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はてなキーワード: PC-98とは

2019-07-01

パソコンキーボード配列と配置にこだわりがある。

配列101 とか 109 とかで、配置は「(装置内の)キー配置(のアレンジ)」のことね。

以下、前提。

仕事プライベートとも Windows を使っていて、手元は見ずにタイピングしてる。

Alt+1文字アクセラレータや、Ctrl+1文字ショートカットキーも多用する。

Alt は次の文字と同時押しの必要がないし、親指で押せるからしか使わないけど、Ctrl は同時押しする1文字右手左手のどちらがカバーするかによって、左右使い分けてる。

大文字の投入も、Shift+1文字 の繰り返しで打つ。

スクリーンショット採取から Excel 文書への貼り付けみたいなことを年中やってるし、たまに VBAプログラミングなんかもするので、カーソルキーとその上に並ぶ 9個のキーも、ほぼすべて見ないで押してる。(例外は Excl で使う Scrll Lock くらいか

あと、肝心のタイピング速度は測ってないけど、体感的に全然早くない。もっとも、それで差し障るような事情もないので、そこは気にしたことはない。

前提、ここまで。

で、こだわりというのはタッチタイプを身に付けときに使ってたのが 106 キーボードだったので、この配列・配置でないといけない(打ち間違う)ってこと。

Ctrl は左右下端にないとダメだし、Shift もそのすぐ上の両端に配置されてないと困る。カーソルキーとその上のキー群の話は前述のとおり。

よって、これらが変な位置にあるノートパソコンキーボード同類の省スペースキーボードなどは、実用してるとストレスで気が変になりかける。

(右の Shift や Ctrl を押したつもりがカーソルキーHome, End なんかに触れてた日にゃ、一瞬何が起こったかからパニックに陥りますぜ、旦那

加えて、ポインティングデバイスキーボードに近くないと、マウス操作キーボードの行き来がスムーズでなく、これまたストレスフル。

よって、106キーボードテンキー部分だけをスパッと切り落とした省スペースキーボード自分にとってのベスト、という結論に至り、可能範囲を探し回ったけど、当時唯一これに該当した東プレRealforce 89 ND0100 は、お値段が立派過ぎて手が出なかった。

数年かけて、ネットオークション比較的手ごろな中古品を入手するまでの間は、やむを得ず、109 キーボードから 10キーカットしたデザインの、FUJITSU FKB8744-607 を 2本調達して、仕事と自宅で使ってたけど、打鍵感には全然こだわりがないので、Realforce に変えてみた後は、価格差ほどの感動がないことに拍子抜けしたもんだ。

ちなみに、109 配列も修練の結果、間違って Windowsキーを誤操作しない程度には使えるようにはなったけど、一番好ましいのは左右 Ctrl の内側に余計なキーのない 106 の方。

Windowsキー+1文字ショートカットVista の出始めのとき面白がってフリップ 3Dちょっとやったくらいで、あとは使ってないな)

ネットで目にしたキーボード配列・配置にこだわりのある人ってのは大概、PC-98 配列101 英語配列押し(後者かつ Ctrl は A の横に変更って主張が大半)で、自分のように「106 のテンキーレスカーソルキーとその上部の配置はいじらない)で Ctrl は左右下端」派は見たことないんだよな。

同じ嗜好の人、いない?

2019-04-15

エロゲ業界衰退の一翼を担った懺悔をしていく

最近エロゲ衰退について議論するブログが盛り上がっているようだが、プロから言わせてもらおう。

https://anond.hatelabo.jp/20190415042641

http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2019/04/14/113600

地方出身32歳。

父が大手電機メーカー下請け会社課長で、父母自分妹の4人のいわゆる平凡な家庭だった。

父の仕事関係結構早い時期からパソコンが家にあったように思う。

最初ちゃんパソコンに触ったのは1999年頃。中学生になったばかりの頃に家にWindows機が導入されて、要らなくなったPC-98機を貰った。

今思えば無限かと思われるような性欲の中、PC-98向けのエロゲ友達の兄からなけなしのおこずかいを使って売ってもらった。

「同級生」だった。

親が寝た深夜に夢中でのめり込み、全クリする頃には30回ぐらい抜いていた気がする。

その影響で高校時代大阪大学に進学した大学時代全般的エロゲに費やしてきた。

特に大学時代には欲しいパソコンエロゲが出ると深夜のバイトをして翌朝に近所のゲーム屋に直行

夕方に起きて翌朝までゲームという自堕落生活をしていた。

その頃普段見ないテレビニュースWinnyニュースを見た。こんなものがあるのかと驚きだった。

それから24時間パソコンの電源付けっ放しでWinnyをやり続け、ちょい昔のゲームでやってみたかったやつとか、無修正AVとかバンバン手に入って狂喜乱舞していた。

エロゲ基本的に抜きに使っていたけど、Winny泣きゲーを知った。

泣きゲー代表格でもある「AIR」は、絵の感じが受け入れられなくて買ってなかったが、Winnyで手に入ったのでやってみた。

観鈴ちんがゴールした瞬間涙が止まらなかった。

自分がなんとなく拾った子猫のようなゲームAIR」。

それが観鈴ちん境遇シンクロして、インターネットという空<AIR>に登っていくような気持ちになった。

そんなこんなで自堕落大学時代を過ごし、もちろん就活全落ちした。

幸い、顔なじみになった近くのゲームショップ店長エロゲメーカー営業の人を紹介してくれて、それ経由でエロゲメーカー業務委託、、というか長期のアルバイトみたいな形で雇ってもらえることになった。

その会社では在庫管理とかの仕事をしていた。

ある日、「売れない売れない」という他の社員社長の口癖に嫌気がさしいた自分は、自分なりに売ってみようと思い立った。

そこでまず、自分がどうやってエロゲ出会ってきたか思い出した。

するとほとんどが18歳19歳以降のWinnyを境にして出会たことに気づいた。

もしかして無料でまずは触れてもらってその口コミで多くの人に売れる、というやり方もあるのでは?

