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2012-01-03

訳してみた。

http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded

1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。

1912年4月14日 タイタニック号沈没

1913年 フォード、流れ作業方式を導入

1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発

1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用

1916年2月16日1916年12月20日 ベルダンの戦い

1917年11月7日 ロシアで10月革命

1918年11月11日 第一次世界大戦終結

1918年11月9日 ヴァイマル共和制の樹立を宣言

1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点

1920年12月16日 寧夏、海原地震

1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞

1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニローマ進軍

1923年 ドイツでハイパーインフレ

1924年1月21日 レーニン死去

1925年1月~2月 ノーム犬ぞりバルト)疾走

1926年 アル・カポネが権力の頂点に

1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行

1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)

1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日

1930年3月12日 ガンジー、「塩の行進」

1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップウルグアイにて)

1931年5月1日 エンパイアーステートビル開業

1932年 ワイマール共和国崩壊

1933年1月30日 ヒトラー内閣発足

1934年10月27日 毛沢東の長征

1935年9月15日 ニュルンベルグ法制定

1936年6月~1936年4月 スペイン内戦

1937年5月6日 ヒンデンブルク号爆発事故

1938年3月12日 オーストリア併合

1939年9月1日 第二次世界大戦勃発

1940年6月14日 パリ占領

1940年 ヒトラー権力の頂点へ

1941年6月22日 ドイツ、ソ連へ侵攻

1941年12月7日 真珠湾攻撃

1942年9月13日1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い

1943年2月13日 「全面戦争するか?」演説

1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦オペレーションオーバーロード)決行

1945年5月8日 第二次大戦ヨーロッパでの戦い終結

1945年8月6日 広島に原爆投下 同9日 長崎に原爆投下

1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判

1947年8月15日 インド独立

1948年6月24日~1949年5月12日 ベルリン封鎖

1949年10月1日 毛沢東、中華人民共和国の樹立宣言

1950年6月25日1953年7月27日 朝鮮戦争

1951年 朝鮮の人口?

1952年10月31日 初めて水素爆弾が炸裂

1953年6月17日 東ベルリン暴動

1954年6月4日 西ドイツワールドカップ西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」

1955年5月14日 ワルシャワ条約制定

1956年10月29日1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争

1957年10月4日 スプートニク・ショック

1958年10月19日 中国で大飢饉の始まり

1959年1月1日 キューバ革命の勝利

1960年 モハメド・アリ ローマ金メダル

1961年8月13日 ベルリンの壁構築

1961年10月27日 チェックポイントチャーリーでの対峙(ベルリン危機)

1962年10月14日~28日 キューバ危機

1963年6月26日 「私はベルリン市民である」演説

1963年11月22日 J・F・ケネディ暗殺

1964年8月2~4日 ベトナムアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)

1965年 ベトナム戦争拡大 地上戦力投入

1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争

1968年1月30日9月23日 テト攻勢

1969年7月20日 初めて月に着陸

1970年4月 カンボジア侵攻

1970年4月29日 ワルシャワ礼拝?

1971年10月14日 グリーンピース設立

1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件

1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争

1974年8月8日 ウォーターゲート事件

1975年4月30日 ベトナム戦争終結

1975年4月17日 クメール・ルージュ プノンペン制圧

1976年6月16日 ソヴェト蜂起

1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故

1978年10月16日 法王パウロ二世 パウロ一世を嗣ぐ

1979年9月8日 「暗黒の金曜日」 イスラム革命頂点

1980年5月18日 セント・ヘレンズ山噴火

1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発

1982年4月2日6月20日 フォークランド紛争

1983年4月18日 アメリカ大使館爆破事件(ベイルート

1984年12月3日 ボパール化学工場事故(インド

1985年3月11日 ミハエルゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任

1986年1月28日 チャレンジャー事故

1986年4月26日 チェルノブイリ事故

1987年6月12日 「この壁を壊せ!」演説

1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)

1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

1990年10月3日 東西ドイツ統一

1990年8月2日1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争

1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

1993年10月3~4日 モガディシュの戦闘

1994年4月6日7月15日 ルワンダ虐殺

1995年4月19日 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件

1996年1月21日 フランス、最後の核実験

1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸

1998年8月 モニカ・ルインスキー 不倫スキャンダル

1999年5月3日~6日 オクラホマ州で竜巻被害

2000年1月1日 ミレニアム

2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件

2002年1月1日 ヨーロッパユーロ発行

2003年3月20日 イラク戦争勃発

2004年12月26日 インド洋大地震と津波

2005年8月29日 ハリケーンカトリーナ ニューオリンズを破壊

2006年6月12日8月14日 レバノン侵攻

2007年6月 ヨーロッパ熱波

2008年10月 金融危機

2009年1月20日 バラク・オバマ大統領就任

2010年1月12日 ハイチ大地震

2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故

2011年 アラブの春

2011年3月11日 東日本大震災と津波

2011年3月 福島第一原発事故

2012 ?

10分どころか、6時間くらいかかったorz

それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。

(調べてみたら、どちらもM7クラス

2011-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20110321001727

お返事遅くなりました.気が付いたらいろいろ話が展開しているみたいですが,素直に返信.

ちなみに私はアンチ原発派ではな原発容認派です.なので原発ダメ=即刻停止という考え方はしておらず,代替できるものがあればそちらに移りたいと考えているだけです

原子力発電所リスクなんてあんなもんでしょ。今まで運良く一人残らず目を背けていられたってだけで。

もっとも、仮にあそこに火力発電所が建っていたとしても、重油流出やら火災やらでやっぱり相応に被害を周囲にお呼びしていただろうし。

リスクなんてあんなもんでしょ」とのことですが,私が質問したリスクコスト」についてはどうでしょう.今回の危機は想定の範囲内であり,原発コストパフォーマンスを活かして得たお金で万全の補償ができるので誰にも文句は言わせません,壊れた原発は直すだけ,原発はこれまでどおりです.と,考えているなら,「リスクなんてあんなもんでしょ」とのとおりですが,原発推進派?の方々だって

という具合にリスクのためにかかるコストを高く再計算しているわけですよね?この原発の最大の利点であるコストパフォーマンスについて,推進派さえも再計算が必要と考える状況において(しかもその原因が最大の欠点である原子力危険性),原発との付き合い方に再考の余地はないのか?と考えるのは決しておかしい話ではないと思いますが.

俺が言いたいのは、

じゃあ仮にずーっと火力発電オンリーだったら、日本は今と同じような繁栄を享受できていたのか?

から火力発電に切り替えたらそれで全部解決なのか?

だよ。

今回の議論の中で「原発は不要だった.あれがなければ日本はもっと良くなっていた」なんて話をしましたっけ.私はそんな考えは全く持っていませんが,もしそのように受け取れる発言をしていたらすみません

私が呈した疑義は「今回の状況を見ると,原発の合理性について再考する余地があるのではないか?」そして「太陽光発電省エネ考慮するに値するものではないか?」です

電子発電所が建ち始めた1960年代専門家評論とか色々漁ってみるといい。あちこちで散々に議論され尽くされた上で「まあ原子力発電しかねえわな」と関係者達は渋々(一部は喜色満面に)承諾してる。最後まで反対し続けたのは社会党共産党たいコミュニストの狗みたいなのばかり。

えーと,以下の話は1960年代評論を読まずに書いています.すみません

具体的な資料を示していただけるとありがたいです

1960年代当時の判断を否定したいわけではないです.現実としてこれだけの繁栄を支えたわけですから戦後15年で原子力を選択したという話ですが,これを聞いた時「そうなのか!」と驚きましたが,良く考えたら戦争突入の理由の一つが油の枯渇なんだからからの脱却を狙うのは妥当な選択ですね.

そして当時,油以外のエネルギー選択肢がどれだけあったかというと,太陽光発電世界初の実用化が1958年国内初の地熱発電所が1966年風力発電にいたっては1980年代,ましてや省エネなんて戦後復興時に考える話ではないでしょう.原子力発電を選択するのは合理的な判断だったと思います.

太陽光発電歴史太陽光発電教科書

http://solarsystem-history.com/history/his_1958.html

1954年に初めて太陽電池発明されたものの、当時太陽電池は大変高価なものでした。そのため現在のように一般家庭で利用できるようなものではなく、特殊な用途に限定して利用されていました。その“特殊な用途”として代表的なものに、人工衛星への電力供給が挙げられます。実は世界で初めて太陽電池が実用化されたのは、人工衛星だったのです

地熱発電@Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB

日本では1919年海軍中将山内万寿治が大分県別府地熱用噴気孔の掘削に成功、これを引き継いだ東京電灯研究所長・太刀川平治が1925年に出力1.12kWの実験発電に成功したのが最初地熱発電とされる[17]。実用地熱発電所は岩手県八幡平市松川地熱発電所(日本重化学工業株式会社)が1966年10月8日に運転を開始したのが最初である

風力発電について@NEDO

http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/foreigninfo/html9908/08229.html

風力発電は、1980年代アメリカにはじまり、1990年代にはヨーロッパでの開発が大いに進展し、今や、インド中国でも化石燃料に代わる、環境に無害な有望エネルギーとして大きくとりあげられている。日本では、1980年試験用の40kWの風車が設置されたのが最初であるが、1980年代から電力会社等での試験研究がはじまった。



繰り返しになりますが,別にいますぐ原発全部止めろ!なんて言うつもりもないです.上記に挙げた新エネルギー原発とそっくりそのまま代替可能とも思っていません.しかし,このように1960年代当時には選択肢として存在し得なかったものが増え,そして今回のような事故が起こったた今でも,当時の合理的判断は再考の余地がないのでしょうか?

で,私の意見太陽光と省エネと言うのは,まぁ一見すると鼻で笑ってしまいそうな話ですが,一考の余地があるのではないかと.以下,それを説明します.

今回の問題は「一カ所集中発電のリスク」と「原子力リスク」が原因ですよね.で,元増田は前者についてはたくさん原発を造ること,後者についてはより性能のよい原発を造ること,で解決するという案を提案しています.今回のようなトラブルはより良い原発(ひいてはより良いエネルギー供給体制)のために避けては通れない通過点だ,と捉えるのは原発推進戦略としておそらくまっとうだと思います.

これに対する私の反論ですが,私は今回の事故を見て,どう頑張ったところで人の想定の斜め上を行く出来事は起きてしまう,と感じました.よって「原子力リスクはどう頑張ったって抑えきれない」と考えます.そうであるならば,最悪の事故が起きた時にそれを最小化する戦略しかないので,あちこちに原発を作るという戦略はありえないと考えます

もちろんこれは「原子力リスクはどう頑張ったって抑えきれない」という前提のもとに成立しているので,それが解決されれば主張は変わる可能性が大です.あとは「最悪の事故が起きた時にそれを最小化」すればいいので,原子力漏れても平気などこぞの奥地だとか月に原発を作るならokです

人里からキロしか離れていない,しか津波地震台風も来るのが毎度,の土地原発を作り,しかも旧式とわかってもなお動かし続ける,という現在のやり方はいくらなんでもリスク対策をケチりすぎじゃないかと.

で,一番最初の話に戻ると,太陽光発電省エネに期待したのは,両者のリスクを持っていないかです.いろいろ言われていますが,やはり太陽光発電停電時にはそれなりに役立ったようです

あとビジネス的にも,原発太陽光も(あと省エネも)日本に強みのある分野で,CO2絡みで注目されている分野ですが,今回の事故は前者には向かい風で後者には追い風です

計画停電で使用できない」 太陽光発電操作周知にメーカー躍起@産経

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110321/biz11032101270000-n1.htm

家庭用の太陽光発電装置は、パワーコンディショナー(パワコン)という装置を使い、太陽電池で発電した直流電流を、家庭で使用できる交流電流に変換している。ただ、パワコンを動かすための電気は、通常、電力会社から送られる系統電力に依存しており、そのままでは日中発電していても、電気が使えない。

使用するためには、家のブレーカーオフにし、パワコンに付属したコンセントに直接、電化製品の電源コード差し込む必要があるが、意外に知られていないのが実情だ。



原発はま夢物語に過ぎないとしても,少なくも現在エネルギー資源ポートフォリオを組む上で,今回の事故を「大丈夫だ,問題ない」とスルーするのはおかしいのではないか原発(火力も似たようなもんだけど)が持つリスクとちょうど補完関係に太陽光発電(と省エネ)を現実的手段として考える良いタイミングなのではないか,というのが意見です

まぁ本音は原発やめろじゃなくて太陽光やろうぜ!だった気もしますね.こうやって整理すると.太陽光について反対派は「割高でしょ」といい賛成派は「回りだしたら安くなる」という.今回の騒動で太陽光発電コスト以外のメリットが見えたので,これを機にいっちょ太陽光電池にもチャンスを与えてあげていいんじゃないかと.

手間もお金もかかるけど、利益も大きい@産総研 太陽光発電研究センター

http://unit.aist.go.jp/rcpv/ci/about_pv/economics/benefit.html

太陽光発電は現時点では一般的な発電方式よりもまだコストが高いのですが、大量生産を進め、計画的に普及を図ることで十分に安くできると見られています。補助金や電力会社による買取などの助成策は、コスト低減と普及を進める効果があります。開発・普及には大きな費用と相応の年数が必要ですが、化石燃料の輸入と異なり、その費用国内に大きな経済効果雇用をもたらします(図2)。先行するドイツなどでは既に普及費用を遙かに上回る経済効果と数万人の雇用を創出し(*2)、これにならって欧州、さらには中東アジア諸国米国も積極的な普及に乗り出しています。



あと,当分電力不足が続きそうなわけですが,原発なんてそうそう作れないですよね.一方で太陽光発電は市販のソーラーパネルを買えばすぐに発電所のできあがり.太陽光発電では昼間だけという問題はあるが,ピークはむしろ昼間にあるんだからそれを避けるのには十分貢献するのでは.

どうやって普及させるかという問題も,高速無料化とETCエコポイント家電,この辺の事例を思えば補助金うまく使えば可能では.あと気になるのは生産が追いつくかどうかだけど,それこそ元気な西日本で(がんがん電力使って)作って東日本に送ればいい.サンヨーシャープパナソニックも西の企業だしちょうどいいのでは.

特に根拠のない希望を言っているだけなのでつっこみよろしくお願いします

2010-04-30

老化するテレビ

どう見てもこの3人がテレビで若い恋愛を語るのは無理があります。

本当にありがとうございました

2009-11-19

経済成長に関する報道を巡るネット右翼の変節がひどい件について

政府日本物価が持続的に下落する「デフレ」に陥っていると認定する方向で最終調整に入った。7〜9月期の国内総生産(GDP)速報値で、国内の物価動向を示す内需デフレーターが51年ぶりの低水準にとどまったため。政府2001年3月から06年8月までの月例経済報告で、日本経済デフレの状態にあるとの判断を示しており、3年ぶりに同じ判断を復活させる見通しだ。

早ければ20日に公表する11月の月例報告に盛り込む。7〜9月期の物価動向を示すGDPデフレーターは前年同期比0.2%上昇した。ただ国内需要デフレーターは2.6%下落し、1958年7〜9月期(3.9%減)以来の大幅な落ち込みとなった。

http://www.nikkei.co.jp/keiki/news/20091116d3s1600q16.html

この報道を巡るネット右翼の変節がひどすぎる。簡単にまとめると以下のようになる。

ネット右翼鳩山不況だ!」

出典:http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51527038.html

 ↓

一般人「それって麻生政権の時のデータじゃね」

出典:まとめブログコメントとか http://anond.hatelabo.jp/20091117080919 とか

 ↓

ネット右翼麻生さんすごすぎ!」

出典:http://anond.hatelabo.jp/20091119180948

最近批判されている科学研究費削減も自民党がやってたら賛成してただろって突っ込みたいレベル

2009-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20091031052758

こんにちは禁煙活動家です。

酒はたばこなみに健康にわるいって知らないの?

知っている。酒もいい加減条約でも作って規制するべきだという議論が出てきてるよ。消費量が際限なく増えていってるし。大規模な健康被害が生じて当たり前だってくらいにね。「伝統的な嗜好品規制するな」というけど、程度というものがあるんですよ。現代人の飲酒量・喫煙量はちょっとおかしくて、ちっとも伝統的じゃないんだ。まずここを基礎事実としてきっちり押さえてほしいんだけど。

(この2つのグラフ人口補正すべきことに留意。1人あたりなら増加量は半分くらい)

車の排ガスがどれだけ地球汚して気管支悪い人苦しめてるか知らないの?

どんどん規制が強化されて改善されてることは知ってますよ。最近の車、昔みたいに黒煙モクモク吐いたりしないでしょうが。先進各国の大気や水質は実際どんどん改善されてるし、それで寿命が延びてるって報告もたくさん出てきてる。その間タバコはいったい何をしてたのかってことだよ。NHKスペシャルが大々的に電気自動車を取り上げてる真っ最中に、認識が古すぎないかい。タバコの議論で車の排ガスが持ち出されるたびにうんざりするわ。

無論、年6000人弱の交通事故死をもたらす車社会に問題がないなどとは考えていない。親切にアドバイスしてあげるけど、引き合いに出すなら交通事故のほうがずっと筋がいいですよ。

あとこれ読んで↓

世界規模での調査の結果、間違った思いこみを修正するためのがん予防キャンペーンが必要であること示した(http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20080828#p2

・ 高所得諸国の人々が最も飲酒によるがんリスクを信じない。この集団では42%がアルコールはがんのリスクを増加させないと答えた。中程度の所得の国では26%、低所得国では15%である。実際には飲酒はがんリスクを増加させる。

・ 高所得国では飲酒(51%)より野菜果物を十分食べないこと(59%)のほうがより多くリスクとみなされている。科学的根拠は逆で、野菜果物の影響は飲酒有害影響より弱い。

・ 豊かな国では、飲酒よりストレス(57%)や大気汚染(78%)のほうが大きなリスクと見なされている。しかしながらストレスががんの原因になるとは認識されていないし大気汚染飲酒に比べれば僅かな寄与しかない。

これなど耳が痛くないかな。

一般論として、全ての国の人々は、過体重などのようなよく知られたがんのリスク要因でも自分コントロールできるものより、大気汚染のような自分コントロールできないものをがんの原因と認めたがる。


健康に悪いというなら健康に悪くない正しい吸い方を指導すればいい。

そんなものありませんって。煙なんか吸ってる以上さ。タバコ業界だって、大規模健康被害の発覚当初は無害なタバコを必死で開発してたけど、挫折して、害を隠蔽したり法廷戦術でしのぐ方向にスイッチしてるんだよね。

「みなさん! もし我が社が、世界初発癌性のないタバコを販売することができたら素晴らしいと思いませんか? 競争に勝つために我々にできるのは、発癌性のないタバコを開発することです」(ヒル・アンド・ノールトンの弁護士1950年代

タバコは肺癌の原因になると立証された。ここで思い切って"タバコ危険だ"という、今までと逆の立場を取る勇気を持とう。安全なタバコを開発・販売できれば、ライバルに打ち勝つことができるはずだ」(フィリップモリス1958年

悪魔マーケティング タバコ産業が語った真実」(http://www.amazon.co.jp/dp/4822243427)より

まあ確かに「マナー悪いから」規制というのはどうかと思う。無論マナーの問題はあるが、少なくとも今の世界的なタバコ規制マナーのためにやってるんじゃない。タバコをいまだに嗜好品扱いしている人たちも理解が足りない。喫煙者非喫煙者問わず。公衆衛生における位置づけはもとより、そもそも当のタバコ産業中の人たちがそう考えていなかったのは明らかなのにね。

それにしてもはてな記法は本当に使いづらい。ぜんぜん思った通りの出力にならない。

2009-03-05

陰山英男氏講演_090228 -1

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陰山英男氏講演_092028

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 ▼ 概要

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 ・「100ます計算」で有名な陰山氏の講演。

 ・P.M.1:30~2:30講演。質疑30分

 ・内容:自分経験、実践に基づき、日本教育についていろいろ。

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  ◆ 会場

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  ・大阪府狭山市さやかホール

  ・大型イベントの公演が可能な大ホール

   http://www.sayaka-hall.jp/

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  ◆ 講演者

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  ・陰山英男氏。51歳。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E7%94%B7

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E3%81%BE%E3%81%99%E8%A8%88%E7%AE%97

  Amazon

  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-4349303-4987419?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=blended&field-keywords=%E9%99%B0%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E7%94%B7

  ──────

  陰山 英男(かげやま ひでお、1958年 - )は、兵庫県朝来市(和田山町)出身の教育者立命館小学校校長立命館大学教育開発支援センター教授安倍首相諮問機関教育再生会議」元委員。小学館の通信添削学習『ドラゼミ』総監修者。大阪府教育委員。

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  来歴

  岡山大学法学部法学卒業学生時代は放送文化部に所属し、アナウンサーを目指すが挫折。佛教大学通信教育部にて教員免許取得。兵庫県内の小学校教員を勤める。教員時代は典型的な「でもしか先生」であったが、同僚教師の死を切っ掛けに、「命を大切にするなら、まず教師から。自分犠牲にする教育実践など意味はない」と、授業改革に目覚める。

  朝来町立(現在合併により朝来市立)山口小学校在職当時、同僚、父母なども巻き込んで基礎学力向上のためのメソッドの開発を進め、岸本裕史が提唱した百ます計算インターネット活用科学実験、そして日常の生活を見直すチェックシートの活用など、さまざまな工夫を重ねて、成果を上げる。

  また、現場教員たちの自主的な研究会学力の基礎を鍛えどの子も伸ばす研究会」に小河勝らと共に所属。広島県尾道市教育委員会による校長公募に応じて、2003年4月より、尾道市立土堂小学校文部科学省指定研究開発学校)の校長に就任。

  2006年4月より、京都市北区に開校の立命館小学校校長立命館大学教授に就任。

  2006年10月政府教育再生会議委員に就任。(2008年1月まで)

  2008年10月1日大阪府教育委員に就任。

  ──────

  ・今回のイベント主宰の初芝学園が立命館提携したので、今回の講演はそのツテらしい。

  ・この間、陰山氏の娘は東大合格した。

  「娘が東大合格した本当の理由~高3の春、E判定から始める東大受験

  http://www.amazon.co.jp/%E5%A8%98%E3%81%8C%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E3%81%AB%E5%90%88%E6%A0%BC%E3%81%97%E3%81%9F%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1~%E9%AB%983%E3%81%AE%E6%98%A5%E3%80%81E%E5%88%A4%E5%AE%9A%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%82%8B%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%8F%97%E9%A8%93~-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8101%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%99%B0%E5%B1%B1-%E8%8B%B1%E7%94%B7/dp/4098250101/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1236167946&sr=8-1

  ・ポッドキャストFM ラジオ陰山英男ヒューマンラボ」 放送中。

  http://www.tfm.co.jp/podcasts/human/

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  ◆ 聴衆

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  ・最終的に300人程度は来ていたかと思う。

  ・90%以上が「初芝学園」の保護者

  ・「初芝学園」とは、あまり聞いたことがない学校だが、南大阪私立学校で、小学校高校まである一貫校らしい。

  ・入り口には「小学校」「中学校」「高校」「一般」の受付があり、住所・氏名を登録するようになっていた。

  ・同じ講演を見た人のブログがあった。

   http://gachapin101.at.webry.info/200903/article_1.html

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  ◆ 講演全体の印象

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  ・教壇に長く立ってきて、今は副校長だったり、公的機関の教育顧問だったりすることもあり、

   講演には慣れている感じだった。

  ・ざっくばらんな印象で和ませつつ、言うべきことはきちんと言う印象。

  ・プレゼン資料はパワーポイントだが、パワーポイント自体が進化していて驚いた。 

   印刷物かと思うほど解像度が高く、またビデオを貼れるので非常にわかりやすい。

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 ▼ 内容

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  ◆ 子供学習意欲について

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  ・この間の調査 http://www.jiji.com/jc/zc?k=200903/2009030100067

   で、高校生の77%が、勉強がキツイと答えている。

  ・何より子供の学習意欲が減退している。

  ・子供自己評価が低い。5~6割が「自分ダメだ」と思う。

  ・陰山氏は、1958年岡山教育学部卒業、の○○立 山口小学校に赴任、

    -> その後○○立 土堂小学校で、「陰山メソッド」を完成させる。

    -> 現在立命館小学校 副校長

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  ◆ 今後の日本について

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  ・今後、日本はもっともっと景気が悪くなる。暗い世相になる。

  ・正規雇用自体が吹き飛び、半年後には派遣どうこうの話さえ出なくなるだろう。

  ・中学生はその実態はわかっている。きれいごとしか言わない大人が多すぎるのが問題だ。

  ・この間、中学生向けの講演があったので、本音で「あなたたちの未来は暗い」と話した。

   すると、講演が終わっても、拍手が鳴りやまなかった。

   その後、中学生たちは職員室に押しかけ「百ます計算」を明日からするように求めたということだ。

  ・日本未来は暗い。教育産業も、きちんとやっていかなければならない。

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  ◆ 教育の効果について

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  ・教育の効果というものは、多くの「識者」が言うように、何年も経ってやっとわかるというものではなく、3日で変わりはじめ、数週間で必ず効果が出る。1年もあれば、ずっとはるか上にいる。

  ・高校生より中学生中学生より小学生が、教育の効果が出やすい。

  ・なぜ小学生に、あっという間に教育の効果が出るのかというと、小学生では「知識」だけでなく、「勉強のしかた」を同時に学ぶからだ。

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  ◆ 著作を読んでほしい

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  ・講演をしても、数週間で忘れてしまうので、

   本を買って、ときどき読み返してほしい。また、ポッドキャストFMラジオ)もやっているから聞いてほしい。

  -「学力は1年で伸びる」

  http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7%E4%BC%B8%E3%81%B3%E3%82%8B-%E6%B1%9F%E6%BE%A4-%E6%AD%A3%E6%80%9D/dp/4022504005/ref=sr_1_31?ie=UTF8&s=books&qid=1236167756&sr=8-31

  -「家庭力―子ども学力向上と幸せのために親ができること 」

  http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E5%8A%9B%E2%80%95%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E5%90%91%E4%B8%8A%E3%81%A8%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E8%A6%AA%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E9%99%B0%E5%B1%B1-%E8%8B%B1%E7%94%B7/dp/4391136031

  -ポッドキャストFM ラジオ陰山英男ヒューマンラボ

  http://www.tfm.co.jp/podcasts/human/

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  ◆ 土堂小学校

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  ・6年前に公立・土堂小学校校長として様々な試行を行った。

  ・1学年150人という、かなり大きな学校で、これだけの人数の成績を上げるのは、通常非常に困難なのだが・・・。

  ・結果、偏差値65以上が全校の20%、全校平均平均知能指数117という、驚異的な結果となり、

   卒業後、多くが進学校に進学、子供たちの可能性は大きく広がった。

  ・知能が高くなる、ということは、子供たちの可能性・選択肢が広がることだ。

   「陰山メソッドは「生きる力」にならない」などと言う「識者」がいるが、馬鹿馬鹿しい話だ。

  ・「100ます計算馬鹿になる」などという本を読んでみたが、くだらない話ばかりでまるで話にもならない。

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  ◆ 知能指数とは

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  ・知能指数とは、エンジンの回転数のようなものだ。

   適切な環境さえ与えてやれば、どんどん回転数は上がる。

  ・「生活習慣が全て!」と言っても良いほど生活習慣は大切だ。

   生活習慣だけで、知能はどんどん上がっていく。

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  ◆ 今私(陰山)がしている、脳によい生活習慣

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  ・脳が発達する生活習慣がある。

  ・今、私がしている、脳によい生活習慣とは

  ・ごはん(米)の代わりに、キャベツを食べる。

  ・1日40分歩く。

   -> ちょっと早く歩き、心拍数100程度にする。走るほどでなく、ぶらぶら歩くのでもなく、ちょっと負荷をかける程度が望ましい。

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  ◆ 日本人ライフスタイルについて

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  ・実は、子供学力だけでなく、大人の学力も低下している。

  ・日本人ライフスタイルを、脳力が高くなるようにしなくてはならない。

  ・2000年では1人あたりのGDPが3位 -> 2006年には18位に低下。生産性が落ちている。

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  ◆ フィンランドメソッドについて

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  ・今流行フィンランドメソッドについて。

  ・フィンランド見学に行き、直接見て、いろいろと話を聞いた。

  ・これなら、世界で知能が一番高いのは当たり前だと感じた。

  ・とにかく教科書が難しい!フィンランド小学校1年生の教科書は、日本でいえば小学校4~5年レベルだ。

  ・当然、落ちこぼれる子も出てくる。だが、多くの教員や原則無料教育によりそれをクリアしている。

  ・1クラス23人に教員が3人、その他、テキストを用意したり、学校事務を行う補助要員がクラスに1人いる。

   これだけいれば、さすがに簡単には落ちこぼれは出ない。

  ・小学校から大学まで、全て教育費は無料教科書ノート鉛筆等文具も無料

   要するに教育に一切、費用は必要ない。

  ・当然、社会的には膨大なコストがかかっている。

  ・日本でそれを行うには、かなりの意識の改革が必要だろう。

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  ◆ 日本教育の強みとは

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  ・日本教育予算は、先進国中最低。

  ・しかし、それでさえ、なぜか2000年以前は、かなりの成績を収めていた。

  ・なぜか? 私は「系統だった学習指導要領」にあると思っている。

  ・各国を見て回ったが、「系統だった学習指導要領」があるのは日本だけだった。

   これが日本の貧弱な教育環境において、日本子供にかなりの知能を与えていた原因かと思う。

  ・だが、その優れた学習指導要領も、2000年以降ゆらぎ、その結果、学力の低下が起きたのではないか。

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  ◆ グローバリズム教育

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  ・教育グローバル化が始まった。

  ・国境を越えて、優秀な人間世界を巡る時代が始まった。

  ・グローバル時代に、知能の力がないのは、子供達の未来を閉ざしてしまうことになる。

  ・10年前、アジアから米国への留学生日本人がいちばん多かった。

  ・現在は、インド中国韓国日本台湾 の順になってしまった。

  ・しかも、日本人は10年前より留学生は減っているのだ!

  ・なぜか?日本人留学しようとしても、基礎学力が足りず、入学できないのである。

  -ここで中国小学校での英語教育風景ビデオが入る。

  ・あまりに驚いたので、「我々見学者のために、特区の小学校を回っているのか?」と聞いたら、これは中国ではすべての小学校で行われている、と言われた。

  ・中国小学校では、小6では英語の授業は英語で受ける。

  ・小学校卒業時の英語目標は、「日常生活に、実用的に活用できるレベル」である。

  ・低学年で週に5時間、高学年では4時間英語の授業を受ける。

  ・日本の現状は、小学校では、今はそもそも英語の授業は行われていない。(ローマ字ならある)

  ・次の指導要領で英語の授業が入ることが決まったが、週にたったの1時間、しかも目的は「異文化理解」である。

   中国レベルとは比較にならない。

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  ◆ 子供の伸びる家

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  ・今、住宅メーカーと共同で、「子供が伸びる家」の研究を行っている。

  ・学習は「生活習慣がすべて」と言えるほど、生活習慣は大事なので、「子供の伸びる家」はそれを考えて作っている。

  ・とりあえず今の家で考えるというと・・・

   1/ダイニングに長机(田舎公民館に置いてあるような安物)を置く。

   -> ごはんを食べて、親が見ている横ですぐに勉強ができるように。食卓でやると、食事中に片付けなくてはならず、片付けるのが面倒。

   -> 長机は横に長く、奥行きが短いので、奥のほうがとりづらいということがない。横に長く置いておくほうが手が届きやすい。

   2/畳の間があったほうがいい。子供ごろごろできるのと、寝るときに、ベッドは落っこちるので、畳にフトンのほうが安眠できるので。

   -> ぐっすり眠れるのが、とにかく一番!「睡眠力」と名付けたいくらい。

   3/リビング本棚を置き、辞書図鑑などを置く。また、どの部屋にも辞書図鑑があるようにする。

   -> なぜか?それは、「わからない」 -> 「わかる」の時間が短いほど脳への定着が強く、結果として知能が上がるからだ。

     「後で調べとく」ではダメで、「今わからない事は今調べられる」ような体制を作っておくのがよい。

   4/親の手伝いや部屋の掃除子供の知能を高める。イモの皮むきができる子のほうが、できない子よりも知能が高くなる。

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  ◆ 東大と親の収入について

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  ・結果的に言うと、東大普通の家庭から行っている子も多い。

  ・なぜ「親の収入が低いと合格しない」などという神話が出来たかというと、

   昔の東大は、とんでもない高収入の親がたまにいたので、彼らが平均値をぐっと上げていた。

  ・また、10年ほど前に、中高一貫校では中学高校の内容を前倒しで教えてよいことになったので、中高一貫の私立高校が有利となった。

  ・しかし、実は東大は、あまりそういう子を取りたくない。

  ・そこで、東大は、年収400万円以下の家庭は、授業料無料になっている。

  ・実は東大東京出身の子が多く、東京ローカル学校とも言える。

  ・現在東大は地方の公立高校を回り、優秀な生徒を狙っている。

  ・教育再生会議で言っていたが、小さい頃から外の風に当たらず、知識だけを植え付けられた子は、

   好奇心が育っていないので、大学で新しい研究などできるわけがない。

   東大はそう考えている。

  ・子供たちの脳をすり減らさない教育が求められている。

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  ◆ 虫食い学力について

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  ・近年、目立ってきたのは「虫食い学力」である。

  ・「虫食い学力」とは、計算漢字などの基礎を徹底していないため、知識や技能が虫食い状態となり、結果、それが上級の学年に進んだときに致命的な弱点となり、理解を妨げることである。

  ・中学生に小学1年レベル計算をさせると、○-7、○-8を間違える子がけっこういる。

  ・漢字について、6年生では3割の児童しか、指導要領漢字全部を覚えていない。

  ・割合、分数の計算を理解していない子がかなりいる。

  ・上級の学年は、それらの知識が前提となるので、そこがネックとなり、ついていけなくなる。

  ・この場合、親や先生が叱責しても激励しても、何の意味もない。どこを理解していないのか、まずプロの目できちんと見ないと駄目である。 一人一人、テストの1つ1つの問題を細かく見ていき、何を理解していないかを見つけていく。

  ・中高一貫校でもこの虫食い学力問題はある。

  ・中学生に100ます計算をさせると、方程式などの難しい問題も解けるようになる。

   やはり基礎的な計算力が足りていなかったと考えられる。

  ・塾経営者と話した時、この虫食い学力問題が話題になった。受験専門の塾では基礎、基本の徹底をやらないので、こういった基礎のついてない子は伸びず、大きな問題となっている。

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  ◆ 100ます計算について

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  ・100ます計算は、私が思いついたものではない。

  ・「計算の反復練習」という、本来しんどい、つまらないものを、面白く取り組めるための1つの手段だ。

  ・毎日、同じ問題をやる。あっという間に記録は上がっていく。

   実は、違う問題でも、同じ問題でも、計算力向上の効果は全く変わらない。

    -> 褒めてもらえる -> 自信がつく -> やる気が出る。

  ・9ヶ月で知能指数が9ポイント上がる。

  ・学力偏差値は、4ポイント上がる。

  ・不思議なことに、100ますを続けると、もっと深いところで学力が上がっていく。

   授業もやりやすくなる。

  ・特に日本の子の、学習の最も妨げとなるのは「学力コンプレックス」である。

  ・日本の子は、褒められて育てられていない。たいがいの場合は「おまえは駄目だ」と言われて育つ。

   それにより、何においても自信のない子が非常に多い。

  ・100ます計算は、大人でもだいたい2分はかかる。

  ・それを、小一でも、1ヶ月ほどで1分45秒を切るようになる。

  ・大人を負かすほどの計算力がつき、褒められる。結果、自信のかたまりのようになり、

   「学力コンプレックス」とは無縁の「成長モード」に入り、学習スムーズに行える。

  ・方程式も、100ます計算でできるようになる。

  ・「同じ事を3日連続でやる」のが大事である。

   -何日間同じことをすると、記憶が定着するか?のグラフ

  ・3日間同じ事をすると、記憶はよく定着する。

   それ以下ではすぐ忘れてしまう。それ以上やってもあまりスコアは伸びない。

  ・よって、計算漢字英単語も、記憶を定着させたい場合は、「3日連続で同じ事をする」が有効である。

  ・1日10分でもよい。それで頭の回転を上げることができる。

  ・「自信」 -> 「成長モード」が大事である。

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  ◆ 「睡眠力」と「朝ご飯」について

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  ・「睡眠力」を育てるのは、非常に重要である。

  ・知能開発の7割は「早寝」「早起き」「朝ご飯」の生活習慣により決定してしまう。

   -睡眠時間記憶定着のグラフ

  ・睡眠時間はやはり7~9時間がいちばん良い。

  ・9時間以上の寝過ぎは、睡眠の質が悪い。

  ・「ぐっすり眠る」のは能力スキルと言ってもよい。

  ・朝ご飯をとにかく「しっかりとる」こと。

   -グラフ睡眠導入時間・朝食の食材数。

  ・子供は、P.M.8:00~9:00までに寝ると、一番知能指数が高くなる。

  ・朝食の食材の数が少ないと、知能指数が低い。

  ・朝ご飯を食べていないと、非常に知能指数が低い。

  ・朝ご飯を食べずに登校するグループに、朝食を取らせるようにしたところ、知能指数は6ポイント上がった。

  ・手っ取り早く言えば、「朝は湯気の出るおかずを食べさせてください」ということ。

  ●パン+ジャム+牛乳だけではダメ。脳に必要なアミノ酸がとれないから。

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  *なお、文中「グラフ」の統計は、大きな学校に協力してもらい、厳密にとったもので、

   サンプル数等も有効な範囲であり、いいかげんなものではない。

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  ◆ TV・ゲームケータイについて

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   -記憶とTV視聴時間グラフ

  ・TVは1日2時間まではOK。できれば1時間程度に。

  ・TVを1日5時間以上見ている子は、必ずイライラしている。

   睡眠時間減、神経が高ぶって睡眠が浅くなるので。

  ・ゲームは1日30分程度ならOK。

  ・ケータイも、子供にとってメリットはほとんどない。

   なるべく子供からディスプレイは遠ざけること。

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  ◆ 読書は知能を高める

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  ・読書は知能を

2009-02-10

ちょっとテレビ人の年齢を調べてみた

ちょっとテレビ人の年齢を調べてみた

こりゃつまらなくなるわけだ・・・

2009-02-01

淀川長治の年間ベスト

淀川長治キネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画リスト

1949年 大いなる幻影ジャン・ルノワール

1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ

1952年 巴里アメリカ人ヴィンセント・ミネリ

1954年 嘆きのテレーズ(マルセル・カルネ)

1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ

1959年 恋人たちルイ・マル

1960年 太陽がいっぱいルネ・クレマン

1961年 素晴らしい風船旅行アルベール・ラモリス

1962年 野いちごイングマール・ベルイマン

1963年 アラビアのロレンスデヴィッド・リーン

1964年 突然炎のごとくフランソワ・トリュフォー

1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ

1966年 マドモアゼルトニー・リチャードソン

1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ

1968年 2001年宇宙の旅スタンリー・キューブリック

1969年 アポロン地獄ピエル・パオロ・パゾリーニ

1970年 サテリコンフェデリコ・フェリーニ

1971年 ベニスに死すルキノ・ヴィスコンティ

1972年 フェリーニのローマフェデリコ・フェリーニ

1973年 スケアクロウジェリー・シャッツバーグ)

1974年 フェリーニのアマルコルドフェデリコ・フェリーニ

1975年 ザッツエンターテインメントジャックヘイリーJr

1976年 トリュフォー思春期フランソワ・トリュフォー

1977年 ロッキー(ジョン・G・アビルドセン)

1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ

1979年 木靴の樹(エルマンノ・オルミ

1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏ルキノ・ヴィスコンティ

1981年 ブリキの太鼓フォルカー・シュレンドルフ

1982年 ゲームの規則ジャン・ルノワール

1983年 ディーバ(ジャン=ジャック・ベネックス)

1984年 カルメンカルロス・サウラ)

1985年 田舎日曜日ベルトラン・タヴェルニエ)

1986年 シテール島への船出(テオ・アンゲロプロス

1987年 グッドモーニングバビロン!(タヴィアーニ兄弟)

1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン

1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ

1990年 フィールド・オブ・ドリームスフィル・アルデン・ロビンソン

1991年 シェルタリング・スカイベルナルド・ベルトルッチ

1992年 ヒア・マイ・ソング(ピーター・チェルソム)

1993年 マルメロの陽光(ヴィクトル・エリセ

1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ

1995年 スモークウェイン・ワン

1996年 ケロッグ博士アラン・パーカー

1997年 世界中アイラブユー(ウディ・アレン

2009-01-25

童貞について

PC内整理してたら変なテキスト発見

作成日は一昨年のクリスマス

ファイル名は「doutei」

どうやら童貞についてまとめたものらしい。

以下

童貞語源

童貞」 の本来の意味ですが、「童貞」の「童」は子供のこと、「貞」は、貞節、貞操などというように、

主に性的節操を守ることを意味します。

つまり子供の頃の状態を守る、性的に清潔で「生まれたままである」「清らかな体である」 というような意味になります。

日本語の「童貞」という言葉が成立したのが正確にいつなのかは不明なようですが、「野球」「資本主義」などと同様、

外来語由来の新しく作られた日本語であるのははっきりしていて、「Virgin」の日本語化だったようです。

日本での初出としては、1678年、捨て子などを保護教育に勤めたニコラ・バレ神父による、

パリのサン・モール街の修道女の養成所を出発点とした「幼きイエス会」が源流となるフランスカトリック教サン・モール修道会が、

外国人子女のために1874年日本横浜に設置したフランス語学校の名称が「ダーム・ド・サン・モール」 であり、

それの日本語表記が 「仏語童貞学校」 であることから、これを起源とするのが定説となっているようです。

この 「仏語童貞学校」、前身は 1872年明治5年) に来日したフランス人宣教修道女メールセントマチルダほか4名の修道女(シスター) により設立された、子女教育と貧困にあえぐ子供たちの救済を行う施設 (孤児院、施療院/ 仁慈堂)が基になっていて、

その頃までにすでに童貞という言葉も使われていたようです。

しかし当初は男性の性行為未経験者を指す言葉ではなく、性別を問わず生まれたままの者、

この場合は清らかな乙女、「主のために操を守り続けるカトリック教の尼僧」のことを指していたようです。

その後この「仏語童貞学校」は、「横浜紅蘭女学校」「横浜高女学校」などと名称や内容を変えながら発展し、

1958年現在の名称、俗に横浜女子御三家とも称されるお嬢様学校、「横浜雙葉学園」となっています。

男も女もみんな童貞だった訳ですね。

出身校に「仏語童貞学校」って書きたい。

セカンド童貞について

童貞を捨ててしまった後になることがあるもの

セカンド童貞の影響

現在予測されている効果は以下の通りである。

今後の展開

童貞は一度捨ててしまうと再び持つことは出来ない。」との主張や

童貞は恥ずべきもの」との風潮が蔓延しており、

これまで自らをセカンド童貞だと公言する者も、積極的に研究しようとする者もほとんどいなかった。

しかし21世紀に入り、価値観の多様化が進展したことで童貞であることの利点(というより、童貞童貞の差異の無さ)が再認識され、

それとともに2007年頃からようやく本格的な研究に入るための準備が始まった。

今後は21世紀中盤にかけて、その実在性の真偽についてから成り方に至る広い範囲の研究が進むことが期待される。

なんかセカンドインパクトみたい

童貞質量保存の法則

読んで字のごとく。「童貞」の「質量」が「保存される」という法則

近年その存在が証明された。

実例1

A君は童貞を捨てました。B君は童貞が2つになりました。

B君は童貞を捨てました。でもまだB君は童貞を1つもっています。

実例2

B君は童貞を2つ持っています。

ある所でC君が生まれました。

B君の童貞は1つになりました。

影響

これによって童貞は「童貞である」「童貞でない」という0か1かのデジタルなものではなく、

童貞を○個持っている」という連続的な概念となった。

また、童貞は持てば持つほど捨てにくくなる性質を持っているため、

溜め込むほど童貞卒業は遠くなる。

近年の理論的発展

日本では少子化の進行により新規童貞受け入れ枠が減少し、童貞一極集中化現象が起きていると言われている。

しかし地球規模で見るとむしろ人口爆発が起こっているため、現実の現象に対して研究者によって考え方が異なる。

以下にその例をいくつか挙げる。

少子化担当相に教えてあげた方が良いかも

まだあったけど今日はこの辺で勘弁。

一昨年のクリスマスなにやってんだよ、俺。

日曜の朝っぱらからなにやってんだよ、俺。

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。

1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。

2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。

3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。

参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2008-07-24

アートアニメオタが非オタ彼女に軽く紹介するための10本


インスパイヤ元 - アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本


まあ、どのくらいの数のアートアニメオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

アートアニメオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないアートアニメ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アートアニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女アートアニメ布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うような2時間アニメは避けたい。

できれば15分、長くても1時間にとどめたい。あと、いくらアートアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。映画好きが『くもとちゅうりっぷ(1939年)』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

アートアニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場アニメ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

シンドバット七回目の航海(1958年)」レイ・ハリーハウゼン

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ハリーハウゼン以前」を濃縮しきっていて、「ハリーハウゼン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さもちょうど良いし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。


チェブラーシカ1969年)」ロマン・カチャーノフ、「ウォレスとグルミット1986年)」ニック・パーク

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「アートアニメオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。


「月世界旅行1902年)」ジョルジュ・メリエス

ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもメリエスな

童貞的なださカッコよさ」を体現する科学者

童貞的に好みな造形」を体現する月人

の彼らをはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。


「Powers of ten(1977年)」チャールズ&レイイームズ

たぶんこれを見た彼女は「椅子デザイナーだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、アメリカならCGになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。


「笛吹き男(1985年)」イジー・バルタ

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「話の話」、「頭山」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるバルタの思いが好きだから。

断腸の思いで削りに削ってそれでも55分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

笛吹き男の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがトルンカやゼマンだったらきっちり20分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて55分を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえバルタがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。


「ルシタニア号の沈没(1918年)」ウィンザー・マッケイ

今の若年層でマッケイ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

昭和よりも前の大正時代の段階で、ジャーナリズム哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が1枚1枚 紙で描かれて作られていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアートアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるセルとかCGで作られたアニメしか知らない彼女には見せてあげたいなと思う。


「部屋(1968年)」ヤン・シュワンクマイエル

ヤンの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「終わらない罠を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ『死刑執行中脱獄進行中』は「部屋」以外ではあり得なかったとも思う。

「何者かに仕組められた罠から逃れられない」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は「部屋」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。


ストリート・オブ・クロコダイル1986年)」ブラザーズ・クエイ

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう難解小説風味の内容をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。


涼宮ハルヒの憂鬱2006年)」石原立也監督

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。

ハリーハウゼンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。


「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。ズビグニュー・リプチンスキの「タンゴ」が入ってないのはおかしい!とかね。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。


追記

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