はてなキーワード: MSXとは
現在、33歳。「半導体関係」という業界で働いている。(半導体とは、世界中のおよそ全ての電子機器の中に入っている部品の事)
多数の躓きはあったものの、自分の道を疑問に思う事なく、導かれるようにしてここまでやってきた。
ここは、自分が居るべき場所であると感じている。
人生が新たなセクションに入ろうとしている今、何故自分はここへやって来たのか、振り返り、確認してみたい。
小学生低学年の頃。日曜日の朝。「漫画日本の歴史」→「筋肉マン」→「ミームいろいろ夢の旅」というアニメ3連コンボは至福の時だった。
前者2つはもちろん、ミームは特に好きだった。アニメの内容は、当時の知見における「近い将来、世界はこんな進化を遂げ、スッゲー情報科学世界が実現する!!!」という未来像が紹介されるものだった。
そこには、無線情報端末は言うに及ばず、今で言う「インターネット」さえも登場していた。
理由はわからない。とにかく毎週、そこで紹介される未来像にひたすら胸が躍った。
これが、今へと自分を導いてきた最初の一つだったのだと思う。
そして2つ目。小学校高学年の頃。
地元熊本県で、「グリーンピック熊本」という、ちょっとした科学展があった。そこには、「ミーム」で見た世界の一部が実現されていた。
テレビ電話、ステージとモニタの中を自由に往来しながらトークするお姉さん、3Dモニタ、壁を覆いつくした多数のモニタとそれを操る多数のPC・・・・・・。
その頃、当時の我が家としては余りにも高額な(でもメーカ的には廉価版)のMSXというPCを買ってもらった。三菱製だった。
ローマ字をやっと習った程度。英単語なんて読めない。それでもブ厚いマニュアルをめくりながらコマンドを「シーオーエルオーアール」等と口にしながら覚えていった。
X,Y座標なんて書いてあっても理解不能。しかしこの辺は実際に弄りながら試行錯誤してみる事でなんとなく理解出来た。
そうやって、MSX BASICというプログラムを身に付けていった。
この頃のこういった行動は、今の自分にかなり大きな影響を与えていると思う。
目標の設定→現状把握→ルート設定→目標達成のための障害把握→障害の除去方法習得→実現。
この思考/行動が極めて迅速かつ正確に出来るようになった。大人になってから気付いたが、この自分にとっては余りにも当たり前の事が、他人にとっては特別な事で、やろうとしても出来ない人が多い。
3つ目。
裕福ではなかった、昭和における平均かそれ以下であった我が家。母親は「子供との時間を確保するため」外での勤めをせず、内職をしていた。
帰宅すると母が内職をしている。内職に夢中で自分に構ってくれない。それが気に入らず、母親がやっと作業した品をグチャグチャにした事も、何度もあった。
時折、気まぐれで手伝ったりもした。
母親がやっていた内職とは、数ミリ□~2センチ□程度のモノに絶縁テープが巻かれたもの。それから、針金が何本も並んで突き出ている。
就職してから知ったが、これも所謂「半導体関連製品」であった。
高校は、公立で入れそうな所を受験した。理数科だった。意図して選んだわけではなかった。「ここなら落ちないだろう」との判断だけだった。
大学へも行った。工学部。電子工学。研究室ではすばらしい方々とともに、当時の世界最先端の研究を体験させて頂いた。
「ここに書いてある会社なら、間違いなく入れますよ」ってファイルが置いてある。その中から、成績の良い生徒から順に就職先を決めていく。成績最下位だった自分は、残りすくなったリストの項目の中から、最も地元に近い会社を選んだ。それが、今働いている会社。
就職して10年目。既にエンジニアとしては成熟し、今後はマネージメント側に回るのか、エンジニアとして続けるか、或いは別の道を行くか。決めなければならない。
こうやって振り返ると、今の自分がここに居るのは、何らかの力による必然である様にさえ思える。
先述したように、今、自分は、人生が新たなセクションに入ろうとしている。
今はまだ、わからない。
ただ、思う。もしも必然であるのなら、この先も、望むと望まざるとに関わらず、同じ世界で生きていく事になるのだろう。
そんな中、去年の夏、素敵な人の存在を知った。
egachan.netというのをやってる、「えがちゃん」という人。非モテ、のあの人。
現実逃避。それでもいい。
