はてなキーワード: VEGANとは
ロングで長取りした映像見ても「あこりゃevil veganだ」ってなるやつや……(思いついた混ぜっ返しが当を得たためしがない、という意味で。)
欧州に住んで数年、欧州が日本よりも遅れていると感じさせられることは頻繁にあれど進んでいると思ったことはほぼないし、Veganや環境保護とかはイマイチ共感できなかった。けれど、なぜか多様性云々に関してはすごく魅力的というか「正しい事」のように聞こえた。まあ自分も小学生の頃から見た目のことで色々言われたりとかあったからかもしれない。元々政治的信条なんてなかったけれど、所謂リベラル的な思想になっていたと思う
ある日、ぶらっとエジプトへ行った。小学生の頃に家族で韓国に行ったことはあったけれどあまり覚えてないので発展途上国を体験するのは実質初めてだった。(エジプトは北アフリカだしあれでもかなりマシなはずなんだよなと思うと色々と考えさせられる)二日目あたりで「みんな平等✨」みたいな考えは消え失せていた。そもそもまず歩いているだけでこっちが差別される国で「平等✨」も何もあったものではない。
通りすがりの現地人からいきなり写真撮られたりとか、しつこい声かけとか(日本人の想像と理解の範疇を超えたしつこさなので、日本人が想像できる「しつこさ最大値」の7倍しつこいと思って欲しい。それでも足りないくらいしつこい。この世界は実は作り物で、バグったNPCだらけのところに来てしまったのではないかとすら思った。)、挙句に襲われかけたりとか、ああ……もう何も考えたくなかった。
舗装されていない道をトボトボ歩いていると、なんだかよく分からない臓物だか羊の頭部だかを焼いている店のおじさんが棒で幼稚園児くらいの子どもを叩いていた。「こんな人たちだらけの国に私は住めないなぁ」という考えが真っ白な脳の中にポツンと浮かんでいた。「そんなことを思っちゃダメだ」とも一応思ったけれど、エジプト人の圧倒的なしつこさパワーの前に、西欧によるリベラル洗脳はすごく無力だった。(でもこいつらをこの前まで支配してたってヨーロピアンってやっぱ桁外れの野蛮なんだなとか謎の納得もしていた)
正直に書くと、現地の人が本当に気持ち悪かった。
エジプトに住んでいる日本人とか、カイロ大を主席で卒業した日本人とかいるらしいけれど、シンプルにすごいなと思う。もしも日本でエジプト人と知り合ったとしても、その人が生まれ育ち日本でもない限り私はその人を絶対に信用しないだろうなと思う。エジプト人全員が詐欺師じゃないとか、旅行者にだけああなのだとか、もちろんいくらでも反論は思いつくけれど、それでも無理。自分は差別主義者だった。狭い世界しか知らなかったから綺麗事の咲くお花畑でうっとりしていられただけだったのだと気付いて悲しかった。しかもたった数日エジプト旅行するだけで気付ける簡単なことすら気付けない自分のアホさ加減にもうんざりした。
10日目、空港で帰りの飛行機を待っているときの安心感。エジプト旅行の一番楽しかった瞬間は帰りの飛行機が在住国に降り立ったときであった。
結局多様性多様性言ってる人は無知か偽善者かどちらかなんだと思った。もしかしたらそれ以外の何か(共産主義者とか?安い労働力が欲しい・かつ彼らが住んでいる地区には間違っても移民が来ないような大企業のお偉いさんとか?)があるかもしれないけれど、自分にはよく分からない。日本の多様性を増やすべきだと日本で叫んでいる日本人はエジプトかどこか(どこでもいいが)に勝手に移住してそこの多様性増加に貢献したらいいと思う。
たまたまエジプトは分かりやすかっただけで、現実、他の国であっても日本とエジプトとの差と同じくらい日本とは違うんだろうなと思う。後、エジプトのことは今もすごく嫌いだし二度と行かないけれど、それはそれとして彼らが日本より劣っているとは思ってない(むしろ向こうからは思われてそうではあるが‥異教徒だし)ただ、違うというだけのこと。
「ボスガン」じゃなくて「ヴィーガン」だ!!!VEGAN!!!ど・こ・に「ボス」の要素がある!!???!!?!?!
「AD/DA」じゃなくて「ADHD」だ!!!正式名称Attention-deficit hyperactivity disorder!!!!縮めて「ADHD」!!!!!!
