はてなキーワード: WIkiとは
近頃youtubeなどでゲーム実況の配信を見ていると、一部の視聴者がコメント欄に間違った情報を書き込み、それに対して別の視聴者が「エアプは黙れ」「エアプ湧きすぎ」などと反応してバトルになっている光景をよく目にする。
「エアプ」とは「エアプレイ/エアプレイヤー」の略で、まあ英語としては意味不明な和製英語だが、ざっくり言って「その場で話題となっているゲームを自分ではプレイしていないのに、あたかもプレイ済みであるかのように訳知り顔で振る舞う奴」というような意味である。
実際のところ、このようなコメントを書き込んでいる人間の中には、原義の通り実況対象のゲームをプレイしていないのに偉そうにコメントしている「エアプ」や、あるいはコメントで配信者を混乱させて楽しんでいるような愉快犯も少なからず存在していると思うが、
しかし、一時期ゲーム開発・運営に関わった経験から言って、おそらく大半は「プレイ済みでありながらシステムを正しく理解できない・していないプレイヤー」によるコメントだと確信している。
熱心なゲーマーには想像もできないことかも知れないが、以下に書いていくように、ゲームシステムの理解には実に様々なハードルがあって、それぞれの段階に実にたくさんのプレイヤーが存在しているのだ。
まず、根本的にゲームシステムを理解することが難しいプレイヤーというのが一定の割合で存在している。これは、開発側のプレイヤー統計の数値などを出さなくても確認できる実例がある。
Steamなどの実績システムで、細かめに実績が設定されているゲームを適当に選び、グローバル実績解除率を確認してみてほしい。
作品のジャンルや難易度、長さによって傾向差はあるものの、多くのゲームで最序盤のうちに2~4割のプレイヤーがドロップアウトする解除率の「壁」のようなものがあることがわかるはずだ。
この内には、「遊んではみたが好みに合わなかったから辞めた」というようなプレイヤーも一定数存在するだろうが、やはり一定数は「システムが根本的に理解できず、先に進めなくて諦めた」プレイヤーなのだ。
また、サイドクエストやアイテム収集、カスタム要素などに関わる脇道的実績に関しては、「ストーリーを進めなくてもその要素を少しでも触ればすぐ取れる」というような実績でも解除率が低い傾向にある。
これも同じようなことで、そもそもそのシステム自体を認識していなかったり、認識した上でもシステムが理解できず、放置しているのだ。
そういうわけで、実績からはプレイヤーのゲームに対する理解能力の割合というものを窺い知ることができる。事実として、ゲームプレイヤーのうち何割かは「そんなもん」なのだ。
システム理解の最初のハードルを乗り越えてプレイを継続したプレイヤーであっても、ゲームの理解度には大きな開きがある。ゲームのアクティブユーザー数に対して、攻略wikiなどを利用してデータ面の情報収集をしながらプレイに臨んでいるプレイヤーの割合は、体感では7割ぐらい。
そしてその7割のうちでも、大半はわかりやすいFAQ系のページや、キャラなどの性能評価などをざっと洗っているだけのことが多い。システムの内部的な確率や計算式などパラメータ的な側面を詳細に解説しているページは、如実に閲覧数が低下しているのが見て取れる。
「内部計算式や理論を理解した上で、この部分が強いからこのキャラは強いのだと理解し説明できる」というようなレベルに届かず、「キャラのページに強いと書いてあるから強いらしい」レベルの理解で止まっているプレイヤーはかなり多い。
このようなざっくり理解にとどまっているプレイヤーや、そもそも攻略情報を見ていないプレイヤーは、知識の不足分をイメージや経験則や直感、時にオカルトなどによって補ってプレイしている。そしてその内容は残念ながらしばしば間違っているのだ。
そして、このハードルを乗り越えてゲームシステムの理解に努め、しっかり情報収集しているプレイヤーでさえ、そもそもその情報源となるwikiなどに書かれている情報が事実である保証がないという問題にぶち当たる。
内部的な処理の説明に関しては攻略サイト側が勘違いして記載しているパターンも多いし、確率などが絡む要素についてはさらにひどい。(このあたりの内部ロジックを過度に隠蔽するゲーム開発側にも罪はある)