今はPHPを弄りながら、自分がどこに辿り着くかは、流れに身を任せたい。
蛇足になるが、当時の母親が扱っていた様な製品は、体積でいうと数百分の1~数千分の1のサイズまで微細化されている。もはや、年老いた母親には見る事もままならないだろう。作業自体も、フルオートである。手作業はない。全てを機械がやってくれる。
自分が入社してすぐに関わった製品もまた、今では当時の1000分の1の体積まで微細化されている。
微細化の先には有機との融合の時代が待っている。(もうずっと前から始まっている)
初めて増田を使ってみた。
大抵の方はタイトルを見てこのエントリに来ていただいていると思うので、グラディウスリバース(以下グラリバ)についての説明は割愛。
グラリバが配信されて当然速攻で落として、平日だと言うのに必死でプレイして、コンティニュー連打で何とかノーマルモード3周済ませた。
さあ、自分の表のブログとかmixi日記とかで良い感想をたくさん書いてグラリバを大いに盛りあげてやろう、と思ったのに・・・何故か手が進まない。
情報公開から配信、そしてプレイ中はあんなにいい気分だったのに、どうしてもグラリバの、他人に推したい点が思いつかないのだ。割と本気で困っている。
もちろん、移植ではない完全新作タイトルであるところとか、グラディウスとしてバランス良く仕上がっているとか、この内容で1000円というコストパフォーマンスの高さとか、MSXグラディウス2のビフォーストーリーが語られているとか、難易度EASY/VERY EASYが史上最高に簡単(でもNORMALの下がいきなり敵弾破壊可能、で「普通のEASY」がないのはどうかと思う。本来EASYに求められる「敵の攻撃パターンや弾の撃ち方を覚えましょう」って役目を放棄している気がする…)とか、良い点はたくさんあるんだけど、他の作品ではなくこのグラリバを他人に「YOUプレイしちゃいなYO!」って推す要素が見つからないのだ。
ご存知の通りグラリバは、ありとあらゆる要素を過去の作品から引っ張ってきている。曲しかり、ステージグラフィックしかり、敵キャラしかり。
Wikipediaなんかだと「随所に小ネタが??」みたいな書かれ方をしているけど、“小ネタ”でしかゲームが構成されていないと言っても過言ではない。
むろんこれは「グラVI」みたいなナンバリングタイトル(メインストリーム)ではないし、WiiWareだし、言うなれば携帯アプリみたいなもんで、だからこういうセルフパロディというかミニゲーム的な内容でも全然ありだと思う。最初から「100%旧ネタを用いたセルフパロディ的作品です!」とアナウンスされているならこんなに変な気分にはならなかったと思っている。
グラリバみたいな「旧ネタ」を盛り込むことを重視した作品と言えば「外伝」が思いつくんだけど、旧ネタをそのまま、ではなくてちゃんと咀嚼してそこから新しいものを作り出しているじゃない。
例えば3面の結晶面。「グラII」3面が元ネタであるのは自明だけど、そこにレーザー屈折という新しい要素を加えてきた。
あと7面の火山面。ステージグラフィックは伝統の火山面そのままなんだけど、ここに「エピII」4面の重力要素を加えている。エピIIでは地形に引かれるというギミックだったけど外伝は地形までも巻き込んで画面方向に引かれるという凝った演出で。
でもグラリバのステージは元ネタをそのまま引っ張ってきていて全くひねられていないことにガッカリ、というか困惑させられている。骨面とかは本当にそのまま。骨面なら骨面をやりたい!と思ったときに、PCE版グラIじゃなくてグラリバを選ぶ気になるか?という話。
音楽に関してもそう。作曲者はいまやシューターならその名を知らない者は居ないと言ってもいいような人気コンポーザー、並木学さん。僕もとくに並木さん本人のファンというわけではないけど、「バトルガレッガ」と「ケツイ」の曲は大好きでよく聴いてる。
そんな有名なコンポーザーをおそらくは高いギャラで雇って「新曲はいらないです。全曲過去作からのアレンジでお願いします」とは・・・僕ならとてもじゃないけど言えないw
だって、並木さんの曲が好きで、グラディウスの曲が好きだったら「並木さんの作るグラディウス」が聴きたいでしょ、常識的に考えて。
たとえば空中戦をアレンジ曲、ステージ曲をオリジナル曲、とかに出来なかったのかなと。
