はてなキーワード: LTとは
東京マラソン当選したので当日まで5ヶ月禁酒したい。週末だけハイボール飲むんだけど今週は我慢できた。ノンアルコールビールで誤魔化せそうなんだけど、調べてみたら添加物とか注意しないといけなそうなので銘柄は気をつけてみる。ただ抑肝散加陳皮半夏は飲んだ。
昔、涼宮ハルヒの憂鬱にハマっていた。
アニメのエンドレスエイトや消失映画も見たし、聖地も巡ったりした。
原作もくまなく読んで、伏線らしきところをチェックしたりもした。
色々あって、別のアニメが気になり始め、同時に原作の刊行がゆったりめになったのもあり、ハルヒに触れなくなった。
最近、また再度興味が出て、最初から読み直してみているが、どうにもキョンに納得がいかない。
そもそもキョンが「10代の男子」であることを考えて、なおかつ「素直にはものを言わない」(=いわば信用できない語り手)でもあるから、多少は仕方ない。
だが、どうにもそれを踏まえてもよく解らん、となる。
消失の受け取り方はそれなりに読者・視聴者でさまざまかと思うが、あれはラブストーリーだと思っている。
キョンは長門の世界改変を(エンドレスエイト等を踏まえての)バグである、またはSOS団の活動を経ての感情の生まれであるとしている。
私は前者は確実にないだろう気がした。無論長門もそれなりに疲弊はしただろうが、「バグ」と片付けるのはどうなのかと疑問に思う。
後者のSOS団の活動を経て感情が生まれた、というのは「お前解ってて言ってるだろ」と思ってしまった。
長門は「キョンに自分を選んでほしい」というように思っていたように、私には感じる。
初期の探索の時に、図書館カードを作ってくれた。それが嬉しかった。でもそれを「嬉しい」と実感し、伝えるまでにも時間がかかった。
ともあれ、その探索の時のカード発行とそれ以後に、長門の中で恋心が生まれたというのは、私の妄想ではないと思う。妄想だったらすまん。
しかし、キョンはかたくなに長門にたいして「バグ」「感情が生まれた」「疲れている」というふうに話す。
そうかも知れないけど、あんなふうに接している消失長門の恋心を解らんはずがない。おそらく、解っているうえでそう話す。
私はいわゆる長門推しでもないし、キョン長でもない。だが、そんな私ですら「そりゃねえよ」と思ってしまった。
「気付いていながらスルーする」というのは、そういう気がないからと断るよりタチが悪いんじゃないかと思う。
私だったら好きな相手にその想いを気付かれながらも、その想いの存在すら認められなかったら悲しい気がする。
だいたいキョンはまだ高校生の男子で、しかも素直ではない、かつかなり面倒くさい性格をしていることを鑑みればこういう態度も仕方ないだろうし、
メタ的に見れば読者への明言を避けたということもあろうとも思う。
だがやっぱり何度考えても「そりゃないぜキョン」という感情が出る。
ハルヒとの関係すらもあやふやに流されている中で、長門だけ明確に「ふってしまう」というのは出来なかったとしても、なかなかしんどい。
とはいえ、巻を重ねるにつれある程度そういうモヤっとする部分は薄まっているので、新作は楽しみ。
新しい職場の歳上の既婚者に人懐こい人がいる。
複数人でランチに行ったり飲み会の予定を立てたり何かと楽しい。
多分相手はなんとも思ってないんだろうけどこの週末何度かその人の事を思い出してしまった。
フェイスブックで奥さんと幼い子供の写真を確認してクールダウン。
してるつもりのにもう少し仲良くなりたいと思っている自分がいる。
今は構われて嬉しいで済んでるけどあと一押しで恋心になりそうでとにかく怖い。
無限ビットコンピュータがあれば、シミュレーションと創造が等価になる理由は以下の通りです。
1. 計算能力の無限性: 無限ビットコンピュータは、あらゆる情報を同時に処理できるため、現実のすべての物理法則や事象を詳細に再現できます。
2. シミュレーション仮説: ニック・ボストロムによると、十分に進化した技術があれば、宇宙全体や生命を完全にシミュレートすることが可能です。この場合、シミュレーション内の存在は意識を持ち、実際の経験を持つとされます。
3. 創造的な再現: 無限の計算リソースがあれば、過去の出来事や異なる可能性を同時にシミュレートし、実際の宇宙を模倣することができます。これにより、神のような存在として振る舞うことが可能です。
このように、無限ビットコンピュータは現実を完全に再現し、新たな現実を創造する能力を持つため、神のような存在になると考えられます。
はーいろんぱっぱ😝
うーわ、仕事できなさそうな奴のコメントだな。優先度低くても時間が経てば優先度高くなるだろうが。何日も交換されないタオル使うのか?トイレットペーパーや洗剤が今必要って時に無かったら補充せざるを得ないだろ?こういう解像度低くて横着する人間と生活や仕事するのしんどいんだよな。全部1人でやってろよ。
うるせーでしかない
あれ早いフリしてるだけだってさ
遅すぎた気付きをどうにかして死なせず活かしたい。
そういう気持ちをストレートに綴るなり物語に乗せるなりして、せめて他人に役立ててもらおうとする。
でも何かを大切に思う気持ちなんてものは、自分の身体と時間を使った体験を通じて自分の心から湧き出た時に初めて重みを持つ。
食べ物の好き嫌いやチャリの乗り方をいくら言葉に変換した所で、その感覚は他人に受け渡せないように。
結局同じ後悔を抱く者同士でシェアして、感傷に至る酔いを与えるだけなのかもしれない。
そもそも「気付き」ですらなく、どんな選択にも伴うような後悔を実感や納得で振り切れずに、遡及的な粗探しをしているに過ぎないのかもしれない。
何を選びどう転んでも満足のいかない、救いようもない運命だったなんて考えたくもない。そんな出来レースの負け試合ではなく、正しい道もあったのだと信じたい。自分が判断を誤っただけだと。
でも自分の気持ちをそっくりそのまま伝える事はできなくとも、同じ轍を踏ませないためのヒント程度にはなるのかもしれない。そうあって欲しいという祈りの言葉でもあるのかもしれない。