そもそも匿名のwikiであれば悪意を持って誤情報を書き入れることも出来るだろうし、近頃は広告収入目当てなのか粗製乱造的なゲーム攻略サイトも目立つようになってきた。
このような理由で最初から誤情報が書かれているサイトを読んでしまう、というパターンもあるが、近年はアップデートなどでゲームのデータや判定計算などに随時調整が入ることが多いため、攻略サイトの側がキャッチアップ出来ず、過去の情報が残っていて結果的に嘘になってしまっているケースも多い。
また、個々のプレイヤーの側でも、そうした調整が行われたこと自体を把握しておらず、過去の時点での情報理解で止まっていたせいで、結果的に嘘を言ってしまう……という事例も少なくないだろう。
そういうわけで、自分のシステム理解が間違っているかもしれないとか、攻略上どの選択が一番有利だとか、確率論的にどの選択が一番丸いとか、システム上の最高効率を考えた場合の立ち回りとか、最新のメタゲーム動向とアップデート情報とか、そういうことをとことん突き詰めて「最新かつ正確な情報を抑えてアドバイスできるプレイヤー」というのは、上記のような大量のハードルを全て飛び越えた一握りのスーパーエリート層であり、逆に言えばそうでないプレイヤーはどこかで間違った認識を持ってしまっている可能性がある。
そして、その上で、多くのプレイヤーは各々の段階において「それでよし」としてゲームを遊んでいる。ここまで割と否定的なニュアンスで書いてしまったが、ゲームは娯楽なんだから各々のスタンスでやればいいし、たとえシステム理解が間違っていようとなんだろうと、本人がゲームを楽しめているならそれが一番なのだ。
しかし、ゲーム実況のコメント欄という空間においては、こうした様々な理解段階のプレイヤーが同じ視聴者として接触してしまう。
そして、各々の視聴者は自分のプレイ経験の範囲で事実を言っているだけなのに、ごく一部のスーパーエリートを除けば上記のハードルのどこかで引っかかってしまい、「エアプ」として責められてしまうことになる。
「誰もがエアプ扱いされる可能性があるから優しくなろう」とか、逆に「スーパーエリートを崇めてそれ以下のプレイヤーは黙るべきだ」とかそういうことを言うつもりはないし、そもそもこの問題を解決できるとは思っていない。
ただ、従来このようなプレイヤー同士は、それぞれ分かたれたコミュニティの中で活動している傾向が強かった。そうした垣根がなくなり、いち視聴者として一つのゲームを楽しむ実況配信という環境において、対立が強く表面化しているのはとても悲しいことだと思っている。
今頃って、企業がゲームの攻略wikiを作って、SEOを略奪し、「未定」で埋め尽くしたり他からパクってきてアクセス稼いで個人wikiを壊滅させるのが常なんだけど、艦これだけは生き残ってて、有志のwikiの方が強い
これってなんでかなと思ったんだけど、結局は、二つ理由があって
イベントなんてRTA勢の血反吐を吐くような40時間ぶっ続けプレイなどで情報が組み上がっていくので企業で担当が数人頑張ったところで、百人単位で走ってるRTA勢と個人ユーザーの情報量に勝てない
艦これは普段動きがない分、イベントでは怒濤の情報量が短時間に必要になる。企業系の社員もそれなりにやってはいるようだが、熱量もスキルもRTA勢とは段違いなので更新が遅れる
あの手の企業掲載とは両脇にリンクやら、広告があって、真ん中に縦長に記事が表示される
つまりスクロールが多くて、1ページに入る情報量が少なく、画像は小さい。
ソシャゲなら、アクセスするのがスマフォやタブレットなので特に問題にならないだろうが、艦これはブラゲーなのでみんなPCの前にいる
なら横長で最大限表示される有志wikiの方が圧倒的に見やすいし、分かりやすい
なんじゃないかと思っている
ただでさえ、企業攻略サイトばっかりに汚染されているゲーム業界なので、艦これの有志wikiが今も頑張っているのはとても嬉しい
最近なんて企業サイトは、自力攻略を諦めたのかRTA勢から画像をお借りして編成を出すとか、プライドもクソもないことをやりはじめていて、自分たちで攻略もできねえなら攻略サイト名乗るなよと言いたい
