「1998年」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 1998年とは

2015-08-23

文科省が「妊娠のしやすさ」のグラフを副教材に掲載に関するメモ

文科省が「妊娠のしやすさ」のグラフを副教材に掲載するまで

文科省「22歳をピークに女性妊娠のしやすさが低下」のグラフ、元論文と食い違い?(篠原修司) - 個人 - Yahoo!ニュース

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20150822-00048737/



大元1989年論文 Fecundity and natural fertility in humans. | POPLINE.org

http://www.popline.org/node/376892

論文の要旨は「妊娠確率の年齢パターンは、思春期では低レベルだが性行為の頻度によって

25歳をピークに急激に上昇し、その後低下する」とあり、「女性妊娠のしやすさ」とは別物

・上を引用した1998年論文 Declining fecundity and ovarian ageing in a natural fertility population. Maturitas

http://www.maturitas.org/article/S0378-5122(98)00068-1/pdf

掲載されているグラフは「定期的に生理があって避妊をしない女性の1回の生殖周期中における

妊娠確率(fecundability)」を表したもの

・上を引用した2015年慶応大名教授吉村泰典氏(内閣官房参与少子化対策))の講演資料 

女性からだと卵子の老化」

http://www.kenko-kenbi.or.jp/uploads/20150304_yoshimura.pdf

グラフを「女性の年齢と妊孕力」と説明 「22歳時の妊孕力を1.0とする」のもこのグラフにある

・上の吉村グラフ2015年文科省内閣府少子化対策の副教材に転載利用される

安心して子供を産み育てられる 社会に向けて

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/08/17/1360938_09.pdf

妊孕力を妊娠のしやすさと言い換える

2015-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20150810115701

武雄市図書館Excel に関する蔵書の一覧は確認しまたか

古いもので、1998年発行から2014年発行のものまで多種多様な本が揃っているんですよ。

本のタイトルに釣られて、Excel2003/2002/2000対応 は古いものだと思いがちですが、

仕事に使えるExcelの便利ワザ のいくつかは最新のExcel でも通用しますし、

地方田舎では、サポートの切れたXP更新されることなく現役で活躍してることも多々あるんです。

2015-07-07

ありえない徴兵制をめぐって

1952年2月 日米行政協定の締結のとき高松宮殿下グループラスク大統領特使に提出した安全保障構想で「徴兵制を導入」

1954年10月 木村防衛庁長官が「私としては徴兵制度実施が望ましいと思う」と記者会見発言

1956年 竹田五郎 統幕議長 徴兵制をめぐる政府見解批判

1963年 防衛庁統合幕僚会議徴兵制肯定

1970年11月 防衛白書から憲法上の限界から徴兵制は行えない」という表現を削除。

1980年 日向方斉 関西経済連合会会長が、関西財界セミナー基調報告で「非常時に備え、徴兵制度研究必要だろう」と発言山田稔ダイキン工業社長は「徴兵制をしいている国では人件費が少なく、GNPに占める防衛費割合が小さくなっている点は注目すべき」と意見

1987年現代社会」の教科書検定での指示内容に「志願制なので徴兵制の国に比べ人件費がかかる」という改善意見。

1992年10月 森喜朗政調会長自民党の全国研修会の公演で「若者国民奉仕隊のような組織に入ってもらい、ボランティア活動を通じて国家のことを考え、ポイントを取った人が大学受験で有利になる仕組みができないか、具体的に検討してみる必要がある」と発言

1996年12月 衆議院代表質問森喜朗代表が「ドイツ国民基本法には徴兵制があり、忌避した場合一定期間は社会奉仕義務付けることになっている」「若者学校教育の中で、ボランティア活動を必ず体験することが必要」と義務化を提言

1996年12月 建設省国土地理院幹部職員を対象とするディベート研修で、講師徴兵制必要発言

1998年5月 三重県鈴鹿市加藤市長が「自衛隊鈴鹿父兄会」の来賓あいさつで「徴兵制度を見直す必要がある」「必要かもしれない」と発言。のちに「青少年非行の歯止めになっていたのではないかという意味」「精神訓練の場、と言えばよかった」と釈明。

1999年9月 鳩山由紀夫幹事長代理群馬県の立会演説会で「侵略を受けた時は、有事法制緊急事態法制のなかで基本的人権を守りながら個の権利公共の役の前にどこまでゆずるかという議論はすべきだ。徴兵制はとらないことを原則としながら、万一足りない時は、緊急事態法制のなかで考えるべきではないか」と発言

2000年9月 憲法調査会欧州視察報告書で、ドイツ徴兵代替役務について、中山太郎会長社会活動義務化は、社会保障コストを減らす知恵」と感心。

2002年5月 石破茂防衛庁長官憲法調査会で「徴兵制憲法違反だと言ってはばからない人がいるが、そんな議論世界中どこにもない」と発言

2002年6月 憲法調査会札幌市でひらいた地方公聴会で6人の陳述者のうちの会社社長の稲津定俊氏が「国民徴兵制度」を明記した新憲法制定を提案

2005年3月 衆議院憲法調査会の最終報告書案で国民義務規定積極的意見として、国防義務徴兵制を追加すべきものとして挙げる。

2006年10月 教育再生会議の初会合で、国際教養大学学長中嶋嶺雄氏が「韓国などの学生に聞くと経験を積ませるという意味合いが大きい」と徴兵制評価

2007年10月 東国原英夫宮崎県知事建設業者との座談会で「徴兵制はあってしかるべき」と発言。後に「道徳倫理規範の欠如が社会モラルハザードにつながっている気がする。規律を重んじる機関教育することは重要」と釈明。

