はてなキーワード: Mother3とは
幼稚園児の頃に不思議なCMを見て親父にファミコンごと買ってもらって、内容はよくわからないままに雰囲気が好きで、プラスチックのバットやサンドイッチを持って近所を旅してマザーの主人公気分を味わった。自力でクリアできたのは小学校2年生になってから。エンディングで旅の終わりに泣いた。
マザー2が出た時は小学校4年生でこれも発売日に貯めておいたお年玉で買った。小4ということもあって1以上にのめり込んでネスと一緒に大冒険をした気分になった。自転車で町の端から端まで行った時はこれがネスの気分なんだ!と思えた。ただ野球の才能は俺にはなかった。
マザー1と2を繰り返し遊んで3の64が中止になったあたりはまあしょうがねえなあなんか不気味だったしな3Dとか思ってて、1+2はもうちょっと音楽の再現頑張れよと思ったり、スマブラでネスを使って周りをしばき倒していた。
それから大人になっ頃MOTHER3が出て、泣いた。「マザーを通じて家族の絆を考えてみる」みたいなキャッチコピーがあったが本当に家族の絆を強く感じた。
だが俺は実家とその頃仲が悪くなり次第に疎遠になっていった。中学高校と親は喧嘩ばかりしていた。2人ともあまり信用できなくなり、大学の時家を出てたまに帰ってもそれほど会話もしなかった。
それから就職した後リーマンショックで無職になり派遣で食い繋いでいた所親父が要介護になった。寝たきりの親父の介護を手伝うために実家に戻ってお袋を助けて。
この頃は昔みたいに家族の仲が良かった。悲しいことに。
ただそこからが問題で、俺は実家から通う仕事がなかなか見つからず派遣のまま。介護の親を抱えて恋人などできるわけがない。
そのまま時間が流れて、長い戦いが終わった。それから半年たたないうちに糸が切れたようにお袋も亡くなった。
俺は1人になった。実家に戻ってから長年行っていた派遣先とは関係ないところでようやく正社員になれた。
こうして父も母も亡く、自分の家族もいない。精々正社員なだけのおっさんが出来上がった。
好きだったゲームのコミュニティは若い子や家庭持ちばかり。少しでも楽しいことを…と思って、大好きなゲームだったマザー2のひみつ展に行ったら、家族連れや若い子ばかりで肩身が狭くなった。
昔、マザーというシリーズが大好きだった「ぼく」は、ただの不気味なおじさんにしかなれなかった。あの頃ゲームの主人公になったと思った俺は1の主人公でもネスでもなかった。リュカは流石に同一視したらリュカに失礼。
MOTHERシリーズをプレイしてファザーやマザーになれた奴。
おまえたちがうらやましいよ。おれなんかだめさ。
俺は何も生み出せなかった、作り出せなかった。FATHERになれなかった。俺の努力不足だ、全て。
◆8/27追記
マザー2 30周年おめでとう。
励ましてくれた人、ありがとうな。
お互い頑張ろう。
https://www.youtube.com/watch?v=Qp9PL4EbWi4
@Musicombo
I DM'd Shogo Sakai on Twitter asking about the meter of Strong One recently, and he told me he was thinking of Strong One in terms of additive time signatures: 3/4 + 3/8 + 1/4 + 1.5/4 (spicy!)
It makes sense when you're focusing on the pulses in the combos driving the time signatures by themselves, but it also affirms the idea that Shogo Sakai was thinking about decently "regular"/"clean" meters, and therefore 15/8 and 29/16 kinda fit those conventional vibes.
For even more context by the way, the mp2k/Sappy sound engine -- the engine sent out to GBA devs by Nintendo which was used for Gen. III Pokémon and MOTHER 3 -- has a tempo "resolution" of 2 BPM, meaning the next smallest tempo change above 120 BPM Sappy supports is 122 BPM, not 121 BPM.
