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2022-07-16

ロシアにBANされてない(かもしれない)議員リスト

やったこ

  1. https://www.mid.ru/ru/foreign_policy/news/1822249/ からBANリストを取得
  2. 機械翻訳でひとまず英語に訳す
  3. 衆議院議員ローマ字名と比較
  4. 表記揺れを目grepして弾く

余分に含まれている可能性があります

あと日本によるロシア下院議員384人に対する措置っぽいので、必ずしもBANされてない=露探というわけでもなさそうではある。

一覧

AISAWA Ichiro

AMARI Akira

ESAKI Tetsuma

ETO Seishiro

FUJIMARU Satoshi

FUKAZAWA Yoichi

FUNADA Hajime

GOTO Shigeyuki

GOTODA Masazumi

HAGIUDA Koichi

HATOYAMA Jiro

HAYASHI Motoo

HIRASAWA Katsuei

HORIUCHI Noriko

ITO Yoshitaka

IWAYA Takeshi

KAIEDA Banri

KAJIYAMA Hiroshi

KAMIKAWA Yoko

KAN Naoto

KANEKO Yasushi

KATO Ayuko

KATO Katsunobu

KIUCHI Minoru

KOBAYASHI Fumiaki

KOBAYASHI Takayuki

KOIZUMI Ryuji

KUSHIBUCHI Mari

MAEHARA Seiji

MAKI Yoshio

MAKISHIMA Karen

MITAZONO Satoshi

MOTEGI Toshimitsu

NAKASONE Yasutaka

NAKATANI Kazuma

NIKAI Toshihiro

NIKI Hirobumi

NISHIMURA Akihiro

NISHINO Daisuke

NODA Seiko

OBUCHI Yuko

OGATA Rintaro

OISHI Akiko

OMI Asako

ONIKI Makoto

ONODERA Itsunori

SAITO Tetsuo

SHIMOMURA Hakubun

SUZUKI Takako

TACHIBANA Keiichiro

TAGAYA Ryo

TAKEBE Arata

TAKEDA Ryota

TSUCHIYA Shinako

TSUKADA Ichiro

WAKAMIYA Kenji

WASHIO Eiichiro

YAMAGIWA Daishiro

YAMAGUCHI Tsuyoshi

YAMASHITA Takashi

YANAGIMOTO Akira

YONEYAMA Ryuichi

2022-07-04

南條時雨講話録 - バンド活動記録

俺は高校受験した。

丁度俺の前の席で受験していた男が話しかけてきた。

「よう、推薦入試数学はないぜ」

本当か!?俺はびっくりしたけどしょうがない。

面接が終わって帰る時、その男は、ひとつ前の受験番号だから一緒に帰った。

沖縄から受験にきたらしいけど、

沖縄訛りで何を言ってるのかよくわからなかった。

俺は合格したけど、朝起きられなかった。

から学校にはあまり行けなかった。

7月頃、学校の近くで、俺が受験した時、前にいた男と再会した。

奴は髪を立てて、ベースを持ってた。

「よう、あの時の奴だろ? 俺だいぶ前から気付いてたけど、

おめえは髪を赤く染めてるし、何となくしかけづらくてな」

俺はあまり学校に行ってなかったか

そいつが同じクラスってことにも気がつかなかった。

その時話してて、その男は俺の近所に住んでて、

クラスの奴とBUMPコピーバンドをやってることがわかった。

そいつは俺にギターBUMPコピーバンドを手伝ってくれ、と言い出した。 

俺は断り、俺が歌ってギター弾くからバンドやらねえかと誘った。

そいつ同意してバンドスタートした。

しかし、なかなかドラムが見つからず、

ベースと二人で「グリザイア」って言うクズバンドに入ろうとしたことがあった。

募集記事みて電話した相手は舐めた野郎だった。

こっちから

「やっぱりやめるわ、お前んとこ潰したるわ」

そう言って電話を切った。

こちらの募集記事みて「ドラムやってます」と言ってきた男とベースも一緒に高円寺で会った。

二人で録音した「殺意」のデモテープを聞かすと、

もっとメタルっぽいのやらないの?」と言った。

安っぽいインドカレー屋だった。俺はキレて 

「こっちはパンクドラムを探しとるんじゃ。

お前何見て電話してきたんじゃ、

カス、俺達のメシ代も払っとけ!」

そう言って二人で帰った。

何の期待もしてなかった「ぴあ」の募集記事を見て電話してきた男と会った。

そいつは、やけに暗い目つきをしてて、一発で俺とは気が合わないと感じたけど、

ドラム歴8年と大きいことを言い、割とパンクハードコアも知ってたか採用した。

何か冴え無い奴と思ったけど、3人でスタジオに行った。

その日がバンド誕生日だ。

初めて3人で、スタジオで何をしたかは憶えてないけど、

この面子でやってくことにみんな納得した。

当時、高円寺スタジオで週2回練習し、だんだん曲も増えてきた。

後はコンサートをやるだけなんだけど、俺も含めて全員知り合いが居ない訳。

当時は誰も知り合いが居なかった。

新宿JAMで消毒ギグってコンサート企画してたシンって奴が居た。

俺は奴に「殺意」のデモテープを渡して何とかコンサートに出してくれって頼んだ。

ライブハウスもすぐには出してくれなくて、昼間 オーディションを行ったりしてた。

後日、シンから電話があり

「次のコンサートも、もう決まってるし、しばらく出せない」

と言う返事だった。

俺は何かムカついて

「いいじゃねーか、Forwardみてーなバンド出すぐらいだったら、俺達の方を出せよ」

そう言ったが、奴は

「そんなこと言われる筋合いは無い」

