はてなキーワード: Desireとは
最後にnetflixの”get down”というドラマにも触れておきたい。ヒップホップの創生について描いたドラマである。監督は”華麗なるギャツビー”を手掛けたバズ・ラーマン。jaden smithがハウスのクラブで、友達の男の子とキスをするシーンが話題になった。
ハウスは元々シカゴのゲイディスコ”ウェアハウス”を由来とする。ヒップホップも元々、ディスコを由来としていて、初期はエレクトロなどの引用(サンプリング)が多かった。故にハウスとヒップホップはディスコを親とした兄弟と呼ばれたりもする。
例えばSlum Villageのdj dezという人物は象徴的で、ヒップホップDJでもあり、ハウスDJでもある。Andresという別名義で、moodymannというディープハウスの大御所のレーベルからリリースしてたりもする。
上記したキスシーンは、不寛容の時代から、現在へとブリッジするものとして描かれた(ようにかんじた)。少なくともラッパーが同性とぶっちゅーなんてのは、20年前にはできなかった表現である。
Slum Village "Fall in love"
https://www.youtube.com/watch?v=s732BigTxZk
https://www.youtube.com/watch?v=nPT0Zw0z90g
Jose James "Desire (moodymann mix)”
https://www.youtube.com/watch?v=WHNZy-9u2FU
"Get Down"
https://www.youtube.com/watch?v=FYcVrWDOiao
補足。
Childish Gambinoは役者、コメディアンとしても活躍しており、netflixなどで公開されている”Atlanta"はべらぼうに面白い。
元嫁に尻に敷かれまくりながらも、養育費のためにがんばるサウスの男のお話。
Frank Ocean "Super Rich Kids"はソフィア・コッポラの”ブリングリング”の劇中歌である。おもろい映画なので、おすすめしたい。
歌うラッパーは昔も少数いた。Outkast、Ceelo、Bone Thugs N Harmony、Nelly、Nate doggなど。今のように誰でも歌ってる訳ではなかった。
SNSの活用で一番最初に売れたのはSouja boyである。然しながら、今日のTypicalな成功例とはすこし趣が違っている。彼の場合は、まずダンスが先行した。
Kodie Shane "Sad"における三番目のナードな男の名前が"Napoleon"なのは、"バス男"("Napoleon Dynamite")からの引用と思われる。いい映画です。勝手な邦題の暴力性よ。
I believe that the One-Shota is one of the best category of a hentai anime/cartoon/dojinshi, etc.
First, no matter whether you are an ugly and old guy or a gentle man, you can project yourself into a beautiful young boy (Shota). In other words, you will become a perfect Shota while you watch a hentai material.
Second, your desire to be like a child should be fulfilled. Shota who has no sexual knowledge is kindly welcomed by an elder sister, and you will be getting spoiled by her. She must be kind and helpful.
In conclusion, I recommend the One-Shota hentai things. Let's have a fun with helpful and hot elder sisters.
お金がない。
どのくらいないかというと、扶養ギリギリまで稼いでいるのに貯金はゼロで、全財産が2080円と1000ウォンなくらいない。これはマジです。ちなみになぜウォンがあるのかというと、以前韓国に旅行した際なんとなく取っておきたくなり使い切らず持って帰ってきたからです。深い意味はないし、両替しても100円とかなので放置している。
毎月20日が給料日で、先月も滞りなく支払われたのにこのザマである。さすがにヤバい。わたしは比較的常にお金ないけど、今人生で一番貧乏だと思う。
なんでこんなにお金がないのか。原因は三つある、と思う。
まず一つ目は、大学の入学一時金?的なアレを自分の貯金から支払ったことだ。
こんなわたしでも、ずっと昔からこんなにだらしなかったわけじゃない。小さい頃からこつこつ貯めていたお年玉は、高校3年2月時点で20万円は下らなかったはずである。だがそのお金は大学に入学する権利を買うのに使ってしまった。
ご存知の方も多いと思うが、大学の入試には様々な方式があり、それぞれ日程はバラバラだ。わたしが受験生だった当時はなぜか偏差値の高い私大ほど入試や合格発表が遅かった記憶がある。そして、大学に晴れて合格すると、まだその大学に入学することを決めていなくても、その権利を保持するためにまあまあな額のお金を大学に納める必要がある。わたしの場合だと、受けた全ての大学の合格発表(2月末くらいだったと記憶している)の前に、滑り止めとしてセンター試験のみを利用して合格したあるN大学の一時金納入日があった。
さあここからが問題である。N大学の一時金納入日直前、わたしは他の大学に合格している自信が全くなかった。そして浪人する気も全くなかった。だから今の時点で合格しているN大学の入学権利はなんとしてでも保持しておく必要がある。
が、我が家は決して裕福ではない。ありがたいことに食べるものに苦労するほどではなかったが、4歳のときから母子家庭という由緒正しい貧乏である。先ほど浪人する気はなかった、と言ったが、これは「浪人できる金などなかった」の間違いであるのでお詫びして訂正いたします。大学に全落ちしたらキャバ嬢か自衛隊だな!とよく言われていたが、これが冗談ではなく大真面目な話なのである。余談だが、高校受験の時は高校落ちたら舞妓になるしか道はないと言われていました。
