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はてなキーワード: 高度成長期とは

2015-09-22

戦後高度成長期はまだヒロポン流通してたらしいので、バリバリ働けたというけど、

今はお薬なんてダメゼッタイから

同じ労働時間だけど疲弊していく一方だよ

2015-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20150730125428

労働力としていくらでも必要とされたから「金の卵」なわけで……

そのまま都会にいついたのが大多数だろ。

高度成長期の都会に山ほどできた団地とか誰が住んでたと思ってんだよ。

2015-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20150619170515

都市じゃなくて田舎だよ。

田舎は昔から共働き家事育児も全部女というのがデフォ専業主婦が許されるのは限られた名家の嫁くらいだった。今でも共働き率は田舎の方が高い。

高度成長期に都会で専業主婦デフォとなった時、それが女性の憧れ扱いされたのはその為だよ。

今の都会は専業主婦田舎くさい扱いで、共働き家事育児分担がデフォとなりつつあるけど。

2015-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20150617130745

おれが子どもだった高度成長期は、近所のおっさんも親戚のおっさんも親もみんなずーっと同じ会社に勤めてた。山師かぐうたらでもない限りずーっとな。それに零細企業の安月給でも子ども大学に入れることができた。国立なんか安かったしな。いくつだよ?と思うだろ。50だよ。ところでおまえいくつだよ?かわいそうにな。

2015-01-26

中小の人事担当だけどさー

高度成長期バブル期社会人になったものの、不景気になったら無能なのがバレてクビになったタイプ中年から初老の奴らを中途採用してみると本当にクソ無能ビビる

ゆとり世代のほうがまだマシ。

こいつらがあと少しで定年退職してくれるのはありがたいけど、年金その他福祉で養う必要あるのか?

今までだってずっと社会寄生虫のように生きてきた連中だし、社会からはもう割り当て分の配金は渡し済みってことでいいんじゃない

あのバブルを生きてきて貯金もしてないんだぜ

2014-12-27

AO義塾東大京大ネタにもう一儲けしようとしている件

サイコパスAO義塾塾長文章突っ込み入れるンゴwwwwwww

全文は http://aogijuku.com/tk2016/

AO入試意識の高い奴らこそ社会を変える。

→既に文章おかしい模様

東大京大AO推薦時代の幕開け

2014年12月11日

東大京大AO推薦時代の幕開け】

AO義塾塾長の斎木陽平です。

今回の一件で悶々とする中で、改めていま私が為すべき事は何かと考えた時、

それは「AO入試を通して、全社会を牽引していく先導者を輩出していく」という原点を貫き続けていくことだと、思い至りました。

勘違いやぞ

AO義塾来年一月より早速、

東大京大AO推薦に挑戦する高校生サポートを開始します。

意識の高い高校生が、東大京大AO推薦に挑戦することで、

自らの頭で考え、行動することを身につけていくことをサポートしていきます

→まず学力つけるのが第一なんだよなあ

そして、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、

高校生達が集う学びの場づくりに全力で取り組んでいきます

AO入試には沢山の批判がある

AO入試には沢山の批判があります

AO入試を「対策」する塾・予備校にも沢山の批判があります

それは今回の一件でも痛切に感じました。

それでもなお、私はAO入試が、これから日本社会にとって欠かせない入試形態の一つだと私は確信しています

ファッ!?

AO入試では、大学から受験生へ必ず「志(=大学で学ぶことへの目的意識)」が問われることになります

そしてまさにこれこそが一般入試との最大の相違性です。

「志」を抱くには「意識」が欠かせない

そして「志」を抱くには、

社会の中に自分存在するという「意識」が欠かせません。

→よくわからない単語で誤魔化したらあかん

から私たちが「意識が高い」と嘲笑されることは避け難いこととも言えるのでしょう。

意識しか高くない「意識高い系」だから嘲笑されるんやで

しかし、これから日本には社会への「意識」が高い人々が「異端」として嘲笑されてしまう少数派であってはならないと思います

→「意識高い系」が嘲笑されるだけやぞ

社会への意識かいう謎の単語使ってるのも意味不明

AO入試社会教育装置として不可欠

これからを担っていく高校生にとって、そしてひいては日本人全体にとって、

社会への意識が高いこと」を普遍的なことにしていくためには、

AO入試という入試形態社会教育装置として不可欠だと僕は思っています

AOは現状意識高いだけのバカ向けであり、弊害の方が大きい

意識高くなるのは大学入ってからおk

とんだ思い違いやね

日本社会問題の慢性化を食い止めるためには、

社会問題を解決していく、社会への高い意識を持った担い手こそ必要です。

→まあわかる

その担い手を育てる仕組みの一つこそ、私はAO入試なのだと思います

ファッ!?

一方で、一点刻みの受験戦争を勝ち抜くには、

社会へ関心を持つよりも、机に向かうことばかりが奨励されてしまいがちです。

→いかんのか?