確かそんなやりとりだった。

俺は「てめーのコンサートには出ねぇ」と言って電話を切った。

結局知り合いが居ないとコンサートにも苦労する。

俺は、ガバメントのカツタにデモテープを送った。

俺は、自分はやけに丁寧に書いたつもりの手紙も添えて送った。

数日後、カツタから電話があり

「今度のバースピに出てもらえないかなぁ」と言われ、俺はすぐに了承した。

そのことを2人に言うとみんな喜んでた。

年が明けて、1月半ばが初ライブに決まった。

初めてのコンサートからよく憶えている、下北沢SHELTERってとこだった。

それで、初ライブだけど、さっぱり受けなかった。

ステージの前だけガランとしてて客は後ろの方で観てるだけで。

この初ライブが最悪のコンサートだった

俺の次に出たガバメントはやけに盛り上がって、結局メンバーは落ち込んでたな。

けど、演奏も曲も俺らの方が上だと思ったね。他のバンドより。

そういえば、その日SlangのKOから文句を言われた。

「Slangつまんないんだって?」

俺はその通りと言いたかったけどそんな状況じゃない。

適当なことを言ってその場を凌いだ。

確かシンに電話で話した時俺は、「Slangはつまんない」って言った。

それを、KOにチクッたんだと思う。

まあ、そんな感じで最初コンサートは最悪だった。

その数日後に新宿

Gauzeのシンとバッタリ会った。

俺は電話文句を言ったけど、奴は意外にも友好的で

「今度の消毒ギグに出てほしい」と言われて、俺はすぐ了承した。

その頃こんな出来事もあった。

「これから、KOも来るから」と言われ俺は焦った。

この前、「Slangつまんないんだって?」そう言われたからね。

それから、KOが来てやっぱり友好的で、

新宿JAMでのライブのチラシ作った?」って聞かれて、

「いやまだ作ってない」そう言うと

コピー代もばかにならないから、前に俺がバイトしてたとこでコピー機借りれるから

用紙だけ買えよ」って言われた。その後KOの家に三人で行った。

結局俺はラッキーだったのか、その頃知り合ったハードコア関係の奴とは、

特に揉めたことは無い。まぁ、俺のことを嫌ってる奴もいるだろうけどね。

当時は、俺達にしても、せいぜい20分ぐらいの演奏時間だった。

それに客も今みたいに多くなかったからSlang、Gauze、Forwardと

まとまってライブをする方が得だった。

大体観に来る奴もいつも同じ様な感じだったしね。

その頃、一番面白かったライブは、東大でのオールナイトライブだ。

から考えてよく、あんイベント許可したなって思う。

かなりたくさんバンドも出たし、東大学生ともめて、ガラス壊したり、

テント倒したり楽しかったな。

あれは学園祭の一部だったんだ。オールナイトから

セッションバンドとかも出たり、

俺がヴォーカルで、Poison Arts、Gism、Executeの曲をカバーしたりした。

その後、俺達も順調に活動してて、ある日、P-Vineからレコードの話が舞い込んだ。

結局、レーベルからの条件は、

バンド側がテープCDを渡す」

「1バンド1万円かCD10枚どっちか」だったと思う。

1万円より安かったかもしれない。俺はそれを聞いて頭にきた。

そんなもん売れるに決まってる。

てめぇのとこで宣伝して費用プレス代とジャケット代だけだから

俺はP-Vineの儲けに加担したくない。

レコードなんてものは出せばいいってもんじゃない。

それなりに金がかかるわけだから報酬は当然だ。

それがバンドと聴いてる奴との基本的関係だと思う。

金なんて関係ないって見栄張る奴はきれいごと言いのクズだ。

メンバーも俺の考えに納得した。

この件で俺達は1stシングルリリースする決心を固めた。

その頃はけっこう楽しかったね。

ある時ドラムと揉めたことがある。

ベースと二人で高円寺の小さなロックバーで「腹減ったなあ」と話していたら、

知らない男が話しかけてきて、俺達の飲み大全部払ってくれて、

「これからいいところへいかいか」って言った。

ビビりながらついてくと、荻窪のでっかい十字架のある小さな教会に連れて行かれた。

神父ってやつが出てきて、「この方は何百万も寄付してくれている」って笑いながら礼拝堂へ連れて行った。

そこで服を着替えさせられて、

ハレルヤ早口つぶやきなさい。うまく言えなくなるでしょう、

その時イエスあなた方に宿ってるのです。」

と言われ、「ふざけんな、そんなもん、早口で言えるわけねぇだろ」

そう思ったけど、メシおごってもらわないとどうにもならないからね。

なんか、RAPTとかそんな名前宗教だったのかよくわからないけど。

そのことを、練習の時に話したらやけにドラムがぶつぶつ文句をいいだした。

俺も笑い話程度のつもりで言ったんだけど、だんだんムカついて練習やめて帰った。

その日のうちに、ドラムから 悪かったって電話があったけど、

その辺を境に俺とドラムは疎遠になっていった様に思う。

それと、あるライブベースドラムに蹴りを入れて、ドラム演奏中に帰ったこともあった。

確かその日は、みんななぜか機嫌が悪くて

2曲目か3曲目の途中でベース

気合いを入れる為にベース背中を蹴った。ドラムはムカついてすぐ居なくなった。

ドラムが居ないんだったらもう演奏は出来ない。それで途中で中止となった。

俺もムカついたけどとりあえず、ベースと二人でドラムの家に行った。

多分その辺のこともあってドラムバンドをやめようと決めたと思う。

その年の11月、1stシングル悪魔のざわめき」のレコーディングを行った。

まぁ、そんな大袈裟もんじゃないけど。

新宿JAMってスタジオで、各パートバランスを決めて一発録り。

それから、どのテイクにするかみんなで決めて、

俺がプレス会社に持って行ってプレスした。

全部で300枚リリースした。

すぐにリリースたかったけど、制作費はメンバーの持ち寄りだから

1月にリリースした。

問題流通だ。

けど、俺にはひとつの考えがあった。

こっちで作ったレコードを店に置いてもらう場合販売価格の数十%を

手数料として店に取られる。

買えない奴は通販で直接売ればいい、そう思った。

本当に欲しかったらどうしても手に入れるだろ?