滅びろ
最近長文のお気持ち表明がたくさん出ている。私も野次馬精神で何個か見たしそのほとんどがお気持ち表明というだけあってネガティブなことばかりだ。
だから、人生が救われた幸せな話だってあってもいいじゃないか。
別に面白い話でもない。ただ、推しがいたから明日も生きようと思えた根暗陰キャの話である。
成人済み腐女子。オタク歴十数年。ジャンルはひとところに留まりやすい。稀に同人誌を出すが基本支部中心の文字書き。
小中といじめられっ子。高校はどうにか卒業できる程度しか通っていない不登校。大学は地元の私大、就職は地元の中小企業。
平々凡々なネガティブ女。
私がオタクになったのは中学の頃である。当時の覇権ジャンルにハマってブログを開設して文字書きをしていた。バナーを自作し、ブログの検索避け方法を調べ、検索サーチに登録して頑張った。数年経てば拍手やコメントが届くようになった。なんとなく世界に認められた気がした。
不登校の間、新刊の情報とブログだけが私を支えていた。目の前にあるカッターを手首に近づけようとして来月出る新刊で推しが活躍することを思い出してカッターをしまう。おかげで私の腕は傷一つない。
また何年か経って、支部やTwitterがある程度成熟し、スマホの普及率が上がっていた。気軽に誰かと繋がれるようになった。私も活動場所を支部に移した。ブログは消去するには思い出が多いのでそのまま残しているが今は別名義である。
推しは歴史をある程度知っているとキャラ知識が深まる擬人化系のジャンルである。まずキャラのWikiを読み込んだ。原作もがっつり履修した。次に歴史をWikiから学んだ。参考文献のところに記載されている本を読んでみた。幸い学生だったので大学図書館が出入り自由だった。他大学の図書館にも通った。参考文献の参考文献という風に何冊も辿った。違う観点から見ることも重要だと覚えたので毛色の違うものも探した。諸説ありの諸説をまとめた。信用できる著者、そうでない著者を覚えた。学部も担当も違う教授を訪ねた。博物館や美術館に足を運んでみた。
ついでにチビでデブスでメガネでダサい私は推しに会う(概念)ときにこんな格好でいいのか?とインスタでインフルエンサーをフォローしまくって流行を覚えた。YouTubeでメイク動画を見まくって自分の顔をパレットにお絵描きも頑張った。最先端の格好はできずともどこにでもいそうな人間を目指して減量もした。
そうしてほんの少しだけ自信が持てる自分になり、自分の小説や妄言を聞いてくれるフォロワーができた。史実沼の方がオススメ書籍を教えてくれた。妄想が広がってできあがった小説を読んでくれた。同人誌を作ったら買ってくれた。一緒に推しに会いに行く友達ができた。
そして、推しに対しての知的好奇心はまだまだ収まらないので希死念慮も気がつけば消えていた。
最初の推しはリスカする手を止めてくれて、今の推しは私に生きることを選択させてくれている。
推し方がちょっと特殊だと言われやすいタイプではあるが、そこは人それぞれ好きなものを好きなように推していれば幸せになれる。
私は私なりの幸せを手に入れたので他の方もお気持ち表明する前に一旦離れて自分の好きだけ追い求めたら幸せなんじゃないかななどと考えたりもするがそこまでいうのはお門違いも甚だしいのでお口ミッフィーちゃんしておきます。
ジョルノ印象薄すぎ。
チンピラっぽい?それを言うならジョセフだってチンピラっぽいだろ。
まあディオの7割くらいはジョナサンで出来ているわけだから、息子が自分に似てなくても仕方ないのかねえ。
柱の男達の様に、自分が生き続けるんだから子孫なんて要らないしな。
ところで、wikiにゆ~きゃん以外のブチャ声優さんが載ってて、櫻井と杉山さんがあてておられた。
自分としては櫻井というと露伴のイメージがあるのだが、確かにブチャラティも合う気がする。
紀彰さんも…合ってる様な気がする。どんな感じで演じられていたのだろうか。ちょっと聴いてみたい。
どの作品だ?(ASBだった)
とりあえずこんなの見つけた。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34681703
怒った士郎さんですかね?