「キズナナイ」じゃねぇ!!!!「キズナアイ」!!!Kizuna-A.I.で「キズナアイ」!!!!!確かに分裂騒動で絆は無かったけど!!!!!!!!
「パリコレ」じゃなくて「ポリコレ」!!!!!!!!!!!!!Political CorrectnessとParis Collectionの何処が同じか言ってみろやボケナス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
誤用をゴリ押そうとするバカがどうして増田にはたくさんいるの?別世界の住民なの?
わざと名前間違えるとか失礼すぎるよ?
安心してちょうだい元増田ちゃん。あなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。
あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論を肯定するものは無いわ。早まらないで。
功利主義に基づく倫理的ヴィーガンの観点から、あなたの誤解についてお答えするわ。
功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛と快楽の収支がプラス(快楽が苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福。
細かく言えば「苦痛と快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理の場合はもっぱらこれ。
したがって、畜産において“飼育、屠殺による動物の苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。
逆に、動物の苦痛が人類の利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。
同上
ただし、たまごや乳製品はそれ自身が苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。
例えばジャイナ教は非暴力が重要な教義の一つなので必然的に菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。
同上
衣料品の場合、動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的に肯定しがたいわね。
医薬品の場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域は動物倫理的にかなりホットよ。
功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。
動物実験における動物の苦痛と、完成した医薬品による人間の苦痛の低減。これの比較で後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。
もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。
“意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。
例えば、糧を得る唯一の方法が狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしまう場合、狩猟による動物の殺害は倫理的に正当化され得るわ。
植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮の対象ではないのよ。
ちなみに、倫理的な考慮の対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。
「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義の場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。
厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的な動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。
また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。
例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。
これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。
功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。
同上
命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義的ヴィーガンの主張に似てるかしら。
でも環境主義的ヴィーガンの場合、畜産や養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。
水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。
なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛が人間の快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。
地球温暖化に寄与している二酸化炭素は化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。
陸上の炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素が放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。
家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ、支出は炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料が副収入。
ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。
全部わかる
あら?もしかして徳倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの。
徳倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。
最近は見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。
でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。
ここまでは功利主義の観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点も考慮しなきゃ片手落ちよね。
でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。
最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義とPlant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。
うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。
ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。
けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。
良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!
辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?
私も環境主義的観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?
ヴィーガンからは偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。
(2) 勉強する
ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。
元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。
いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。
おすすめはピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。
(3) 食生活的ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃう
食事だけヴィーガン。健康目的が多い。一番気楽なタイプのヴィーガン。動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。
やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。
「ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ。
これね。
本当に毎度毎度アニマルライツやヴィーガンの話題になると同じ稚拙な反論をする人たちが次から次へと湧いてくる。
何度説明してもどこ吹く風で延々と無知の再生産がなされてる状況、いい加減どうにかならんもんかね。
という事で、ブコメにある典型的な無知や勘違いに基づく反論たちをピックアップして解説していきます。
もうさ、これに関してはヴィーガンに関するブコメ・ブログ・Twitter等様々な所で説明されてるので
知らないなら少しは自分で調べろよと。相手の意見を理解してから反論するなんてのは最低限のマナーでしょうよ。
とは言え、せっかくなので説明するとそもそもアニマルライツ運動やヴィーガンは「命を大切にしろ」なんて主張していないです。
大体「命」って何?定義できないでしょう。そんなあやふやな運動や主義ではないんですよ。(仮に一部にそういう人がいたとして決して主流ではない)
じゃあ彼らが主張しているのは何か?それはあらゆる動物における「苦痛の回避」です。
なので、必然的に対象は痛みを感じる動物、基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象の範囲についてはいくつか議論あり)
更にこの「苦痛の回避」の元になってるのは、皆さん大好きトロッコ問題でお馴染みの「功利主義」という考え方で
最大多数の最大幸福とは何か?→それは苦痛の最小化ではないか?→苦痛を感じるのは人間だけではないのでは?という発想から。
まあ、この辺については掘り下げると大分話が逸れるので、興味のある人はそれぞれで調べてくみて下さい。
とういうか「植物も~」系の反論する人って実際自分が植物の権利を主張してるわけじゃないよね?
植物に権利があると思うなら「動物も植物も共に食べるな」と主張すればいいだけだし
そんな主張する人がいない以上それは屁理屈以下の空論に過ぎず、その虎を屏風からだしてみろってな話ですよ。
- 本当に何を言ってるかわからない。その守りたいとかいう動物も他の動物しょっちゅうこれよりこれのが美味しいって種を選んで食ってるんですが…。そっちは尊い生命活動…?誰が一体ジャッジできんの…?お前…???
- 草食動物を捕食しているライオンの前で主張してほしいですね。もちろん無防備で。
- 肉食動物が他の動物を殺して食べるのは良いの? 良いならなぜ人間だけだめなの? それとも殺生全てを禁ずるの?それなら地上全ての肉食動物を束縛して代用肉与えるの? 神の代理人を気取るのは傲慢だと思うんだが。
- 人権と人権の衝突に偽装してるけど、これはあくまで人間と動物の権利の衝突。その意味でVeganの人権は侵害されてない。またアニマルライツが認められるなら、別のアニマルからもアニマルライツを守らなくてはならない
- 野生の肉食動物の前で御高説垂れとけ。
これもよくある反論なんだけど、そもそも「どうすべきか」という価値判断ってのは人間の行為への言及でしょ。
野生動物の行為に人間の価値判断を押し付けようったって不可能だよね?言葉が通じないんだから。
「人間がどう行為すべきか」の話だからこそ「人間が動物に回避可能な苦痛を与えるべきではない」と言ってるんですよ。
それに野生動物が捕食するから人間もしていいって理屈なら人間が人間を捕食しても構わない事になるけどそんなはずないよね?
ここまで説明すると次に出てくるのが「動物と植物の間に線引するなんて恣意的だ」という反論。
これも「だからなに」としか返せません。人間が人間社会にある倫理的線引をするならそれはどうやったって恣意的になるでしょ。
あなたは猫を食べますか?野菜とクジラは食べるけど猫は食べないってのは恣意的ですか?
日本には動物愛護法ってのがあり、野菜のように生きたまま茹でたり切り刻むような事を動物にしたら逮捕されるんだけど
それは恣意的だから不当な権利侵害ですか?だったら動物と植物を同等に扱えるよう主張・実践してくださいよ。陰ながら応援しますので。
- 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なものが必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。
- 他者への畜産物利用禁止強要までいくと、潔癖をこじらせて他人に押し付けようとしているようにしか見えないのだけど。「いつ自明なものでなくなるかわからない」なら、むしろ的外れじゃなく必要な反論だろう。
- 自明ではない新しい権利を獲得しようとする活動はあり得るが「そんな権利になり得ない主張のために自分の権利が侵されるのは認められない」の反対活動も当然許される。的外れとは言えないのでは。
- 権利運動するなって話じゃないし、反デモを起こすのもただの権利運動でしょ。だからどっちが正しいという話じゃない。
する権利とされない権利、侵す権利と守る権利、これらが衝突した時に後者を優先してきたのが我々の文化の進歩だったでしょ?という話。
例えば「Aが他者を侵す権利」があったとして「Bが他者に侵されない権利」があったら「Aが他者を侵す権利」が肯定された所でAはBを侵せないですよね?
で、ここで問題にされてるのは「Bが他者に侵されない権利」についてなので、「Aが他者を侵す権利」は反論にもなってなければトレードオフの関係でもないんです。
ここに関して「B本人がそれを望んだのか?ヴィーガンは第三者じゃないか」という反論があるけど
だったら子供の権利については子供が集まって主張しなければ獲得出来なかったのかと、動物には自主的に主張する術がないからこそ擁護するべきであって
子供の権利獲得を大人が主張したっていいわけですよ。権利は当事者以外が主張できないなんて勘違いは一瞬で更新してください。
あと、「動物はおかずだデモ」に関して言えば、動物の権利を主張してる人たちの前でわざわざ肉を焼いて食べるなんてのは
愛猫家の前でわざわざ「猫を食べる権利を行使」したりヌーハラが苦手な外国人の耳元で蕎麦をすすったりするようなもので
これらは権利の主張ではなく相手に不快感を与える事自体が目的となった加害行為で、ほとんど暴力だよね。
仮に2つの権利がぶつかり合い拮抗したものであったとしても、こんな明確な悪意・嫌がらせが肯定される事はないでしょう。
まあアニマルライツ(動物の権利)とアニマルウェルフェア(動物福祉)、ヴィーガンとベジタリアン、そこには実際様々な主張のレイヤーがありますよ。
なのでそれぞれに反論するには、具体的に相手がどんな主張をしているか文脈含めまず知らなければならないし、それはとても大変なこと。
でも、理解できない以前に知る気もないって言うんなら一丁噛みしてくるのはやめようよと、議論のノイズにしかならないんだから。
「生まれた時からそういう環境だったからそれが正しい」という動物的な気持ちもわからなくはない。
けどせっかく人間なんだから一定の折り合いをつけるために建設的な議論をしたってバチは当たらないでしょう。
それにはまず知ること、知ってるよって方はどうもご苦労さまでした。
押し付けんなって話じゃないの? 知らんけど
権利の衝突ではないという部分読んでいただけましたか?Aの権利自体を直接否定してるなら押し付けだけど、AとB両者の権利を肯定してるだけなので押し付けではないです。
トラバにも書きましたがAの権利はBがいないと成立しないがBの権利はAがいなくても成立する事からAとBは入れ替え可能の概念ではなく
どちらかと言えばAこそが権利侵害的だという話です。自然権など他の生得的な権利もそうだったでしょう。
ちなみにヴィーガンがその主義に基づいた生活をする事と、社会に対しアニマルライツ運動をする事の是非はまったく別なので。
よく分からんけど苦痛が回避されれば屠殺でもオッケーって主張なの? ネットの論争ってなんでもそうだけど人によって「ここが論点」つって挙げてくるものそれぞれ違って反応に困るんだよな
苦痛は屠殺だけに伴うものではないので強制給餌や狭いケージなど飼育環境の改善を社会に求めている場合がほとんどかと。
ネットに限らず例えば「保守主義者」と議論しようとしても個人によって経済・外交・安全保障などイシューごと考えは様々ですよね。
なので○○主義者個人と議論する事は可能ですが○○主義そのものについて論じようとするなら、その主義すべてを網羅する知識が必要なので研究者レベルでないと不可能でしょう。
えっじゃあ苦痛を与えなければ肉食っていいって主張なのって読めるんだけどこれ。ペットや子供への菜食強制問題とかも華麗にスルーしてるね
功利主義で扱う「苦痛」は単純な痛覚だけではなく五感・感情を含めたものです。植物にも感情がある!とか水にも感情がある!系の人はちょっとわかりません。
ペットや子供への栄養ネグレクトについてはヴィーガンだけに存在する問題ではないですよね。
植物に関してはこういうのがあります。>食べられると野菜も痛みを感じる?米国でヴィーガン論争を巻き起こした日本人研究者の大発見
「多くの人に伝えたい。だから論理的には飛躍しているかもしれませんが、「痛い」といったキャッチーな言葉を使って説明しました。」と研究者本人が言ってる通り
それお前の感想だよね? どこでそう定義されてんの? wikipedia見るだけでも「エシカル・ヴィーガニズムが動物の商品化を否定し、あらゆる目的での動物製品の使用を拒否するのに対し、ダイエタリー・ヴィーガニズム(純菜食主義)は食事から動物製品を排除するだけにとどまる。また、エンバイロメンタル・ヴィーガニズムと呼ばれる別の一派は、畜産業が環境を害しており持続可能でないなどの考えから、動物製品の使用を拒否している」ってあるけど。
さらにもうちょっと調べると日本エシカルヴィーガン協会では「ヴィーガン (vegan) とは、すべての動物の命を尊重し、犠牲を強いることなく生きるライフスタイルのこと」と定義しており、大本のThe Vegan Societyのサイトには「Veganism is a way of living which seeks to exclude, as far as is possible and practicable, all forms of exploitation of, and cruelty to, animals for food, clothing or any other purpose.」ってあるね。
嘘つきなのか無知なのか知らんけどフカすのはやめとけ。
って言われる
とりあえず超怖い
中学生のときにようやく鳩と雀になれたが今でもカラスは近くにいると泣きそうになるくらい怖いし、散歩中の犬や野良猫は見かけたら私の方から逃げる
肉類は食べれない
動物の死骸なんて恐ろしい
乳製品も無理
毛皮は
街中では頭の中で全部これはフェイクのものだ!と自己暗示している
「性格ですねぇ……」と、片付けられた
話は戻るが
「vegan」っていう単語を始めて聞いた時にとりあえず一通りはググってみた
生き方としては、全く私と一緒…だと思う
一回本来のveganの方に野良猫のボランティアに誘われたが猫を見たくないので当然断った。
そうしたらお前、動物には優しいけど人間には厳しいな!ってくらいに罵られた
veganが食生活、ライフスタイルではなく精神面での生き方の話ならば私はveganを名乗りたくない。
長々と書いたが言いたいことは
veganみたいな生活してるけど動物どうでもいい人向けの名称をくれ〜〜〜〜
とりあえず今は
「vegan?」って聞かれたら
「違う!マクロビ!」って答えてる
でもそれだと
菜食主義=ベジタリアンなんだけど、ベジタリアンの中が複雑に別れているみたい。
オボ・ラクト・ベジタリアン (Ovo-lacto-vegetarian) 乳卵菜食
乳製品と卵は食べる。
ラクト・ベジタリアン (Lacto-vegetarian) 乳菜食者
乳製品は食べる。牛の胃の消化液であるレンネット(凝乳酵素)は食べない。
オボ・ベジタリアン (Ovo-vegetarian) 卵菜食者
卵は食べる(鳥や魚介類などの違いは問わない[要出典])。無精卵に限り摂る者もいる。
乳製品・卵、蜂蜜等の動物性食品を一切食べず、食用以外の、皮革製品・シルク・ウール、娯楽等の動物使用も排除する。食用以外の動物使用を避けないヴィーガンをダイエタリー・ヴィーガン (Dietary Vegan)という。
西洋では主にヴィーガンと同義で使われるが、インド社会においてはラクト・ベジタリアンを言う。
オリエンタル・ベジタリアン (Oriental Vegetarian) 仏教系の菜食主義者
ダイエタリー・ヴィーガンの一種[19][20]で、動物性食品のほか五葷(ごくん)を摂らない。食用以外の動物利用を必ずしも避けない。
フルータリアン (Fruitarian) 果食主義者、果物常食者
ダイエタリー・ヴィーガンの一種[21]で、果物、トマト、ナッツ類等、木に実り植物の生命に関わらない食品のみを食べる(例:桃は収穫後も木は死なないが、大根は死ぬ)。より厳格に、熟して落ちた実しか食べない人々もいる。
アラフォー女。日本ベースで仕事をしているけれど、ここ10年ほど英語圏各地への出張が多い。このところ英語圏では意識の高い食事がますます流行っている気がするので、私が見た範囲のことを少々書く。なお私は平均日本人的雑食。
まずアメリカ、ドラッグストアに売ってるものは30年くらい前からあんまり変わっていないが、オーガニック系スーパーは健康志向の流行の変化に敏感で、行くたびに変化がある。この春行った東海岸某所では、虫食コーナーができてた。パリパリに乾燥させたワームっぽいのやコオロギ(イナゴ?)が袋詰めになって売ってる。エナジーバーとかチョコレートになっているのも。おみやげに買って帰ろうかと一瞬考えたけど、自分のスーツケースに入れるのにどうしても耐えられないビジュアルで諦めた。
20年くらい前に留学してた時はどろどろに溶けたほうれん草とかが食堂で出ていたものだったけど、最近はどこでも食事のクォリティは向上したなという感じ。この頃はWholefoodsのHot buffetが外れがなくて、夜に予定がないときはテイクアウトしてホテルの部屋でHGTV見ながら食べてる。おいしい。
カナダのランチミーティングでは、世代が上の人ほど肉を食べてた。日本人が想像する厚切りステーキ。私と同世代くらいから、男性もスープとサラダ。私はサーモンを頼んだけど、まわりがサラダばかりだと、倫理的視点が欠けている人と思われてそうな気になるよな(気弱な被害妄想)。
オーストラリアには5年くらい前に初めて行って、それから毎年行くようになった。オーストラリアはとにかく食事がおいしい。英語圏でも食事がおいしい国はあるんだよ!特においしいのがvegan食。オージービーフもおいしいけど、veganメニューはいつもうならされるおいしさ。野菜だけでよくあれだけ美味しくできるよね。おしゃれなお店ほどveganメニューが充実している印象。あと、オーストラリアはコーヒーも最高。来月もまたオーストラリアに出張があるので楽しみ。英語圏じゃないところにも行きたいんだけどなー、というのも本当だけど。
どこに行ってもおみやげはグラノーラを買うことにしてる。オーガニックスーパーにはたくさん種類があって面白い。日本では考えられないブレンドもあるし。たまに鳥のエサを食べてる気分にさせられるのもあって、それもまた楽しい。
意識の高い食事って、英語圏ではかなり流行してるファッションだと思う。環境への負荷とかanimal crueltyとかに対する意識は、若い世代で特に高い印象。こういう食に関する意識の高さが、なぜ日本(と、東アジア圏全域かな?)ではあまり流行らないのかというのには興味ある。