それにたった300枚プレスだし。

店に数十%パクられるのもムカつくしね。

レコーディングから数日後、甲府ライブを演った。

これは東京以外の場所での最初コンサートだった。

甲府では地元の奴が動いてくれてFMの公開番組にも出演した。

ハードコアパンクって何ですか?」

そう質問されて、俺は、

「愛だよ」そう答えた。

12月の終わり、関西ツアーに行った。

まぁライブも楽しかったけど、

俺はこのツアーあんまりメンバーとしゃべってないように思う。

それに、ライブの無い日は一人で大阪万引に行ったりして、

ほんと他の2人とあんまりしゃべってないな。

年が明けてやっと1stシングルリリースした。

その頃ドラムから電話があった。

「俺、やめるわ」

俺は、引き止めることなく、「そうか、しょうがねぇよな」そんなふうに答えたと思う。

ドラムは色んなとこでバンドを抜けるって言ってたから。

とりあえず、ドラムは脱退した。

ドラムが抜けてドラム募集広告を「ぴあ」とかに載せた。

丁度、関西ツアーの話しを受けてて、

早く新しいドラムを見つけないといけなかったからね。

から見つかる間は東京ライブを演ってないし、

ストレスたまる日が続いた。

最悪ドラムマシンで2人で再活動しようかと思ってた。

ところで、俺は茨城出身だけど、地元ドラムをやってるやつがいた。

俺はそいつと話して「ドラムを一ヶ月手伝ってくれないか?」そう言った。

奴にしてもバイトはやめないといけないし、キツイ話だ。

結局了解して、東京まで来た。

それで、スタジオで演ってみたら、まるで出来ない訳。

大阪からわざわざ来させたし、俺も困った。

さら帰れとは言えないしね。

一番大変だったのはドラム本人だ。

奴のプレッシャーは桁外れで、毎日ずっとドラム練習していた。

早い話、俺らとそいつとではレベルが違った訳。

そいつのおかげで、京大西部講堂、それと大阪で二回のライブを無事に演れた。

あと、書こうと思ってて忘れてたことがあるので書く。

それは写真について。

他のバンドと比べて雑誌での写真が少ないと思うかもしれないけど、理由がある。

music magazineが「日本ハードコアバンド特集をするからインタヴューを受けて欲しい。」って。俺は了承した。

その取材写真が欲しいと言われた。俺は即座に拒否した。

music magazine側は食い下がって

「他のバンドは全部写真撮影終わってるんです。

バンドだけ写真が無いのもおかしいでしょう。」そう言った。

他のバンド写真を載せるなら

なおさら載せたくない。

連中は「それならコンサート写真はどうですか?ちょうど、この後のライブ写真を撮ります

後日選んでもらったのを載せますから。」

俺はさらに態度を硬化させ、

演奏中の写真撮影絶対に認めない。

ライブは観るもので、写真を撮ったり録音するもんじゃねぇーんだよ。」

連中は折れた。music magazineを見たら

時雨バンドポリシーとして写真掲載拒否した。」

そう書いてあった。俺にはそんなポリシーは無い。

奴らはメジャー雑誌で、マイナーバンドのくせに

言うことを聞かなかったことが悔しかったんだ。

はいいなりになる様なやわな奴じゃない。

それ以降、写真嫌いが定説となったけど、ライブでの撮影は見つけ次第やめさせた。

理由上記の通り。

関西でのライブも終わってドラムバンドを離れた。

ツアー中に話し合って「殺意」のリリースを決めた。

けど、まずはドラムを早く見つけることだ。

レコーディングも決まって、けどドラムは見つからなかった。

新宿JAMレコーディングを行った。

俺達にとって、初めての本格的なやつだ。

一発録りじゃないって意味でね。

結論から先に言うとこれは完全に失敗作だ。

ミックスミスだった。

初めてだったし、録音中はでかい音だし、

パートバランスまで、プレイバックの音が大きいから分からなかった。

演奏も良く無いし、まぁレコーディングが終わって

テープダビングしてもらったやつを家で聴いて愕然とした。

けどこの失敗作から学んだこともある。

それはそれ以降のレコーディングに生かされたと思ってる。

ついでだから、俺のギターについて書く。

実は俺のギター演奏したのは2回目のコンサートからで、

それ以前は借りたギターだった。

エフェクターはこれも借りたもので、

イシバシ楽器オリジナルの2000円ぐらいのだった。

ただしこのディストーションノイズは凄いけど音は良くて

ベースが辞めた後も壊れるまで使った。

ハードコアの頃のアンプのセッティング

トレブルとミドルは7、ベースは4だった。

その年の夏、ドラムから電話があった。

奴は「バンドに入りたい。一緒に演ってから

ほかじゃ物足りなくて東京に行きます。」そんな内容だった。

これでニ代目のドラムが決まった。

その後、活動を再開してたある日電話がかかり

ハードコアオムニバスリリースするんだけど、

是非参加してもらいたいんだけど。」

俺はすぐに了承した。

この時のレコーディングは前回の失敗もあったから、かなり考えた。

殺意」のギターは4本ダビングしてある。

途中でハウリングが耳につくけど、ハウリングも好きだからそのままにした。

ダビングしたことが分かる様に。

レコーディングが終わって、静岡ライブの話が来てその時、問題が起こった。

ライブの後、いたれりつくせりで俺達は上機嫌だった。

確かスナックに連れてってもらった時そこで俺とドラムがささいなことで喧嘩になった。

お互い酔ってたから殴り合いになった。

「てめぇが一番ムカつくんだよ!」俺はそう叫んだ。

それから主催者の家に泊めてもらって次の日帰った。

帰りの車の中は最悪だった。

誰も口をきかないしシーンとしてた。

帰ってからドラムベース電話して

時雨抜きでバンドを演ろう」と言ってたらしい。

けど奴の目論みははずれた。

その結果ドラムは抜けざるを得なかった。まぁクビってことだ。

それと同時に色々メンバー募集もしてけど、ドラムは決まらなくてね。

からコンサートが決まると誰かヘルプを探して、けどへたな奴では無理だしね。

ドラムをクビにしたのが11月だったか

それで、12月に確かガーダシルと2バンド

下北沢屋根裏ライブの予定があった。

それでガーダシルドラムサポートを頼んだ。ちょっと記憶が定かじゃないけど。

その辺から、都合がよければそいつドラムを頼む様になった。

そいつは手数の多いドラマーだったし、

俺はそいつガーダシルドラムを演ってるのがもったいないと思ってたしね。

その次のライブは、年が明けて3月屋根裏でのハードコアオールナイトライブだった。

この時もガーダシルドラムサポートを頼んだ。

からこの時期の記憶はかなり薄いね

話は変わるけど、「記憶の奥の悲哀情」って曲はかなり前からあった。

まぁ、ハードコアっぽく無いけど、

それは俺の音楽遍歴にも「記憶の奥の悲哀情」を作った理由がある。

俺はレコードマニアで、

俺と直接付合いのある奴ならよく分かってるだろう。

詳しく書くとかなり長くなるから省略するけど、

まず初めてショックだったのはSex Pistolsだ。

ウィンザー家とか、イルミナティ悪口を気軽に歌にしているのが衝撃的だった。

パンクミュージックそれから先、

現在の俺の基本的姿勢を作ったと思ってる。

現在も俺の基本は全然変わって無い。

それは"反抗"だ。

まぁ俺は子供の頃から常に反抗的なガキだったけどね。

けど俺はいまだに反抗心って大事だと思う。

これを読んでる奴も反抗することを忘れないで欲しいね

特に理由なんて要らない。

イルミナティになぜか逆らいたくなる、それで充分じゃない?

俺は今でもそんなガキだ。

話がそれたけど、その次がDischarge理由は分かるよね?

次に注目したのはグランジだ。

その中でも俺にとってDischarge並に衝撃的だったのは

RYOTA BAND、al.ni.co、亜矢、秋吉契里だった。

ハードコアパンクも好きだったけど、

Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなんかのヴィジュアル系も好きだったし、

そっちの方にかなり傾いていったのは確かだ。

春ごろ、3rdPermalink | 記事への反応(0) | 03:28

2022-07-02

南條時雨 講話録 音楽との出会い

音楽との出会い

俺は幼い頃、音楽なんて全く聴いたことがなかった。

音楽に全く興味がなく、歌も教科書に乗っていた、滝廉太郎「花」ぐらいしか知らず、その歌を、閉鎖的な学校世界から抜け出したくて、窓の外に向け、怒鳴ったりしていたくらいだった。

ああ、そうだ、忘れていた。遊戯王エンディング曲明日もし君が壊れても」が好きだったんだ。

もちろんアニメ版しかいたことがなかった。

そういうわけで俺は、全く音楽を聞いていなかった。音楽って「大人が聞くもの」ってイメージがあったし、なんか恥ずかしくて。だから聞こうとも思わなかった。

歌に音程があるということすらも理解できず、楽譜を見ても、歌詞の上に、なぜ音符が書かれているのか、全く意味不明だった。

音楽の授業中、教師に「旋律ってなんですか?」と聞いても「旋律旋律だ」としか答えてもらえず、学ぶ気も、木っ端微塵に消え失せていた。

ある日俺は、授業をサボって、コンピュータ室に忍び込み、動画サイトを見ていた。

そして、訳も分からず、BUMP OF CHICKENの「ダンデライオン」の動画を見た。

その動画の内容は、歌に合わせてファイナルファンタジー画像コラージュした、紙芝居のようなチープでつまらない動画だった。

しかし、その曲の、今まで耳にしたことのない疾走感が、異様なまでに響いてきた。高速で演奏する音楽存在するということ自体、知らなかったのだ。

その時、俺は確信した。

「俺は歌を歌うだろう。」

それ以来、BUMP OF CHICKENの歌をネットで探し、聞く日々が続いた。他の音楽を聞こうとは全く思わなかったのだ。

その後、BUMP OF CHICKENなどの共通趣味のある、滅茶苦茶ヤンキーな奴と仲良くなった。

そしてある日、その友人のブログを見ると「元祖ハイブリットレインボウ」という記事があり、そこには動画が添付されていた。

訳も分からず見てみると、BUMP OF CHICKENとは比べ物にならない小さな会場で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」が演奏されていた。

それを見て「サラリーマン休日演奏しているコピーバンドか」と思っていた。

数日後に知ることとなるが、それがthe pillowsというバンドで「ハイブリットレインボウ」は、BUMP OF CHICKENの曲ではなく、the pillowsの曲で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」はthe pillowsカバー曲だったのだ。

そして俺は、the pillowsの歌にのめり込み、学校勉強テスト無視し、音楽を聴き漁った。the pillowsにも飽き足らず、そのメンバーがやっていた他の音楽であるペルシャ、SUPERBAD、コインロッカー・ベイビーズKENZI & THE TRIPS、Theピーズや、その流れで知った佐野元春、Roosters,noodlesBugy CraxoneBlondie Plastic Wagon、フィッシュマンズNirvanaなど、どれも気に入った。

そして、その中でも特に気に入ったのが、THE POGOだった。

THE POGOの「EAT IT」や「SUCH IS LIFE」などの暴力性、疾走感に痛く衝撃を受け「俺の求めていた音楽はこれだ」と思った。

そして、THE POGOの小河原良太の他の音楽、The305、RYOTA BAND、JIGHEADにも衝撃を受けた。

ここまで痛い歌詞、痛い声で歌っている歌手は、未だ、聞いたことがない。

その後俺は、パンクルーツを知りたくなり、Sex pistolsThe ClashThe DamnedJohnny Thunders、Iggy & The Stooges、MC5The Velvet Undergroundなどを聞いた。もちろん、当時気に入ったのは、高速で演奏する、The Damnedだった。それに、もちろん、Minor ThreatDischarge、G.B.H、Exploited、Chaos U.K.、Disorderなどのハードコア・パンクも聞いた。Sex PistolsやCRASSといったパンクに関しては、音楽よりも、アートワーク面で影響を受けることとなる。ろくに学校も行かなかった俺は、絵もかけないし、字も書けない。俺は幼少期から自由を求め、枠に収まることを魂が拒否していたのか、塗り絵を渡されても、ビリビリに破いて捨て、クレヨンは粉々に砕き、放棄していた。それに、コラージュのほうが、ただ絵を書くよりもより複雑でカッコいいものができると確信があった。よって、俺のレコードジャケットは、切って貼る、コラージュ形式となった。そして俺は思った。GISMやCarcassなど、「ただグロテスクなだけのコラージュ」を作ってもつまらない。かと言って、ありがちなかわいいだけ」のレコードジャケットもつまらない。俺が納得行くものが良い。だから俺は、「グロテスク」と「かわいい」を両立したレコードジャケット表現方法を作り上げ、コラージュ業界でもトップといえる才能を発揮することとなった。糊、カッターナイフPhotoshopという発明感謝する。

そして俺は、奇形児、The Comes、LSD、まつじ、臨終懺悔、白Kuro、tranquilizer、Poison Artsなどのハードコア・パンクものめり込むこととなる。

授業を聞かないで、学校の机に、奇形児シングルジャケットの絵を書いたりしていた。

同時に、ロックバンドなどの名前が誰かの机に書いてあると、ムカついて消しゴムで消したり、給食時間強制的流れるくだらない音楽も、消したりしていた。

その時もうすでに俺は「俺がハードコア・パンクアーティストであることは自覚していた。

その後俺は、GastunkThe Execute、Geizz、Asylum、G-Schmittなどの影響で、ヴィジュアル系ものめり込んだ。

だが、黒夢を聞いたとき、当時としてはあまりに衝撃的な歌詞の内容的に「聞かないほうが良いかな」と思い、黒夢からは離れた。

その後、たまたまレコードジャケットの美しさに惹かれ、Madeth gray'llの「血染め喜劇」というカセットテープを聞いた。

一瞬しか聞かなかったが、「一瞬しかいたことのないはずの黒夢」の「影響下にある音楽であるということが、「一瞬にして」わかった。

それ以上聞かなかったが、後日、また気になりだし、聞き返してみると、あまりのカッコよさに衝撃を受け、Madeth gray'llのその他の音源も全て聞き、中でも、デモテープ全曲と、デモテープ以前にリリースされた「廃人狂イ人形」と「Entith de Marge」も気に入った。

そして、ヴィジュアル系レコード店の店長に「他にもMadeth gray'llみたいな音楽いか?」と聞くと、「Aliene Ma'riageはもう知ってるもんねぇ」と言われた。知らなかったので、Aliene Ma'riageの「傀儡人形」という曲を聞いてみた。最初悲鳴だらけの音楽形式に、わけがからず、理解できなかったが、他の曲も聞いて行くうちに好きになり、その後、Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなどの無数のヴィジュアル系アーティストに影響を与えたであろう黒夢も気になりだし、初期音源を聞き、最終的には全曲聞いた。

黒夢と双璧をなす90年代初期のヴィジュアル系アーティストであるMalice Mizerに関しては、「Malice Mizerってなんかすごいらしい、けど何が良いの?」と思っていたが、Gacktボーカルになる前の初期の曲を聞いてみると、歌声や曲のカッコよさに衝撃を受けた。実は、それ以前にもそのレコードは一瞬だけ聞いたことがあった。その時、Madeth gray'llなどのようにノイズギター叫びがあることを期待して聞いたので、即停止してしまっていて、良さに気づくことができなかったのだ。

俺が日々音楽にのめり込む中、学校の連中はくだらないロックバンド燃え上がり、俺と世間との差は、日に日に乖離していった。その無限に開いた距離感は、どうにも埋めることはできなくなっていた。従うことや、自分を周りに合わせるだけのカメレオン能力しか無い画一的ロボット連中にも、嫌気が差していた。

