はてな匿名ダイアリー RSS

名前を隠して楽しく日記。

2024-03-29

anond:20240329184546

ライオス「(色んな魔物を食えたし霊アイス美味しいしセンシに会うきっかけになったし)ファリンが食べられて良かったなあ」

常識人2人 - そんな言い方は無いだろうと怒る

センシ - かばえ無い感じのリアクション

他の人も言いたいことは分かってるけどその言い方は酷い、というところはしっかり描写されてたし、悪気なくそういう言い方をするライオスコミュ障感がよく分かるシーンだった

だが悲しいかな、そこまで読み取れない人はそれなりにいる。

表面の言葉しか読み取れない人たちが。

anond:20240329190211

しょうがなくね?

代わりはいくらでもいるし

まり気にしないようにしないと

増田の女あてがえ論にもうウンザリ

せめて人類学に出てくるlimited-good あたり絡めて議論してほしい。

anond:20240329185614

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」な

会社人生を握られてる感覚が本当に恐ろしい

働き始めて3年目だけど、

ちょっとしたきっかけで人間関係がこじれて不利な立場に置かれたり、

パワハラ気質上司の下に置かれたり、

とんでもないミスやらかしたり、

何かが少し狂っただけで自分の生が損なわれるのが恐ろしくてたまらない。

死なずにただ生きるってだけでなんでこんな思いしなくちゃならないんだろう。

自分一人の命を維持できるだけのわずかな収入でいいから、それくらいは無条件で保証してほしいよ。

不安しょうがなくて生活保護とか困難女性支援法とかずっと調べてる。

anond:20240329190019

日本GDPで超えた欧米先進国じゃん。

日本も見習おう。

反対する奴は人権意識の欠けたネトウヨ

ファンコミュニティから抜けたお話

10年以来ファンを続けていた人外コミュニティを抜けた。

素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。

そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファン罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。

長い間嫌がらせを受けていて、あるジャンルが嫌いになった。

それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格攻撃するようになっていった。

周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファン攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。

正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。

常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。

いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。

ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。

金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。

描いていたら楽になった。

読んでくれた人ありがとう

スマホ壊れたか機種変しようとしたらauIDにログインできず、PC契約回線でないと繋がらない。

ショップに行ったら店頭販売しかしてない機種で電話かけるしか手伝えないって。

メールサポートもしてないし自宅は固定電話ない…機種変更で詰むなら盗難紛失の時なんもできないやん。

セキュリティ強化は分かるけど、救済措置ないのはバグ

国政に関しては

やらかし怪物に関しては地元民もちょっとずつ責任被さるみたいな制度はいかがであろうか

anond:20240329185448

人体の出っ張ってるところだよ

はてサってドイツにいけないね

イスラエル嫌いのはてさはドイツ市民権持てないね

https://www.afpbb.com/articles/-/3512091

3月28日 AFPドイツ市民権取得試験で将来、ユダヤ教イスラエルに関する問題が出されることになった。反イスラエルユダヤ主義感情を抱く申請者を排除することが狙いとされる。

anond:20240329185614

まともな人間は陰口叩いたりしないんだよ

まあジャップ人間じゃないけど

anond:20240329185207

どこがどう場違いな装いなのか詳しく解説してほしい

もう受験生でもない自分高校レベル参考書問題集いつまでも解いたりするべきなのか分かりません。

解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。

以下から持論です。

まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います

から私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います

それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚場合が混ざるおそれがでてくると思います

まり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからいかからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。

そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります

まりその高度な理論理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論概念複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。

理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。

しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。

単に用語意味を知らないといったことなら、その用語ネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。

しか学術文章理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからいから」というような、わかりやす輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。

大学レベル参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます

それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。

その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います

特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述シンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます

それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。

これは大学高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります

これは、角度のことについてなら、中学受験算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます

しか書き手にはすべての読者のレベル対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。

そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないか理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なもの特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。

上記高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造問題を共有していると思います

因数分解極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています

なのでその人たち自身が見てきた高校レベル参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。

ですから大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。

でなければ結局「何がわからいかからない」「なんでわからいかからない」という状況に陥ると思うわけです。

予備校講師数学アドバイスで「数3は数1Aと数2B知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2B完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います

まり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。

一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。

また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います

先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベル文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。

そして、どの大学レベル理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。

なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベル文章高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合高校レベルだけど初見だと解けない問題死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。

たか高校レベルから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。

しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。

2000年上前ならピタゴラスの定理理解することも十分意義深いことだったでしょう。

時代が進むことによって、より高度な定理理論発見され、既存定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。

このような文脈での主語あくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。

あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。

一方実際に世界経験する主体単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。

ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類文明主語である場合、それが最先端知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値規定されていたのですから個人主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。

まりその個人理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。

大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界現象に対する理解解像度をあげると思うのです。

から大学レベルのことには書いてない高校レベル問題の解法も赤本や難関大意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばし大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。

まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。

ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。

なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。

anond:20240329185614

時代が変わったんだよ。

むかしはSNSとか無かったし。

大喜利しようぜってエントリに「設問が大事だと思わせてくれる」みたいなヒネたブコメしてんの

ほんと「はてなー」だよなってほっこりした

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん