はてなキーワード: 3.14とは
あーそうか、Apple信者増田はプログラミング一切わからん系増田なんだな
Apple信者増田もといプログラミング一切わからん系増田は円周率、つまり3.14...をどうやって算出するか知ってる?
ラマヌジャンとかモンテカルロとかガウスとか色々あるんだけど、これら複数の円周率算出式はコンピュータで1万桁算出すると全ての式が同じ時間で終了すると思う?
答えとしては「算出式が違うと同じ時間では終了しない」んだよ。
算出式、計算式、つまりモデルが違うと秒間あたりの計算回数は変動するのが当然で、元増田がツッコミを入れたのはモデルもわからんのにOPSだけ見せられても検証することが出来ないという主張なんだよ
Appleが使ったモデルがわかれば、例えば汎用演算チップで同じモデル走らせればニューラルエンジンがどれだけの性能かを検証できるでしょ?
検証できないことを誇られてもナンノコッチャってなるのは仕方ないでしょ
この3点はヤバさのハッピーセットなんやが、未だにknoa氏を有難がろうとしてる連中は、それが分からんのやろなーって思ったわ。
こんなもんをそこそこの理系大学で卒業研究として出そうとしても、担当教授に卒業可能な研究成果として認められない程ハチャメチャなんや。
これは何度も指摘されてる訳やが、予測モデルが存在しなければ誰にも再検証できないし、予測の尤もらしさが検証できない。例えばや、毎日我々が参考にする天気予報にも、当然やが予測に用いた数理モデルが存在する訳や。
それを元にスパコンで計算して過去の例と付き合わせ、予測精度や誤差まで検証したうえで、「こんな感じの精度のモデルをつこうてるから、参考にすべきところは参考にしてな」って予報を日々公開してるんやな。
可笑しいと思った誰かが、それに対して検証し、反論を加えられるだけの材料が揃っているからこそ、広く受け入れられている訳やね!
これは、ほんまにヤバいよ!
例えばやヤードで計測した時速と、メートルで計測した時速を、単位系の変換なしで、数値のみで比較してたらどう思うよ?ガイジやろ、そんなものは?
毎週のように計算方法を変えてるという事はや、本来は以前の計算結果と単純に比較する事は絶対に許されないレベルのアホのやる事な訳やね。仮にも数字を扱ったことがある人間なら、まずやらんことや。
もしも計算方法を変える場合は、変えた前と後でどの程度の違いが生まれるのか等、採用した手法の尤もらしさを計測しなければならん。それぞれの計算方法の間の変換式の妥当さも証明せねばならない。モデルの尤度を証明するのはメンドクサイのや。
例えばやで、毎日参考にしている天気予報が毎週のように予測モデルを変えているのに、昨年の今の時期の予想はこうでした比較すると・・・とか言われても、鼻で笑うやろ。
もっと簡単に例えるとや、先週までは華氏で温度だしていたのに、今週は摂氏で温度を出していて、共に何度ですと同じ単位であるかのように比較されるのとまったく同じことなんやね。意味なしやね。
これがトドメやね!w
円周率が3.1か、3.14かでは大きな違いがあるけど、それを勘で出しましたって言われたら、どうですかね?あかんやろ、そんなもんはwその計算結果を信頼しますか?無理やね。
普通は何らかの方法で計算をして出すのや。人力で目で見て適当に推定するって事はどういうことか?本来は客観的であるべき予測に、主観が入るという事や。
天気予報で例えればや、シミュレーションもしないで、雲を見て明日は雨って言ってるのと同じやね。漁師の勘みたいな再検証不可能な俗人的な経験測からくる天気予報は、占いと同じで
それはそれで本人やもの好きに珍重されていい物ではあるが、客観的に使える予測とは言わん訳やね。
以上を踏まえない限りは、何の価値もありません。あんたの来歴なんて、わいがどうでもいいが、予測の信頼性が全く客観的に示されてない以上は、予測した本人の信頼性の無さが問題になるのも避けられんわなあ。
結局はや、この程度のものに踊らされてる時点で、数字を扱う上での常識とか客観性が備わっていなくて主観で物事を見ているということなんやな。
これは一事が万事にあてはまる欠点で、あらゆる場面でおかしなブコメが目立つし後から振り返れば間違っていたという現状の温床でもある訳や。
完成してないワクチンを買うとかwwwって笑ってたブクマカも、いまやワクチン頼みやろ。感染症対策で決定打は集団免疫の獲得で感染しまくる訳にはいかん以上は、ワクチンしかあらへんで!ってのは常識や。
その場の空気や感情やなしに、何が正しいのか?と客観的な指標を持てない、はてな民の病気の現れなんかもしれへんね
なんやら、ブコメを見たら、増田でやってる遊びにごちゃごちゃ言うな。分かってるわ!的なコメントが散見されるけどや
関係各所の専門家にメールをすると言ってみたり、いっぱしの専門家を気取り始めた時点で、バカがやってる遊びでは済まされんものになったんやね。
専門家に専門的に意見をするのであれば同じクオリティで数字を扱えないとダメだし、おまけに無知な人間からお布施まで貰うようになっては、新興宗教と変わらん。
御上に批判的な(連中が集まってくる誘蛾灯な)新興宗教と言うと、どうしてもオウムを思い出すし、増田を遊び場としてるワイ君としては、もはや看過できんちゅうことやね。
ここまではよくわかる。それで物理学と数学的なカオス理論を押す連中が間違っていると思うのが、
二度目の入力の際に手間を惜しみ、初期値の僅かな違いは最終的な計算結果に与える影響もまた小さいだろうと考えて、小数のある桁以降の入力を省いたところ、
ここ。ここが諸悪の根源だ。まず計算機科学の連中が大学に入って最初に引っかかるミスに大御所がひっかっている。たとえば、0.4 - 0.3 は計算機科学では 0.1 じゃない。それは十進法から二進法に変換するという計算機の特性を理解してない人がやるミスだ。嘘だと思ったら、0.4 - 0.3 == 0.1 と C なり Ruby なり Python なり Java なり Haskell なりでやってくれ。ちなみに JavaScript なら 0.4 - 0.3 === 0.1、Lisp族の Clojure は (== (- 0.4 0.3) 0.1)、PHP はちょっと自信がないので省かせてもらう...。浮動演算ユニットがついているプロセッサで IEEE 754 の類をサポートしているなら「偽」となるはずだ。ここでは「桁あふれ」「丸め誤差」なんかは説明しないが、計算機で小数を扱うのは注意が必要ってことだ。閑話休題、つまり計算機で数学や物理学が実数のように小数点を扱うなら 3.0 と 3.1と 3.14 は別物として扱う必要があって、カオス理論の創始者であるローレンツは「有史に残る」ミスを犯した。
結果が大きく異なった。
これは金融界隈のエンジニアたちにとっては、コンピュータが現れてからは悪夢のような形で襲っていて、ゴースト・イン・ザ・シェルの題材にすらなっている「既知の未知」という類のエラーだ。はっきりいうと、大御所にこんなことを言うことは憚れるが、エンジニアだと3年目以降だとしないミスを MIT のエリートがやっているという、なんというか「そりゃ、そうなるだろ」的なミスをしでかした結果なんだよ。例えば、古典物理学だと有効数字のひとつ下の数値は切り上げて四捨五入するというのは教科書的には正しい。だがね、計算機科学だと小数点の扱いは事故の元なんだよ。具体例を出すと「Ruby で円周率を100回掛け合わせる、Ππ(パイパイ、n=100)みたいなことをする。
puts [3.0, 3.1, 3.14].map{|i| 100.times.reduce(i) {|j, k| j *= k + 1}} # 2.7997864633183236e+158 # 2.893112678762268e+158 # 2.930443164939848e+158
もう一度、特に高校の物理をやった人は考えてほしい。数値を切り捨てしないだけで、これだけの差が生じるのだ。そりゃ、ローレンツ大先生も驚くわな。現実世界では起きないような気がするのはなぜか?、と思うじゃん。そこで、わたしはこう思うわけですよ、
とね。だからこそ、
というものを科学する学問があって良いのじゃないかと。つまり、
なのではないかと。
保育園に通っていた私は保母さんにいろんなことを教えてもらって、優しくてお母さんと違って怒らない保母さんのことが好きだった。
成長して、円周率を学んだ。
私は保母さんになったら「私、円周率なの」というジョークを言うのだと漠然と思っていた。
時は経ち、将来のことを真面目に考えるようになった。保母さんになるための道を探した。
けれどその時にはもう、保母さんにはなれなかった。保育士というものに変わっていた。
円周率も3になっていた。
ダンジョキョードーサンカクカシャカイとやらはきっと社会を良くしている。保育士になりたかった男性が、呼称を気にしなくてよくなった。
子供の世話をするといえば母である、という固定概念も取り払われつつある。
教育要綱は二転三転していてよくわからない。今の円周率はいくつなんだろう。今の人達は円周率をほぼ3と認識しているのだろうか。
とにかく、時代は変わった。
私は円周率になれなかった。
最近は大学の課題も落ち着いて暇な時間が増えてきたので何かにハマろうと思い立った。
「タイBL」とは、タイで製作されているBLドラマのことで、4.5月頃の自粛期間に日本でも人気が出たらしい。
(鬼滅や呪術廻戦は周りで流行りすぎて手を出す気が失せてしまった。)
「タイBL」も腐女子の中では"流行りコンテンツ"だったけど、なんとなく私の中では流行が落ち着いてきた気がしたから年明けて1月に手をつける決心がついたのだった。
「よし!見るものを探そう」と色々なサイトやファンの方のTwitterを調べていくと驚いたことがあった。
とにかく視聴ハードルが高い。
あさイチとかで特集組まれるくらいの"流行りコンテンツ"ならば、愛の不時着とか梨泰院クラスみたいに定額動画配信サイトに見放題で置かれているものだと思っていた。
私が登録していたタイBLが見れるサブスクはこの時点でアマプラのみだったため、とりあえず作品を探したら、見放題であったのはたった2作品だった。
「えぇ!少ない!」と、正直思ってしまった。
アマプラにあった「Love By Chance」と「Until We Meet Again」は3日かけて全話完走。
粗はあったが、面白かったし私としてはとても楽しめた2作品だった。
「楽しいから次を見よう!」と思い、ファンの方が作った布教シートを見て引っかかりそうな作品を探し、検索してみることにした。
ファンの方は親切なのでYouTubeリンクを貼っていてくれたり、視聴方法を記載してくれている。
しかし、
①YouTubeではジオブロック(特定地域で動画が見れないようにすること)を食らっている動画が増えている。
この2点にすっっっごい悩まされた。
①について。
ドラマの版権が日本で買われるとジオブロして視聴プラットフォームを限定していくことが増えているらしい。従来、有志が日本語字幕をつけてくれていたおかげで気軽に視聴できたが、その環境が版権購入によってなくなってしまった。
公式にお金がいくことはいいことだけど、版権が買われて視聴プラットフォームで再生した場合、どれくらい製作側に取り分行くのかが気になる。
ただ、見にくいというのは本当に難点だよね。
②について。
①で版権購入された作品を見ようとするには、見放題に入ってないことが多いので課金が必要になる。1話当たり220〜330円くらい×全13.14話分なので完走するには3000円が必要になるけど、決して安くないな〜と思った。素晴らしいと思ったものにはお金を払いたいと考えているオタクだから、課金することを悪だとは思わないけど、視聴ハードル!!!!!!って感じです。
以上、「タイBL」を視聴するにあたって私がびっくりしたこと。
でも、オタクだから、びっくりしたけど視聴は続けてる。毎日楽しい。
1番見放題作品が多いU-NEXTに加入して、「WHY R U ?」の今配信されてるところまで見た。とにかくえっち。
その後、「タイBL」初心者におすすめらしい「2gether」も都度課金して見てみた。顔が良すぎた。
今まで見た4作品はどれもおすすめできるものだったのでいろんな人がハマればいいなという想いを込めて、視聴ハードルが下がりますよーに!!!私もジオブロや日本語字幕だけ削除の状況に負けないように英語の勉強でもしようかな。
(次は何見よう)
なんか最近自民党をとにかく非難していればいいみたいな言説をたくさん見るので長文を書き散らす。
こういう事を言うとネット右翼だの安倍信者だの言われるのが目に見えているので先に述べると私は自民党政権を支持していない。
その上で、こういった事があるよと言っている事を前提としておく。
表題の件で何が言いたいかと言うと、社会的正義を建前としてメディアを通じて国民を煽り、自らの利益につなげるという商売スタイルが存在するので相手や立場の善悪に関係なく全ての情報を懐疑的に評価しなければならないという事だ。
未だに真実として語られるこの事実であるが、実は嘘と言って差し支えないほどの曲解、拡大解釈である。
これによって「ゆとり教育=テキトーを教える教育」というイメージが固着し、メディアや広告を通じたゆとり教育批判によって当時の小学生達は自尊心ガリガリ削られるという状態になっていたのだ。
「円周率は3」という事実はどのようにして形作られたかと言えば、90年代末に学習指導要領が改定され、小学校の算数について「円周率は目的に応じて3を用いる」「小数は小数点以下第1位までしか扱わない」という文言が登場した。
「目的に応じて3」というのは、円っぽい図形の時のみなし計算や、見積もりみたいな大雑把な計算をするときにとりあえず3としていいよ。ということであり、小数点第一位の件についても、円周率に関しては3.14で扱うという旨が明記されていた。
そこで、とある学習塾が「ゆとり教育では円周率は3!(だから塾に行こう!)」という感じの広告を撃ち、メディアも批判的精神の観点からゆとり教育の問題点の旗印として「円周率は3」を掲げて日夜教育批判を行った。
実際にはそうではなかったのにも関わらず、「円周率は3」という見出しのインパクトによってこれは広く受け入れられた。
それがテレビや親を通じて、当時の小学生達に「お前たちは失敗作になる」というメッセージで突き刺さった。
もちろんそういった意図があった人は一人も居ないだろう。しかし、「頭が悪くなるから塾に行こう!」「間違いだらけの教育!」といったメッセージが日夜飛び交っていれば、結果そういったメッセージとして当人たちに届いてもおかしくはない。
ここまで読んだ人なら想像がつくだろうが、私はもろにその世代である。
全員が全員ではないが、私達の世代には子供の時から「何をやっても無駄」「頑張っても無意味」という価値観の人が多い。
これはゆとり教育批判の流れ弾を子供自体に食らったからではないか?と思っている。
私もいい大人であるから自分の無能や怠惰というのは自力で解決すべきことであると思っているし、教育やメディアのせいにする気はサラサラ無い。その責任を取れとも全く思わない。
しかし、そのような環境に於かれていた当人たちは大人ではなく、第二次性徴も迎えていないような子供である。
精神が未発達でこれから人格を形成していくという子供に対して「失敗作になるぞ」といったメッセージを浴びせ続けるのは果たして円周率を3で教えるよりも良いことだろうか?
社会的正義に目が眩んで子供がどのように感じるかというケアはあの当時全く無かったし、その証拠に、未だに社会的には「当時円周率は3で教えられていた」というのが真実になっている。
いつからそうだったのかはわからないが、この時にはすでに日本のメディアは事実の観測者から正義の行為者へと変貌していた。
正義の行使ではなく、事実の観測を心がけていれば、ゆとり教育への批判も建設的に行なった上で学習塾の広告にも批判的視線を向けられたはずである。
メディアに観測者の存在しない今、情報の受け手である全員が観測者の心掛けを持たねばならない。
「○○政権の法案はこういう事実がある!」というような批判に関しても、「そもそもその事実は妥当なものか?」という俯瞰的観測精神を持たなければ、容易に誰かの意志に流され、守るべきものを壊しかねないということを忘れてはならない。
付き合っていた彼女と別れ、股間の枯れた生活も早半年。正直に言えば日々ムラムラしており、セックスしてえという欲求は燃え上がらんばかりであった。
同僚と酒を飲みつつそんなくだらねえ話をしていたところ、「単にセックスしたいだけなら援交かソープでええやんけ。教えてやるぞ」とのことで話を聞いてみた。
・アタリを引ければ風俗になかなかいないレベルのルックスかつ初心な子と出会える
・仲良くなれれば値下げできたりデートできたりする
・そもそも売買春は違法なのでソープ行くよりよっぽど肩身の狭い思いをする
・実質プロの人と援デリ業者が多く素人が良いという需要に意外とマッチしない
・実は安めのソープ行くのと同額以上の金がかかる
・アタリを引けない
・一応合法かつ相手の年齢を18歳未満的な意味で心配する必要が無い
・真の良嬢は速攻予約埋まるので争奪戦に勝たねばならない
彼の話をまとめると、ガチャを楽しみたいなら援交、確実に楽しくセックスしてえならそれなりの予算を用意してソープに行けとのことであった。セックスしてえのにそこまで言われて援交を選ぶ奴がいるだろうか。いや、いない。
かくして、30になる前に風俗デビュー済ませておくのも悪くないななどと自分にテキトーな理由を言い聞かせソープに行くこととなったのである。ちなみにここまでが前置きだ。
内容は省略するが、初めてのソープは大変楽しい空間であり、初めての泡姫はとても良い方であった。そしてタイトルに至る。
「お兄さんコレ(チ○ンポのことである)大きいから、女の子に入れてる時に『緩い』て感じたこと無いんじゃないですか?」
きた、これが接客トークというやつか。そんな見え見えのおだて文句に舞い上がるほど小生も若くはない。
「ゴムはS、M、L、LLと用意してあって、お兄さんにはLLを使ったんだけどそれでもちょっとキツかったですよね。お世辞じゃなくて本当に大きいですよ」
マジか。自分のチン○ポサイズは勃起時約13㎝であり、やや小さいと思っていたのだが。
「長さは普通だけどすごく太いんですよ。今までゴムどうしてたんですか?」
「ラブホにあるやつとかコンビニで普通に買って済ませてました」
「キツくなかったですか?」
「ゴムってそういうもんだと思ってました……」
「言われてみれば確かに……」
「ありましたけど、つけ方が悪かったんだと思ってました」
「そうだったのか……」
気分的には取り調べを受けている感じであった。
「お兄さんに合うゴムを用意しておきますから、また来てくださいね」
「また来ます」
そうして帰宅して、太さの測り方をWeb検索。勃起時に一番太いところの円周で測って3.14で割る。算数がこんな時に役に立つのか。
結果、円周約14.8㎝、3.14で割って直径約4.7㎝、それが小生のチ○ンポの太さであった。早速コンドームメーカーのHPをチェック、合うサイズとはどれなのか。うお、こんなサイズがあるのか。そうか、小生のチン○ポは太かったのか……。
また行きます。
4年前、2028年のことだがちょうど仕事で二ヶ月丸々ペルー→パキスタンに出張していて、例の大型アップデートを逃してしまった。
手違いで会社側が不在届を提出しておらず、予備週間にも取りこぼされた。
