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はてなキーワード: mdmaとは

2024-03-28

anond:20240328175857

だよなMDMAの売人とかけっこう稼いでるだろうし

2023-11-30

anond:20231129222951

法的分類薬物
覚せい剤覚せい剤アンフェタミンメタンフェタミン)
麻薬コカインヘロイン、あへん、LSDケタミンMDMA
大麻大麻マリファナ
向精神薬抗不安薬睡眠薬など

こんな分類だっけ。

大麻は麻の文字がついているけど、麻薬ではないんだよね。紛らわしい。

ヘロイン麻薬だけど、マリファナ大麻扱いなのも。

2023-08-03

日大アメ、覚醒剤成分入りの錠剤ってなんだ?MDMAか?

2023-08-01

WEB3系のロゴMDMAと似てる

MDMAの錠剤にはシャネルやビトン、そしてベンツのような高級メーカーロゴがついていることがある。それと似ているのが、Web3のロゴだ。もっと言えば、名前すら似ている。どうして、そうなるか。そりゃ、知っているロゴが付いていたら、親近感が湧いてMDMA みたいな怪しい薬を使っちゃうからだ。だから、Web3 は薬の密売人みたいな顔の香具師が多いのである

2023-07-22

anond:20220206114556

それは精神科医仕事だ。

覚せい剤医療用という名目合法化された

大麻医師の処方する輸入品のみ等の条件付きで合法化されるだろう

MDMALSDなど各種麻薬類が臨床で使えるように試験が進んでいる。

2023-03-25

言うほど妊娠したらマズい相手セックスするか?

中絶方法オプションっていくらあっても困らないし、激安避妊10錠200円!みたいなのがマツキヨとかで売ってたらマジでウケる(俺は生殖が嫌いなので)から、経口中絶薬とかドンドン認可していってほしいなと思うんだけど、そういう動機じゃなく、社会正義っぽい感じで避妊中絶方法の拡大を進めようとしてる人たちがメチャクチャいて、ちょっと謎だ

みんなそんなに妊娠したら困る相手セックスしまくってんのか?

おれ、人生中絶が身近だったシチュエーションってマジで一回もないんだよな

女性強姦被害に遭う可能性がある、っていうのはもちろんあり、そこを理由にしてる感じだったら話はとてもわかるんだけど、なんかこう、「付き合ってる相手避妊なしでやられて…」みたいなケースを想定してる人が多くを占めてる印象

いや……やるなよ

付き合うなよそんなんと

人を見る目なさすぎだろ

女性コンドームなしでのセックスを迫ってくる上断ったらメチャクチャ殴ってきそうな雰囲気があるような男と付き合いまくってんの?

コンドームなしでのセックスを迫られるのって、普通にMDMAとか勧めてくんのと同じくらいヤベー行為から、それやられた時点で当然縁切りは確定だと思うんだけど、そこで逃げられないってことは、超コエー相手だってことであり、いやでもそんなコエー奴と付き合わなくない?

なんなんすか?

どういうことなんだよ

2023-03-20

MDMAってキメセクの薬か

道端ジェシカさんそういうキャラだったんですかね

ファンになりました

anond:20230320151904

いや自生してるのは大麻やないか〜い!

自制しなきゃいけなかったのはMDMAやないか〜い!

2022-12-09

IT企業社員

むかしMDMAやってましたよ

勧められましたが断りました

2022-11-13

国によって禁忌って微妙に違うよな

欧米圏だと薬物に対する許容度高いよな。

大麻はもう多くで合法化されてきてるし、コカインLSDなんかはクラブによく行ってるような若い子たちはやってるし、MDMAやったことあると言っても、悪い奴だな〜wくらいの反応しかない。

日本だと大麻吸ってるだけでもうまともな友達は消えるよね。

 

一方で児童の性描写暴力については日本では欧米に比べてかなり寛容だ。

例えばメイドインアビスとか、作者の志向も含めアニメ化どころか単行本化すら他国では難しいだろう。

非実在青少年はもちろん、実在についても諸外国ドンドンドン引きとしたら日本ドン引きくらいだ。

 

イスラム教圏では酒は許されないのであれも固有の禁忌だ。

たまに羽を伸ばしたい若い子がビールを飲んで、それを見てた隣人が親にチクって親に大目玉を食らったという話も聞く。

 