Also, excellent job accounting for the 3:5 16ths tuplet at the end of (Masked Man)
ここ1週間、起きてる間はvcrgtaを見続けている。
ゲームの世界で人が生きていると錯覚させられる程、多くのストリーマーが長時間プレイしており、
いつ見ても何かが起きている神コンテンツだ。
これからの1年〜2年は配信界隈におけるビッグコンテンツであり続けるのは間違いない。
一方で見ていて感じたことがある。
やってる側が楽しいであろう瞬間はあらゆる場面で起きているものの、
見ていて面白い瞬間は一部のストリーマーによってしか起こされていないのだ。
現状は約60人のトップストリーマーによってコンテンツが支えられ、
約60人の精鋭達、ありがとう。
そして残りの100人から新たなトップストリーマーが生まれてくることを願っている。
※新たに見始めるorクリップを見返す際はこのメンバーの視点を見れば間違いはない。
葛葉
k4sen
ボドカ
小森めと
SHAKA
赤見かるび
橘ひなの
夢野あかり
関優太
だるまいずごっど
スタンミ
ローレン・イロアス
じゃすぱー
叶
おぼ
けんき
ファン太
ハセシン
Sasatikk
花芽なずな
しんじさん
Kamito
わいわい
らっだぁ
猫麦とろろ
胡桃のあ
エクス・アルビオ
イブラヒム
常闇トワ
ラトナ・プティ
こはならむ
Selly
平岩 康佑
Mondo
鈴木ノリアキ
如月れん
ゆきお
白波らむね
mittiii
八雲べに
兎咲ミミ
ととみっくす
MARUTAKE
しろまんた
SqLA
夜よいち
れんじろう
みんなワニみた?
「意外とよかった」 とか「紙芝居だ」 とか…
じゃなくて今日は、ワニの話。
「ワタクシも一人の表現者として…!」みたいな堅苦しいのはいいからさ
そろそろみんな見てるでしょ?
だから、映画を取り巻く"社会のアレコレ"は差し引いて、映画自体の話。
ネタバレはある。
でもさ、ネタバレ読んだから劇場行かないなんてやつは、ネットの藻屑になって死んじゃえばいいんだ。
そう、ワニの話ね。
みんな知っての通り、ワニは 100日で死ぬ。
そこから 100日前に巻き戻って、朽葉の冬から桜咲く春へと進んでいく。
そう、進んでいく。
進んでいくと、どうなる?
進んでいって終わる、進みだして始まる。
はたまた、繰り返す?
死を描くのってむずい、きっと。
MOTHER3 のドアノブ、覚えてる?あ、また話がそれちゃう。
電話越しで息子の近況を聞くワニのかあさん。
かあさんが送ってくるみかんが、作中ずーっと出てくるの。
冬も春も、夏もだよ。確かめたわけじゃないけど、確かそう。
みかんの旬っていつ?冬だよね、きっと。
何でダメかって?そういうの自分で考えるのが映画鑑賞でしょ、バカチンめ!
じゃなくって、今日は俺がみかんのこと、みんなに伝えたかったんだ。
ひどいこと言ってごめんね、うらまないで。
『未完』
あー、言っちゃった、はずかし。
穴があったら入りたい、でも、探したってみっかんないね。
そう、春も夏も秋も冬もさ、季節はめぐってる。
ワニたちは勝手に「次の夏は」とか「来年も」なんて区切るけどさ。
ワニが死んだ後の 『未完の世界』
言い過ぎ?言い過ぎ?
説明しすぎはダサいけど、今はそういう時代だって庵野も言ってたもんね。
「100日間生きたワニ」
タイトル変えたのはきっと、死ぬのがオチじゃないよってね。多分そういうこと。
「身近な友人のあっけない死と、その後の変わったようで変わらない日常」
みたいな、きくちゆうき本人の体験をもとにしてるんでしょ?
なんかそんなこと聞いた気がする。確認はしてないけど。
「100日後に死ぬワニ」 も本当はさ
"死んだワニを偲んで、一瞬だけれども、欠けた想いの SNS のみんな"
なんか変な炎上のせいでそうはならなかったけどね。
じゃなくてほら、みかんだよ。
みかんにね、点数がついてるの。
おいしかったよ、どれぐらい?なんて話してて
「うーん…98点かな…」
とかって、超高得点なのに、わざと不満げに。茶目っ気あるよね、ワニ。
98点ね、覚えといてよ。
でさ、舞台は進んで…
ワニがとあることから勘違いして、片思いの先輩に嫌われちゃったとブルーになるの。
するとねずみ君はバイクでワニを連れ出して、夕日のきれいな丘へ連れて行く。
「これ、持ってきた」
「おう、みかんなんて持ってきたの」
んで、パクっと食べたら
「102点だね」
「その 2点は何だし」
なんて、二人の他愛もない会話。
"102" 引く "98" で "4"。
きれいな夕日かな、仲良しの友達かな、4点足しちゃうかわいいワニ。
でもそんなワニは、普通に死んじゃう。
映画版に足された死後の話はまあ、ワニの死をそれぞれ乗り越えていく、みたいなよくある話だ。
でもね、それの描き方がよかったよ。
仲良し五人組 (引く "1" で今は四人組) の座る位置が少し替わっていたり、とかね。
みかんの話に戻るね。
ワニが死んでもなお終わらない物語は、カエル君っていう新たなキャラの登場でようやく先に進む。
なんか新エヴァの"いい女"みたいだね。違うかな。
このカエル君がまた難しいやつなんだけども、それは置いといて。
新しい街でなかなか友達のできないカエル君に、やっとこさねずみくんが手を差し伸べるシーンがあるの。
そう、夕日の見えるとこね。
「101点だな」
て、ねずみ君が。
ぼそっと言って、それで、泣き出しちゃう。
泣いちゃうよね。
誰か一人死んだくらいでは終わらない世界、ねずみ君の中にだけある一人分の穴がさ、元とは違う形で修復されつつあるの。
それって、101点なんだ。
そういうところで、『100日間生きたワニ』は救いの映画だった。
で、そういうの初めてだから、扱いに困っていたんだ。ゴミ箱に捨てていい気持ちじゃないだろう?
