「let it be」を含む日記 RSS

はてなキーワード: let it beとは

2024-02-28

赤ちゃんポストダンクシュートするつもりでエッチすれば少子化なんてすぐに解消するんでないの?

先のことを考えるから少子化になるわけで、みんなが快楽に身を任せればいい

リコリコの千束が言ってた、私はいつもやりたいこと最・優・先♪である

子供の将来とか幸せなんて考えないで、Let it beケセラセラ、先のことは考えない、大切なのは今、

ジャンジャン産んで、ガンガン赤ちゃんポストに放り込んでいけばいい

あとは国が何とかしてくれる

児童養護施設の親のない女子児童に会ったことがあるけど、学校同級生虐待危害を加えたり、

順調に東横キッズみたいな子供に育ってた

でも、捨てちゃえば関係ないもんね

国家未来のためにジャンジャン産んで、ガンガン捨てよう

労働力人材を国に供給しよう

ゼイリブでも看板に「出産しろ」って書いてあった氏ね

2023-10-12

anond:20231012213149

うちもそうだったけど少しづつ治っていったよ、今は普通

数年かかったけど、諦めて漫画読むとかかするしかなかった

インシャーアッラーとかlet it beとか Let the chips fall where they may と思うしか方法は無かった

2023-08-16

anond:20230816123413

自分も「みんな」の一部であるから行くところを決めるゆるい流れをどう感じてかつどう作っていくかなという

そういうゆるい感情

Let it be

け・せら・せら

諸行は無常

2022-08-23

TVerで「家ついて行っていいですか」を見てたらふと、Let it beって良い曲だよなぁとしみじみ思った。YouTubeで探したら、ノラ・ジョーンズエンパイアステートビルからライブしている映像、おそらく昨冬のもの公式にアップされていた。このような映像が、思った瞬間に無料で観られる時代ってとてもありがたいなぁと思った。再生回数は69万回程度だった。これって少なくない?YouTuberの動画とかと比べてどうなのと思ってみてたら、Hikakinnobodyknows+ココロオドルを歌っている動画は200万回再生だった。「フォローフォロワー時代終焉」という記事を思い出した。CDショップ店頭POP店員推している音楽はすばらしいはずだ!と信じて育った世代なのだが、あの頃が正しかったのかどうかは分からないけど、いま検索アルゴリズムがあの頃の店員みたいに、こういうのものいいよ、だったらこういうの知っておいたほうがいいよ、と薦めてくれているとは感じられない、この再生回数格差をみても。旅行を予約すると出発1週間前に現地周辺地図自動的オフライン保存しておいてくれる、みたいなGoogleの仕組みはすばらしく便利に感じているのだけれど、音楽とか、映画とか、感性を伴うものにおいてこれ常識になってもうずっと続いているって大丈夫?と、いまさら思った。まぁ結局ココロオドル動画もみちゃったんだけど。それでこれを増田に書こうと思いついて10年ぶりにはてなログインしたら、かつての自分卑猥記事ばっかりブクマしてたことが判明。そっと閉じて別アカウントを作った夏。

2022-05-08

20220508[アタック25]2022年5月8日年間チャンピオン大会2022-05-08結果

BSジャパネクストで日曜昼に放送

 

今日の答え ・01 [ある人物名前]マザーテレサ

・02 最上 川 もがみ がわ

・03 川合俊一 かわいしゅんいち

・04 [択]バニラ

・05 [曲名頭文字]あやめ

・06 [すべて]田中義一 田中角栄 竹下登 高橋是清

・07 巡査

・08 かのこ(あみ

・09 [ペア]4番と5番

10 [近似値]288万1392枚

11 [3択]グラ マラス

12 [2択]鑑 定 書

・13 西島秀俊 にしじまひでとし

・14 クラムチャウダー

・15 ネモフィラ

・16 7(人制ラグビー

17 旗本 はたもと

・18 [ふるさと][3択]仲里依紗 なかりいさ

・19 駄菓子屋

20 ラームエマニュエル

・21 春風亭

・22 千葉(県

23 [AC]マリア

24 [3択]Let It Be

・25 マリメッコ

・26 [どっち]多い

・27 岡田准一 おかだじゅんいち

28 [山]マナスル

・29e とびうお

・xx [ある国の名前]カタール

2021-08-12

カラオケで歌っても許される洋楽

要件

・長すぎない

・複雑すぎない

歌詞が分かりやす

・明るい曲調で盛り上がる

イントロや間奏が長すぎない

QUEEN

以下の2曲が鉄板

 

I was born to love you

Don't stop me now

 

次点で、Killer QueenAnother one bites the dust(ジョジョ好きならこの2曲もアリ)、Radio Ga Ga、Spread your wingsあたり。

Bohemian RhapsodyLove somebodyはテクニカルすぎる。

The Beatles

All My Loving

I Want To Hold Your Hand

Ob-La-Di, Ob-La-Da

Let It Be

Something

 

どれも親しみやすく歌いやすい。Hey Judeアウトロが長すぎる。Yesterdayはやや暗い。

Yellow Submarine、All Together NowHello Goodbyeなんかも良い

coldplay

Clocks

Yellow

Viva La Vida(有名だが、歌詞は親しみにくい)

Hymn for the Weekend

聴いていると盛り上がる曲でも、実際歌ってみるとかなり歌いにくい曲が多い印象。

Maroon 5

Sunday Morning

Sugar

This Love(ただし歌詞破局示唆する内容)

Give A Little More(ただし歌詞破局示唆する内容)

Daylight(ただし歌詞は別れを示唆する内容)

Oasis

Don't Look Back In Anger

Live Forever

Wonderwall

Radiohead

…ないな

Led Zeppelin

…ないな

I Still Haven't Found What I'm Looking for/U2、Can't Stop/Red Hot Chili Peppers、Walk/Foo Fighters、Basket Case/Green DayHarder Better Faster Stronger/Daft Punk

 

メタルは知らない。

2021-02-17

outletのletって

let it beのlet?

と疑問に思ったのでググったらどうやらそういう意味みたい

外に出ていくみたいなニュアンスで出口、そこから直販、直販だから安いみたいな転がり方したみたいよ

知らんけど

2021-02-01

社会学は滅びるべきなのか

 以下の文章は、社会学客観性が無いか学問の体をなしていないか解体すべき、という暴論を見かけて、趣味社会学を学んでいる人間イラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫社会学方法立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹社会学方法――その歴史構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係論文などがあります。ちなみに「岩波科学科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います

 たとえば、この宇宙スパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイト発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギー社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。

 それは社会社会問題が、原子DNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレス現在社会においては色々な意味問題とされていますしかし、ホームレス人類の定住以前においては間違いなく問題概念として存在していませんでしたし、中世近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったもの存在するとみなしてしまいかねないのですね。

 しかしだからといって、今日ホームレス問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ社会社会問題は確かに存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われますしか今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学方法分析しようと考えた人々がいました。

 マックス・ウェーバーの「社会科学社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年論文がありますウェーバー社会学におけるビートルズであり、この論文イエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)

 とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネット記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。

 ウェーバー客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されていますしかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会科学的に取り扱う社会学者は価値判断認識区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学客観性について考えてみたいと思います

 たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。

 後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府ホームレスについての統計を発表していますしかし「国民税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府サイトに「ホームレス実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見物理性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府ホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園河川道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそもネットカフェ難民」をそもそも問題」とすべきかこそが、ひとつ価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。

 社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会科学的に扱うことができるでしょうか?

 もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会科学的に扱う学問社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しか人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術哲学生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学根本的な不必要性を否定するものではありません。人間ホモサピエンスは、ニュートン万有引力発見する以前からずっと世界覇者であったではないですか?それでもニュートン万有引力発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要知的欲求、こういってよければ人間特有本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術哲学科学です。そのうちの科学欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなた社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題放置して次の段落に向かいます

 さて、いか社会科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」もの数字が、ふつう科学が扱うもの数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会実在は、それを観測する人や社会価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本労働環境ネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見ニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府ホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力宇宙の始まり以来、ニュートン発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理現象生物現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。

 価値判断抜きで存在し得ない対象を、いか科学的に扱うか。それこそがウエーバー客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するもの社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会実在は――それが単なる数字統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者社会学根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会社会実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。

 そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつ価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問だってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分価値判断をわかる」ことが、本当に社会実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分ホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府問題である」とかい自分価値判断自覚していなければ、それは社会学研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会実在根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])

 と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。

2020-02-08

ダムカードもらいにダム管理事務所に入ったら

let it beが流れていたんだが、

やっぱりウィズダムとか歌うから

2019-07-02

さあ、みんなで、なるようになろう。

Let it be ~

2018-05-01

Let it Be がゲリピーに聞こえた事が一度も無い

「変だ」「おかしい」「お前の耳は腐ってる」と同級生に散々いじめられた。今でもビードルズを恨んでいる。

2018-04-06

anond:20180405122415

あるなー。

中学の時に初めて「Let it be」を聞いた。

その時言葉意味も何も分からずに何故か悲しい曲に聞こえた。

この曲、このLP最後に、The Beatles解散したと聞いていたからかもしれないが。

それ以来、この曲は少し悲しい曲として記憶されている。

追記

時計じかけのオレンジっていうくそ映画が有った。

何故かあの映画は高く評価されているけど、賛同できない。

2015-11-19

鳴り止まぬバラードとB!の嘆き

今朝もひどい夢で目が覚めた。

連日の悪夢の原因は落ち着かない世界情勢か、もしくは3日前から患っている風邪による発熱か。

カーテンの隙間を覗き込んでみても、時間を知るのヒントも見いだせぬほどの漆黒だった。

枕元のスマートフォンをおぼつかない手つきで探し当てると、ホタルのように光る画面に時刻が浮かび上がった。

まだ4時を過ぎたばかりだ。

一度は枕に顔をうずめてみたものの、ここ数日、頭のなかで鳴り止まないBGMによって寝付くことができなかった。

Let it be

ビートルズ最後シングルにしてたどり着いた境地。

彼らが駆け上ったスターダムの行き着く先を体現するような切ないメロディと詩が並ぶ。

洋楽を聞きかじり始めた中学生の頃、明け方の誰もいないあぜ道に自転車を走らせながら言葉意味もわからずによく叫んだものだった。

「レリピー!レリピー!」

恥ずかしいことに、あの頃はbeがビーと聞き取れず、ピーと発音しながら叫んでいたのだ。

それを猿のように繰り返し叫んでいたのかと思うと、未だに人知れず苦笑が漏れしまうような封印したい過去の一つだ。

そうしてサビの最後はこう締めくくられるのだ。

「Whisper words of wisdom. Let it be

解散を目前に、彼らはあの時どんな気持ちでこの曲を演奏していたのだろう。

そして今、世界で繰り返される惨劇に対して何を思っているのだろう。

そんなことを考えると、足りないはずの眠りがまた少し遠ざかっていくことがわかった。

スマートフォンを開くと、青地に白い文字でB!と書かれたアイコンタップした。

遠い異国で、昨晩警官隊突入した事件のその後が知りたかたからだ。

色々とカテゴリー渡り歩きながら、目的記事に辿りつけなずにイライラばかりが増していった。

事件に対する言及や関連する内容に対する記事ばかりが目につきながらも、肝心の記事のものにはたどり着きづらいきらいがあるのがこのサービスの悪いところだ。

そうこうしながらもいたずらに時間が流れ、副交感神経が役割の終わりを自覚し始めたころ、全身の血液が急速に一箇所へと集中していくのがわかった。

朝のお通じのお知らせが高らかに腹部から鳴り響いたのだ。

唐突時間が迫ってきたことを自覚しながらも、それでも該当の記事を探し続けた。

電波が届きやすい寝室にいるうちに事の顛末を知りたかったし、それに、熱を持った身体にはあの個室は寒すぎるのだ。

そうして記事に辿りつけないままに、風邪容赦なく今度はわたしの鼻の奥を刺激し始めた。

慌ててティッシュを探すと、それまでに募った苛々を吹き飛ばすかのよに盛大なくしゃみを放ったのだった。

しかし、それと同時にわたしの尻は先ほどのアイコンよろしくB!と叫んだ。

たぎるような熱の塊は、体外へと放り出されると同時にわたしの尻から熱を奪う存在へと一瞬にして変わっていってしまった。

そして頭のなかに再びビートルズメロディが流れ始めた。

その歌詞の一部を、「Get it be」に変えながら。

そのメロディは、泣きながらパンツを洗っている間も止まることはなかった。

2014-05-10

スシローで一人晩酌をしている

※追記

今日は彼のお母さんを呼んで、一日早いけど母の日ということで二人で手料理を振る舞い、プレゼントを渡しました。

そんで寝る前にはてな見たらえらくブクマがついていて戦慄しました。

厳しいご意見共感、励ましに、感謝していますありがとう

おかげで前に進めそうです。


スペック

わたし

30代女

自営業サービス業

見た目は年相応

隠れオタク

駅弁

30代男

会社員SE

見た目はなかなかのイケメン

専門卒


昨年から何度か

彼氏同棲しようとしている/同棲を始めたのだけど、なんかちょいちょいうまくいかない」

という内容を増田に書いている。

彼とは結婚に向けて少しずつ話を進めている。

互いに両親にも紹介済。

毎週金曜日は彼は職場メンバー飲み会なので、わたしも今夜は一人で近所のスシロー寿司を食べつつ晩酌をしている。

スシローラーメン、意外にうまいよ。

くら寿司ラーメンより断然うまい

マリッジブルーというやつなんだろうけど、同棲を始めてから彼にみるみる冷めている自分がいる。

冷めている、と言っても、いびきがうるさいのも、おならが超くさいのも、バスタオルを惜しげもなくじゃんじゃん使うのも、そういうのは別にいい。全然いい。

一言で言うと、頭が悪い

国語力が低く、義務教育レベル教養がない。

こないだは、映画を一緒に見ていて、話の流れで「士農工商」ということばを彼が知らなかったということがわかった。

わず

「わたしもべつに歴史とかそんなめちゃくちゃ詳しいわけじゃないけど、これはたぶん常識から…」

と言ってしまったが、それが嫌だったようで彼は一人でしばらくイライラしていた。

たぶん同棲前までは、常に気を張って懸命に言葉を探しながらわたしと接してくれていたのだろうと思う。

ただまあ、知識がないというだけなら、まだいい。

それだけなら、なんとかなる。

彼はどうやら、そもそも頭が悪い

彼は自分自分のことを「口下手」だと思っているが、違う。

「語彙が少ない」「論理的思考力に乏しい」のだ。

こんなに頭が悪い、というか、ものを知らない人だとは思わなかった。

アナと雪の女王ってすごい売れてるらしいねー、って話になって

「レツゴー、レツゴー」

って歌うから、ふざけてるのかと思って明るく笑いながら

「もう違うよ、レリゴーだよ」

って言うと

「え!レッツゴーじゃないんだ」

と照れくさそうに言う。

本当にレッツゴーだと思っていたらしい。

いやまあ、ディズニーに興味がないのは知ってるし、興味がないから適当しか入ってこないのもよくわかる。

んだけど、さすがにそれぐらいは把握しとこうよ。

毎朝、ZIP!であんだけゴリ押ししてるじゃない。(うちは、平日朝は必ずZIP!と決まっている)

Let it go」の「Let」の意味や用法までは知らずとも、彼もタイトル自体は何十回と目にしているし、ビートルズの「Let it be」がどういう歌なのかをなんとなくでも知ってて、そこに日本語版の「ありのままに」というフレーズも合わせて聞くなら、まあ原題のニュアンス普通はわかるもんだと思う。

たぶん彼は、「Let」の用法は間違いなく知らない。それは仕方ない。

でも「Let it be」も知らない。聞いたことはあるだろうけれど、たぶん意味は知らない。

わたしもべつにビートルズがそんな大好きな人間ではない。

けれど、代表的な曲はいくつか知っている。

覚える必要があったわけではない。

今日までの日常で幾度となく見聞きする中で、自然記憶に残っている。

ビートルズとか士農工商かいうのは、そういうものじゃないかと思う。

思うに、情報に対する感度が違いすぎるのだ。

見聞きする機会は彼にもあったはずだ。

それを受け止めるアンテナがなく、記憶に留めるだけの容量もない。

から、彼はものを知らないままこの年になった。

知らないことを責めてはいけない、と思う。

でも、こういう何気ない日常会話での齟齬最近本当に辛い。

わかんない人に寄ってきてほしくないので注記しますが、ビートルズだの士農工商だのレリゴーは、あくまで例示ですからね。

そのレベルのことを正確に知らないって、ホワイトカラー社会人の知識量としてはどうなの、って意味です。

あと、はてなーはこういう話をするとバカのひとつ覚えみたいに「別れれば?」と言うが、すぐにそれを言う人は、別れずになんとかしたいからこそここにこういうことを書き連ねているのだということが理解できない人だと思うので以降話を聞かないようにしている。

2012-08-01

PINE BOOK

もう戻れない 場所(トコロ)まで来たみたいだ

振りかえる 時はいつも 自分の影を見る

そう それならば 行くところまで行こう

そうすれば きっと 振り返る事も無い

ずっと 信じてた 大切な想いを

誰にも 邪魔されず 育ってきた この心を

Let it be Let it be

きっとやれるさ いつでもそうさ

Let it be Let it be

何にも負けない 真実をつかむまで

2009-01-21

毎朝読対訳:就任演説(10止)

http://anond.hatelabo.jp/20090121161944

 So let us mark this day with remembrance, of who we are and how far we have traveled.

(M)我々が誰なのか、我々がどれほど遠くまで旅してきたか。今日という日を、それを記憶に刻む日にしよう。

(A)さあ、この日を胸に刻もう。私たちが何者で、どれだけ遠く旅をしてきたかを。

(Y)だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう。

 In the year of America's birth, in the coldest of months, a small band of patriots huddled by dying campfires on the shores of an icy river.

(M)アメリカ建国の年、最も寒かった時、愛国者たちは氷で覆われた川岸で、たき火のそばに寄り添い合った。

(A)建国の年、最も寒い季節に、いてついた川の岸辺で消えそうなたき火をしながら、愛国者の小さな集団が身を寄せ合っていた。

(Y)米国誕生の年、酷寒の中で、愛国者の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で、消えそうなたき火の傍らに身を寄せ合った。

 The capital was abandoned. The enemy was advancing. The snow was stained with blood.

(M)首都は見捨てられ、敵は進軍し、雪は血で染まった。

(A)首都は放棄された。敵が進軍していた。雪は血で染まっていた。

(Y)首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。

 At a moment when the outcome of our revolution was most in doubt, the father of our nation ordered these words be read to the people:

(M)独立革命が本当に実現するか不確かな時、建国の父たちは、この言葉をきちんと読むよう求めたのだ。

(A)独立革命の行く末が最も疑問視されていたとき、建国の父は広く人々に次の言葉が読み聞かされるよう命じた。

(Y)我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。

 "Let it be told to the future world...that in the depth of winter, when nothing but hope and virtue could survive...that the city and the country, alarmed at one common danger, came forth to meet [it]."

(M)「未来世界に語られるようにしよう。厳寒の中で希望と美徳だけが生き残った時、共通の脅威にさらされた国や地方が前に進み、それに立ち向かうと」。

(A)「将来の世界に語らせよう。厳寒のなか、希望と美徳だけしか生き残れないとき、共通の危機にさらされて米全土が立ち上がったと」

(Y)「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来世界で語られるようにしよう」

 America.

(M)アメリカよ。

(A)アメリカよ。

(Y)アメリカよ。

 In the face of our common dangers, in this winter of our hardship, let us remember these timeless words.

(M)共通の脅威に直面した非常に困難なこの冬に、これら永遠言葉を忘れないでいよう。

(A)共通の危機に直面したこの苦難の冬の中で、時代を超えたこの言葉を思い出そう。

(Y)我々自身が共通の脅威に直面している時に、我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。

 With hope and virtue, let us brave once more the icy currents, and endure what storms may come.

(M)希望と美徳をもって、この氷のような冷たい流れに勇敢に立ち向かおう。そしてどんな嵐が来ようとも耐えよう。

(A)希望と美徳をもって、いてついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐が来ようと耐えよう。

(Y)希望と美徳を抱き、このいてつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。

 Let it be said by our children's children that when we were tested we refused to let this journey end, that we did not turn back nor did we falter;

(M)将来、我々の子孫に言われるようにしよう。試練にさらされた時に我々は旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったということを。

(A)私たちの子供たちのまた子供たちに、私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。

(Y)そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。

 ; and with eyes fixed on the horizon and God's grace upon us, we carried forth that great gift of freedom and delivered it safely to future generations.

(M)我々は地平線と注がれる神の愛を見つめ、自由という偉大な贈り物を前に送り出し、それを次世代に無事に届けたのだ、ということを。

(A)そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう。

(Y)そして、地平線と神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。

Thank you. God bless you and God bless the United States of America.

(Yのみ)ありがとう。神の祝福が皆さんにあらんことを。そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。

2007-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20070122163834

なるほど。「そのまんま」っていうのは「Let it be」ちゅうことだったのか。

 
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