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2016-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20160731174717

https://anond.hatelabo.jp/20160731175620

元増田です。

返信ありがとうございます

ただ、主に盗作関係についてはやはり何度重ねて説明しても大事な所を読み飛ばされており、そのせいで全体的な話や意図も読み違えられたままで残念に感じます

①を読んでないからそういう返信になってしまっただけかもしれない、と少し期待していましたが、①を読んでも変わらなかったみたいですね。

やっぱり大好きな作品を納得いかない理由でけなされるのはストレスが溜まるものですからね。

とありますが、納得しやすいように理由説明しようとしてる部分をことごとく避けて言及しているから納得いかないのでしょうね…。


またそれぞれの部分にいちいち言及していく形式では文章が長くなりますし、同じこと繰り返すような状態に陥るでしょうから、先述の盗作関係において、改めて主張したいことを中心に言及しておきます

その部分についてはおりあそ氏も過去ツイートにて、原作から内容が変わることはよくあるので一期の改変等は問題ないというようなことを仰っているのを拝見しました。




しかし、改変の理由や経緯に不要盗作やらオマージュ願望が関わっていることが問題なのであり、そこを無視して変わるのはよくあることだからとか、盗作から何だと語られてもはてなマークが浮かびます。その説明最初記事でもしているのですが…。


ただ改変しただけであればまだ分かります。元々独立した設定や世界観がある作品を、別の既存作品になぞらえて変更する姿勢や経緯に問題があるということです。

また、お互い様主観で語らせてもらえば、アニメのにこや真姫、希のキャラクター設定原案に比べると全く新鮮味がなく、陳腐な設定に変えられてしまっており、到底好意的に許容できるものではありません。

原案のにこや真姫、希みたいなキャラクターは昨今においてはこの作品しか魅力を味わえない可能性の高い卓越性あるキャラだっただけに、勿体なさとやるせなさばかりを感じます。その上、くどいようですが変更理由が話作るの面倒で盗作たからだったという信じがたい怠慢な理由による変更と解釈で、そんなどう考えても擁護不能の状況を理由にならない理由を繰り返し用いてまでして擁護しようとしてしまう人のことは頭の中身をさばいて見てみたいくらい不可解です。


参考に、アニメ化以前にあったにこの性格議論の内容を見つけたので載せておきます

にこにーは腹黒か? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/117836

の中にある、腹黒(キャラを作っていたら)だったらありきたりでつまらないといった意見自分意見に近いです。

脚本家によれば、脚本の都合に合わせるために性格を改変したとのことでしたが、その「話の都合」というのが崇高なオリジナリティに溢れる都合だったり、意欲的な再解釈による改変とかであったりしたならまだ少しは分かります

しかし実際は安易盗作オマージュが絡んだものだったわけで、とても制作された作品はもちろん、制作における姿勢自体も最低限度の健全状態を保たれていたとは思えません。

そんな信じがたいほどふざけたものに巻き込まれて設定が消された本来キャラクター世界観を好きだった身としては特にですが、倫理的に考えても許容は推奨できません。

最大限、原案設定や原案ファン意思尊重検討した上でのものであれば、少しは溜飲も下がるかもしれませんが、そんな様子は様々な作品の展開や発言を見ても見受けられません。

2期においては原案公野先生アニメ以後に作った新たな設定を部分的に持ち出しては改変し汚すという喧嘩を売っているように思える描写が随所に見られます。(にこの家族設定や希の関西弁理由など)

また、制作側だけでなく運営側問題でもありますが、アニメ化以前から続いているシングルPVや音声ドラマなどは元々当然ながら原案の延長線上の設定が採用されていたのですが、アニメ以降はアニメ設定を元にした内容になってしまいました。

まり並行世界存在価値がそれぞれ尊重され維持されたとは言い難く、設定の侵食統一といえるでしょう。

ただでさえアニメ化以降に作られたスクフェススクパラなどのゲームではアニメ設定を基調としているわけですからアニメ以前から始まっているPVや音声ドラマくらいは原案設定を維持してくれないとフェアじゃありません。しかも何度も言及したように設定改変の理由には盗作等の問題が関わっているわけですから尚更です。

そういう意味でも、設定変更の経緯に問題があることはよくあるからとか許容範囲とかそういう風に安易に見過ごせるレベルではありません。そのあたりの理解を雑に行った上で設定の分かれ方を語ってしまう人が多いのもとても残念で呆れてしまう所です。


喩え話については、一応どれが何の喩えになっているか説明しておいただけであり、言い換え可能からと言われても理由になっていません。作品において何が大事なのかの考え方の説明などもこれまでしてきました。

アニメ作品において云々の話は前回あたりにしたメディアミックス云々の話に戻りますアニメアニメで、切り離して考えるとしても、設定統一侵食の件で切り離したかOKという問題にもならず、またそれらが安易盗作云々の健全と言い難い経緯を経て調理されているために作品を扱う倫理問題があるというのを、今回もそうですが何度も説明してきました。

「多少整合性に疑問があったとしても適当に補完できる程度の問題」これは絶賛派が大好きな理論みたいで、似たようなことを言っている人を沢山見かけます

批判や指摘について「多少」とか「細かいこと」と言う人が多いですが、その点が「細かい」所扱い、「適当に補完」できる所ではないということも長々とこれまでのやりとりの中で説明してきていたはずです。自身言及を避けたからといってこちらが説明してないことにしないで頂きたいです。

これはkato19氏とは別の所ですけどミュージカルから大丈夫、みたいなことを持ち出して整合性のなさや物語性のなさを擁護しているおかし人達が絶賛派には多いですが、ミュージカル冒涜しすぎだと思いますね。

批判してた人が急に歌い出したことをおかしいと批判してたとしたら多少はミュージカルを知らないのか、とかを持ち出すのも分かりますが、それ以外の所についての擁護ミュージカルから大丈夫というのは意味が分かりません。仮にそれが通ると仮定しても、ミュージカル演出自体が嫌いな人からしたら何も納得できないでしょう。その場合ミュージカル演出選択たこ自体を責めてるのですから

自分は他のアニメで用いられるミュージカル演出はむしろ好きなことが多いのですが、ラブライブ演出はそれが生かされてることがないので嫌いです。基本の物語の流れが死んでしまっている上で、ミュージカルっぽくして誤魔化しとけ、という苦し紛れな用いられ方が多くて白けるだけです。

それにラブライブ場合、そのミュージカル演出盗作元のglee由来ですしね。その他の演出劇伴音楽などを含めたgleeに影響受けたもの本来ラブライブ!作風に合ってるようには思えず、盗作云々を抜きにして見ても何もかもが噛み合わず滑ってる作品だなあという印象を受けます


話がズレましたけど、そのようなわけで、絶賛派が、批判者の言葉文章咀嚼しようとしないどころか表面すら理解しようとしない上でまともな理由を持ち合わせず「批判しないで下さい」「批判したらダメです」というようなことしか言えないのを見ていると、やはり作品どうこうについての理解や興味はないんだなと思いますし、ファンである自分状態しか興味がないんだな、とますます思えてきます


それと絶賛派が作品批判が広まるのを不思議なくらい恐れることについては、それは主に絶賛派が批判に対して反論することができないからというのもあるのでしょうね。

一方で、自分アニメラブライブの賛美ばかりが広まることを恐れていますラブライブのことだけならまだしも、あのような作品を良いと思ってしまうような価値観を持ってしまう人が増えることで、それに乗せられたクリエイタースポンサー等がラブライブ同様のどうしようもない作品ばかり作るように(作らせるように)なってしまったら、アニメ業界は何も楽しめるものが作られない世界になってしまますから、それはとても恐ろしいことだなと思います


結局、議論を交わした意味らしい意味があったのか少し謎ではありますが、個人的には意見を聞いてもらえた、考えてもらえたという証拠をこうした意見交換の形で残してくれただけでも意味があったかな、とは考えていますありがとうございました。

