詩織さんの件

勇気を持って性被害を告発したことが一部で英雄視されているけどどうなのだろう。

銀行強盗に入るのだって勇気がいる。勇気がある行動だからというだけでは素晴らしい・賞賛すべきとはならない。

あくまでやることが良いことかどうかである。

そう考えたとき、では性被害の訴えが不起訴になり検察審査会に申し立てたことを記者会見で発表するのは良いことなのだろうか。

泣き寝入りをさせない、声を上げやすい社会を作るというのはあくまで司法に訴えることについてのはずだ。

この会見は、逮捕されれば即悪人扱い、推定無罪の原則なにそれおいしいの、という国民性を利用した、

法的手段を経ないで私的に社会的制裁をくわえるリンチ行為なのではなかろうか。

そのようなものは、被疑者が実際にやっていようがやっていまいが、あって望ましいものではない。

もちろん、今回の不服申立の結果、やはり不起訴のままとなった時に、誰もが何もなかったものと扱ってくれるようなら記者会見に問題はない。

しかし、実際にはずっと色眼鏡で見られることになるだろう。うまくやったな、と。

今回の件について、ついている弁護士から民進党が仕組んだものという説も流れているが、

そんなのは完全に的外れな妄想だろう。しかし、そうではなくても民進党がこの件について取り上げ始めたので

国会でも名前が出て、私的な社会的制裁の効果は今後さらに大きくなるのは間違いなく、これがこの日記を書いた理由の一つでもある。

http://www.news24.jp/articles/2017/06/02/04363208.html

詩織さんは記者会見をしないと事件が揉み消される、なかったことにされると主張しているが、

実際にはこれまで検察は捜査をして証拠集めもした上で不起訴と判断したのである。

そして検察審査会への不服の申し立てに応じて審査することだろう。

記者会見をしなければなかったことにされて不服申立を受け付けてもらえなかった、というわけでもない。

もしそうなら記者会見は不可欠のものであったが、そうではないので記者会見はただ社会的制裁を与えるという私刑のためだけのものになっている。

確かに不起訴は詩織さんの望む結果でなかったし、不服申立の結果も望むものとならない可能性もある。

でも、それははたして”なかったこと”にされたと言えるのだろうか。

詩織さんはただ検察審査会に不服申立をするだけにして推移を見守るべきで、記者会見をするべきではなかったのではないか。

少なくとも記者会見をするにしても、検察審査会の決定を踏まえた最終的な結果が出てからにするべきではなかったか。そう思えてならない。

#追記

まさか銀行強盗に入るという例に飛びつく人がこれだけいるとは思わなかった。

勇気を出して何をやるかが大事であって勇気を出しただけでは素晴らしいとはならない

と言っているのだから、反論としては『性的暴行を受けた、デートレイプ・ドラッグ

をこっそり飲まされた、なのに不起訴になって不服だ』と現段階で記者会見することは

素晴らしいことだ、その理由はこれこれだ、という形にして欲しかったです。

そうすれば、それがそれは司法が結論を出す前に記者会見をやって社会的私刑を

することを上回る素晴らしいことなのかなど議論を深められたのに。残念なことですね。

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