櫻井のは思ったより弱い感じだった。やっぱり性格がアレな露伴ちゃんが一番合う。
櫻井はどーしようもない役が良いと思う。霊幻新隆とか。
例えば「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という有名な迷信がある。合理的な根拠不明な迷信も多くあるが、この迷信はwikiにある解釈を読むと納得感はある。ただし現代においては安全爪切りもあるし、照明もあるので夜に爪切っても危なくない。むしろ風呂上がりの方が爪が柔らかくて切りやすいくらいだ。
昔は照明器具が不十分で、手元が見えず危険だった。また切った爪の行方も見えず、後でそれを踏むと痛いということもあった[7]。いずれにしても、夜に爪を切ると何もいいことが無いから、夜に爪を切ってはいけないとされたという[7]。
他にも当時は通用したが、現代には適さなくった迷信がある。同じくwikiから参照したい。
夜に口笛を吹くと、蛇(または妖怪、お化け)が出る。 - かつて日本で人身売買が行われていた時代、摘発されないために多くが人目のつかない夜に売買取引を行っていた。その際、売人を呼ぶ合図が口笛だったため、「蛇(妖怪、お化け)が出るから吹かないように」という子供への警告が形を変え、現代まで残っている一例とする説がある。
こういう迷信がアップデートされないまま、言葉だけ語り継がれていくと、合理的根拠がないまま生活様式に落とし込まれていき、無根拠に信じるようになる。
宗教の牛とか豚食っちゃダメなんて、まさにその例で、当時牛とか豚食べて伝染病で人が死にまくったから食べるなとかが、この教えのスタートで、当時は有効だったから連綿と受け継がれてきてきたわけだ。でも今ではただ教義だから守ってる以上の理由はないのでは?とか思う。
(宗教についてまったく詳しくないから言ってること間違ってたらすまん)
まぁこれを文化というのだろうから、ダメってことでは全くないのだけれど、個人的には迷信には合理性というか、有用な教えみたいな要素が入っていて欲しい。
なので血液型占いなんかは、打破すべき現代版迷信のトップランナーだと思う。
例えば以下のようなのを思いついたが他にもアップデートすべき迷信はあるだろうか。
・夜に口笛を吹くと、蛇が出る。
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これは備忘録みたいなものなので無駄に長いし、文章もろくに推敲してないです。個人ブログでやれって話なんだけど、そういえばお盆も来月に近付いたな……と思ったら、公開される形式にしてみようかなとか気まぐれを起こしました。
今日仕事で役所に行ったんだけど、上司が知り合いに挨拶するとかいうから、行政資料センターみたいなところで時間を潰して待つことにした。
資格試験の願書とか、コロナ関係の補助金の申請書とか並んでるとこの奥に、背の高い本棚がズラーッと並んでて、所狭しとファイルやら冊子やらが詰め込んである。工事単価表とか、議会の議事録とか、「へ~」って思うけど別に手に取りたいとは思えないものが沢山あって、これを管理する仕事ってつまらなさそうだなとかちょっと失礼なこと考えたりしてた。
防災関係の棚のところに行って、ふと、そういえばうちのアパートって災害時どんな感じになるのかなと気になり避難マップを探した。最近雨凄いし、こわいなって。で、その書棚をふらふら探してたら、大きめのファイルがいくつも並んだ段の端っこに、古ぼけた薄い冊子を見つけた。ファイルが割と新品っぽかったから、余計にそのボロさが際立って見えた。それが、玄倉川水難事故の記録資料だった。
昨年、台風19号だったか、あるいは全然違う日の豪雨だったかで、やっぱり神奈川の西の方のどこかの川で事故があったと思う。そのときツイッターのTLが一斉にこの事故のことを呟いてたから、一度wikiで事故の記事を読んでみたことがある。読んでるうちに、こどもの頃テレビのワイドショーでそういうニュースを見たことがあるような……と淡い記憶も蘇ってきたし、流れでnaverまとめとか読んで(9月にサ終するそうで、残念だ)、「うわ~」って野次馬してた。だから馴染みがあるといったら変だけど、身近というか、ちょっと知識がある?みたいな変な自負みたいのがあって、興味本位で手に取った。
あんなセンセーショナルな事故の記録を、こんなとこにぽんと置いてあるんだ、という意外性みたいのもあったな。テレビで人間が濁流に飲み込まれる様子が生放送されるなんて、いまでは報道倫理的に考えられない事態だと思う。役所みたいなおカタい組織って、そういう刺激の強すぎるものは人目に晒したがらないというか、それこそ情報公開請求?とかしないと出してくれないのかなって勝手に思ってたんだよね。それが閲覧スペースに普通に置いてあったのが意外だった。