なので、高3の9月から通っていた塾(4月の時点ではそんな金はないから自力でどうにかしてくれと言われていたが、夏が終わってさすがに無理だと察したので超頭下げて無理して入れて貰った)の費用や大学の受験料(これすら払えないので受ける大学を減らしてくれ、と懇願された。4校しか受ける予定なかったのに)などで財産を殆ど使ってしまった我が家には、入学するかもわからない大学に払う、言ってしまえばドブに捨てることになるかもしれないお金なんて全く残っていなかった。だがそれを払わないと折角受かった大学の入学権をみすみす捨ててしまうことになるのである。
困った。超困ったし、めちゃくちゃ悩んだ。母に言うと、当然お金がないので「他の大学も一つくらいは受かってるんじゃない?」と返ってきた。超他人事である。
「いや、全部落ちてたら行くとこなくなるんだけど」
「でも何を言われてもお金は出せないよ、人に頼む前に自分でどうにかしたら?」
・・・というわけである。かつて母に「大人になって、ブランドもののバッグとか、そういう本当に欲しいものができた時のために取っておきなさい」と言われ貯めておたお金は、こうして一瞬にして消えてなくなったのである。ていうか「本当に欲しいもの」の例がブランドもののバッグなのって社会的にどうなんだろう。確かに欲しいけど。
二つ目は、基本的にわたしに浪費癖があることである。いや、浪費だとは思ってない。服や、靴、アクセサリー、おいしいごはん、飲み会、好きなアイドルのCDやDVDやコンサート、旅行、カフェ巡りや映画鑑賞、他人にとっては「もったいない」かもしれないこれらは、わたしにとって必要最低限の出費なのである。
よく母には一番出費の多いアイドルという項目に対して「アイドル追いかけるのいい加減どうにかしろ」と言われるしわたし自身早くやめたいんだけど、みんなかっこいいしかわいいしライブは最高だしでやめられる気配は今のところ全くないので、最近は明日全員引退しろと毎日のように思っている。ちなみに今わたしが好きなアイドルグループのうち二つが○○周年でやたら金がかかり(アイドルのおたくじゃない人の為に説明すると、アイドルの○○周年というのは、やたらめったらライブをしたりグッズを出すためとにかく出費が嵩むのである)、別のグループの推しが12月で卒業してしまう(アイドルのおたくじゃない人の為に説明すると、アイドルが卒業するときはやたらめったらライブをしたりグッズを出すためとにかく出費が嵩むのである。これを卒業商法と言います。あとシンプルにこれまでは我慢できてたグッズや公演も「これが最後だから」と言って抑えが利かなくなってしまう)ので出費額は右肩上がりである。
あと一つ、これは非常に短期的な理由ですが、今月パソコンを買ってしまったからです。でもこれはしょうがない。誰に何と言われようとこれは必要経費である。なぜなら就活と卒論執筆控えどう考えてもパソコン必須な未来が見えているのに、我が家のパソコンは10年以上前に母の会社が使っていたがもう古くなったから捨てるというので貰ってきたデスクトップ型パソコン(WindowsXP)その一台のみなのである。
購入には一部祖母やその他の方から頂いた成人のお祝い、から成人式の撮影や着付けやクリーニング代を引いた額、も使ったが、全額自分負担である。今月の給料の半分近くが一気に出て行ったのだから、そりゃ金もなくなるわな、という話である。
今後の話をしよう。給料日まであと約2週間、2080円と1000ウォンだけではどう考えても生活できない。それに今月はコンサートの入金締切があり、ということは遠征のための飛行機もさっさと手配しなければならない。ていうか普通の大学生はなにも贅沢なことなんてしてなくても2080円じゃ日常生活に支障をきたすし、何かあった時のことが怖くて外出れません。ざっと計算すると、次の給料日までに、最低でもパソコンを買うために使った費用まるまるくらい必要なことがわかった。ので、どうにかしてお金を得なければならない。ていうかそもそも大きな買い物をしなくても給料全額使っちゃうってどうなんだろうな。
わたしは考えた。こういうときは誰かにお金を借りるのが一般的だろう。だが、額が大きすぎる。いくら貧乏と言ってもわたしよりは計画的にお金を使う母はいざというときのための貯金があるし(その、いざ、は、ブランドもののバッグを買うときであって、娘の生活費のためではないと思うが)、1万2万なら貸してくれるだろう。恥ずかしながらこれまでに何度かそのくらいの額なら借りたことがある。だが、借りたお金は当然返さなければならないし、それは次の給料日に、ということになるだろう。借りたものはなるべく早く返す。当然のことだ。
しかし、来月のわたしにお金があるだろうか?というと、答えはノーである。このままだと扶養の限度である103万を超えてしまいそうだったため(それだけ稼いでいて貯金がゼロという現実をわたしは重く受け止めなければならない)最近バイトを控えており、来月の給料は相当少ないと予想される。これで借金を返したりしたら更にお金がなくなりまた借金、という自転車操業が目に見えており、それはさすがに人間としてダメな気がするので避けたい。
なぜガールズバーなのか。まず、日払いであること。先程から言っているように、わたしはお金はないのに出費の予定はあるので今すぐお金を手に入れる必要がある。引っ越しの日雇いとかでも全然いいけど、あんまり体力に自信がないので。かと言って人に自慢できるような見てくれでもないので面接であっさり落ちるかもしれないけど。そしたら引っ越し屋にするしかない。
そしてこれが最大の理由だが、水商売は扶養とか関係なく働けそうだから、だ。なんとなくその辺ってお水の世界はグレーゾーンな気がする・・・少なくとも引っ越しバイトよりはガバガバな気がする・・・。もちろんそうじゃなかったら即ちそれは死を意味します。
水商売は下へ下へと流れて行くから水商売というらしい。DESIREの合いの手も言ってるように、落ちたらように怖いのである、水商売は。わたしネット掲示板って2ちゃんねる(あ、今は5ちゃんねるっていうんだっけ?どっちでもいいけど)と糧くらいしか見ないんだけど、ヘルスとか超怖そうだよね。
今回お金がないのは怖いって身をもって学んだから、今後はちゃんと貯金したいなあ。これ以上支出が減る見込みはないので収入を増やさないといけないんだけど、ガルバって親にばれずに続けられるものなんですかねえ・・・?うち、門限12時、許可制で終電がデッドラインとかいう超絶厳しい家なんですけど・・・?
