何故か「西」が思い浮かぶ。
駅名しかり、人名しかり、地名しかり。
ただし、方角で言う「西」に特に愛着があるわけではない。
むしろ「西」という響きにあまりいい印象がない。
自身が「西」の人間だから、本当のところは故郷という意味で、それなりに持ってもいいはずの気持ちは「東」で5,6年過ごした想い出に取って代わってしまった。
「東」は良い。
血液型がA型でもないので、偉そうなことは言えないが「東」の秩序の良さは目を見張るべきものがある。
それに比べて、「西」の秩序の無さは「西」で生まれ育ったわたくしにとってさえ、苦痛に覚える。
苦痛になる理由は色々あるとは思うが、生まれ育ったとはいえ、「西」での生活は、主に学生時代のものであったことが大きな理由だと考える。
言い換えると、「東」で仕事を始めてから、「東」なりの仕事の進め方、人との付き合い方が染みついてしまったためともいえる。
くどく言い換えると、学生時代までなんて、どこで育とうが日本にいる限りは、それなりの教育を受け、それなりの知識を身につけることが可能であったということである。
しかし、実際に社会に出てみると、学生時代までの過ごし方は当てはまるわけもなく、それまで染みついたのんでんくらりとした生活から一変してしまうことのパラダイムシフトを楽しむ社会人生活一年生が始まるわけである。
だからわたくしは、「西」での社会人生活を始めることは当初から考えていなかった。
『絶対「西」以外で働く』
幸か不幸か、わたくしの思惑通りに「東」で働く機会を得、揚々とした気持ちで社会人生活をスタートさせたわけである。
ただ、社会人生活も3年経つと文殊の知恵とはよく言われないことで、刺激も少なくなってきて、日々の業務にもマンネリを覚える時期になってしまった。
マンネリを覚えることは、わたくしの仕事に対する意識が低いという自分なりの分析もあり、自業自得だということも承知である。
会社のハグルマとして生きることを嫌っていた入社当時の感覚は薄れ、人生の目標を見失うには十分な無気力さと持っていたことは自信を持って言える。もちろん、こんな自信ではなく、代わりに、生きる自信、働く自信を持てたらどれだけ良かったのだろうとも今となっては思う。
ただ、「東」での生活にはおおむね満足していた。
休みの日に一人で過ごす場所には困らなかったし、仕事が終わった後に遊びに行く場所にも困らなかった。それに付き合ってくれる友人、ないしは、パートナーにもそれなりに恵まれていたと思う。
唯一「東」に難点を述べるとすれば、住居価格の高さである。
ただ、住めば都とはよくいったもので、狭い住居での生活は不必要な物品も増えず、2回ほど行った引っ越しの際もほとんど苦労することはなかった。
そんな「東」大好き人間にも何かしらの変化が欲しかったのだろう。
ふと、転勤を申し出た。
よりによって「西」に申し出た。
申し入れは思った以上にすんなりと通り、「西」に引っ越すことになった。
もちろん職場も「西」になり、業務内容も180度以上変更になった。
「西」への思惑は、新たな業務に対して自身にパラダイムシフトが起こることを期待したこともあるが、ぶっちゃけ転勤手当である。
会社にも依るが、「東」で新卒入社すると、どこの出身であろうと手当なんかは出ない。
ならば、一度転勤でもしてみて、気分一新、人生の目標が見つかれば、生きる自信が生まれればと思ったのは表面上で、裏は手当である。
会社の手当なんかをアテにしているわたくしは、会社的に腐ったハグルマに見えるのだろう。
さて、意気揚々と「西」での手当生活を始めたわたくしであったが、思わぬところで躓くことになった。「西」での仕事環境や、人付き合いがどうしてもなじめないことに気がついたのである。
このことにより、腐ったハグルマは、より腐ることになるのである。
ただ、腐ったハグルマは、腐っているなりに「西」での生活になじもうと努力をしてきたつもりであった。しかし、色々なものがハグルマを蝕んでいき、努力が実ることは無かった。
腐ったわたくしにも転機が訪れる。
「東」の人からのお誘いである。
詐欺にならない程度に最大限誇張するとヘッドハンティングとでもいうのであろうか。
単純で腐ったハグルマは俄然短期的な意欲が湧いてきたようで、仕事も生活も、「東」への帰還というテーマを中心に回すようになった。
しかし、ハグルマであるわたくしは、そんな邪なテーマで人生のモチベーションを保つことなど出来るはずもなく、お誘いの件もトーンダウンしてきてしまった今日この頃である。
「西」の夏は暑くて蒸して嫌いだ。
邪なテーマが滞りなく進んでいれば、「東」での夏が待っていたのであるが、そんな淡い希望は消え去って、「西」での夏を堪え忍ぶ日々が待っている。
次の「東」への切符は、秋だ。
邪で腐ったハグルマはそれでも回り続ける。