冊子には、事故現場がどんな地域だとか、上流にあったダムの概要だとかwikiにも掲載されてるような内容が、役所らしい淡々としたかたちで記録されてた。そういうのが続いて、ある頁からは、事故発生から遺体収容までの数日間役所のどの部署が何時何分何をしていて、どことどんな連携をした、みたいなことがズラズラズラーッと書き連ねてある。
これが、すごい細かい。警察と消防とダム管理者と危機対策本部と河川課?と~って、ほんとに登場人物ならぬ登場組織が山ほどある。その分単位の行動記録の随所随所に、更に細かい文字記録がある。元々防災部的なとこには実働機関がなかったから地域にある出張所が活躍したとか、ダムの放流を止める止めないの決断にはどんな意思決定があったのか、とか。
本当にモノを知らなくて恥ずかしいけど、さら~っとwiki流し読みしたときは、「人が取り残されてるのにどうしてダムの水放流しちゃったんだろ」とか「危ないんだったら警察沢山向かわせて実力行使で避難させればよかったのに」とか思ってたんだよね。でも、「放流を停止してダムが決壊した場合は川下にある小田原市全域に人的被害が見込まれた」「河川の私的利用を制限する根拠法令がなかった」みたいに全部全部理由があって、なんていうかそのことに凄くハッとした。
自分みたいな素人が考えることを、縦割り行政と揶揄されるほどまで業務を細分化してる役所の役人が考えないわけないんだよな。ダムを止めてやれないか、って検討するだろうし、危ないから避難させられないだろうか、って考えたんだと思う。当時現場に詰めてた人達はみんな、いま自分が安易に考えたようなことは当然検討した上で、「他の何万人もの市民を危険にさらすから駄目だ」「根拠法令のない私権制限は出来ない」って結論付けたんだろうな。
なんていうか、ほんとにこまごまと書いてあるんだよね。すごく淡々としてるんだよ。役所の文書だから事実の羅列ばっかりなんだけど、気付いたら熱心に読み込んでしまった。温度のない明朝体の退屈な文字列だと思ってたんだけど、読んでるうちに、自分たちがDQNって言ってた犠牲者たちのことを、この関係者たちは必死で助けようとしたんだな、ってことがわかってきた。
ワイドショーでは「地元の人が何回も注意した」とか、「お盆の悲劇!」みたいな視聴者の情緒を煽るというか、沢山の人が亡くなったことをネタにしてるような報道ばかりで(その犠牲者たちの言動がゴシップ的に取り上げられやすい属性だったのは、そうかもしれないが)、自分も昨年SNSで見た「DQNの川流れ」という揶揄を苦笑しつつも受け入れてしまっていた。いま考えてもあの犠牲者たちの行動が善良な市民のものだったとは思わないけど、でもそういう愚かなレジャー客のことも、これだけ沢山の人が助けようとしてくれたんだなと謎の感慨みたいなものが湧いた。
なるほど、これは玄倉川水難事故で犠牲者を出してしまった悔しさ(?)をバネに、次回以降の災害時対応に活かすための引継ぎ資料的なものなのかな~と思いながら、ぱらぱら捲っていった。
その最後に、当時レスキューに参加した消防関係者の寄稿みたいなものがあった。実際、テレビの中で土砂降りの中ロープを引いて河岸に待機していた、消防署の職員たちの手記だった。
目の前で四人が流された直後に、救命出来なかったという絶望に包まれたまま別の事故現場へ移動したことを書く方もいたし、世間から「なぜ助けられなかったのか」とバッシングを受けたことについて所感を綴った方もいた。実際にその瞬間、荒れ狂う河川敷で業務に従事していた救助隊員たちの声というのは、非常に生々しく、重たかった。かれらが一様に、助けられなかったことを心底残念がっているというのが、伝わってきた。
一歳の子どもの遺体だけが何日も見つからず、ひたすら川を捜索していた隊員の方が、「初日にオムツが二つ水面に浮いていたのを思い出して」、向かった場所の川底から、水の冷たさを訴えるような真っ白い肌をした赤ん坊の遺体が引き上げられたとき、咄嗟に川に飛び込んで泳いで行き、毛布で赤ん坊を抱き上げに行った、という記述を読んだとき、気が付いたら泣いてしまっていた。
