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2021-05-30

最初の5年くらいだけ聞いてたおっさんがサブスク解禁で作ったB'zのプレイリスト

B'zがようやくサブスクにやってきたわけだが,アーティストのページに並んでる曲のリストを見たら半分以上知らない曲ばかりで驚いた.

自分は40台半ば,B'zがデビューした頃中学生だった.その頃大好きで聞いていた(今は聞いていないとはいわない)TM NETWORKに関連したグループがでてきたよと教えてもらったのを覚えている.高校卒業するくらいまでは新曲も聞いていたが,だんだん洋楽聴くようになってJ-POPパクリの塊として軽蔑するようになってB'zを聞いていたことを黒歴史として封印するようになった.あの頃の若者っていつかは洋楽に行き着くものでそれが正当な成長とみなされていたものだったよな?最近若い人には洋楽への憧れをみたいなものがないようなのでびっくりです.

自分が聞いているかどうかに関わらず彼らは活動を続けていたので時々耳に入ってくる曲に対して「なんか男くさい曲ばっかりになったなー」「まだやってんだな」と感想もつくらいの関わりで過ぎてきた.CDレンタルしてテープダビングして聞くという時代だったので,往時に聴いていた音源はとっくに処分し,ふと懐かしくなって聴いてみようかと思っても,サブスク音楽再生することに慣れきってCD再生することすらできなくなっていたので中古CDを買うわけにもいかず,デジタルミュージックを購入してまで聴く気にはなれなかったので,実はB'zがサブスクにやってくるのは心待ちにしていた.ようやく愛用のApple musicに彼らが登場して,喜んでアーティストのページを開いたら冒頭のように半分以上は知らない曲が代表曲として並んでいるのに遭遇したわけだ.

そんなわけでデビューして最初の5年くらいにポップソングの主要購買層だった人間が作ったB'zのプレイリストに入れた曲に思い出話も付け加えた.昔はこの手の文章個人ブログにたくさん書いていたものだが,今となっては検索してもそういうページがヒットしなくなった.

孤独Runaway

この曲はちょっと過小評価なのではないかと思う.MARSというミニアルバムの冒頭に収録されているが,残りの曲は過去曲のリミックスなので実質的孤独Runawayのシングルのような構成になっている.そういえばこの頃シングルよりちょっと曲数の多いミニアルバムっていう形態流行ったよね.歌詞はもろにB'z的な「すべてを投げ出してどっかに行ってしまう男」の歌である.昔誰かがB'zはどこかに行こうと歌い続けながら,ずっとどこにもたどり着かない歌を作り続けている,みたいなことを書いていたが,その典型の歌といっていいだろう.ある意味彼らは20代の頃からずっと中年危機を歌っているのだ.

BE THERE

今の若い人たちはモノラルっていっても意味がわからいかもしれないが,30年前は音楽ステレオ環境再生するのは当たり前じゃなかったんだ.だからこの曲の出だしで「Be be be…」とヘッドホンスピーカーの左右から交互に音が出てくるのにびっくりした人たちがたくさんいたんだよ.スピーカーが壊れたと思った人もいたとかいないとか.ちなみに自分はこの曲よりも前にTM Networkの「Come on everbody」の冒頭で音が左右にふられるのは経験済みだったのでそこまでは驚かなかったが.

太陽のKomachi Angel

少なくとも最初の数年はB'zといえばこの曲だと思っている人が多かったんじゃないかカラオケでは「あのこは太陽コマチ,」のあとの「エーンジェール」でみんなで一緒に手を挙げて歌ったものだ.90年代に勃興したCMタイアップという曲の一つだった.この頃はまだ日本が豊かだったなーという感想がでてくる.いわゆる失われた20年だか30年だかに入る前の時代の明るさとポップソングが激しく商業化していく時代の流れを思い起こさせる.

LADY NAVIGATION

これもタイアップ曲だった.強く美しい女の人を称える歌を彼らはよく作っているがその典型といってもいいだろう.カップリングの曲の方が明らかに彼らに気に入られているように思われるので,タイアップ曲をA面に持ってこざるをえなかった大人の事情でもあったのだろうかと邪推する.当時は考えなかったことをおっさんになると考えるようになる.これを聴いて見えてくる女性像も90年代というか少しバブルの残り香があるように感じられるね.

LOVE PHANTOM

自分にとっては新しめのB'zの曲…と思ったら1995年発表だった…まだ前世紀だとは思わず.つまりこの時点ではほとんど自分からは追っかけなくなってヒットしたら耳に入ってくるという状態になっていたわけだ.記憶を掘り起こすともともとのB'zらしい曲がひさしぶりに出たなあと思ったような気もする.これは「誰かとずぶずぶの関係になってしまたことを打開したい願望」を歌った曲で,彼らの曲に似たようなテーマが頻出する.これの派生で「自分の狂おしいまでの相手への執着(性欲?)をもてあましている」みたいなテーマも頻出しているように思う.あとは関係ないけど不倫らしき恋を歌った歌も多い.

ultra soul

えーと2001年なんでギリギリ21世紀の曲ですか.もはやこれがB'zの代表曲ですね.さすがにこれは世代を越えているようで,小学生ですら知っている.「ウルトラソウッ!」のあとにちゃんと「ハァイ!」が入れられる.運動会で使われることも多い.(以前サンプラザ中野くんRunnerはずっと運動会で使われ続けているので今でも小学生が知っていると言っていた)ラテンの要素が濃いめで,後年サンタエスメラルダの「悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood)」を聴いたときに,ああB'zには日本人の好きなラテン歌謡の要素がいれてあるんだなと理解できた.結局僕たちは哀愁をおびたメロディロック風のアレンジをされた歌謡曲が大好きなんだ.そういうことを考え出すとJ-POP聴くのが恥ずかしくなるのが大学2年生くらいだったんだけど,今となってはもうどうでもいい.子供と一緒にウルトラソウッ \ハァイ/ で超楽しい

ALONE

当時のカラオケ流れる背景がこの曲専用で,「仲の良いカップルがいて女性交通事故で突然死んでしまう」というベタベタストーリーだった.その頃はまだカラオケの背景動画は曲のイメージに合わせて適当なやつがランダム流れるものが多かったのでじっと見入ってしまって,悲しい曲調と歌詞にあわせた展開にちょっと涙腺を刺激された覚えがある.関係ないが徳永英明カラオケ映像に本人が登場するのですごく自分のことが好きなんだろうかという話をしていた.

BREAK THROUGH

タイトルアルバムタイトルチューンだった.「新しい理想のために 上々の現状捨てたい 瞬間が来るだろういつか」と後年のポップ・ミュージック界のモンスター存在になることを考えるとまだまだ駆け出しだった彼らはこの初期のアルバムにして既に「うまくいっている現状を放り出してどこかに旅立つこと」を歌っている.男は現状に満足してはいけない,常に新しいフロンティアを探して旅を続けなくてはならないのだ,というのはある種の強迫観念であろう.B'zには女性ファンもすごく多いけれど,そういう男の気持ちを歌っていることを女性たちはどのように考えているのだろうか?

FRIDAY MIDNIGHT BLUE

アルバムの隅っこの曲だが,個人的に好きなのでいれた.若い頃に聴いて好きになった曲は年をとっても好きだということだ.最近は誰かにアルバムを通して聴くこともほとんどなくなったし,聴いたとしてもシングルカット(これも死語か…)にならないような曲を記憶にとどめるようなこともない.売れない画家タクシー運転手をして日銭を稼いでいることを愚痴る歌,という他にはあまりないテーマユニークな曲.売れないミュージシャンだった頃の心情を投影しているのだろうか.

RUN

これもアルバムタイトルチューン.一緒にやってきた仲間たちとの,今ならホモソと呼ばれてしまいそうな連帯感を歌っている.どこかへ走り出そう→走っているときの高揚感→走ってきた俺たちの回顧,という流れの概ね後ろ半分が歌われている.B'z的世界の中では男の人生はこれの繰り返しなのだ.一番最後だけ歌うと別アルバム収録の「相変わらずなボクら」になる.

OH! GIRL

今回始めてMixtureというアルバムリミックスされているのを聴いたが,元のバージョンの曲の印象を損なわずに,パワーアプしている感じがしてこの曲だけ新しいバージョンの方をリストに入れた.この曲を聴くとなぜかとても失礼なことをしてしまった女の子のことを思い出す.思い出すといってもその子にはほとんど会ったことがないのだけど.(会わないという失礼をしてしまった)

Pleasure'91

一番最後に挙げたが,B'zがサブスクにやってきて最初検索した曲はこれ.シングルB面曲だったが,その後もツアー名になったり韻を踏んだTreasureベストアルバムタイトルになったりで,本人たちも気に入っているのがよくわかる.その後95,98と歌詞違いが生まれて,男の人生年代記みたいになっているのは知っているが,やっぱり91が一番だ.