音楽をしようにも、楽器もなく、なにもできない日々が続いていた。

そして俺は、全くの闇の中にいた。すべての出口はふさがれてしまっているように思えた。

俺はごろっと横になって、見るともなくテレビを見ていた。テレビ番組は、どれもこれも面白くなかった。

俺は、何気なくチャンネルを回した。

まらないお笑い番組だった。そこで、尾崎豊という歌手が紹介されていた。

有名な歌手だが、なぜか、全く聞いたことがなかった。

訳も分からず、とりあえず一曲新宿ルイード演奏された「十七歳の地図」を聞いてみた。聞いた瞬間「佐野元春の影響下にある音楽」だとわかった。

その直後、古本屋に駆け込み、アルバム十七歳の地図」を聞き、共鳴した。

「俺は何を馬鹿げた真似をしていたんだろう?」

俺は「訳も分から高校へ推薦入学」していたが、無駄しかないことを悟り、次の日、高校に退学届を出し、有害しか無い高校生活に終止符を打った。

そして、自由時間ができた俺は、ずっとやりたかった音楽活動に突入することとなる。

そうだ。俺は初め、軽音楽部に入ろうとしていた。しかし、そこで演奏されていたMONGOL800の「小さな恋のうた」に絶望し、入部を断念していたのだ。俺がやりたかったのは、芸術的で、反逆的な音楽だった。それは、俺が初めて大音量演奏される音楽を聞いた経験となったがわけだが、非常に残念な気持ちになったのを覚えている。

そして、まず、曲を書くには楽器必要だと思い、ギターを買おうと思った。だが、金は持っていなかった。華奢な俺は、楽器屋にあった一番軽いギターであるSGを盗んだ。しかし、SGの太い音だけじゃ物足りない、グランジヴィジュアル系などの「繊細な部分」が表現できないので、軽くて細い音の出るムスタングを追加で盗んだ。それに、音楽にはベース必要だ。どれが軽いベースなのか?考えている時間が勿体ない、なので、定番そうなジャズ・ベースを盗んだ。最初調弦も、ドレミも、和音もわからず、ただただThe KinksLink Wrayのように、楽器破壊するだけだった。しかし、それでは音楽にならない。とりあえずThe Executeの「Answer」でドレミを覚え、いろいろと楽譜を調べたが、俺の演奏しようとしている、パンクヴィジュアル系楽譜はなかなか見つからなかったので、とりあえず、ヴィジュアル系に影響を与えたとされる、中森明菜西城秀樹などの曲の和音を調べ、和音を抑える指の形や、構成する音や調という概念を覚えた。そして、カバーコピーよりも、まず先に、曲を書いた。そうしなければ、その他大勢の、腑抜けロックバンドオタクや、ギターオタクのような愚者へと成り下がってしまうからだ。そこで俺の書いた歌の演奏形式は、もちろん、パンクを軸とした、ハードコア・パンクグランジヴィジュアル系形式だった。その頃に書いた歌は「狂人道化人形」「悪魔のざわめき」「血染めマリア」「激情狂言」「忘れかけた記憶」「記憶の奥の悲哀情」などの曲で、今でも俺の代表曲となっている。

だが、曲を書いても録音できなければ、意味がない。自分で聞くにも、人に聞かせるにも、録音する必要があるわけだ。今までにない音楽自分でも聞きたい、今までにある音楽形式でも、もっといい曲で聞きたい。たとえば、ハードコア・パンクだったら、もっとメロディアス洗礼されたものにしようとか、グランジだったら、もっと強弱を強調して、本当のグランジらしさを表現しようとか、明確なヴィジョンが合った。そんなわけで俺は、リサイクルショップに駆け込み、Tascamの8トラックカセットマルチトラックレコーダーを盗んだ。

最後必要なのはドラムだ。だが、ドラムなんて大きくて盗めないし、置く場所がない。というわけで、とりあえずリサイクルショップにあったドラムマシンの、Linn Drumを盗んだ。それに、Madeth gray'llEcho & The Bunnymen、椎名林檎デモテープ、The Sadist、Sly & The Family Stone、Big Black佐野元春Lolita℃、秋吉契里、トモコDEATHなど、ドラムマシン使用したレコードも聞き好んでいた俺にとっては、むしろドラムマシンの方がいいや」ぐらいの感じだった。

それから俺は、Arrested Developmentや、いとうせいこうなどのHip Hopも聞いていたし、効果音演奏できない音はサンプリングということで、切って貼ることにした。俺の曲がサンプリングまみれなのは、そのためだ。聞いている人からするとそこまで耳を澄まして聞く人は少ないのが残念ではあるが。

そして俺はマルチトラックレコーダーに唄を録音する日々が続く・・・

https://www.youtube.com/channel/UCO29z-HlfG0wB430EVsw92g/videos

2022-06-26

南條時雨 講話録 音楽との出会い

俺は幼い頃、音楽なんて全く聴いたことがなかった。

音楽に全く興味がなく、歌も教科書に乗っていた、滝廉太郎「花」ぐらいしか知らず、その歌を、閉鎖的な学校世界から抜け出したくて、窓の外に向け、怒鳴ったりしていたくらいだった。

ああ、そうだ、忘れていた。遊戯王エンディング曲明日もし君が壊れても」が好きだったんだ。

もちろんアニメ版しかいたことがなかった。

そういうわけで俺は、全く音楽を聞いていなかった。音楽って「大人が聞くもの」ってイメージがあったし、なんか恥ずかしくて。だから聞こうとも思わなかった。

歌に音程があるということすらも理解できず、楽譜を見ても、歌詞の上に、なぜ音符が書かれているのか、全く意味不明だった。

音楽の授業中、教師に「旋律ってなんですか?」と聞いても「旋律旋律だ」としか答えてもらえず、学ぶ気も、木っ端微塵に消え失せていた。

ある日俺は、授業をサボって、コンピュータ室に忍び込み、動画サイトを見ていた。

そして、訳も分からず、BUMP OF CHICKENの「ダンデライオン」の動画を見た。

その動画の内容は、歌に合わせてファイナルファンタジー画像コラージュした、紙芝居のようなチープでつまらない動画だった。

しかし、その曲の、今まで耳にしたことのない疾走感が、異様なまでに響いてきたのだ。

その時、俺は思った。

「俺は歌を歌うだろう。」

それ依頼、BUMP OF CHICKENの歌をネットで探し、聞く日々が続いた。他の音楽を聞こうとは全く思わなかったのだ。

その後、BUMP OF CHICKENなどの共通趣味のある、滅茶苦茶ヤンキーな奴と仲良くなった。

そしてある日、その友人のブログを見ると「元祖ハイブリットレインボウ」という記事があり、そこには動画が添付されていた。

訳も分からず見てみると、BUMP OF CHICKENとは比べ物にならない小さな会場で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」が演奏されていた。