2010年5月 朝日新聞者のアンケート田中真紀子議員が「自衛隊軍隊として位置づけ、徴兵制採用するべき」と返答。

2015-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20150623083637

1998年 10年に一度の人手不足

2001年 リストラは昨年より上々の出来

2003年 ここ10年で最高の人手不足

2004年 過去10年で最高と言われた2001年を上回る人手不足

2007年 100年に一度の人材不足

2008年 年寄り臭が強く中々の出来栄え

2009年 ここ数年で最高

2010年 豊かな元請けの懐具合と下請けの酸味の強い徹夜臭のコラボ

2011年 昨年同様の素晴らしい人手不足っぷり

2012年 瑞々しさの感じられない中堅SIerを中心とした人手不足

2013年 下請けも逃げ出す程の素晴らしいブラック

2014年 IT市場最悪の人材

2015年 円安傾向で海外からお買い得と絶賛され人手不足が加速

2015-06-16

俺の年表

1984年に生まれ1985年に1歳になる。その後1986年に2歳、1987年には3歳になった。また翌年の1988年には4歳になり、その翌年1989年に5歳、翌々年1990年に6歳となった。1991年に7歳を迎え、明くる年1992年に8歳を迎え、1993年には9歳を迎えた。一年後の1994年10回目の誕生日とき10歳であった。1995年にはなんと11歳になり、1996年には12歳となった。時は1997年、この時13歳であった。さら1998年時点では14歳であり、199X年、世界は核の炎に包まれた!

2015-06-12

キレる17歳?

キレる17歳(キレるじゅうななさい)とは、2000年およびその前後に相次いで発生した凶行を起こした、17前後1981年から1985年まれ)の少年を指した語。

17前後少年による2000年の主な事件


豊川市主婦殺人事件5月1日

西鉄バスジャック事件5月3日

岡山金属バット母親殺害事件6月21日

山口母親殺害事件7月29日) - 年齢は16歳。犯人は後に大阪姉妹強姦殺害事件(2005年11月17日)を起こす。

大分一家6人殺傷事件8月14日) - 年齢は15歳。

歌舞伎町ビデオ店爆破事件12月4日


この世代によるその他の事件


神戸連続児童殺傷事件1997年発生)(2月10日 3月16日 5月24日)

黒磯教師刺殺事件1998年発生) - 当時13歳の少年による犯行。(1月28日)

豊川市主婦殺人事件 (2000年発生) -当時17歳の少年による犯行。(5月1日)

大阪姉妹強姦殺害事件2005年発生) - 犯人山口母親殺害事件犯人。(11月17日)

宇治学習塾小6女児殺害事件2005年発生)(12月10日)

栃木小1女児殺害事件2005年発生)(12月1日)

NHK記者連続放火事件2005年発生)(4月23日5月15日)

京都神奈川親族連続殺人事件2007年発生)(1月16日1月23日)

土浦連続殺傷事件2008年発生)(3月19日3月23日)

秋葉原通り魔事件2008年発生)(6月8日)

取手駅通り魔事件2010年発生)(12月17日)

パソコン遠隔操作事件2012年発生)(6月29日7月29日8月1日8月9日8月27日9月10日)

http://ja.wikipedia.org/wiki/キレる17


メモリークラッシュする……

2015-06-11

ミス・ユニバース宮本エリアナさんの話に思うこと。

ミス・ユニバース日本代表に選出された宮本エリアナさんが話題になっている。

彼女黒人とのハーフであるがゆえに日本人から差別経験し大変つらい思いをしたという。

そしてその部分に海外マスメディアが注目し彼女日本から差別をなくしたい、改善していきたいというインタビューの内容を取り上げている。

実際日本黒人への差別存在するのは事実だと思う。

特に子供のころからとなると小学生中学生レベルだとほとんど歯止めも聞かないのでまずまず差別を受けた経験が0などということは想像しがたい。

Facebook等でのコメント差別的コメントが多かったのも事実だ。

だがしかし差別的なことに五月蠅いはてな民ですら直接的に賛同しているコメントほとんど見られない。

たとえば以下の記事では宮本エリアナさんに対しての日本マスメディアがあまり取り上げないことに対して疑義を問いただしている。

はてブではその記事に対して「そもそもミス・ユニバースは以前から取り上げられていない」というコメントが多数散見される。

日本では宮本エリアナさんに対する賛同コメントかなり少ないように思える。

さてなぜだろうか。

あくまで私見ではあるが述べさせていただきたい。

個人的意見としてはそもそもコメントにあるように、ミス・ユニバースという大会のものが注目されていない。

以前は朝日放送主体大会が開催されていたが1995年最後大会の中止、その後1998年フランス人実業家イネス・ロングリンによって再開された。

その後は2006年知花くららさんや森 理世(もり りよ)さんなどが好成績を収めた。※森 理世さんはミスユニバースに選ばれた。

この知花くららさんや森 理世さんはハーフではない。

親が日本人日本で生まれ日本で育ち、日本代表として選出された。

彼女たちは立派な日本人である

ところが当時彼女たちはめちゃくちゃに叩かれた。

やれ、不細工だの衣装エロいだの、それはもうぼこぼこである

別にハーフではないのに、だ。

そもそも根本的にミスユニバースという大会のものグローバルな女性審査ミスユニバースを決めるという内容だが(ちなみに顔だけではなく体のスタイルや考え方、立ち居振る舞い等も十分に考慮される)

日本人一般的に備えている美的感覚や考え方等は全く考慮されていない。

はっきり言ってしまうとミスユニバース主催している一部の人間たちの美的感覚や考え方をごり押ししているだけで素晴らしい女性である等と到底思えない。

そんな大会日本マスメディアが取り上げたがるだろうか。

もちろん、実際にテレビなどに出演されて考え方などを聞き素晴らしい方だと思ったことはある。

だが少なくともそれはその方本人の話を聞き始めてそう思えただけだ。

ミスユニバースに出場したからといって素晴らしいのだと思うことははほぼほぼありえないといっていいだろう。

少し過激になってしまうがむしろ、偏った日本人像を拡散し、無用な誤解を生ませる新たな差別を生みだす凄惨イベントといっていい。

西洋世界美的感覚日本美的感覚はまるで違う。

よくジュノンボーイコンテスト入賞者やホスト画像を見てゲイっぽく見えるという話を聞く。

彼らはそれが明確な差別だとわかっているのだろうか。

その国にはその国なりの美的感覚存在し、美しさに対する基準は違う。

中性的であればゲイなのか?

個人的には宮本エリアナさんが日本人ではないとは思いません。

国籍に関しても明確に今後日本国籍を取得すると明言していますし、日本で育ったのであれば私は日本人だと思います

差別存在しないとも思いません。特に黒人は明確なマイノリティーなので無意識差別もあると思います

ですが、ミスユニバース等という差別助長しかねない大会に参加してその口で差別を解消するなどというのは賛同を得られることはないでしょう。

もし、ミスユニバース差別的構造をも同時に解消してやるんだ!という気概があるのなら何も言いませんけどね。

最後ミスユニバース2014の審査員写真へのリンクを貼っておきます

私自身いろいろ考えたことはありますがどう考えるかは皆さんにお任せいたします。

http://www.missuniverse.com/members/judges

2015-05-11

ゴールデンウィーク最後エロゲ史におけるクトゥルフ神話を語る

クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイト存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。

ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。

ゴールデンウィーク有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義ゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。

1991年~93年

まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。

1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。

特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。

そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。

エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。

1994年

こうした中、フェアリーテールブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初エロゲであるネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。

物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。

原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。

作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しか現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。

ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。

1995年

ネクロノミコンから1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である

『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。

物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの

クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものであるディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前クトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。

そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。

あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である

前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生ハーバートウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である

クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生ハーバートウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である

一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。

ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初エロゲであると言え、また原作二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである

1996年

一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。

クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態であるクトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。

他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Eliseエリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。

こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である

物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。

前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である

これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人表現されたものや「向こう側」はグロテスクものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。

SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。

しか踏切の赤信号アニメーション演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。

のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品エロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。

1997年

さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売であるタイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。

だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。

1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipedia日本語版の「クトゥルフ神話」の記事最初に出来たのは2003年8月)。

現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。

そうした状況下において『マジカディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。

問題パロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。

一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である

シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることからエロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。

1998年

さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。

そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。

物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである

この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキスト確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。

しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。

こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである

また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。

本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しか抑制的ながらも明白な狂気、グロテスク死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。

1999年

そしていよいよ世紀末電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。

ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である

正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。

……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。

というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。

本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去エロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。

まとめ

正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。

2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールブランドキャラメルBOXが姫屋ソフトブランドであることを考えると、少し面白いものがある。

なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。

さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)

2015-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20150402173438

から使われてるだろ、と思ったが、意外に見つからないもんだな。

青空文庫検索しても雪に対して使われているだけだし。

とりあえず歌詞検索してみると、

1993年都はるみ「桜時雨」に「舞い散る桜の花びらに」。

1994年さだまさしヴァージンロード」に「今 花吹雪 舞い散る中で 誓う」。

1995年イエモン太陽燃えている」に「桜舞い散る春も」。

1997年香西かおり「雨降橋」に「風に舞い散る 花びらさえも」。

1998年大月みやこ「涙かさねて」に「舞い散る 花びら」。

2000年、SPPED「April」に「桜舞い散る」。

などあったようだな。

2015-02-22

俺のインターネット履歴を語る

1984年

生誕

1980年台末期~1990年台前半

田舎ゆえ同世代の家まで遠かったせいか、内向的性格ゆえか、友達と遊ばず家に閉じこもっていたので

当時の子世代に当たり前だったファミコンスーパーファミコン文化ほとんど触れることがなく、

当然家にもテレビゲームがないまま育つ。

1995年

こち亀の影響でパソコンインターネットに興味を持つ。

1997年

中1の春にインターネットに初めて触れる

秋ごろには電子メールを覚える。

俺の世代携帯メールよりPCメールのほうを先に触ったのは1%以下だと思う。

1998年

メーリングリストネットニュース(今のニュースサイトのことではなくfjかのこと)に参加しまくり。

ドヤ顔で「僕、中学生なんですよ」とか黒歴史投稿

家の電話料金が3万円ぐらいになる。

1999年

メーリングリストオフ会とかに参加する。

中3の秋に当時開設半年程度だった2ちゃんねる出会う。

自分Webページも開設。

2000年

高校入学

ネオ麦茶の「佐賀県佐賀市17歳・・・。」スレ100番以内で書き込む。

学歴板に洗脳されてMARCH未満は恥だと洗脳される。

2003年

無事MARCH入学。もし学歴板と大学受験板がなかったらふつう日東駒専以下に進学してたと思われる。

2008年

留年を経てIT業界就職

だがいままで2ちゃんねる程度しかしてこなかったのでがっかりするほど知識がない。

2011年

CSS」というのは別ファイルHTMLの装飾を定義するものだと初めて理解

2015年

仕事の基礎的知識がなってないと自覚SQLSELECTから勉強しなおし。

職場では使えない君扱いされる30歳。←いまここ!

