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2019-12-05

日米貿易協定の話

どうも同人屋の人達二次創作禁止ばかり注目していたみたいだけど、これもしそうであれば、それこそ今話題ダウンロード違法化リーチサイトに関してもやばかったんだよね。

大真面目に著作権トロールが大暴れして、欧米欧州みたいな状況になりかねなかったから。

まともにネットが使えなくなる。

擁護している人達も今も二次創作禁止だとか言っていてなんだかなと言う感じだったけど。(もしあれが事実ならば、意味合いが変わってしまうので。)

この点で山田太郎議員確認したのはありがたいし、本当に当選してくれてよかったと思う。

山田太郎議員動画を見る限り著作権関連はTPPの時に終わっているので一先ず安心して良さそうだけど、問題コメでも言われている様に国民保険の方だよなと思う。

原則これ非公開だし、こっちの状況が判らないのも不味い。

そもそも国民保険に関しては経団連も潰そうとしていたり、国内外わず敵が多いんだよね。

しか国民が知らない間に次から次へと問題ばかり起きるよね。

知っていても何もできないけどさ。

これも敗戦国からだろうね。

フランス滅亡マジか

これはマクロン政権年金制度見直し法案に反対するストライキらしい。

毎週土曜日に暴徒が放火、略奪、破壊をしたりするジレジョーヌ(黄色ベスト運動)とは別

2019-11-15

anond:20191115125940

まず、住居権者・管理者意思に反する立入りを「侵入であるとする立場意思侵害説)がある。これは通常、住居侵入罪保護法益を住居権と解する立場から帰結であると言われる。他方、住居の平穏を害する立入りが「侵入であるとする立場平穏侵害説)があり、これは住居侵入罪保護法益を住居の平穏と解する立場から帰結であるとされている。

(略)

最高裁判決が「侵入」を肯定した事例には以下がある。

自由に入れる場所でも目的不法なら入った時点で不法侵入になる?

まじめに考えると意外と複雑なやつか

2019-04-20

イオン利用者ギガシビア

https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.aeonretail.aeon_okaimono&hl=ja&showAllReviews=true

2018年12月5日

通信量が多すぎる。1週間ぶりにアプリを開くと140MBを超える通信量となる。

2019年2月28日

データ使用量が多すぎます。月に2回、スタンプ店頭で起動しただけで、700M使用しました。

2019年3月27日

起動しただけで20MB以上発生し、通信量が多すぎだと思いますインストール後すぐ起動すると200MB位発生しました。 バックグラウンドでも60MB発生していました。

2019年3月31日

今日クーポンを1度だけレジで使って、タスクキルせず家に帰ったら、通信量超過の通知が来て、おかしいと思って調べたらこアプリだけで通信200MB超えてました。

2019年4月2日

通信料を調べてみたところ,起動してからクーポン使用までに,340MBデータ通信してました. これを金額換算すると,3大キャリア(ドコモAUソフトバンク)で約400円,格安SIMでも約100円に相当します.これでは使えば使うほど,お得どころか損してしまうことになるかと思います

2019年4月5日

このアプリだけで一月のデータ使用量が1GB近くあります。1GBを超えると料金が変わるプランを使っているため、もはや有料アプリと言っても過言ではない状態です。

2019年4月18日

とにかく重い。皆さん書かれているが、イオンwifiではつながらない。そのため普通に起動すると通信料がかなりかかる。クーポンは都度読み込みでレジ渋滞の原因。10円のために200MB通信かける意味がわからない。

2019-04-13

youtube事件 VAZいじめ給与未払い問題についてのまとめ

VAZという会社所属するわかにゃん(登録者数16.5万人)という女性youtuberが二つの件を告白

・同社所属の他クリエイター複数人グループいじめられてる。陰口を叩かれたりハブかれたりしてる

・VAZがわかにゃんに対して給与未払い

解決するために別の配信者「ヒカル登録者300万人)」「よりひと(登録者数63万人)」「kimono(登録者11万人)」の三人が話し合いの場を設ける

いじめに関しては当人同士を話し合わせて解決した。

その結果はこうである

事実ではあるが、いじめというよりは個人間のトラブル

いじめた側の女性youtuber「かす(登録者数48万人)」がある男性に対して恋愛感情を抱いており、わかにゃんはそのことを知っていたにも関わらずその男性とSEXゲーム王様ゲームの内容を過激にしたもの)をして遊んだ

・その事でわかにゃんはかすに避けられるようになるが、インスタグラムにてわかにゃんはかすの態度に対して愚痴を言っていた。更に他の人の愚痴もついでに言っていた

・この事でわかにゃんが複数から嫌われていただけであった

この話し合いの結果、いじめた側はわかにゃんに謝罪、わかにゃんはVAZの退社を決意して和解

いじめ事件説明和解する旨を説明する動画を全員で撮影し、わかにゃんのチャンネルにアップ。

いじめメンバー「傷つけた事は事実申し訳ない」

かにゃん「リスナー共こいつらの事責めんでやっといてなw」

当人達で「勝手動画を削除したりしないこと」という取り決めをしていじめ問題解決

VAZと給与未払いに関しては未だ係争中。

VAZ側は

・わかにゃんの個人チャンネル動画広告報酬は全てgoogleから直接わかにゃんに支払われてる。

・他複数人グループチャンネルを作りたいとの事で、それを作って経費等を引いた分を折半ということになった

・そしたらわかにゃんはそのチャンネルの全ての動画を非公開にして、他会社所属男性youtuber彼氏)とのカップルチャンネル勝手に変えてしまった

動画編集権などをわかにゃんが一方的に主張し、VAZとの合意なしに押し通してしまった。

カップルチャンネル報酬もわかにゃんに直接振り込まれるように変更してほしいという要請があったか12月5日の時点で変更済み。しかしそれが適用されるのは1月からになる。

カップルチャンネル報酬については未払いはなかったが遅延はあった

しかしそれは「保証人とか面倒だろうからVAZ名義で家を借りてやるよ!そのかわり金は払ってな!」というシステムをわかにゃんが8月から利用する事になったのに契約締結後に一方的に支払いを拒否してしまったため、その家賃報酬から一部相殺したためである

・初期費用1月分までの家賃など諸々合わせてまだ125万くらい残ってる

等と書かれたプレスリリースを発表した。

かにゃんはこれに対して反論するも、その反論の中に異様な物が含まれていた。

いじめについての事が書かれてない!私は被害者なのに!会社が握りつぶそうとしてるんだ!」

そもそもいじめについては個人間で解決し、VAZという会社は全く関係がなかったのに急にここでいじめ問題を掘り返したのだ。

そして「勝手に消したりしない事」と約束したいじめ和解動画を無断で削除してなかったことにしてしまう。

これに対し、事態収束を手伝ったよりひと達は「なんだこいつ…」と冷ややかな目で見ていた。

冷ややかな周囲に反してわかにゃんは更にヒートアップしていく

そもそもあのいじめ問題和解動画台本があったに違いない!」

ヒカルが後輩潰しをしたかったんだ!」

「VAZとよりひとが共謀して事態の沈静化を計ってる!」

と、デイリー新潮ネタを売り込んだ

ヒカルに関しては

・「もし金に困ってるならとりあえず立て替えて俺が払ったってもええで?(その代わりツイッターでその事話して俺の評価上げてや)」と手を差し伸べた

・元々VAZのクリエイターだと思われていたが11月の時点でVAZを退社していたので後輩つぶしをする意味がない

ーよりひとに関しては

そもそもVAZと仲が悪い。VAZの運営体質の悪い所は徹底的に叩く人間なのに共謀など持ちかけてはそれもネタにされてしまう。

VAZの未払い問題の真偽は不明だがこのように全く理にかなっていない噂を流して問題をかき乱してしまうわかにゃん

現在動画につくアンチコメントの削除に執心

そして業を煮やしたVAZ、ついに4/12

かにゃんへ訴訟宣言

これからが楽しみです

2019-03-14

anond:20190314135721

女性版気になって探したじゃねえか。ちゃんと貼っとけよてめえ。

今日も女は出羽守

欧米男性は年齢で女性判断しないとかなんとか

2018-12-07

anond:20181206151701

韓国人個人反日じゃない」みたいな擁護も、戦犯キャンペーンとか見るとむなしくなる。

これやって韓国のイメージが良くなるの?って思うけど、もう日本に対するディスカウントキャンペーンそれ自体目的化してしまっている。

全体としては普通に好きになりようが無い。個々人で友達はいてもね。

2018-12-06

[]2018年12月5日水曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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1日240321783990.741

頻出名詞 ()内の数字単語が含まれ記事

人(211), 自分(162), 今(95), 女(92), 話(82), 人間(77), 男(76), 増田(76), ー(65), 問題(65), 日本(62), 好き(62), 金(62), 仕事(60), 前(58), 女性(57), 普通(55), 感じ(51), 関係(45), 結婚(45), 最近(45), 意味(45), おっさん(43), キモ(43), 頭(41), あと(41), 他(41), 気(40), しない(39), 一番(38), 必要(37), 相手(37), 男性(37), 生活(36), ネット(36), 目(35), 日本人(34), 子供(34), 昔(34), 結局(33), 名前(32), 時間(32), 存在(30), 差別(30), 理解(30), 言葉(29), 高輪(29), レベル(28), 理由(28), 会社(28), 世界(28), キモい(28), 嫌(27), 無理(27), 内容(27), ゲートウェイ(27), 社会(27), バカ(26), 今日(25), 場合(25), 別(25), 気持ち(25), 絶対(24), 脳(24), ただ(23), 最初(23), 東京(23), 顔(22), 国(22), しよう(22), 馬鹿(22), 逆(22), 時代(22), 手(22), 神(22), 状況(21), おばさん(21), 責任(20), 周り(20), 次(20), 勉強(20), セックス(20), 子(20), 発言(20), 他人(20), ダメ(20), 病気(20), 結果(20), ゲーム(19), サービス(19), 依存(19), 親(19), 家族(19), 英語(19), 奴(19), 可能性(19), 当たり前(19), 部分(19), 扱い(18), 人生(18), 現実(18), 文句(18), 心(18), クズ(18), 話題(18), 説明(18), 方法(18)

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増田(76), 日本(62), キモ(43), 高輪(29), キモい(28), ゲートウェイ(27), 東京(23), 可能性(19), 個人的(16), マジで(16), 帰国子女(15), 元増田(14), なんだろう(13), KKO(13), ゲーム脳(13), アメリカ(13), じゃなくて(13), 生産性(13), w(13), 上沼(12), ツイッター(12), いない(11), 依存症(11), ブログ(11), 上沼恵美子(11), 民営化(11), Twitter(11), キチガイ(11), ネトウヨ(11), 労働者(11), なのか(10), SNS(10), 更年期障害(10), わからん(10), トラバ(10), クオリティ(10), めぞん一刻(9), イケメン(9), リアル(9), 大阪(9), 価値観(9), 実習生(9), スマホ(9), hatena(9), 女性蔑視(9), ブコメ(9), にも(8), 犯罪者(8), ブクマ(8), OK(8), 東大(8), 関西(8), …。(8), はてなー(8), 若い女(8), 被害者(8), 普通に(8), 社会問題(8), マイノリティ(7), 偏差値(7), 分からん(7), カス(7), ファミマ(7), 渋谷(7), 自分たち(7), ワイ(7), 基本的(7), いいんじゃない(7), 私たち(7), 1人(7), 経営者(7), な!(7), ガチャ(7), サイコパス(7), 知らんけど(7), 中国(7), 悪いこと(7), 標準語(7), ラブコメ(7), s(6), 好きな人(6), M-1(6), 笑(6), 経済力(6), キモカネ(6), とろサーモン(6), 韓国(6), アイマス(6), フランス(6), 完治(6), 田中(6), スーパーマラドーナ(6), 玉袋(6), .s(6), 数年(6), 久保田(6), ガチ(6), 昭和(6), あいつら(6), メンヘラ(6), 外国人(6), 低脳(6), YouTube(6)

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大股(9), 上沼(12), とろサーモン(6), スーパーマラドーナ(6), 上沼恵美子(11), ゲーム脳(13), 性依存症(5), paypay(6), ゲートウェイ(27), めぞん一刻(9), 高輪(29), 水道(13), 女性蔑視(9), 還元(11), お笑い(7), 発音(17), 方言(7), 西(7), 座る(10), 暴動(6), 悲惨(13), 芸人(12), 依存症(11), 苦しみ(11), 若い女(8), 依存(19), 若く(14), 審査(6), おばさん(21), ポルノ(12), 労働者(11), 長文(13), キモ(43), 生産性(13), 脳(24), 神(22)

頻出トラックバック先(簡易)

■【急募高輪ゲートウェイ略称 /20181204220516(24), ■僕が電車でわざと大股開きで座る理由 /20181205125518(24), ■キモくて金のないオバサンの生活 /20181203184949(16), ■妻が最近ネトウヨ化して困っている /20181205141921(15), ■英語の授業で発音が良いとネタにされる風潮 /20181204191656(14), ■『めぞん一刻』を越えるラブコメを教えろください /20181204213203(14), ■スーパーで安いものを一つだけ買うのが恥ずかしいやつおる? /20181204102715(13), ■シチューごはん /20181204131336(9), ■神がジャンル移動をさせられた /20181205115341(9), ■初めての恋愛が散々に終わった /20170920232940(9), ■業務中に話しかけるのは迷惑ってことにいい加減気づけよ。 /20181205120319(7), ■キモいおじさんを見たことはあるが、キモいおばさんを見たことが無い /20181205091611(7), ■ /20181205145326(6), ■日本キラキラ駅名ランキング /20181205115811(6), ■バイト日記 /20181204235909(6), ■上沼恵美子って関西だと凄く人気があるんだな /20181205095618(6), ■俺がわざと人にぶつかる理由 /20181205180501(6), ■ /20181205154248(5), ■フェルメール展が混みすぎている件について /20181205113811(5), ■名前に人柄が出る外国人っているの? /20181205163350(5), ■彼氏できそうなとき /20181205140336(5), ■anond20181203184949 /20181205102142(5), ■anond20181205102818 /20181205103353(5), ■妻が、単純すぎる /20181205173132(5), ■PayPay使ってみての感想 /20181205130247(5)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

5848875(3513)

2018-05-13

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会社一般社団法人 障がい者自立推進機構

設立2012年12月5日

所在地 〒105-0014 東京都港区芝3-40-4 三田ティプラザ5F

連絡先 パラリンアート運営事務局

TEL 03-6436-0035  FAX 03-6436-0851

創業者理事 松永 昭弘(現 株式会社ペアレンツ 代表取締役会長

専務理事 中井 亮(元 吉本芸人

理事 佐々 嘉孝(株式会社アイアイ 代表取締役

理事 セイン・カミュタレント

理事 阪口 富左雄(現 株式会社ONETOPJAPAN代表取締役

理事 川口 英幸(現 株式会社グローバルキャスト 代表取締役社長)

理事 廣瀬 彌壽男(現 株式会社ダンクス 代表取締役

理事 中井

監事 伊藤 貫通(現 株式会社ペアレンツ 事業戦略室長) 

特別顧問 碓井 誠(現 株式会社オピニオン代表取締役、現 京都大学 経営管理大学院 特別教授

特別顧問 中村 幸雄(元 損保ジャパン株式会社 代表取締役専務執行役員

特別顧問 桂 照男(現 企業年金連合会 コンプライアンスオフィサー

スペシャルサポーター 香川 真司

アンバサダー 相馬 崇人

代表理事 野田 聖子

URL http://paralymart.or.jp

株式会社企画

設立    1980年3月

資本金   1000万円

役員    代表取締役 齋藤

      執行役アートディレクター 秋葉 健一

スタッフ  25名(2017年2月現在

事業内容  販促宣伝ツール企画制作

      通販カタログ企画制作

      企業広告企画制作

      Webサイト企画制作

      イベント企画プロデュース

      マーケティング戦略立案プランニング

入団体  公益社団法人 日本広告制作協(OAC)

主要取引先 株式会社 三越伊勢丹ホールディングス

      株式会社 三越伊勢丹

      株式会社 JP三越マーチャンダイジング

      三浦印刷 株式会社

      凸版印刷 株式会社

      株式会社 東急エージェンシー

      株式会社 矢動丸プロジェクト

      株式会社 電通

      株式会社 博報堂

      株式会社 アサツー ディ・ケイ


株式会社アクセラレータ

AXELERATA Co., Ltd

設立

2017年11月1日

代表

代表取締役

及川真一朗

住所

〒103-0013東京都中央区日本橋人形町1-3-6

事業内容

AXELERATA CLUB事業

ビジネスマッチングアプリ事業

ピッチイベント事業

交流事業

暗号女子 運営会社

合同会社officeYAMAMOTO

所在地

〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷5−21−7第五瑞穂ビル4階

CEO: Kenji Ito

Company Name: Coinotaku OÜ

Address: Harju maakond, Tallinn, Kesklinna linnaosa, Narva mnt 5, 10117

E-mail: contact@coin-otaku.com

社 名 株式会社Vuetech

設 立 2018年3月8日

資本金 20,000,000円

役 員 代表取締役 萩原勇輝

最高経営責任者 長岡淳太

住 所 〒169-0072 東京都新宿区大久保1丁目1-11

コントワール新宿2F

顧 問 ART会計事務所

事業内容 ヒューマンリソース事業

取引金融機関 みずほ銀行 新宿中央支店

三井住友銀行 新宿西口支店

許認可 一般労働者派遣(※申請中)

有料職業紹介(※申請中)

関連会社 webe株式会社

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

モルモット Permalink | 記事への反応(1) | 03:05

2017-12-05

anond:20171205110344

わず日付を確認してしまった。

2017年12月5日時点で「広汎性発達障害」について調べることを勧めるのは愚策である。「自閉スペクトラム症」について調べることをお勧めしたい。

そして、この元増田はおそらく当事者当事者に近い一般の人だからなのであろうが、正しい理解をと言いつつ、書いてる当人発達障害とは何かや精神科における診断について根本的に理解できていない。

なので、この人の主観的かつ感情的意見鵜呑みにする必要はないです。

正しい知識を得るために必要なのはポジショントークではありません。

最後ひとつだけ。

広汎性発達障害の「障害」とはdisorderの訳語で、障害者障害年金というときの「障害(disability)」とはまったく別の意味です。双極性障害、大うつ病障害不安障害強迫性障害などと同じくdisorderとしての「障害」です。

この増田のように「障害」の意味を誤解する人が後を絶たないため、今はdisorderの訳語は「障害」ではなく「症」とされる流れになってきています(たとえば発達症、自閉スペクトラム症注意欠如・多動症というように)。

2017-09-02

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2016-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20161207115510

本当に12月5日に亡くなったのか眉唾だけどな。社長退任の時も公取委告発責任逃れが本当の理由ではと言われてたくらいだし

2016-12-06

従軍慰安婦南京大虐殺謝罪

2016年12月5日 安倍首相が米ハワイ真珠湾訪問すると発表。

「二度と戦争惨禍を繰り返してはならない。その未来に向けた決意を示したい」

との言葉が本当ならば、従軍慰安婦南京大虐殺、その他の被害者へも謝罪が行われることでしょう。

安倍トランプ会談ホワイトハウスが激しく反発したことへの詫びや、

北方領土返還の進展が望めないことで支持率低下を避けるためや、

衆院解散に向け内閣支持率を押し上げるためとの憶測もある。

政治家の行動には必ず裏の意味があるが、単なる政治的パフォーマンスではなく、

対戦国への真の謝罪だと信じたい。

ときおり耳にする「原爆投下米国謝罪せよ」との言葉

まず認識しなければいけないのは、日本トップ真珠湾へ行き謝罪していないということ。

そして何より戦争を仕掛けたのは日本であるということ。

謝罪すべきは日本であるということ。

http://anond.hatelabo.jp/20161206161338

2016-12-05

Lenovo.Modern.ImController.PluginHostがネットからDLしたもの

Lenovo.Modern.ImController.PluginHostが大量に回線占有してたので放置した結果

がIdeapad100に12月5日付でインストールされた

無言で

オーケーわかった今度は買わない

っていうかユーザーアンインストールしたアプリの最新版をアプデでインストールすんな

っていうか現在アップデートしてますとかなんか情報表示してくれ

2015-02-11

LINE QというLINEよりも恐ろしいコミュニティが出来上がっている

最近LINE Qというアプリを入れてみた。LINE関係なので利用者の年齢層はわかっていたけど予想以上にひどい状況だった。

LINE Qは2013年12月5日サービスを開始した。知恵袋よりも手軽にそして、Twitterのような感覚で使えるサービス

まずはじめに、知恵袋でいう知恵コイン一定数貯まるとLINEのスタンプを購入する時に使えるコイン現金に換金できる仕組みがある。

この仕組みによってユーザーが増えていると言っても過言ではないだろう。

ただし、換金するためには30000ポイント以上貯めなければいけないし、1ポイント=0.1円なのでそう簡単には換金できない。

一気に稼ぐために「私に聞いて」という機能がある。ただ、私に聞いてと言っても答えるのはネットでかじった情報なのであまりたくさんの質問付いているのを見たことがない。

まぁここまでは許せないこともない。通常の質問がヤバすぎる。

まず、質問者は一切自分で調べる気がないし、LINE Qに同じ質問があってもそれを参考にしようともしない。

賢い回答者自分定型文のようなものを作ってピッタリ(ベストアンサー)をつけてもらっている。

内容の多くが、

自由の翼フォントが何故か大人気でしか製作者のページではなくそフォントが使えるアプリを紹介する。

自分でttfファイルフォルダに入れる気はないし解凍する意味を知らない。

  • ○○に△△△が出た時の動画URLください。できればDailymotionがいいです。

違法アップロード動画の在処を堂々と聞くだけでなく、投稿されているサイトまで指定してくる。

ググらない

  • これってどうすればいいですか?

スクショ付きでそこに答えが書いてあるのになぜか聞く。自分のために回答されたものでないと信じられないのだろう。

魔法石800個プレゼントのようなアプリスクショ付きで聞いてくる。そんなうまい話はない。こういう層がいるからなくなならないんだなぁと実感。

  • この加工どうやってやるんですか?アプリを教えて下さい。

工夫しない、なんでもアプリで出来ると思ってる。Photoshopなどの高度な画像編集ソフトですることもスマホアプリできるはずだ信じている。

比べるものが違う

  • ○○○の画像ください

著作権とか肖像権なんて知らない。「利用にあたっての約束」という利用規約ネットマナー小学生がわかるくらい簡単に説明しているページがあるのに読まない。

  • ~~って本当ですか?

未発表情報未来ソシャゲイベントの予定なんて教えられるわけがない。

このような質問ユーザー名を出さずに「匿名」設定でする上に回答がつかなければ削除してもう一度質問する。自分の思ってたこと違う回答がついても自分の考えと同じ回答が来るまで質問する。

ヤフー知恵おくれ」と言われる知恵袋よりもひどい。LINEトラブル依存問題ではあるが、調べる前に人に聞き、そして反論は受付ない。もしかしたらLINE QはTwitter以上の性能を持つバカ発見器になるのかもしれない。(もうなっているのかもしれない)

【どうでもいい追記】

これは増田がこのWebサービス本質をわかってないのでは。これって人力のSiriでしょ?Siriには何回も同じこと聞くよね?「この前教えたやらろググレや」ってsiriに言われたらどう思う?

その通りだと思います。ただ人力のSiriとは言えど、Siriのような的確な回答がついている質問は少ないです。回答者が小中高生なので仕方ないですが、間違った情報を「何人もこう言ってるからそうなんだー」と思ってしまわないかという懸念です。

スマホが普及したことによって今まで見えなかったものが見えるようになったのかもしれません。

この層を相手にいかに商売をするかがネットで儲けるために重要なんですかね。

そういえば人力検索はてなっていうサービスがありましたね。今どうなってるかしらないですけど。

LINE Qはパソコンブラウザでも見れるので、スクレイピングして、文章内の単語から内容を推測して定型文を自動投稿するbotを作ったらガッポガッポかもしれないけど技術もないし運営に怒られそうなのでやりません。

最後の追記】

予想以上のブクマがついたので説明したいのですが、まず私はおっさんではなくただの高校1年生です。前々からLINE Qの質問内容も見ていましたが「さすがにこれはどうなのだろう?」と重い一石を投じたくて記事を書いたつもりが大岩を投じるような感じになってしまいました。父親の影響でDSiインターネットが見れるようなった頃(小学5年生くらい?)からはてブを見てきたので煽りすぎるタイトルや大げさに書きすぎてしまった部分がありました。ただ言いたいのはこのLINE Qを潰したいとかそういうことではなく何かいい方に進むきっかけになってほしい気持ちでこの記事を書いたことです。

2013-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20131206142748

戦争準備であるという意見の一つとしては、この孫崎享インタビューhttp://wpb.shueisha.co.jp/2013/11/19/23215/)が幾つかの見方を示している。

私はこの記事全体や孫崎享の普段の言動全てに賛同しているわけではないけれど。

リンク貼って終わりというのもなんなので、門外漢ではあるが私なりの言葉で説明してみる。

1:アメリカ(など)の起こす戦争に巻き込まれる恐れがある

特定秘密保護法案を後押しする背景には色々あるけれど、アメリカ意向に従うためというのは大きな要素の一つだという見方がある。

上で貼った孫崎享インタビューはそれを強調した例だが、たとえば比較的中立そうな(という私の言葉鵜呑みにするべきではないが)この郷原信郎の記事(http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/post_6356_b_4388670.html)でも、

今回、この時期に、急いで法案を成立させようとしている背景に、アメリカ意向が働いていることは否定できないであろう。現在の、日本外交政策の下で、外交防衛に関する秘密管理厳格化することは、「対米追従」を一層進め、アメリカとの軍事同盟を強化することにつながる。

という風にある。

相手はアメリカに限った事ではないと私は思うのだが、結局、情報セキュリティレベルを上げないと、世界各国から情報面で信用してもらえず、安全保障上で有用情報提供してもらえない、というのがある。この法律によりセキュリティレベルを上げることでそういう情報をもらいやすくするというのはあるだろう。その、便宜を図ってくれそう・守ってくれそうな中心はやはりアメリカであるが。

しかし、当然外交は、情報をもらって「あざーっす」ではすまない。こちらからもお礼をしなければならない。それが問題だ。

安全保障情報提供してくれるというのは、やはり軍事的な繋がりを強くするということになる。

そして軍事的に強く連携した諸外国日本に何を求めてくるか考えてみれば、それは自国の参加する戦争日本も、自衛隊も参加してくれということだ。

私は、アメリカなどとの軍事的繋がりが強化されるという所までは間違いないと思う。ただ、果たしてこの、戦争日本の武力を提供することを要求されるかという最後の部分はよく分からない。そうだ、とも違う、とも判断しきれない気がする。あいつら、何考えてるか全然わかんねーもん。ただ、懸念としては一理あるとも考える。

ここは、各国と連携を強めることで日本戦争テロ被害を回避する能力を手に入れるメリットが大きいと考えるか、連携に引きずられて戦争に巻き込まれるかもしれないデメリットが大きいと考えるかである

そこに正解はあるのだろうか。


2:政府自分に都合の悪い情報――たとえば戦争準備を進めてるとか――を恣意的特定秘密に指定しうる

法案の修正案(http://www.asahi.com/articles/TKY201311260565.html)の最後の方に、『別表(第三条、第五条第九条関係)』として特定秘密に指定可能な情報が列挙されている。

この辺りについて、曖昧恣意的秘密指定ができてしまう、という批判が多い。

戦争を危ぶむ人は

イ 自衛隊運用又はこれに関する見積若しくは計画若しくは研究

ニ 防衛力の整備に関する見積若しくは計画又は研究

なんかに危機感を持つだろう。政府自衛隊防衛力について目論んでいることが、およそほとんど特定秘密に指定しうる。防衛力、言い換えれば軍事力を過剰に増強して戦争準備をしても、国民はそれに気付けないということだ。

また私としては、

イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究

ロ テロリズムの防止に関し収集した【国民生命及び身体の保護に関する重要情報】又は外国政府若しくは国際機関から情報

辺りにも注目したい。

テロ悪用されうる情報特定秘密に指定しうる」ということだが、考えてみれば、悪用した際にテロリズムに結び付かない情報などあるだろうか。国に関する情報というのはほとんどが悪しきものの手に渡れば日本国ダメージを与える事態が想定しうる。つまり、どんな情報だってこの項目に当て嵌めて特定秘密に指定するよう理屈はつけられる。政権に不都合な情報恣意的特定秘密にできる。

もちろん、まともな政府なら、こっそりと極端な防衛力強化などしないし、特定秘密指定の濫用等しない。だが、自民党でも民主党でも他の党でもそうだが、今から未来に渡っての政府に対して常にまともであることを期待するのは、リスクが大きすぎるのではないだろうか。

人は愚かでエゴイスティックだし、権力はいつか暴走するものだと私は考えている。そういう政府権力が生まれた時に、この法案があると危険である

しかし一方で、この特定秘密指定要件は妥当と言わざるをえないとも私は考える。

というのも、安全保障でも外交でも防諜でもテロ防止でもそうだが、それらについて公開するとまずい情報というのは様々なものがあり、ある程度曖昧な要件にして包括的に判断できるようにしておかなければ、この法律を善なる目的のために使おうとした時に困ってしまうからだ。

特定秘密指定は恣意的に出来てしまうが、恣意的に指定する柔軟性がなければ秘密保護有用性を持たないというジレンマがここにはある。

果たしてどうすべきか、多分完璧な正解はない。

ただ、善後策として、あまり秘密指定の濫用がされた場合に、それをチェックする機関を置くという手がある。

だが次項で述べるように、それも不十分であることがこの2の項の不安さを増している。


3:チェックシステムの不十分さ

政府が万一悪用した際に大きな問題が起こる法律でありつつ、その運用のチェック方法が明確でない。

修正案では、

第十八条 政府は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。

2 【内閣総理大臣は】、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報保護行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を【聴いた上で、その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。】

【3 内閣総理大臣は、毎年、第一項の基準に基づく特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況を前項に規定する者に報告し、その意見を聴かなければならない。

4 内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況に関し、その適正を確保するため、第一項の基準に基づいて、内閣代表して行政各部を指揮監督するものとする。この場合おいて、内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施が当該基準に従って行われていることを確保するため、必要があると認めるときは、行政機関の長(会計検査院を除く。)に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出及び説明を求め、並びに特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施について改善すべき旨の指示をすることができる。】

国会への報告等)

【第十九条 政府は、毎年、前条第三項の意見を付して、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況について国会に報告するとともに、公表するものとする。】

ということになっている。

要するに内閣総理大臣がチェック機関の役目を果たすということだ。しかしこれは全然チェックの役目を果たさないのではないか

もし将来悪しき政府や悪しき行政が出現したとしたら、行政トップである内閣総理大臣もその悪の側についている可能性が大きい。なのに内閣総理大臣が適性かチェックするというのは、まるで意味をなさない。

流石にこれだけではまずいと思ったのか、

(指定及び解除の適正の確保)

第九条 政府は、行政機関の長による特定秘密の指定及びその解除に関する基準等が真に安全保障資するものであるかどうかを独立した公正な立場おい検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置その他の特定秘密の指定及びその解除の適正を確保するために必要方策について検討し、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。】

ということも追加されているのだが、チェック機関について検討し措置を講ずるというのは、これから講じますけど具体的に何をどうするか決まってないということになる。

まして、政治におけるこのような検討する・講ずるという言い方は、努力目標のようなもので、実際の対応には結びつかないことが多々ある。

真剣に適正さを確保するつもりなら、「検討し、所要の措置を講じた」上でそれを発表して、改めて法案を通した方が広く納得を得られるように見える。だが現在与党は見ての通り強行採決に踏み切り、それが「本気で適正な運用をするつもりがあるのだろうか?」という不安を煽る。


その辺りをつつかれたのか、昨日の12月5日にこういうニュースがあった。情報保全監察室内閣府に設置、とのことだ( http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131205/k10013613641000.html)。

与党側は、5日午前、日本維新の会みんなの党に対し安倍総理大臣内閣官房に設置する考えを示した事務次官級による保全監視委員会とは別に特定秘密の指定の妥当性をチェックする新たな機関内閣府に設置することなどを提案しました。

これについて、菅官房長官は、法案を審議する参議院特別委員会で「法律施行までに内閣府に20人規模の『情報保全監察室』を設置して業務を開始したい。必要場合立法により、できるかぎり『情報保全監察室』を『局』に格上げすることを約束する」と述べました。

そのうえで、菅官房長官は、情報保全監察室担当する業務について「独立性の高い第三者機関を設置する必要があると承知しており、各行政機関による個別の『特定秘密』の指定や解除、有効期間の設定や延長を検証・監察し、不適切ものについて是正を求めていく」と述べました。

情報保全観察室、とかいうチェック機関を置く方向を見せてきました。が、それが具体的にどんなものなのかはまだはっきりしていない。この瀬戸際で出された提案なので当然だが、内閣府に置かれたそれが第三者機関として十分に働くかは細部が分からないので何とも言えない。

これについても、真剣に適正さを確保するつもりなら、ある程度情報保全観察室であるなり、独立性の高い第三者機関設置なりの案を煮詰めてから特定秘密保護法案を議論にかければよい。

だがそうしない。不安である

私としてはこのチェック機関についての議論をもっと充実させてほしかった。

が、ここでもやはりジレンマが発生する。

秘密は知る人が少ないほどセキュリティが保たれるので、チェック機関が大がかりであるほど秘密実効性が薄れてしまうのだ。

それならチェック機関を小規模厳密にすればいいかと言えば、そうすると少人数の意思だけで判断されてしまい、容易に偏ったり腐敗したりしうる。

どうしたらいいのか、私には分からない。

まとめ

戦争準備という論点から外れて個人的な懸念も書いてしまったが。

上記1~3をまとめると、特定秘密保護法案戦争準備のはじまりである理由は、

・諸外国戦争に巻き込まれるリスクを増し、

・実際に巻き込まれつつあっても/または日本単独で戦争に向かい出してもそのことを政府隠蔽できる手段を与え、

・そのような政府の悪行を咎める方法が不十分である

という、複合的な理由によるものではないだろうか。

おまけであり根本の問題:政府国民も信用できないのに、信用できることを前提とした法案である

結局のところこれである

権力は腐敗し暴走する。

政治家は必ずしも清廉潔白ではないし清廉潔白でも判断を誤り得る。

私を含め国民は誰もが賢いわけではないし容易に騙されうる。

行政立法司法、省庁、識者、学者マスコミ主権者たる国民右翼左翼ノンポリ、将来にわたり完璧に信用できる人間集団なんてない。

適正に運用されればためになる法律だって解釈を工夫すればいくらでも悪用できる。

から、強力な力を持つ法律システムには可能な限りセーフティロックをかけておくべきだ。

だが、上でつらつら書いたように、セーフティロックが十分だとはとても言えない。

そこがよくないと私は考える。

諸手を挙げて賛成している人たちは、政府や、自分国民を完全に信用しているのかもしれない。

私には強い不信感がある。多分反対する人たちの多くにも不信感がある。

特定秘密保護法案に限らないのだが、この、根本的な、国や人間のものへの信頼意識のずれをすり合わせないと賛成反対の議論はかみ合わないだろうし、実際噛み合っていないことが多い。

ま、議論したところで、与党めっちゃ圧勝するような国会作っちゃったらあんま意味ないんだけどね。

2013-09-19

黄錦周さん「慰安婦になった経緯をお話します」

1「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。

  ソウル金持ちの家で小間使い。

  1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、

  その家の娘の身代わりとなって満州連行され従軍慰安婦となった」

2「17歳のとき日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、

  日本軍工場に働きに行くように命じました。

  そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」

 

3「私は19歳で学校卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、

  仕方なく慰安所に行ったんだ」

4「満18歳になったある日、男がやって来て、

  村から娘を提供するように言いました。」

5『村の班長日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、

  1941年韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』

6「14歳とき、いわゆる「少女出」で満州連行され、

  皇軍兵士セックスの道具にされた。つらい体験だった。」



嘘や詐欺のつもりなら設定ぐらい固めるもんだから

黄さんは話芸でメシ食ってる感覚だと思う。



(1)従軍慰安婦戦後補償 / 著者:高木健一

(2)国連経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日

(3)"TBS"「ここが変だよ日本人

(4)「日韓社会科教育交流韓国訪問/1997夏期

(5)旧日本軍従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日

(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて

2011-12-06

[]2011年12月5日(月)