違法ダウンロード日本ほど忌避感を持ってる人が多い国は無いだろう。

それでも大多数が気楽に割ってるんだが、他の国に比べれば人前で堂々と割ってます公言してる人は少ないし、随分真面目な人が多い。

2022-08-16

ヤバい会社の特徴

- OOPアルゴリズムもできない Python 2 愛用者

- 本はインターンに書かせる。

2022-06-14

ベンチャー企業就職させられて後悔している

自称ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑しかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親学歴情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的価値見出し入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。

スレ

https://anond.hatelabo.jp/20220613020726

https://anond.hatelabo.jp/20220614002648

です。

国立医学部を目指して多浪挫折したあとに入った大学早慶未満マーチ以上の偏差値大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代プログラミング部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学情報工学の内容は高校時代習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡スキルコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHPObjective-CMySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域習得してないで、アルゴリズム勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。

これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生スタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitterリプライだっただろうか。当時の自分他人設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコード上場するという目標のために本物のベンチャー企業上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitterアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビル一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。

もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェント正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミング勉強しているという。正直、自分医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分オファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能研究しており、アメリカ博士号を取得した『天才数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。

イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェント正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMMオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQueryRuby on Rails と MySQL で集計させてスコア比較させる、そしてサクラVPSCentOS運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャルエンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分努力せず、インターン学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生インターンセックスしたいという真正クズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェント正社員」というニンジンが目を曇らせた。

そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料ホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職オファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日日曜日勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日東京の端っこにこいとか、日曜日勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分大学にも行かないで、別の会社就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。

プログラミングスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要スキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立医学部入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日時間時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。

最後に、O氏についてだ。あまり犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業実態」について書いていこうと思う。



...という感じ。だから基本的ベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。

2022-05-06

人工知能の冬が来てくれてよかった

あー、これで MDMAアメリカ博士号(を挫折したこと)を自慢してくるバカがくたばってくれることが楽しみだ。全く AI のことを理解できないのに、オズボーン論文という権威タダ乗りするクズは消えてどうぞ。

2022-04-27

AI社長よ、名誉毀損で訴えるなら反訴するぞ?

私は「AI社長」という人工知能開発会社社長に訴えられている、そんなどこにでもいる増田である。まあ、訴えられている内容は「とある掲示板に何個か法律違反になりそうなことを箇条書きにしたこと」なんだけど、いざ訴えられると不安になってきたので、増田に列挙していこうと思う。

求人広告に実際の給与待遇と異なる労働条件掲載していた

これは職業安定法抵触し、企業処罰される可能性があると思う。ただし、契約した以上は自分はこの点では法律違反にはできそうにないと思う。

雇用保険年金に未加入

しなくていいよね?って言われた。雇用保険労災保険健康保険厚生年金のすべてが未加入。これって訴えることできるよね?

登録すらないのに、人材派遣をする

労働者派遣事業主ですらないのに、派遣する。これって、法律違反だよね?

給料の未払い

派遣先の社長に直談判して、給料を払ってもらった。

ブラックすぎて、睡眠薬なしに生きていけなくなった

これ労災だよね?

土日出社で休む日がなかった

マジで 300h の労働時間だった。これは法律違反だよね?

インターンと称して学生無給労働をさせる

これって、労働から給料を払わないといけないでしょ?

ビザ無しで外国人を働かせている

アウトだよね?

未成年を夜中連れ回す

アウトだよな?

MDMA の自慢

アウトよね?


裁判になっても反訴するつもりなので、頑張って生きていこうと思う。

2022-04-26

anond:20220425053558

やってる。自分の知っている MMT 論者は MDMA をしていた過去を自慢していた。頭がおかしくなるって言ってたよ。

2021-11-11

anond:20211110093504

MDMAマリファナが、クラブ等で"当たり前"に使用されていたというのはミスリード。一部にそういうハコがあっただけ。

一方マジックマッシュルーム20年くらい前まで合法で、ヘッドショップとか路上普通に売られていた。

確か伊藤英明がバッドになって、コンビニに駆け込んだあたりから話題になって規制された記憶

2021-11-10

昭和かい未成年飲酒して飲酒運転して路上駐車してポイ捨てして大学ぶっ壊して偽名で銀行口座作ってマリファナ吸ってMDMAキメて違法残業してるヤバい時代はなんなんだよ

anond:20211109132706

沢山書いたやで

 