あとアレンジもあまり「ひねりがないな」と言うのが正直な感想。例えばSFC版「グラIII」の奇数面ボスの曲なんかは「Aircraft Carrier」のアレンジで、譜面だけで見ると全然変わっちゃっているんだけど、やっぱり聴けばちゃんと「ああ、ビッグコアの曲のアレンジだ!」って分かる。折角高名なコンポーザーを高い金で使うんだから、そのくらいやっていただかないと損じゃないか?と思うし。
あんまり音楽の話ばっかりしたくないんだけど、原曲とグラリバで曲が使われている場面にあまり整合性がないのも何だかなー、って気分になる。元ネタの曲を選定したのが並木さんなのかM2さんなのか分からないんだけど、曲だけ聴いて決めていたとしたら、ちょっとそれは元ネタに対する敬意が払われていないんじゃないか、と思ってしまう。
全5面のうちの2面でいきなり「LAST EXIT」が流れてくるのはやっぱり違和感があるし、最終面の曲がよりにもよってMSX沙羅曼蛇のバッドエンドの曲とか、縁起が悪すぎるw(伝統的に最終要塞の曲はもうちょっと明るい雰囲気が多いのでその点からも違和感がある…)
そして一番違和感があるのは、開発元もプレイヤー側も、「今回のグラ新作、旧ネタ満載で素晴らしい!」としか捉えてないこと。満載って言うか、ここまで来ると過積載だよ。
2chのスレとか、ネット上では「グラV」とか新しいグラディウスはあまり受けがよくないように見えて(でもこれは本当に「見える」だけだと思う。反対派の声がでかすぎるだけで実際には「反対意見はないから出さない」人がサイレントマジョリティだ)、「旧作の曲はあんなに素晴らしかったのに」「旧作のステージはあんなに遊び甲斐があったのに」みたいな意見をよく目にするから、おそらくはそういうプレイヤーたちに文句を言われないようなつくりを考えたらああなってしまったんじゃないかな、とも思う。作曲者も、東野さんや古川さんを呼べないなら、文句が出ないような人だともう並木さんぐらいしかなかったのかなと。
確かに文句は出ていない、いまのところ。ゲーム単体として考えればグラリバは普通にグラディウスだし面白い。でもあまりにも姿勢が安直過ぎる。「文句を出さない」事しか考えてなくて、「グラディウスの新作を作ってやろう」、ひいては「新しいゲームを作って売り出そう」ってことへの意欲が全く見えてこない。
僕もグラディウスが好きで、ここで言う「旧作」もほぼ全部プレイしたことがある。それゆえにグラリバで旧ネタがいっぱい使われていると知ったときは嬉しかった。MSXシリーズのストーリーに則った作品だと知ったときは本当にエキサイトして、変な汁が出そうになった。…しかし、「旧ネタしかない」グラディウスを商用作品で出されてしまって正直なところ嫌な気分になっている。「あいつらは旧作だけ与えておけばおとなしいから」ってバカにされている気がする。
グラリバには「グラリバだから出来るなにか」がなくて、「次に続くなにか」もない。
だから残念ながら僕は、他人にこのゲームを勧める事が出来ない。
http://anond.hatelabo.jp/20071107215504
民営化20周年を迎える記念に、何かをやろう。
最初は、誰もが、冗談だと思った。
どこかで誰かがもみ消すと思った。
しかし事はトントン拍子に。
ついに社長が動いた。
プロジェクトチームが結成された。
集められたのは、鉄道車両のプロたち。
全てがいちからの戦いだった。
救いの手は、近くにあった。
割烹着のおばちゃんが、女神に見えた。
列車の揺れが、立ちはだかる。
急停車も、強敵だった。
「揺れてもこぼれないつゆをつくれ!」
しかしそれは、味とのせめぎ合いでもあった。
どうせやるなら、最良を。
メンバーが鰹の産地へと、飛んだ。
全て解決したかに思えた矢先のこと。
「そば湯…どうする…」
全てが白紙に、もどった…
気の遠くなるような試行錯誤。
その全てのトンネルをくぐり抜け、
むかしむかし、あるところに、プログラマーがいました。
ある日、プログラマーは自信たっぷりのコードを書き上げました。
「ぼくは、なんて、すばらしいコードを書いたのだろう。ぼくは天才にちがいない。」
しかし、プログラマーは、うっかりそのコードを泉に落としてしまいました。
プログラマーがとほうにくれていると、中から美しい女神が出てきました。
「あなたが落としたのは、
それとも、この短くて、美しくて、完動するコードですか?」
プログラマーは言いました。
「こっちの完動するコードです。」
女神は
と、SONYのMSXパソコン(HIT-BIT)を残して、泉の中に消えていきました。
おしまい。
はてなブックマークの関連サイトがアンテナハウスの憎き敵のクセロで笑った。(くわしくはアンテナハウスのブログで)
http://anond.hatelabo.jp/20070726125122
PrimoPDFって前使ったけど、Ghostscriptだよね。確か。それなりに信頼性はおけるわけだし、ギークにはウケがいいのかもしれず。
PrimoPDF3.1になってWeb・Print意外にCustomができたのが大きな違いなのかなぁ。(よーわからん)
資料をとりあえずまとめておくにはPDFはいいよね。
あとはもっと何かこう直感的なPDF Viewerがあるといいよね。Appleさん、PDF Viewer開発すれ。iViewsとか。
著作権法が親告罪だってことはわかってる。でも僕もちょっとそこら辺を適当に書きすぎてた。補足ありがとう。
でも、僕が言いたかったのは、「ビデオゲームのプレイが一種の著作物と見なされるなら、そのためにゲームの要素を引用として扱うことは正当な行為ってことになるので、ゲームの各種著作権保持者みたいな人から(黙認でなくても)訴えられることはないのかもね」ってことなんだ。
というわけでちゃんと調べてみたよ。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2007/05/11/15676.html
あばばばば。
そうか、「思想・感情の表現」じゃないと著作物とは認められないのか。ウィキペディアの「著作権」を見てみたけど確かにそう書いてある。じゃあゲームプレイがのさばってるのは黙認の結果なんだね。
でもその続きの部分は一体なんなんだろう。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2007/05/11/15676.html
ゲームのプレイ動画は、思想・感情の表現ではないので、著作物には当たらない。BGMは著作権に触れるが、画面そのものは素材として使える
BGMは著作物で、かつプレイが著作物として認められないので引用として扱うこともできず、アップロードした人に対して著作者が訴えれば著作権の侵害として成立する、というのはわかる。でもなんで画面は構わないの? ゲーム画面内の画像だって立派な著作物だよ。
そりゃMSXとかの大昔には「小さいドット絵なんて誰が描いても同じだから著作物とは認めない」なんてことも言われてたけど、いくらなんでもファミコン以降のものに適用できる話じゃないよね。いまいちよくわからないなあ。
そうそう、それから思想・感情の表現が含まれるプレイって存在するかな。Line Riderのプレイ動画は該当しそうだけど。
昔はパソコン雑誌がたくさん発売されていた日で、これは8日もそうであった。たいてい、その前日や前々日に秋葉原の某ショップへ行くとすでにその月の号が並んでいて、それを買ったものだ。
当時は、今よりも給料が安かったのだけれど、家族もいなかったせいか、可処分所得は多めで、今みたいに領収書などもらわなくてもぜんぜん平気だった。ガンガン買った。
本を買ったあと、その足でいくつかのゲーム売り場を周り(ファミコンなどのゲームではない。もちろん、パソコンのゲームだ。もっとも、MSXやらそんなものだが)、一度に2つも3つもゲームソフトを買ったものだ。
とはいえ、ほとんどのソフトは、数分遊んだくらいで「なんかつまらないな」と辞めてしまっていたものだ。
ゲーム好きではないくせに、ゲーム好きでありたいと思っていたという自覚は当時なくて、当然のように、自分はゲーム好きだと信じていたんだ。そんな体たらくなくせに、だ。
それでもそこそこ、ゲーム業界で生きているということは、地頭の良さがあったせいだけれど、もう疲れた。
ゲーム、つまんないじゃん。
と思う。
たぶん、そういう年代なんだろう。
暗い話にばかり、やたら詳しくなったもんだ。もんだ。もんだみん。もんだあんどぶらざーす。ブラジャーす。ブラジャーはしません、普通のときは。
蟹が食べたい。