玄倉川水難事故、本当に愚かな事故だなという所感はいまでも変わらない。あの悲劇を避けるための分岐点は幾らでもあったのに、その場にいた大人たちはまったくその選択をしようとしなかった。犠牲者たちが悪いのだから死んで当然、というネットの意見も、割と共感する。傲慢な”DQN”のために、一億円以上の公費が投入されているし、その現場に駆け付けた関係者たちは、やはり苦い記憶としてこの事故を一生忘れられないのだと思う。まったくもって酷い事故だ。
だけど、そういうやばいやつらのことも、必死に助けようとした人たちがいて、同じようなことが起こったときちゃんと助けられるように備えないとと準備している組織がいるんだなと思ったら、日本ってまだまだ捨てたもんじゃないかなという気がした。
実際災害が起きたら、また「どうして助けられなかったんだ」って思うようなことって起こるだろうし、こんな記事書いてても自分や自分の家族が被害を受けたら「どうして助けてくれなかったんだ」って言っちゃうと思うけど。でも、ああいう事件事故の最前線にいる人たちが、皆が皆怠慢で、冷淡で、他人に無関心ってことは絶対にないなと思った。それって、すごく幸福なことだと思う。
来月はお盆があり、連休がある。コロナで外出自粛だけど、GoToもあるから、割とレジャーを検討してる人も多いんじゃないだろうか。自分は感染症について何の知見もないから「出掛けちゃいけないと思う」とか言えないけど、この記事を読んだ人がいたら、「事故に気を付けよう」「天気予報とか災害情報とかチェックしよう」みたいに思ってくれたらいいな、と思った。
でも、個人的には全く興味がそそられない。
というのも、マイクラの紹介文やらレビューやら解説サイトやらで必ず言われる
というくだり。これが心底気に食わない。
だってさ、これ要はあのクソ大量にあるwikiをいちいち見て回りながらプレイしろってことでしょ?
なにそれきっつーってやつだわ。
ちなみにこの「自分で調べろ」系ゲームで、国産タイトルの代表格は艦これ…と書けば、筆者が嫌悪する理由をわかってもらえるだろうか。
あのクソゲーの、筆舌に尽くし難い苦痛の一つが、何をやるにもwikiが手放せないことだったわけで。
ついでに言うなら、自称有識者が主にwikiのコメ欄と5chでうるさく言ってくる、ああしろこうしろというアドバイスの皮を被ったマウントを見た日には
「ぶち殺すぞ」
って感じ。
そういう、調べてるのかプレイしてるのかよくわからないことになるゲームなんかに比べたら、死に覚えゲーのほうが脳死プレイできる余地がある分まだマシだとすら思うわけで。
だからってわけじゃないけど、もし自分がマイクラ始めるならサバイバルモードのマルチプレイサーバ一択で、wikiは可能な限り見ないプレイスタイルで行くし、それが不可能ならやらない。
もちろんマグマやTNTみたいな危険物も「とりあえず使ってみて覚える」と。
そっからエンダードラゴンをソロで倒すまで、何回アイテム全ロスすることになるかなんて考えたくもないが。
でもこういう遊び方って、多分マイクラ好きな奴ほど冷笑的に思うんじゃねーの?
そこなんだよなあ、マイクラが一番好きになれないのは。
創作界隈(一次二次限らず)において、創作者の承認欲求を何か不純なものとして扱ったり、それを持つ創作者を下位のものとして扱う雰囲気があるがそれが附に落ちない。
色々なテーマを混ぜこぜにして、「創作者は創作欲のみを持つべきで、承認欲求を持たないべき(小さい方が好ましい)」になってしまっている気がするので、何故こうなっているのかを考えたい:
「承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。」
詳しくはWikipediaを読んでもらえればわかるが(投げ)、確かに承認欲求があまりに大きいとお金や地位ばかりを追いかけて幸せになれないが、そもそも承認欲求自体はマズローの基本的欲求でも出てくる、人間として当たり前の欲求である。
また一般的に認知度の高い欲求である一方、その厳密な分類は多岐に渡る。(詳しくはwikiへ)
ここで、オタクの文脈で語られる"承認欲求"とは、大体以下に挙げられるものだと思われる:
これらがどのような承認欲求に当たるかというと、
にあたると考えられる。
よって本ログで以降"承認欲求"と記載した場合は、主に他者承認、対等・上位承認を示すと思ってほしい。
創作欲について、weblio辞書では以下のように定義されている:
文芸作品や絵画などの芸術作品などを創作しようという意欲や情熱を意味する表現。
つまり、なんの利害も考えず、ただ何となく創作者が自分の想いや想像を形にしてみたいと思う、その最初のシンプルな欲求を意味するのだろう。
今回のオタク言説(アンチ承認欲求)でよく出てくる、"純粋な創作欲"とは概ねこれを意味するのだろうと思う。