そう思った自分倉庫でその会社の全作品ディスクを借りてきて自宅からWinnyに流した。

もちろんプロテクトキーの解除なんて大層なことはできないので倉庫の奥の方に眠ってる、多分永久に売れないだろうソフトプロテクトキー20か30ぐらい一緒に流した。

先着20人か30人に無料開放だー!ぐらいの気持ちだった。

その後、1年ぐらいでエロゲ会社を2、3転々としその度に流出を繰り返していた。

そんなある日、FC2ブログ自分が流したプロテクトキーを使って何度でも解除できる方法が出現していることを知った。

まずいと思ったが既に止める手段も既になかった。

過去関わった3社8ブランドぐらいのゲームをすべて無料にしてしまたことに気付いた。

後になって、これらの流出が、善意であっても犯罪になることを知った。

いやむしろなぜそのリスクが考えられなかったのか不思議でならない。

自分の中では「布教活動の一環で友人にオススメゲームを貸す」という行為との違いがわかっていなかったのだ。

3龍大学にしろ法学部だったのだから大学時代もっと勉強しておくべきだったと後悔した。

その後3ヶ月ぐらいしてその会社を辞めさせられた。

流出の件はバレていなかったが個人的倉庫エロゲを持って帰っていたことがバレた。

いまはもうエロゲ業界には関わっていない。

いつか、自分無能さを認め、悪気はなかったこと、それでも取り返しのつかないことをしたこと社長たちに謝りたいと思っている。

それが終わったら、全部やり終えることができたら、ゴールしたい。

2019-03-26

スマホ世代若者を見て、PC-98BASICを打ち込んでいた世代のことがわかった

私はHTMLを覚えて「ホームページ」を作らないとインターネットができなかった30代。

スマホネイティブ若者に初歩のHTMLCSSを教えていて驚いたのが、そもそもパソコン操作自体がおぼつかないということだった。

タッチタイピングができないし、コピーペーストなどの初歩の初歩のショートカットも知らない。

スマホネイティブ世代私たちのなにが違うのかということを考えて、わかったことがあった。

それは、PC操作を覚えるのが自発的かどうかということだ。

私たち世代は、インターネットを楽しむためには、否応なしにパソコンを覚える必要があった。

いっぽう、若い世代にとってパソコン操作は「学校で習う」ものなのだ

自発的に覚えるか、勉強として覚えさせられるか。

その違いは致命的だ。

……というところで気がついたのは、PC-98にBASICを打ち込んでゲームをしていた上の世代と、私たちはまったく同じだということだ。

否応なしにプログラミングをさせられていた上の世代のことを、私はうらやましく思っていた。

しかし下の世代から見たら、HTMLCSSを覚えざるを得なかった私たち世代もまったく同じなのだ

自発的に何かをしなければならない環境は、その行為に対する層の分厚さを生んでくれる。

しかしそれは時代の偶然が招いたものしかないのだった。

2019-03-05

anond:20190305161518

9801mk2のことだろ言わせんな

ええと、野暮を承知解説すると、80年代国民機とまで言われて一世を風靡したNECパソコンPC-98シリーズですが、その中に 9801mk2 という機種は存在しません。(初代がPC-9801で、次がPC-9801Fで、その次がPC-9801Eで、、、)

2018-12-21

anond:20181221112301

そらアレやろ。業務前提知識の有無的な奴だ。

例えば賢い増田なら「PC」って言葉を聞いたときwindowsPCの事をイメージして、OSXインストールされたMac端末の事をPCとは看做さないし況してやiPadなどもPCとは扱わない訳じゃん。

ところが、一般人からするとMacどころかPC-98のこともPCとするし、なんだったらポリティカル・コレクトネスのこともPCとしちゃうわけだ。

これは何がそうしているのかというと、知識というよりは「歴史認識」の差がこの違いを生むわけよ。

から文章に何がどう書いてあろうと「この人はこの文章を書いたときに何を想定して書いたのか」が明文化されていないと(あるいは明文化されていたとしても)意識合わせって作業必要になるわけじゃん。

具体例を言うと憲法24条には

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

ってあるわけだけれど、現代人の認識は「両性」っていうのは「雄/雌」を指すわけだけれども、憲法制定時は実は「両性」っていう苗字の人がいて、その人が結婚許可してたとかのかもしれないし。

そこらへんに質問投げてくるとかは単に面倒臭いだけで人の能力がどうのこうのという話でもねえな。

寧ろ丁寧であるとすら思える。

こういうのには、やっぱ思想教育よ。思想教育から始めれば相手が何をおもんぱかってるかのロジックシンプルにすることができるからなw おススメ。

2018-07-06

NEC栄えするパソコンといえば

やっぱPC-9821As/U2だよね!

2018-04-15

anond:20180415181954

まずどのシリーズ時点からでも良いから一歩踏み出して、その作品エッセンスを感じ取ろう。

そんで本当に気に入ったら最初から順番に追おう。

そうしてから入り口として見た奴も再度見返せば見落としも回収できるじゃない。

二度手間に見えるけど、出会いは最大化できるしイマイチ合わなかったモノは切り捨てられるから時間効率は良い。

 

東方なら同人だけど(同人ゆえに?)比較的追うのは簡単じゃないかな。

紅魔郷~最新のはなんだろう、俺は神霊廟くらいまでだけど全部入手容易ではないかな。

公式のものはあと音楽CD書籍が少し、あとWebサイトにあるmidiファイル郡くらいだし。

もし東方旧作と呼ばれるもの正規に遊ぼうと思ったらPC-98の実機とフロッピーを集めるのは至難の業だけど

まぁ大方の人はROMネット深淵から拾ってきてエミュでやってるんだろうね。

2018-02-07

あの頃のパソコンの表示する色数が増える感動

昔は白黒で、

PC-98を初めて使ったとき16色ででもカラフル!って思って

さらに256色とかになると、さら表現力が上がって綺麗になってスゲー!!!って驚愕した。

さらさらFM-TOWNSとか1677万色で

パソコン写真フルカラーで表示されるのに、さらに感動驚いた!

それ以来20年以上経つけど、

解像度が画面のドットが肉眼で見えなくなったのは、また驚いたけど、

あの色数がどんどん増えていったみたいなインパクトはないんだよなぁ。

Retinaディスプレイはスゴいはスゴいんだけど。

あの頃は事実目に見えてパソコン進化していったのがスゴかったなぁ。

今は進化してるんだろうけど、

なかなか目に見えてスゲーってならないよなぁ。

と言うか慣れすぎて麻痺してるんだと思う。

2017-07-02

3Dアニメと聞いて

3Dアニメが有利なのは一度作ったオブジェクトは使いまわせることらしいけど、使っているソフトはいつまで使えるのだろう。

ソフトを自社開発しているところならともかく、特定ソフトスキルいくら習得しても、メーカーサポートをやめたらそこで終了なんだけど、大丈夫なのかね。

そういえば、昔の工場がいまだPC-98を使ってるもんだから、修理部品ジャンクPC)をストックをしてるPC-98修理専門の会社があるっていうけど、もしデータコンバートができなくなったら古いOSを載せたバーチャルPC活用し続けるようなそんな末路をたどりそう。

2017-03-04

エディタMIFESまだやってます

という広告はてなに表示されるようになって、ああそういえばPC-98時代にそんなのあったなと思い出した。使ったことはなかったが。

「苦節30年、構造解析も対応し、しぶとくバージョンアップして好評発売中」だってさ。なんだその売れない演歌歌手みたいなコピーは。

VJEっていうFEP(今でいうIME)はここで開発してたんだっけ?

2016-07-31

私は古参オタクが羨ましい


私は古参オタクが羨ましい

秋葉原電気街BCL用のラジオを買いに行き

放送局受信報告書を送ってベリカードをもらっていた全盛期のBCLオタク

PC-98DOSを動かし

16色で構成された美少女ゲームにいそしんだオタク

国鉄最後の日に居合わせオタク

パソコン通信時代から

2ch時代までを見守ってきたオタク

電気街からアニメの街、そしてビジネス街に変わる秋葉原を見守ってきたオタク

犯罪者扱いされながらもコンテンツの維持に努力してきたオタク

勿論、今でも体験できるものもある。PC-98ゲームなんかがそうであろうか

でも、あなた方が味わってきた感動を味わうことは出来ない。

なぜなら我々は24ビット1677万色フルカラーの申し子だからだ。

段階を踏んでモノクロ→16色からのいろいろあって1677万色のほうが感動が大きいだろう。

貴族がその生活享受しながら庶民生活に触れるようなものだ。

真新しさという感動はあるがそれ以上はない。

しかしながら庶民貴族生活に徐々にクラスアップしていく過程の感動は大きいだろう。

まりは、そういうことなである

今のオタク以上の感動を味わってきた古参オタクあなた方が私には羨ましくてたまらない。

2016-05-12

社会主義陣営の勝利パターン過去編】

過去

日本革命社会主義

二次石油危機を契機に日本共産革命

1980年代社会主義陣営では一家に一台PC-9800が普及。

ここから技術革新が進んだ社会主義国ステルス無人機アメリカ爆撃。

ヨーロッパソ連

ソ連の進軍がベルリンで止まらず、ドイツ蹂躙

そのままアルデンヌの森を抜けパリ占領ダンケルク連合軍壊滅。

新たに誕生したヨーロッパ衛星国社会主義陣営を支える。

一家に一台V2ロケットが普及し軍事的にも優位を維持。

アメリカ社会主義

ベトナム戦争自国社会形態に嫌気のさしたアメリカ社会主義に。

社会主義アメリカの巨大市場社会主義陣営を潤す

中国文化大革命大成功

舞い戻る百家争鳴の雰囲気の中、

中国4000年の伝統商売根性が融合し

ソフトパワーが見る見るうちに大躍進。

中国製ビルゲイツが4人ほど生まれる。

2016-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20160507130020

日本人形成した文化には、emojiがあるぜ!

