名前を隠して楽しく日記。
でさ、この距離で真っ正面に座るか?
今も隣に見るからに弱そうな男が距離10センチで座ってきて(気持ち悪いから私がずれた)空いてるところ他にないのか見たら普通に空いてる。
隣に家庭持ちのしっかりした男性が座ってるから私の隣選んでるのでしょうね。女性はお前ら弱男の緩衝材じゃないんで男性の隣行ってもらえます?
数分前まで誰もいなかったのに、私が座ったら一人身の男が集まってきた。
目視できる限りでも5人。連れのいない男のみ。
昔は👎だったのに、もうすっかりSNSの低評価のジェスチャーとして馴染んでしまった。今、「死ね👎」とかやったらなんか平成感じる振る舞いになってしまう。
令和の「死ね」のジェスチャーはもっぱら🖕ですよね。「死ね👎」が主流のときは、🖕はやや海外かぶれというか、洋画の真似してるちょっとキツイやつみたいな感じだったのに。
田舎に戻ってこいって親が言うので
立命館大学の文系(国際法)を卒業したあと、田舎(和歌山)に戻ってきた
その後、田舎で仕事がなかったので、地元の中小企業に入社して事務職をやってる
(大学時代は語学をやってたので中国語と英語はペラペラだった(過去形)が田舎で需要がないしあってもパートとかだったのでそういった仕事につけなかった)
そんなこんなでこうなった
2ヶ月に一回、天王寺のあべちかに飲みに行くのが楽しみって感じだわ
地方の中小企業で働いてるので特に優れたスキルがあるわけでもないし、年齢も高いから転職もできない
終わりだよ俺の人生。
人生は遅すぎるくらいがちょうどいい
中国大陸版の方が日本など海外版より半年分ほど先行している。そのため、日本版ではなく大陸版をぷれい、または日本と大陸で両方プレイしているユーザー(ドクターという呼称がある)がいる。
その大陸版ドクターには、単純に「実装されたステージやキャラクターを楽しみ、それらの解説をする」人と、「世界観考察」をする人に分かれる。
アークナイツは非常に設定が細かく(大陸版で出た世界観資料集は辞書並みに厚く細かい)日本語に翻訳される際に落ちてしまう情報やフレーバーテキストがあるため、「考察」するドクターは大陸版に触れざるを得ない。
もうすぐアークナイツは春の限定イベント(大陸版ではハーフアニバーサリーイベントだった)が行われる。
そのイベントタイトルが「ツヴィリングトゥルムの黄金」である。ツヴィリングトゥルムは都市名。長い。
「中国語での表記でも、モデルとなっているドイツ語の表記でも『ツヴィリングトゥルメ』が正しい。なぜツヴィリングトゥルムにしたのか」「そもそも一人のオペレーターがボイスで『ツヴィリングトゥルム』って言ってるだけなのでそれを修正すればいいだろう」
始めは「そうなんだ」と思っていたが、正直考察もほどほどで単純に楽しんでいる一般ドクターからすれば単にカタカナ一つでグチグチ言える神経の方に驚く。そして、ボイスは開発元のハイパーグリフの管轄なので、それは日本の運営のせいにするのではなく、ハイパーグリフにボイス修正しろというご意見をするのが筋だと思う。
また、最近限定イベント前にお知らせ生放送があった。運営会社社員と声優たちが情報をお知らせする形式だが、特に声優たちが遊んでワーキャーすることもなく、ひたすら情報が言い渡される。前半はゲーム情報、後半は日本独自の施策(商業施設とのコラボなど)の紹介。
それにも「考察版」ドクターたちは「大陸の放送のやり方を見習え」と注文をつけている。
大陸であったイベントPVを流せ、そもそも大陸は情報を圧縮して1時間以内にしている、制作陣が直接説明しているなどなど。
いや、大陸版がよければそっち見るからというかそっちも見てるから……
「俺たち私たちの望む日本版生放送のあるべき姿」をいい大人たちが愚痴っているのは本当に怖いし陰鬱。
あと何が問題かって多分この人たちが界隈で「偉い先生」みたいに持ち上げられていることだと思う。
上にも書いたのでアークナイツの設定は細かい上に世界観が練られているのでそれを「考察」する人たちは歓迎される。実際へーって思うこともある。
でもそれは「ドクター」同士の間であって、「大陸の運営とか生放送はねぇ、こんな風にしっかりしてるの!日本版のこれは一体何?ちゃんとしたの出してくれなきゃ困るよ〜自分たちは『本物』を知ってるんだから納得させてよ」という運営に上から目線するのは……違うだろう。
あなたたちはどこまで行ってもドクターでファンのはずでは?他の無知なドクターたちから知識すごい!って褒められることに慣れてなんか自己認識がずれちゃったのかな。
死にたくなるなる
この質問って難しいんだよね
文系に行くか理系に行くかとか、大学に行くか行かないかとか、そのレベル以上の選択
そういうのはいっそ、望む望まぬに関わらず起きてほしい
例えばパートナーが子供欲しいって言ったら俺は同調すると思うし
欲しくないって言っても同調すると思う
子供を幸せに育てる自信はある、あるけどそう上手くいかんのではという不安もある
昔は作らなきゃいけなかったし、それは普通に受け入れたが
どっちでも良いと言われればそれほどの勇気はない
子供を作ることで自分が幸せになるビジョンというのは、いいんだけど、なんか危険な思想にも思える