駅のホームを走る。

うわぁあああああああと言うと皆が驚くので面白い

うわああああああああああ。二度目はさほど面白くなかった。

中曽根中曽根っ!ほっほっほっほーーーっ

とスッキプしながら叫ぶとみながほほえんでくれた。

2011-03-31

東京電力 不祥事歴史

1978年11月2日

 福島第一原発3号機で、制御棒の脱落により日本初の臨界事故が発生。

 2007年3月まで隠し続ける。

1989年1月1日

 福島第二原発3号機で、原子炉再循環ポンプ内が破損し炉心内に多量の金属粉が流入。

1990年9月9日

 福島第一原発3号機で、主蒸気隔離弁を留めるピンが壊れ、原子炉内圧力が上昇して自動停止。

1992年2月28日

 柏崎刈羽原発1号機で、タービンバイパス弁の異常により原子炉自動停止。

 しかし、この事故を隠蔽して行政当局に報告せず。

1992年9月29日

 福島第1原発2号機で、原子炉への給水が止まりECCS(非常用炉心冷却装置)が作動する事故が発生。

1997年12月5日

 福島第二原発1号機で、制御棒1本の動作不良が見つかり原子炉が手動停止された。(国際評価尺度レベル1)

2002年8月29日

 原子力安全保安院が、 福島第一・第二原発柏崎刈羽原発80年代後半から90年代前半にかけ計29件の事故東電改ざんしていた可能性があると発表。

2004年1月14日

 地元原発3団体が、柏崎刈羽原発管理区域内の放射性廃棄物が外に持ち出されたため近くの土壌から人工放射性物質コバルト60を検出したと発表。

2005年6月1日

 福島第一原発6号機で、可燃性ガス濃度制御系流量計の入力基準改ざんがあった事実を認める。

2007年1月31日

 柏崎刈羽原発1号機で、ECCSの故障偽装など定期検査時の不正が常態化していた事実を認める。

2007年4月6日

 福島第二原発4号機で、制御棒駆動装置不正交換を偽装した事実を認める。

2007年7月16日

 新潟県中越地震により、柏崎刈羽原発3号機の変圧器火災。6号機からは、使用済み核燃料プールから放射性物質を含む水が海水流出

 同機原子炉建屋天井の大型クレーン移動用車軸2本が破断。10月21日には、7号機の原子炉建屋のコンクリートから放射能を帯びた水が流出していた事実判明した

2008年1月14日

 福島第二原発3・4号機廃棄物処理建屋の、海水ポンプの配管や電動機などが破損。

(「週刊金曜日 840号 2011年3月25日発売」 より)

2009-12-19

鳩山内閣支持率が落ちないとか言ってる奴って嘘つきなの?情弱なの?

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_cabinet-support-cgraph

時事通信社が11~14日に実施した12月の世論調査によると、鳩山内閣支持率は2カ月連続で低下し、前月比7.6ポイント減の46.8%と、9月の内閣発足以来初めて5割を割り込んだ。

http://www.j-cast.com/2009/12/07055597.html

マスコミ各社がこの週末に行った世論調査で、鳩山内閣支持率が続落している。読売新聞社2009年12月4日から6日にかけて行った電話調査では、内閣支持率11月調査から4ポイント減の59%で、TBS系のJNN(ジャパンニュースネットワーク)が12月5日から6日にかけて行った調査では、同じく11月調査から 6.7ポイント減の64.1%だった。

http://www.j-cast.com/2009/12/14056114.html

2009年12月13日放送された報道番組新報道2001」(フジテレビ系)で、世論調査結果が発表された。調査は10日に、首都圏の男女500人を対象に電話で実施。それによると、鳩山内閣支持率は56.4%。前回の3日に行った調査から約4ポイント下落した。

2009-12-05

児童ポルノ「所持も禁止を」

国際エクパット」事務局長のマドリナンさん

 児童ポルノなど子ども性的虐待の問題に取り組むNGO国際エクパット(ECPAT)」の事務局長、カルメン・マドリナンさん=写真=がこのほど来日し、東京セミナーを行った。

 インターネットの普及やグローバル化で問題は深刻化しており、子どもを守る法の強化が必要と指摘した。

 国際エクパット(本部・バンコク)は世界各地に拠点を持つ国際ネットワークで、児童買春などに反対する活動をいち早く始めた。児童保護教育プログラム専門家でもあるマドリナンさんは、警察庁セミナーに続き、11月26日に国会内で開かれた与野党議員との会合に参加。児童ポルノの深刻な状況を報告した。

 それによると、子ども性的虐待の場面を写した児童ポルノ画像ネット上で増えており、〈1〉毎日約200の新しい画像が流布している〈2〉国際刑事警察機構が集めたネット上の画像で被害児童数は1万~10万人、その8割が6~12歳と推定される〈3〉より暴力的でより幼い子の画像が増える傾向がある――という。

 また、英米加豪などの捜査機関情報を分析した結果、ポルノ所持で逮捕された者の40%が子どもへの犯行を実行、15%が計画したことが明らかになったという。

 「見る行為と犯罪の関連性がわかってきた。麻薬や銃と同様に、反社会的な使い方をされる危険性がある物は所持から禁止する必要がある。製造や流布の禁止だけでは十分ではない」とマドリナンさんは言う。

 「表現の自由」の侵害が懸念されている点では、「多くの国で議論になったが、児童ポルノは重大な犯罪であり、まず子どもを守るのだと合意したうえで、各国とも両者のバランスをとる努力をしている」と紹介。「アニメゲームなどの性的表現も『子ども性的満足の道具にしている』という観点から、多くの国が処罰化を進めている」とし、日本での議論を促した。

 セミナーに出席した国会議員からは「日本でも所持を禁止する法改正を急ぎたい」(民主党小宮山洋子衆院議員)との発言があった。

2009年12月5日 読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20091205-OYT8T00253.htm?from=yolsp

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