世界でも、今やemoji使われてるよ。私たちがーー特に女子高生がーー自然と使っているものが、IT世界にも進出しているぜ!

i-modeガラケーで、負けたり、PC-98が、どうこうという話しが 最近、出ていたよね。残念ながらさ。

だけど。業界スタンダードを作ることは出来なかったかもしれませんが。日本人は細かな装飾面で世界に何かを発信しているのではないでしょうか?

2016-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20160506101104

そういや

「PC98と書く人に違和感があった。それってメモリのPC100とかPC133とかを表すときの書き方でしょ?キューハチPC-98じゃないの?」

という意見もあったな

おもに割れ界隈の奴等が検索キーワードを「PC98」に統一したらしくて一時期押され気味になってたけど

Windows98時代に、これを「キューハチ」って読んでる人に違和感があった。

キューハチってPC-98じゃないの?っていう。

と言う昔話。

2016-05-05

連休も終わるし半生を振り返ろうか

人生50年と言われた時代ならもう折り返し、何もすること無く連休が終わるので振り返る。古い記憶は思い出すのが難しく、新しい記憶ほど濃く出てしまうのは仕方ない。

小学校時代

進研ゼミをやってたこともあり勉強はそれなりに、いやそもそも小学校範囲なんて普通に聞いてればどうにかなるだろうと。

運動は苦手というか嫌いで部活インドア系、今で言う程の虐めは無かったがからかわれたりされるキャラ。同じ目立たな系グループや、全方位社交的タイプの人や、辛うじてまだ友人と呼べる人がいた。

中学校時代

この頃、パソコン(PC-9821)を買って貰った。もちろん建前は一家共用のもの、だけど実際に使うのはほぼ自分だった(PC-98というところかしてお察しください)。

当時のパソコン通信もやるようになり、「馬鹿(なことを言う奴)は叩かれる」という現代に通ずる教訓を得ることができた。

そして勉強生来ズボラさ、真面目系クズの因子があるとこの辺で勉強に付いていけなくなる。当然、落ち零れ始めると進研ゼミテキストも開かない、課題提出もしないまま高3まで継続することになる。

この頃、一人だけ自分に対して話しかけてくれる女の子がいた。「○○って好きな人かいるの?どんな人?だれだれ?」と妙に絡んできたり、将来はパソコン使う仕事がしてみたいとか話したら、教室の班内で日記的なものを順に書き教師に提出するノートで(明らかにそんな興味はなさそうなのに)「パソコン仕事がしてみたい」と書いたり、それなんてエロゲ的な知識からするとフラグと思えなくも無いが目に見えないフラグなんて何の意味も無いし気付くわけが無い。しかし今でも夢に見ることがある。お陰で、上述したエピソードどころかその存在すらも夢の中で自分妄想したものではないかとすら疑い始めている。

高校時代

進学校はいけず、普通に近い公立校へ。

この辺りから、顔を知っているという程度の知人はいても友人というほど親しい存在がいなくなっていた。放課後に誰かと遊びに行くこともなく、パソコンにかまけていたんだと思う。

中学時代女の子は帰り道が一緒になったときに声を掛けてくれたりたまに話してくれたりもしたが、いつしかそれも無くなり、逆に自分無意識に目で追っていることに後で気付いた。

大学受験は散々だった。理系なのに数学の内容が全く理解できない時点で終わってる。結局、3月過ぎの最終日程で、得意な現国一教受験が可能なFラン大学の新設情報学部滑り込みを果たした。

大学時代

(高い)金さえ出せばアホでも行けるという周囲の評判通り、他学部ではチャラそうな男女が目に付いたが、一日自由に誰の目を気にすることも無く快適なパソコンネットが使えるというのは大変に魅力的で暇さえあれば通い、家では新作エロゲをひたすらプレーしていた。

ゼミのメンバは(イベント毎があれば何かしたがるリア充的な彼ら特有のノリで)大変に気さくで飲みに行くこともあったが、それ以外の場ではやはり話す人も無く、遊びに行く友人も無く、淡々と3年で必修単位を取ることに徹した。卒業1年後、ゼミ同窓会的な催しの連絡があり行ったが、その後は音信不通となった。

就職活動

氷河期と呼ばれる時代は辛い。私はこの時点まで使う必要がないことから携帯電話を持っていなかったが、さすがに差し障りが大きいということで親名義のものを譲って貰った。

就活自己分析に始まり自己否定に終わる。誰もが思ってもいない建前を並べ、何処でも良いから内定を寄越せという本音を隠そうとするがそれでも否定され、自分社会に不必要存在であると言うことを実感させられる。

性格分析の結果だと、凄く明るくて社交的なのに全然違うね?」と宣うぐらいなら、性格検査なんていうアホな試験をさせるべきでは無い。何処の世界就活で、自分は暗くて内向的コミュ障ですとアピールする奴がいるというのだ。

「凄く優秀そうなのに、どうしてまだ未内定なのか不思議です」、その理由はすぐ横にいる人事に聞けばいい(これを言われた面接で落とされた)。

しかし50、60、と面接の回数を重ねると利点が一つだけ有る。心身が疲弊しきって、面接程度ではもはや緊張を覚えなくなるのだ。相手も本気で新卒に何かを求めているわけじゃない、地雷かどうかを見極めているだけだ。グループ面接で聞き飽きた他人エピソード第一位は「サークル or バイトリーダーとしてイベント or 仕事成功させた」だが、横で聞いてる自分ですらまたかよと思うのに採用担当者ともなればもうやめてくれと思うんじゃ無かろうか。