そう、死なれると困るのはさ、その後更新されないこと。
生きてると、102点のやつが 110点になったり、はたまた 40点まで落ちたりする。
だからなんか、会いたくなったり、もう会いたくはなくなったりする。
けど、死んだやつの 102点はもう変わらない。
ハイスコアボードに残ったままの記録。見るたびに悲しくなっちゃうの。
だからさ、ねずみくんはきっとこれから先も 102点はつけられないよ。
まあでも、そしたら 101点でいっか。
プレイ補正・思い出補正が死ぬほどかかってることは前提として。
あと多いから、別に聞かなくていい。書いたら多くなっちゃって、もったいないから消さずに載せる。
『The Silver Case [Live Version]』
『The Silver Case [Tuesday Bloody Tuesday Mix]』
『Philistine (JP ver)』
『Theme of Highland Village』
『Theme of Highland Village R』
UNDERTALE
『Snowy』
『Waterfall』
『Ngahhh!!』
『Metal Crusher』
『Spider Dance』
『Asgore』
『Undertale』
(Megalovaniaは名曲だが挙げない。あれはUNDERTALEの曲じゃない)
『太陽は昇る』
Legend of Zelda The Wind Waker (ゼルダの伝説風のタクト)
『Ancient Hero』
『Pirates of the Dragon Roost Island』
あとはポケモン、カービィとかのアレンジも大好き。オーケストラverとか。
Motherのサントラも好き。アレンジで構成されてた初期のサントラ。1+2の原曲サントラも良いが、アレンジ版が2.5次元的なリアリティが感じられて好き。Mother3+ のD.C.M.Cのテーマとか。
http://anond.hatelabo.jp/20130912120735
なんかMOTHER3の話が増田に上がってて、ふと「なんで3のパーティキャラって俺女とか義足のオッサンとか犬とかへんに奇をてらったキャラばかりにしたんだろう、1や2と同じように、最初の3人は赤い帽子の少年と金髪の女の子と眼鏡がよかったのに」なんてMOTHER3の不満だった点を思い返していたところで、「そういえば小説版のジェフって後天的な事故が原因で義足なんだったな、3のパーティ3人目のダスターと同じじゃん」と今初めて気がついた。
思えば2のジェフの「生き別れ同然の科学者のお父さんがいて、父と微妙に確執があるちょっと育ちのいい感じの少年」という設定も、1のノベライズにおいて久美沙織が造形した「小説版のロイド」の設定がそのまんまだった。
(ゲーム版のロイドの父は息子同様にゴミ箱に入った状態で話し掛けて来る職業不明の気さくな人物である一方、小説版のロイドの父は「ギーグに捕らえられて敵のロボット兵器の開発をさせられていた気難しいマッドサイエンティスト」で、ジェフの父親であるアンドーナッツ博士に非常にキャラが近い。2のノベライズのあとがきによると、あまりにもゲームのジェフの設定が1の小説版のロイドそっくりだったので「同じ子じゃ書くのつまんない」と思ったがゆえに、久美氏はジェフにとんでもないオリジナル設定(※両足の義足とその原因となった事故のトラウマ)を追加してしまったのだという)
1の小説版からゲームの2に、2の小説版からゲームの3にリンクする「3人目の仲間の共通点」を糸井氏の意図的なものと見るのはあまりに突飛すぎるかもしれないが、意図的にせよ偶然にせよ、7年ぶりに思わぬ発見を得て少しいい気分だ。元増田に深く感謝したい。
Amazonで売られている久美沙織のMOTHERのノベライズは「作者はキャラヒイキし過ぎ、女の子(アナとポーラ)がビッチ過ぎ、オリジナル要素入れ過ぎ」とそりゃもうボロクソに言われつつも随分なプレミアがついている。