I love anal masturbation, intense pleasure and rest
I like anal masturbation, before standing glands reclamation.
I first purchased the prosthetic stimulation device and the milk tweezers electric props.
Gold is still off, I have no head anal masturbation.
Prepare and eat all the wild herbs a few days ago. Ginseng, big root oyster sauce, sirloin boiled. Large amounts of food, lactic acid bacteria captured. The stool is discharged well.
Anorectal beautiful.
The House of Secrets is secretly observing female sexual motion pictures. Instant limitation, I am female.
The female penis is inserted into the scene and my anal imagination is the female device.
Lubricant coated milk and anus.
The breasts caress about the use of electric appliances and anal peristalsis.
Before standing, the glandular stimulator was inserted and I reached the dry ceiling.
Extremely dry, I do not know the end.
Breast milk caressing stimulates the anal sensation of sensation, and the sensitivity of the former gland is upward.
Frontal glands and spermatozoa have the strongest pleasure organs.
I have not been too eager for heart (heart is too no penis to stimulate ejaculation).
I'm worried about the power of space and the stimuli.
I am unfamiliar and practice is necessary.
I am a male enthusiast, that is, anal masturbation enthusiast.
This article penis insertion desire, courage no.
The penis is ideal for all queens.
I haven't even had an anal masturbation, tired limit, and so on.
Thank you.
追記しようと思ったが、微妙に長くなったので新しく書いた。
中には怒っている様な人が居たが、俺としては怒らせるために書いた文章では無いから、その辺は申し訳なく思っている。だから、この文章は出来るだけ整理して客観的に書いていきたいと思う。
まず、「彼女と結婚したくない」のブコメやトラバは読めるもの全部目を通した。
色々突き刺さったものがあったが、特に突き刺さったのが次のものだった。
女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する証明
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
勝手な言い分や感想とは異なったものだった。書店に行って確認までしたが、論破はできそうにないものだった。
そしてそのまま彼女のところに行って、話し合いをして、別れることになった。
彼女は泣いていた。そして俺も泣いていた。だが、別れることが二人のためであるという側面もある。もちろん、そうでない側面もある。ちょっとした騒ぎにもなって、特定されたくないので期待している人には悪いが、詳細は控えさせてもらおうと思う。
ここで終わらせてもいいのだが、処女を追求することについて、いくつか発見があったので紹介したい。
女性側に排卵隠蔽があるために男性はそれへの適応を迫られた.このため純潔性と婚姻後の性的貞操への選好が生じる.これは文脈に大きく依存し文化間で大きな差がある.
・若さへの好みについて
(改訂版追加項目)若さへの好みについて:男性が繁殖力を求めるのだとすると非常に若い男性は自分より少し年上の女性を好むと予測される.実際のリサーチでは15際の男性は17~18歳の女性を好むという結果が出ている.しかしその年の女性は自分より若い男性には全く興味を示さない.これは「男性の若い女性への好み」を「報酬強化」や「男性が権力とコントロールを求めること」で説明しようとする主張が成り立たないことを示している.
多くの動物と異なりヒトにおいては男性側が配偶相手の身体的な魅力をより追求する.また若さの追求は霊長類の中で独自の特徴だ.これは(長期的な配偶相手においては)選択時以降の生涯にわたる潜在的な繁殖力が重要であるからだ.若さや美しさの追求は西洋文化から来ているのではなくユニバーサルな特徴だ.女性に対する美・魅力の基準は決して恣意的ではない.ただし純潔への選好には文化が大きな影響を与えている.しかし結婚後の貞操を求める心は強くユニバーサルだ.