そんな無我の境地が奏功したのか、一社だけ内定を得ることができた。自分のやりたかったこと(開発)とは微妙に異なるがIT系ではあるので運が良かった。

社会人時代

アキバオタク聖地だなんて今でも言うのか知らんが、半導体からアニメまで界隈に集い、ここに慣れてしまうと他が物足りなくショボく見えてしまうのは仕方ないことだと思う。毎週通うために回数券で切符を買っていた。

仕事の方は、残業70~90H/月程度だったがこの頃は羽振りがまだ良く残業時間にうるさくは無かった。むしろ残業代の形で還元されることもあり、周囲含めて生活残業が多かったのだと思う。

しかしそんな給与は1円も貯金すること無く、エロゲアニメDVD同人誌マンガCDへと消えていった。

社会人何年目かで、アキバ出会ってしまったのがいわゆるドールだった。フィギュア的な造形でありながら、フィギュア以上の表現力を持ったそれにすっかり魅せられてしまった。

ドール大量生産に向かないためか通常に買う場合でも一体6~10万、過去の人ドールともなるとヤフオク20万、30万、もしくはそれ以上という異常な価格となる。しかし買えない価格では無い。そう、社会人にとっては多少無理をすれば大抵のものは買えてしまう。

ある時、どうしても欲しいドールがあり、初めてキャッシュカード付属したキャッシング枠を使った。そしてクレジットカードと同じように後日それを返すだけ。

人間感覚というのは本当に恐ろしいもので、一度味をしめると慣れが生じる。経験が油断を生み、警戒心を歪ませる。

間が悪いことにこの頃、親会社への出向が解除となり入社以来縁がなかった自社に戻ることになった。子会社にとって残業時間管理死活問題、定時を過ぎて用が無ければ帰れとしつこく言われ、何年かぶりに明るい時間帰宅をした時は戸惑うしか無かった。

残業時間が減れば残業代が減る。残業代が減れば収入が減る。収入が減れば欲しいものが買えなくなる。ここで話は戻り、足りないなら借りるしかないということになる。

最初キャッシュカード使用はいつの間にかなくなり、別の消費者金融カードを作っていた。最初は50万だけだったのが、100万、200万となり、気付けば借金は3社で計400万近くなっていた。

消費者金融における総量規制により年収の1/3以上を借りられなくなるという話を聞いたとき、ようやく現状を省みることができた(総量規制に便乗した、いわゆるおまとめローンの案内が来た)。

多分、一種買い物依存症だったのだろうと思う。買うという行為自体に満足感を覚え、DVDマンガなどは買ったときレジ袋のまま部屋に放置していたというのがその証拠だろう。酒や煙草は全く嗜まないこともあり、溜め込んだストレスを知らず知らずのうちに買い物という方法しか解消できなくなってしまっていた。

この400万近い借金の返済には6年を要した。途中、1円単位小金を集めて用意することもあったが一度の遅延もなく(信用情報上、大きな借金がある時点で不利なのにさらに遅延があると極めて不利になるので絶対に避けたかった。また、大きな借金があっても遅延無く支払っているのであれば継続的に安定した収入があると見做される)、むしろ終盤には収入が増えて余裕ができたこともあり予定より三ヶ月ほど早く完済が叶った。

あれほど金が無い、金が無いと言っていたのに今では200万程の残高がある。しか三十路を過ぎた男が200万しか貯金が無いというのは余りに情けない。

しか20代の頃はただ闇雲に浪費を重ね、何かを極めたわけでも、引き換えに何か誇れるものを得たわけでも無い。そして30代の前半は今月分を返済したら幾ら残るかを考えるだけで過ぎてしまった。

社会人になってから自名義で契約した携帯電話としてiPhoneを持っているが、その番号を知る知人、友人、家族はいない。掛ける相手もいないので履歴は全てセールスの着信で、発信履歴はない。

一度、中学校同窓会案内が転送されてきたことがある。当時はそれどころではなかったのと、中学時代同級生特に思い入れも無かったこともあり返信すらしていなかったが、引越の時にその案内書がでてきた。よくよく見ると同窓会の告知するwebサイトの案内があり、ふとした興味で何となく覗いてみた。いわゆるBBS、当日の写真といったものがあり、聞き覚えのある名前発見することができた。

写真は年相応になった懐かしい(…とはあまり思えなかったが)面々、年老いた教師、といったものだったが、BBSの方は久闊を叙するメッセージ狭間に「当日は子供の世話が…」「嫁の都合で…」といった文言が有り衝撃を受けた。恐らく当時は26、27ぐらいの年齢だと思うが、見覚えのある名前がそういう状況になるというのはなるほど奇妙なものだ。赤の他人の話であることに違いはないのに、すぐ横で出し抜かれたような気がしてしまうのだ。