これを聞いていたのは10代半ばでまだ何も始まっていなかったのに,自分人生を振り返りながら「止まれないこの世界で胸を張って生きるしかない」と歌うのに共感していたのは今考えると不思議だ.もちろんそこから30年経って,子どもたちを乗せた車で「怖いものはありますか,守るものはありますか」と歌っているのを聴く自分もずいぶん遠くまで来たと感じる.あの頃の友達と今年は集まる予定だったけどコロナのせいでいつ会えるかもわからなくなってしまった.下らなかったあの頃に戻っていつも同じ思い出話をしたい.

2021-05-29

CU seeme使いだしたのって1995年くらいやんな、おっさん馬鹿にすんなw

ICQとかであんまりslack/zoom20年前から変わってないやん

2021-05-17

キム・テヒョンは、朝鮮語圏内における人名である

キム・テヒョン(漢: 金泰現、韓: 김태현)- 1910年生の韓国囲碁棋士

キム・テヒョン(韓: 김태형)- 1962年生の韓国アイドル男性アイドルグループソバンチャメンバー

キム・テヒョン(漢: 金泰亨、韓: 김태형)- 1967年生の韓国の元野球選手、現野球監督

キム・テヒョン(漢: 金台鉉、韓: 김태현)- 1978年生の韓国お笑い芸人

キム・テヒョン(漢: 金泰賢、韓: 김태현)- 1981年生の韓国俳優であるチン・テヒョンの本名、旧芸名

キム・テヒョン(漢: 金泰亨、韓: 김태형)- 1981年生の韓国アイドルで、男性アイドルグループClick-Bのメンバーであるカンフの本名

キム・テヒョン(漢: 金太賢、韓: 김태현)- 1983年生の日本競技麻雀

キム・テヒョン(韓: 김태현)- 1987年生の韓国歌手男性ピアノロックバンド・DickPunksのメンバー

キム・テヒョン(漢: 金泰亨、韓: 김태형)- 1992年生の韓国アイドルで、男女混成アイドルグループ・KARDのメンバーであるJ.sephの本名

キム・テヒョン(漢: 金泰亨、韓: 김태형)- 1995年生の韓国アイドルで、男性ヒップホップグループBTSメンバーであるV (歌手)の本名

キム・テヒョン(韓: 김태현)- 韓国声優

2021-05-16

ウマ娘以降すべてのアニメが色あせて見える

Vivyが面白い面白くないかとかどうでもいい。

ウマ娘と比べたらつまらない。以上。

きっと1995年エヴァなどに出会った人も同じような感覚に陥った人いるんじゃないだろうか。

その人たちはどうやって復活したんだろうか。

2021-05-08

anond:20210508215628

もうちょい前、1995年大前研一というチートキャラ出馬していたんだが、当時の都民は愚かに青島幸男というタレントのほうを選んだんですな。

あれは残念ながら首都圏経済および日本経済の浮沈の分水嶺になった可能性が高い。

2021-05-06

anond:20210506122544

1995年当時、まともに論文書くにはMacを使うしかなかった時代があるんよ。

そいう時代からMacを使っちゃっちゃってる人は、今でもMacを使い続けている。

2021-05-04

anond:20210504185909

(続き)

といった問屋関係逸話が当時バンバン登場した。メーカーも対抗すべく(?)ダンピング出荷、返品受付などで一本でも多くソフトを売りさばこうと必死だった。このあたり、問屋小売店メーカーも、市場の異常さに気が付かずもがいていた感じが否めない。初心会二次問屋は、問屋の本分である日本全国に適正量の在庫ゲームソフト流通させる」という機能を忘れ、ただただゲームソフトを動かすことで得る利益をあげることに無我夢中だった。

ここで注意をしておきたいのが、「任天堂初心会が、一方的サードパーティ小売店から利益を吸い上げている」という既存論調は近視眼的だ、ということだ。スーパーファミコン市場に参入したサードパーティはおよそ200社。このうち途中で撤退を決めたのは10数社で、しかもこれら撤退したメーカーの多数は異業種メーカーであり、本業での業績が低下したためだったり、バブル期不動産に手を出して大やけどして倒産…といったもので、ゲームと直接関係あっての撤退ではないのだ。

小売店も同じことで、当時はファミコン-スーパーファミコンという新しい分野での市場拡大に手を出す小売店が多数いた。ただ問屋に苦しめられるだけの業種であるなら、こんなことは起きるはずがない。甘い蜜はそれなりに存在していたわけだ。ざっくり要約すると「不満はあるが儲けもある」といったところか。むしろPCエンジンメガドライブの有力ソフトスーパーファミコン移植して一旗あげようとするサードパーティのほうが多かった。それほど有望な市場であるがゆえ、いろんな輩が入り込もうとやっきになったわけだ。

市場が拡大している間はそれでもよかった。しかスーパーファミコンが円熟期を迎え、対抗馬として「次世代機」の姿がちらつくようになってきた頃に、いよいよおかしくなってきた。多数現れた三次問屋小売店二次問屋の中にねじ込み、己の利益を吸い取ろうとし始めた。手法としては品薄になりそうな人気ソフトを抱きかかえ、「小売店に小売価格そのままで」卸したりした。商圏を無視して跨いで他社の領域に食い込んで商売するところもではじめた。初心会の中にゲームソフト投機商品のように扱う問屋が現れ、二次問屋三次問屋が喜んで利益の分前を頂いた。その分小売店負担が偏り、結果的にはプレイヤーにも巡り、最終的には市場に悪影響を及ぼす。スーパーファミコン市場は歪んだまま大きくなり、そしてついに縮小を始めた。

衝撃が大きかったのはプレイステーションの登場だ。なんと問屋を使わずソニーが直接小売店ものを卸すという。革命的なやり方だった。返品なし、定価販売というところがネックになったが、どの商材も掛け率が一定であることに小売店は喜んだ。今までは問屋ごとに掛け率が違ったり、注文する本数によって掛け率が変動したり、そもそも抱合せ仕入れしかなかった(違法? しったことか!)からだ。

こんなことが可能なのはプレイステーションCD-ROM採用しているからだった。リピート生産ROMほど時間がかからない。お金も自前の工場からさほどかからない。最悪在庫になっても簡単に破棄できる。それゆえ最初こそ少量生産で行い、売り切れたら即リピート発注すればよい。こうすれば過剰な在庫メーカーも小売も苦しめられずにすむ。値崩れ・抱合せ心配いらない。

ROMカセット採用していたらすべて実現不可能なことだった。ちなみにセガサターンCD-ROM採用しているが、他社の工場での生産だったためなかなかリピートが上手く行かなかったらしい。(なお、詳しく書かないがここで上手くいった改革現在すべて崩壊している)

問屋存在意義が問われ始めていた。

一方、任天堂ROMカセット採用を64でもやめなかった。ディスクシステムに手を出してそのあまりに長いロード時間に苦慮したこと経験があるからだ。そしてこれを機にもう一度市場リセットを図ろうとした。市場にはスーパーファミコンワゴンセールが始まっている。なんとかして初心会内外にあるゲーム投機的扱いをやめさせなければならなかった。ソフトの数が少なくなれば、そのような動きはできにくくなる。そのためサードパーティソフトをとにかく減らし、少数精鋭路線で進もうとした。初心会外に取引を広げ自前で流通を行うという選択肢もあったが、これは取らなかった(実はSFC時代トイザらス日本進出をしてきたとき任天堂や各大手メーカー直接取引を持ちかけてきたが、これは上手く行かなかったようだ)。山内社長ファミコン時代の遥か昔から取引を続けていた初心会を切ることに抵抗があったからだ。それに「絶対に売れない」といってたファミコンも買い取ってくれたのは初心会だ。この前もバーチャルボーイというズッコケハードを出したが任天堂は全量初心会ハードを買い取ってもらっているので被害は最小で済んでいる。(その負債初心会が被り、さらにその負債小売店押し付けられた構図だ。)

しかしそれでも、初心会二次問屋たちは目先の利益を追い求めるのに夢中だった。

スーパーファミコン市場末期の1995年発売の聖剣伝説3は初回出荷は70万本だったが、実は初心会からの注文本数は合計140万本だった。前作がミリオン超えをしていたのでそれだけ期待があった、という表側の理由だが、ようするにこれも投機的に扱われることが明白だった(そもそも前作聖剣伝説2結構な数がワゴン行きしていた)。あまりに酷い値崩れを嫌ったスクウェアは出荷本数を半分の70万本にし、かつ卸値を10%引き上げると初心会アナウンスした。こうした動きに一部の問屋がなんと小売店に対して「スクウェア公正取引委員会に訴える!」と言いまわってしまった。もちろんスクウェア側には一切の非はない。運が悪いことに(それとも狙ったかスクウェア夏休みに入ってしまったので、小売店真相確認することができず業界の一大事が起きたのではないかパニックになったところもあるという。この話は巡り巡ってなぜか「任天堂が悪い」ということになった。PSが発売されて半年以上経とうとする頃でも、初心会危機感は全くなかった。

その年の末発売のドラゴンクエストⅥの発売にあたっては、初心会エニックスの間で注文数の予測で大紛糾だった。初心会予測は250万本。エニックス予測は300万本。エニックスは自信満々だったが、初心会はそこまで売れないと踏んでいた。初期出荷は250万できまりエニックスは自前で50万の在庫を抱えることになったが、この読みは的中する。即リピート発注がかかり、エニックス二次出荷を行った。

最終的に320万出荷を果たすわけだが、売上予測ができない問屋メーカー価値を見出すだろうか?