人が絵や小説、またその他の創作物を作り始める時は、最初はこの欲に突き動かされて作るのかもしれない。
しかし、その作品を何らかの形(SNSへの投稿など)で発表しポジティブなフィードバックが返ってくると、またそれを報酬(目的)とした創作の欲求がでてくることは、人間として至極当たり前なことではないだろうか。
これは"純粋な創作欲"からは外れて承認欲求の域に入ってしまうわけだが、創作者にとって何の問題もないし、健全な欲求として創作を推進させると思う。
これが問題になってくるとすればこの承認欲求が肥大化し、創作者の活動や心身に害を及ぼし始めた時だろう。
実際、色んな創作者(男性向け・女性向け問わず)の増田が承認欲求により破滅した旨のログを書いているし、それらを目にしたこともある。
ただそれはあくまで承認欲求(やその他の欲求、感情)がいきすぎてしまった一部の例であって、これらの例を掲げて「創作者に不純な承認欲求は不要」とまで言ってしまうと、それは本質から"ズレた"言説だなあと感じる。
ここで、創作者にとって承認欲求そのものが害かどうかという問題に加えて、「外部から求められる"創作者"の像の問題」が絡んできてもっとめちゃくちゃになる。
つまり、読み手が書き手に承認欲求の所持を認めたがらないという問題である。
こうなる原因はいくつかあると思っていて、例えば以下が挙げられる:
これらの要素が混ざり合って、「(読み手にとって)創作者は承認欲求を持ってない方が好ましいナァ」という気持ちや言葉が生まれるのだろう。
それらの読み手側の気持ちは否定しない(支持もしない)が、問題は、創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題では、承認欲求とはそもそも何か、そしてそれが誰の為に好ましくないのかという部分が曖昧なまま、なんとなく承認欲求は良くないし汚い、といった雰囲気が醸成されているところにあるのではないだろうか。
なんとなく"承認欲求"というワード自体が含蓄する否定的なニュアンスを分解しないまま、なんとなく創作者にとって承認欲求はない方が良い的な雰囲気になっているのが嫌で解体してみた。
結論としては
というありきたりなものに落ち着いたが、「創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題の解体」という目的は達成できたので、ここまでにする。
大河ドラマ「北条時宗」は和泉元彌だったわけだけどかなりの冒険じゃね?
たしかに狂言の名家の御曹司でネスカフェでダバダバダしてたといえど当時ドラマにはほとんど出演したことない人だったんだぜ?
なんかWikiとかみると他の候補者は木村拓哉、竹野内豊、中井貴一だったらしいじゃん。
もうばんばんテレビでまくっていろんな賞もらったりしてて、失礼ながらドラマ俳優としては和泉氏よりキャリアは充実してるし知名度もある人ばかり。
企画会議でキムタクと竹野内とミキプルーンと和泉元彌並んでてなかなか和泉元彌選ぼうってならないはずだし
そもそもどういう経緯をたどればこの4人が残るんだ?って選考基準がよくわからない。一貫性ないじゃん。
結果としてみれば大河主演を務めあげたわけだから結果おーらいだけどとんだ博打だったと思うし
女の子と遊んでるシーンも出てくるぞ
そこにのび太も加わってたりする
例えばこんなん
https://doraemon.fandom.com/ja/wiki/%E3%82%B4%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%81%B3
登場当時から完全に見える地雷だったから、これに依頼した人何考えてるんだ?と思った。絶対ろくな感想こねーよとも思ってたけど、感想じゃなくてただの性癖語りと自ジャンル宣伝と自分語りで予想を下回るの凄いわ
タイトルから「感想屋さんは~」でくるあたりジャンル自分濃厚でキッツイ(パロディなのはわかってるけど、特に関連性もないものパロする意味もわからんわ)
何が怖いってこれでも依頼してみようと考える人間がまだ見られる所と、依頼してなくても別ジャンル宣伝挟むから自ジャンルに被弾する可能性ある所
依頼した人のアカウントが本垢なら依頼人のジャンル捕捉されて中の人が居座る可能性もあるし
クソ映画の感想してもらおうかなwとか言ってる人も考え直した方がいいでしょ…
中身見たの?ってくらいただのwiki以下の虚無レビューが来て面白くない上に金取られて自分の本命ジャンル補足されるだけだわ