中学生の頃からちゃんと勉強しておけば今ごろトップレベルIT技術者だったのに。。。

まれるのがあと10年ぐらい早かったらホリエモンになっていてもおかしくないぜ。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.02 『1998年美少女ゲームを振り返る』

■はじめに。

 今のリーフの隆盛を準備した作品が『雫』なのは、『To Heartから入ったユーザーには理解できない事かもしれない。その理由については後述するけど、筆者が美少女ゲームについて書いたのは、『雫』の紹介記事最初なので、思い入れも強いし、ある意味呪縛にもなっていた。そんな筆者が、1998年最初に買った『雪色のカルテ』は、その呪縛を見事に吹き飛ばしてくれたのだ。まずはここから始めよう。

■雪色のカルテ

『WoRKs DoLL』のTOPCATが、昨年、Peachから発売した作品。3人の患者診療しながら、診療所運営するSLG原画緒方剛志氏。

 最初はポンと投げ出されたような状況で、迷いつつプレイしていた。しかし、過剰さを抑えたキャラクター台詞イベントの数々が、散発的ながらも徐々に物語を形作っていく緊張感の虜になってしまった。具体的には、主人公に対し、患者たちが徐々に心を開いていき、医師患者関係性が変化していくあたりの展開の上手さだけども、何よりも世界観の徹底ぶりには敬服した。

 まず、登場人物全てが、多面性を持っていた事には驚かされた。加えて、投薬などで感情制御し、それが数値化されてしまうという、人間限界と悲しさを突いたクールな設定にも惹かれた。『プリンセスメーカー』で、ぬいぐるみを大量に与えて、娘の機嫌をコントロールするという、安永航一郎のまんがのネタにも使われた設定があったが、医師患者という設定で、それは、普遍的リアリティを持った訳だ。

 このゲームでは、病の本質を「精神的、または肉体的コミュニケーションの欠落」と捉えた上で物語形成している。そして、シナリオだけでなく、システムビジュアルなど、全ての要素が有機的に結びついて、完成度の高い作品を作り上げた事には、驚きを越えた衝撃があった。

いちょうの舞う頃

 Typesから発売された、「純愛」をテーマにしたAVG恋人家族との関係を軸に、青春原風景を丁寧に描いた作品である

 『To Heart』という、強烈な爆弾が炸裂した後の、美少女ゲームに於ける恋愛の扱いというか、回答としては、一つは『ホワイトアルバム』のように、恋愛ダークサイドに踏み込んでいくというのがある。ただ、この方法論は、安全幻想提供する為に純化されたギャルゲーの流れに逆らっており、自身の属するジャンル存在意義否定しかねない、パンクな危うさも孕んでいた。

 『いちょう』の場合は、その逆で、過剰な演出をできる限り抑え、細かい日常描写の積み重ねで見せる手法を、更に押し進めた形になっている。この方向性は『To Heart自体が、TVアニメ化の際に強調している。ただ、物語性よりも、ピュア感性ものを言う領域であり、むしろ、作り手側の負担は大きくなっている気もする。イージーリスニングというのは、発想としてはさておき、技術的には非常に難しい。

 『いちょう~』の洗練されたビジュアルイメージは、この方向性作品では屈指だ。ただ、個人的には、あまりにも健全明朗な展開には、気恥ずかしさを感じてしまうし、都市圏周縁のベッドタウンという、土着的な要素が少ない舞台設定には、渇きにも似た不安を覚えてしまった。もっとも、中上健次の『枯木灘』のような舞台設定のギャルゲーがあったら怖いし、出る訳もないのだが。

ホワイトアルバム

 Leafが『To Heart』に続いて、世に送り出したAVG美少女ゲームセオリーを覆す、実験的なシナリオ賛否両論を巻き起こした。

 かつて、『雫』で描かれた心情は、マイノリティの闇だった。毒電波というメタファーは、思春期の疎外感や、強烈な自意識揶揄していた。物語である以上、結末に救済=日常への回帰を用意してはいたが。

 だからこそ、まだ若かった筆者や、筆者の周辺はこの作品を熱烈に支持していたのだ。そして、『To Heart』は、その闇を潜り抜けた人々の物語だった。でも、それは同時に闇を忘れてしまった人々の物語でもあった。もっとも、思春期という暗黒は、いずれ回収されていくものだし、ユーザーの支持を得た以上、闇を見つめる必要は無くなっていた。美少女ゲームもまた、開かれた場所に向かっており、闇を知らない幸福ユーザーも増えた。

 しかし、闇を忘れられなかった人々もいた。そして産み落とされたのが『ホワイトアルバム』だった。確かに売れた。しかし……もはや、毒電波に心情を仮託する事もできず、幸福妄想の為に仕掛けられた世界にすら、違和感を感じる……荒涼とした場所に取り残されたマイノリティの為の物語が、予定調和とも言える、約束された祝福の世界を描いた『To Heart』の次回作なのだある意味、これほど不幸な作品も無い。

 肉体性を見事に排除した「マルチ」という理想偶像を作り上げた後で、既に、過去神話に過ぎないアイドルビジネスを、物語舞台として、肉体性との相克を描いた事が、既に同時代的ではないし、結果的にこの作品バランスを崩している。

 けれども、不完全ゆえに、プリミティヴな負の破壊力を生み出し、まさにロックンロールな、『ホワイトアルバム』の名に恥じぬ作品が出来上がったのだと思う。

デアボリカぱすてるチャイム

 丁寧に練り込まれシナリオAVGと、明朗明快なRPGという違いはあれど、アリスソフト1998年好調にヒット作を出している。

 もう一つ、筆者の遺伝子に刻み込まれ作品として『AmbivalenZ~二律背反~』がある。ロマンティックな復讐因果物語は筆者を大いに酔わせてくれたが、その流れを汲む『デアボリカ』では、内省的な描写を突き詰め、同じテーマに対しても、異なるアプローチを試みている。理想現実純愛エゴ、といった、二律背反テーマ相克に対し、複数の回答を用意した(選択の幅を増やした)事で、物語としての奥行きが深まったのは特筆できるだろう。

 『ぱすてるチャイム』は、前回も取り上げたし、こちらも良いゲームだけど、説明不足の事柄もあり……例えば、ゲームが進行して、実際に呪文などを覚えて、パラメータ意味がやっと分かるというのは、昔とは異なり、ストイックさとは無縁のユーザーが増え、レベル自体拡散拡大した状況からユーザーを幅広く取り込むには、少々敷居の高さも感じたのだ。……そう、長い間、最も安定したメーカーであるアリスソフトも、時代との折り合いを考えなくてはならない時期になったのだな、と筆者は痛感したのだった……。

反省と近況と総括。

 前回は某誌で使いそびれた文章ベースに書いたんだけど、これからは、特定ゲームに絞らない状況論の方向で行こうと思います文体もまだ一定しないしなあ……。それ以前にちゃんと続くのか、これ(笑)。……ところで、筆者は、ギャルゲー本質は、ストーリー練り込みによって、キャラクターへの感情移入を高めていくものという認識があるのだけど、声優の起用やグッズ展開の方を前面に押し出す昨今の状況には、正直言って、違和感があるんだよな。まあ、これも、年寄りユーザーの単なる戯言なんだろうけどね~。あ、次回のサブタイトルは、「アンドロイド少女電気羊の夢なんか見ない」です。BGM野口五郎甘い生活』でどうぞ。

2014-12-21

アダルトチルドレンはない!!!家族うつPTSD 言うとしたらだけど

http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html   アダルト・チルドレンの語られ方  -雑誌記事分析より- 加藤 篤志 『茨城大学人文学部紀要 コミュニケーション学科論集』No. 4 (1998年9月発行) 165-180ページ所収

http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/tamaki.html  書評心理学化する社会」 -精神医学という名のメタなる怪物-

なんで、そもそも定義さえないに等しいものを、各個人が異様なこだわりを持って語れるのかがわからない

こだわりがあるくせに何も調べてない

論文さえない

疑似科学!!!!!!

それを言うと精神医療全般もそうだけど

http://anond.hatelabo.jp/20140820072716

アダルトチルドレンはない!!!家族うつPTSD 言うとしたらだけど

http://anond.hatelabo.jp/20141103015411

http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html   アダルト・チルドレンの語られ方  -雑誌記事分析より- 加藤 篤志 『茨城大学人文学部紀要 コミュニケーション学科論集』No. 4 (1998年9月発行) 165-180ページ所収

http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/tamaki.html  書評心理学化する社会」 -精神医学という名のメタなる怪物-

なんで、そもそも定義さえないに等しいものを、各個人が異様なこだわりを持って語れるのかがわからない

こだわりがあるくせに何も調べてない

論文さえない

疑似科学!!!!!!

それを言うと精神医療全般もそうだけど

2014-12-14

男子マラソン日本人メダルを獲れるという幻想

やれ、世界陸上オリンピックで、メダル獲得か!?という男子マラソン選手入賞すると、入賞まりかーとみんなそれを称えず惜しがり、

陸連が悪い、箱根駅伝、あるいは駅伝自体が悪いと帰着しがちなのだけれど、そもそもメダル獲得か!?がとんでもなくおかしいという話。


まぁ、とりあえずこのデータをみよう。


世界歴代10

男子

タイム 氏名 所属 大会 日付

1 2時間02分57秒 デニス・キプルト・キメット ケニア ベルリン 2014年9月28日

2 2時間03分13秒 エマニュエル・ムタイ ケニア ベルリン 2014年9月28日

3 2時間03分23ウィルソン・キプサング・キプロティチ ケニア ベルリン 2013年9月29日

4 2時間03分38秒 パトリック・マカウ ケニア ベルリン 2011年9月25日

5 2時間03分59秒 ハイレ・ゲブレセラシェ エチオピア ベルリン 2008年9月28日

6 2時間04分05秒 エリウド・キプチョゲ ケニア ベルリン 2013年9月29日

7 2時間04分15秒 ジョフリー・ムタイ ケニア ベルリン 2012年9月30日

8 2時間04分23秒 アエレ・アブシェロ エチオピア ドバイ 2012年1月27日

9 2時間04分27秒 ダンカン・キベト ケニア ロッテルダム 2009年4月5日

            ジェームス・キプサング・クワンバイ ケニア ロッテルダム 2009年4月5日


エリア記録

男子

エリア タイム 名前 所属 大会 日付

アフリカ 2時間02分57秒 デニス・キプルト・キメット ケニア ベルリン 2014年9月28日

アジア 2時間06分16秒 高岡寿成 日本 シカゴ 2002年10月13日

ヨーロッパ 2時間06分36秒 アントニオ・ピント ポルトガル ロンドン 2000年4月16日

ベノワ・ズウェジュヒエフスキ フランス パリ 2003年4月6日

北アメリカ 2時間05分38秒 ハーリド・ハヌーアメリカ合衆国 ロンドン 2002年4月14日

南アメリカ 2時間06分05秒 ロナウド・ダ・コスタ ブラジル ベルリン 1998年9月20日

オセアニア 2時間07分51秒 ロバート・ド・キャステラ オーストラリア ボストン 1986年4月21日


お分かりいただけたと思うが、アフリカ勢(正確にはケニアエチオピア勢)というのは、もはや、他地域選手がいくら努力しても太刀打ちできない高みにいる。

これは、果たして、陸連や駅伝改革したところで追いつけるような話なのだろうか。

そもそも、箱根駅伝が悪いと言い出したら、瀬古はともかく、世界陸上派遣選手の大多数は箱根を目指した選手であること(市民ランナー川内すら)や

サムエル・ワンジルは何だったのかという話になる。


結局、男子マラソンで起こったことは、10kmで勝てる選手マラソンに本格的に参加してスピードレース化したってことであり、

これが女子マラソンで起こっているのを、高橋野口フィーバー後に日本人は目にしてきていると思う。


まり日本人離れしたランナーが現れない限り、もはやマラソンすら日本人メダルは無理だろう。

入賞出来れば御の字というか、入賞マストでなく、奇跡であることを認識しなければならない。

その上で、とんでもない才能が現れるまで、駅伝等で盛り上がって、金が回るようにしておいて、それに備えるというのがベストなんじゃないだろうか。

結局、それは陸連が意識していないにせよ、やっていることなのだと思う。

2014-11-21

ネット中毒から抜け出す方法

こんな時間までネットしてる。

興味に限った話じゃなく、毎日

1998年テレホの頃からずっとこんな生活

土日はたいていずっとネットして過ごす。

ネット中毒になる奴は、人間的にからっぽの奴が多い。実際、自分からっぽ。

大学入学からずっとだからネットしてない生活想像できないんだよなあ、なんてのは言い訳か。

仕事はしてますよ。でもしごき以外はネットしてます

変わりたい。変われない。

2014-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20141014094428

1999年情報通信白書ネットに落ちてたんで見てみたけど

http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h11/pdf/H11_07_C2E81BECF.pdf