今となってはもう友人も恋人結婚も望むべくもないし全てが遅すぎた。もし来世があり、草や木に生まれなかったのなら次はもう少し人間らしい人生を送ってみたかったと戯れに考えてしまう。

http://anond.hatelabo.jp/20160505085036

自動車エンジンで使われてるオットーサイクルは、1980年どころか1880年代(130年前)に開発された

バルブ開閉のタイミングだの燃料噴射装置だの電子制御組合せて性能は向上してるにしても、

PC-98(30年前)よりCOBOL(50年前)よりENIAC(60年前)よりずっと前から本質的には変わってない

地球の裏側からタンカーで運ばれ、精製して消費地近くまで輸送しないと使えない化石燃料が、

これまではどうにか手に入ったとしても、これからは払うお金もないし競争相手も増えるし、

ずっとずっと手に入りにくくなるわけで、本当にどうすればいいんだろうね

http://anond.hatelabo.jp/20160505085036

製造業で実際にPC-9801が稼働している現場立場からすれば、単に設備投資の余力が無いという問題ではない。熱、粉塵などの過酷現場でも制御コンピュータは確実に動かなくてはいけない。ライン24時間稼働し続け滅多に停止もしない。急な停電後の自動復帰も考える必要がある。制御している機器インターフェース側を改造する必要もある。

このような用途PLCなどの汎用組み込み制御ユニット存在するが、少しづつ改良を加え複雑化してきた現行の生産ラインは個々の機器タイミング取りがシビアで、機器の入れ替えは一か所でもかなりの大仕事になりがちで、影響はライン全体に波及する。今安定して動いているラインリスクは可能な限り避けたいのだ。

そして、自分経験的にMS-DOSで動作しているPC-9801は非常に堅牢マシンだ。機器制御には高度な計算能力必要ないがとにかく動き続けることが大事で、これはWindowsなどは絶対にかなわない。ちょっとプログラム趣味でかじった化学屋の自分でもある程度メンテできるというメリットもある。さらに言えばPC-9821もダメ個人的には1990年ぐらいまでのまだ高価な時代マシンが安定性が高いと感じる。

あの当時のNECは、本当に信頼性の高いマシン製造していた。その後の安価路線に走った途端に不具合が見られるのだが、完全自社生産時代部品の一点ごとに良いもの選択していたんだろうな。

ただ、次第にMS-DOSメンテができる技術者が減少してきた。さすがに時代の流れだろう。マシンが死んだらそれこそ中古マシン差し替えて動かすのが一番安いし確実なのだが、生産技術部から拒否されて新しいシステムを導入させられたことがある。費用も桁が2桁ほど多くなるしお互いに仕事は増えるし正直いって良いことが無いのだが、メンテできない場合更新せざるを得ない。

なお、それほど重要でない設備制御箇所については、自分中古機を手配して故障したマシンを入れ替えたこともある。生産技術畑でない自分でも多少の知識があれば簡単に行えるのに、なんで無駄な金を使う必要があるのだろう。そんな金はもっと別の設備投資したい。

日本って死んでたんだな

製造業メインフレーム(追記:メインフレームじゃなくて生産ラインでした)がPC-9800系ベースにしてくまれており、設備投資する費用がないために今でも、PC-9800のパーツに需要があるっていうのを聞いて

金がなくても、儲かる見込みがあったかガンガン設備投資できる余裕があった1980年代製造業が止まってるっていう事実愕然とした。

 

http://www.asahi.com/articles/ASJ5432RSJ54UEHF001.html

http://withnews.jp/article/f0160314001qq000000000000000W00b0901qq000013115A

 

これって、日本製造業設備投資して技術とか効率化をアップデートできる体力がなくなったってことで

技術力が痩せ始めてるってことなんだよな。

 

 

本来なら、高給だったはずの派遣労働自由化などいろいろな要因で今では低賃金労働代表格になってしまって久しい。

田舎にもコンビニが普及して便利になった反面、一人ひとりの生活が貧しくなってる。

 

 

私事になるが、若いころから介護士してた叔母も、月収20万を越えでボーナスもあったのに

どんどん給料下がっていって最期にはバイトと変わらない給料(総支給15万くらいだったかな?)になって、

しまいには、定年前に更年期調子崩したのもあって退職し今では、飲食店の皿洗いのバイト年金で細々と暮らしている。

 

 

他の親戚でも恩給貰ってる両親と一緒に暮らして養ってもらってる壮年のオジサンもいる。

 

 

知り合いには、停職につけない中年のオジサンがいるけれど、言動が年齢に比べて幼く、

仕事だけじゃなくて、人との待ち合わせの約束を忘れてすっぽかし、物事全般がなかなか覚えられず、言動も怪しいくて

しかしたら、精神か知能に障害があるかもしれないけれど、病院に行ってないから特に病名もなく

親に養ってもらって何とか生きている人もいる。

 

 

前に派遣先職場にいた派遣仲間には、新卒職場サービス残業を強いるそれはそれはとても過酷職場

過労と人間関係パニック障害になって、職場パニック発作を起こして仕事を辞めた人もいた。

パニック障害の原因になった職種仕事をすると、発作が出やすなるみたいで、もうそ仕事はやりたくないのだそうだ。

 

 

あ、あと自分の親もリストラされて非正規でなんとか食いつないでる。正規雇用とき給料の半分になって自動車を維持するのも一苦労してる。

公共交通がない田舎から仕事行くにも自動車必須なので、手放せないので大変そうだ。

 

 