それを見て「サラリーマン休日演奏しているコピーバンドか」と思っていた。

数日後に知ることとなるが、それがthe pillowsというバンドで「ハイブリットレインボウ」は、BUMP OF CHICKENの曲ではなく、the pillowsの曲で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」はthe pillowsカバー曲だったのだ。

そして俺は、the pillowsの歌にのめり込み、学校勉強テスト無視し、音楽を聴き漁った。the pillowsにも飽き足らず、そのメンバーがやっていた他の音楽であるペルシャ、SUPERBAD、コインロッカー・ベイビーズKENZI & THE TRIPS、Theピーズや、その流れで知った佐野元春、Roosters,noodlesBugy CraxoneBlondie Plastic Wagon、フィッシュマンズNirvanaなど、どれも気に入った。

そして、その中でも特に気に入ったのが、THE POGOだった。

THE POGOの「EAT IT」や「SUCH IS LIFE」などの暴力性、疾走感に痛く衝撃を受け「俺の求めていた音楽はこれだ」と思った。

そして、THE POGOの小河原良太の他の音楽、The305、RYOTA BAND、JIGHEADにも衝撃を受けた。

ここまで痛い歌詞、痛い声で歌っている歌手は、未だ、聞いたことがない。

その後俺は、パンクルーツを知りたくなり、Sex pistolsThe ClashThe DamnedJohnny Thunders、Iggy & The Stooges、MC5The Velvet Undergroundなどを聞いた。もちろん、当時気に入ったのは、高速で演奏する、The Damnedだった。それに、もちろん、Minor ThreatDischarge、G.B.H、Exploited、Chaos U.K.、Disorderなどのハードコア・パンクも聞いた。Sex PistolsやCRASSといったパンクに関しては、音楽よりも、アートワーク面で影響を受けることとなる。ろくに学校も行かなかった俺は、絵もかけないし、字も書けない。俺は幼少期から自由を求め、枠に収まることを魂が拒否していたのか、塗り絵を渡されても、ビリビリに破いて捨て、クレヨンは粉々に砕き、放棄していた。それに、コラージュのほうが、ただ絵を書くよりもより複雑でカッコいいものができると確信があった。よって、俺のレコードジャケットは、切って貼る、コラージュ形式となった。そして俺は思った。GISMやCarcassなど、「ただグロテスクなだけのコラージュ」を作ってもつまらない。かと言って、ありがちなかわいいだけ」のレコードジャケットもつまらない。俺が納得行くものが良い。だから俺は、「グロテスク」と「かわいい」を両立したレコードジャケット表現方法を作り上げ、コラージュ業界でもトップといえる才能を発揮することとなった。糊、カッターナイフPhotoshopという発明感謝する。

そして俺は、奇形児、The Comes、LSD、まつじ、臨終懺悔、白Kuro、tranquilizer、Poison Artsなどのハードコア・パンクものめり込むこととなる。

授業を聞かないで、学校の机に、奇形児シングルジャケットの絵を書いたりしていた。

同時に、ロックバンドなどの名前が誰かの机に書いてあると、ムカついて消しゴムで消したり、給食時間強制的流れるくだらない音楽も、消したりしていた。

その時もうすでに俺は「俺がハードコア・パンクアーティストであることは自覚していた。

その後俺は、GastunkThe Execute、Geizz、Asylum、G-Schmittなどの影響で、ヴィジュアル系ものめり込んだ。

だが、黒夢を聞いたとき、当時としてはあまりに衝撃的な歌詞の内容的に「聞かないほうが良いかな」と思い、黒夢からは離れた。

その後、たまたまレコードジャケットの美しさに惹かれ、Madeth gray'llの「血染め喜劇」というカセットテープを聞いた。

一瞬しか聞かなかったが、「一瞬しかいたことのないはずの黒夢」の「影響下にある音楽であるということが、「一瞬にして」わかった。

それ以上聞かなかったが、後日、また気になりだし、聞き返してみると、あまりのカッコよさに衝撃を受け、Madeth gray'llのその他の音源も全て聞き、中でも、デモテープ全曲と、デモテープ以前にリリースされた「廃人狂イ人形」と「Entith de Marge」も気に入った。

そして、ヴィジュアル系レコード店の店長に「他にもMadeth gray'llみたいな音楽いか?」と聞くと、「Aliene Ma'riageはもう知ってるもんねぇ」と言われた。知らなかったので、Aliene Ma'riageの「傀儡人形」という曲を聞いてみた。最初悲鳴だらけの音楽形式に、わけがからず、理解できなかったが、他の曲も聞いて行くうちに好きになり、その後、Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなどの無数のヴィジュアル系アーティストに影響を与えたであろう黒夢も気になりだし、初期音源を聞き、最終的には全曲聞いた。

黒夢と双璧をなす90年代初期のヴィジュアル系アーティストであるMalice Mizerに関しては、「Malice Mizerってなんかすごいらしい、けど何が良いの?」と思っていたが、Gacktボーカルになる前の初期の曲を聞いてみると、歌声や曲のカッコよさに衝撃を受けた。実は、それ以前にもそのレコードは一瞬だけ聞いたことがあった。その時、Madeth gray'llなどのようにノイズギター叫びがあることを期待して聞いたので、即停止してしまっていて、良さに気づくことができなかったのだ。