印刷物を取り込んだだけかよ時代を感じるなこれ)

36ページによると、1998年冬の時点で女性率は25.6%だそうで。

調査によって違う(というかアンケート調査なんで元々信頼性は低い)とは言え、男9:女1はないわ。

2014-10-13

若者たち

今の世の中って、やりたいことを貫こうとしたり何かをがんばるっていう姿勢を、どこかで滑稽に思ったりカッコ悪いなんて言ってしまう風潮がすごくあると思うんですけど、

最終的に人生エンジョイするためには、それは声優であるとか何であるとかではなくて、自分人生エンジョイするということは、やりたいものに近づこうとすることだと思うんですよね。

それは決してお金で買えないものだと思うし、今あたしはやりたい仕事につけてよかったと本当に思ってるので、それが仕事にならなくてもいいけど、何か自分情熱を傾けられるものがあるとないとでは、人生得した気持ちになる・損した気持ちになるの瀬戸際だと思うので、ぜひ自分のやりたいものを、ゆっくりでいいから見つけてほしいなと思います

というわけで林原めぐみ人生道場でした~!

1998年2月6日 NHKトップランナー」)

2014-10-11

無料 ジャンル自由 小説投稿サイト 一覧

サイト      モバイル  開始年  URL

ことどり図書館  -       2014年  http://kotodori.chobi.net/

作家でわたりどり!       2014年  http://sakkadewataridori.webnode.jp/

作家でごはん!  -       1998年  http://sakka.org/

ベリスト.jp  -       2009年  http://novelist.jp/

星空文庫  -       2010年  http://slib.net/

ふみふみ  -       2008年  http://fumi2.jp/

FC2小説       2008年  http://novel.fc2.com/

2014-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20141010025103

当時2ちゃんねるで盛り上がっていた

とあるけど、2ちゃんねる開設は1999年。当時は

ネット人口は男9:女1という有様

なわけない。若い世代には男女問わずネットが普及しつつあった頃。携帯iモードもあったしな。

2ちゃんねる自体、開設当時に最も人口が多かったのは同人板・かつそこは今以上に女だらけだったわけで。

ユーガットメール(映画)が1998年で、ネット出会い=オシャレ・現代的というイメージ女性誌なんかにも描かれてた頃なので

出会い系に対するイメージも今ほど悪くはなかった。

と言ってもイメージだけで、現実は今と変わらんけど。

30代半ば以降の女性の性欲は、(解放されれば)男子高校生と同程度である

とか書いてる時点で真面目に突っ込んじゃいけないんだろうけど。

現実では勿論女の性欲もピークは男と同じく10代であり、30代なんて衰える一方だ)

2014-07-14

netcraft氏が「高校時代日本テレビ高校生クイズ選手権に出て優勝したんですよ」って

相馬高校でしたっけ?「あれ?福島高校過去に優勝した事あったっけ?無いよな?」と思って、気になったので

調べてみたら「第16回(1996年)」「第18回(1998年)」に福島県代表として相馬高校全国大会出場してるみたいです。

確かに年齢的にも合ってますし「福島県代表」として「東北予選」で「福島県」の中で「優勝」した事は間違いないとは思うんです。

けど、なんか「優勝したんですよ」「日本一になったの!?」「いや県大会で優勝して全国では1勝もできませんでした」「なーんだ(ガッカリ)」

みたいな、よくあるやりとりを日常経験しているだけに「あーやっぱりねー」とは思わされた次第で。

まぁおそらくなんでしょうけど「誰かに自慢したくなるけど、さすがに17年前の栄光なので黙ってる。」というよりかは

中途半端過去の栄光くさいのであまり自分からは言いたくないのが本音なのではないかと。

実際「第17回(1997年)」に県代表校になった「いわき光洋高校」は全国大会第3位になっているみたいですし。

いや、毎年最初○×クイズで敗退していった自分からすれば率直に凄いと思いますよー。

2014-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20140528182020

ちょっと興味がわいたのでぐぐってみた。

1998年2004年とかなり古いやつしか見つからなかった。


子供を産むのにどのくらいの貯蓄が必要かわからないけれど

発言小町貯蓄150万で子供を産もうとしている人が叩かれていた ので

200万未満 ([100万未満]と [100~200万] の合計) の年代世帯割合(2004年)を書き出してみる。

(2004年) 金融資産 200万未満の世帯割合

  • ~29歳:  64.0%
  • 30 ~ 39歳:  25.9%
  • 40 ~ 49歳:  17.8%
  • 50 ~ 59歳:  13.3%
  • 60 ~ 69歳:  9.1%
  • 70歳~:   9.9%

2014-03-20

フットボール国粋主義地域密着

※以下に書くことはサッカーファンにとってはほとんど常識と言って良い内容だが、そこまでのサッカーファンでない、日本代表試合くらいは見るけどJや海外サッカーまで追ってないような人たちのために書いている。

1.ボスマン以後のクラブ

 日本代表の長友が所属していることでもおなじみのインテル・ミラノというクラブ(一応断っておくが、半導体屋のインテルとは無関係インテルナツィオナーレ=英でインターナショナルの意)には2014年1月現在イタリア人が4人しかいない。

というのを聞いて「えっ、セリエAって外国人選手でもいくらでも獲得して良いの?」と思う人がいるかもしれないが、そうではない。

ボスマンという選手移籍を巡って提訴した裁判判決1995年に出て、「EU内での労働者移動の自由」はサッカー選手にも適用されることになった。

からそれ以降、セリエAやリーガ・エスパニョーラに存在するのは『外国人枠』ではなくて『EU選手枠』に改められた。

逆に言うと”EU加盟国選手であれば外国人でもいくら取っても可能”ということになり、2010年にはとうとうイングランド・プレミアリーグの試合なのに両チームでピッチに立っている選手にイングランド人が1人もいない試合という事態も発生した。