そして、ついに、終わりのときは訪れた。



1997年2月21日任天堂本社で毎年のように行われる初心会の懇親会。その幹部会の席上にて初心会会長である河田会長宣言した。

本日を持って、初心会解散します」

幹事会は静まり返った。関係者には事前に知らされていなかったのだ。解散任天堂山内社長と、初心会河田会長トップ会談秘密裏に行われた。今後一切の取引商品ごと個別に行われ、しか初心会内の特定10社のみそれが行われる。今までゲームソフト投機的に扱って儲けを吸っていた会社任天堂から拒絶され、二次問屋に落とされた。しかも64の少数精鋭路線のおかげでこれから商材はどんどん減る。今までのような振る舞いは不可能になった。


任天堂スーパーマリオクラブの立ち上げにより売上予測をするようになった。つまり予測ノウハウを自ら身につけつつあった。そうなれば商材を投機的にあつかう問屋不要だ。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通プロに任せるしかない」。かつての山内社長言葉だが、流通プロプロに値する仕事をしないのなら、切られても仕方がないというわけだ。


この改革任天堂内に留まらなかった。

実はこの流通改革前後してプレイステーションでも問題が発生した。デジキューブだ。スクウェアプレイステーションに参入する条件として、コンビニ自分たちで卸すデジキューブSCE許可させた。

もともとプレイステーションはすべてSCEが自前で小売店流通することを売りにしていた。ところが後から来たスクウェアSCEを通さず自前で流通させるという。

このあたりを詳しく解説する。SCEソフトメーカー協議し、ゲームソフト初回生産量を決める(ということになっているが、実質決定権はSCEにあった)。

SCEは特約店(一部、ハピネットといった問屋使用していたが)からの受注数がその初回生産量に満たない場合SCEが自腹で在庫を抱える(ように努力いたします、という注釈付きではあった)。

掛け率はソフトメーカー一律。

と、ソフトメーカーにかなり親切のように見える。しかしこれには問題が含まれていた。初回生産量はSCEが決め、実際に流通させているのもSCE自身だ。ソフトメーカー営業しかけ多くの受注を獲得したとしても、SCEOKを出さな場合、本当にそのソフト流通しなくなる。実際に飯野賢治プレイステーションDの食卓自分たち在庫を抱えてもいいから多くつくるべきだと要望を出しても、SCEはそれを良しとはせず、結果売り切れを引き起こし機会損失を生んだことがあり、飯野賢治セガ陣営への鞍替えしたことがあった。

ソフトメーカーからしたら、リスクも多いが儲けも大きい自社流通に切り替えたがっていた時期だったが、任天堂SCEもそれを良しとはしなかった(ただし任天堂初心会通しであるため、一社が売れないと踏んでも他の問屋が受注してくれる可能性はあるし、このときPSの取扱店はまだ初心会流通よりは少なかった)。しかスクウェアだけには特例としてそれを認めるというわけだ。SCE流通に関わらず、スクウェアが直接小売店コンビニゲームソフトを卸すわけだ。当然、初回生産量も自由に決められる。

いったいどういうことだ、SCEロンチから頑張ってきたメーカーに対して不義理じゃないのか。こうした理論で反発したメーカーがいた。コナミである

コナミSCEに対して自社流通を求めた。ゲームをつくる製造委託費とロイヤリティは支払うから、お前のところの流通網は使わんぞ、ということだ。こうすることでコナミSCE流通分の費用を削ることができる。5800円の小売価格のうちの取り分を増やすことができるわけだ。もちろん在庫リスク小売店へのやりとりはコナミ自身がやらなければならないから、自社流通完璧というわけではない。結果的大手メーカーはみな自社流通になっていくが、ナムコだけは付き合いもあってか(ナムコはかなり初期からPSに絡み、ライブラリの整備も行うほどだった。自社プラットフォームを諦めたかわり、PSに注力したということだろう)SCE流通を使い続けた。

プレイステーション側でこのようなことが起きてるのだから、当然余波は任天堂側にも及ぶ。コナミは64やゲームボーイの自社ソフトに対して「これから初心会を使わず自前の流通網使いますから」と一方的任天堂要求した。かつての任天堂ならば決して受け入れるはずのない要求だろう。だかしかし、任天堂簡単にこの要求を飲んだ。そして門戸が開かれた自主流通のおかげで、ゲーム業界流通改革は全メーカーを巻き込んだ。最終的にはコナミカプコンコーエースクウェアエニックスといった大手は自前で流通網を持ち、中小サードパーティはそこへ委託流通する形に落ち着いた。つまり初心会問屋たちを全く必要としない流通を実現してしまった。


解体された初心会ボロボロになった。合併倒産が相次ぎ、その多数が姿を消した。残された10社は直接小売店取引するようになり、二次問屋三次問屋は居場所がなかったからだ。


しか任天堂から選ばれた10社も順風満帆ではない。10社のうちモリガングバンダイ系列ハピネットに買収された。石川玩具タカラ事業譲渡した。松葉屋はラスコム事業譲渡し、そのラスコムも後年自己破産している。そんな一方テンヨー、カワダ、カマヤは今でも元気に問屋業を営んでいる。(名前が出てこない他の会社は調べても出てこなかった。情報plz

そしてジェスネット任天堂の子会社となり、アジオカは事業譲渡を行って「任天堂販売」となったが、これはなんと2016年の話だ。初心会解体されて20年近くたったが、完全に自前で任天堂流通するようになった。


こうして初心会歴史の中に消えていった。良い面悪い面両方ともあったわけだが、特に末期には悪い面が強く出すぎていた。しかしこうして羅列してみると、「初心会があらゆるあくどいことを駆使して不法市場を牛耳っていた」というわけではなく「初心会市場を牛耳っていたのでいろいろとあくどいことができた」ということに気がつくだろう。その市場も確固たるものではなく急激に膨らんだ不安定ものであり、なおかつ悪行も任天堂山内社長の怒りが落ちない範囲内の話でしかなかった。

悪徳の町、ソドムゴモラは神の怒りに触れ一夜にして滅んだ。初心会も同じ運命を辿ったのだった。


参考文献

麻倉怜士 久夛良木健プレステ革命

高橋健二 スーパーファミコン任天堂陰謀

武田亨 売られた喧嘩、買ってます任天堂勝利青写真

山名一郎 ゲーム業界三国志

山下敦史 プレイステーション 大ヒットの真実

赤川良二 証言。『革命』はこうして始まった

東洋経済 1997年3.22号 盟友・初心会抜き打ち解散した山内任天堂 焦りの流通改革

参考ツイッターアカウント

岩崎啓眞@スマホゲーム屋+α @snapwith

平林久和/H.Hirabayashi @HisakazuH

大森田不可止 @omorita

2021/10/1 追記

新作書きました! 今後、新作はnoteで投下します。申し訳ない。

https://note.com/syosin_kai/n/n7d01efa389b8

2021-05-03

モラルマナーを持ち合わせない人が増えてしまった

一体どこに置き忘れてしまったんだろうね?というくらいにネットが普及してから思うようになった。

インターネット以前からパソコン通信などもやってきたのだけど、あの頃は何も言わないでもモラルマナーを守る人が多かった。

というのも、ホスト側でルール提示していたので守らなければ即追放という事も珍しくなかった。

臭いシステムと狭い世界だっただけに、ルールが効力を発揮していただけに逸脱するような行為の人は少なかった。

ネットが普及し始めた1995年には、ネチケットが出来上がっていてパソコン通信から移行した人は守っている人が少なくなかったので

遅い通信速度ながらも楽しめるネット時代になっていた。

他人HPを覗いては、みんなでワイワイやっている時代だったしルール違反がいれば簡単追放できたのも大きい。

そもそもモラルマナー意識が欠如している人というのは、基本的にはアングラサイト掲示板にたむろっていたので

表立って出てくることも少なかったので、いわゆる昔のオタクのような行動だったので問題もそこまで起こるわけでもなかった。

しかし、現代は誰も彼もが主役になれるようなネット社会なので、モラルマナー無視して行動すれば注目されるという悪い考えを持つ人が増えてしまった。

ダークヒーローのような存在を支持するような信じられない人も増えた。

また芸能人政治家モラル欠如をしている人が存在してしまうという時代に。本当に残念に感じる。

悪いことをして目立つという行為に罪悪感を持たず、躊躇わないような人がどんどん増えているというのは時代の流れのせいなのか、インターネットという便利な存在ができてしまったせいなのか

それを利用する人たちに問題があるのか、どれが理由なのかわからないし、全てが理由なのかもしれないけれども…あまりにも増えすぎていると感じる。

悪いことをしている人がいれば、それを楽しむように囃し立てる人も居る。そしてその悪いことをした人が捕まれば、囃し立てた自分たちは知らん顔する。

目立ちたいというだけで選挙立候補して、それを面白そうだからという理由で支持する人。

動物虐待して注目を浴びようというような人。

悪意の言葉他人に投げつけ、他人を傷つけることを気にしない人。

匿名なら何をやってもいいと勘違いしている人。

それ以外にも、モラルマナーが欠如しているような人は多くいるけど、昔より罪悪感を感じず躊躇わないで悪い事が出来る人が増えてしまった。

昔はネット環境自体が整ってなかったし利用している人が少なかったという理由もある。

だけど、パソコン通信時代と比べてしまうと、やはり利用者モラルマナーの欠如した人の増加はおかしいくらいの速度で増えていると思う。

全然、罪悪感を感じなくなってしまっているんだなって。

普通だったら別に喧嘩をしようとしているわけじゃなかったり、意見の食い違いがあるから訂正して話を続けたいって人なら

言葉の使い方を誤った時点で「言い方きつかったかな。酷いことをしてしまった」なんて思って罪悪感を感じるものなのに、それが今は無い。

まず、謝ろうとすることが出来ない問題がある。

間違ったなと思ったら『謝る』のではなく『誤りのまま引かずに喧嘩を続ける』人が増えた。

負けを認めろではく、間違いを認めて謝ろうという精神が無くなったと感じる。

実際に増田を見ていると、間違っていても認めないで論点を変えて喧嘩を続行する人がいるし、罪悪感自体を持たないで人を傷つけることに躊躇わない人が他人日記に人でなしレベルコメントを入れているのを見かける。

典型的モラルマナーの欠如の人だ。

他にも最初から誹謗中傷をしてくる人がいる。これは昔から居るわけだけども、あの頃は管理人が削除していたしアクセス禁止もある程度行ってきたけど、

それが今はあまり対応されないために、どんどん増えてきた。

まるでモラルマナーというものを親のお腹の中に忘れてきてしまったような人がいる。

私は老害と言われてもおかしくない年齢なのだけど、その老害から見ても現代は悪意で生きている人が増えていると感じる。

馴れ合いキライという人も今は増えたけど、馴れ合いがなくなったせいか心の余裕がどこにも感じられない。

仲良く人と話すことが出来ない人が増えすぎている。

共通趣味があったとしても、相手欠点から語り始める人、すぐに優劣で話を進めようとする人、そういうコミュニケーションしか出来ない人が多い。

和気あいあいという言葉が今の日本ネットでは感じられない。

どちらかというと海外の方が今もフランクに仲良くやりとりが出来る。

時にはぶつかり合うのだけど、議論が終われば仲良く会話が出来るし、皮肉の言い合いをしても笑い話で済む。

日本はぶつかったらぶつかりっぱなしだし、諍いが終わったとしても、もうそ人物とはわかりあおうとはしないし、皮肉の言い合いをしたら誹謗中傷の言い合いを始める。

どうしても争う事を選んでしまう人がいる。

別に日本キライなわけじゃないし、パソコン通信時代ネット黎明期も楽しく過ごし今もネットは楽しく利用している。

しかし、ニュースを見ればSNSで信じられない行為をする人の話題があったり、ネット皮肉他人に投げつけて煽りあうというやり合いをする人が居たりと

からネットを利用している人としては、なんとも窮屈に感じるのだ。

ネットというのは、そんなに他人と争いをしなければ利用できない環境だったかなと。

言葉を選んで会話ができる人が減ってしまったのだろうか。

もし、自分にはモラルマナーがあるという人が言える人が居るのであれば、

せめて自分だけでも他人を傷つけないように言葉を選んでネット交流して欲しいなと感じた今日このごろであります

2021-04-27

ひろゆき小馬鹿にする奴多すぎて我慢ならないから書く

お前らひろゆき知的ポテンシャル舐めすぎ。はっきり言ってバケモノだぞ。

ひろゆき東京城北エリア屈指の名門(歴史込みだと渋幕とか桜蔭より格上)である都立北園高校出身なんだが、実はその秀才集う名門校にあってもトップクラスに頭良かったと見ていい。

ひろゆき卒業した1995年の名門北園高校合格実績データがここにある。

http://web.archive.org/web/20150821013122/http://www.geocities.jp/hmyk95/kanagawa1995.html

書き起すと……

学年346名

東大0、京大0、一橋0、東工大0、地帝0、筑波1、埼玉大8、千葉大2、横国0、電通1、学芸2、水産大1、都立大0、

早稲田3、慶応0、上智2、ICU1、理科1、明治11立教6、法政10中央14、青学3、学習院1、

芝浦4、成蹊3、成城1、明学3、武蔵4、國學院3、武蔵工3、日大30、東洋26、駒澤7、専修8人

なんと、ひろゆきはここから一浪中央学習院合格の快挙をやってのけた。

マジである。しかガリ勉してない。

リアル胴上げされたんじゃないかってレベルの突き抜け方。はっきり言って超人的なことやってる。適当勉強して秀才同級生ほとんどをゴボウ抜き。

こんなん凄すぎるだろ……。

2021-04-26

インドネシア潜水艦沈没した。

  1978年ドイツ製造1981年インドネシアへ。

  1997~1999年にかけて近代化改装

  2010~2012年にかけて韓国で改良工事。(36人乗りを53人乗りに、船体の延伸化)

韓国で船体を分割し、延伸化したとされているが、

ドイツ製造された潜水艦を、ドイツ以外の国で改造するなど無謀すぎる。

なのに、韓国!?あり得ないだろ。

韓国企業による大事故については、多くの増田が知っている通りだが、

これ以外の悲惨事故を知っていたら、追加してくれ。

ダム

  2018年ラオス韓国企業が建築したダムが欠陥工事により崩壊

  ①1996年パラオ韓国企業SOCIOが架橋(413m)したが崩壊

   (日本無償援助し日本製の橋が完成)

  ②2016年韓国現代建設クウェート建設中、世界最長の海上橋「ジャベル橋梁」で、

    工事中に床版が崩れる事故発生

ビル

  1995年6月 三豊(サンプン)百貨店崩壊事故

  死者502名・負傷者937名・行方不明者6名

鉄道

  頻繁に脱線

2021-04-15

VMwareDellより分離独立の件

機械翻訳です。

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ヴイエムウェアとデルテクノロジーズ、スピンオフについて合意

デルテクノロジーズ、VMwareの81%株式スピンオフし、VMwareさらなる成長につなげる

Dell Technologiesとの戦略的パートナーシップを維持しつつ、VMware戦略的および経営的な柔軟性をもたらす

VMwareは全株主に対して115億ドルから120億ドル特別配当実施し、投資適格格付けを維持する予定

カリフォルニア州パロアルト--(BUSINESS WIRE)--(ビジネスワイヤ) -- 独立取締役構成されるVMware(NYSE: VMW)特別委員会デルテクノロジーズは、VMwareデルテクノロジーから分離独立させる条件に合意しました。この条件には、企業の所有構造の大幅な簡素化と、独立した特別委員会が推奨し、VMware取締役会がスピンオフの直前にすべてのVMware株主に対して宣言した115億ドルから120億ドル特別現金配当が含まれており、すべての閉鎖条件が満たされることを条件としていますDell Technologiesの株主は、Dell Technologiesが保有するVMware株式比例配分で受け取ることになり、Michael DellとSilver Lake PartnersはVMware株式を直接保有することになります。また、両社は、共同で顧客価値提供するための戦略的パートナーシップを維持・強化する商業契約を締結しました。

ヴイエムウェアのビジョンは、あらゆるクラウドハードウェアインフラ対応したユビキタスソフトウェアおよびSaaSプラットフォームを構築し、顧客デジタルトランスフォーメーションを加速することです。デルテクノロジーからスピンオフにより、ヴイエムウェアは、両社の戦略的パートナーシップの強みを維持しつつ、戦略実行の自由度を高め、資本構造ガバナンスモデル簡素化し、戦略運用財務の柔軟性を高めることができます

"ヴイエムウェアの最高財務責任者(CFO)兼暫定最高経営責任者(CEO)であるゼイン・ロウは、「当社は、すべてのクラウドベンダーおよびオンプレミスインフラベンダーに当社のエコシステムを拡大する能力を強化し、成長機会を支援する資本構造を持つことになります。"デルテクノロジーズとの戦略的パートナーシップは引き続き当社の差別化要因であり、マルチクラウド戦略の実行に伴い、あらゆるパブリッククラウドとあらゆるインフラストラクチャ上で、お客様に当社のソリューションサービス提供していきます」と述べています

2020年7月15日に提出されたDell TechnologiesのSchedule 13D修正に関連して、VMware取締役会は、Dell Technologiesの提出書類記載されたビジネスチャンスに関するDell Technologiesから提案可能性を検討評価するために、法律顧問および財務顧問を起用した独立取締役からなる特別委員会を設置しました。特別委員会は、VMware社の取締役会による本取引および特別現金配当承認評価し、推奨しました。

"VMware特別委員会は、今回のスピンオフ契約が、簡素化された資本構造確立し、VMwareがその戦略を実行する上で有利に働くことで、すべての株主利益をもたらすもの確信しています」と、VMware独立取締役会の筆頭メンバーであり、特別委員会メンバー報酬コーポレートガバナンス委員会委員長であるPaul Sagan氏は述べています

"ヴイエムウェアの取締役会長であるマイケルデルは、「ヴイエムウェアをスピンオフさせることで、デルテクノロジーズとヴイエムウェアにさらなる成長機会をもたらし、ステークホルダーに大きな価値をもたらすことができると期待しています。"両社は今後も重要パートナーであり続け、お客様ソリューション提供する方法において、差別化された優位性を持っています」と述べています

ヴイエムウェアとデルテクノロジーズは、この商業契約を通じて、顧客戦略的価値提供するソリューション共同開発継続し、デルテクノロジーズはヴイエムウェアの製品ポートフォリオ市場規模提供します。

今回のスピンオフにより、VMwareは、成長戦略を推進するための戦略的運用的、財務的な柔軟性と俊敏性を高めることができます。これには、資本配分の決定の簡素化や、現在デュアルクラス株式構造廃止などが含まれます。また、VMware社は引き続き投資適格の格付けとプロファイルを維持します。

ヴイエムウェアが全株主提供する115億ドルから120億ドル特別現金配当推定額は、2021年3月16日時点の発行済み株式に基づいて、1株当たり27.43ドルから28.62ドルとなっています

この取引は、一定の条件のもと、2021年暦年の第4四半期中に完了する予定です。

投資家向け電話会議

VMwareは、2021年4月14日午後5時45分(米国東部時間)より、本取引の詳細について説明するインベスターコールを開催します。このイベントライブWeb放送は、VMware投資家向けウェブサイト(http://ir.vmware.com)でご覧いただけますウェブ放送にはスライドが添付されますウェブ放送スライド再生は、同ウェブサイトで2ヶ月間公開されます

VMwareについて

ヴイエムウェアのソフトウェアは、世界の複雑なデジタルインフラストラクチャを強化します。クラウドアプリケーションモダナイゼーションネットワーキングセキュリティデジタルワークスペースなどのサービス提供することで、お客様があらゆるクラウド上であらゆるアプリケーションをあらゆるデバイス提供できるよう支援していますカリフォルニア州パロアルト本社を置くヴイエムウェアは、画期的テクノロジーイノベーションから世界への影響まで、「良い方向に向かう力」となることを目指しています。詳細については、https://www.vmware.com/company.html

追加情報とその入手先

VMwareは、株主承認必要とする特定の事項の承認に関して、Schedule 14Cによる株主向けの情報提供書を作成します。情報提供書は完成後、当社の株主に郵送されます。この取引に関してVMwareSECに提出したすべての文書コピーは、SECウェブサイト(www.sec.gov)またはVMwareウェブサイト(https://ir.vmware.com/)から無料で入手することができます

将来の見通しに関する記述

プレスリリースには、提案されているスピンオフの予想時期、完了効果および利点、特別現金配当の支払い、規模および1株当たりの金額VMwareの将来の投資評価およびプロファイルスピンオフ後のVMwareデルテクノロジーズの戦略的パートナーシップ商業的取り決めおよび協力関係VMware事業戦略およびビジョン、将来の成長機会に対する期待など、将来の見通しに関する記述が含まれています。これらの将来の見通しに関する記述は、1995年米国私募証券訴訟改革法によって創設されたセーフハーバー条項対象となります

VMwareは、

(1)分離・分配契約の終了の原因となる事象、変化またはその他の状況の発生、

(2)特別現金配当のための十分な資金源の確保の失敗、

(3)VMwareのその他の失敗、

(4)その他の要因により、提案されている取引上記の条件またはその他の受け入れ可能な条件で、または全く完了できない可能性があります

(3)その他、VMwareまたはDell Technologiesがスピンオフ完了および特別現金配当の支払いのための契約条件を満たさないこと、

(4)VMware特定格付け機関基準を満たさないこと、

(5)スピンオフおよび特別現金配当の発表がVMwareおよびDell Technologiesの戦略的および商業関係に与える影響、ならびにVMwareが主要な人材を維持・雇用し、顧客との関係を維持する能力に与える影響。6)COVID-19パンデミックVMware事業財務状況、VMware顧客ビジネス環境世界経済および地域経済に与える影響、

(7)一般的経済状況または市場状況の不利な変化、

(8)消費者政府情報技術への支出の遅延または削減、

(9)価格圧力業界統合仮想化技術への新たな競合他社の参入などを含むがこれらに限定されない競争要因。10)買収した企業資産VMwareに正常に統合し、VMwareから売却した資産に関連するサービスを円滑に移行する能力

(11)仮想化ソフトウェアおよびクラウドエンドユーザー、エッジおよびモバイルコンピューティングセキュリティおよびテレコム業界における急速な技術革新、

(12)仮想化ソフトウェアおよびクラウドエンドユーザー、エッジおよびモバイルコンピューティングセキュリティおよびテレコム業界における急速な技術革新。

(12) コンテナ化、最新アプリケーション本質的セキュリティネットワーキングクラウドデジタルワークスペース仮想化通信とエッジ・コンピューティングソフトウェア定義データセンターなどの分野で、VMware顧客が新しい製品プラットフォームサービスソリューションコンピューティング戦略に移行する能力、および顧客が新しいテクノロジーを受け入れる際の不確実性、

(13) VMwareスピンオフ後に戦略的効果的なパートナーシップを締結し、協力関係を維持、拡大する能力

(14)訴訟規制措置継続的なリスク

(15)専有技術保護するVMware能力

(16)製品サービス開発スケジュールの変更、

(17)サイバー攻撃情報セキュリティデータプライバシーに関連するリスク

(18)主要な経営陣の交代による混乱。19)為替レートの変動や貿易障壁の増加など、国際的販売に伴うリスク

(20)VMware社の財務状況の変化、

(21)VMware社とDell Technologies社それぞれの財務状況や戦略的方向性の変化により、VMware社とDell Technologies社の商業関係市場開拓のための技術協力に悪影響を及ぼす可能性があること。22)VMwareDell Technologies の商業関係および市場開拓技術提携におけるスピンオフと変更が、顧客サプライヤーとの関係を維持する VMware能力、および VMware経営成績と事業全般に及ぼす影響、

(23)配当基準日における VMware の発行済株式数、および

(24)SEC に提出した当社の定期報告書および現在報告書の「リスク要因」のセクションで述べられているリスクなどです。これらの将来の見通しに関する記述は、本プレスリリースの日付の時点でなされたものであり、現在の予想に基づいており、不確実性や状態重要性、価値効果の変化、およびVMwareが随時提出するForm 10-KおよびForm 10-Qの最新のレポートやForm 8-Kのカレントレポートを含む、米国証券取引委員会に提出された文書に詳述されているその他のリスクがあり、実際の結果が期待と異なる可能性がありますVMwareは、本リリースの日付以降、そのような将来の見通しに関する記述更新する義務を負わず、現時点ではその意図もありません。

businesswire.comでソースバージョンを見る: https://www.businesswire.com/news/home/20210414005849/en/

ポール・ツィオット(Paul Ziots)

VMware Investor Relations

pziots@vmware.com

650-427-3267

マイケル・タッカー(Michael Thacker)

VMware Global PR

mthacker@vmware.com

650-427-4454

Source: VMware, Inc.

2021-04-13

ウマ娘ゲームから、古い友人を思い出した話

作業の合間に、会社若者からウマ娘ゲーム知ってます」と話を振られた。

知ってはいるが、プレイした事はない。

正直育成ゲームとか好きではないので、やっても15分で投げ出す自信があった。

それでも、部下的立場若者を無下には出来ないので、何となく話を合わせることにした。

競馬知識はあるし、競走馬もGⅠを走る様な馬なら大体覚えてる。

そうして、この娘がトウカイテイオーで、こっちがメジロマックイーンですなどなど説明される。

で、育成対象キャラじゃない馬にはあまり有名じゃ無い馬も居るんですよて、何か強化カードみたいな扱いのウマ娘の中にツインターボが居た。

そして、話は本題に入る。ツインターボて馬の事を思い出すと、ある日の記憶が一気に蘇ってきた。

その日は1994年12月25日世間様はクリスマスだというのに自分たちは無様に都内の溜まり場にしていた友人宅に集まりコミケの準備をしていた。

そこへ、そいつもやって来た。

誰と直接の友人だったかは覚えてないが、ちょくちょく集まりに顔を出す男で、司法浪人生だったので当時の自分よりはかなり年上だ。

日がな一日をパチンコや平場の競馬場で過す様な男で、週末は馬券売り場か競馬場に行くので代理購入の注文を取りに溜まり場にやって来たりしていた。

そんなこんなで、作業をしつつテレビ有馬記念の中継を観ていた。

「どうせナリタブライアンで決まりでしょ」そう言ったには誰だったか自分だったかもしれない。

パッとした対抗馬もおらず、その強さから誰もナリタブライアン勝利を疑っていなかった。

そんな会話の中で、そいつは「でも俺は、ツインターボ単勝で10000円買ったよ」とポツリと言った。

ギャンブル生活費を回してるそいつにしては、完全に捨て銭であるツインターボ単勝買いは意外すぎて思わず何故かと尋ねた。

ツインターボて馬は、好きで逃げるんじゃないんだ。あいつは人も馬も嫌いで、もしかしたら自分自身の事も嫌いなのかもしれない。だから、ただ逃げることしかできない、何もかも置き去りにして逃げ切った先にも、きっと逃げたい事しかないんじゃないかな。そう思うとなんだか俺に似てるなとおもってさ」半笑いそいつはそう答えた(一言一句正確では無いが、そんな内容だった)。

多分、当時の自分は、何言ってんだコイツと思っただろう、いま思い出しても何言ってんだと思うから

そうして、レースが始まりツインターボは勢いよく逃げ、そして4コーナ出口で馬群に沈み後退し続け何位に入ったかもわからなくなり。勝ったナリタブライアンけが讃えられていた。

それから、年が明けて夏が来る前にそいつは姿を現さなくなり、11月過ぎに自殺したと知ったのは有馬記念の直前だった。

1995年有馬は、マヤノトップガンが逃げ切って勝った。

あいつがツインターボに似ていたのかどうかわからない。

ただ、後から見たアニメツインターボは、バカで前向きで明るかった。

身バレしてもなんら影響は無いですが、この日記の内容は虚実入り交じっています

2021-04-12

PCインターネット」の時代

URLが分からない」はって定番ネタだよね。

2021年 https://togetter.com/li/1694773

2018年 https://togetter.com/li/1297268

そもそもURLが分かる」方が例外だろうし。そこで雑だけどURL(URI)が分かる可能性が高い、PCインターネットってやつに親和性の高い例外的な時代を取り出してみるよ!

古い側は、1995年Windows95だもん。この時に20代なら、影響を受けている可能性が高いと仮定するよ。

一方の新しい側は、2005年とするよ。一応目安はあるんです。

前略プロフィールは、2004年開始。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%95%A5%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB

こんな証言もあるよ。

https://kakeru.me/other/snl-zenryakuprofile/

私たちの間で前略プロフ流行っていたのは、mixi流行りだすよりも前。約10年前の2005年頃~2007年頃、中学2年生の頃ですね。」

魔法のiらんどは、サービス開始こそ1999年だけど、2006年企業名株式会社魔法のiらんどに変更。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AEi%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%A9

から2005年には携帯ネット接続PCによるそれを凌駕していたと仮定して、この時期以降に高校生だったらPCより携帯が主になると仮定するよ。実際はもう少し前からこの状態だっただろうけどね。

というわけで、1966~1987年まれ世代が、「PCインターネット」のコア世代勝手推定してみる。もちろん雑な仮定だけどね!

2021年の年齢に換算すると34~55歳。なんとなく目安になってる・・・ような気がしない?

2021-03-24

ウマ娘元ネタになった競走馬をすごく雑に解説

1974年まれ

マルゼンスキー

父はネアルコの曽孫ニジンスキー。つまりネアルコの玄孫

1980年まれ

ミスターシービー

父はネアルコの玄孫トウショウボーイ、母はネアルコの曽孫シービークイン。つまりネアルコの玄孫かつ来孫

1981年まれ

シンボリルドルフ

母はネアルコの玄孫スイートルナ。つまりネアルコの来孫

1984年まれ

ゴールドシチー

父はネアルコの曽孫ヴァイスリーガル、母はネアルコの玄孫イタリアンシチー。つまりネアルコの玄孫かつ来孫

イナリワン

父はネアルコの玄孫ミルジョージ、母はネアルコの玄孫テイトヤシマ。つまりネアルコの来孫

タマモクロス

父はネアルコの玄孫シービークロス。つまりネアルコの来孫

1985年まれ

スーパークリーク

父はネアルコの来孫ノーアテンション、母はネアルコの曽孫ナイスデイ。つまりネアルコの玄孫かつ昆孫

オグリキャップ

父はネアルコの玄孫ダンシングキャップ、母はネアルコの玄孫かつ来孫のホワイトナルビー。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

バンブーメモリー

父はネアルコの玄孫かつ来孫のモーニングフローリック、母はネアルコの曽孫マドンナバンブー。つまりネアルコの玄孫かつ来孫かつ昆孫

1987年まれ

アイネスフウジン

母はネアルコの玄孫かつ来孫テスコパール。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

ダイタクヘリオス

父はネアルコの来孫ビゼンニシキ、母は玄孫ネヴアーイチバン。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

イクノディクタス

母はネアルコの玄孫かつ来孫のダイナランディング。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

メジロパーマー

母はネアルコの玄孫かつ来孫かつ昆孫のメジロファンタジー。つまりネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫

メジロライアン

父はネアルコの玄孫アンバーシャダイ、母はネアルコの昆孫メジロエイサー。つまりネアルコの来孫かつ仍孫

メジロマックイーン

父はネアルコの昆孫メジロティターン。つまりネアルコの仍孫

1988年まれ

ナイスネイチャ

父はネアルコの曽孫ナイスダンサー、母はネアルコの昆孫ウラカワミユキ。つまりネアルコの玄孫かつ仍孫

トウカイテイオー

父はネアルコの来孫シンボリルドルフ。母はネアルコの玄孫かつ昆孫のトウカイナチュラル。つまりネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫

ツインターボ

父はネアルコの玄孫ライラリッジ、母はネアルコの昆孫レーシングジイーン。つまりネアルコの来孫かつ仍孫

1989年まれ

マチカネタンホイザ

父はネアルコの曽孫ノーザンテースト。つまりネアルコの玄孫

ミホノブルボン

父はネアルコの玄孫マグニテュード、母はネアルコの来孫カツミエコー。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

ニシノフラワー

父はネアルコの玄孫マジェスティックライト、母はネアルコの玄孫かつ来孫デュプリシト。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

サクラバクシンオー

父はネアルコの玄孫かつ来孫サクラユタカオー、母はネアルコの玄孫サクラハゴロモ。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

ライスシャワー

父はネアルコの来孫リアルシャダイ、母はネアルコの来孫ライラックポイントマルゼンスキーの子)。つまりネアルコの昆孫

1990年まれ

ビワハヤヒデ

父はネアルコの来孫シャルード、母はネアルコの曽孫かつ来孫パシフィカス。つまりネアルコの玄孫かつ昆孫

ユキノビジン

父はネアルコの玄孫かつ来孫サクラユタカオー、母はネアルコの来孫ファティマ。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

ナリタタイシン

父はネアルコの来孫リヴリア。つまりネアルコの昆孫

ウイニングチケット

父はネアルコの来孫かつ昆孫トニービン、母はネアルコの来孫パワフルレディマルゼンスキーの子)。つまりネアルコの昆孫かつ仍孫

1991年まれ

ビコーペガサス

父はネアルコの曽孫ダンジグ。つまりネアルコの玄孫

ナリタブライアン

父はネアルコの来孫ブライアンズタイム、母はネアルコの曽孫かつ来孫パシフィカス。つまりネアルコの玄孫かつ昆孫

ヒシアマゾン

父はネアルコの来孫かつ昆孫シアトリカル、母はネアルコの曽孫ケイティーズ。つまりネアルコの玄孫かつ昆孫かつ仍孫

1992年まれ

マヤノトップガン

父はネアルコの来孫ブライアンズタイム、母はネアルコの玄孫アルプミープリーズ。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

マーベラスサンデー

父はネアルコの来孫サンデーサイレンス、母はネアルコの玄孫モミジダンサー。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

フジキセキ

父はネアルコの来孫サンデーサイレンス。つまりネアルコの昆孫

ヒシアケボノ

父はネアルコの来孫ウッドマン、母はネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫のミステリーズ。つまりネアルコの雲孫

1993年まれ

シンコウウインディ

父はネアルコの玄孫のデュラブ、母はネアルコの来孫のローズコマンダー。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

エアグルーヴ

父はネアルコの来孫かつ昆孫トニービン、母はネアルコの玄孫かつ来孫のダイナカール。つまりネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫

1994年まれ

マチカネフクキタル

父はネアルコの玄孫クリスタルグリッターズ、母はネアルコの来孫アテナトウショウ。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

タイキシャトル

父はネアルコの来孫デヴィルズバッグ、母はネアルコの来孫ウェルシュマフィン。つまりネアルコの昆孫

サイレンススズカ

父はネアルコの来孫サンデーサイレンス、母はネアルコの来孫かつ昆孫ワキア。つまりネアルコの昆孫かつ仍孫

メジロドーベル

父はネアルコの来孫かつ仍孫のメジロライアン、母はネアルコの来孫かつ昆孫メジロビューティー。つまりネアルコの昆孫かつ仍孫かつ雲孫

シーキングザパール

父はネアルコの来孫シーキングザゴールド、母はネアルコの昆孫かつ仍孫のページプルーフ。つまりネアルコの昆孫かつ仍孫かつ雲孫

1995年まれ

スペシャルウィーク

父はネアルコの来孫サンデーサイレンス、母はネアルコの玄孫かつ来孫キャンペンガールマルゼンスキーの子)。つまりネアルコの来孫かつ昆孫

キングヘイロー

父はネアルコの玄孫かつ昆孫ダンシングブレーヴ、母はネアルコの来孫かつ昆孫グッバイヘイロー。つまりネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫

セイウンスカイ

父はネアルコの来孫かつ昆孫シェリフズスター、母はネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫シスターミル。つまりネアルコの昆孫かつ仍孫かつ雲孫

エルコンドルパサー

父はネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫キングマンボ、母はネアルコの来孫かつ昆孫かつ仍孫サドラーズギャル。つまりネアルコの昆孫かつ仍孫かつ雲孫

グラスワンダー

父はネアルコの曽孫かつ来孫、母はネアルコの玄孫。つまりネアルコの玄孫かつ来孫かつ昆孫


力尽きたので、とりあえずここまで。ネアルコかい血統表でのおまいつ

anond:20210323181700

まあそのとおりだな。

ついていけたのはストII~(の派生シリーズ)ぐらいまでだわ。だいたい1995年ぐらいまでかな。

ヴァンパイアハンターかぐらいからどんどん複雑になっていったと思う。

けど、そもそも対戦で勝つとか考えずにCPU戦で遊ぶだけなら、今のでもそこそこ面白いかと思うけどな。

ハマれれば複雑でもやる気になるし、ゲームってそういうもんだろ。

2021-03-23

劇場版は楽しめない

エヴァの話です。私はリアルタイムTV版を観れた人間です。

1995年は私が美大入学した年で、テレ東夕方アニメでも、日曜の朝のアニメでも話題にできる環境にいました。

から、どっぷりエヴァに浸っていた。学食エヴァの話ができる環境なのです。

まあ、美大生なのに他人様が作った作品をどうのこうの言っている状態は、意識高い系美大からするとガキっぽかったかもしれませんが、まだ1年生ということもあって、それはそれで楽しかった。

そして、TV版の終盤のグダグダ。でも、そのグダグダさえ楽しかった。

限られたテレビという時間の中ではよくあることだし、終盤おかしくなっていくアニメなんて沢山ある。

しかし、TV放送終了後に、なぜか話題になっていくエヴァ時代ルリルリではないのか?

バカばっか

あんグダグダで終わってしまったアニメに。

そして、劇場版

TV版の総集編を映画館でわざわざ観させるって凄いなと思ったし、わざわざ観たくないと思った。

それは、私がだいぶ美大生化してきたかなのだろうか。

期限内に終わらせられなかったら、どんなに素晴らしい作品でもボツではないのか?と。

いや、美大生化は違うかも。こいつスゲーなというようなやつは、よく期限内に提出できなくて、

先生に頼み込んでなんとか時間を伸ばして仕上げてくるやつで、単に私がそういうやり方が嫌いだっただけかも。

そういう、交渉してまで作品ガッツ根性的なものに対する嫉妬だったかもしれない。

その後、就職氷河期世代となった私は、職を何度か変えながら、今はMacで何かを作る仕事をしている。

まあ、私の名前が出るような作品もなく、何者にもなれていない私ですが、何とか食っていけています

ここ10年ぐらいは、日本酒にハマっていますが、エヴァTV再放送獺祭が出てきたときは引いた。

気持ち悪い。

最近は、アマプラヱヴァを観ました。別の世界線の話なのだろう。

TV版終了後に持て囃していた人たちは、このリメイクをどう観るのだろうか? 私は蛇足しかない感じた。

いや、別の監督によるヱヴァ世界だったら楽しめたような気がする。

同じ監督が作るから、その作品を見るときに、わざわざ記憶に残るエヴァを引っ張り出し、

書き換え作業をしないといけないと思うと、何か抵抗感がある。

私が劇場版を全く楽しめないのは、多分この抵抗感なんだろう。

ダラダラと、書き連ねていたら、わかってきた。

この抵抗感は、多分、TV版当時の楽しかったモラトリアム時間記憶と共にエヴァがあるからなんだろうと。

当時の私のPowerMac 7500の起動時には、アスカエヴァ起動時のドイツ語が流れ、

システム終了時には、ミサトさんが「メインケーブル切断!」と言っていたし、

エラー音は、伊吹マヤの「不潔」だったり、リツコの「探しても載ってないわよ」だったりした。

カラオケ残酷な天使のテーゼをみんなで歌ってもいた。

エヴァ一色だったわけではなく、高校受験大学受験とで、いろいろオアズケになっていた90年代ガンダムを観まくったし、

ガンプラ戦車プラモデルも作っていたし、FSSガレージキットにも手を出していた。

同人誌に参加して、コミケにも行った。

コスプレをする気はなかったけど、ミシンを買って、丈の長いシャツを作ったり、

SC-88Proを買ってDMTやったり、ギター買ったりキーボを買ったり、

フイルムカメラを買ってユニットバス暗室にしてモノクロ現像したり

バイトしまくって、広く浅くいろんな物に手を出した。

バイト先の女子にも手を出して、飲みに行ったり、私の部屋で手料理をふるまったり

受験というものから開放され、3年生の後半ぐらいか意識しだす就職というものまでの、2年半のモラトリアム

ただただ充実していた。自分の中では超満足している。

から、いちいち戻りたいとも思わないし、やり直したいということもない。

ただ、話題のシン・エヴァンゲリオンは楽しめるのではないかと思っている。

大学当時につるんでいた奴らと、一緒に観たいかも。

そして、一緒に酒を飲みたいかも。

2021-03-21

シン・エヴァンゲリオンは如何にしてシン話になったか

新劇エヴァンゲリオンは、エヴァンゲリオンという物語引き起こし現実事象トレースする、神話である

インフィニティ

首無しインフィニティエヴァに心を奪われた観客。

ケンスケがシンジに第三村を案内する場面。首無しインフィニティを指して「最近徘徊するようになった」と言う。これはシン・エヴァの公開が待ちきれず、そわそわしているエヴァ呪縛に囚われた哀れな人間の末路。

インパクト

劇中の首無しインフィニティが心待ちにしてるのは4thインパクトである

首無しインフィニティエヴァ呪縛に囚われれた哀れな人間の末路である

エヴァ呪縛に囚われれた哀れな人間が心待ちにしているのは新劇エヴァである

したがって、4thインパクト新劇エヴァである

自動的に、3rdインパクトは旧劇エヴァ(まごころエヴァ)、ニアサー新世エヴァとなる。

新劇では「破」のラスト予告枠で3rdインパクトが起きた。ならば、新劇Q以降のコア化した世界は旧劇エヴァ(=3rdインパクト)を観た者の心象風景に他ならない。

なお、2ndインパクト機動戦士ガンダムである。なぜなら、新劇エヴァ世界では2ndインパクトは「15年前」に起きたとされている(新世エヴァでは西暦2000年)。

ニアサー新世エヴァが放映されたのは1995年であり、その15年前は1980年。すなわち、機動戦士ガンダムが放映された年である

使徒信者

使徒福音(evangel)を非信者に伝えるものであるエヴァ福音配偶者や同僚へ伝えるエヴァ信者

最強の拒絶タイプとか、やっかい浸食タイプがいる。わかる。

考察YouTuber

三村の人々

エヴァンゲリオンに興味を持たない、あなたの隣人。使徒による布教やコア化を心から恐れている。

キャラクターへのあてはめ

ゲンドウ:庵野監督

ユイエヴァという作品の魂?

シンジゲンドウとユイの子エヴァという作品自体

レイ二次創作物

カオル:Qで使徒レッテルを張られるエヴァ信者

マリマグダラのマリア=亜使徒気持ち悪くないエヴァ信者

アスカ二次創作物蹂躙→闇堕ち(使徒化)

海岸アスカ二次創作物アスカ成仏

その他

槍:作品を作りたい気持ちと、やめたい気持ち

ゲンドウ、ユイガイウスの槍で死ぬ監督としてもうエヴァは作らない。作品の魂も死んだ。ガイナックスとも縁を切った。

宇多田ヒカル歌詞ファン気持ち

2021-03-19

シン・エヴァンゲリオンは如何にしてシン話になったか

新劇エヴァンゲリオンは、エヴァンゲリオンという物語引き起こし現実事象トレースする、神話である

インフィニティ

首無しインフィニティエヴァに心を奪われた観客である

ケンスケがシンジに第三村を案内する場面。首無しインフィニティを指して「最近徘徊するようになった」と言う。これはシン・エヴァの公開が待ちきれず、そわそわしているエヴァ呪縛に囚われた哀れな人間の末路。

インパクト

劇中の首無しインフィニティが心待ちにしてるのは4thインパクトである

首無しインフィニティエヴァ呪縛に囚われれた哀れな人間の末路である

エヴァ呪縛に囚われれた哀れな人間が心待ちにしているのは新劇エヴァである

したがって、4thインパクト新劇エヴァである

自動的に、3rdインパクトは旧劇エヴァ(まごころエヴァ)、ニアサー新世エヴァとなる。

新劇では「破」のラスト予告枠で3rdインパクトが起きた。ならば、新劇Q以降のコア化した世界は旧劇エヴァ(=3rdインパクト)を観た者の心象風景に他ならない。

なお、2ndインパクト機動戦士ガンダムである。なぜなら、新劇エヴァ世界では2ndインパクトは「15年前」に起きたとされている(新世エヴァでは西暦2000年)。

ニアサー新世エヴァが放映されたのは1995年であり、その15年前は1980年。すなわち、機動戦士ガンダムが放映された年である

使徒信者

使徒福音(evangel)を非信者に伝えるものであるエヴァ福音配偶者や同僚へ伝えるエヴァ信者

最強の拒絶タイプとか、やっかい浸食タイプがいる。わかる。

考察YouTuber

三村の人々

人間らしい生活を送る、あなたの隣人。使徒による布教やコア化を心から恐れている。

キャラクターへのあてはめ

ゲンドウ:庵野監督

ユイエヴァという作品の魂?

シンジゲンドウとユイの子エヴァという作品自体

レイ二次創作物

カオル:Qで使徒レッテルを張られるエヴァ信者

マリマグダラのマリア=亜使徒気持ち悪くないエヴァ信者

アスカ二次創作物蹂躙→闇堕ち(使徒化)

海岸アスカ二次創作物アスカ成仏

その他

槍:作品を作りたい気持ちと、やめたい気持ち

ゲンドウ、ユイガイウスの槍で死ぬ監督としてもうエヴァは作らない。作品の魂も死んだ。ガイナックスとも縁を切った。

宇多田ヒカル歌詞ファン気持ち

2021-03-10

Z世代とうっせぇわ

アメリカ世代分けは上手い具合にできている。

1965年1980年まれ ジェネレーションX(X世代

1981年1995年まれ ジェネレーションY(Y世代ミレニアル世代

1996年2010年まれ ジェネレーションZ(Z世代

うっせぇわが感覚的に理解できるのがZ世代

昔のニコニコ流行ったような曲だなと懐かしく思うのがミレニアル世代

あの曲って実は「ギザギザハートの子守唄」のオマージュで…と発信してしまうのがX世代

2021-03-08

Simpsons season7

1995年放送

エバ世代ってもう今年40になるのな

1995年当時14歳だった世代2021年40歳

時間かかりすぎだろつーか作り手なんでまだ生きてんだよ

2021-03-07

村上春樹文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり)

https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801

出したな! 俺の前で! 村上春樹文章の話を! 

村上春樹作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間村上春樹の真似したら中身がない駄文しかならないって小学校で教わらなかったのか。

つーか村上春樹文章別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。

  1. リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)
  2. 比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない
  3. めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

というこの3点が村上春樹文章もっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレ解釈しうるものも混じるので注意。

1.リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)

実例を挙げてみる。

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセント女の子とすれ違う。

正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージ閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの外多いからな。ここでの「外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。

また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである

まり別にうまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉あんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。

とはいえ個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやす文章で圧倒的リーダビティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。

2.比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない

で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である村上春樹比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当パラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。

そして何より、「100パーセント女の子である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。

こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹小説比喩モチーフ物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。

3.めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

じゃあ、「村上春樹作品ふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹作品には「答えがある」ものが、地味に多い。

たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性出会いふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人セックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。

だけれど、この作品問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファー可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばししまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである

その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFO釧路に降りる」でふわふわゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。

勿論、これらはあくまで「そういう解釈可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け自体断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。

何が言いたいか

まり村上春樹は信用できないのである

たとえば、『ノルウェイの森』で主人公自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品主人公が「普通」なわけない。基本的信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。

(なお、なんなら村上春樹自分作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)

ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品なかにはある。

このように、村上春樹メタファーモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである

増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分作品ちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。

……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。

たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。

から、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから

余談

マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田元ネタ加藤典洋石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。

文章うまい」に関する長い補足(「小説文章」に限定

「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。

小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章うまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章であるはずだ。

じゃあ、増田が考える「(小説の)文章うまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章うまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージ情報量が多いってことだから

具体例を挙げてみる。

 長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。

 そのころのマコンドは、先史時代怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

ガルシアマルケス百年の孤独』の冒頭。大佐子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。

津原泰水バレエメカニック』1章ラスト昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。

「お父さんは?」

「ここにいる」君はおどける。

彼女は唇を尖らせる。「五人兄弟の」

「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」

 彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」

 理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ自分腰掛けていたのが青山通り表参道形成する交差の、一角に積まれ煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。

作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せ笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこからまれる余韻の美しさですよ。

あるいは(佐藤亜紀小説ストラテジーから受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説ラスト

フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますますますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色自動車がフィアルタ郊外巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間しかなかった。

ふわーっと情景描写ホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである

散文として時間空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章うまい」と認識する。自分村上春樹文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。

村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。

日本語文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベル知識可能で、その点村上春樹文章プロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話モチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現うまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章うまい」と表現しうるときもっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイ面白い」と言及されることと無関係ではない。

ちなみに、増田津原泰水ナボコフ文章技巧には翻訳村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。

ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述運動」を増田なりに表現したもので、元ネタ佐藤亜紀小説ストラテジー』です。

2021-03-04

エヴァは25年の月日に潰された

1月22日、娘の前でエヴァ一挙放送の「破」を見ていた。

エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラ名前兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。

面白い?」

私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年テレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。

一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?

1995年当時、エヴァ社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリーコンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。

後世に残る大ヒットをかまし作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間しか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァ時代を超えるアニメになったのだと思う。

当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリー理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。

新奇性がそこにあった。時代先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメリーズが作られ続けたのだ。

しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメ表現自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。

スペースオペラ金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代先駆者は、往々にしてその後のフォロワーから突き上げあい自分立ち位置時代性を見誤る。オリジナルからブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者時代遅れへと追いやっていく。

それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。

その神話エヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。

しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。

それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。

隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ面白いと思う?」

「うん、面白いよ、きれいですごいし」

私が子どもときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。

子ども面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。

娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterTikTok動画のようなインスタント面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。

「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。

Twitter散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァ世界に参入してきた人は見かけなかった。

もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波アスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世から20年経ち、時代エヴァを完全に置き去りにしていた。

でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。

そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。

私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。

その「エヴァらしさ」とは何か?それは「意味不明さ」である

何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。

エヴァとは何か?メカか、キャラか、ストーリーか?

制作者が出した答えは「意味不明さ」であった。

Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。

だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さらシンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。

もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ


一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?


3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。

しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。

ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様なのだと思う。それはまるで野球選手引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。

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