Shiftとチルダ押してにょろっとした長音記号使おうと思ったんだけど、「??」うまく表示されないなぁ。
実体参照でどうにかするべきもの何かね?
とおもって「チルダ」で検索、Wikipediaの記事を見る。
ああ、そうか。チルダとにょろは本質的に違うものなのね。
~チルダ
〜にょろ
でも、にょろが下がって上がってなのはちょっと違和感。
VistaやMacOSでは上がって下がってみたいだけど。(Wikipediaの波ダッシュの項を見てね♥)
コンピュータ上で文字を扱うのって厄介なんですね。
ちるだhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AB%E3%83%80
なみだっしゅhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
http://anond.hatelabo.jp/20070107142738
公開っていっても50メートル離れたところに遊歩道作って、そこから見るわけでしょ?
なんかあんまり面白そうじゃないって言うか。中に入りたいよ。
上の言い方では「リンク許諾制にしている事が根本的な問題であって、それのみが問題が発生する可能性の原因だ」と言わんばかりじゃないですか。
それは単純に「そういう解釈も出来る文章である」というだけじゃないの?
あと
「んじゃ、リンク許諾制をやめたら悪質な業者に利用されなくなるの?」という質問をぶつけるのは飛躍でもなんでもないでしょ。
の答えは「ゼロには成らないけど減る可能性は高いだろう」だと思うんだけど。
ひろみちゅ日記が「リンク許諾制をやめれば悪用はゼロに成るから実行しろ。と書いてあるように思える」と極論のツッコミをするのは勝手だから、自由にしてもらえばいいんじゃないの。
で、何を言いたいの?
「まるでリンク許諾制をやめさえすれば、悪用がゼロに成るかのように言って啓蒙しているひとたちがいるけど。ゼロには成らないから」って感じかな? そんな当たり前の事は今更確認するまでもない気がするんだけど。
「リンク許諾制も元凶」だからなにも問題ないと思うんだけど。
何度も書いているように「悪質な業者に利用される可能性がある」テクニックの中から、ブラウザの脆弱性やら暗号強度の話とは別に「リンク許諾制」にフォーカスした話なんだから当然だよね。(どっちかというと前者の技術的な指摘のほうが多いぐらいだし)
前にも書いたとおり、化かしあいが目的なら上手い事言ってるなと思うけど。
他の人の事は知らないけど、ひろみちゅはマーケティング的に「正確な主張だけでなく、煽りを含めて話題として広まる方法」を書いているから、それは正しい感想じゃないかなぁ。それとも「マーケティングの化かし合いで主張を広めようとする人は不誠実だよ」という誠実さを利用したマーケティングをしているの?
なんとなく「名前を隠して楽しく日記」ってこわい。
棘棘せずに楽しくやろうねっていうのはわからないでもないけど、名前を隠す状況ってのは一般的に楽しいかといわれたら違うような気がするし。形容矛盾? っていうのだろうか。ちょっと違うか。何にせよ、それが「猛スピードで歩く亀」だったらくすりとするかもしれないけど、「名前を隠して楽しく日記」はなにか負の相乗効果みたいなのがあって不穏な感じがする。
背徳的で「楽しい」とかそんなの。仮面舞踏会とか。いや、楽しそうだな、これは。ドレスのままで街中を逃げ回るみたいな。これはラヴい。
なんだろこの感じ。顔を隠してパートナー交換チックな。彼らと翌日顔をあわせるのを自分だけが知っているんだぜ、というのに似たもの。
そもそも「誤解してしまうリテラシーの無い閲覧者が多く居るよね」という前提があるのに「リンク許諾制をやめればリテラシーのない人はゼロになるのか」という質問が、論理として飛躍しているよ。そもそも「可能性がゼロになるってこと」ってひろみちゅも無断リンク禁止反対派も言ってないと思うけど?
いやいやいやいや。
悪質な業者に「うちは警察へリンクさせてもらっている」などと利用されることが問題だとおっしゃるが、それはリンクを許諾制になんかしてるからそうなる。
という指摘に対して、「んじゃ、リンク許諾制をやめたら悪質な業者に利用されなくなるの?」という質問をぶつけるのは飛躍でもなんでもないでしょ。
例えば、『悪質な業者に「うちは警察へリンクさせてもらっている」などと利用されることが問題だとおっしゃるが、リンクを許諾制にすることでさらにそういった業者の行為を誘発する恐れがある。』だとかそういった指摘であるならば理解できるけど、上の言い方では「リンク許諾制にしている事が根本的な問題であって、それのみが問題が発生する可能性の原因だ」と言わんばかりじゃないですか。前にも書いたとおり、化かしあいが目的なら上手い事言ってるなと思うけど。
この文脈において、リンク以外の悪質業者のテクニックについて問題にしている人っているの?
テクニック自体を問題にする必要は無いし、リンクを話題にしている限りそのテクニックへの対処法なんかについても語る必要は無いと思うけど、「悪質な業者に利用される可能性がある」事が始点であることをスルーして、リンク許諾制が元凶だ!みたいな始点をすり替える指摘の仕方はフェアじゃないなと。
あと仮に「もちろんゼロには成らないと思うよ。啓蒙が完璧に浸透するのはまだ無理という意味で。ひろみちゅリテラシーの啓蒙がすすんで結果的に「悪質な業者に利用される」のはかなり減るだろうけど」という答えだとしたら、どう思います?
「どう思います?」と聞かれたので思った事を率直に答えるけど、自分等の主張行為を「啓蒙」だとか言っちゃってる時点で気持ち悪いなって思いますwwwwwwwww
http://anond.hatelabo.jp/20070107173815
もし理解するなら「彼に文句があって変えたい何か」があってそういう行為をしているのではなく、ネットウォッチ的な行為だと考えるしかないのでは。
確かに「ブクマを特定の人物への反論にしか使わない」というのは傍目から見たら不気味ですね。
関わり合いにならない方がよさそうな人々 - はてな匿名ダイアリー
ちょっと前の↑を見て、不気味な人がいるなと思ってたら、同じような人がまだいた。
二人とも、何か力を傾ける所を間違ってないか?こんな事を一時の怒りや何かでなくコンスタントにやっているのが不思議で不気味で全く理解できない。彼に文句があって変えたい何かがあるなら、とるべき術は他にあるだろうに。
今年の踊り始めは渋谷のアフターで。8時過ぎに到着するともう終わりかけの雰囲気。ダラダラと踊るも一向にノレないので、酒の力を借りつつなんとかテンションをあげていった。そして9時を回ったころ、ようやくお目当てのuirohが登場。得意のハードなプレイを披露すると、フロアの盛り上がりは最高潮に。ブレイクをとるたび、奇声が幾重にもこだまする。フラフラと踊る子やバキバキ踊る男、つねにハイテンションで飛び回っている人、いつもながらのクラブの光景だ。ゲイはあんまりいなかったけど変態は多数いたしオッパイも揉んだし、初踊りとしてはとりあえずよしとしようかな。音は相変わらず最高でした。
http://anond.hatelabo.jp/20070107105514
揉め事は自主解決
・・・みたいなのがはてなの方針?
たぶん駐車場と同じ論理なんだと思うし、社会通念にも反していないような気がしなくもないようなあるような・・・
外との揉め事なら、余計に自主解決が望まれているような・・・
次に会うのは法廷だよ!
愛する人と一秒でも長く一緒にいたい
愛する人を守りたいし、手助けしたいし、共に生きていきたい
愛する人といろいろな話をして、いろいろなところへ行って、いろいろなものを感じたい
永遠に一緒にいたい。絶対に離れたくない。二人で神の御前に立ちたい
それだけ
普段はアニメを観ない人が、萌え系のアニメなんかを観てまず指摘するのが、「目が大きすぎる」とか「こんな設定はありえない」とかなんだよな。
アニメ世界と現実世界を重ね合わせて見ているうちは、アニメを楽しめない。
いや、区別というか、頭のどこかの部分では現実世界と重ねながらも、別の部分ではアニメ世界だけを受け入れている、というような。
「ありえねーよw」って口では言いながら、しっかりと感情移入するような。
そんな視聴態度が良いと思う。
こりゃ絶対行く。
でも、外界から閉じられていたからこその魅力というか、
誰の手も経ずにそこに「あった」からこその軍艦島なのだと少し思う。
心ない観光客に荒らされたりするんだろうな…それはすごく悲しい。
でも行きたいっ。
・死んだら一切何も無くなる。たとえ今現在苦しくても、死んだら「苦しい」と思うことすらできなくなる
・生まれ変わりとか死後の世界とかありえない
・そもそも80年もしたら嫌でも死なないといけないんだし、死に急ぐことはないよね
・でもできるだけ長く生きて今やってる研究をもっともっと進めたいなあ。もっと色々知りたい
「ぱにぽにだっしゅ」というアニメを勧められたので、第一話と第二話を見てみた。以下、箇条書きにて感想。
奇妙にハイテンションな部分があって、これはついていけないと思う場面もいくつかあったけど、全体的な雰囲気としては癒される感じというか、ほのぼのとできて見ていて楽しかった。今まで「萌え」という単語がよく理解できなかったのだけど、例えばこのアニメでベッキーを見て「母性本能がくすぐられるような、奇妙にくすぐったい感じ」を受けるのは、「萌え」と関係があるのだろうか。
水は言葉を理解したりしない、ということは「ほぼ断言していい」のに、神や霊魂は実在しない、ということは「ほぼ断言」できないんでしょうか。してもよさそうなもんだけどなぁ。この間にそんな大きな違いがあるんでしょうかね?うーむ。
やはりそれは出来ないでしょう。そこに明白な違いがあるのだと思う。
菊池さんの「穏健な宗教」という表現が曖昧(弾さんとの議論では本質的なことではないが)だったのかもしれない。「科学的に根拠のない事を科学的だと主張して、さらにそれを根拠にして自分の信じている事を他人に押し付ける」のは「穏健」ではないという事だろう。
細胞が生きてるから。それだけ。