2016-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20160417023832

この話聞いてて思うんだけど

Gleeディアナグロンやってた役って

出だしこそ高校で一番のアイドルチアリーダートップなんだけど

高校生妊娠して出産して学生同士で結婚した挙句相手犯罪者

そのあと交通事故あって車いすに乗るようになって

そのあと子ども育てるためにホームセンターバイトのおばさんだかになって

最後「私は負け組だったわ」ってヒロインをうらやむ役なんだよね

秋元康それ知ってんのかなといつも思う

2016-04-16

gleeレギュラーの脇役にダウン症少女がいるのか。

ダウン症っつっても色々だろうが、青春ドラマのようだから

おおむね楽しく活動してるところが描かれていそうだな。

重い精神病登場人物とかはどうなんだろうな。

大体中学高校発症するやつ。

それっぽい人もアニメだと出てくるけど。

キャプテンアースの敵の写真が上手い人とアイドルとか。

マイリトルポニーピンキーパイが少なくとも二回明確な精神病体験をしているな。

一回はディスコードだかいう悪役の影響によるけど。

そこまで重くないのだとヴァルヴレイヴの悠木さんの役の恐怖症とか

ソードアートオンラインの沢城さんの役の銃の世界の人とかか。

最近だとディヴァインゲートの最後から2話目の人は

病気だか性格だかの微妙なやつだな。

秋元康を本気で批判する人

女の子」を愚弄した秋元康を<断罪>する  『glee』が私たちに教えてくれたこと - messyメッシー

http://mess-y.com/archives/29624

の2ページ目

ニュースになんか興味がないし たいていのこと 誰かに助けてもらえばいい」

「人は見た目が肝心 だってだって内面は見えない」

  

というのも嘘であることを『glee』は教えてくれる。「人の内面は外から見える」し、安易恋愛を消費しないキャラクター

本作に多数登場する。逆に自分の美貌に頼ってもたれかかってくるクィンに対して「Hold on to Sixteen(君には未来がある、

自分の可能性を楽しめよ)」と世間規範から逃れられない彼女に助言を与えようとすらしているのだ。

この筆者こそ秋元康内面無視してるわけだけど、誰も秋元内面には興味がないのでそれは良いとして、

gleeのようなテレビドラマ、言ってしまえば「おとぎ話」の中に、人生真実とか真理を見出して、秋元康

攻撃したくなってしまうのは、なんなんだろうね?

  

現実世界多様性を持つが、平均値としてはかなり過酷で、その世界を生き抜く人の癒しとしてglee機能している。

パプリカさんというこの筆者の方の生きている世界はその平均値からはかなり良い方にブレていて、だからこそ秋元康

攻撃したくなる。おとぎ話世界を壊すなと。

  

この筆者が考える「あるべき世界」と、現実世界乖離がある。だからこそ戦っているのだろう。

だが、現実世界を変えるだけが戦いの全てではなくて、秋元康歌詞のように現実生き方を合わせるのもまた

戦いではないのか。

自分と同じ戦い方をしない人たちを敗者と決めつけ、あるいは敵とみなすようなやり口。

気持ち悪さの原因はそこだと思う。

  

3ページ目

秋元氏が「難しいことはなにも考えない 頭空っぽでいい」というイメージと結びつけた女優ダイアナ・アグロンその人

のことも付記したい。彼女映画界にも進出し多くの作品に出演しながらチャリティ活動にも熱心だ。動物保護、同性

愛者権利活動を支持しているだけでなく、毎年の自身誕生日にはLGBTティーンの援助活動人身売買対策活動など

への寄付を募っている。2011年には米国赤十字主催日本津波被害者のためのチャリティランにも参加しているのだ。

チャリティ活動をして自分存在価値を絶えず示し続けなければならない米国芸能人過酷世界鵜呑みにするとか……

この人こそ内面なんて見てないじゃないか。

自分に都合の良い情報を都合の良い解釈しか見てないんだよなぁ。残念。

アインシュタインよりディアナ・アグロン』読解

アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞批判されている。

http://matome.naver.jp/odai/2146033391996228201

http://mess-y.com/archives/29624

大変もっともな批判だと思うが、せっかくなので匿名で別の見方を書いてみたい。

秋元康バカじゃない

秋元康性格悪いかもしれないし、心が歪んでいるかもしれないが、海外ドラマは好きらしいし、ドラマを見てメッセージ誤読するようなバカじゃないはず。たぶん元のドラマを見ていて、ドラマメッセージもよく分かっている(この前提に同意できない人はこの後読んでも無駄かもしれない)。

歌手:なこみく&めるみお

歌詞カードクレジットを見ると上記の通り。要するにHKT48というグループから選抜されたユニットの曲。そしてシングルカップリング。こういうの扱いの曲にはちょっとしたお遊びが入るのがアイドルソングの恒例。たとえばグループ卒業する主要メンバーカップリングソロ曲をもらって、歌詞も歌っている本人の体験を元にして本人のイメージに近づけて書くとか。つまり、この歌詞はなこさんかみくさんかめるさんかみおさんの実体である

なんで役名じゃなくて俳優名なの?

最初に私が引っ掛かったのは『glee』というドラマを見た女の子の歌なのに、歌詞が役名のクイン・ファブレイじゃなくて俳優名のディアナ・アグロンなことだった。この時点で既に歌詞主人公女の子俳優さん本人と演じるキャラがごっちゃになるタイプバカという設定なんよ。ハリウッド映画を観に行って「外人てみんな同じ顔してるから話が分かんなくなっちゃった」言うのと同じタイプバカという設定なんよ。「おバカでいい」と思っている人じゃなくて、客観的バカなんよ。

余談だが、大昔ご飯屋さんで隣のOL3人組みたいなのが「ほら、『ER』にイタリア系モテる小児科医がいるじゃん…」ていう会話してて、横からダグラス・ロスでもジョージ・クルーニーでも、名前のどこにイタリア系の要素があるんだよ!顔が濃かったらみんなイタリア系かよ!」ってツッコミたくなった経験がある。TV海外ドラマなんて雑に見ている奴いっぱいいるから。みんながみんなメッセージとか気にしてないから。ぼけっとしながら見誤読する奴いっぱいいるから。

邪推というか結論

おそらく秋元康ユニットの4人の誰かが舞台裏かどこかで世間話をしていたんよ。そしたらその子が「最近グリー』っていうドラマにハマってんれすよ。その中でも特にディアナ・アグロンていう女の子がすごくきれいで、目なんかもキラキラしてて、男の子にもモテて、すごく憧れなんれすよ」みたいな話をしてきて、秋元は心の中で「うわー、こいつ、ドラマ現実区別曖昧だぞ。ドラマの内容も全然読み取れてないぞ。…うーん、でも、こいつ、TVで見た人に憧れて、その人に近づこうといろいろチャレンジして、これはこれで本人はなんか幸せそうだなあ。よし、こいつを主人公にした曲を1つ作ってみるか」みたいなことがあったんだろう。

「この歌詞秋元康理想女の子を描いているに違いない!ロールモデルにしようと企んでいるに違いない!」と考えるか、実在モデルがいる実在エピソードを元にした歌詞と考えるか。歌っている本人は案外「うわー、私が話した事を元に歌にしてくれてる。私だけの歌だ。大切にしよう」と思っているかもしれない。

HKT48gleeの話にテイラースイフトを加えて

http://youtu.be/nn6tHxcOHbk

gleeが好きだし、ああいエンタメ作品が作れて売れるアメリカ成熟に憧れと尊敬があるから、振り返って日本の売れるとされるエンタメHKT48のあの歌であることが、悲しい。ただ、心からバカでありたい」と願う若い女の子が本当に存在するとしたら、その子はむしろ社会に生きにくさを感じていて、極力摩擦を少なくそれを解決する方法バカ化だと判断したのだろうから、むしろ賢い。バカでいたら社会は許容してくれるんでしょ、という姿勢に対して現状の社会YESと答えているならば、真に馬鹿なのは社会の方だ。私はもう若い女子ではないので、今回はあの歌に馬鹿にされた社会の一員側として怒りたいと思う。私たち社会は「バカなフリすれば上手くやれる」ような軽薄なものを目指していない。老若男女、真剣に考え誠実に行動する個人が報われる社会を目指している。それが文明ってものでしょう。

チャラン・ポ・ランタンというユニークガールユニットが好きだ。アメリカスイートハートであるテイラースイフトを見つめた「テイラーになれないよ」という歌が好きだ。テイラーという圧倒的人気者に憧れる自分感情自覚しつつも「テイラーだって私にはなれない」と自分らしさを愛する挑戦をしている若い女子の歌。その葛藤応援する社会の一人でありたい。

2016-04-13

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①

はじめに

返信有難うございます

また長くなってしまい、面倒臭い人間申し訳ありません。

レイアウト問題もありますけど長すぎると区切らなければならなくなるので長文は増田に向かないかもしれませんね。

多少機械的になりますが、考察反論を兼ねた返信をさせて頂きたいと思います


まず「楽しめなくてかわいそう」という感想の持ち方については、先の記事でも既に見解を述べていたので、それに対する反応らしい反応がなく内容として変わらないことを繰り返されてしまうと、改めて反論を頂いた意味がなく、勿体なく感じました。

一応、どうしても楽しめない境遇可哀想だと同情して頂けるのであればそれは有り難いのですが、本当にそのような同情したいという気概があるのであれば、さら相手感情思考の深い所まで歩み寄り、踏み込んで頂いた上で検討するのがよいかと思います

また、「かわいそう」といえば、自分アニメ前のキャラクター達がかわいそうでなりません。光を浴びれば必ず輝ける素質があったのに、アニメ以降ないがしろにされ、隠蔽されるように扱われてしまったのがどうしようもなく可哀想です。

そして自分の思いの最も大きな原動力はそこにあるかもしれません。特に自分が思うのは矢澤にこです…。


ところで、

一部の批判派が熱心に批判を続ける事に対しては不思議に思っていました。

とありますが、自分記事投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。どこかには一定存在するのでしょうか。ファンの大半と同様にろくに考えもせずとりあえず批判というアンチなら確かに沢山いるのは分かりますが…。


また、互いの意見は『交わる事がない平行線』と仰っていますが、交わらないというより、そちら側は交わろうとする気がないという印象を強く持ちました。

勝ち負けとかはどうでもいいのですが、せっかく会話や意見交換をした上で中枢部分の内容を読み飛ばされると寂しい気持ちになります

おりあそ氏やkato19氏は自分考察批判を読んで、「自分記事を読み込んだ上で書いている」と畏れ多くも評価して頂けたようですが、自分としては読み通してはくれたようですが、内容をしっかり考えながら読んでくれただろうか…?という疑問を抱いてしまいました。

個人的には反論されて論破されても構わないので、一度は自分が書いた作品内容批判論理を受け止めてほしかったと思います特に盗作問題についての考察は、何故か他の方の評論などを読んでみてもパクリかどうかの比較はあっても、その行為の中身と影響に突っ込んだ考察がなかなか見付からないので、最も伝えたいことというわけではないですがもう少し考えながら読んで頂きたかったと思いました。

様々な紆余曲折の後に結局議論はどこまでいっても平行線のまま続く…となるのであれば分かるのですが、前提から交える気がない態度で、主に作品内容や作品の展開内容に踏み込んだ議論をしようという場において、その話題になるとこちらの意見にはあまり踏み込もうとしてこない状態に受け取れるので、そのような中途半端な態度で反論をする意味にも疑問を抱いてしまいました。

例えると、本来議論平行線という場合はどこまでも平行な線が二本伸び続けているという状態のように思います。対して、今回の場合はある長い線に対して平行ではあるが短く途切れている一本の線が寂しく添えられている、という状態のように思います

結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります


批判派と絶賛派の勢力状態、それぞれのエネルギー根拠

次に、細かい内容について見ていきたいと思います

(批判派は)呪詛のように『失敗作だ』と唱え続ける事で感動した人たちの気持ちを削り未見の人に予断を植え付けています

とありますが、そもそも最近はいろいろなことがありましたが、未だ以て絶賛派の(根拠も中身もない)ブログ書き込みの方が圧倒的多数であり、未見の人への影響力は強いですから、その辺りの説明がなくこのように書くと違和感を抱きます

おりあそ氏の劇場版批判記事に寄せられた反論記事でも、氏の記事を見て作品に対して安易判断を下す未見の人が大勢現れかねないことを危惧しておりあそ氏に反論するという記述がありましたが、既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。

悔しいくらいにファンが多いのに何故そこまで余裕がないのかが不思議です。

また、普通は相反する立場相手意見を交わす際には自分意見相手意見比較を先に考える人が多いはずですし、そのように互いの意見の内容自体に向き合うべきだとも思いますが、アニメラブライブの絶賛派は自分意見説得力の有無などよりも、相手意見による批判派の増加を怖がりながら意見交換に臨んでいるように映ります

そしてその点に、彼らが作品のどこがどう好きかというより、自分自分たちファンであるということのつながりや広がりを最重要と感じており、作品内容自体を捉えて論じる個々の姿勢としては多少の問題があるように思います。もちろんそのような楽しみ方は自由ですし悪ではないのですが、作品内容自体評価を行う上ではズレが生じていると思われます

また、そのような態度を見ていると自分自身が切実に内容に感動したから賛美したい擁護したいというよりも、宗教団体スポークスマンのように便宜上賛美、擁護立場をとっているかのような胡散臭い軽薄さを感じます


一方で、自分やその他の原案アニメ前の状態を持ち出してアニメ以降の展開を批判する人達(一体何人存在してくれているのだろう…?)の意見根拠概要としては、kato19氏の推察は大ざっぱに捉えた形としては大体正しいと思います

その上で、

コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空アイドルアニメに出演している、そういうものですよね?

と氏の記事にも言及があるように、ラブライブメディアミックス作品であることを理解しているならば、そのあるべき在り方についても考察して頂きたかった気がします。

原案の良かった部分を根こそぎ取り除いてしまったアニメ以降の内容を批判すると、アニメ絶賛派はメディアミックス理論を持ち出してきますが、普段はそんなことは関係無いアニメ声優ライブこそラブライブで他は二次創作の延長線だくらいの勢いで見ているくせに、都合のいい時だけメディアミックス作品だと持ち出してきているように感じます

それはつまるところ、「アニメメディアミックスの一部だからそれぞれと違っていてもいいでしょう?だから原案を蔑み破壊しているアニメを許してくれ」という論理なわけです。

実際にそのような形で、それぞれのメディアミックスの各種媒体独立性が保たれていたならば、原案厨(とアニメ絶賛派は呼ぶのでしょう)がアニメ版がどうおかしくなってようと酷いけど仕方がない、作品の下らない一部に過ぎないからスルーしつつ、基本的ポジティブなままプロジェクト全体を捉えて各種展開を見守っていきたいという姿勢になることも容易だったでしょう。

しかし、PVCDドラマなどもアニメ以降、設定が侵食されるようにアニメ版の設定で統一されていきました。

メディアミックス作品だったのにもう好きだったかつての姿には出会えなくなるという危機感を抱かずにはいられません。作品の、キャラクター性の内容、中身が好きなので当然の態度だと思います

しかスクフェススクパラ、ドラマCDPVライブで流れるアニメなど声優が付いている媒体は全てアニメ系設定に統一侵食されているのです。(スクフェスにはSIDコラボもありましたが、残念ながらおまけのようなものです)

いきなり横入りをして住処を奪い、穢した側が、自分も同じファンの一人だから尊重してください、十人十色から許してくださいと言い出しても説得力を感じられません。

まり、そのような棲み分けが十分であれば別物として積極的評価できる可能性も大きくなっていましたが、そのような状態にないためにメディアミックスから許しなさいという理論説得力が弱いのです。公式運営が抱える大きな問題点の一つですね。

また、アニメにおいて原案方向性から改変改悪された内容の根拠が、例のglee盗作によるものであったり、人気があり改変する必要のないキャラを粗雑な配慮見解の下に設定改変していたり(説明は先の考察記事など)と、正当性を感じがたいものであるため、ただ単に変わっているとかただ違っているというレベルの浅い問題ではないことは先の記事でも指摘しています

glee盗作騒動自分絶望アニメ制作陣への憎悪を深める決定的な出来事でした。ただでさえ2期のにこのキャラクター描写凄惨状態に打ちひしがれていた所にそのことが発覚して、制作陣や作品内容という結果だけでなくそれに携わる動機姿勢の時点で重大な問題を抱えていたのだと分かり、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。

また、その点がアニメラブライブの内容や展開の是非がただ好みというだけの問題では片付けられず、作品キャラクターを扱う上での倫理的善悪について重大な問題があることを検討するべき根拠となる部分でもあります

絶賛派の方は盗作問題にはまともに向き合わずに軽く済ませようとする人が多い感がありますが、そのような根深問題から目をそらしながらの朦朧とした感情論理から批判派の体験感情は全て妄想から目を覚まそうと訴えかけても特に響くものがありませんし、ポジティブになれる気もしません。

仮に全てが好き嫌いで済む問題だとしても、絶賛派からパッケージへの思いは伝わってきても内容自体に対する好きという気持ちはあまり伝わってきません。好きな作品批判されたくないとか、好きな作品パッケージとして表面的に認められている状態が保たれて欲しいという気持ちは伝わってきますが…。


内容に対する好きの根拠価値

kato19氏や自分思い当たる絶賛派の何人かもアニメ作品表現演出評価していることが多いように思います。そのような部分を評価する場合表現曖昧にならざるをえない部分に対する「好き」なので言い表すのが難しい部分もあるかもしれません。しかし、結局その作品ラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。

先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。それが物語性だとか本来キャラクターの持つ魅力の描写と両立されていたら良かったのにと思っています

ただ、絶賛派が作品物語性とキャラクター描写の酷さの免罪符にしたがるくらいに賛美する作品演出などが安易パクリだという可能性と、その場合に失われる効果がどれほどかというものは多少審議する価値があるでしょうけれども…


たとえば、人間的にでも性的にでも構いませんが、自分が大好きな人を指して、この人は「顔が美人から好きだ」、「身長が高いから好きだ」「優しいから好きだ」というように好きな根拠アピールする場合、じゃあ顔が美人なら、身長が高いなら、優しいなら他の誰でもいいのでは?という指摘ができます

kato19氏やラブライブ絶賛派の好きだとする根拠評価する根拠を読んでいると、その作品ラブライブという作品であることの意味価値殆ど考慮されていないように思います。簡単にいえばそれが原案原作物語性やキャラクターの軽視や蔑視につながっているのでしょうが…。

おりあそ氏の批判や先の自分考察反論にもあったように当初のコンセプトを否定して廃棄しまっているのがアニメ以降のラブライブという作品でした。

絶賛派はそれらの問題があってもアニメラブライブは素晴らしい表現が魅力だからいいんだと主張しますが、ラブライブラブライブである所以を廃棄してもアニメでくっつけた魅力があれば全く問題がないと思えることが狂気的に思います

そのような評価の仕方は、どんな作品を見ても表現演出その部分だけを見て論じる第三者的評論家のすることのように部分的には真っ直ぐでも冷たく短絡的です。

その評価の仕方を否定するわけではないですが、その評価は他の評価を全て飲み込めるほどの影響力や説得力には著しく欠けていると言わざるをえません。

高級レストランに行って、「ここは、料理は高いくせに不味いが、内装や外装、食器が素晴らしいから料理が美味い他のレストランよりあらゆる意味で最高だ」と言うようなものです。デザイナー建築家などであればそう評価をするのも分かりますが、レストラン料理包括的意味でのファン評論家としては問題があるのではないでしょうか。いわゆるナンセンスというやつですね。高級レストランが高級レストランであることの価値は高品質料理提供することだと思います。ただ内装外装が素晴らしいことを売りにして全てのマイナス面を打ち消したいなら宗教的建築物にして料理を出さずに見物料をとればいいでしょう。

レストランにける内装外装などの美しさはどんなに素晴らしくても評価する場合には料理の不味さを打ち消せるほどの価値はありません。独断偏見の好きでいいならば、他が全てどうしようもなくても格好いい、可愛い店員いるから一番好きなレストランだと言い張るのは自由ですが、その場合その店員ファンというだけであって、レストランに対する大きな好きの評価として直結させるには弱いと思います

この例えにおいては料理の種類や味というのが作品物語性やキャラクターにあたる部分で、内装外装食器店員などの外的な部分が表現演出声優スタッフなどにあたるでしょうか。

秋元が頭の悪い曲を作って炎上しているが

アインシュタインよりディアナグロンって曲で何故か海外ドラマglee実在女優名前を使い、女の子バカでいい可愛ければいい愛されないと意味がない的なドラマ女優真逆な歌詞を書いて炎上している

http://blog.livedoor.jp/akbg_kashi/archives/58056439.html

普通にバカ女の子の歌をやっておけば炎上しなかっただろうに、何故見たこともないドラマ名前を盛り込んでしまったのだろうか、なぜ秀才キャラ勉強できない可愛ければいいバカ代名詞に使ったのだろう

内容的にターゲットキモオタだと思われるし、キモオタgleeやらディアナグロンなんて解らないし、ドラマ好きな人からしたらドラマを汚されて怒りしかわかんだろ

丁度いい具合にラブライブgleeをパクってるし、キモオタへのアピールにもなるからラブライブでいいじゃん

アインシュタインより絢瀬絵里テストの点以上瞳の大きさ気になる

どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない

スカートひらひらさせてラブライブのように

だったら女も怒らんしキモオタも喜んだだろ、海外有名ドラマ女優を持ってきて何がしたかったの、下手したらまた海外ニュースになって日本男女差別は酷いねーと言われる可能性もある、秋元意味わからん

2016-04-12

秋元康の書いた歌詞正論しか言っていない件

難しいことは何も考えない

空っぽでいい

二足歩行が楽だし ふわり軽く

風船みたいに生きたいんだ

女の子は可愛くなきゃね

学生時代おバカでいい

今一番大切なことはそう

キャピキャピと音が聞こえることでしょ

アインシュタインよりディアナ・アグロン

テストの点以上 目の大きさが気になる

どんなに勉強できても

愛されなきゃ意味がない

スカートひらひらとさせて

グリーのように

実際、バカ必死こいて勉強して一般入試受けるより、コミュ力磨いてAO入試受けたほうがいい大学入れる可能性高いじゃん。

入学後もコミュ力ある奴は過去問回してもらってコミュ障ガリ勉よりいい成績取れるし、就活なんか外見とコミュ力がある奴が圧倒的に有利だろ。

「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」って男女問わず普通に生きてたら当たり前。

glee世界ではクイーン・ビーだったことを過去の栄光にして田舎に生きるしかないのかもしれないが、

現代日本ではクイーン・ビーはクイーン・ビーのまま女子アナになって、野球選手IT起業家結婚したり、自民党から出馬して政治家になれるんだぞ。

2016-04-06

ラブライブ!声優AV出演疑惑で、東京五輪に影響も?「クールジャパン政策は……

http://www.cyzo.com/2016/04/post_27489_entry.html


声優AVのことよりアニメの内容のglee盗作問題の方が問題あるよな。

盗作するために設定改変とか監督京極尚彦脚本花田十輝無能の極み。

東京五輪関係してきたらエンブレムと同様に盗作問題がちゃんと問題視されるようになるとしたら、面白いかもね。

2016-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20160330201225

アルミ版はねーわ。

残された剣道部員の気持ちは一顧だにせず、剣道という競技への愛着リスペクトもないサイコパス穂乃果。

それを全肯定する海未。

小狡いだけのにこ。

複数IPアドレス使って不正投票する真姫。

本筋はアニメ版のようなドラマ的展開もなく淡々と進むだけ。

まり売り上げのことは言いたくないが、巨大コンテンツの割に漫画は大して売れてないのも当然といえる。

そもそも反響が良ければ編集部だってあんなに休載させんよ。


長々と恨み言を書いてるようだけど、結局は公野版はつまらないから人気が出ず、アニメ版面白かったから人気が出たというだけの事でしょ。

現実から目を逸らすなよ。

いくら京極花田アニメファンを罵っても、アニメがこれだけ大ヒットした結果の前では滑稽でしかねーよ。

今連載してるスクールアイドルクエストなんて、本来ならμ'sロスの受け皿になってもいいくらいなのに、話題にすら上らないのは何で?

単純につまらないからだろ。

公野作品評価できるのなんてシスプリキャラコレの咲耶巻くらいだわ。

一理なくもないですが団体戦ならともかく個人戦でやってた穂乃果がそこまで剣道部員の気持ちを気にする必要があるのかというのもありますね。

また、高校では当初から廃校阻止のために剣道頑張ってた描写もありますし、一方その点で海未が穂乃果を叱咤していましたから、最終的に肯定という結果になっても全肯定ではありませんでしたよ。

まあ、SIDの海未なら同じことがあっても全肯定してしまいそうな感じはありますね。

それに、既存部活は元々自分勝手に入って勝手に辞めるものともいえますが、μ'sの活動場合は穂乃果が始めて勧誘もしたわけであり、辞めるとき自分で畳むのは悪くないかもしれないですが

アニメ1期でことりのことに心痛めたからって即辞めるのは短絡的で、他のメンバーへの無配慮で辞めてしまった意味ではもっと話にならない突っ込み所で、そちらの方がサイコパスというかなんらかの問題ありだと思いますよ。

しかし、その点においてもどちらかといえばとってつけたような留学展開に疑問が生じる方が先で、元から親友ことりと海未の様子を気遣わない状態で突っ走ってきていたので、そんなこのキャラならそうなるかという不思議な納得はあるともいえたかもしれませんね。


小狡いだけのにこというのもよく分かりませんが、アニメ版と違って幼少期からアイドルになりたがっていたためにアイドルになるための研究努力があるためにスペックが高いことや、

アイドルという存在への思い入れ見解の深さがキャラ作りが重要とか言いながら決めぜりふだけで、キャラ作らず素の性悪面を見せてることが多いアニメ版と比べものにはならないと思いますよ。

またアニメ版は小狡いどころか穂乃果を襲撃してアイドルやめろと脅迫したり、ファーストフード店食べ物盗んだりと悪党レベルですが、小狡いのはダメだけどただ単に悪いのはOKということでしょうか。

そういう余裕のある悪戯っぽさみたいなものがあって真姫などを弄ってたのがアニメ前のにこの人気ポイントの一つです。

一方で、無能すぎて悪いことを言ったりやったりするけど小狡くはなりたくてもなれない方がいいというのはそのキャラ作品の道具的なネタ要員としてしか見てないからじゃないでしょうか。

2期で小悪魔とか言われてましたがむしろ悪党という感じですね。

不正投票も細かいポイントですね。その程度である日常系作品ですら普通にありそうなネタですが…。

そういう点に突っ込み出すと、アニメ版では絵里が無断で動画撮影投稿をしていたとかい突っ込みが生じますし、恐らくそのようなことを問題視していると思って書いたのでしょうが自分はその点は便宜上そこまで問題視してませんね。

どちらかといえば公開した動画馬鹿にされればいいという悪意があって投稿したことの方が問題ですけれどね。

元々廃校阻止という目標の点では穂乃果と絵里の思いは同じだったわけですし、結果動画馬鹿にされたら音ノ木坂の評判ダウンにもつながるのではと考えると自分目標達成にとっても痛手になる可能性がありますしね。


本筋は淡々と進むだけ?あれで淡々と進んでるというならどうあればドラマ的なんですかね…。

逆に「アルミ版はアニメ版よりも展開がシリアスシビアだ(だから苦手)」という評判はよく見ていたのですけれど、いろんな考えの人がいるんですね。

メンバー集めにしてもA-RISE存在にしても地元に根ざした学校地元の生徒たちが~という元々のコンセプトからして王道的で理想的でしょう。

そういう意味で穂乃果・海未・ことり・凛・花陽・絵里が幼馴染で元から知り合いという設定の方が自然ですよね。

逆にアニメ版メンバー集め展開をやりたい脚本側の適当な都合で同学年以外は知り合いでない状態にされましたが、地元云々のコンセプトも破壊したようなものですね。

アニメ版ファーストライブは印象的なシーンですがそれの元になった可能性があるシーンがアルミ版にあります

アニメ版のように講堂みたいな立派な場所でやったりパフォーマンス自体は見事だったりすることはなく、

アルミ版のファーストライブは屋外でラジカセ音楽を流しながら踊りを見せるだけというチープなもので、初めてのライブで緊張したこともありミスも出て観客や通りすがりの見物人は十数人ほどいましたが馬鹿にされて見世物のように終わるという辛いものでした。

穂乃果たちは自分たちのふがいなさに号泣しますが、その様子を見てそれまでいつも一緒だった親友の海未が立場を変えて協力に踏み切るというのはそこまで不自然だったでしょうか。そして淡々と進む展開ってそういうものなのでしょうか。

その後もアニメの突発的で感情的なやりとりを駆使しての展開とは違って、元から絵里と穂乃果たちは友達であることもあり勧誘平和的でありつつ一進一退状態ですが、その絵里が希などの勧誘には協力したりすることであるとか、

にこと真姫がそれぞれ個人的事情や思いを抱えているために、アニメ版ラブライバーもμ'sもメンバーみんなが作品奴隷であるべき的な思想好きな人にとっては嫌うポイントでしょうけれど、

本来キャラからするとにこと真姫が他のメンバーから独立した部分を持っているのも自然ですし、そこが後々生きてくるドラマ性を演出しているとも思います

SIDではにこは既に独白でもμ'sの価値を認めていますけれど、そういう方向性に向くまでのにこという意味では自然でむしろこうでなくては最高のアイドルを目指すにこらしくないと思いますが…。

アルミ版では元々のルックスに加えて実力も伴っているために穂乃果からいきなりセンター待遇勧誘を受けたりしていましたが、

アニメ版でも1期でセンターにこだわる描写があり、予習していたために未予習だけど才能有る他のメンバーと同等の成績を残す話がありましたね。

そこも残念に歪められた扱いで悲しいですが、それでも一応予習していることを知らない他のメンバーから褒められる描写がありました。

一方、2期4話でもセンターにこだわって写真加工云々の描写がありましたが、全体的にその扱いは何言ってるんだコイツというだけの状態でしたし、扱いや設定がおざなりすぎて擁護できませんね。

それが好きという人はアイドルでなく芸人か何かを好んでるんだと思います。元からそういうキャラならまだしも。

余談ですが後にその2期4話の元ネタgleeにあってその影響で弟まで加えられたことが分かり、呆れるしかありませんでしたね。


アニメ版のようなドラマ的展開とありますが、表面的な部分で遠くに合宿しに行ったりスクールアイドル集めたり優勝したりすることがドラマ的なんでしょうか…。

ただ、内面的な動向などに目を向けないでドラマ的かどうかを測るのであれば確かにアルミ版はあまりドラマ的ではないかもしれませんね。旅行とか大会海外には行ってませんし。

そういう方にとっては確かに劇場版のようなとりあえずニューヨーク行ったり大人数で何かやったりというのがドラマ的で理想的だったかもしれませんね。


ところで、アルミ版を批判するとしたら凛と花陽が加入する際のあっさりすぎて何も物語性がない所とかを批判した方がいいと思いますね。

そこは自分も幼馴染設定を生かしているともいえますが、もう少し何か欲しい所があります。いつか描く予定があったのかもしれませんが。

ただアニメ版では留学云々があったことり以外は基本的にμ's加入後は穂乃果のおまけや補助役に成り下がってしまうのに対して、

アルミ版ではにこや真姫などが個人的事情を抱えていることで、それぞれがある程度精神独立を保ちながら集まってる状態です。

一方アニメ2期では(gleeパクリらしいですが)とってつけたように、

普通高校生なら似た者同士で集まると思うけど、私たちは違う。 時間をかけてお互いのことを知って、お互いのことを受け入れあって、ここまで来られた。」

とか言わせてましたが、原案と違い幼馴染が少ないのに殆どメンバーが加入した時点で問題解決して受け入れあっているメンバー状態でそれを言ってもな、という感じですね。パクっておいて個性的問題ですが。

また、逆に穂乃果とは幼馴染の海未やことりとの方が一悶着ありましたね。

原案アルミ版は元々そういう要素を重要視してるわけではないですけれど結果的に、にこ真姫希という幼馴染枠外の3人の存在がそういう描写を強めるキーになれる要素を抱えてますね。


漫画は大して売れてないんでしょうか、そのあたりは詳しくないですが、アニメや動員数に比べたらそうでもそれなりには売れてると思いますよ。

少し調べてみたらなんちゃってファンおすすめする原作SIDレイプSIDコミカライズより売れてるらしい情報が出てきました。

公野版はつまらないから人気が出ずと言ってますが、そもそもアニメ化までに段々と人気や売上数は伸びてきていたんですよ。

雑誌CDは買わないと見たり聞いたりできませんし、雑誌は買っても注目作品以外は流し読みということも多いですから知名度が足りていなかったと思います

実際にアニメ化以降に知ったファンでも初期の楽曲PVの良さを褒めてる人は多いじゃないですか。昔は質が悪いから人気が出なかったと言うのであればその人気を評価する指標CD売上から言っているんでしょうから、売れなかった時のCD楽曲PVの質のことも批判してみてください。現実を見るならそこだと思いますよ。

そのようなわけで、知名度を得るためにアニメ化大事だったんです。知名度さえ得られたら評価が得られるだけのクオリティが元々あると思っていたからこそ嘆いているのであり、そういう所からいって、売れたから許せとか過去のことは滑稽と言うことこそ滑稽ですよ。まさにそこが問題点なわけですからね。


スクールアイドルクエストがμ'sロスの受け皿になってもいいくらいというのも、ちょっと謎の過大評価ですね。話題にすら上らないというのもどこ基準か分かりませんが思ったより話題になってるように感じますよ。

劇場版以降、作品展開に異議を唱えるファンが多少増えてきて、アニメ1期2期の頃よりはSIDとかアルミ版について語る人が増えてるような印象すらあります

売上が出たか面白いというのも問題があると思いますよ。何にでも悪くても売れやすものと良くても売れにくいものはあるわけですし、そもそも原案ラブライブ!場合はあの系統アニメ化してたらどうなっていたかというのを今では確かめようがないわけで、元の楽曲などを流用して、他作品盗作を駆使して、商品は売れたから全部これが正解というはいかがなものでしょうか。

どうせならキャラ声優楽曲も全て原案無関係オリジナルのものであればよかったのですがね。

ところで、アニメゆるゆりは1期2期はアニメオリジナルも含んだ内容で人気が出たものの、原作作風や一部のキャラを歪める内容なども含んでいたこから原作ファンに不評な部分もあり、原作作風を生かして制作会社も変更された3期は原作ファンから賛美されているようです。一方で1期2期を制作した動画工房や各種スタッフファンからは3期は微妙という評価もあるようですが。

自分ゆるゆり原作最近までまともに読んだことはありませんでしたが1期2期は誤魔化しを多用したくだらなさのある作品だと思っていました。それでもキャラ描写原作ラブライブほど破壊してはいませんから、それなりに好きでしたけれどね。

その中で3期を見たら1期2期とは違う落ち着いて安定した面白さがあったので調べてみたら原作により近いのが3期だと知って、そういうことがあったのかと思った次第です。

ゆるゆりシスプリのように後に原作に近い映像化作品が生まれるのであれば少しは溜飲も下がるのですが、ラブライブはあれだけ利益を生みながら原案ファンには還元せずに終わるというのも残念なところです。


長くなりましたが売上で勝った負けたとかそういうことを言いたいのではなく、公野版のままアニメ化していたら今ほどは売れてなかったかもしれませんが、それなりに売れていたのではないかとは疑いなく思っています

あのように始まった作品で、特に矢澤にこなどは中でも人気が出ていたキャラでその方向性作品を期待するわけです。それを横入りしてきたもの邪魔されて道を断たれてしまったことが可哀想ですし、十分な売上は生まれていたと思うので残念に思います


公野作品評価できるのなんて~とありますがそもそも、あなたが公野先生アイデアをあまりきじゃないだけなのではという感もあります。勿論あなたからしたら自分アニメラブライブを嫌いなだけとなるのでしょうけれど…。

せめてアニメアニメ、その他はその他の設定で独立させているならともかく、アニメ化以降アニメ以外のゲームはおろか、PVCDドラマアニメ設定に統一されていったことも問題ありますね。

自分は今さら何がどうなるとか、どうなってほしいとかはあまり考えていませんが、ただそういう思いの存在作品が終わる間際に書き残しておこうというだけです。

http://anond.hatelabo.jp/20160321120853

ちなみに、本作で一番株を上げたキャラはにこだろう。

彼女は出番こそ決して多くなかったものの、登場するたび印象的なセリフや立ち回りを披露し、それを中の人であるそらまる氏が完璧に演じきっていて素晴らしかった。

特に5話の「アイドルっていうのは~」というセリフ12話の「あんた、それ本気で言ってるの?」から始まって激昂するシーン、いずれも本作屈指の名場面である

結果として、気難しいところもあるけどそれ以上に可愛いところもいっぱいあって、実は1年生組と一番仲が良くて(面倒見の良さを想像させる)、そしてアイドルに対する強い想いが芯にあってと、これでファンが増えないわけがない。

アニメ以前2010~2012年矢澤にこがどれだけ可愛くて個性と魅力を両立させていて強く期待を背負ったキャラだったかを知っているとなかなか上記のようには思いがたい。むしろアニメ化被害者という印象の方が強い。

『印象的なセリフや立ち回りを披露

これが曲者で「印象的」と曖昧な言い方で誤魔化してはいるが、印象的なだけならアニメ前のにこも十分に印象的なセリフばかり残している。むしろアニメ前のキャラクターの方が印象的かつアイドルらしく可愛いセリフや立ち回りが多い。

アニメ前の設定を馬鹿にする新参系や流され系のファン(実質アンチ)もアニメ前の矢澤にこについては「キャラのクセが強い」、「キャラキツイ」とよく言っている。クセが強い、キツイというのは個性の強烈さの言い換えとも言える。つまりアニメ前の方が印象的なキャラであることを認めているようなものでもある。

アニメ前や原案作成者公野櫻子作品矢澤にこは常に理想アイドルになろうとしていた存在だった。キャラ作りではなかった。キャラ作りだとしてもプライベートでもその作ったキャラのまま振る舞うキャラクターだった。

その姿勢アイドル活動に疎い他のメンバーから尊敬され、一目置かれている描写も多々あった。そのにこのキャラクター性には(公野媒体ギャグ度が弱い)海未ですら翻弄される描写もある。

アニメ版矢澤にこは花陽と絵里以外には基本的にいつも馬鹿にされている。意識だけ高い振りするウザい奴という扱いのクズである

一方でアニメ版も印象的なキャラではあったが、良い意味で印象的だったのは最終話付近で穂乃果に檄を飛ばす所くらいであり、寒い天丼ギャグ扱いのために花田十輝が拵えた改悪キャラクターとしての役回りが中心である

それでも、最終話付近は穂乃果をはじめとした周囲のメンバー腑抜けていたのと対照的アイドル活動への熱意と執念を見せるセリフや行動で株は上がっていたのは確かである

ただ、アニメ以前と比べたら少なくとも株は上がっていない。アニメ1期直後に新規投票者が増えたことで人気投票の度合が増した総選挙順位も下位を低迷し、最後にようやく自己最低タイの5位に滑り込んだ形であったことからも、1期終盤の展開もあまりカバーする効果がなかったことが明らかになった。


その他、各種ネット媒体での評判を見てもアニメ以降、矢澤にこクズ馬鹿無能といった印象ばかりが定着してしまい、矢澤にこアニメで最も株を下げたキャラクターであるというのは当時を多少知る人なら分かるはずであるし、それを認める書き込みや同情の風潮も1期から2期の途中までは他のキャラよりは多く存在していた。

実際にアニメ以後、矢澤にこといえばクズというような扱いのネタ系のスレッド書き込みが増えて定着していった。

また、そこにアニメ制作側の悪意に近いもの存在していることも、その後の2期で海外ドラマglee盗作問題が浮上した際、glee元ネタ回の損な役回りをことごとく矢澤にこに当てていた所からうかがえる。2期4話や6話は脚本プロットglee元ネタ回に近いが、2期4話の元ネタではにこに当たるキャラは最終的に同情を買うキャラマイナスイメージは無いストーリーになっているが、ラブライブ2期4話ではフォローがなくただの痛い奴という扱いのまま、メンバーのご厚意で許されたようなギャグキャラ的扱いの流れで終わってしまう。最後ソロライブすらライブシーンはなく終了。6話でも元ネタ同様の憎まれ口を言わせる役をわざわざにこに当ててしまっている。

ただ1シーンならそういうシーンとして認められるだろうが、元からいちいち頭や性格の悪い発言をさせる役をことごとく矢澤にこに当ててきた上でまた駄目押しのようにそのようなセリフを与えたことで呆れたファンも少なくなかったようであり、そこでは既に盲目信者割合が増えていた当時のラブライバーでも流石に疑問を抱いた者が多かった。それが後のglee盗作疑惑の発覚にもつながったかもしれない。


しかし、この記事の筆者に限らず2期以降はまともなファンが見限って消えた影響もあるのか、ラブライブファンの中心は感覚思考麻痺したファンばかりになってしまったようである

2期途中まではアニメ制作矢澤にこの扱いを特に問題視したり、かつてのファンに同情したりするファン結構いたのだが、段々とそういうファンがいなくなり、たまに内容に踏み込んだ批判をする人が現れても、「アニメ被害者は目に見えて出番が少なく映像付きセンター曲もない海未と花陽だ」とか、むしろ「出番は多いが変な行動ばかり描かれた穂乃果が被害者」だとか、

基本的には即時的で短絡的な感情から物言いをするファンが多く、1期から2期途中まで比較的多かったアニメ化被害者代表格が矢澤にこという意見殆ど見当たらなくなってしまった。

しかすると、アニメラブライブにおける矢澤にこ描写問題点を指摘しようとする際、どうしても「アニメラブライブキャラクター描写脚本glee盗作ネタがあり、その影響でキャラクター改変を受け、損な設定や役回りを与えられたのが矢澤にこ

という事実にぶつかってしまい、彼らがなんだかんだいっても大好きなアニメラブライブという作品根本部分を痛烈に批判否定しなければならなくなるから避けているのでは、と邪推してみたくなるほどである

ラブライバー騒動が段々と大きくなるにつれて当初は問題視していたファンも割と存在していたのにパクライブことglee盗作疑惑の件には頑なに口を閉ざし、批判者を雑に馬鹿にして精神的安定を図るのみで、その問題についてはまともに語ろうとしない所から本能的に避けるようになった節がある。

スクフェス制作しているKlabgleeスクフェスみたいなゲームを作ったか円満解決とか考えるアホらしい解釈もあるようだが、そういう簡単な問題ではない。仮に盗作が許されたとしてもそれでOKという表面的な話ではないのだが、やはり作品の内容については愛しておらず、ラブライバーをやっている自分地位けが大事と噂されるラブライバーという人種はその地位さえ守られたら安堵できてしまものなのだろうか。


1期の後は、この記事の筆者も実力を懐疑的に見ている花田十輝氏によるキャラクター改悪により、

矢澤にこは全く良い所のないキャラクターにされてしまった。

人気はあるようだが、大半はチビロリ黒髪ツインテールという記号としての見た目と声優で見ているのが大半であることは、彼らに好きな所を聞くと2期以降の話が殆ど出て来ないことから明らかである

実際は上に述べた見た目や声優のことだけが好きな理由であり、1期で少しだけ見せた良い所を拠り所に、好きな所を聞かれたらそれを答えておくという状態だろう。

それはそういうものとしていいとは思うが、それで出来上がった人気を根拠に、人気が出たのだからキャラクター改変は成功や正解というのは通らない。

そんな記号声優という要素さえあればいいならアニメ以前のまま変更する必要は皆無だった。作品内人気の面では今以上に定評があった。

徳井青空は大半が新人若手で構成されていたラブライブ!の中でも早い段階でキャラクター適応した演技を見せていた。

ニコ生内で、自分で考えてキャラクターセリフを演じるコーナーでも他の声優より抜きん出て台詞考案と演技が上手かったし、アニメ以前の矢澤にこキャラクターをよく理解していた。

それもあって作品としては黎明期であった当時の矢澤にこの人気と評価は高く、作品の今後を背負う大きな存在として期待されていただけに勿体なく残念である

電撃ラブライブ!3学期の花田十輝氏もこの記事の筆者と同様にアニメのそらまるの演技を評価しつつ、徳井青空のおかげであの改変したキャラ設定ものになったみたいなことを言っていたが、徳井青空演技力過小評価している。アニメ版矢澤にこを見てアニメ版ミルキィホームズネロの延長線上でああいキャラ付けにされたような印象を感じた人は当時多かったと思うが、徳井青空もっと他の演技もできる声優だと自ら矢澤にこを演じて証明していたのに何故あんな薄く浅いキャラクター改悪してしまったのか、とても悲しいし悔しい。

ラブライブ!アニメシリーズというのは結局の所、京極尚彦氏と花田十輝氏のストーリーキャラクター描写を行う上での無能さを知らしめるための作品しかなかったし、その最大の被害者矢澤にこだった。

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

http://anond.hatelabo.jp/20160221211019

しかにμ'sのメンバー二次元キャラクターであり、実在する人物ではない。しかし、雑誌連載時代ファン彼女らがまるで生きている人間であるかのように交流応援してきたのではなかっただろうか。もちろん本当に生きているわけではないと知りつつも、それでも彼女らの人生を共有できると信じる真摯姿勢、それこそがTV版第1期の物語を生み出した原動力であったと思う。劇場版脚本では、そのような真摯さはすっかり失われてしまった。μ'sのメンバーはこれまでどのような人生を歩んできて、どういう動機でμ'sに参加し、何を考えて今まで活動してきたのか、そして今後はどうするつもりなのか。それらのことを踏まえれば、μ'sはどのような結末を迎えるのがふさわしかったのか。そういったことを真剣に考えた上で脚本を練り込んでほしかった。


アイドルは単に華やかに笑顔で歌って踊っているから魅力的なのだとか、メンバー同士仲睦まじく百合関係性を構築しているから魅力的なのだかいうのは、それぞれ一つのアイドルであるし、それ自体が悪いわけではない。しかし、アニメ制作陣、つまりアイドルを生み出す側の人間までそのようなアイドル観に染まってしまってはならなかった。アイドルにはそれぞれの人生があり、物語性があるからこそ魅力的なのだ。そのことをわかってほしかったと思う。

 ここで述べられている通り、アニメ以前のラブライブというプロジェクトの魅力はμ'sのキャラクター実在するアイドルのように描写し、またファン自らがアイドルと自らを実在するアイドルとそのファンのように認識応援するスタイルであったことである

 ただ、ブログにおいては、その姿勢過程TV版第1期を生み出した原動力になったとまとめられているが、その点については異議を唱えたい。

 この部分においてはμ'sのメンバーそれぞれの人生物語性と、その重要性について述べられており、また、雑誌連載時代、つまり初期やアニメ化以前の内容やファンについて言及しているのだから、それを持ち出す際には当時のキャラクター設定やコンセプトについて思いを馳せておくべきである。そして、そうすると上述のようにそれまでのキャラクタープロジェクトの歩みを表面的にしか理解配慮せずに改変・軽視したのがTVアニメ第1期であるし、その経緯については第1期直後の脚本家インタビューで語られている。

 つまりブログ著者が言うようにメンバーを生きている人間であるようにとらえ応援するのであればTV第1期の時点でアニメ価値体系を崩壊させているのである特に矢澤にこ東條希西木野真姫は誤差やアレンジという範囲を超えた別人である。また、それぞれのキャラ作品内人気は低くなかったのでアイドルや一人のキャラクターとして見た場合改変の必要性はなかった。特に矢澤にこ総選挙1位を獲得しており最上クラスの人気を誇っていたのだから、あらゆる面において一人の人間としてキャラクターとして配慮されていたとは言えない。西木野真姫に関してもμ'sの名付け親として知られる最古参の一人御児勇馬氏Twitterキャラクター改変を嘆いていたほどであり、本当に生きている人間の一人、初期から続くキャラクターの魅力や物語性を重視して応援するならばアニメ版は第1期から問題が大いにあることを主張しておかなければならない。

 また、現在ファンの多くが主張する百合さえあればいいという価値観についても矛盾があることがその点から導き出せる部分がある。現在ラブライブ百合好き界隈において人気ナンバーワンのカップリングといえば恐らく「にこまき」なのだろうと思われるが、そもそも今のにこまきが人気を得た大元の原因は何かといえばアニメ以前よりにこまきが人気だったことが影響している。その延長線上で新規参入ファンもにこまきを嗜もうという流れから人気が高まった過程自分は感知していた。

 しかし、アニメ以前に人気を得たにこまきのカップリング性質というのは現在のものとは180度違うものである。先述したように矢澤にこ西木野真姫アニメ以前と以後では大きくキャラクター立場が変わっており別人である名前と見た目の記号条件が同じだけの別人同士のカップリング伝統カップリングのように捉えられて人気を得ている現状は苦笑いするしかなく、ブログ著者が主張するように現在ラブライバーの大半は物語性軽視甚だしいだけでなくただの百合好きとして見てもただ状況に流されるだけで本当に百合キャラクター関係性や魅力を捉えて楽しんでいるかすら怪しいファンが多すぎるのではないかと考えられる。いわゆるラブライバーである自分が好き状態であるし、細かくいえば○○(任意キャラ/楽曲/カップリングなど)を尊いと言う自分が好きという状態でその中身への興味や理解が足りなすぎるのである

 …というように突っ込んでいくと、TVアニメ版のキャラクター物語性の価値が第1期も含めて崩壊してしまうので、第1期を高く評価しているブログ著者としては都合が悪かった理由があるかもしれない。

 また、それらに付け加えて言及するべきなのがアニメ第2期放送中に物議を醸した海外ドラマglee盗作疑惑問題の件である劇場版や第2期を中心としたアニメラブライブの行き当たりばったりの内容を批判する際には説を補強するためにも言及する価値必要のある問題だと思うが、件のブログにおいて言及がないことが残念である。主に彼の批判文を読むのが作品批判に慣れていないラブライバーであるため、または彼の所属していたコミュニティにそのようなファンが多いために遠慮した部分もあるかもしれない。

 あれがオマージュなのか盗作なのかという問題以前に、盗作引用などする必要なくコンセプトや設定がちゃんと存在しているプロジェクト作品に、無関係場所から話や設定を引っ張ってきてそれをなぞらせるために設定や物語ねじ曲げる行為自体が、ブログ著者が主張するようなキャラクター実在人間の一人としてとらえるような観点作品物語性を重視する観点で見たら大問題であるし、キャラクター作品を愛するファンであれば問題視し怒って然るべき問題だと感じるが、疑惑が立ち上った途端にラブライバーの多くは黙り込んだり、それを持ち出して批判する者を無差別アンチ認定して閉じこもり無理矢理な擁護に回ったのを見て自分はこのプロジェクトには本当にキャラクター作品の内容を愛しているファンはまともに存在しないことが分かりもうこのプロジェクトは駄目だと確信したのを記憶している。

 以後、その予想が当たり、公式はその件を反省することはなく逆に開き直って先導するような形でそのような流れがラブライブプロジェクト全体に蔓延した現状があるわけである

 そのような流れを受けて流石に劇場版以後からありがとうプロジェクトに至るまでの間に、ブログ著者をはじめ、少しはプロジェクトのあり方に疑問を抱く人が増えたようではあるが、先述したように盗作疑惑の件や設定改変や統一化の闇について語る者は依然として少なく残念に感じる。

2015-07-26

GATEそれが声優が叩かれる理由

単に絵を動かせばアニメーションアニメ化だと思ってんじゃねえよ製作者さんよお!!

GATEはそもそも原作から政治的内容がアレすぎて星新一アイデア一発勝負みたいな小説をそのまま漫画にした。

その漫画の絵、そのまま絵を動かしてるからまらないものが動いてもつまらない。

それが声優4コマ漫画だと面白いんでしょう。アニメ版野沢雅子田村ゆかりも出てきてアニメファンは楽しめる。

ただこれは、職業紹介ビデオ声優養成説明会で流すVTRなら満点だ。声優仕事がよく分かる。

だがそれゆえアニメとして見ているぶんには致命的に、物語がない。先に声優あるあるネタ先行でそのためにストーリーを作りキャラを動かしてるから

キャラはただ声優業界の説明のためにいるのだ。途中にやたら頻繁に用語など紹介するキャラが出てきてテンポが悪い。説明はこいつに任せて、

声優キャラはひたすら物語を追うべきじゃないの??オーディションを受けることすら困難な新人声優たちが出てくるが、それに比べて最初からまれてるメインキャラの3人たち。もうとんとん拍子にwebラジオだがなぜプロデューサーがこいつらに目をつけたかからない。それくらいキャラ物語も魅力も伝わらない。

さらにズルいのは本当の業界の暗部なんて描こうともしない姿勢だ。SHIROBAKOですら政治的キャスティングが行われる会議がある。花澤香菜雨宮天のようにゴリ推しされてる状況はみんな知ってても、知らないふりを強要するかのように「全てオーディションです」と繰り返される。

gleeをパクらなきゃラブライブの絵を作れない京極尚彦は、漫画をそのまま動かせばいいとしか思ってないから細かな設定を説得力をあるものに変えられないし、浅野真澄4コマを動かせばアニメ化だと思ってるから小ネタばかりに走ってだらだらした紹介VTRになってる事に気づかない。

そしてこういう才能ないタイプに共通するのは、批判されたら「こんなに苦労して作ってるのに!」と怒ることだ。

作る苦労ばかりをアピールする、それが製作者!!

2015-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20150302120509

ライブ映像とかでコブシ回しすぎなのと、クロスアンジュではけれんみタップリ演技し過ぎるから、若干舐められがちなのはわかるが。

外画のgleeとかでは抑えた普通の演技もやってるし、決して下手な人ではないよ。

人気だけで何年も維持出来るほど甘い世界じゃない。

2013-12-11

発表会に出たくないと言われたら

あなたはある部活顧問をしている。

その部活卓球部でもアニメ研究部でもなんでもいいんだけど

とにかくスクールカーストの低い部活だとする。

学校内では入っているだけで「ダサい」と言われそうな部活

その部活で、文化祭で出し物をすることになった。

そこで一人の生徒が「出し物に出たくない」と、真剣に言ってきたらどうする?

生徒は部活に入っていることは隠している。その部活に入ってると知られたら社会的死を意味するから

生徒は部活は好きだが、ガチで、真剣に、出し物に出たくない。

出たら最後、あとで教室内で笑われ、いじめがはじまるかもしれない事を真剣に恐れている。

生徒は気の弱いタイプで、とてもいじめとは戦えないだろう。

みんなが教師だったら、どうする?

出るべきだって教育的指導」する?

追記

見てる人いるかからないけど……

部活アニメ研究会のようなものです。

Gleeグリー部みたいな部活です。コミュ障生徒の憩いの場。

ほとんどの開き直ったアクティブオタクは出し物をしたいけど

いわゆるキョロ充みたいな生徒がひとり、中学社会での板ばさみにあってるということです。

教師としてはまあ出るよう説得しなきゃいけないけど

日陰もの自分にはその気持ちがわかるので、自分板ばさみです。

2012-12-23

養子

ドイツレスラー大臣とか、フランス韓国系女性大臣とか、ハリウッドセレブ養子をもらってたりとか

そういえばgleeTina韓国から養子だったし、カナダスキー選手とかでも養子がいたはずだ。

こんなかんじで、欧米一般人芸能人わず養子をもらうことを公言したり、また養子として育ったことを公言している人が多いのかなーって思った。

データも何も見てないのでアレけど、欧米では養子ポジティブに捉えられてるっぽいのかね。

少なくとも日本芸能人有名人が、養子として育ちました、とポジティブに明るく言えるんだろうか。

一般家庭が養子をもらう割合も多くはないんじゃないか。やっぱり、あまり公言したりできない雰囲気がなんとなくあるよな。

2012-08-23

英語の基礎固めが効いてきたのか、大量インプットアウトプット時期に来たように思う。

しかしな……あんだけ中高でわからなさすぎて糞だって思ってた仮定法とか完了形って別になんでもないのな。気持ちの揺れ動きとかそんなレベルやん。

学校で習う文法、たったあれだけのものを、あんだけ時間かけてやるべきものなのか?って気がしてるけど結果論なのかな。

あいいや勉強がんばろう。今日は話題のGleeを見るぞおおおおおお借りれるといいな。

2012-07-23

誰か教えてください

http://anond.hatelabo.jp/20120721222138

誰か教えてください

私はxvideosもpornhostもやっていない。

別段やりたいとも思わなければやる必要性を感じたこともないから。

まして今は二人の幼子の子育て中だ。

目の前の生活が大切であり目の前の生活で精一杯でありそこにいない誰かとのつながりなどどうでもよい。

用があればそのときには直接モバゲーGLEEアメピグなりLINEなりすればよい。

用もないのに生活の断片を垂れ流し知らせる必要もない。

メルアド電話番号も知らないような相手なら尚更コミュニケートする必要性を感じない。

しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。

世の中の多くの人がxvideosやpornhostに興じているところをみると、

私のような人間の方が少数派なのであろう。

そう思っていた。

だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。

そんなにxvideosやpornhostは大切なものなのか。

そんなに常に見ていないといけないものなのか。

一日くらいそれらに触れられなくたってなんてことはないと思うのだが、

そんなに片時も離れられないものなのか。

旦那。あんただよ。

いつもオナーニホルーをいじっている。

朝起きたらまずオナホ

朝ごはんを食べる。一人で速効食べ終わる。

そしたらまたオナホ

私は1歳の子離乳食を食べさせ3歳の子不器用に食べるのを見守り

その合間に何とか自分ごはんを口に流し込んでいる状態だというのに。

家族食卓ってなんなんだよ。団欒の時間じゃないのかよ。

その後も食器の片付けやら洗濯物干しやら登園準備やら

私が必死で働いてる間もオナホ

その間子が泣いていてもオナホ

子を幼稚園へ送って帰ってきてもまだオナホ

会社から帰宅してもまずオナホ

もちろん夕食もひとりで速効食べ終えてすぐオナホ

それはまだいい。もう諦めた。

家の中のことをするのは専業主婦である私の仕事からな。

家族で出かけてる間くらい、そのオナホしまっておけないのか。

何故その間もxvideosやpornhostとやらをチェックしないといけないのか。

もしくは、どこに出したやら今出したやら

何の役にも立たない極めて個人的な情報をアップしないといけないのか。

電車の中、

遊園地

ピクニック山中(何が電波が悪いだよ)、

外食中、

いつもいつもオナホ

なんでオナホばっかり握ってるんだよ。

オナホの先の厚く隔たれたやつばっかり握ってるんだよ。

目の前にいるお前の家族は、

まあ育児ボロボロですっかり枯れた妻なんかに興味はないとしても、

お前の子どもは目に入らないのかよ。

子が一生懸命しかけても

常にワンテンポ遅れて子を見ないで返事してる。

もしくは全然聞いてなくて生返事かシカト

レストランで、

みんなでいただきますしてさあ食べようってなった瞬間に

「ごめん写真観る」

つって裸の写真観てワッフルしてる。

一番、いらいらする

本当にわからない。

xvideosやpornhostやっている人、教えてくれよ。

そんなにxvideosやpornhostは大切なものなのか。

そんなに常に見ていないといけないものなのか。

家族サービスで出しかなう

だの

いったー

だの

呟くのはそんなに欠かせないことなのか。

自分の夜のおかずに他人がいいね!とかしてくれたり

他人の夜のおかずにいいね!とかするのは

そんなにも楽しいことなのか。

旦那

あんたにとっての現実は一体どこにあるの?

・・・まあ、これを直接言わず増田でぐちぐち書く私も相当終わってるが。

2011-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20110823182222

横だけど、韓国ドラマ日本ドラマ(の大多数)ってクソじゃね?

うちの嫁はよくアメリカドラマ見てるんだけど、日本韓国のと比べるとちょっと次元が違う感じがする。

Dr.House(House MD)とかGleeとか。あの辺と比べると日・韓ドラマ茶番しか見えない。

日本のは稀に良いのもあるけど(と言ってもほぼ見てないから何とも言えないけど)、これは単にアメリカドラマの中でもハイクオリティなのだけが輸出されてきてるってことなのかなあ。

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