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はてなキーワード: 60年代とは

2008-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20080924231825

最初から仕事する気が無いDQN子供だけ増やしても仕方ないと言う事が分かってない。

という理屈で突き進んだのが、末期のソ連

60年代中頃ぐらいからエリート共産党員に多産を奨励し、労農階層には少子化押し付けた。

その結果、どうなったか・・・

全然関係ない話だけど、この60年代ソ連人口統計と、中央アジア展開部隊の隊員構成の統計ベースに、70年代後半ぐらい(進歩的文化人流行中のあの時代だぞ)から一貫してソ連崩壊を予見してた小室直樹てすごいと思う。

2008-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20080709170716

かんたんに疑問点・問題点の指摘だけしておく。

第一点。元増田は、言論を振りまく奴はけっきょくどこかの勢力に擦り寄りたいだけとして、一種のイデオロギー批判をしているわけだが、しかし「右も左も嫌いなおいら」という立場もまた、ある一定の勢力に与するものではないのか。はっきり言ってしまえば、そうした立場は「イデオロギーは嫌いだというイデオロギー」で、じっさいこうした立場は、60年代以降長らく自民党政権を支えてきた立場でもある(安部のように右派イデオロギーを公然と主張したのはむしろ例外)。けっきょく、左右両極をキモいと言って批判することは、その心情はともかくとして、客観的な結果としては自民党に擦り寄る役割を果たしうる。この点をどう考えるか。

第二点。言論は無駄で、歴史を論ずることは無意味という主張について。現実問題として政治が言論によって行われ、歴史認識重要政治問題になっているという事実をどう考えているのか。あるいはもし職業政治家以外の人が言論をやることが無駄だというのなら、民主政治ということをどう考えているのか。

2008-06-25

怒りが諦めに駆逐されている現代社会に俺は怒りを覚えている

友人が「うつ病」になった。

俺は「うつ病」という表記が何だか嫌いだ。

鬱と書いた方が内実を表している気がする。「憂鬱が極端になった状態」だろ?

難しい漢字だから、平仮名なのか?難しい病気なのだから、仕方ないだろう。

親友と言うほどではないから、詳しい理由とか、あまり踏み込んで聞けない。

まあそれもあって、いろいろ考えた。

こういうことがあってからテレビとか見てると、本当にうつ病ってのが社会問題化してんだな、と思う。

あるいは、問題化されてるのか。

クローズアップ現代でも、NEWS ZEROでも、どこでも野村総一郎氏が出てくる。

こんだけうつ病患者が増えてる、とかそういう統計見たりして。

うつ病という病気が広く認知され始めたのは近年だし、そうなってくるとうつ病じゃなかった人もうつ病になる、ということも起きてくるだろう。

だから普通、増えてるなんてのはまやかしだ、レッテル貼りをしているだけだ、うつ病なんて昔からあるんだよ、という言説が聞かれる。

それはそうかもしれない。でも、そういう言説が起きてくるのは、「うつ病患者が増えると言う社会現象」の原因がわからないから、思い当たらないからじゃないだろうか。

ごめん、俺はやっぱうつ病患者は以前より増えてるってスタンスを取りたい。

件の野村総一郎氏は、原因をこう推測していた。

うつ病を患っている方は、おそらく社会全体の指導原理を求めているんです。どういう生き方をしたらいいか、ガイドが欲しいんですよ。だけど、そのガイドしてくれるものがない。(http://www.nikkeibp.co.jp/feature/080521_illness_01/index3.html)

まあ、俺はそんなの違うんじゃないか。って思うけどね。

ただ、社会現象として捉えたいってのは同じだ。

上前置き。

キラ☆キラとか、みんなやっただろ?やってない?じゃあやった方がいい。

パンクってのは怒りなんだよ、ってことがテーマになってる、手ごろな作品だ。

俺は、この怒りってのが今の世の中に必要だと思う。

いや、言い方が違うな。

今の世の中には、怒りってものがないんだ。だから、こんな「変な」ことになってる。

後期高齢者医療制度の件でも、年金の件でも、ガソリン価格高騰の件でも、怒っているのはマスコミだけだ。

社会に対して怒る」ってことが、今の世の中には、ない。沖縄教科書抗議デモだって、朝日が人数水増しするくらいだ。

ある意味で、「『大きな物語』の喪失」が原因であるのかもしれないが、社会へ怒ることよりも、社会絶望することが先に来ている。

糸色望が、絶望した絶望した言ってるけど、マジレスすれば、お前絶望してないだろ。ふざけんな。

安保闘争とか、学生運動とか、俺が生まれる前の出来事だ。だから、当時行動を起こした人々が何を考えてそれをしたのか、俺は知らない。

ただ、それってやっぱり、「怒り」だろ?

今は、消費税上げる、って言ったって、ああやだな、って諦めてるだろ?

俺は、何も考えずに増税反対、なんて言うつもりはない。必要だって思ったら賛成するさ。

ただ、理由とかよく知らないのが大多数の人間ってもんで、そいつらは知らないんだから、怒ったっていいんだ。

やっぱり、そこで、上が言ってるから従おう、って思ってんのか知らないが、諦めが生じてるはずなんだ。

怒りを持つ事ってのはエネルギーが要ることだと思う。だからかもしれないが、この日本社会は、明らかに「諦め」が支配してる。

それって、俺はやばいんじゃないか、と思う。

うつ病増加の原因。

俺はこれじゃないか、と思ってる。諦めの支配する現代社会だから、人はすぐ鬱になって死んじまう。

怒りを持ってたら、死ぬ気なんて絶対怒らないぜ。

で、ここまで書いたはいいが、俺は一番大事なこと、じゃあどうして現代社会が「諦め」に支配されてんのか、ってことをまだ書いてない。

そうじゃないと、このエントリ意味がなくなるな。

告白すると、確証をもてるアイデアは、俺はまだ持っていない。

怒りに満ちていたはずの社会を知らない俺には、それを得る権利はない。

いくつもの理由が考えられる中で、ひとつだけ言うとすれば、やっぱ大戦かなあ、と。

終戦で、日本の持っていた(明治以降作られた)伝統的な家父長的社会が崩れた、ってのはよく言われている。

抑圧は誉められたものではない。しかし、抑圧の中でこそ、光る物が出てくる。そういう言説も、中世芸術の支持者とかによくあって、俺はその考えもありかな、なんて思っている。

終戦以降生まれた日本人、それは「抑圧」を知らない。

「抑圧」世代が主流でいて、かつ自由主義的な政府だった60年代70年代というのが、一番「怒り」が現れやすかった、とも言えるだろう。

すごく解りづらい文章な気がするから、主張をまとめる。箇条書きだけども。

うつ病ってのは本当に増えてる

・指導原理云々ってのは関係ない

・怒りが諦めに駆逐されてるのが原因(表題)

・その一因には、終戦による家父長的社会の崩壊がある

俺は、この社会に怒っている。

だからといって何も出来ないが、少なくとも諦めはしない。

2008-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20080521134605

増田美さん、認知歪んでるっぽい様子なんで、カウンセリング行っちゃうというのも手なんですが、化粧品代の方がたぶんかなり安いんで、夢見がちな増田子が気がついたことを書かせてもらいます。

やせてる、面長、そして妹さんからまずマスカラを勧められてるということはメヂカラ薄めの方だとして、顔立ちとしては大人っぽい感じになりますよね? 一般論としては「カワイイ」より「美人」を目指した方が美しさが花開くんじゃないかなーと思います。たぶん20代後半??30代にかけてどんどんキレイになる方なんじゃないかなー。明らかに外見上のハンデになるようなことって、特に書いてらっしゃらないですし。書いていらっしゃることは全部「個性」としてアピールポイントに出来ることばかりなので、周りの方の評価は「お洒落に興味のないもったいない人」じゃないかと思います。

ちなみに増田子は丸顔のっぺり地味顔ぽちゃです。ダイエットで苦労しなくてよさげな増田美さんで、うらやましいです! クセ毛もくるくるアップにする時にまとめやすくてうらやましいです!

ついでに言うと、化粧スキーとかでも全然なくて、ぶっちゃけ化粧まんどくせwww干物ですが、一応ちゃんとやらないとマズい場面もあるので、一時期期間を決めて頑張りました。金やら時間やらをかけずに地味なままでも生活には困りませんが、頑張ってみたら周りの対応とかも違ってきて非常に面白かったです。

まず、「プロに何回かメイクしてもらったけどダメ」というのは当たり前です。そこで絶望するのは早すぎます。

そーいう時って緊張してますし、いつもよりファンデも濃いめ、アイメイクも濃いめになると思うので、めちゃくちゃ違和感あると思いますし、ほんとは美人さんに仕上がっていてもガチガチの表情になってしまって、なんじゃこりゃになりがちです。

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070920_makeup

これはプロがしたお化粧ですけど、化粧前、化粧後の凄い比較写真がいっぱいあります。

ほんとに極めるなら大変ですけど、もともとほとんど手をかけていない人がそれなりにやれば外見を底上げすることはそんなに難しくないんです。

増田美さんは優秀な方だと思うのですが、普段お仕事でされているように、ちゃんと問題の切り分けをして、必要な情報スキルを身につけられれば、少なくとも人並み??人並みちょい上くらいまではいけます。

今後のお仕事にもたぶん役立つことだと思いますから、是非頑張ってください!

★作業空間を整える

 記述からすると、自分のお顔を見るのがイヤ!ということで、ちゃちゃっと塗るだけ塗って、おでかけになってる感じです??。

 でも、画家さんだったら、柔らかい自然光の入るお部屋で絵を描くでしょうし、コンピュータ使う絵描きさんでも、色の調整をちゃんとしてないモニタでは絶対作業しないですよね? で、両方とも、いろんなことを試して、こういうことを表現するにはこんな感じの技法がいいとかノウハウを積んでるわけですー。

 お化粧もゆっくり、きちんと効果を見ながら色や影を足したり引いたりとかってことが必要ですー。

 といっても仰々しいドレッサーとかはいらないです。細々した道具を手にとりやすく整えて置ける場所、十分に光が回る状態で映れる鏡です。上から強めの蛍光灯のみの洗面台とかだと、必要以上にケバく見えちゃうので、その環境に合わせてお化粧すると、外に出たら地味すぎてノーメイクにしか見えない。。。とかありがちなので、光の質には要注意です。増田子は化粧する時の光が大事だと気づくまで、ずーっと地味すぎ化粧になっちゃってました。。。

 ちなみに現在増田子はそばに化粧ボックス置いた全身鏡(暖色光)で大まかにやって、細かいアイメイクパソコン机に置いた2倍拡大鏡蛍光灯)でやっています。で、最後に全身鏡で少し距離を置いておかしくないかチェックしておでかけですー。

 「1m前後鏡から離れてみて自然見える化粧」が普段はいいかなーと思います。逆に言うと、鏡をがっつりのぞき込んで作業している時は派手かな?と思うくらいでないと、ちゃんと化粧が効いてくれませんー。

★顔にもうちょっと色を乗せる

 朝大変でなかなか。。。でしたら、手っ取り早いのは、口紅ですよね。

 今お持ちのって、わりと地味な色じゃないですか?

 ローズとか濃いめのピンクとか思い切ってルージュとか、はっきりした明るい色を引いてみたらだいぶ印象が変わると思いますよー。表情も明るくみえます。

 ついでに、口紅用の下地を使うと発色や持ちがよくなります。

 リップライナーを使うと、輪郭がくっきりしてよいです。さらに、下地をした上から軽く唇をライナーで塗りつぶすと、口紅が落ちかけの時でも少しは色が残って便利です。

 グロスを乗せた方がいいこともあるとは思いますが、自分もあまり使いこなせてません。。。テカテカになりすぎちゃったり、抑えすぎて意味なくなったりするんですよねー。。。

 このへん、他の増田子さんのアドバイスが自分も欲しいです。。。

★メヂカラ増強

 妹さんはマスカラを勧めていらっしゃいますが、マスカラ大前提ですけど、自分としては地味顔ごまかしにはリキッドアイライナーが大きいかな、と思います。アイライナー、クレヨン型はちょっと発色が緩くて気がついたら埋もれちゃってるんですよねー。その代わりリキッドはぱきっと入り過ぎちゃうこともありますけど、そのへんはアイシャドウ適当ごまかすとして。

 塗り方は最初は難しいですが、何回か頑張ればなんとかなります。

 机に肘をついて、指を通す細いリボンがついた化粧用のパフを小指に通し、手のひらの側面を頬につけて手を安定させてから線を引いていくと、引きやすいです。もう片方の手でまぶたを少し持ち上げてやるとさらにやりやすくなります。鏡は両手が使えるように、作業しやすい位置&角度で固定しておきましょう。

 ここ、わかりにくい説明でごめんなさい。美容部員さんとかがアイメイクしてくれる時に、手の外側にパフをつけて頬のファンデを崩さないようにやってるのを真似したんですけど。。。

 で、リキッドアイライナーとマスカラをのっけたとして、それだとやっぱり寂しいので、「薄い顔」だとピンク寄りのパープル系がマジおすすめです。ベージュブラウンだと地味すぎて乗せた意味があんまりないですし、ピンクとかだとはれぼったくみえがちです。ブルーグリーン、パープル系へんがよいのですが、赤が入ってるピンク寄りパープルだと、一応女らしさアピールもしながらすっきり見えてお得です。パレット見ると、うわって思いますけど、肌に乗せてみるとそんなでもなくてびっくりです。

★妹さんをアドバイザーとして使い倒す!

 せっかく妹さんが心配してくれているのだから、アドバイザーとして役に立ってもらいましょう。

 お化粧のプロセスを見せてもらうとか。お仕事にいらっしゃる時とお友達と遊びに行くとかはじけ気味な時とか、シチュエーション別にやってみせてもらうとよいです。

 増田美さんがどういうお化粧したらいいのか、シチュ別に設定して色々相談してみるのも楽しいですね。

 もし妹さんに協力してもらうのが難しそうなら、親しいお友達でもいいですし、商店街とかにある対面販売型の専門店なんかでも、店員さんの個体差はありますがアドバイスも丁寧にしてくれてお勧めです。デパートの一階は香りがきつすぎてムリ。。。

★顔立ちの系統が似ている美人有名人を捜して研究する

 抽象的に図形化して探してみれば輪郭が似通ってる女優さんとかモデルさんとか絶対います。これは「似てる人」ではないので注意です。

 顔のかたちがそもそもまったく違う人を目標にしてもあんまり効果的ではないですが、ベースで共通点の多い人を見つけて研究してみると得るものは大きいと思います。

 面長さんというと〜。。。適当に思いついたのがジェーン・バーキン。いわゆる「美人」では全然ないですけど、今はとにかく60年代頃の写真とかほんとに魅力的ですねー。

 あと後藤久美子。これは文句なく美人です。細面+面長+切れ長眼の威力が炸裂です。彼女の場合は、目尻側を増強して眼を横方向に拡張して、切れ長を強調している感じですかねー。

 蒼井優も面長ですが、あんまり化粧してないっぽいからいまいち参考にならないか。

 職業人として能力はあるけど女性としての自己評価が低い人って、だいたい親御さんやそれに近い立場の方から「増田美はかわいくないけど頭はいいからそっちで頑張れ」「おされしてもムダムダ」みたいな動機付けをされつつ育てられたことが多いですが、もしそういう人からからかわれたら、「そういうのもちゃんとした方がいいって会社の先輩に言われたの!」で押し切れますんで、是非挑戦してみてくださいー。

 別にこれからずっとスイーツ(笑)OLになるとかじゃなくていいです。3ヶ月、化粧スキル向上月間を設定して意識的にあれこれやってみたら、たぶん3ヶ月経ったら、キャンペーン前の増田美さんより3割増し美人増田美さんと会えるようになると思います。

 できれば、美貌度底上げ実験経過を増田ででもレポしてくださると、増田子も勉強になって素敵ー。

2008-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20080520124319

そうそう。おれ、アイビーリーグの寮にいたんだけどさ、

その寮というのが、百年前くらいに、ある富豪寄付して建てたものなの。

建物の名前も、そいつの名前なの。

で、寄付の条件というのが、「俺の子孫が入学したら、

一番デカい部屋をあてがってやれ!」って。

今でもたぶん、そのルールは適用されてるはず。

アイビーリーグはどこも大体、60年代ごろまで、親の力で入学できたんだ。

ブッシュ兄弟をみてごらん。兄貴大統領がイエールで、弟のフロリダ知事テキサス大学

ちょうど、選考基準が変わったんだな。

寄宿舎がついてる私立高校の出身者には、そんなエリートゴロゴロしている。

で、ルームメイト日本人だったよ! マツシタ・コウノスケの孫だった! なんていわれる。

ただのサラリーマンの息子である俺が、

人生スタートラインはこんなに違うのか、とはじめて感じたのは、日本じゃなくて、アメリカ大学寮だったんだ。

2008-04-08

イメージ

http://anond.hatelabo.jp/20080408170256

60年代風】

救いを 求めてる 私がいた
夜中そっと あなたの寝顔 見ていた
出会ってからは 必ず幸せになる
あなたの 声を 聞きたい

タクシーを拾い 行き先 告げて目を閉じ
少しづつ
揺れている
la la la la la

70年代風】

世界中 誰にも 知られずに
救いを 求めてる 私がいた
手のひらで
揺れている

私の 存在は この国で 誰も知らない

タクシーを拾い 行き先 告げて目を閉じ
進みたい
進みたい
la la la la la

80年代風】

出会ってからは 必ず幸せになる
Carry on Carry on! LOVE BRACE
抱きしめて 力を 強く強く つかまえていて
Carry on Carry on! LOVE BRACE
2度ともう これほどに 愛せなくて
Carry on Carry on! LOVE BRACE

思いを
少しでも
LOVE BRACE

la la la la la

90年代風】

初めて 私が 心に誓って みたこと
そのぐらい ときどき孤独を感じる時は
伝えたい 運んで LOVE BRACE 私の思いを…
Carry on Carry on! LOVE BRACE
Carry on Carry on! LOVE BRACE
Carry on Carry on! LOVE BRACE
Carry on Carry on! LOVE BRACE
Carry on Carry on! LOVE BRACE
Carry on Carry on! LOVE BRACE
Carry on Carry on!

2008-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20080405201815

60年代70年代80年代も総中流とは言われてたが平均的にみれば、今より貧乏でしょ。

2008-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20080311205533

でも幼女強姦事件は60年代から比べるととんでもなく減ってるよ。

児童ポルノが蔓延したおかげとは言わないけれど助長する事も無いんじゃないかなあ。

2007-11-08

ウォール伝「生成ユーモアの企て」 を 整形してみる。

ウォール伝「生成ユーモアの企て」http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108

2007-11-08 生成ユーモアの企て。CommentsAdd Starmimisemi2007-11-08

アルファブロガーアワードってのにノミネートされたらしいんだけど、最初、ブ
ログへの書き込み見たときにまたなんかの詐欺サイトかと思ったよ。前のmyspace
でのライブに出ませんか?と同じ類かと思ってたら、割とちゃんとしてたっつーか、
推薦してくれた人がいたみたいで、なんだか驚きっていうか、今日社会学のテス
トがあってって昨日も書いたけど、今書いてるのは午前なんだけど、一応、学校行
く前に教科書でも読んでおこうかとか思ったんだけど、ノミネートされてて驚きだ
ったからこの時点で思ったフレッシュなことをとりあえず書いておくね。

まず推薦した人のセンスというのは恐らくアングラ系に理解がある人なんだろうな
って思ったわけだけど、別に俺がアングラぶっているわけではなく、基本的に色々
カイテルとそれがアングラ志向みたいになっちゃうんだよね。ようはメインストリ
ームじゃないことっつーかストリームすらないようなことばっか書いてるんで逸脱
していくっていう、まぁその結果がアングラっていうカッコつきのワードで表され
るわけだけど、何を書きたかったのかすでに忘れたよ。

あ、そうそう。推薦者に「推薦していただいてありがとうございました」なんてメ
ールなり書き込みをするのは白々しいので、やりたくないんだよね。前のはてなス
ターと一緒で、もう心が張り裂けそうなぐらい感謝しているんだが、あんま直接本
人に言いたくないっていう。ってことで推薦してくれた人がこれまだ懲りずに見て
たら、耳蝉はこのことだけでまた明日から頑張って算数とかをやる気力が湧いたっ
て思っててください。

人との係わり合いっつーか特にネットでの係わり合いは極力避けているのにも関わ
らず、知らない人がこういうことをしてくれると嬉しいんだよねぇー。すげー自分
勝手。ところであとこの期待ね。おーなんか凄いことになってるじゃん!とかさ、
あ、その前に、「ニューヨークコミュニティーカレッジに通う著者」って言葉さ、
いやー文字ってのは凄いよね。こうやって文字で現れると実態と乖離したイメージ
というのが文字から生まれてくるというか、読み手に連想させるんだよね。なにや
ら凄い感じじゃん。

まぁコミカレ自体は凄くないけど、ニューヨークってワードがコミュニティカレッ
ジの質を高めてるっていうか、オクラホマコミュニティーカレッジだとあんまス
テータス高い感じしないけど、ニューヨークってのがね、コミカレの響きを高めて
るっていうか、まぁそういうのがあるわけだけど、実際は「モトニートかそれ以下
みたいな引き篭もり生活をしていた著者が、死か無理な渡米かの二択を自分の中で
勝手に迫られて渡米というか亡命を決意しつつ、なんだかんだでニューヨークのコ
ミュニティカレッジに通いながら、特殊学級の算数のクラスと読み書きのクラスを
受けている生活の中で綴るポスニートダイアリー」みたいなね。

ただ脳を掃除するっていう表現はさすがだなって思った。ちゃんと読んではるなっ
て。前にも書いたけど精液が溜まりすぎると玉が膿んだような感じになるから一刻
も早く抜きたくなるじゃん?それと一緒で脳が膿むんだよね。色々溜め込みすぎる
と。だから吐き出さなきゃいけない。音もそうなんだけどね。

あ、んでね、いつも書くようだけど、留学生っつってもピンきりで、今なんて恐ら
く昔みたいな、50年代とか60年代とかに留学してたようなエリート中のエリートな
んてのは本当に少ないと思うわけねっつーか昔はそういうエリートしか留学できな
かったわけだけどっつーのも奨学金とかね、そういうことで。

ただ今ってのは割とカジュアルに誰でも留学できるんで留学自体がたいしたことじ
ゃ無くなっているわけ。ただ留学とか「ニューヨーク」みたいなカッコつきのワー
ドに象徴されるようなイメージだけが先行しているものってのはね、そういった昔
から継承されてきたステレオタイプの賜物なわけですよ。留学=賢いとかエリート
とか金持ちみたいな。ただ今なんて違法でバイトしつつ英語学校に通っている日本
人なんて少なくないし、VISAがキレても惰性で違法バイト続けてはや10年みたいな
人もいるわけ。

ようはね、クローズアップ現代だかで見たんだけど、就職氷河期世代ってのがよう
は年齢差別とかさ、日本って雇用っつーか社会が最悪だからっつーかまぁいいや、
仕事が無くてさ、んで中国行って電話オペレーターとかやってる人とかいるらし
いけどさ、時給が日本円で300円だったかな。ただまぁ中国語をマスターするっての
とキャリアアップってのもあって日本無駄バイトしてるよりマシってことで行
ってる人も多いんだろうけど、こういうの見るともうすでに日本先進国だなんて
いう幻想はもうなくなったなっていうのを実感するよね。

それこそ本国仕事が無いとか未来が無いんで海外に出て条件が悪くてもまだマシ
ってことで仕事をしている発展途上国から来た労働者とかとあんま変わらないわけ。
こういう人達って。俺も同じだからね。元々日本というか日本社会が大嫌いで亡命
したという理由が一番だけど、でもまず俺みたいなもんに仕事があるわけないから
さ、だったら同じ苦労でもこっちで苦労したほうがマシだってことなわけで、状況
的には独裁政権の国から自由を求めて逃れてきた移民なんかと本質的には変わらな
いわけですよ。

まぁ俺の場合、親のサポートがあるからこういったシリアス移民たちと俺を一緒
にするのは失礼なんだけどね。そういう意味だとあれなのよ、ニートが上京して専
門学校通うみたいなのをニューヨークでやってるってだけ。俺の場合。だから全然
たいしたこと無い。エリートでもなんでもないし、こっちの大学なんて高校レベル英語が出来れば誰でも入れるんだから。卒業するのは大変だけどね。ってことで
留学=なんか凄そうっていうイメージはなくしたほうがいいよ。

こういうイメージが流布してるから短期留学でもなんか得られるんじゃないかとか
いって来る人が多いけど、何にもならないよ。基本的に留学の先にあるのは似たよ
うな資本主義社会で、言語英語ってだけです。そこでまぁ行動的な人は何かを
得るかもしれないけど、それはあくまで主体あってのもので、主体性が無くて、た
だなんとなく留学っつーと凄そうだからっつって留学しても何にもならないわけ。

こうやって勝手留学に対して変な幻想を抱いちゃうってのは、留学を売り物にし
ている代行業者とかによるイメージ捏造もあると思うんだけど、やっぱなんつー
かそれ以前にジェネラルに留学っていうこと自体に個々が勝手幻想抱いてる気が
するのよね。ただ実際はね、来てみて、それがニューヨークであろうがロスであろ
うがイメージと全然違ってたっつって心身がダメになって帰るって人も多いらしい
し、何も見つけられないまま英語学校にずーっといるって人も多いし、ようはね、
状況自体が何かを与えてくれるなんてことはどこの世界にも存在しないってことな
わけよ。

主体性のないやつが違う環境に行けば環境によって様々なことが変わっていくとか
ね、そんなことは起こりえないわけよ。あくまでそれは主体性があった上での前に
書いたようなソーシャルインターアクションによってパーソナリティが変わってい
ったり認識が変わっていったりするわけで、そこに何らかの働きかけが無いとまず
無理なわけ。勘違いしてる人達ってのは行けばそういった経験が得られるんだって
凄まじくパッシブなままなんだよね。そんなんじゃ無理。

だから中身が何も無いまま自分探しっつって世界放浪してもダメなんですよ。自
分が無いと何も得られない。ようはその環境から感化されるような感覚とか思考と
かっていう人間の意志が無いとダメなわけで、ようは日本で拾った石をエジプトと
かアメリカとかイギリスに送ったところで、石自体に何も変化がないのと同じなわ
け。

この石状態ってのがスッカラカンな石人間留学先で起こるわけ。ただこれは師匠
2っぽい言い方すると自明の理なわけよ。まぁ留学に限らずだけどね。もっと狭い
話でもいいや。どっかのサークルに参加するとかコミュニティに行くとかさ、それ
で変わるかもしれないっつっても、主体性が無きゃそれは、その辺で拾った石をな
んかのサークルに置くだけで、石自体に何の変化も起こらないでしょ。逆に人間っ
てのは変な期待するから、そこでイメージと違ったとか、なんか予想してたのと違
うとかって思うわけだけど、そりゃてめーが石だからなんだよってことに気がつか
ないとダメよね。逆を言えば意志さえあれば環境なんて二次的なものなわけ。

だから前に書いたことでちょっと思うことがあったんだけど、俺ってどうやら人里
はなれた山というのに桃源郷的な幻想を抱いてるんだなっていう風に思ったわけ。
こんなくだらないゲームはやめて、とっとと隠遁生活を送りたいって書いたけど、
隠遁生活なんて別に山に行かなくても送れるんじゃないかと思ったのね。

ようは心の中に桃源郷的なイメージを持っていれば、自分の部屋が桃源郷になりう
るでしょ。別にそれは瞑想しているときでもいいんだけど、頭の中にそういったイ
メージがあれば、実質、環境がどうであれ隠者的な生活は送れるんじゃないかと思
ったのね。まぁ環境も大事だよ。ナチ政権下で心に桃源郷を持ってようがそりゃキ
ツイよ。

まぁなんつーかそこそこの環境なら別に心の持ちようっつーか、ようはその個人の
世界観によって自分の世界なんていくらでも変わるじゃんって思ったわけで、んだ
から別に山に住まなくても、山にいるようなイメージを心に持っていれば、それは
山に住んでいるのと同等じゃないかってことなわけね。ようはそこで人生なんても
のにはもう達観して挑むしかなくて、心に桃源郷を描くことに人生を費やせば、色
々と克服できることって結構多いと思うのね。

それはくだらない人間関係についてかもしれないし、煩悩かもしれないし、精神病
かもしれないし、不安かもしれないし・・・。結局こういったことを解決するのっ
て内面的な力しかありえないわけだよね。薬とか環境の変化でどうにかなるもんじ
ゃない。何しろ人間ってのはもう文明社会に生きているわけだから、社会からは逃
げられないでしょ。桃源郷社会存在しないなら、自分の心に作っちゃえばいい
だけの話だよね。

まとめると、ようはこれってのは青い鳥と同じなわけで、幸福なんてのは外的なも
のの中には存在しないわけで、そういったものを無理やり作っちゃうのが幻想なわ
けだけど、青い鳥の「本当の幸せというのは鳥かごにあった」っていうのに準える
と、本当の幸福ってのは心にありってことなわけで、まぁ基本的には師匠1の教え
に行き着くわけですな。心っつーと深そうだけど、ようは気の持ちようだよ。認識
ね。基本的には。あーダメだ。話が逸れた!もうあと1時間ぐらいしか無いから教
科書読むわ。

いつもこんな感じね。寸前というよりかは寸前の寸前ぐらいにならないと動き出さ
ないのね。俺。あ、そうそう。パリ症候群とかさ、あと日本馬鹿芸能人がハリ
ウッドデビューとかアメリカで活躍するみたいなことに幻想を抱いているのも、今、
書いたことの良い例ね。良いっつーか悪いっつーか。事実とは関係ない幻想という
ものに振り回されるほど不幸なことはないから、とっととそんな幻想捨てちゃった
ほうがよっぽど幸せになります。

ところでアルファブロガーって影響力のあるブログの書き手のことを指すらしいけ
ど、なんか今回俺のブログノミネートされたやつは2004年から開催されてるやつ
らしいんだけど笑っちゃったのが、Wikiで見てみたら「日本ではFPN(フューチャ
ープランニングネットワーク)というサイトが「アルファブロガーを探せ」という
企画主催しており、ここで選出されたブロガーを指すことが多い一方で、この企
画自体の知名度の低さの問題が指摘されている。また評価の正当性、選考の手法な
どにも疑問が投げかけられることもある。さらに、このサイトが選出したブログに
は社会問題となりうる虚偽に満ちたブログも含まれている。」だってさ。

かなり批判的。逆にちょーメジャーしょこたんブログみたいなのがノミネートさ
れるようなコンテストだったら俺のブログなんてノミネートされないだろうからね。
「虚偽に満ちたブログ」ってまさしくウォール伝も含まれるな。基本的にこういう
のを一般向けに開催していたら、まず個性的なのはノミネートされなくて、ようは
アカデミー賞みたいなそれこそ虚偽に満ちたアワードになるわけだけど、逆に俺み
たいなちょー逸脱したブログみたいなのがちゃんとノミネートされるなんて、なか
なかいいんじゃない?幅が広くて。ネクロマンティックとスパイダーマンが同時に
出展されるような映画祭って素敵じゃん?無いけど。

ようはたぶんこれってアルスエレクトロニカみたいな感じなんだろうね。えー?
Cosmosが受賞したのぉー??っつって国際的にアワードの価値が疑われるっていう、
ウォール伝はそんなCosmos的な存在かもしれないけど、逆を言えばCosmosみたい
なのが賞を取るアワードってのもアリなんじゃない?とは思うけどね。

あとラッセーラのソヴァージュもなんか受賞したんだよね。えらいアワードだよな。
それこそ評価の正当性やら選考の手法に疑問が投げかけられるわけでしょ。アルス
エレクトロニカ。世間の評価ってこんなもんだもんね。しょこたんブログと並んで
ノミネートされてたら、「他のノミネートブログが凄いね!」っつってなんつーか
比較で凄いっていうアホな評価になるわけだけど、他がさっぱり有名じゃないわけ
の分からないブログとかばっかだったら「たいしたことねーアワードだ」ってこと
になるわけ。大半の人はこんな感じ。

内容も見ないでこういった表面的なところで評価するわけね。映画アワードとか
もそうでしょ。ちょー有名監督ノミネートされてたりしたら、その比較として凄
いみたいなさ、まぁ大日本人みたいなもんか。正式に出展されたわけじゃなくて、
オルタネイティブ部門みたいなので、ようはネクロマンティックみたいなのでも個
性があるっつって選考されるような枠に選ばれただけなのに「カンヌ」って名前だ
けで人々が勘違いするわけ。

で、誰もディティール見ないんで勘違いしたまま、みんな「カンヌ正式出展作品」
だと思い込んだりしてるわけ。アホだなぁーって思うね。マジで。まぁーでもあれ
かねーやっぱ客観的に見てもCosmosみたいなのが賞を取るアワードって何?って思
っちゃうのは分かるけどねぇー。スーパーデラックスってさ、俺がまぐれでアート
リンゼイライブの時にDJした思い出の場所なんだけど、あんときのDJはヒドかっ
たな。

選曲はいいんだけどミックスがヒドかった。イカに現場慣れしてないかっつーね。
あと10分ぐらいある曲かけちゃったもんだから、勝手に客が飽きてるって思い込ん
で、いきなり別の曲かぶせてミックスしたりとか、ようは精神病的強迫観念すらも
ミックスに影響してたりしたんだけど、まぁーでも楽しかったなぁー。

なんつーか「選曲良いですね」って言ってくれたお客さんが何人かいてさ、人との
係わり合いも悪くないなぁーっつかさ、あの時の経験がある一つの決定的な認識を
与えてくれたんだよね。

ようは独りよがりでやってるようなオナニー音楽をやっているのなら評価なんて
求めないっていう、ようは人に「良い」って言われたいっつーか人と何かをシェア
できるようなものを作りたいんだったら、俺は音楽を作るなんて諦めるべきだって
思ったわけね。だから俺は前者を選んでいるわけだけどっつーか選んでるっつーか
前者しか選択肢が無かったんだけどね。人と何かをシェアできるような音楽なんて
俺には作れるわけがないから。

そんな意味でもウォール伝は明らかに前者的な態度でやってるんで、そもそもアワ
ード的な概念と繋がりがあるわけないんだよね。やってるっていうよりかは勝手に
出力したものをネットに乗っけてるだけだからね。やってるって概念すらない。た
だ今回やっぱ嬉しかったのは、こんなブログでも推薦してくれる人がいたっていう
ことと、何よりこんなブログエントリー主催側が許してるってことだよね。

まぁ逆を言えばこんなブログエントリーを許してるから社会的な認知が得られな
いのかもしれないけど、まぁそんなもんクソ食らえでいいと思うけどね。まぁただ
他のエントリーは大半がまともな人が書いてるちゃんとしたブログばっかりだった
んで、まぁ俺のブログはネクロマンティック的な役割を果たせれば十分なんじゃな
いかと。

「幅の広いアワードですわね」っていう。でもあれだね、過去にはきっこさんとか
選ばれていたらしいけど、他のも色々見てみてもなんつーか社会的に見れば「反道
徳的」なものも含まれるわけで、ようはエントリーの傾向が左翼じみているとかさ、
そんな批判も聞こえてきそうだけどいいんじゃないかと。

当たり障りの無いメジャーブログ選出したところで面白くもなんともないからね。
まぁこのアワードを擁護するわけじゃないけど、ブログって極めて個人的な考えと
か経験を出力できる凄まじくインディビジュアル媒体なわけじゃない?これは逆
にメディアじゃありえないことなわけだ。

そういった媒体キャラクターを利用してアメリカなんかではブログソーシャル
クリティーク的なことをしていたりっていう、ようは社会へのコミットメントとい
うか人への影響力があるようなブログもあるわけじゃん?それがまぁアルファブロ
ガーの書くブログということなんだろうけど、日本ってこういうの少ないと思うん
だよね。俺がアルファブロガーだとはとても思えないけど、ただなんつーかせっか
くネットっていうセンサーシップのない媒体があるわけだからさ、もっと個々が色
々なことガンガン書いていくべきだよね。

色々な意見があっていいわけだけど、そこで議論が生まれればもうそれだけで価値
があると思うんだよね。とりあえず色々なことをネットを使って語りつくすってい
うね、そういうことが出来るわけだから、個々がどんなトピックでもいいからガン
ガンやっていくべきだよね。それこそメディアじゃ放送できないようなこともブロ
グならいくらでも書けるわけだからさ、ガンガン書いていかないと。

それこそWilliam F. OgburnのCulture lagじゃないけど、日本ってテクノロジーの発
達が凄まじい割に、ノンマテリアルカルチャーの部分がテクノロジー進歩につい
ていってない感じがするんだよね。

ようは人間側とか社会システム側がテクノロジーを活かしきれてないっていうか、
テクノロジーありきの社会構造みたいなのを提唱できてないっつーか、本当はテク
ノロジーの進歩なんて社会自体を変えてしまうような可能性があるわけだけど、イ
マイチ日本ってのはこういうところに鈍感なような気がするね。

そういう意味だとアメリカは割とこういうところにケイパブルなのかもしれないね。
だからさっき書いたようなアルファブロガーみたいな存在が出てきたりyoutubeだとか
googleだとか、それこそ社会的に影響があるようなものがガンガン出てくるし、ユ
ーザーも使い方に多様性があるんだよね。でも日本って使い方に多様性が無いんだ
よね。ホント、個人的な欲求を満たす目的だけに使われている気がする。

具体的な例が無くてアレだけど、言ってること分かるでしょ?やっぱいつまで経っ
てもアメリカの後追いじゃダメなんだから、やっぱ民度上げていかないとダメだと
思うわけね。まぁ一概には言えないけど、経済とか文化とか教育レベルではアメ
リカとの大差はそこまで極端じゃないんだから、国民のあり方によっては、それこ
そアメリカから独立できるわけよ。でも独立しないのってさ、まぁ色々と政治的な
こととか経済的なこととかがあるにしても、やっぱ民度が低いんじゃダメだよね。

少なくとも俺がアメリカに来てこっちはレベルが高いって思うこと自体がアウトで
しょ。それってアメリカレベルが格別高いわけじゃなくて、日本レベルが低い
ってことなんだからさ、そりゃマズイよね。あーまた話が拡散バズーカーしてきた。

あ、んでね、今はもう夜なんだけどっつーか今日社会学先生がなぜか来なくて、
みんな帰っちゃったのね。っつーかこっちでは15分経ってもプロフェッサーが来な
い場合は授業は無しってことらしいんだけどっつーか

まぁそんなのが一般的なのかどうかは分からないけどさ、ただなんつーか生徒が独
自に当日の出席票を作って後日先生に渡すとかさ、なんつーか15分経ったからもう
次行こうってああいうクイックなディシジョンメイキングはさすがだなって思った
ね。日本だったら生徒がざわざわしててみんな座ってるだけだろうなって思ったも
ん。こういう差を見るとアメリカ凄いなって思うのと同時に日本レベル低いなって
思っちゃうわけだけどっつーかまぁ安易な一般化はできないけどさ、これってもう
モノの考え方の差なのかなって気もするけどね。

日本は周りの様子を見て慎重で、アメリカではとっとと独自に決断して次行っちゃ
うっていう。周りの様子を見て慎重でっつーとポジティブだけど、まぁ頭使わない
ってことでしょ。周りに流されてばっかっていう。普段から思考力が鍛えられて無
いからすげー流動的なの。すべての行動が。これって個々がどうのってより、もう
社会の特徴っつーかさ、社会によって個々の人格とか考え方とか習慣ってのがカス
タマイズされるから、そういったアホアホな行動パターンってのが社会によって作
られている部分もあると思うんだよね。

それは言語と一緒でアホアホなパターンが身につきやすい日本社会に生まれた人で
も、アメリカとか他の国で育てばその国らしい人間に育つっていう、ようは日本人の
DNAとか性格がどうのって話じゃなくて、社会の話なんだよね。ってことでこの話
題の流れから行くとやっぱ話が教育になるわけだけど、まぁそれは前に散々書いた
からいいや。

っつーかオナニーしたいんだよね。帰ってきてからメシ作ってさ、で、アルファブ
ロガーにメールしてこれ書いて今に至るわけだけど、オナニーが無いわけよ。外に
出ると色々なインフォメーションが頭に刷り込まれるからズリネタも増えるでしょ。
俺の眼鏡ってそういう意味だと妄人メガネなわけだけど、妄人と違って俺は自分自
身で妄想ネタを色々と収集してこれるから便利だよね。

あ、そうそう。今後はあれなのかな、書くたびにケツに「クリックお願いします」
みたいな、よくブログにあるさ、ブログランキングとかの投票のあれあるじゃん?
あれのテンプレートみたいなのをペーストするべきなのかな?まぁ一ヶ月ぐらいだ
しいいかな。俺的には読んでいる人に投票を求めるなんて反革命的だなーって思う
んだけど、やらないってのもアレだから、とりあえず投票ページのURLだけ書いて
おくね。

https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html

あと選挙期間内は政治家みたいに一時的な注目を集めるためにセンセーショナルな
ことを毎日書き連ねていくべきなのかな?で、ベストなんたらに選ばれたあかつき
にはとっておきの音源をアップしちゃいますよみたいな、特典つけるとかね。ファ
ンキーキンキーアップするとか。

まぁいいや。このことは忘れよう。無駄に期待するとダメだったときに残念だし最
終試験まであと二ヶ月切ったしブログどころじゃないんだよね。過剰にブログに注
意をフォーカスするのも嫌だし、そういったことをすると俺の中の革命度が下がっ
ていきそうだからやめたほうがいいよね。ってことで今までどおり時間があるとき
に更新していきますので投票ヨロシク。っていう落ちはどう?って感じで落ちを書
いたりさ、投票ヨロシク(結局、頼むんかーい!)とか一人ノリ突っ込みするとか
ってよく文章であるけど、最近アメリカでも一人ノリツッコミ存在することに
お笑い普遍的な価値を見出しましたね。

生成文法ならぬ生成ユーモアみたいなのが人間にはあるのかもしれないね。ユーモ
アといえば今日学校の手前ぐらいでマサさんの波が来たんで、テスト今日じゃ
なくて良かったかも。

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http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108

2007-10-22

8bit時代とは何だったのか - 8色タイリングが拓いた表現者の時代 -

ブックマークでも人気のこちらを見て考えた。

YouTube『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』

80年代に隆盛を誇った8bitホビーパソコンの追憶の詩と映像である。若くてそんなの知らない向きにはこちら→Wikipedia 8ビットパソコンホビーパソコン

要するに貧相な計算能力ながらようやく「人間にも分かる」表示能力と発音能力を持った初期のパソコンの、ユーザーがその表現をプログラム側からながら自由に扱うことができるところに面白みのあった一時代についての懐古である。曲も素晴らしい。

もちろん私も8bitホビーパソコンのストライクゾーンユーザーだったわけで上記クリップの言わんとする感じは良く分かる。逆に世代が違うとそれだけでこのビデオ作品には何も感じないかもしれない。

しかしそんな懐かしズムについて語りたいわけではない。いや、むしろ猛然と語りたくてしかたないのか。ともあれ、この国産8bit時代に我々現30代はアーダコーダと雑誌を横に機械語まで弄ったりしたのだ。頭の柔らかい中学生ぐらいだから理系とか関係なく自然言語を取り扱えた。いきなりバイナリコードを組んでる姿は親からみたら異星人だったに違いない。それでもクラスに数人はいたはずだ。希少種というほどでもない。

そこで疑問に思うのがそんな我々30代が社会で中堅と相成った現在において、この日本ソフトウェア産業レベルが低いのはどういうことなのだろうか。かように自主的にコンピュータの実習をしてきたにもかかわらずだ。

怪しい部分はいろいろある。

8bitパソコンうつつを抜かしている間言われたのは「プログラマーでは食っていけない」という呪いだった。実際、私も特性があったとも思えないが選択肢から最初から除外していた。この辺の妥当性は現在プログラマーの人のコメントを待ちたい。外見的にはWebプログラマーとして人材が流れ込む現在とは対照的だとは思う。

また、90年代の停滞だ。Macintosh廉価版と続くPC/ATWindows95の普及まで「パソコン」は暗黒期にあった。さらに言うと2000年ごろのウェブプラットフォーム現実感として開けてくるまで80年代のような「パーソナル」さはなかったように思う。

思うに、80年代パソコン90年代(後半)以降のコンピューティングは全くの別物だったのではないだろうか。

そこで8bitパソコンがなんだったかというと、実際はパーソナル「コンピュータ」ではなくパーソナル「メディア」だったのだろうと思うのだ。(当時ログイン伊藤ガビンPCメディア論を振るっていたが、ここではもっと画用紙同様の素直な意味である)今からみると惨めな表現力しかないのだが自由に、難しい表現だが、扱うことができた。サラリとその場でBASICを組めばキーに音を割り振れるような自由だ。いくつかの8x8マスのカラフルな独自“文字”を設定してテレビ局しか触ることのできなかったCRT画面を芝生“文字”や樹木“文字”で埋め尽くし草原にしてしまう自由だ。

特に当時は計算能力限界があったためユーザーも遅くて動かないアルゴリズムに凝ることより表現に凝ることに走ったのかもしれない。

ゆえにコンピューティングの正統な進化たるMacintoshPC/ATではそれを引き継ぐことはできず、ラピッドプロダクションで表現を行うメディアであるウェブの普及までその再来感覚がなかったのだ。

そしてこれはコミック60年代??)、アニメ70年代??)と続きゲーム(90??年)が引き継いだ日本サブカルチャーの基底をなす一つでもあると思う。

だから大人になったパソコン少年※が作るのはウェブプラットフォームランタイムではなく『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』なのである。

※作者が何者か全く知らない。本当は20才のモデルかもしれないし65才会社役員かもしれないのであしからず

2007-10-15

革命とはキャズム超えをいう

http://anond.hatelabo.jp/20071015180844

優れた技術は簡単に生まれるものではない。長い下積みを経て熟成された技術が、あるきっかけでキャズムを超える。それはちょっとした発想の転換だったりテクニックだったり、そして多くはマーケティングタイミングだったりする。そのため、そこに至るまでの積み重ねから見れば、ギャズムを超えたその技術自体は大したものではない事が大い。しかし、革命とよばれる事により生ずる牽引力が技術の発展に与える影響は大きい。

例えばWWW。ティム・バーナーズ=リーがそれを公開したのは90年頃。このシステムHTMLによるリンク画像も扱えるブラウザ Mosaic の登場とともに爆発的な普及を遂げ、インターネット革命をもたらした。しかし、このHTMLの基礎となる概念ハイパーテキストは古くからある。そして60年代にはそれを使用したシステムNLSがあり、また、HTMLの記述方法の基礎SGML60年代のGMLを祖としている。これらの技術も、世界がつなげたTCP/IPやそれを支えたUNIX、さらにそれらのシステムを動かし、画像を扱えるまでに高性能化したコンピュータとそれを支えるLSIの製造技術の支えがあってのものである。そしてそれは、時間をかけて主要ブラウザの標準機能となったJavascriptストレスなく動かすPCや、非同期に数多く寄せられるリクエストも処理できるRDBMやサーバを生み、古くからある技術を利用したAJAXJSONPが新たな革命をもたらすといわれている。

2007-09-29

おとうちゃんは青函トンネルに出稼ぎへ、おかあちゃんは温泉ストリップ

60年代後半から90年代前半くらいまでじゃないか?

それって、受験戦争四当五落とか、モーレツ社員とか、公害日本滅亡とか言われていた時代じゃないですかね。

あいりん地区暴動ってのもあったな。

anond:20070929175533

2007-07-01

先日帰郷したら、実家TVは画面が横長になっていた。個人的に実家TVに恨みも恩もないし、ふてぶてしく僕の実家に居座られたところで僕の恥ずかしい過去が所詮Panasonic製品に見られるわけでもないので気にしていない。

よく画面の上端の字幕人間の頭がきれるので、横長TVが普及していないことはわかる((どういう規格なのか知らない))。たまに実家で安っぽい「バラエティ」や「ドラマ」をTVで見ているとたまにDQNという言葉を思い出す。「こんなものがおもしろいのか」。本屋新書コーナを見ていると「低所得労働者を夢のある低所得労働者に変えるシリーズ」が売れているようだ。阪神電車に乗っているとほとんどホームレスみたいな身なりの日雇い労働者らしき人間が酒盛りをしていた。

格差論がはやっているらしい。60年代米国に於いて同様に格差論的にいろんな社会現象・心理が説明されたという。

私は普段は独り暮しで学校以外の社会をもたない。そういう私を格差論による説明は説得できない。例えば、「受験勉強に対するモチベーション」について格差論に基づいて説明されてもまるで納得できないのだ(されたのだ)。「下流」の親をもつ人間努力無意味だと感じ、「上流」の親をもつと将来への見通しをもち自身の目的のために邁進するらしい。

ところが格差というものの存在想像する時がある。予備校の近くで浪人生らしき金髪を見た時、コンビニ雑誌コーナの片隅の安っぽい自己啓発本を見つけた時、DD浜田シモネタを聞いた時。たまに遭遇する「社会」の表象は、格差の存在を示唆している。しかし、理屈として格差論にはいつも違和感が伴う。騙されていはいないだろうか?「これだから、格差社会は」と。

私は学校以外の社会をもたない。私が感じるものと多くの人が感じているものの違いがそれだけに依存しているわけではないが、格差論が本質をついているとは思えないのだ。蔓延する格差論に漠然とした不安を感じる。

2007-05-22

増田で訊くことでもないんだけど

デジカメで撮った風景写真を一枚渡されて、「60年代風にしてくれ」って言われたら、どうすればいいのだろうか

2006-12-24

ウェブ人間論 読みましたよ

読みましたよ話題の書ですからね。

久しぶりに発売前から気になっていた本。

…え、対談ものだったんだ?

事前に何も調べなかったからしょうがない。

しかし、対談には対談なりのよさもあるというもので。

専門領域がほぼ正反対の二人が、同じ問題について語り合うわけですから〜

さて内容は、、

インパクトの上ではウェブ進化論のほうが大きかったけど、

前著内容をより増幅させるというか、

確実なものにしたのが、今回の本の意義のように思えますね。

平野さんの

「時代の変化に興味がある」

という、いかにも人文学的な発想に対し、

時代の変化の真ん中で、ある意味当事者としての梅田さんは、

冷静にその質問に答えている、という感じでした.

平野さんの世代は、時代の変化に生まれて初めて直面したのかもしれませんね。

それは僕も含めて、物心ついたときから不況で、

60年代にもバブルの狂乱にも参加できなかった世代が、

WEB2.0」という、時代の大きな変化に直面し、

初めて「時代に参加している」という感覚を得ているのかもしれません。

だからでしょうか、僕がこの本を読んでいる感覚は、

浅田彰の「スキゾキッズ」を読んでいた80年代青年の感覚

に似ているのかな、などとも思ったりしました.


寒いとキーを打つ手が凍えて手がしびれます…

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