「communicator」を含む日記 RSS

はてなキーワード: communicatorとは

2020-06-19

ウェブブラウザがこんなに重要ソフトウェアになるとは思ってもいなかったな。Netscape Communicator 4.7の頃は。

2017-05-24

個人的Webブラウザの変遷

Windows3.1+LanManagerの頃からインターネット界隈を利用している。

個人的に利用してきたブラウザのまとめ。

Internet Explorer

2.0から使い始めた。最初Windows付属していたから使い始めた。

Windows95のActiveDesktopを使うために4.0をインストールしたものの、それほど使わず

デザイン崩れを起こすこともあり、インストールしているだけで使ってはいなかった。

IE依存サイトがあると「はぁ?」って感じだった。

OSと切り離せない4.0以降は初期のブラウザ戦争も小康状態に向かっていったと思う。

5.5はWindows2000で利用していた。

Donutタブブラウザ

IEで色々と開くと窓をたくさん開くのが気に入らなかった。

レンダリングエンジンIEのを使用

NetscapeNavigator(NetscapeCommunicator)

Microsoft依存しない俺カッケー」ぐらいの気持ちで使い始めた。

使い勝手、性能は単純にIEより上だったと思う。

Communicator(4)から重くなって使いにくくなったように覚えてる。

FireFox

Netscapeの後釜として利用。

フォクすけかわいい

Chrome

いまのメインブラウザ。Addonを色々と使ってる。

IE死ね、は未だになおらない。

2016-09-28

心に余裕を持たせるという趣旨でいえば、別の環境に連れていかなくてもしっかり情報咀嚼して飲み込むだけでもだいぶ違うと思うんだけど。ウェブ世間を行き交う情報量が圧倒的に増えたから、せめて貧しても鈍しない世間になるようにしていきたい。

小学生の頃にNetscape Communicatorの向こうに見えていた空間は、こんな悪態つく場所でもなかったし、人を血祭りにあげる場所でもなかった。もっとキラキラしてた。

そんな場所にしていく……のはもうダメだとしても、貧しそうな人が鈍しないように差し伸べていけるようにしたい。フロントエンジニアの端くれとして。がんばる。

まずはできれば定時後に出火した案件を火消しできるくらいには体力温存できるようにしなきゃね。なかなか厳しいけど。

2013-07-01

美しい日本語なんてクソくらえでございます

美しさとは平均値だ。美しい日本語とは、限りなく平均値に近い日本語ということか。しかし、平均が美しいとは限らない。この国の人口の五割がボケ老人になったら、それにあわせた美しい日本語になるのか。

美しさとは保守であり、完成していて不変であるということだ。だが言葉は生きている。絶えず新しいものを飲みこみ、古い何かを吐き出し、形を変え続けている。そのようなものに「美しい」なんて言葉を冠して、枠にはめようというのか。野生の獣を檻で飼おうとするのに等しい行為だ。獣は野にいて初めて真価を発揮する。

スマホなんて外来語を使わず日本語を使いましょう」って、スマホはもう日本語だよ。五年たったら消える単語かもしれないけど。スマホスマートフォンとも違うんだよ。スマホ三文字には「スマホスマホ、っていうけどちょっと前はnokia communicatorみたいな信じられないくらいダサい携帯スマートフォンて呼んでたんだけど知らないよね。君のそのスマホ日本製だと思ってるみたいだけど、中身Androidで俺のとほとんど一緒だからiPhone? 死ね」くらいの意味が入ってるから。そんな日本語他にないし。

例えばデフレーションのような外来語をそのまま使うことでどれだけ効率が良くなるか考えたことはあるか。デフレーションデフレと省略することが人口に膾炙するのにどれくらい役立つか。デフレを「物価下落現象」と言い換えたところでその経済上の意味については学習しなければわからない。

それはコンテンツでもケアでも同じことだ。コンテンツを「情報内容」、ケアを「配慮的気配り的お手入れ」と言い換えたところでやはり意味学習しなければならない。

コンテンツは単なる情報ではないし、ケアは単純な気配りでもない。新しい言葉には今までに無かった、もしくは必要なかった概念がある。カタカナ漢字で言い換えたところで、きちんとその意味を理解してないなら意味はないんじゃないか

はっきり言えば、お前が忌避してるのは外来語の混じった日本語ではなく、お前を置いて変化し続ける世界についてだ。お前は眼の前の変化に戸惑い、その変化についていけない自分に怒りを覚え、象徴としての新しい言葉八つ当たりしているにすぎない。日本語は変わる世界スピードについていける柔軟な言語だ。言葉に罪はない。

新しい概念必要になったとき、それが外国語ならとりあえず発音をカタカナ日本語に変換してしまう。長くて呼びにくいから省略してみる。なんといい加減でスピード感のある言語だろうか。

美しい日本語なんてクソくらえ。

俺はもっと柔軟でわい雑な、醜い日本語を望みます

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん