はてなキーワード: 高度成長期とは
http://cybozushiki.cybozu.co.jp/?p=8964
ここで語られているのは男性の働き方(=生き方)の多様化と、コメント欄ではその称賛だ。
自分も基本的には賛成で、多様な生き方があるべきだと思うし許容されるべきだとは思う。それは世界のトレンドだ。
しかし、その一方で、あるコミュニティ(会社でも、国でもいい)の内部構成員が画一的である(多様ではない)というのは、ある側面強みである。瞬発力も大きいしベクトル加算したときの出力もあるし、意思決定も早い。この部分に対していろいろ異議はあるだろうが、少なくともそれで成功してきたコミュニティは数多い。高度成長期の日本もそうだし、日本の企業だってそういう社員教育をしているところが過半数で、その協力や税金でこの国は成り立っている。
日本人である僕は、「画一的であること、多様さを抑圧した社会であること」の恩恵を受けている自覚がある。
貧困国で生まれず日本で生まれただけでその恩恵は計り知れないとも思う。
コメント欄の彼らはその点をどう考えているんだろうか? つまり、彼らは恩恵と引き換えに多様化を要求している自覚があるんだろうか?
彼らの勤務する会社は本当に男性の育児休暇や、ワークシェアリングを受け入れられるんだろうか? それを受け入れて現在の業績を、ひいては個人の給与を維持できるんだろうか? あるいは、そんなことは経営者の考えることであって、自分たちは現在の手取りと休暇倍増を要求すればそれで済むという考えなんだろうか?
疑問に思うのは、ぼくたちの社会は多様性や個人の自由をどこまで受け入れることができるか? という点だ。
明らかに無制限受け入れは無理だ。そこで、どこかにラインをひいてルールや常識にする。
話を簡単にするためにたとえば50という数値をあげる。多様性や個人の自由は各人50まで受け入れられるべきですよ。それをルールで保証しますよ、と。この50という数字は説明のための過程なので特に意味はない。
このルール下において、コミュニティ全員は50まで要求できる。例えば育児休暇とか。でもほんとうに50を受け入れられるのか? と言えば無理だ。全員が育児休暇(=50要求)を同時にしたらその企業はおそらく機能不全になる。個人は50まで要求できるが、コミュニティの限界許容量は300である(つまり、6人まで同時に育児休暇してよい)みたいなモデルになっているはずだし、そういうモデルしか作れないと思う。
これは、ぼくたち一般的な社会人が、自分の銀行預金は自由に引き出せる権利を持っているにもかかわらず、預金者全員が一斉に預金全額を引き下ろすと銀行が倒産してインフラが壊滅するのに似ている。ぼくらが額面上もっている自由はその程度の保障しかない。
そういうモデルって、結局は、要求者が非要求者にフリーライドしているだけの話なんじゃないのか? 要求できる出来ないが個人の政治力に依存してるだけじゃないのか? という疑いがぬぐえない。そのコミュニティには明示されない奴隷階級がいて、その奴隷階級が働くおかげで、上位者が多様化とか自由と言っていられる構造だ。社会というのはそういうものでしかないんじゃないのかとおもうのだ。
ブラック会社についてもそう思う。
僕もブラックは嫌だ。やめた経験もある。サービス残業してるやつはマゾだと思う。夜中に電話が鳴って急に呼び出される仕事は二度とやりたくない。
法定にしたがって労務を管理すべきだし、給与は必要十分に支払われるべきだと思う。それを要求するのは労働者の権利だ。
が、しかし、労働者全員がその点を100%クリアにして真っ白な社会を作り上げたとき、今の日本社会や経済が維持できるような気もしてない。
安価な外食産業は軒並み倒産するか値上げになるだろうし、そうするとぼく個人の生活も厳しくなるだろう。
僕は現在ブラック労働ではないしそこそこお金を得ているが、それはつまるところ、社会のどこかにいるブラック企業の奴隷階級に奴隷労働をさせたうえで、僕の生活は便利さや豊かさを維持できているのだ。自覚と罪悪感はあるが、同時にてばなしたくもない。
さらに言えば、国内のブラック労働者でさえそれは同じだ。国内のブラック労働者は国外のブラック労働者から搾取して日本という豊かな国の便利な生活ができている。
多様化とか個人の自由とか公平とか正義とか、賛成だ。みんなが得られるべきだと思う。
でも、そのケーキを全員で等分したら僕の取り分はきっと今よりずっと少なくなる。百分の一以下になる。僕だけじゃなくほぼ全員の取り分が消え果る。
この問題でなにかいい考えが浮かんだことは一度もない。
すでにいくつかつっこみ入ってるけど、それほんとに普通かどうか確認した?
例えばこういうデータがあるhttp://www.tsr-net.co.jp/news/status/transition/
高度経済成長期でも結構倒産してるでしょ。バブルのころの倒産件数すごいでしょ?なんでこんなことになるかっていうと、たくさんの人が商売はじめたからなんだよね。たくさんの人がはじめて、たくさんの人が失敗する。
個人商店なんて昔からすぐつぶれるか、初代ががんばって2代目がつぶす(もしくは整理する)みたいなパターンばかりなんだよ(平均存続年数30年くらい)。
のんびりやってるように見えて土地担保に銀行から結構金借りてて返せなくなったら店畳めばいい程度にやってたり。
昔と今の大きな違いは店つぶしても再チャレンジしやすかったこと。
例えば私の身近にはあの高度成長期に3度店を潰した家族がいる。4度目の商売でやっとうまくいったんだけど今つぶれてまた再起できるかって言うと大変難しそう。
温故知新。
今のような「競合するハウスメーカー同士が、数社~十数社集まってモデルハウスを建設し、検討客にワンストップの利便性を与える」という仕組みは、
高度成長期に大阪朝日放送(ABC)が積水ハウスなどと組んでスタートさせたビジネスモデル。
それまではモデルハウスなんてものがなく、住宅の割賦販売の仕組みを作っていた御三家(殖産住宅相互、太平住宅、日本電建)が注文住宅業界のリーダーだったが、
大阪発の「住宅展示場」というスキームがあまりにも斬新だったため、一気にこの方式が全国を席巻し、と同時に積水ハウスは全国メーカー・トップメーカーになった。
住宅展示場というビジネスモデルの立ち上げに、当初からテレビ局が関与したため、「イベントにテレビのヒーローを呼んでくる」という風習が成立したんじゃないか、と思っている。
今MTVを見てたんだけど、
どれもこれも商業主義の売れ線狙いの軽いインスタント物ばかりで聴くに耐えない曲ばかり。
この程度の曲だと、ちょっといいなっと思ったとしても一回聞けば十分だから馬鹿馬鹿しくてCDだろうがituneだろうが買う気になれない。
規制が昔より厳しくなりすぎて心に響く曲を作れなくなってる面もあるだろうが、
伝えたいことや表現したいことを優先して曲を作ればいいだけ。
マス広告や商業主義に乗っからなくても広めることは容易にできる。
しかしそれを誰もやらない。
売れ無かろうが貧乏だろうが自分が納得行く優れた曲を作れればいいという、
夢があって逞しくて憧れる精神世界が浸透していたが、
今や音楽業界はいかに客をだまくらかしてCDを枚数買わせるかが夢になってしまっている。
音楽だけに限らず、昔は漫画や小説やそういう文化的創作物の世界はみんなそうだった。
貧乏や苦労が平気だった。
夢や創作意欲のほうがそれに優っていた。
高度成長期でいつかはなんとかなるだろうという今とは逆の上り坂社会だったから気分的に平気だったのかもしれないが。
夢とか理想とか言ってる余裕はなくて兎に角金だってなっちゃうのかな。
こういう時代だからこそ、俺達の時代にあったような心に響く歌が聞きたいのに。
松山千春、中島みゆき、オフコース、YMO、さだまさし、チューリップ、甲斐バンド、吉田拓郎、井上陽水、ハッピーエンド、山下達郎、
他にもまだまだ。
こういう暗い時代だからこそ聞こえてくるであろうタイプの歌がさっぱり聞こえてこないのは何故なんだろう?
そうじゃなくて、
今を歌って聴かせてくれよ。
今の人が聴かせてくれよ。
http://anond.hatelabo.jp/20131216185706
★個人経営商店主が鬼籍に入ったあとに後継するプレーヤーがいない業界が一番問題。
日本の中小企業メーカーの大半は、経営者が鬼籍に入ったら廃業に追い込まれる。日本のモノ作りの基礎体力が低下する(モノ作りインフラの崩壊)
いわゆる「棟梁」「工務店」の後継者が不足している。このままでは「家を作りたくても、建てる人がいない」ということになりかねない
ウチの息子は外に討って出てどーんと一発当ててこい!よしきた、とーちゃん!って空気
その後オイルショックやバブルがあって、ジャパニーズゴールドラッシュを夢見る人は減ったけど
それでも、ジリ貧の家業を継ぐより大企業に就職したほうが良いって空気
生き残るには大企業就職という蜘蛛の糸を掴むしかない!というもっと切実な感じになってきた
でも、自分の周りみてみると、進学校行って、いい大学入って、そのまま一流企業残ってるって
いるにはいるけど、かなり少ない、大学院、アカポスで不安定なやつ
一方、高卒や地元のそれなりの大学出て家業継いだやつのが安定してる率が高く見える
サンプル少ないのは重々承知だが、いまどき家業を継ぐという選択は
職種によってはそんなに悪くない
単に後継車不在で売りに出てる町工場とかがぽつぽつあるらしい
★「Amazonのせいで街の零細本屋が潰れた」という「分かりやすい説明」が受けるが、
街の零細本屋はAmazonが伸びなくても早晩廃業してた筈。個人経営主が高齢化して後継者いないから
/“なぜ、Amazonで本を買わないの?” http://htn.to/xz9JM5
★@sutannex 多分本屋業界に限らず日本の個人小売業共通。
子供が継がなければそのまま廃業。早晩廃業する予定だから、売上アップにシャカリキにならない。
Amazonの普及は個人商店、個人経営商店の廃業を体よく後押ししただけ
★高度成長期に成立した社会システムは、次世代が継がない限り、団塊世代の鬼籍入りと共にフェードアウトする。
個人経営商店、個人経営工場、個人経営工務店という存在も、あと10年もしたら後継者難で激減する
★「日本人の書籍離れ、Amazonの普及が街の本屋を壊滅させた」という論調は皮相的。
Amazonが普及しなくても、経営者が高齢化して後継者がいない街の本屋の減少トレンドは変わらなかっただろう。
★むしろ、個人経営商店インフラの後継者として「Amazonという書籍流通インフラ」が出現した書籍業界は「恵まれた方」だ
★個人経営商店主が鬼籍に入ったあとに後継するプレーヤーがいない業界が一番問題。
日本の中小企業メーカーの大半は、経営者が鬼籍に入ったら廃業に追い込まれる。日本のモノ作りの基礎体力が低下する(モノ作りインフラの崩壊)
いわゆる「棟梁」「工務店」の後継者が不足している。このままでは「家を作りたくても、建てる人がいない」ということになりかねない
零細本屋廃業理由は、「本が売れないから」というより、「後継者問題をクリアできない個人商店の限界」だと思う
/ “なぜ、Amazonで本を買わないの? - 琥珀色の戯言” http://htn.to/xSRrTp
★たとえば、個人経営が多い「そば・うどん屋」って、ものすごい勢いで廃業してる。
しかしその理由を「日本人のそば・うどん離れ」とか「丸亀製麺のせい」と分析するのはトンチンカン。
「零細本屋が潰れるのはAmazonのせい」と言うのは、それと同じくらいトンチンカン
★まあ丸亀製麺が伸びたのは、個人経営のそば・うどん屋が激減してると言う供給プレーヤーの変化を巧く捉えた、と言う面もある
★駅前不動産屋とか、そろそろ創業者が70代でリタイア時期。多分、大手仲介会社が伸びるんだろうな
★いわゆる「街の電器屋さん」も、そろそろ代がわりの時期。ヤマダ電機が伸びなくても、早晩廃業する運命にあった
★今の団塊世代までは、実家の大半は農家だった訳。農家は一種の個人事業主で、組織人じゃない。
「個人事業主ネイティブ」な団塊世代は、高度成長期に結構個人商店を開業した
★しかし団塊ジュニア世代になると、企業勤めがポピュラーになり「組織ネイティブ」になってくる。
そうなると成人しても創業あまりしないし、のみならず個人商店の息子も跡を継がずに組織に入ったりする
★後継者不足問題が一番深刻なのは間違いなく農業。日本の農業はTPPなんかには関係なく、後継者難で失速する
http://anond.hatelabo.jp/20131127205029
基本的にそうするには日本の雇用制度撤廃して簡単に解雇出来る様にすることだけど。
簡単に解雇できれば流動性が出来て簡単に再就職できるようになって。
ただ、そうすると、ヘタすると経営側の力が強くなりすぎるし今以上に格差は大きくなる。欧米みてれば分かるように。
そこを補って下層を厚く保護しようと思ったら北欧みたいに税金をたんまりとって社会福祉を充実させる。
だが、行き過ぎると社会主義みたいになる。
だけど、社会主義って一回失敗してるけど、今、もう、社会主義的な物ももう一回やってもいいんじゃない?
古い、国家総貧乏的な社会主義じゃなくて、それこそ、「想像上の未来」みたいな、
誰もが適当な仕事をしたりしなかったりの中でそれなりの生活できる世界。
個人が本読んだりして学ぶよりも圧倒的に機械だよりで引き出した方が速い。
まだ、「知恵」的な部分では圧倒的に人間が優れてる場合があるけど、それでも、「人間」が考えなきゃならない場面ってのは徐々に減って来てる。
たまたま運良く道が開けた人が上にのし上がって他を蹴落とすけど、そこには同じようなレベルの物がゴマンとあって、その中でたまたま小さなきっかけの連続で多きくなったに過ぎない。
そこで、他の蹴落とされた人達はやる気を無くし、生産性を失う。
それならばのし上がっていって他を蹴落としてしまうシステムよりは、皆が皆、同じように働いたほうが生産性が上がるかもしれない。
ある意味で、日本の高度成長期と言うのは、一億総中流と言った、誰もが同じようなレベルで働けたから生産性が上がったのではないか?ある意味社会主義的な物があったのでは?
勿論、民主主義的な競争があったのは事実だが、その中で、もっと成功者だけが巨大な富を得るような経済システムだったらこれほど成功してなかったのでは?
勿論、インセンティブが無くなるとそれはそれで生産性が減るので難しい。高度成長期には、その「中流」の人達も毎年のように生活レベルが上がっていったわけで、
周りと同じであろうと充分なゲインがあると思えてた。
それを考えると、現在の一番の問題はある程度物質的な成長に限界が来ていて、現実的な生活レベルの向上、が全体として得られる事が無いのでやはり難しいか。
ここ10年くらいは物質的な生活レベル向上なんてほとんど無く、成長したのはネット社会のみ。
ネット社会はものすごい勢いで成長したが、やはりそこでは生活の豊かさを実感出来る事は少なく、そこで便利になったとしても生活が豊かになった、と感じる人は少ない。
だが、今、以前生活レベル向上のために動いていた金もネット社会へ流れてるので、実感できる生活レベルの向上が実際鈍化してるのも確かだろう。
高度成長期からバブル期まで、むしろ正規労働者が足りない様な状態だったから、
経営者側(士)としてはそれを採用し、「安定」という要素をほぼただで付けてあげることで正規労働者(農工商)を上手く治める事に成功した。
だがここでは、さらに下の非正規(えた、ひにん)については無視されている。
そのような者達は元々弱者な上、絶対数も少ないので何を言われても何も問題なかった。
そして現在、非正規が多くなり、さらにはインターネットと言う道具により弱者の声が直接世界に広まるようになった。
これによって、これまで無視していた人々の声がでかくなり、無視できなくなって来ている。
だが一方、正規の人間を無視することも出来ない。彼らもまた、その下へは絶対に落ちたくない、と今こそ強く願っている。
それら下が居ることで、悪条件の中働いていても、正規だ、という事でプライドを持ち、気分を保ち、上に氾濫する事を避けている。
さて、この状態を一体誰がどう解決するのだろう?
「意識高い」というより、単なるブラック経営者じゃねえか。増田は、労務規定守る理由を、「法律違反になるから」以外に理解してないから、何も言い返せなかっただけじゃねえか。
サービス残業は労働力のダンピングであり、それを許すと市場が破壊されるから厳に取り締まられるわけで、「弱いからダンピングしてよい」とはならない。行うのが弱者であろうが強者であろうが、ダンピングはダンピングだ。増田は、その根底を理解せず自分の「論」をもってないから言い返せなかっただけで、ベトナム人のしたことは全く「論破」じゃない。
まあ、不正競争をして先行グループに入った人間が、その後、後続グループの人間に対し「やっぱ不正はダメだわ。お前らルール守れよな」というのが全く説得力をもたないのには同意する。南北問題、エネルギー・環境問題、なんにせよそういう側面はあるよな。先行グループが勝手にルール作ってんじゃねえか、というのが後続グループの言い分だし、それも非常に正しい。ただ、その不公正を正すのは別な面や方法であるべきで、何もできあがりかけている市場を再度壊すような形で行われるべきではない。それは、弱者の側も含めて、誰も幸せにしない。
見習うなら、もっと生産性高いやり方の部分や、せめて、ほとんどブラックながら高度成長期の日本を支えた「年功序列・家族的一体化」みたいな部分を学ぶように伝えてやってほしいな。中長期的な意味では、そっちの方が明らかに彼ら自身にとっても役に立つはずなんだからさ。
べつにその論調とかが好きなわけじゃないけど、過去のしがらみなどイロイロあって
朝日新聞を購読してたりするんだけど、そこに週一回コラムを書いてる天野祐吉という人が
ことあるごとに、正確には数えてないけどたぶん3回に1回くらいは、
「経済成長などもう要らない」
「今の経済成長は、成長のための成長でしかなく、我々庶民の幸せに結びつかない」
「1960年代などと違って、今どき経済成長するのは無理。成長から成熟へ」
みたいなことをしつこく言い募ってくるんですよ。
自分はかつての高度成長期の恩恵を存分に享受して、幸せいっぱいの老後を迎えて余裕ブッこいて
いながら、いまの若者や子供たちには成長するなとは、なんと手前勝手でわがまま放題ないいぐさか!
成長しない(具体的には名目GDPが20年前から増えていない)ということは、世間全体で回ってる
その中で自分の手取りを増やそうとするなら、だれか別の人を蹴落とすなり足引っぱるなりして
奪い取るしかないでしょう。
そんなことだから、98年くらいからこっち、ずっと自殺者が年間3万人を超えていて、中でも
経済的な理由による自殺者が顕著に増えてるそうじゃないですか。
昔ほどの高度成長はムリだとしても、年に3〜4%ずつでも名目GDPが増えてれば、自殺した人たちの
何割かは、死なないで済んだかもしれない。個々人でバラツキはあるにせよ、全体として去年より今年、
今年より来年のほうが、手取り収入が増えてくるという社会なら、生きていく希望が持てる。
地震や台風などの災害で倒壊した建物とかに生存者がいたら、とりあえず何をおいても救助するでしょ。
コストがどうだとか、我々多くの庶民の幸せには影響ないだとか言って、救助活動やめましょとか
あり得ない。「生命は他の何よりも重い!」っていつも言うでしょ。
天野が言ってるのは、つまり、20年も続くデフレという「経済災害」の被災者を見殺しにしろってこと。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1
大学ではないが、受験で入った国立付属中学で文化的差異に驚愕した覚えがある。
それまでにピアノが引ける人の数がクラスに2人だったのが、いきなりほぼ全員になった。
ただ、付属内でもサラリーマン階級と資産家階級の文化差があって、
中学まで低学歴社会から抜けたため、個人的な怨恨はない。まぁそんなもんかなという印象。
彼らは彼らで楽しくやっているのだろうし、うちらも楽しくやれれば歓迎。
じゃあ何が問題なの?と問うてみる。
前提条件として、階級移動が少なくなった事情は抑えておくべき。
高度成長期までは社会階層時代の変動があったため、(一次産業比:戦後40%→20年後10%)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html
誰もが親よりも良い職業につくことができていたし、パイの成長自体もあって、
低所得層からの知的階層への参入がよりあった。おそらく今の50代くらいまで。
今ではそのどちらもがなくなったため、階級の固定化が進んでいる。
階級ごとに地域で分化し、違う階層との交わりを断つ方向へ流れている。
個人的にも、エントリを読んだら娘を公立に行かせるなんて出来ない。
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
階級化は進んでいるし、相互の交わりを持たない人も増えていることが想像される。
アメリカでは低所得層からの優秀な人材を登用できないこと自体が問題設定されている。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2013/04/education_and_socioeconomics.html
大した評価軸を持たない日本ではどのような問題を設定するのか?
学者サイドでは、きちんと貧困問題と、再配分の問題として、定義し直すことができているが、
世論では格差が問題と言いつつ、格差への怨恨を憂さ晴らしして、終わることが、心配でならない。
馬鹿な若者に対して、強制的に教育せねばと徴兵制をねがい、http://togetter.com/li/545096
日本が勝ったと満足して、自尊心を満たすような、オナニープレイは見たくない。
そのために何をすべきかが、設定すべき問題なのかもしれない。
昔、住んでいた桜上水団地が建替えでもめたので、聞いた範囲でトラブルに関して書いてみる。
場所は新宿から電車で15分程度の京王線沿線。高度成長期に立てられた大規模な団地で自然も多く桜の名所だったために人気があった。
ここに建替の話が持ち上がったのは約10年前。
ここら辺に関してはわりとよくある話で、デベロッパーと商売っ気のある一部団地の住人がつるんで高層マンション化を進めようとし、現住人は「ほとんどお金を使わずに新築が手に入る」「売り渡しに応じれば大金になる」という飴、反対する人間に対しては村八分他様々な嫌がらせという鞭の双方を使ってからめとっていった。
時間は掛かったがここ数年でほとんど団地の住人は退去し、反対派の数少ない人間が残る、ゴーストタウンならぬゴースト団地になっていた。
僕も行ってみたけれど、桜の名所で有名な場所だったのに団地内の移動を制限するための嫌がらせのような高いフェンスとかができていて昔住んでいた身としては切なかった。
まあなんだかんだで裁判も和解に終わり、建替が始まり桜上水ガーデンズになるらしい。
さてここからが本題なのだが、建替反対派の人たちが雇った左で人権派な弁護士さん達が非常にトンデモだったというお話。
とりあえず登場人物をご紹介。
・建替反対派の方々
トンデモ弁護士さんを雇った方々。基本的に無知で裁判や弁護士との契約について最低限すら調べようともしなかったのであっさり騙される。
同情すべきなのかも知れないが正直脇の甘さには「ば~~~~~~っかじゃねぇの!?」のAAでも貼りたくなる。
・建替推進派の方々
コアの一部の人たちがデベロッパーとつるんでいて後の人達は消極的に協力している。
お金大好きな気持ちはわかるけどもう少しスマートなやり方でやった方がコストもかからず効率いんじゃね?と思う。
最初に相談にいった保坂展人世田谷区長から紹介された木下泰之区議に紹介され、依頼。
公害など環境系の住民訴訟を多く手がけてきた有名弁護士。近年ではこことは別に小田急線高架化に反対する訴訟なんかもやってる。
というかカルチャー的に日本一有名な再開発反対運動、まあつまりは下北沢再開発反対運動にも関わっている。
最近では群馬の高崎市の県立公園「群馬の森」朝鮮人追悼碑訴訟なんかも。
斉藤弁護士が引き入れた弁護士1、日本一有名な空港に関わる運動、三里塚闘争なんかに関わっていたりする。
斉藤弁護士が引き入れた弁護士2、日本一有名なカルト宗教、つまりオウム真理教、およびアレフ関連の弁護をやったりしている。
とまあ弁護士さんは日本一の三連コンボだが、この三人は業界の人々であればまず知っているであろう「左」で「人権派」な弁護士。
あと二人いるけどそれはほぼ報酬吊り上げの為の名義貸し状態だったようなので割愛。
ちなみに三人とも同じ弁護士会(そういえばここのお偉いさんが横領で捕まったばっかだ・・・)。
で、彼らがなにをやったかというとわかりやすく言うなら追い出し屋のようなもん。
建替裁判という下手したら何年かかるかわからない案件を強引に和解に持って行き、莫大な報酬を請求するというお仕事。
状況を見た限りではほぼ100%相手方である立替推進派とデベロッパーと通じていたように思える。
通常弁護士との契約時には日弁連や弁護士会の規則で委任契約書(代理してやる仕事の範囲、報酬などについて明記した弁護士版の契約書)の作成が義務付けられているのだが、それを無視、というかそういう存在があることをクライアントに説明もしない。
最低限の文書だけ書いてあとは「裁判になれば確実に勝てる」と言い続け、なにもせずに時間を無駄遣いした。
団地内に嫌がらせで通行ができないようにフェンスなどがつくられた時も妨害排除請求などは一切せず、生活が著しく不便になるのに任せた。
で、判決が近づくにつれ前言を翻し「この裁判は絶対に勝てない」「和解に持っていくのがせいぜい」などを建替え反対派の人たちの前で洗脳するかのように繰り返し言う。
裁判ではろくに弁護もせず、クライアントの許可がないまま唐突に「代理人案」などというのを出し、敗訴同様の和解にもっていった。
終了後、弁護士から送られてきたメールに記された請求額にクライアントである建替反対派の人々はぶっ飛ぶ。
敗訴同様であったにも関わらず莫大な報酬が請求されていた。
もともと弁護士の報酬には着手金、経費、成功報酬の三つがある。
そもそも報酬に関しては本来であれば、最初の契約時にある程度決めておくので、裁判終了後に報酬額に驚くといった事態は原則起こりえない。
なのにまず裁判開始直後に用途も説明されず、酒の席で何回か(当然契約書とかない)請求されたらしい。
経費に関しては「実際に計算するとものすごい金額になるから」という超理論で内訳を明かさず。
そしてとどめに莫大な成功報酬の請求。
恐ろしい事にこれらの大金について弁護士達は一切正式な受領証や領収書を書かなかったそうな(まあ税金対策ですよねわかります)。
クライアントの半分はそれでも払ったようだが、さらに半分程の人はさすがにここにいたっておかしいと感じ、ようやく弁護士との契約を法テラスやらで聞いたりして、自分たちがハメられたことに気付き、弁護士に「そんな莫大な報酬は払えない」と抗議をした。
基本、クライアントが弁護士ともめたときにはまず所属の弁護士会に対し紛議調停を申し立てて、それでまとまらなければ懲戒を請求するという形になる。
で、紛議調停は申し立てたが、最終的に老人が多く体力も気力もないクライアント側が結果が出るまで2年程かかる懲戒請求を諦め、減額した報酬で泣く泣く手打ちをして終了。
なんというか説明しているだけで疲れるgdgdな案件だし、書いてる文もgdgdで読んでる人も疲れたろうけど、これを友人である建替え反対派の人の家族から酒の席で聞かされた俺はもっと脱力したのでそれに免じて許していただきたい。
さてこの案件、いったい結局誰が悪いのでしょうか?
建替反対派であるクライアントのみなさんの無知っぷりには呆れるが、老人相手に「弁護士との契約くらい最低限ggrks。」などというのはさすがに無理。
建替推進しようとしたみなさん、正直強引なやり口には閉口するが、金になるのは最初にデベロッパーとつるんだ本当に一部のみで後の住人はなんとなく金になりそうとか、村八分は嫌とか消極的な理由で協力していたし、そもそも裁判なんて面倒なことに関わりたくない気持ちもよく理解できる。
で、弁護士のみなさん。彼らのやった事はトンデモで明らかに悪いし、場合によっては犯罪になりかねない事なんだろうけど、もし多少なりとも法律に詳しくてとことんやりあう人間がクライアント側に一人でもいれば、あっさりつぶされ、懲戒請求食らって最悪廃業しなければいけない事を考えれば、悪事としては明らかにリスクとリターンがつりあっていない。
現にくわしい話を当事者の家族から聞いた元住人の俺が増田に流すくらいだし。
この三人の弁護士さんは左で人権派な世界ではそれなりに有名でも(それ故でもあるが)それ以外にあまりつぶしの利く人達ではなく、弁護士が佃煮にするくらい余ってる現在の法曹界で今後どんどん仕事がなくなっていく事は確か。
さりとて過去の栄光を忘れられず、一等地の事務所を引き払うこともできず、どんどんジリ貧になっていく。
法曹改革なんて馬鹿な事がなければ老人をだまして金を奪う小悪党になる自分を知ることもなく、ぬるま湯の中で正義の味方である自分を信じて生きていけたのだろうと思うと当事者でもなく、自分が騙されたわけでもないのでこっちもあまり一方的に責める気分にはなれない。
「彼らもまた時代が生んだ被害者なのです。」とか適当なまとめ方をしてお茶を濁すことにする。
まあこのgdgdな文章で言いたかったことはこれから高度成長期に建てられた団地やそれ以外の場所でも再開発をめぐる裁判は増えていくだろうし、付随して弁護士とクライアントのトラブルも増えていくだろうということです。
たぶん増田を読むような人の世代だと本人、あるいは両親が団地暮らしなんかの方も多いだろうしこれから否応なしに巻き込まれることも増えていくと思います。
とりあえずできる対策なんかを書くとすると
十分な売り渡し費用がもらえるようならさっさと逃走というのが最善手かもしれません。
場所によっては何百人もの人間と大金が絡むので立替反対であろうと賛成であろうと関係なく猜疑心うずまく人間関係で数年間すごすことになり、気力や体力も削られかねません。
ご両親の場合はノリで裁判に関わらないように説得し、関わる際には報告してもらえるようにしておくのが良いかと思います。
・新築が安い値段で手に入るならむしろ建替え推進したいぜという場合
この案件だと、そこまで長期間ではない上に、デベロッパーから引越しと建替え終了までの一時金が出たようですが、このように進まず、反対派がクレバーかつタフに立ち回った場合いつ終わるかわからない仮住まいのままで、一時金が出ても使い果たしてしまい、お金がどんどんなくなっていくという事態になりかねないのでなるべく慎重に判断しましょう。
とりあえず弁護士が「ちゃんと委任契約書を書き、代理権の範囲、報酬について明示しているか」くらいは調べておき、最終的な目標は何かについて見解をしっかり統一しておき、それを書面などの記録に残しておくとある程度まではトラブルの回避ができると思います。
場合によってはその弁護士が関わった建替裁判なんかがあれば、そこの人たちにコンタクトをとりトラブルはなかったかなどの確認を取っておいたり。
で、契約書がない場合は弁護士さんを「弁護士会の規則で作るのが決まっていると聞いた」とかつついてみると良いかもしれません。
疑わしいと思ったら話し合いの際にはレコーダーで録音を。
ご両親が当事者の場合、彼らは建替え問題にコミットしてくれる弁護士さんはテレビでみた中坊公平やら宇都宮健治みたいな人だと思っているので「契約について聞くなんて疑うようで失礼」とか思っていますし、裁判の最低限の知識をggったり本買って調べたりとかはまずしないので余計注意しておきましょう。
法テラスの無料相談やら弁護士会なんかがやってる一時間5千円くらいの相談なんかに行って今後の対応策なんかを聞くとよいと思います。
お金を支払ってしまうと追認になって、契約を認めた事になりかねなくなるので慎重になったほうがいいかと。
さて十年後くらいに宮部みゆきがここらへんのドロドロを小説のテーマにしたら面白いかもなあと思いつつそろそろ筆をおく事にする。
とりあえず一番の被害者は飲みすぎた友人に一張羅にマーライオンされた俺である事に違いはない。
追記
文章読みにくかったところ(やたらと「まあ」とかが多い・・・)をいくつか修正して、トラブった場合のところに付け足しました。
追記2
ブコメで弁護士が「人権派」な事と本筋とは関係ない、というご意見を頂き、説明が不十分だったと感じたのでさらに追記をさせて頂きます。
ご指摘してくださった方、ありがとうございます。
元々この手の建替えの訴訟は企業を相手取り、時間もかかる上に、報酬もたいしたものではなく、商売っ気のある弁護士にとってはあまりうまみのあるものではなく、いわゆる商売度外視でやる人権派な方々が担当している例がほとんどなようです。
彼らの活躍によって救われた弱者の方々もいるし、昔住んでいた人間として老人が多いのも知っている身としてはここもそういう風になってくれれば良かったと思います。
ただ現状、法曹改革による弁護士の増加、左派に対する逆風などにより、弁護士業界の現状は非常に厳しいものとなっているようで、いままで採算度外視で自分の考える社会正義の実現を専心できた方々にも影響は及んでいるようです。
そしてそれにより弁護士との契約に関し、過去の実績がある人でも無条件に信用せず、契約について調べ、慎重にならなければならないというのと、こういう悪事を働くとこのネットの時代ではどこかしらにリークされるのでやめましょうねというのがこの文の執筆の意図です。
こういった状況で正義の味方(それが他の人間からどう写るかはさておき)で居続けられなかったこの弁護士達への揶揄といくらかの同情をこめて「人権派」という表現を使いました。
ちなみに伏字に関しては東京には似た案件がこれからいくつもできるだろうし、それに対して彼らがこのような事を繰り返さないための牽制とでも思っていただければ。
追記3
http://anond.hatelabo.jp/20140301103226
ちなみに伏字にしといて今更あれですがトラックバックにあがっている斎藤驍、清井礼司、内藤隆で正解です。
追記4
色々あったので弁護士さん及び固有名詞の伏せ字はやめました。保坂展人世田谷区長の関わりをなんで書かなかったのか?と言われればまあ大人の事情が色々…とかお茶を濁して起きます。
たぶん、今度の選挙で争点になるワタミの社長の話を読んでいると、どうしてもマルクスが唱えた投下労働価値説を思い出しちゃうんだよね。
マルクスの投下労働価値説は、ざっくり説明すると要するに「時間と商品の価値は比例する」っていう話。例えば俺たちが8時間働いたとするじゃない、そうすると商品の価値として8時間分の労働が埋め込まれるという話。もちろん、実際に商品の価値を決めているのはそういう単純な話ではないのだが(市場が決定するわけだから)でもマルクスはその話に納得できないわけよ。だって、市場が決めるってことは、価値ってのはもう天から振ってきちゃうことになる。「紙の見えざる手」とか言う表現をアダム・スミスは使ったけど。で、マルクスはそれに納得できないわけ。いやいや、だって木を一本切り取って持っていくのだって労働でしょ、って話。
当然、企業は利潤をどっかであげないといけないので、労働者が生み出した価値を中抜きする。それをマルクスは「搾取だ」というわけだ。でもそれは労働者側の視点なんだね。これを逆転させるとブラック企業になる。
もし、商品の価値が、労働時間と無関係にあるとするならば、長く働かせることに意味はない。だったら別のことをやる必要がある。しかし、商品の価値が労働時間と関係あると考えるならどうだろう?そうすると、労働者をできるだけ長く働かせようとする。
マルクスが考えるところによると、労働者というのは労働力を売っているという。労働時間じゃない。「私は働くことによってこれだけの価値をもたらしますよ」というのを売っている。労働者は、商品の価値が自分のものになるわけではない(だって経営者に労働力を売っているだけだから)ので、商品が労働時間に関係あろうとなかろうと、関係ない。ただ、これは経営者視点だと大きな違いだ。というのも、もし「働くこと」によって、つまり稼働時間によって商品の価値が決まるんだったら、出来るだけ長く働かせようとする。少なくとも、その買った労働時間より価値を生み出せなければ、もっと働かせようとするだろう。
で、ワタミの社長が言っていたらしき「客のことを考えてたら昼飯を食う時間なんてない」っていうような言葉というのは、結局のところ、こういった「働く時間=商品」という前提が無ければいけない。というより、多くの企業の場合、もうそういう風にしか考えられないわけだし、実際そういう風に構造がなってしまっている業界もある。当然のことながら、休ませないとポカしたり、大事な判断ができなくなることがあるけど、組織化されていれば、もしかしたらもう稼働時間くらいしか工夫するところはないだろう。俺も工場で働いていたが、ボタンをもくもくと押しているとかね。
確かに、経済学的にマルクスが言った上のことを否定するのは簡単なんだよ。だって12時間働こうが売れない商品は売れないし、1時間でさらりと作った商品がバカ売れというのもあるわけ。それは認めよう。でも、ある程度組織化がされてきて、機械的な作業になると、工場を稼働させるために、労働者を長く働かせなきゃいけない時間が生まれる。ここがトリックなんだ。つまり、この時点において、商品は労働時間によって生み出されると思っちゃうわけ。むしろこれは経済学的な問題というよりも、むしろ社会心理的な問題を引き寄せる。
じゃあどうするの、という話になるのだが、これは商品=労働時間を否定するか、むしろ我々はもう「労働時間」を提供するくらいしかないくらいリソースが貧弱であるかを認めるかということだ。たぶん、ワタミの社長が思っていることというのは、たぶん、今後私たちは「労働時間をのばす」ことによってしか、豊かになれないという絶望的な日本なのだろう。だって「日本を破産させない」というくらいだから、後者の可能性はある。もう、我々は豊かになる方法は一つしかない。「働けば自由になる!」
ワタミはブラックであり、労働法を無視している。それを叩くのは容易なことだ。しかし、上記のような構造が埋め込まれている以上、第二、第三のワタミが出てくるというだけの話だ。穏便な話をするならば、労働者が経営者に対して「投下労働価値なんて無理ですよ」って否定するくらいしかない。ただ、この道はある種の「革命」を起こすことになる。また、他の道は日本が貧乏になることなのだが、これもたぶん高度成長期とバブルを経験した世代が死ぬまで無理。あとは戦争くらいだね。
だからさ、ある意味で自民党に入れるってことは、上記のこと、つまりみんな等しくブラック企業になれば豊かになるって認めちゃおうよ、ってことだ。そして、それはそれで何処かでみた光景だ。
ソ連だ。
一応反論として書かれることとして、自民党は賃金を増やそうよ、とかあるいは貨幣発行しまくってリフレしようよ、というのは投下労働価値と矛盾しないか、という考え方と矛盾しないかという話もあるかもしれないが、例えばケインズの言う通り、「景気と物価が連動している」と考えたとしても、じゃあ「物価が上がったから給料をあげます」みたいにはそう簡単にはならない。恐らく物価のほうが先行して給料は追いつかないし、経営としても「賃金あげろ」と政府勧告があったとして「はいそうですね」とやっていたら潰れてしまうだろう。だとすると、リフレするとしても、福祉的なセーフティネットと一緒に組み合わせないとどうしようもないんだが、現状としてそういう話はあまりない。むしろ小さな政府を目指す方向だと思う。そうなると、まあ死ぬ人はガンガン死ぬよねという話になる。あともう一つとしてスタグフレーションの話とかはどうかな?
なにはともあれ、日本全体がブラック企業になっても今の豊かさを維持するという話であるならば、自民党に入れるのは選択肢としてアリだと思う。他の野党がゴミみたいだからという消極的な理由で自民党に入れたり、ワタミの社長が出馬しなければ……なんて期待は捨てたほうがいい。どちらにしろ、俺は上のことは考慮にいれて、それを覚悟で入れたほうがいいと思う。
でもな、ぜんぶなげーよ
ジジイは、鬱はサボりたいヤツのイイワケで、残業がキツイとか泣き言で、
残業代で会社訴えるとか甘い汁吸おうとする害虫ぐらいにしか見えてねーから
日本が過去高度成長できた理由?オレタチが必死で働いたからだよ。
日本がいま長期低迷してる理由?ワカイモンが働くのを嫌がってるからだよ。
そんな中、ワタミの会長は実に判ってる。ビシッと言ってやってくれ。
だから。
でもあれだ、増田の連中は箇条書きになってないと3行以上読めないだろ。
はい、猿でも分かる(brain-dead simple)ワタミ会長が間違いなく当選するりゆうー
はい、さっきの長い2つの内容はさらにオブラートでくるみまくってて届いてないから俺が書いといてやるよ(ドヤァ
『ワタミの会長が当選するのは、投票に行かないオマエラのせい』
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目で見る投票率(総務省) http://www.soumu.go.jp/main_content/000153570.pdf