実名主義

80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数社会的人格を持って経済活動する事ができた。

職場旧姓を使い続けても問題無かった。1986年米国マネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。

 

MDMAエクスタシー)の不使用

MDMA非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。

心臓発作を惹起する為に規制m.o.v.e.のmotsu所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。

 

マリファナの不使用

90年代クラブではマリファナ普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。

 

・式場での結婚式

1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式キリスト教教会一般的。

団塊世代ロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻自由憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。

団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。

古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。

 

公共空間でのマナー

1990年頃まで日本人の公共空間でのマナー先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。

1990年代に反省の機運が起こり急激にマナーが向上した。

 

外国で旅の恥をかき捨てない

かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本旅行者特に団体)は眉を顰められる存在だった。

遺跡名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクター痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。

これを西洋宗教倫理文化日本恥の文化共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。

自省により90年代に急速に改善

 

固定電話を初期費用無しで引ける

電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。

この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年から段階的に廃止された。

 

役所サイトが一日中閲覧できる

森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバIISインターネットインフォメーションサーバー)サービスHP提供していたため。

終業時間になるとサーバルータの電源を落として帰っていた。サイト作成役人趣味みたいな感じで作っていた。

コードレッドワームなどが流行すると当然に全滅。

 

ネットワークプリンタ共有

1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。

 

・駅のトイレトイレットペーパーがある

駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。

民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。

 

路上駐車車両が無い

90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両タクシー客待ちで二重駐車になっていた。

90年代中ごろに警察取締りを強化して根絶。

 

・TIMESなど時間駐車場

2000年から増える。警察路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。

 

洋室だけの家やマンション

和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習

 

家電量販店での価格表示

家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員交渉で決めるという風になった。この為に店員電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。

客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。

 

スリム自販機

バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機建物看板道路使用徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。

これに対応して既存機の撤去スリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。

 

日本109キーキーボード

以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフリセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。

2000年くらいに今の配列に一本化された。

 

プチフリしないSSD

2006年ころに一世を風靡したネットブックSSD一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。

 

会社員就業時間中に中抜けしない

嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。

当然平日3時までしかやっていない銀行会社員が行けるわけがない。

そこで振り込みの為に仕事中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅

 

飲酒は二十歳から

18才は未成年飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。

ゼミ飲み会普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。

 

線路を歩かない

都電ローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。

90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故連続し、その後厳しくなっていった。

 

飲酒運転絶対ダメ

初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキー酩酊するからダメ」と書かれている。

 

・小銭を所持しないで外出

1000円札の読み取り装置一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。

この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。

 

一円玉の使用

1989年消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉公共料金以外殆ど使われていなかった。

 

・個室

和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。

 

個人

家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員プライバシー踏み込む」という感覚が余りなかった。

会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。

オークマンは街で個人空間に浸るものだとして批判対象になった。個人主義はそれ自体罵倒文句だった。

 

大学生勉強する

全共闘運動はあらゆる権威攻撃し、大学の知の権威というもの破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態継続。やがて学生は脱政治化したが大学学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。

90年前後大学改革ICU上智比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり学生勉強するという当たり前の状態が復活した。

この為に卒業1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。

 

・様々な塩製品

塩は国家専売品だったので専売公社製造する塩以外の岩塩ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可標識の掲出が必要だった。

1985年自由化により今の状況になった。

 

・「メイド喫茶」などの語

メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制階級制の象徴のような職業であって、戦後身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤一般的な「雇用」となった。

一周回ってメイド構造過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。

 

・キャノーラ

キャノーラ油の原料は菜種。

米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。

米国生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。

 

弁護士事務所広告

過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。

但し「勝訴率〇%」のような広告は今でも禁止

 

・夜まで開いてるスーパーデパート

1991年大店法改正されるまではデパート閉店時間はPM6時、スーパー閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。

基本的地元商工会意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正商店街の全滅に繋がった。

 

生ビール

ビール酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール

この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。

1970年代末にサントリーフィルター酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。

から地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品生ビールサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。

 

サービス残業

バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。

それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。

これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。

 

東京自動改札機

1990年から1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的

 

あきたこまちひとめぼれ等の米

1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。

冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまちひとめぼれが席巻するようになった。

 

バイク駐車違反

駐車違反バイクと車の別はないが、バイク駐車違反2006年まで摘発されていなかった。摘発民間委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。

 

大学生の専攻無し

学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から

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