まあ4年も前のこと、ver2.33の皆さんには思い出さないかもしれないが、4年前のアップデートでマルチタスク能力が格段に強化されたのは知識として知ってる人も多いと思う。
まさに地獄だった。出張から帰ってきたら仕事量は冗談抜きで4倍になっていた。会議を聞きながら書類作成、書類作成しつつも会議で意見を述べたり質問をしたり。って、あたりまえか。まあ今のみんなにはできて当然だし、4倍のさらに倍の仕事もこなせるのが普通のことなのかもしれない。が、アップデートを逃した俺には出来なかった。それまで俺はいわゆるエリートだった。販路開拓のために海外を飛び回る一流サラリーマン。ネイティブと変わらず話せる英語が自分の誇りだった。それが突然「無能」と呼ばれるようになってしまった。当時プライドが高かった俺は苦しんだ。転職を繰り返したが上手くいかず、ついには清掃や警備など昔の俺なら底辺と見下していたような仕事にまでついた。が、そこでもマルチタスクが求められた。同僚は当然のように12枚の監視カメラの映像をさらいながらカップラーメンを食べ、ソシャゲ(ソシャゲといっても昔の人間が考える猿のおもちゃのようなものとは違う)に興じていた。
アプデでクリエイティビティが強化された、正確には大脳皮質がどうたららしいが俺には理解できなかった。ともかく、その強化で周りの趣味がガラリと変わった。俺がそれまで好んでいたバラエティやお笑い、アニメや漫画は低俗で幼稚園児でも見ないくだらないものとなった。代わりに流行り始めたのが、昔なら博士課程でやっていたような学問と研究、抽象芸術、作曲や演奏活動。仕事で打ちひしがれて帰ってきて、テレビをつければ流れるのはわけのわからない数学の証明、それが理解できて当たり前で、むしろわからない俺が馬鹿。音楽も難解になった。音の数が圧倒的に増えて、俺には理解不能な多量の音の羅列になった。でも、俺以外の人間には音楽なのだと言われた。
流れ着いて入った工場の寮では、毎晩仕事仲間が集まって超複雑なルールのボードゲームをやっていた。自分の駒が24種類あって、山札が5種類、伝言ゲーム形式で11の単語を回し、それからサイコロも使うわけのわからないゲームだ。でもみんなそれが出来て当たり前だった。昔で言う将棋みたいに、ちょっと聞けばルールがわかるものという扱いだった。俺はそれを黙って見ていた。プレイできないことがわかると知障扱いされるからだ。
耐えがたかったのは、感覚過敏だ。俺は感覚過敏ではなかった。大型アップデート前は。それが、みんながアップデートしたことによって俺だけが感覚が異常に過敏だということになった。32年では、防疫的観点から全身をラップのようなもので包むのが当たり前だが俺かはこれがめちゃくちゃ辛かった。みんな当たり前だという顔をしていたが。それに、食べ物も味もアプデ後におかしくなった。すっぱいのに辛くてさくらんぼに似たフルーティな香りがついた茄子のような野菜、とか。そんなものばかりが出てきた。俺は焼肉と白米以外食べられなくなった。それでも白米はタバコの煙のような味がしたし、焼肉はメロン香料で味をつけるのが一般的だったが。食べられないことより、何より辛かったのは皆が俺を偏食扱いすることだった。俺は普通の味覚をしていたのに、突然病気のように扱われるようになった。
恋愛なども不可能になった。アプデ前は彼女がいたが、アプデ後に流行った高度な言葉遊びのやり取りに馴染めなかった。俺も昔はハイスペで、彼女もまた才女だったから、彼女は俺がウイットに飛んだ素晴らしい返しをすることを期待していたのに。例えばこうだ。彼女が「縦に並んだ魚のほうが左にあるけれど、地位ある鳥は歌わないものだわ」とか意味不明なことを突然言い出して、それに対して「あるいは薔薇も散る前は」とか言わなくちゃならない。外せば露骨にガッカリされる。適切な答えを出せたら彼女がどう反応するかはわからない。一回も正解したことがないからだ。ともかくこういう暗黙のやり取り?が出来ないせいで俺は生涯独身決定になった。あと性行為中に数字当てゲームをするのも人気らしいができる気がしない。ともかく異性と愛し合うこともできなくなった。
俺がこの増田を書き留めるのは、2.33だか、3.14だか知らない最新の人間に自分の現状を知ってもらいたいからではない。俺のような人間がこの時代にいたことを証明するために書いている。