自分だけかもしれないけれど、なんか身近な人がみんな、病んだり昔より生活レベルが落ちてて

日本って死んでたのかなって。

 

 

そういう自分最近は酒が手放せなくなってきてて、毎日のんでないとやる気がわかなくて

仕事に行きたくなくなっている。この調子でいけばアルコール肝臓精神ダメになるだろう。

 

 

美少女美少年が悩んでたら、望もうと望まぬとも誰かが手を差し伸べてくれるのかもしれない。

最低限のコミュニケーション能力があって、助けてあげたいって魅力のある人なら、美少年美少女じゃなくても、話を聞いてくれるかもしれない。

 

でも自分は、美少女美少年でもなく、コミュニケーション能力もなく、話す相手もいない。

仕事もいつ終わるともわからない、単純労働しかない。

業務命令する上の人間からバイト君扱いされ、仕事をするただの駒でしかない。

仕事を覚えたって、それが他の業種で役に立つような技術や知識でもない。

 

 

まるで、出口の見えないトンネルの中を歩いているみたいだ。

2016-03-15

往年の名機「PC-98」未だに中古市場で根強い人気の理由

http://withnews.jp/article/f0160314001qq000000000000000W00b0901qq000013115A

てっきりクラシックゲームかなんかの用途だと思ったら違った。

オープンだったはずなのに、汎用機的な理由で求められるとは、面白いな。

2015-05-11

ゴールデンウィーク最後エロゲ史におけるクトゥルフ神話を語る

クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイト存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。

ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。

ゴールデンウィーク有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義ゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。

1991年~93年

まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。

1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。

特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。

そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。

エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。

1994年

こうした中、フェアリーテールブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初エロゲであるネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。

物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。

原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。

作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しか現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。

ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。

1995年

ネクロノミコンから1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である

『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。

物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの

クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものであるディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前クトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。

そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。

あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である

前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生ハーバートウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である

クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生ハーバートウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である

一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。

ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初エロゲであると言え、また原作二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである

1996年

一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。

クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態であるクトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。

他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Eliseエリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。

こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である

物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。

前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である

これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人表現されたものや「向こう側」はグロテスクものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。

SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。

しか踏切の赤信号アニメーション演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。

のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品エロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。

1997年

さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売であるタイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。

だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。

1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipedia日本語版の「クトゥルフ神話」の記事最初に出来たのは2003年8月)。

現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。

そうした状況下において『マジカディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。

問題パロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。

一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である

シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることからエロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。

1998年

さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。

そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。

物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである

この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキスト確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。

しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。

こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである

また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。

本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しか抑制的ながらも明白な狂気、グロテスク死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。

1999年

そしていよいよ世紀末電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。

ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である

正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。

……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。

というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。

本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去エロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。

まとめ

正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。

2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールブランドキャラメルBOXが姫屋ソフトブランドであることを考えると、少し面白いものがある。

なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。

さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)

2014-08-15

The history of mobile computer

1989年東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界最初ノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成した。

1990年代中頃から国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコン出荷台数デスクトップパソコンを追い越した。

2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPad代表される新しい形態携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。

とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝代表される日本企業業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。

1980年代中頃:ラップトップパソコン

ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。

1984年 NEC PC-8401A

1985年 東芝 T-1100 海外のみで発売

1986年 東芝 T-3100 日本ではJ-3100

1986年 NEC PC-98LT

(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池フロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。

T-1100の仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大512KB

ディスプレイ:80文字×25行(640×240ドット)

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵

キーボード:83キーフルストローク

電池:ニッカド電池、8時間の動作可能

IBM-PC互換

サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg

1980年代末:最初ノートパソコン

最初ノートパソコン1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。

1989年 東芝 Dynabook J-3100SS

1989年 セイコーエプソン PC-286NOTE

1989年 NEC PC-9801N

発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初ノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。

J-3100SSの仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)

ディスプレイ:ELバックライト液晶

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)

電池:2.5時間使用可能なバッテリパック

・電源リジュー機能提供ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機

サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)

1990年代前半:IBM・アップルの参入

1990年代に入ると、IBMとアップルノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成したといえよう。

1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載

1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー

1991年 アップル PowerBook 170 世界初パームレストトラックボール

1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)

1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA

1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ表計算などアプリケーションをROM内蔵

1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶世界初トラックポイント装備

1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池駆動

1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート

1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載

1994年 アップル PowerBook 520 世界初トラックパッド採用

1990年代後半:国産各社のノートパソコン参入と普及

1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいこから人気が高まり2000年にはノートパソコンデスクトップパソコン出荷台数を上回る状況になった。

1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用プレインストールソフト多数

1995年 シャープ Mebius CD-ROM内蔵

1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量

1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート

1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート

1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学トラックボール搭載

1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)

2000年代前半:小型化、軽量化、長動作時間化の競争

2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的モバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。

筺体の軽量化

軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。

スリープ機能の高度化

パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。

SSD(Flash Solid State Drive)

SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要ノートパソコンに適している。しかし高価格である2004年から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。

ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格競争が進むのに伴い、台湾中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業技術向上により、現地企業生産だけでなく設計委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内生産している製品は、特に高度技術要求される小型の高機能パソコンに絞られるようになってきた。

2000年代後半:ノートパソコン多様化

2000年後半には、ノートパソコン多様化した。ディスプレイサイズ区分すると、次のようになる。

ディスプレイサイズ(インチ) 解像度 特徴

7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17

───┬─── ─┬─── ──┬──

│ ──┬──│──┬── │

│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイル意図せず高機能

│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用

│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準

│ サブノート 1280x 800 軽量を重視したモバイル

ミニノート パソコン全般機能ではなく、Web利用などに特化

ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視

ネットブック 1024x 600 初期は安価目的

シンクライアント、セキュアクライアント

シンクライアント(Thin client)とは、処理機能サーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。

1996年 オラクルシンクライアント概念提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。

1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表

1997年 マイクロソフトWindows CEベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表

それが2005年から外部記憶装置接続ができないこと、パソコン情報が残らないことが、セキュリティ観点から重視され、パソコンメーカーシンクライアントを発表、多くの企業採用検討するようになった。

2005年 日本経済新聞日立製作所パソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。

参照:日立「「日立パソコン利用全廃」記事に関しまして」

2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷

2005年 NEC MateシンクライアントVersaProシンクライアント 出荷

ネットブック

ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである2005年頃、発展途上国教育分野にインターネット活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産支援団体等を通して提供する計画が進んだ。

ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンマシンとしての重要が高まり2008年から、その用途目的とした機種も出るようになった。

2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来目的用の例

・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価

記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載

ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャ採用して、パソコンとの互換性あり

iPadの出現

タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。

2010年アップルiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。

2013-09-20

コンピュータ教育のあり方

振り返ると

現在二十代後半の自分小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミング世代です。

始めは「学校コンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています

  

小学校  

小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISO自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。

学習ソフトウェア勝手フルスクリーンになるわけですが、今思えば無知小学生OSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います

実はこのあたりの記憶曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。

これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないもの記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。

  

この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。

時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェース機能Flash作成ツールから影響を受けていたようです。

ポケモン戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw

感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。

  

地図を学ぶゲーム比較的良い出来で、ユーザーインタフェースシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。

確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶曖昧です。

  

この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。

教師は軽くマウスキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。

どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?

まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います

中学校

中学校へ入ると学ばされたのはMS Officeです。

パソコンの起動方法からまりローマ字入力(小学校ひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます

このあたりは民間パソコン教室と変わりがないかも知れません。

小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます

  

しかしおそらくは民間パソコン教室と違う部分もあります

それは新規フォルダや新規ファイル作成方法メールWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェア指導が全く無いです。

どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっき実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。

  

でもこの指導にもおかしな点は沢山ありました。

Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます

ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップ指導が一切ありません。

完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。

  

Excel指導は酷いものでした。

見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数指導に入ると関数意味ほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。

生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。

  

時代ですね。こうして互換無視オフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。

あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。

  

高校

端的に言うのならば同上。

しかPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?

  

高校によっては工業高校商業高校高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります

ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから

  

大学

この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。

全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。

  

そして大学時代教授ゴリ押しからOSWindowsからEmacsに変わりました。

  

これを教えて欲しかった

今のコンピュータ教育がどうなっているかは知りません。

はてブ小学生向けにビジュアルプログラミングScratch流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。

なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます

  

データ整理整頓

コンピュータを扱うにおいデータ管理というのは非常に大事です。

何故判りやすファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。

とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います

  

保存されるデータの種類

保存されるデータの種類は基本的に3種類存在します。

今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。

  

注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。

このデータファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。

まり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります最近流行の「名前重要」です。

  

探すってことは探す場所重要になってきます

このジャンルデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。

そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェア空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。

せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分フォルダを作るとき名前重要ですから判りやすフォルダにしておきましょう。

  

例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?

そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。

  

「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見もっともです。

実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。

デスクトップアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。

  

データの中身

世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります

あいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。

それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフト棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。

そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。

  

句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータ世界では「マークアップ」と言います

読み上げソフトマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります

  

もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。

マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。

Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。

PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトPDF対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます

  

少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。

更にしっかりとマークアップしておけばPDF電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります

  

コンピュータ教育のあり方

今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います

コンピュータが使われるようになったか教育に導入し、MS Officeが使われるようになったかMS Officeを教え、IT市場が大きくなったかプログラミングを教える。

高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。

コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。

  

コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。

その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います

正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。

その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。

これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古PC-98だって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホだって教えられることです。

  

ただ教えてれば良いとするコンピュータ教育のあり方を今こそ議論していく必要があるんじゃないですか?とここに主張したい。

2013-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20130725111658

昔の昔、基本ソフトBASICだった時代は、パソコンを起ち上げるとBASIC言語を使って

プログラミングが出来たが、Windows95はそうではなかった。

PC-98シリーズには伝統的にROM-BASICが焼いてあったので、実はあの頃のパソコンの多くにはBASICが乗っていた。

起動時になんかのキーを押しながら起動させると、通常のブートシーケンスが走らずにいきなりBASICが立ち上がってた。

不揮発性記憶媒体への保存ができなかったような気がするけど、子供がいじって遊ぶプログラミング環境としては

十分だったとおもう。

不幸だったのは学校電子計算機室みたいなのが出来てきた後で、それを知ってた人間ほとんどいなかったことだ。

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