化したもの)ってのがあるのを、知らないね?
ちなみにアメリカやフランスでは、法律でちゃんと「パロディ」に関しての定義をしているし、ゆえにパロディは「海賊版」などでは無い、との認識で一致してます。「フェアユース」って言葉に聞き覚えは? まさにそれですよ。
まあ増田であーだこーだと言い合うよりは、地方ごとで開催されてる即売会に、実際に足を運んでみたら? 基本的には土日祝の開催だし、ジャンルごとにいろいろな会があるし、情報はネットで探せばすぐに見つかるし。自分も、コミケにこそ参加した事は無いものの、地方の小規模な即売会には何度かふらっと足を踏み入れた事があります。もちろん、「完全オリジナル作品」オンリーの即売会も、けっこうありますよ。
「帰宅したら嫁が裸エプロンだった いやぱんつははいていた」
「お料理するのに暑くって」
な…何を考えているのかわからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった
いや「裸エプロンを見せられた」ことは理解できた
だが頭がどうにかなりそうだった…
ドアを開けたらいきなり裸エプロン
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜぇー、えへへへへ
おとしめしことば?
「貶」でぐぐると「貶して」って書いてる人をよく見かけるんだけど、これは「おとしめして」でいいのかな。
そもそも「相手をおとしめる」ならわかるけど、「相手をおとしめした」って変じゃないか?
・・・とここまで書いてもう一度検索したら、「貶し=けなし」なのね。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%EC%CA&kind=all&mode=0&kwassist=0
日本語って難しいなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20070823212358
本当にうざいです。
わざわざ見に言っておいて、「見るんじゃなかった」って文句を言うんだね。よく分からない。
つーか、「事実とは違うものを信じている時点で」ってそんな簡単に言うけど、事実ってそんなに明白に簡単に「これが事実」って案外言えないぞ
Aさんが言ってる事に対して「事実と違うじゃん」ってBさんが言ってもそれはBさんにとっては違うというか、Bさんは「Aさんが言ってる事は事実と違うということを信じている」だけで、Aさんの言うことが本当に事実と違うのか、分からない。完全に第三者的な視点から物を見るのはとてつもなく難しい。というかもう、ほとんど不可能に近い。多くの人が多くの場合、客観的に物を言っているように思っているだけで、その実ほとんどは単なる主観なのだ。事実と違うものを信じてる時点で間違ってるじゃんてのはまあそうかもしんないけど、そこが分かればの話だよなそれは。逆に言うと、その辺が曖昧だからこそ、人の見方によって変わるからこそ、論争ってのは起きる。
人間というのは、何かを信じることしかできません。
正しさを確認してから、宗教を信じているわけではありません。
何か情報があれば、それはなんらかの変化をもたらします。
1次情報、2次情報、3次情報・・・情報というのは拡散していきます。
数学は難しいかもしれませんが、そこには完全な情報があります。
ですが、完全な情報があることと、それを理解できることは、全然違います。
そういう意味でも、増田なんだから、肩肘はらずに書けばいいと思います。
そうすれば、情報は形を変えて拡散していきます。
僕は「正しい情報はあるのか」とか「完全な情報を理解することはできるのか」ということには興味ありません。
僕が興味あるのは「元増田は彼の言い方で自分が正しいと思っていることを文系の人や原丈人に伝えられると思っているのか」「そもそも伝える気はあるのか」ということです。
http://anond.hatelabo.jp/20070815155514
はいはーい。かつての鉄ヲタで、今はいろいろと『県道』についての記述を充実させている、小人さんですよー。
それを言うなら、jp-Wikipediaは鉄ヲタ率高すぎ、という事になる。結局こういう項目の8割は2割の人間が作る。いや、9割は1割の人間が作る。人数はあまり関係ない。
データベースの充実というのは、世の中に一定割合存在する、データベースの編纂などが大好きな人間(俗に「小人さん」と呼ばれる)が住むか住まないか、という点に大きく左右される。
いやねぇ、鉄ヲタ・道ヲタ・そしてアニオタやゲーオタにとって、Wikipediaってのは居心地がいいんですよ。何がといわれたら、つまり「めいめいが参加することで充実させていく」という喜びが溢れてるから。そしてただ充実させるんじゃなくて、ネットでは「ハイパーリンク」という仕組みがあるから、そこで築かれたデータベースは、それこそ「クモの巣=ウェブ」のようにネットを覆う事になる。
よく、大きな寺社の改装工事の際に、寄進・あるいは寄付を市民に頼む事がある。この場合、たとえば寄進した人の名前を灯篭や石杭に刻むのは、周囲に見られる所に置かれる効果もあるわけで、いわば一種の『ステイタス』とも言えましょう。では、瓦などは?いったん葺いてしまえば、次に取り外す時までは寄進者の名は見えないはずなのに、それでも名入れの瓦を寄進する人は大勢いる。なぜかと考えてみると、それはつまり「ライブ感」というか、イベントへの「参加感覚」が共有できるからではないか、と思ってみたりするのだった。そしてそれは、Wikipediaに参加する小人さんの姿に、そのまま当て嵌まる。
何があった?