もう一人落ちこぼれているという辛さも感じなくなった。もう前みたいに働いてないのも大きい。今は国の施設で保育園児みたいな扱いを受けてるよ。3桁掛け3桁の掛け算の暗算の練習をしてる。保育園児でもこれぐらい楽勝なのに、ここの施設の住人は全然出来ないんだよな。ただ毎日虚しくて虚しくてならない。
次のアプデでは有機的肉体の限界を突破することがテーマになるらしいから、見た目まで変わるんだろうな。
ただでさえ言葉が通じない知的障害者扱いされているのに、身体障害者扱いまで加わるんだろうな。各地でエレベータのない高層ビルが立ってるあたり、ジャンプ力が上がるのか?それとも空でも食べるようになるのか?肉体さえ失うのか?ニュースは見てるんだが難しくてわからないから想像しかできない。
ともかく言えることはひとつ、ちゃんとアップデートしないと俺みたいになるぞ。つって、もう俺みたいな取りこぼしは技術的に出てこなくなってるらしいけどな。
みっともないが自説を貼っておく。これを指摘しては争いになり、どこに行っても相手にされない。
代議制民主主義の投票は、実効的側面があるアンケートの一種だ。そのアンケート結果によって、例えば人気投票だったらそのキャラや人のグッズが出たり、何かの選択肢が変わったりする、そういうアンケートの一種だと考えることができる。
人々は、いや私は、そういうアンケートに答える時には、自分の中で戯れだと考えている。ある程度以上のサンプル数があれば、一票が結果に影響を与えることは無くなり、つまりアンケートとして確かなものになるので、自分の一票が結果に影響を与えると考えると、不合理になってしまうからだ。
1票が持つ実効的な意味だけに着目すると、1票差で結果が決まる確率の最大値は、投票総数が「N×2 + 1」の時、参加者のそれぞれが候補者A・Bに2分の1の確率で投票する時に確率が最大になるとして、「1 / √(N×π)」という結果になるらしい。計算過程としては、最初の半分が一方に、それ以降がもう一方に投票する場合が「2のN乗分の1」で、しかし半々になるのはそれ一通りで無く何通りもあるので、スターリングの公式だとかでそうなるらしい。
有権者の数が40万1人の場合は、「1/√(200000×3.14)」で「0.00126188616」。792回やって1回という確率らしい、「√(200000×3.14)」で出せるみたいだけど。
これを多いと考えるか少ないと考えるかは、その人によるかもしれない。皆が完全にどちらでも良いと考えている時に、千年以上に一度の確率で1票差で右か左の候補者に勝たせるために、投票に行く。しかしおそらく、多くの人間はそのように考えて投票に行っているわけでは無いだろう。
1票が持つアンケートとしての意味だけに着目すると、事態はもっと悪くなり、一票差で勝ったり負けたりした所で、偶然だと考えなければ非合理になってしまう。つまり何が起こっても意味が無いことが最初から約束されてしまう。
しかし読者はこう考えるのではないだろうか、つまりしかし確かに投票結果が政治に影響を与えており、私は少なくともその一億分の一だけは結果に影響を与えているのだ、と。
一票には意味があるのか、それとも一票には意味が無いのか。私の考えでは、これは視点のスケールの問題で、視点のスケールを変えれば意味があるとも言えるし、無いとも言える。
自分一人のスケールで考えると、たとえ全体の目的のことを考えたとしても、投票には意味が無い。統計的に誤差なのだから、意味が無いと考えるべきだ。
しかし全体のスケールで考えると、その中のパーツやサンプルとして、投票には意味があると言える。確かに因果関係の中に存在しているのだから、意味がある。
代議制民主主義は、全体の目的では無く、その全体の視点によって成立している。あるいは、そもそもその全体の視点がルソーの一般意思なのかもしれない。
じゃあ円周率言ってやろうか?
3.1415926366467864421576897776433678864337099056782243666734757536367
おまえもっと言えるんだろうな