インテルに多いのはEU出身者じゃなくてアルゼンチン人じゃん!』という話は後で触れる。

 とはいえ、ここまで来ると『チームのアイデンティティとは何か』という概念にも関わってくる。スポンサー料や放映権料も重要だが、クラブチームにとっては入場料も決して無視できる収入ではない。

そして、入場料を一番多く払い、あるいは国内向けの放送を熱心に見てくれるのは、自分クラブを『おらが街のクラブ』として長年応援し続けてくれる人たちだ。

(余談&完全に増田の私見だが、この『おらが街のチーム』として熱心な固定ファンを掴むのに最も成功している日本スポーツチームは、プロ野球阪神タイガースである)

 そういう人たちが『外国人ばかりのチームでは自分たちのチームと思えない』と思うのは地域密着理念から当然のことであるか? それと排外主義差別主義者か?

少なくとも簡単に答えの出せる問題ではないし、『自分たちクラブと思えないから自分は”スタジアムに行かない』というのを止める権利は誰にもない。

だがそんなことが多く起こるようになったらサッカーの将来にとってあまりプラスにはならない。スタジアムに観客が少ないとやはり盛り上がりに欠ける。

 そういうわけでここ数年「ホームグロウン」という制度ができた。欧州カップ戦(チャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグ)に登録できるシニア(22歳以上)の選手は25名までで、

そのうちの最低8人までは、21歳までに3年間は『自国内のクラブ所属した(≒育てられた)』選手でなければならない。国籍で問うとEU判例に引っかかるので『育った場所』を基準とすることになった。

チャンピオンズリーグヨーロッパリーグに出ないクラブには関係ない(プレミアリーグのように、同様の制度自国で用意したリーグを除く)が、

資金力が小さくヨーロッパカップ戦に届かないクラブほど自国出身選手が多いのが常なので問題は少ない。

これも「EU理念からは後退なのかもしれないが、「地域に根ざしたスポーツクラブ」という理念からはむしろ正常化とも言える。



2.”EU選手枠”の抜け穴とそこから生じた問題

 とはいえ、アメリカ大陸アフリカアジア出身選手から見れば『EU選手枠』の中で争うよりは『EU内のどこかの国の市民権持ち』扱いになった方が色々と有利なのも確かだ。

そういう時に有効活用(?)されるのが先祖血統だ。南米アフリカ選手場合先祖を少したどればどこか西欧の国に行き着くことは珍しくない。

そういう場合血縁理由先祖の国の市民権を取得し、代表は変えず(というかFIFAルール上変えられない)にEU選手として潜り込むということが多い。インテルアルゼンチン人が多いのはそういう理由だ。

日本韓国選手はそういうことが基本的に出来ないから不利ではある。ハーフナー・マイクや酒井高徳はもしかしたら可能なのかもしれないが……。

 少しFIFAルールに触れたが、現在サッカーではA代表(年齢制限のない代表)で試合に出たら他の国の代表として試合に出ることはできない。

オリンピックだと、前の大会卓球中国代表として出場していた選手が次の大会ではアメリカ代表として出ていたりするが、サッカーでそれはできない。

もちろん、ユーゴスラビアのように国そのものが分裂した場合は別であるクリミア出身ウクライナ代表選手(いるのか?)の扱いはどうするのかな。

今度のブラジルW杯ではウクライナ代表としてしか出られないと思うけど。

 逆に言うと、『A代表試合に出ていなければ』2つ以上の国を天秤にかけて代表を選ぶこともできる。

マンU香川真司からポジションを奪ったヤヌザイアルバニアベルギーイングランドトルコセルビア代表になる可能性があるらしく、先日ブックメーカーが賭けの対象にしていた。(※2014年6月追記:その後ベルギー代表を選んだ)

ヤヌザイの系図についてはよく知らないが、そういうこともあり得る。

(ちなみに以前カタールが『代表に選ばれない程度の、ブラジル人などの有力選手(カタールとは縁もゆかりもない)』

 に声をかけてカタール代表にし、手っ取り早く代表を強化しようとしたこともあった。流石にFIFAがそれをさせないルールを作ったが)

 だが一方で、フランスが若手の育成組織を整備して1998年W杯を制して以来、どこの国でも多かれ少なかれ”サッカー選手の育成”に金をかけて取り組んできた。目的はもちろん、自国代表の強化だ。

そんな中で上述したような『南米アフリカと、EUの国の多重国籍』の選手が、必ずしも自国代表を選ぶとは限らない。

2000年前後トルコが強かったのは、『ドイツで生まれトルコ移民の子孫が、トルコ代表としてプレーする』ことが多かったからだ。

最近ではドイツ代表にもトルコ系の選手が出てきたが、今度は”国策育成の本家フランスの方で問題になってきている。

 2011年、フランスサッカー協会の技術委員会役員が『アカデミーに入れるのは白人を中心とし、黒人やアラブ人は25%以下に抑えるようにできないか』と委員会で発言したことがリークされて物議を醸したが、

そのような発言が出るのは委員個人が極端な差別主義者だったからではなく、『フランスの金で将来のフランス代表として育成したのに、最終的には母国アフリカ諸国代表になる』

選手無視できなくなってきたからだ(もちろん、だからといって許される発言ではないが……)。

アフリカ諸国協会EU諸国協会ではEU諸国協会に金があるのは成り行き上当然のことであり、最終的には才能なのかもしれないが育成のために金があった方が効果なのは事実だ。

そんな中で協会としては『アフリカ協会欧州の金で育てた選手に”ただ乗り”している』という被害者意識が出てきている。

あるいは国が抱える民族問題の縮図のようなことが代表チーム内で起こることも今後増えることはあれど減ることはないだろう。

代表戦なくせ? FIFAの最有力の資金源ですし、それやったらサッカーでは欧州ますます発言力を増すことになりますよ。

追記:ちなみに同内容のtogetter増田本人が作成したものです。

2014-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20140220180940

冬のオリンピックからフィギアスケートは既に無くなっているよ

---

http://en.wikipedia.org/wiki/Ottavio_Cinquanta

---

オッタヴィオチンクアンタ(ローマ1938年8月15日生まれ)は、国際スケート連盟会長国際オリンピック委員会メンバーです。

彼は1996年から1994年ISU位置とIOC位置を開催しています

2000年、彼は、IOC執行委員会は、彼が2008年まで開催されているという立場メンバーに選出された。

前に、ISU会長になることに、彼はISU副社長だったショートトラックスピードスケートのための技術委員会委員長の前に。

チンクアンタ氏は、陸上競技でのアイスホッケー選手として、アイススピードスケートとして実施ミラノイタリアで育った。チンクアンタは大学に出席し、彼は経営学を中心に活躍した。 ISU議長に彼の選挙の時に、 56歳の時、彼は国際的な化学会社経営者としての立場から引退した。

チンクアンタが最初にISU議長に選出されたとき、彼は最初に、ABCスポーツとの重要テレビ契約を含むいくつかの商業契約を交渉した後、ISUのイベントで賞金を導入した人プログレッシブとした。これは、ISUがそうで、トップスケーターに大規模な出演料を提供していた承認されていない作のためテレビプロスケート競技会に参加するオリンピック適格スケートを残している可能性がアスリートを保持することができました。テレビお金もISUを含む、両方のフィギュアスケートスピードスケートの分岐で開発プログラムのさまざまなを維持することができ、例えば、フィギュアスケートISUグランプリ

しかし、彼のスピードスケート背景、チンクアンタは、特にカナダ米国では、フィギュアスケートからの批判にかなりの量の対象となっている。 2002冬季オリンピックスキャンダルフィギュアスケートの間に、彼は彼の曖昧と、彼は「図がうまくスケート知っている」しなかったことを彼の入学を批判された。 [ 1 ]スポーツについての知識の彼公言不足にもかかわらず、彼は提案した[ 2 ]主な特徴、これまで個々の裁判官競争マークしたのかを知ることから誰かを妨げる秘密であるフィギュアスケートのための新しいスコアリングシステムワシントンD.C.2003年世界フィギュアスケート選手権秘密審査実施は、彼が紹介されたときはいつでも、 [ 3 ]チンクアンタと個人的に視聴者jeeredされ、そのイベントでファンの抗議をもたらすのに十分な論議をした。 [ 4 ] [ 5 ]

彼はそのイベント開会式では、滑走のローカルスケート好きなカート·ブラウニングを防止するための専門性を呼び出した後にチンクアンタは、以前大声[ 6 ] [ 7 ]と再びで、エドモントンアルバータ州にある1996年世界フィギュアスケート選手権でファンからブーイングされていたミネアポリスミネソタ州にある1998年大会は、 [ 8 ]

チンクアンタは連続してすべてのISU選挙学会でISU議長に再選されており、それは[誰によって?]と推定され、1994年に彼の最初選挙以来、約30の技術革新は、図の投与2枝に関する国際スケート連盟に導入されていることをスケートスピードスケート

---

Ottavio Cinquanta

From Wikipedia, the free encyclopedia

Jump to: navigation, search

2011 Rostelecom Cup - Ottavio Cinquanta.jpg

Ottavio Cinquanta (born 15 August 1938, in Rome), is President of the International Skating Union and a member of the International Olympic Committee.

He has held the ISU position since 1994 and the IOC position since 1996.

In 2000 he was elected member of the IOC Executive Committee, position that he has held until 2008.

Prior to becoming ISU President he was ISU Vice President and before the Chair of its Technical Committee for Short Track Speed Skating.

Cinquanta grew up in Milan, Italy, where he practiced as an ice hockey player, in athletics and as an ice speed skater. Cinquanta attended university and he was mainly active in business administration. At the time of his election to the ISU Presidency, at the age of 56, he retired from his position as a manager of an international chemical company.

When Cinquanta was first elected to the ISU Presidency, he was initially regarded as a progressive who introduced prize money at ISU Events after negotiating several commercial contracts, including an important television contract with ABC Sports. This allowed the ISU to retain athletes who might have otherwise left Olympic-eligible skating to participate in unsanctioned made-for-television professional skating competitions, which were then offering large appearance fees to top skaters. The television money also allowed the ISU to sustain a variety of development programs in both Figure Skating and Speed Skating branches, including, for example, the ISU Grand Prix of Figure Skating.

However, because of his speed skating background, Cinquanta has been the subject of a considerable amount of criticism from the figure skating community, particularly in Canada and the United States. During the 2002 Olympic Winter Games figure skating scandal, he was criticized for his evasiveness and his admission that he didn't "know figure skating so well".[1] In spite of his professed lack of knowledge about the sport, he proposed a new scoring system for figure skating[2] whose major feature is secrecy which would prevent anyone from ever knowing how an individual judge had marked the competition. The implementation of secret judging at the 2003 World Figure Skating Championships in Washington, D.C., was controversial enough to result in a fan protest at that event,[3] with Cinquanta personally being jeered by the audience whenever he was introduced.[4][5]

Cinquanta had previously been loudly booed by fans at the 1996 World Figure Skating Championships in Edmonton, Alberta, after he invoked a technicality to prevent local skating favorite Kurt Browning from skating in the opening ceremony of that event[6][7] and again at the 1998 Championships in Minneapolis, Minnesota.[8]

Cinquanta has been consecutively reelected to the ISU Presidency at all the ISU elective Congresses and it is estimated[by whom?] that since his first election in 1994, approximately thirty innovations have been introduced in the International Skating Union regarding the two branches administered of Figure Skating and Speed Skating.

---

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん