名前を隠して楽しく日記。
ミラーリング・チェック
☑️ 売れそう
パルワールドのように、あえてタブーに挑戦すると爆発的に話題になりうる。
爬虫類を飼ってる家庭が多いのは、キモい生き物を所有してコントロールするのが気持ちいいという側面がある。
キモくてカネのない手乗りサイズのおっさん全12種類、とかは結構良さそう。
ソフィーのフィギュアは基本愛でる需要のために作られて、女性を傷つけるという意図がなかったのは明白だ。悪意がないからこそ無意識の迷惑さを浮き彫りにさせるためにミラーリングが必要になった。
弱者男性シリーズが当て擦りのために作られたと思われるとミラーリングの効果はないだろう。
しかし上述の通り、普通に所有欲を引き立てられるので、その恐れはない。
着替えを覗かれて涙目で怒る女性は現実には存在しない。女性を覗こうとする欲求を特に責められない男は現実に存在する。
弱者男性フィギュアが現実の男たちを風刺してると捉えられるとダメだ。
ガチャポンのおっさん達に名前をつけ、キャラクターに仕立てる必要がある。
☑️ 男女の立場の不均衡があるため、加害者側は足を踏んでることに気付かない
弱者男性が社会に置き去りにされる問題は、ポリコレへのバックラッシュとして噴出したのであり、それを主張してるのは主に男性のアンチフェミ論者などだ。
たとえば童貞いじりなど、男性をあざ笑う行為は比較的問題視されない傾向にあった。まさしく不均衡による不可視化されてる状態と言える。
…………ここまで見て、概ねミラーリングとしては成立してると判断する。
さて、その上で男性たちが「ぐぬぬ」と唸るか、「ほらね」俺らは十分我慢できるし女も我慢しろよ、と高を括るか、ミラーリングの効果を予想しよう。
☑️ 男性のアイデンティティを刺激して、共感を覚えさせられるか
おそらく弱者男性として生きづらさを訴える層は、それなりに厚い。
現代では、フェミニズムへの反抗分子だけでなく、純粋に虐げられてる立場の男性は多いからだ。
オレは弱者男性だ、と素直に手を上げてる人はたまに見るが、弱者男性だと言われて激昂して否定するシーンは見たことない。
これは弱者男性がアイデンティティとして十分機能してるためだと思う。
男性全員の心に訴えることこそできないが、しかしそもそも女性フィギュアの時点で別に怒ってない女性もそれなりにいたと思われる。
親に認められながら育ちたかったと思うが、残念ながら手に入らないままだった。進学で家を出た時、心細さもあったが息がやっとできるようになった身軽さがあったものだ。
自分の親は、罵倒や暴力はしなかった。気に入らないと嫌な顔をしたり不機嫌に黙り込んだりがメインだった。
自分は粘土が好きで、それが高じて美大進学して今はものづくりを仕事にしている。しかし親は美術系に進んでほしくなく、ずっと冷ややかな態度を取られ続けていた。美大に行かせてくれと頼むと、よくため息をつかれたものだ。嫌がられているのを振り切って美大に行くのは、上手く言えないけど苦しかったしみじめだったことを覚えている。
大学在学中も就職してからも結婚してからも、親と顔を合わせる度に落ち込んだ。周りは親は応援してくれたという人ばかりだったし。
でも最近、子供の頃の自分はしんでしまってもういないんだと考えることで楽になった。
かわいそうだけどもういなくなって苦しい気持ちになることはない。あの子と自分は違う人間だ。そう考えて分離する。健全じゃないかもしれないけど、気は楽だ。
パートボイスだな、それは
それ嫌われてるだけじゃ
青葉って知ってる?
??
普通に贅沢してるのを公表してる女性芸能人なんかいくらでもいるんでない?
それを女が憧れの目で見るならともかく嫉妬して叩くってのは一般的ではないと思うわ
田舎といっても、人口数十万で、都内へのアクセスは悪くなく、商業施設は充実している。ただ、車がないと不便で、休日に出かける場所がイオンかイオンになってしまうような、よくある地方都市である。
同じような地方都市済みだが、そんな会社に当たったことはないのでその会社だけでは。
休日はマルシェやマーケットが各地で開催されているので良く行く。
また近場でいろんな名産品がある(くだものや野菜)ので各地の道の駅にいくと旬なものが手に入る。
先日知人と飲みに行ったんだが、その際「言語ってどのようなものか?」みたいなことが話題に上ったんだ。
そこで俺は「そもそも一般に使われている言葉は恣意的なもので、必然性はない」と発言した。
いやいや違うよ、もしそれを中二病と呼ぶならソシュールやロラン・バルトなんかも単なる中二病になってしまうから。
そう説明したが、知人は要領を得ない様子で首肯しない。
そこで気づいたんだ。
自分が分からないことに対して、それが少しでも曖昧で、抽象的であるとそれを「中二病」と称することで、自分の知識不足を咎めることなく、逆に「中二病」なことだから知らないほうがまともだと自分を肯定するための免罪符なのだと。
自己欺瞞だ。
未知なるもの、未開なものに対して「中二病」と名づけることで、その可能性に蓋を閉めるという行為は、大人が行うのにはあまりに幼稚すぎないか?
そして彼らはその対象に対しての適切な表現を知らないからこそ、ブラックボックスとして「中二病」という言葉を使っているのだと思う。
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