「ほーほっほっほっほっ。あなたは今、ばく大な借金に悩んでおられるようですね。それで今年のお年玉も50円しかもらえなかったことを嘆いている。」
「な、なぜそれを知ってるんだ!?」
「ほーほっほっほっほっ。私にはわかります。あなたのご先祖さまのせいで、一族は延々と借金を払い続けさせられている。どうです?あなたのご先祖様を私に売っていただければ、今のあなた方の借金を0にして差し上げますが。」
「う、売る!?どういうこと?」
「なあに、心配はいりませんよ。あなたのご先祖さまはいつもどおりの生活ができます。ただ、私どもが派遣するスタッフと一緒に暮らしていただくだけでいいのです。」
「え、ほんと?じゃあ、よろしくたのむよ。」
「はい、わかりました。では後日、つかいの者をおくりますので、あとはその者の指示にしたがってください。ほーほっほっほっほっ。」
そのセールスマンは笑いながら暗闇へと消えていった、、、というところで目が覚めた。
「おはよう、セワシくん。今日はおじいさんの所に行く日だよ。早く支度してよね。」
「ああ、分かってるよドラえもん。」
.....
ある日、のび太はドラえもんの押し入れでとある秘密道具を見つけた。それは自分の不幸を他人に移しかえる道具だった。のび太はそれを使って一儲けしようと考えるが、どうやっても自分に対しては不幸のやりとりができないことに気づく。不思議におもったのび太はそのことをドラえもんに言うと、ドラえもんの表情がふっと暗くなり、「故障だよ。」としか言わない。いつもと違うドラえもんの態度に疑問を抱いたのび太はタイムマシンでセワシくんとドラミちゃんのいる22世紀へと向かった。
.....
対応を間違ったとしか言いようがないな。
君はたぶん、白痴に好かれてしまったことの不快感と白痴相手に何を言ってもしょうがないというあきらめの板挟みで自分の感情を昇華できずに、そのままトラウマとして抱えるに至ったのだろう。では君はどうすべきだったのかというと、矛先を変えるべきだったのだ。その白痴の保護者または教育者に対して、あなたがたがこういう行動を見過ごしたおかげで、私は異常な恐怖と不快感に襲われましたどうしてくれるのですかと、壮大に切れてみせるべきだった。なにか反論されたら、その数倍のパワーでもって保護責任者の怠慢をなじるべきだった。それはもちろん相手のためなどではない。自分の気持ちの整理のためにだ。
ここだけの話だが、身に覚えのないことで叱責されるほど辛いことは無いのだ。これを他人に味わって貰う以外に、君がトラウマを回避する方法はたぶん無かった。だが、こうすればたぶん回避できた。
いまさら遅いが。
会話を楽しめる状況や相手ならそうするさ。
「この人は話をするのが面倒だから会話を打ち切りたいんだな」と言うことが自明なのに、あえて話題を引っ張るのは大人としてどうかとw
言ってもいいんだよ