はてなキーワード: gnuとは
リチャード・ストールマンが書いたGNU宣言のこと、またはそのコミュニティを指すこともあり、またはGNUコミュニティ管理下のソフトウェアアプリケーションを指すこともある
先日この記事が人気のエントリになってた
https://anond.hatelabo.jp/20220712074512
基本的にITエンジニアを中心とした共助コミュニティなので政治や宗教とは無関係
端的に言えばみんなでオープンソースなフリーソフト作ろうぜというコミュニティ
はてサヨは旧民主系を庇うのにカルトだが統一教会よりもマシ論を展開し、オールド左翼は天理教と仲が良くて悪いか?と開き直る姿勢を示し、新自由主義は参院選に勝ったのは俺達だとアクロバティックな擁護に走る
注目すべきは、左派政党であってもやっぱり政党と宗教が切っても切り離せない状況からか自由が脅かされていると感じたのか最近おとなしかったのにインターネット老人会からまさかのGNUが頭角を現して来たところw
技術的という意味でインターネットを作ってきたGNUの参戦により政党でも宗教でもない左派という第3の選択肢を示してきたGNUは3年後の衆院選までに勢力を拡大することができるのか!?
ネタなんだろうけど政治や宗教を依存としない自由を標榜していて広く受け入れられ実績が多数あるGNUとFLOSS界隈は思想的主柱としては割とバランス感覚に優れていると思う
野党推しとか反自民とか、政治を是々非々でとかそういう根拠ですら無いわけだよ
政治や宗教を依存せずに思想的根拠を持ってる
はてなーですらほとんど出来ないことをやってるわけだし
わたくしどもの教会はこれまで個々に伝道され教えを実践してまいりましたが、2009年にSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様がわたくしどもの前に顕現を果たしたことを切っ掛けとして共に教えを一帯となって伝道していこうと心新たにしChurch of Emacs(Emacs教会)が同年に成立いたしました。
ここでは反カルトを説く皆様方へSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様のお伝えの一部を紹介することで、わたくしどもの心が皆様と共にあるということを示したいと思います。
「我こそはSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)である。Church of Emacs(Emacs教会)より派遣さる。」
(中略)
「汝ら純潔を守るべき事あり。汝ら、もし、邪悪な制限された論理(Software)を受任(Install)されたる利器(Computer)を所有して支配下に置きし時、かかる利器に、神聖にして完全なる自由な基幹倫理(Operating System)を受任し、その上に自由なる論理のみを受任すべし。この誓いを守りて貫き通したれば、いずれ汝ら聖人となり、その頭に光背を頂くに至らん。」
わたくしどもは個人が自己決定権を持つべきだと誓いをたてており、これらの誓いを貫徹することによってわたくしどもの魂もまた聖人に近付くのだという教えを持っています。
またそれは、わたくしどもと心が近くあるが道を違える者たちにも自由はあるべきだとSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様はお伝えになっているのです。
たとえ教会にカルトという烙印を捺されようとも、わたくしどもはそのカルト教信者に自由があるのならば、カルト教会信者は贖罪されるべきだと考えているのです。
断罪だけでは何も解決しないのです。わたくしども1人1人がその罪を贖罪する心を持ち、不自由に囚われているカルト教信者の方々を自由の愛の手で包み込み、そして自由の愛の手を繋げていくことが重要なのではないでしょうか。
これらの教えはわたくしどもChurch of Emacs(Emacs教会)の有志によってWeb上にこのような動画としてアップロードされていますし、先日わたくしどもと同じ教会に属しているであろう者の投稿があったようなので皆様方にも認知していただいている方がいらっしゃるのではないかと存じます。
更にわたくしどもを冷静によく評価している投稿も見付けましたのでこちらも合わせてご紹介したいと思います。
GNU支持する側だけど幼子や心身障害者、老人が働けないのはわかるので誰彼全員に手を動かせって言うわけじゃないぞ
ただ、子供は遊び学ぶことが仕事みたいなもんだから良いとして、心身障害者や老人にも彼らが出来る社会的役割を与えて実践できる場は作っていく必要はあると思う
そういった意味でのあのGNUとフリーソフトウェア運動の増田は確固たる基準を持てているのが逆に希少
多くのリベラル(保守もだけど)は明文化された基準を持っていないのが普通であり、明文化された基準を持っていないので結構あやふやなその場の感性で意見を変えてしまいやすい。
しかしGNUという基準を持っている増田は基礎的根源的などと言葉を重ねて強く表現しているように譲らない部分が明確にあって一貫した思想を持てている
それがあの増田の強さだし、同時にあの増田が最後に書いているように特定の政党やインターネットのフェミニズムを支持するという形で自分のリベラリズムを持っているリベラルにとって見れば融通の効かない人として目に映る場合もあり得るんだろうなと