彼女はもともと凄まじく悪ノリ&長文&脇道癖のある作家であり、かつて小説版ドラクエの4〜6(特に4)を執筆した折などは想定読者年齢層を全力でブッチした筆の冴えを見せつけたことで(主に悪い意味で)その筋では有名である。ゲームでは「なんか魔族の王」程度しか設定されていなかったデスピサロの魔界での鬼畜イケメンぶりとロザリーに対するロリコンぶりを描写するために、実に第1巻の約3割を費した耽美と難解を極めるオリキャラだらけの序章を筆頭に「ドラクエの小説版」という単純な単語に惹かれた全国の無垢な少年少女を疑問の渦と睡魔の淵に叩き落としたものだ。
あれに比べたら小説版MOTHERの脱線ぶりなど屁のようなものであるが、それでも1の地底湖における妙に淫靡な13歳同士のラブシーン、著者本人も認める2のタイトル詐欺(MOTHERではなくBROTHERになってしまった)などは、精霊ルビス伝説を初めて読んだ小学生の頃から意味などろくすっぽ訳も分からず彼女の文章を刷り込まれて育った増田のような重度の奴隷信者には溜め息のひとつで済ませられても、彼女の作風を知らずまっとうなノベライズを期待して本を開いた方々には怒髪天ものであっただろう。
前述のような久美沙織のノベライズ奴隷信者たる増田が、開発中だった64版MOTHER3のサブタイトル(豚王の最期)を聞いて思ったことは想像に難くないだろう。勿論「次の小説版どうすんだろ」の一択だ。
ネタバレをすると、小説版の2のポーキーはゲームと違っていずこかへ逃亡しない。2の小説は一冊で完全に独立完結している。
ゲームよりかなり陰惨な設定を付け加えられ、死んだ方がマシじゃねえかと言う酷い目に遭わせられはしたものの、色々あって小説版の彼は救われ、オネットのはずれの家で弟達と仲良く幸せに暮らしている。
1では原作通りの「ジョージとマリアに育てられた宇宙人の子供」だったギーグを、2では設定を完全無視して「多次元宇宙からやって来た、人間に寄生して成長する凶悪宇宙怪獣」というわけのわからんものに平気で変えてしまった久美沙織の事であるから、恐らく3のノベライズも一筋縄では行かないだろう、どのような味付けをするつもりなのだろうか、とゲームも発売しないうちから想像してわくわくしたものだ。
だがいかんせんゲーム原作である3の発売まであまりにも間が開き過ぎ、残念ながらその間に久美氏の小説家としての執筆活動はほとんど行われなくなってしまった。
ゲームそのものの出来が賛否両論で関連グッズ制作に予算が割かれる可能性も少なかったろうから、どのみち彼女が現役だったとしてもノベライズの発売はなかったかもしれないが、今でも久美沙織によるMOTHER3の小説はどんなものだったのだろうと思いを巡らし、赤い背表紙の文庫本が3冊並んで棚に並ぶ事を願わないことはない。
多分ダスターは作者の好みの傾向から言って超かっこいい男になるだろう。ウェスは「ふしゃしゃしゃしゃ!」などと変な笑い声を上げるようなゲーム以上のしゃかりきジジイとして描かれ、一般プレイヤーなら名前すらウロ覚えであろうタツマイリ村の一住民の視点でまるまる一章が描かれることになるだろう。サルが主役の章なんかすごくそうなりそうだ。コーバのヨシダさんやマジプシー、ヨクバあたりのキャラはそのままでも彼女の筆にとてもよく似合うから、きっと笑ってしまうほど魅力的に描かれるに違いない。
そういうどうでもいい細部の事は想像できるのに、MOTHER3という物語を彼女がどう完結させるのか、ポーキーというラスボスにどのような結末を用意するのか、自分程度の貧弱な頭ではとても想像できない事が悔やまれる。
増田はMOTHER2の小説の中では、ハッピーハッピー村の教祖であるカーペインターについて書かれた下記の文章が一番好きだ。(ちなみにゲームに登場するカーペインター氏は、別段このような性格設定や過去があるわけではない普通の中ボスである)
少年の頃、彼は、痩せっぽっちで病弱で、ひどく不器用でした。学校ではいいところを見せるチャンスがありません。おまけに常用していた薬の副作用で顔がゾンビみたいに青かった。気味悪がられて、いつもひとりぼっちでした。こころを通わせることのできる友達が欲しくて堪らなかった。でも、どうすれば、ひとに好かれるような人間になれるのか、ちっとも分からなかったのです。
せつない気持ちをぶつけるために、教祖は絵かきになりました。さまざまな青の濃淡で描かれた彼の絵に、希望や共感を見出すひとたちが現れます。寂しいのは、彼だけじゃなかったのです。悩んでいるひと、困っているひと。ひと見知りで、ともだちを作るのが苦手なひとたちと、助け合って暮らしたい。そう思ったので、一生懸命働いて、この、人里離れた谷間の土地を買いました。誰でも、来たいと思うひとを歓迎する場所、みんなが他人を脅かさずに静かに過ごすことのできる場所として、ハッピーハッピー村を作りました。狭い画布ではなく、大地そのもの、空間そのものを、青いっぱいで埋めるのが、彼の夢でした。
平素の地の文では「今週のハッピーハッピー村信仰大賞佳作受賞者は、ご近所一帯に青大将三百匹を放したヌリ村のジョン作さんです!」などというクソみてえな悪ノリを平気で書くくせに、彼女はこうやって時折、心に突き刺さっていつまでも離れない文章を書く。忘れられない文章がいくつもある。
だから未だに彼女の書くMOTHER3の物語をずっと諦められずにいる。
久美沙織が大昔に書いたゲームノベライズのことなんて知っているマニアックな年寄りは、いかにネット広しといえどもきっとあまり沢山はいないだろう。「翠の髪のボウシャルマン/王宮付きの軽業師」なんて小説版ドラクエの作中詩の一節をググったところで出てきやしない世知辛いご時世だ。
それでもこうして長文を形にしておけば、そのうちこれを見つけた同じ気持ちの誰かと思いを分かち合えるんじゃないかと思い書き残しておく。
RPGの話をする。
RPGっていっても、テーブルトークRPGやMMOとかじゃなく、ドラクエやFFみたいな俺が青春を費やしたやつだ。
ストーリーってもう出尽くした気がするんだよね。
かつては、ストーリーに出尽くしなんかないと思ってた。
もちろん、定番のネタというのはあるけれども。
でもさ、思えばRPGにおけるストーリーの制約はけっこう厳しい物がある。
町の平和を守るとか、そういう小さな目的から、世界を救うといった大きな目的まで、その流れに沿って話を進めないとならない。
ハードと媒体の進化によって、グラフィックや容量に制限はなくなった。
いくつもの国があり、それぞれの国にはいくつもの町があり、それぞれの町には何百人、何千人、時に100万人以上の人間が住む大都市まで登場する。
そんな世界では、一人の魔王を勇者が倒せば諸問題が全部解決する、なんてことはありえない。
現実と同じくらい複雑な世界では、その世界の諸問題も現実世界の諸問題同様に複雑で、誰か一人をやっつければ解決するほど単純なものではない。
独裁者、魔王、そういった一個人をラスボスにすることが出来ないとなれば、ラスボスは超存在とか概念となる。
スーファミ時代から、いやファミコン時代の後期からそういう傾向はあったけどさ。
でも、そういうのってしっくりこないんだよね。
昔話、神話で刷り込まれた勇者が魔王を倒すっていう基本のストーリーははやっぱり強力。
そういう単純な話、敵をやっつけて一件落着というラストに落とし込めるような、箱庭的な小さな世界観のゲームのほうが結局面白い。
「世の中には善と悪だけじゃなくて、偽善やら偽悪やら、善のつもりで悪をしてたり、その逆だったり、頭じゃわかっても憎しみは消せなかったり、いろいろあるんだ」
などと説教されても
「うるせーバカ」
となっちゃうだろ?
最近になって、糸井重里がMOTHER3の開発が頓挫した理由を「大作主義に陥ったため」と説明した理由が理解できてきた。
フラッグシップハードのRPGは大作である宿命が義務付けられている。
グラフィックは美麗でないといけないし、美麗なグラフィックは古典的で単純なターン制では許されない。
誰得な複雑でわかりにくく珍しさだけで楽しくもないシステムを抱き合わせさせられる。
世界は壮大でないといけない。
敵の目的も壮大でないといけない。
ちっぽけな主人公の存在が世界の大きさに押しつぶされてしまうのだ。
(じゃあ主人公をちっぽけじゃなく、特別な存在にすればいいのか?そんな特別な存在に感情移入できるのか?)
ずいぶんと後に、ゲームボーイアドバンスでMOTHER3が発売された。
物語の全てが小さな島のなかで進行した。
人類が生き残っているのはその小さな島だけだった。
それでも、大作を目指してしまった痕跡と言うか、いろんなものを詰め込み過ぎた痕跡が見え隠れして、MOTHER2ほどの面白さがなかった。
「他の犬は知らないかもしれないけど、君達が世界を救ったこと僕は知ってるよ」
と言ってもらえるような冒険がしたいんだよ。