ブコメで叩かれるであろうことはわかっていたが、「呪いにかかっている」どころか「精神病」や「強迫性障害」まで出てきたことについては、はっきりいって今のはてなは異常だ。男性が処女を求めるのは、正常だ。
by-king誰とは言わんが、普段は価値観の多様性の大切さを説いてるのに、自分と合わない価値観に対しては真っ向から否定したり、精神病扱いして矯正しようとする頭悪い人が居るよな
ChieOsanai ふだん多様性万歳と言ってるはてなーも、男らしくない男は徹底的に叩く。それがはてな村のジャスティス。
ここでいう男らしさは、フェミフィルター(?)を通過できた都合の良い男らしさになるんだと思う。
ちょっと前に増田で話題になった「アナと雪の女王」のクリストフみたいな感じだ。
はてな村の多くの人は、ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー(SJW)なのだと思う。
東たちの言ってる「クリストフの扱いが可哀想」っていうのが今回盛大に馬鹿にされてるけれども、かつて同じことを書いてたブログがそっちは大賛同だったんだよね。
http://semimaruclimb.hatenablog.com/entry/2015/05/13/221216
どうしてこんなに違いが出たのかっていうと、
クリストフを「男」ではなく「被差別民族サーミ人」として申し立てたから。
「甘えるな」「まだヒーローを求めている」「ミソジニー」と罵倒だらけになるのに、
「その通り!」「見事な指摘!」「鋭い洞察!」と大絶賛になる。
アホくさ。
こういったことが起きる。
はてな村が偏っていることは、「はてなユーザーの性格分類統計」(http://fuyu.hatenablog.com/entry/2015/10/17/025450)でも言われていて、16タイプ中上位3タイプ(INTP,INFP,INTJ)で全体の半分の割合を占める。内向型8タイプで全体の81%を占める。日本人の標準MBTIタイプテーブル(日本版MBTIマニュアル P.80)だと、上位3タイプはESFJ,ESTJ,ENFPで全体の内34%を占めて、外向型8タイプで全体の62%を占める。
はてな村の人達は、自分の立ち位置の特殊性は理解した方がいいのだと思う。
そして、はてなを利用する人は、その偏ったブコメを安易に鵜呑みにしないほうがいい。5chの言葉を鵜呑みにしないがいいのと同じ事で、それはあまりにも当たり前のことだけど。
俺が勤めている職場には今年の春から、高校を卒業したばかりの女の子が入社してくる。
耳障りが悪かろうが、政治的に正しくなかろうが、自然主義の誤謬と言われようが、身分違いで失敗しようが、女性が上昇婚をやめられないように、俺も繁殖力(若さ・健康・くびれ・美)のある処女(排卵隠蔽対策)を求めることをやめられないのである。
そして、社会はそうした多くの人で埋め尽くされており、そうした人が投票や政治活動でそうした社会をまた形作っていく。俺はその社会の中で、処女に関することがふと頭に浮かび、扁桃体神経回路の情報処理の結果が視床下部へ伝えられ、自律神経反応を引き起こして心臓の拍動が早くなり、胃腸の動きの変化を体感しながら生きていくのは、結婚生活における日常生活を営むレベルでも困難になると、その経験から判断した。
これを読んでいる人も、色々な言葉を取り入れつつ、最終的には自分の頭で物事を判断してほしいと思う。
上昇婚に関しては
この話の大前提になるのは、「女性は自分より年収の高い男性としか結婚したがらない」という現在の風潮です。これは結婚に対する意識調査で性格・容姿の重要度が男女共通であるのに対して女性のみ経済力や学歴を求めるとする調査1、実際の女性の婚姻の双方で観測されており2、ほぼ揺るがない事実とみていいでしょう。女性は社会的地位が不安定だから自分より年収の高い男性と結婚したがるのだという意見もありますが、そういったものに縛られない医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらず“パワーカップル”と名付けられた高年収夫婦が統計的に明瞭に観測されるので、その指摘はほぼ無視して良いでしょう。
For the time being, the theme of gender discrimination has been actively discussing at MASUDA.
"For the time being" は「今の所」(*until some other arrangement is made*) の意味があるので Recently とかが穏当. あと has actively been *discussed* ですね.
It will be evidence that people's attention is gathered to various problems and inconsistencies arising from gender difference between men and women.
Spotlight is starting to be applied to the darkness that has been overlooked so far.
It will be *the* evidence. ですが別に今後証拠になるだろうという文面ではないので It is the evidence とか It signifies とかでいいのではないでしょうか. Spotlight は apply より focus とか put をよく使うようです.
Before Human underlying desire ~ the transformation desire as LGBT deliver the death blow against Japan which is declined birthrate, Japanese must bring back from the dark side to the light side.
これは*the desire underlying humanity* とかのほうがスッキリしそう. which *has* declining birthrate とか, whose birth rate is declining, かな
迷える子羊は stray の方をつかうのでそっちに合わせてもいいかも.
流し読みで失礼しました.
これまでの中で一番リメイクの質がいい、らしい。
結局やらずに処分しちゃったんだよなあ
名作だっていうから一度はやりたいと思ってたけど、携帯機&フリープレイにきてくれてほんとありがてえありがてえ
短すぎず長すぎずって感じ
うーんやっぱりシステム古いな
総当りは、ただでさえ年くってめんどくさがりになった人間にはしんどかった
でも本筋とははずれたところにお遊びが用意されてるのはいいと思ったけど
立ち絵の表示される位置が、当時のエロゲの時代を感じさせるなあ・・・
elf系とかのやつね
すぐ思い出したのは鬼作だったわ
エヴァのときの子安はそうでもないんだけど、それ以外にでてる子安って子安でしかなくて棒っぽくもあって苦手なんだよね
まあ池田週一ほどじゃないけど(この人は棒すぎる)
総当りめんどいけど、一応行き先のヒント機能があった(しかも切り替え可能)だったからかろうじて攻略みずにいけたな
一個だけパスワードいれるところでメモってなくて攻略サイト見たけどそれ以外は自力
最初は全部総当りチェックしてたけど、途中からめんどくなったのと、総当りしたいのに間違えて先に進めちゃったときがあって、もういいやーってなった
まりなと小次郎がやたらプレイヤーに語りかけてくるからいつメタネタでてくるかとはらはらしてた
ほっちゃん苦手なんだけどね
弥生の声もよかったなあ
みどうさんはまだブルアあああああ一辺倒じゃないよき時代のわかもとだった
vitaってこんなにパンツとか過激な表現していいんだ・。。って思ったけど、もうカグラとかDOAとかいろいろあるもんなよく考えたら
金髪がどうこう出てたからみんなプリンの二重人格ネタがオチだろうと思ったら違った。。。
総じてお話自体はそこいらの単行本のB級サスペンスアクションミステリとかと大差なくて拍子抜けだった
バタフライエフェクトをもちこんだシュタゲしかり、一般でうけてるのをエロゲナイズすることで、一般にうといオタクがそれを初出と勘違いして騒ぐってのが昔からあったんだなあと感じた
あとは当時としてはザッピングシステムが珍しかったらしいから、もうこの衝撃っつーかそういう懐古こみでの評価になってんだなあと思った
あとはキャラクターが魅力的ってのはあるんだろうなあ
それぞれキャラが立ってる
まつのさん
服装とかいろんなところにバブルの残り香を感じて時代だなあと思った
原画かの名前調べたらpixivやってて、生きててくれただけでありがとうという気持ちになった
エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーはエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである。
しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアム・フレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為をエロと称するのであれば、その意味で泣きゲーがエロゲの一ジャンルであることは間違いない。
泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったかの技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。
2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。
だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。
ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。
そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。
その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからである。エロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。
例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーはエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である。
人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」の構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ、少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性は友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。
男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。
『DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。
さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲーの元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。
努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇をきっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。
「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。
難病物は概ね、主人公とヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したものを涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一『ノベルゲームのシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福な日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである。
この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。
前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2の桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公の勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。
1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチのシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。
おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。
そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴的である。もし泣かすという意思で作られたものを泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初の泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。
MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。
とはいえエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである。
ToHeartで泣かせる物語構造が確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.のスタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインのルートで導入された。
当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。
本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独でジャンルを成立させられることを示していた。
今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。
6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。
特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチをKanonは泣かすという目的で採っている。
Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代の泣きゲーの金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物である。リアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。
――一方で、ToHeartもONEもKanonも加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴である。ハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である。
興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。
知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故で幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。
そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。
しかし、彼女が無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。
もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔で幸福な記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。
悲劇の象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。
ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。
MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである(個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。
そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。
男女関係の修羅場をシリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公が修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。
誰を切り捨てるかは、プレイヤーに選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。
さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である。
家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である。加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。
襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。
なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである。
……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である。
例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇的シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である。
また、集団間の絆も広く扱われていく。
『うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である。
ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決とはいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。
これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である。
ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。
そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤーに凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。
そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。
泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要な位置に少女の悲劇と愛が配置されている。
そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である。
としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。
そう捉えるならば泣きゲーの歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。
いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である。
例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢を最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くものが2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。
また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトルは以下略)。
昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやすい泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである。
リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後の若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲーの元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。
かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解の一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。
Woho. Anglers are allowed two salmon per day with a minimum size for Chinook at 24 inches or larger. Salmon seasons from May 2016 to April 30, 2017 are currently being developed.
Last weekend Prowler Charters here in Bandon took clients out bottomfishing. Fishing for rockfish was excellent, but very few ling cod were taken. Strong ocean currents made for a fast drift which makes the conditions tough. Wayne Butler, the captain of the Miss Chief, told me that the depth at the Bandon bar was much deeper than last year. This winter's large rain event naturally flushed out the entrance, which makes bar crossings much safer. Anglers surf fishing out at Bullards Beach State Park reported good pinkfin surf perch action last week. Live sand shrimp or Berkley Gulp sand worms in camo colors have been working best. Perch fishing has been good up on the beaches in Coos Bay. Anglers are also catching pinkfin and striped perch along the Coos Bay south jetty. Boaters are catching rockfish inside the bay near the No. 7 buoy and the train trestle bridge
But while pundits have occasionally contorted themselves into logical pretzels to explain away Ford’s casual racism and misogyny — “He was just drunk!” “He always fights for the little guy!” — none has ever been able to explain away his deliberate and calculated anti-LGBT statements and actions.
Ford never hid anti-LGBT animus. From his earliest days on council, when he opposed funding small grants to diversity and AIDS-prevention campaigns, he made it explicit that his opposition stemmed from disgust with LGBT people, not from a desire to protect the public purse.Superman grany przez Cavilla to ten sam poziom, co w Człowieku ze Stali - moim zdaniem Cavill bardzo się stara, żeby jak najciekawiej zagrać Supermana, ale to i tak jedna z najnudniejszych postaci w całym komiksowym uniwersum, więc niektóre wysiłki pozostają niezauważone. Moim zdaniem to wina postaci i fani muszą się do tego przyzwyczaić.
Trzecią postacią, która ma szanse zaprezentować nam się trochę dłużej na ekranie jest oczywiście “ten zły”, czyli Lex Luthor, który grany przez Eisenberga kojarzył się raczej z o wiele bardziej szalonym Zuckerbergiem z The Social Network, niż komiksowym czarnym charakterem. Być może się czepiam, ale gdyby Luthor się w tym filmie nie przedstawił, nie miałbym pojęcia kim właściwie jest ten rudy gość, który z jakiegoś powodu postanowił być bardzo złośliwy.
he astonishments of the quasi-Biblical clashes and catastrophes in the director Zack Snyder’s “Man of Steel” left me impatient to see his “Batman v Superman: Dawn of Justice.” The earlier film conveyed an awed and even terrified sense of the colossal, a delight in the cinematic ability to realize wrenching destruction and, at the same time, to shiver at the very imagination of it. Snyder turned the superhero universe around on itself, constructing backstories and out-there stories of an apocalyptic force; it was silly but potent, shallow but thrilling. Perhaps Snyder’s new film is the victim of great (or any) expectations, but “Batman v Superman: Dawn of Justice” remains literally Earth-bound, and this fair planet is where Snyder bumps up against the limits of his vision.
Where “Man of Steel” opens big, with an intergalactic origin story that has the heightened tone of pseudo-scripture, the first big set piece in “Batman v Superman” is a catastrophe from home, a virtual replay of the 9/11 attack on the World Trade Center, with Bruce Wayne (Ben Affleck) looking on with horror and hatred as the tower of Wayne Industries collapses (vertically) into a blinding gust of light-gray powder—as a result of the battle waged by Superman (Henry Cavill) against the Kryptonian usurper General Zod.
But while pundits have occasionally contorted themselves into logical pretzels to explain away Ford’s casual racism and misogyny — “He was just drunk!” “He always fights for the little guy!” — none has ever been able to explain away his deliberate and calculated anti-LGBT statements and actions.
Ford never hid anti-LGBT animus. From his earliest days on council, when he opposed funding small grants to diversity and AIDS-prevention campaigns, he made it explicit that his opposition stemmed from disgust with LGBT people, not from a desire to protect the public purse.Superman grany przez Cavilla to ten sam poziom, co w Człowieku ze Stali - moim zdaniem Cavill bardzo się stara, żeby jak najciekawiej zagrać Supermana, ale to i tak jedna z najnudniejszych postaci w całym komiksowym uniwersum, więc niektóre wysiłki pozostają niezauważone. Moim zdaniem to wina postaci i fani muszą się do tego przyzwyczaić.
Trzecią postacią, która ma szanse zaprezentować nam się trochę dłużej na ekranie jest oczywiście “ten zły”, czyli Lex Luthor, który grany przez Eisenberga kojarzył się raczej z o wiele bardziej szalonym Zuckerbergiem z The Social Network, niż komiksowym czarnym charakterem. Być może się czepiam, ale gdyby Luthor się w tym filmie nie przedstawił, nie miałbym pojęcia kim właściwie jest ten rudy gość, który z jakiegoś powodu postanowił być bardzo złośliwy.
he astonishments of the quasi-Biblical clashes and catastrophes in the director Zack Snyder’s “Man of Steel” left me impatient to see his “Batman v Superman: Dawn of Justice.” The earlier film conveyed an awed and even terrified sense of the colossal, a delight in the cinematic ability to realize wrenching destruction and, at the same time, to shiver at the very imagination of it. Snyder turned the superhero universe around on itself, constructing backstories and out-there stories of an apocalyptic force; it was silly but potent, shallow but thrilling. Perhaps Snyder’s new film is the victim of great (or any) expectations, but “Batman v Superman: Dawn of Justice” remains literally Earth-bound, and this fair planet is where Snyder bumps up against the limits of his vision.
Where “Man of Steel” opens big, with an intergalactic origin story that has the heightened tone of pseudo-scripture, the first big set piece in “Batman v Superman” is a catastrophe from home, a virtual replay of the 9/11 attack on the World Trade Center, with Bruce Wayne (Ben Affleck) looking on with horror and hatred as the tower of Wayne Industries collapses (vertically) into a blinding gust of light-gray powder—as a result of the battle waged by Superman (Henry Cavill) against the Kryptonian usurper General Zod.
That start gives off a strange whiff of competition with—or emulation of—Marvel’s irrepressibly successful “Avengers” films, the first of which, in particular, is an unabashed post-9/11 allegory. (The connection is surprisingly direct. One of the climactic moments of “Batman v Superman”—a leap from the ground that vaults through the atmosphere and into outer space—is a virtual duplication, both dramatically and visually, of a similar climactic feat in “The Avengers.”) In Snyder’s new film, Superman appears, from the start, as a hopeless naïf, a battler for good who doesn’t admit to his own capacity to do incidental evil, a blinkered warrior who deploys his nearly infinite powers according to his unquestioned moral intuition rather than to the prudent calculation of results.
O Wonder Woman, która zgodnie z obietnicami zadebiutowała w tym filmie mogę w sumie napisać tylko tyle, że… do tej roli wybrano świetną aktorkę. Przynajmniej z wyglądu, bo po tych strzępkach dialogów, które pojawiają sie na ekranie z jej udziałem ciężko się zorientować kim właściwie jest ta pani, która w pewnym momencie pojawia się z tarczą i mieczem u boku Supermana i Batmana.
http://www.chatakatka.sk/mega-hqtvdownload-batman-v-superman-dawn-of-justice-full-movie-hdq/
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「恋愛(シミュレーション)ゲーム」では、たとえばElf「同級生」が、「同じ夏休みの1か月」を何度もプレイしながら女の子を攻略していく…というゲームだったので、手法としてはずっと以前からあったと言えますが、それをゲームシステムの「面白さ」として意図的に取り入れた先駆としては、C's wareの「Desire」(1994)(マルチ視点による物語手法)に一日の長があると思われます。
そして、Elfが「マルチ視点による物語」をゲームシステム(というか進行上の必然)として取り入れたのは、「ドラゴンナイト4」(1995)であり、それらの集大成が「Yu-no」(1996)であった…という流れではなかったかなあと思います。
物語手法としてのこのような複雑さや完成度は、当時の同人ゲームにはまだまだ望むべくもなかったように記憶します。当時の同人ゲーは、もっぱら紙芝居で、内容面(公序良俗関係)において大手にはできないようなギリギリの表現や内容を突くのが精いっぱいだったような。
今35歳だが、もうすぐ36歳になる。
僕が、オタクになったきっかけは、「機動警察パトレイバー」だった。
中二の夏休みにレンタルビデオ屋で「劇場版機動警察パトレイバー」のビデオを借りて見てそこからどっぷりハマった。
当時は、「劇場版機動警察パトレイバー2」が公開された年で、パトレイバーという作品の動きが終わる頃だったこともあり、新たにハマれる作品を探し「ああっ女神さまっ」にハマった。
この時は中3。そして翌年高1の時にエヴァンゲリオンが放送スタートしたけど、個人的には更に翌年放送された「機動戦艦ナデシコ」こっちにハマった。
当時、すでにエヴァは人気だったが、僕は当時からエヴァよりナデシコの方が面白いと思っていたし今もナデシコの方が好きだし面白いと思ってる。
そして、その後はセガサターンで、エロゲから移植されたゲームにハマった。
具体的には、「EVE burst error」「DESIRE」「この世の果てで恋を歌う少女YU-NO」の三作。
これをきっかけにPCを購入し、エロゲをやり始めたが、最終的に記憶に残っているこの手のゲームは「CLANNAD」と「ひぐらしのなく頃に」という18禁じゃないゲームだった。
少し話が前後するが高校時代は、ナデシコの他に「少女革命ウテナ」と「アキハバラ電脳組」というアニメが特に印象に残ってる。
2000年以降、00年台で特に記憶に残ってるアニメとしては「砂ぼうず」「SoltyRei」「SPEED GRAPHER」「光と水のダフネ」この4作が僕の中で鉄板だ。
近年、僕の中でハマれるものは減った。
ゲームは、面倒くさくてやらなくなったし、アニメは一応見てるが、心の底に響くものはない。
まあこの歳になってくると仕方ないのかもしれないけど、また昔のように胸を焦がすような夢中になれるものを見つけたい。
クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイトは存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。
ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。
ゴールデンウィークを有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義なゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。
まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。
1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫が設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。
特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。
そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。
エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公を精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。
こうした中、フェアリーテールはブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初のエロゲである『ネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。
物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。
原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。
作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しかし現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。
ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。
『ネクロノミコン』から1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である。
『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。
物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの。
クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものである。ディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前をクトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。
そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。
あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み、連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である。
前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である。
クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である。
一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛」である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。
『ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初のエロゲであると言え、また原作の二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである。
一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。
クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態である。クトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。
他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Elise ~エリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。
こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である。
物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。
前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である。
これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人で表現されたものや「向こう側」はグロテスクなものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。
「SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。
しかし踏切の赤信号のアニメーションの演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。
のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品はエロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味な登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。
さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売である。タイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。
だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。
1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipediaの日本語版の「クトゥルフ神話」の記事が最初に出来たのは2003年8月)。
現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。
そうした状況下において『マジカルディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。
問題はパロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ『這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。
一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である。
シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることから、エロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。
さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。
そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。
物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである。
この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキストを確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。
しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。
こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである。
また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。
本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しかし抑制的ながらも明白な狂気、グロテスクな死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。
そしていよいよ世紀末、電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。
ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である。
正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。
……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。
というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。
本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去のエロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。
正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。
2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールのブランド、キャラメルBOXが姫屋ソフトのブランドであることを考えると、少し面白いものがある。
なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。
さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話系エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)
スラドでAC書き込みした文章だけど、4gamerの記事が注目されてるようなので加筆修正して増田にも転記する次第。
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ゲーマーゲートに批判的な立場から解説を試みる。正直話が広がりすぎてて説明しきれないので、ごく部分的に。長いけどかんべんな。
■一言で
ゲーマーゲートを一言で言うと、FPSに代表されるメインストリームの洋ゲープレイヤーたちが「女は俺たちのゲームにケチをつけるな!」「ケチつける奴は荒らしまくって黙らせろ!」「殺害予告!」「レイープ脅迫!」「ケチつける奴に味方するやつも同罪!」「むしろ死ね!」などと吹き上がって無差別荒らしをしている状態のことである。
実際にリーダーがいるわけではなく、8chan(4chanを追い出されたために作られた専用掲示板)やIRC、redditが主な活動場所となっている。
統一された主張もなく、めいめい勝手に「俺の気に入らないこと」があると攻撃しに行くイナゴ集団である。なので議論が成立しない。
少なくないゲーム製作者・業界関係者が実際に荒らし行為で実生活にダメージを負い、被害が多方面に広がっている。NYTなど全国紙やNBC、BBCなどテレビにも取り上げられるほどである。
誤解が多いが、これを「またフェミニストがうるさいこと言ってる」という文脈でとらえるのは主客転倒もいいところなので、そこは強調したい。
Zoe Quinn氏の元彼が、Quinn氏がKotakuライターに対して枕営業をして自作インディーゲーム"Depression Quest"(鬱病を題材にしたアドベンチャーゲーム)に好意的レビューを書かせたという中傷を4chanに投稿。
(この指摘は事実無根と明らかになっている)
ついでに自宅住所などの個人情報やヌード写真等を開示し、4chan勢をたきつけてQuinn氏に差し向ける。
Quinn氏は自身と家族への殺害予告や電話凸等を受けて、現在も自宅を離れている状態。
というように、元は単なる私怨によるリベンジであった可能性が高い。
■ゲーマーゲート命名
Youtubeの有力動画レビュアーInternet Aristocratがこの疑惑を取り上げ、俳優アダム・ボールドウィンがGamerGateのハッシュタグをつけてこの動画をツイートした。かくしてGamerGateという命名が生まれた。
「ゲーム製作者とゲームジャーナリズムの癒着を許さない」という論点がQuinn氏批判およびゲーマーゲートの大義名分となった。
現実にはQuinn氏に対する批判は事実無根であった上、Depression Questもヒット作と言うほど売れるような作品ではない。ゲーム製作者とゲームニュースメディアの関係者がいかなる関係も持ってはならないという潔癖主義は非現実的だし、特にインディーゲーム開発者は食うにも困るような低所得者が少なくない。彼らとゲームメディアとの「癒着」という、存在するかどうかも明らかでない現象をあげつらっているに過ぎない。癒着云々を言うなら大手パブリッシャーとメディアの関係をただすのが先ではないのか。
一方で、AAAタイトルShadow Of MordorのパブリッシャーWarnerが、レビュー動画で批判をしないことを条件にYoutubeの動画レビュアーに金を出していた件について、ゲーマーゲートは一切問題にしていない。
自分たちが好むゲームを作る会社が「不正」を行っても批判をしないのはダブスタとの指摘を免れないだろう。
FEZの開発者Phil FishがQuinn氏擁護・荒らし批判を行ったところ、荒らし勢に報復として自社webサイトをクラックされ企業情報・個人情報暴露等の被害に遭う。Fish氏は荒らし勢への激しい批判を表明し、ネット上から姿を消す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/FEZ_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)
ゲーマーゲートに批判的な投稿記事を掲載したGamasutra(ニュースサイト)に対して、ゲーマーゲート勢がスポンサーであるIntelに凸行為を行い、広告出稿を引き上げさせるという事態に発展。
http://www.gamespark.jp/article/2014/10/04/52048.html
ゲーマーゲート批判の意見を業界関係者が表明すると、すぐさまtwitterや掲示板に罵倒や暴行予告、殺害予告、住所など個人情報暴露、電凸が多数飛んでくるという状況になっている。IGDAやDIGRAといった研究団体にまで抗議が及ぶに至っては驚きを禁じ得ない。
「ゲーマーゲートは荒らしとは関係ない」「荒らしをする奴はゲーマーゲートではない」という意味不明な擁護も多い。(本人はそう思っているのかもしれないが)
Quinn氏が女性であると言うことと、意見を表明するだけで攻撃対象となりかねないことから、特にゲーム業界で働く女性が身の危険を感じて業界を離れるケースもあり、事態が危惧されている。
銃社会のアメリカでは殺害予告やレイプ脅迫の脅威の度合いが日本とは桁違いであることはご理解いただけるかと思う。
各ゲームニュースサイトは直接の名指しの有無など温度差はありつつも、ゲーマーゲート的な動きを批判するコメントを掲載している。
ゲーム機メーカーやパブリッシャー、開発会社から同様なコメントが出たという話は今のところ聞いていない。
本来ならばゲームビジネスの最上流にあるこうした企業が一丸となって「差別と暴力を認めない。ゲーマーゲートには与しない」とメッセージを出すべき所ではなかろうか。
Anita Sarkeesian氏は2009年から、フェミニズムの視点からポップカルチャー(ゲーム含む)での女性の描写を研究し、「現代のメインストリームビデオゲームには女性をモノ扱いする描写が多すぎる」という批判的意見を展開している。具体的には以下の通り。
http://www.feministfrequency.com/2014/06/women-as-background-decoration-tropes-vs-women/
one very particular type of non-essential female NPC. Those specifically designed as a decorative virtual “sex class” who exist to service straight male desire.
「ゲームの本質と関係ないNPC、ストレートな男性の性的欲求を満たすためだけにデザインされたお飾りの仮想の『性労働者』」--実例としてはメジャーなオープンワールド作品に見られる売春婦、ヌードダンサーと言った描写が挙がっている。
So why does any of this matter? What’s the real harm in sexually objectifying women? Well, the negative impacts of sexual objectification have been studied extensively over the years and the effects on people of all genders are quite clear and very serious. Research has consistently found that exposure to these types of images negatively impacts perceptions and beliefs about real world women and reinforces harmful myths about sexual violence.
「そう言うものばかり消費していると、男女問わず現実世界の女性に対する認識が歪んでしまい、性的暴力に対する有害な誤解をいっそう強化する」というわけ。
(この指摘を是とするか否かはまた別の話だが)
Quinn氏の件を受けて、「俺たちのビデオゲームにケチをつける意見」として再着目され、バッシングがさらに強まり現在に至る。Sarkeesian氏も数々の脅迫を受けて自宅を離れている。
実際にユタ州大学での講演に対してゲーマーゲートを名乗り「銃を乱射する、大勢殺す」といった襲撃予告があり、Sarkeesian氏は講演をキャンセルしている。
ゲーマーゲートの主たる層は若い白人男性と考えられている。(FPSを好んでやるような層)
女性・有色人種・LGBTといった、いわゆるマイノリティのゲーム業界への参画を好ましく思っていない(してもいいが俺たちのゲームへの批判は一切許さない)という潜在的な差別意識がこうした破壊的荒らし行為の一因とも考えられる。
従来「ゲームにおけるマイノリティの描写に対する批判」に対し、ゲーマーたちの反応は「じゃあ自分でゲーム作れ」であった。
ところが実際にマイノリティ側がゲームを作ったら、その作者たちや、それを取り上げたジャーナリズムに対してソーシャルおよびリアル暴力で沈黙と撤退を強いている。
「現実世界の女性に対する認識が歪んでしまう」というSarkeesian氏の指摘がそのまま当てはまっている。
かつてマイノリティであったはずのゲーマーがマジョリティとなって、自分らに異を唱えるマイノリティを力で排除しているというのが今の構図である。そのくせ意識だけはマイノリティのままで被害者面をするので実にたちが悪い
twitterで回ってくるRTを見る限り荒らしが収まる様子はまったくなく、自浄作用が働くことは期待できそうにない。
30年、40年かけて培われたゲーム文化のレピュテーションを、当のゲーマーたちが自分の手で切り崩している状況を残念と言わずして何と言うべきか。
個人的には日本にあってあまり深追いすべき事象とは思わないが、この記事が事態の正確な理解に貢献できれば幸いに思う。
■参考リンク
http://knowyourmeme.com/memes/events/gamergate
http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/gamer-gate_b_6058692.html
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