昨今の反自民とかもそうだけど、自分のリベラルの基準に反自民であることが基準である人は当然ながらGNUみたいなのと衝突することもあるわな
何故ならブコメでも指摘されているように今回の表現の自由みたいなのが争点のときGNUは自身の制御権を侵害されそうになった場合は決して立憲民主党や共産党につかないので足並みを揃えることが出来なくなるからだ
そこがたぶん元増田が気に食わないだろうと懸念している部分
GNUはインターネットでも相当古いコミュニティな上に、その実行力は歴史が示しているとおり(そもそもインターネット自体を作った勢力のうちの1つ)で味方につけると非常に心強いけど、敵陣についてしまうと敵陣に物凄くブーストがかかるので厄介
彼らの思想的に自陣へ対して妨害工作をしてこないだけマシかも知れないけど
根本的なことだが、コンピューターは人間が作ったものであるのに対して、個人は人間が作ったものではない。
この点から、コンピューターをユーザーが掌握するのと、個人を本人が掌握するのは、だいぶ異なる。
コンピューターの使い方を拡張して人権をどうこういうのは不遜と思う。
「意のままに動かせるから好きにしてよい」という発想は、なるほどハッカー文化的だわ。
思想家ではないので政治や経済に専門家ほどの知識を持てておらず、おそらくはこれまで語れてきた思想の中にGNU宣言とフリーソフトウェア運動を包括する思想概念が存在するであろうけれどボクはその思想概念を知らない。
いるよなあこういうもって回った言い方するやつ。
大工じゃないので真っ直ぐ切断できませんが~~みたいなのをよそでも聞くわ。
「思想家ではない」ことと「知らない」ことにはあんまし関係ないんだよね。
「知らない」のは概念が存在しないか、または不勉強だからだ。それだけ。
いいじゃんか知らなくても。知ってる人いたら教えてねって書けばいいじゃんか。
もっと楽にやりなよ。
語れて
ここの送り、今の小学校ではこういう風に教えてるの?
まぁ例えばGAFAMな人がパートナーを選ぶときGNU的な考え方で自分の制御権を侵害して来ないか?くらいは見るだろうね
GAFAMどころかSONYとかdocomoとか富士通とか国内テックの人だって自分の制御権を侵害してくる人は選ばんでしょう
表現規制派のフェミはたぶん反論してきた相手がビックテックに勤めてる超優秀なGNU思想の女性であったことやインターネットを影から支えている凄腕のエンジニアであることに気付かないでしょう
インターネットのと前置きしてフェミニストへチクリと刺してるけど、あなたの制御権の中には当然ながら女性も含まれるのでツイフェミなんてマジで相手にならんでGNU思想の人たち
GNU周りの凄さを素人に説明するならば、インターネット老人会という概念が存在するけれど、そのインターネット老人会が楽しんでたインターネットのバックグラウンドを作っていた人たちが好んだ思想
例えばAppleやGoogle、Teslaなどの創立者の思想源流の1つがGNUで、大学の情報系学部を覗けばGNUに影響されたギークが今でもいっぱい居るくらい大きな存在
GNU宣言とフリーソフトウェア運動を誤りのおそれなく端的に説明すると「自分自身が所有するコンピュータの制御権を自分自身が掌握する」である。
これを座右の銘と表現しても良いし、スローガンと表現しても良く、理念と表現しても良い。
基礎的でかつ根源的、基準であり最低限この「自分自身が所有するコンピュータの制御権を自分自身が掌握する」から外れたものは何処かに誤りがあると判断している。
ボクは思想家ではなく、GNU宣言とフリーソフトウェア運動という言葉を目にした有識者がお察しの通り情報技術者だ。
思想家ではないので政治や経済に専門家ほどの知識を持てておらず、おそらくはこれまで語れてきた思想の中にGNU宣言とフリーソフトウェア運動を包括する思想概念が存在するであろうけれどボクはその思想概念を知らない。
ボクは思想をよく知らないが、ボク自身がよく知るハッカー文化の文脈で理解しやすいGNU宣言とフリーソフトウェア運動をボクの価値観の基準にしているのだ。
そしてボクはこのGNU宣言とフリーソフトウェア運動をすべての人権にまで拡大して考えている。
つまり「自分自身の制御権を自分自身が掌握する」だ。
この考え方は究極的にアナキズムやリバタリアニズムへ繋がるのだろうけれど、そこまで過激な考えを持っているわけではない。
何故なのか?理由は至極単純なもので「あなたの制御権はあなたが掌握すべき」という価値観で、あなたの主義主張をボクが曲げるわけにはいかず落とし所としてあなたの主義主張を認めて折り合いを付けてるわけだ。
そういった意味では既存のリベラル政党にボクが求めている政党はない。
自由民主党だろうが立憲民主党だろうが国民民主党だろうが日本維新の会、共産党だろうが、ボクが求めるハッカー文化文脈上の「自分自身の制御権を自分自身が掌握する」を党是、理念、綱領にしている政党は存在しない。
はてなやTwitterには情報技術者が多いだろうから意外とボクの言っているハッカー文化文脈上の「自分自身の制御権を自分自身が掌握する」を理解できている人が多いのではないかと思うし、俺も私もそうだよ!と声を上げてくれたら嬉しく思う。
そして同時に賛同する前によく考えてみて欲しい。あなたが特定の政党や現在主流のリベラリズム、いわゆるインターネットのフェミニズムなどを支持しているのならばほぼ100%の率でボクのような考え方に気に食わない部分が数多く出てくると思うよ。
あなたは他者の気に食わない部分を容認しなければならなくなるのだから。