俺が日々音楽にのめり込む中、学校の連中はくだらないロックバンド燃え上がり、俺と世間との差は、無限乖離していった。従うことや、自分を周りに合わせるだけのカメレオン能力しか無い画一的ロボット連中にも、嫌気が差していた。

音楽をしようにも、楽器もなく、なにもできない日々が続いていた。

そして俺は、全くの闇の中にいた。すべての出口はふさがれてしまっているように思えた。

俺はごろっと横になって、見るともなくテレビを見ていた。テレビ番組は、どれもこれも面白くなかった。

俺は、何気なくチャンネルを回した。

まらないお笑い番組だった。そこで、尾崎豊という歌手が紹介されていた。

有名な歌手だが、なぜか、全く聞いたことがなかった。

訳も分からず、とりあえず一曲新宿ルイード演奏された「十七歳の地図」を聞いてみた。聞いた瞬間「佐野元春の影響下にある音楽」だとわかった。

その直後、古本屋に駆け込み、アルバム十七歳の地図」を聞き、共鳴した。

「俺は何を馬鹿げた真似をしていたんだろう?」

俺は「訳も分から高校へ推薦入学」していたが、無駄しかないことを悟り高校に退学届を出し、有害しか無い高校生活に終止符を打った。

そして、自由時間ができた俺は、ずっとやりたかった音楽活動に突入することとなる。

そうだ。俺は初め、軽音楽部に入ろうとしていた。しかし、そこで演奏されていたMONGOL800の「小さな恋のうた」に絶望し、入部を断念していたのだ。俺がやりたかったのは、芸術的で、反逆的な音楽だった。それは、俺が初めて大音量演奏される音楽を聞いた経験となったがわけだが、非常に残念な気持ちになったのを覚えている。

そして、まず、曲を書くには楽器必要だと思い、ギターを買おうと思った。だが、金は持っていなかった。華奢な俺は、楽器屋にあった一番軽いギターであるSGを盗んだ。しかし、SGの太い音だけじゃ物足りない、グランジヴィジュアル系などの「繊細な部分」が表現できないので、軽くて細い音の出るムスタングを追加で盗んだ。それに、音楽にはベース必要だ。どれが軽いベースなのか?考えている時間が勿体ない、なので、定番そうなジャズ・ベースを盗んだ。最初調弦も、ドレミも、和音もわからず、ただただThe KinksLink Wrayのように、楽器破壊するだけだった。しかし、それでは音楽にならない。とりあえずThe Executeの「Answer」でドレミを覚え、いろいろと楽譜を調べたが、俺の演奏しようとしている、パンクヴィジュアル系楽譜はなかなか見つからなかったので、とりあえず、ヴィジュアル系に影響を与えたとされる、中森明菜西城秀樹などの曲の和音を調べ、和音を抑える指の形や、構成する音や調という概念を覚えた。そして、カバーコピーよりも、まず先に、曲を書いた。そうしなければ、その他大勢の、腑抜けロックバンドオタクや、ギターオタクのような愚者へと成り下がってしまうからだ。そこで俺の書いた歌の演奏形式は、もちろん、パンクを軸とした、ハードコア・パンクグランジヴィジュアル系形式だった。その頃に書いた歌は「狂人道化人形」「悪魔のざわめき」「血染めマリア」「激情狂言」「忘れかけた記憶」「記憶の奥の悲哀情」などの曲で、今でも俺の代表曲となっている。

だが、曲を書いても録音できなければ、意味がない。自分で聞くにも、人に聞かせるにも、録音する必要があるわけだ。今までにない音楽自分でも聞きたい、今までにある音楽形式でも、もっといい曲で聞きたい。たとえば、ハードコア・パンクだったら、もっとメロディアス洗礼されたものにしようとか、グランジだったら、もっと強弱を強調して、本当のグランジらしさを表現しようとか、明確なヴィジョンが合った。そんなわけで俺は、リサイクルショップに駆け込み、Tascamの8トラックカセットマルチトラックレコーダーを盗んだ。

最後必要なのはドラムだ。だが、ドラムなんて大きくて盗めないし、置く場所がない。というわけで、とりあえずリサイクルショップにあったドラムマシンの、Linn Drumを盗んだ。それに、Madeth gray'llEcho & The Bunnymen、椎名林檎デモテープ、The Sadist、Sly & The Family Stone、Big Black佐野元春Lolita℃、秋吉契里、トモコDEATHなど、ドラムマシン使用したレコードも聞き好んでいた俺にとっては、むしろドラムマシンの方がいいや」ぐらいの感じだった。

それから俺は、Arrested Developmentや、いとうせいこうなどのHip Hopも聞いていたし、効果音演奏できない音はサンプリングということで、切って貼ることにした。俺の曲がサンプリングまみれなのは、そのためだ。聞いている人からするとそこまで耳を澄まして聞く人は少ないのが残念ではあるが。

そして俺はデモテープマルチトラックレコーダー録音する日々が続く・・・

Bandcamp

https://nanjohshigure.bandcamp.com/releases

YouTube

https://www.youtube.com/channel/UCO29z-HlfG0wB430EVsw92g/videos

2019-01-30

そもそもモテてない anond:20190202111125 anond:20190130153632 anond:20190202110805

ので、そんな信仰があるやろか?

サブカル方面の熱心な日本オタクイエローフィーバー(Yellow fever fetish) の反応を受けて

わたしモテてる!」ってなるか?

アジアンフェチ有名人を食ったぜ〜っていう武勇伝をぶん回している芸能人がいるならばわからなくもないけれど

オノ・ヨーコ後藤久美子くらいしか思い浮かばない

・・・のでググって見たら、ONE OK ROCKRyotaアヴリルの妹と結婚したんだね、へぇ

 
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