もちろん、机の上での勉強学力を身につけることは極めて重要です。

しかしその重要性は、勉強学力は「手段であることに対してであり、それ自体が「目的」ではありません。

意味不明

点数のみで評価することは、手間がかかりません。

しかし、その手抜きこそが問題本質です。

根拠なし

大学での学びも「手段」であって、入学することが「目的」ではないはずです。

一時的目的を達成して、それから手段としての学びを行うことの何が悪いのか

高校生達が大いに学問することへの、それぞれの「目的意識」が最も大切です。

その目的意識を問い、社会全体で育てようとするのが、AO入試です。

→エク哲を彷彿とさせる「目的意識

意識高い系常套句やな

このAO入試の可能性を活かして、

私たちAO義塾は、社会の公器である大学という場を、

「ゴール地点」ではなく「スタート地点」へと描き直していきたいのです。

→一般入学者は大学入学がゴールとかい妄想押し付けないで下さい(迫真)

脳内一般入学者やめーや

意識が高いことは悪いことなのか?

やはり、AO入試入学するには、意識が高いことが求められます

しかしそもそも、意識が高いことは悪いことなのでしょうか?

→「意識しか高くない」のは悪いことやぞ

要するにバカってことやし

しろ意識が高いことで嘲笑されてしま日本社会の現状こそ、最も正さなければならない深刻の病理だと、真面目に思っています

意識しか高くない人間嘲笑されて当然

勝手日本社会のせいにしたらあかん

そんなこと真面目に思ってるなら真性のバカやな

本来ならAO入試の導入に合わせて、学校が変化するべきでした。

学校AO入試サポートを万全に行ってくれるのなら、AO義塾の出番など必要なかったと思います

しかし、現実にはAO入試学校対応しきれていません。

公的な組織で、一般入試指導の長い歴史もあり、

そして未だ入試改革の過渡期の中では、

学校という教育機関に、高校生達のAO入試への挑戦をサポートしてもらうことを期待するのは難しいのが実情です。

から、4年前、私はAO義塾を立ち上げて、

AO入試に挑戦する高校生サポートするコミュニティを創りたいと決心しました。

幸いなことに、AO義塾は毎年、合格実績の過去最高記録を更新し、

本年度のAO義塾4期生も既に慶應義塾大学に150名以上合格することが出来ました。しかしそれを支えたのは、既存の塾・予備校概念ではありませんでした。むしろ、全くその逆の概念でした。

AO用の意識高い実績作りのための団体まで用意しているもよう

「僕らの一歩が世界を変える」で検索ゥー

画一的指導ではなくコミュニケーションを。

私たち画一的な「指導」ではなく、

個性を引き出す「コミュニケーション」を大切にしています

講師と生徒という関係ではなく、

教える側、教えられる側という関係でもなく、

「共に学び合っていく関係」を大切にしています

「マス教育から「パーソナルな個性の研磨」へ、

「一方向的な指導から双方向的な関係性」へ、

そして、「偏差値から「志(=目的意識)」へ。

偏差値否定する奴は基本くさい

茂木健一郎とか

全く今までの予備校の発想から逆転し、

私塾の原点を目指して努力を続けています

からAO義塾の塾生達には多様性に溢れています

200人の塾生がいれば、200通りの志があります

みんなそれぞれ、違う色、違う形をしています

それが私たちにとっての誇りです。

→一方で例外なくバカなのが草生える

AO義塾大学合格裁量を握っていません。

あくまでそれぞれの大学合格裁量を握っています

画一的指導で、大勢合格者を出せる」ほど、

大学教授たちの目は甘くはありません。

私たちは、一人ひとりの「志」を大切にします。

合格を目指しません。社会に貢献出来る人材を輩出することを目指します。

そして、この信念は揺るぎません。

明日がどうなるのか怯える人生より、

明日を切り拓いていく先頭に立つ人生

※ここからポエムスタート

これから社会は激動の時代と言われています

国際化、情報化少子高齢化の荒波の中で、

先行きは極めて不透明時代突入しました。

安定した時代には、常識的ライフコースというエスカレーターがあり、

それに乗っていれば、社会ことなど考えられずにいられました。

しかし、不安定な時代はそうはいきません。

常識的ライフコースを信じることは非常識になり、

自らの頭で考え、行動出来なければ、一寸先は闇な時代です。

でも、そんな不安定な時代に生まれ私たちのような世代からこそ、

スリリングだけれども、わくわくするような人生を送れる世代です。

明日がどうなるのか怯える人生より、明日を切り拓いていく先頭に立つ人生に、僕たちの世代はしたい。

ポエム終了

からこそ、その先頭に立っていくための学びが必要です。

そしてそれは全てAO入試に挑戦することで得られる学びです。

→一般入試を経て大学入ってから得ればええんや

高度成長期にはその時代に合った入試必要で、

その役割を担ったのが一般入試です。

しかしその素晴らしい入試制度も、

時代の転換に合わせてそろそろお役御免です。

バカ量産の正当化やめーや

新しい時代大学には、新しい時代入試必要

こうした背景を考えれば、

日本最高学府と呼ばれる東京大学、そして京都大学が、

2016年度、つまり来年入試から

AO推薦入試を開始するのは当然のことと言えます

学力あった上で意識高い奴を入れる入試やぞ

アホでもOKの私大AOとは違うんやで

そして、新しい時代入試成功させるには、

やはり、新しい学びの場が不可欠です。

AO義塾はその新しい学びの場たらんと、

これから全身全霊をかけて努力を続けていきます

社会問題を考えるワークショップ

参議院議員会館にて無料開催

そして再出発の第一弾として、

こうしたAO入試を考えている高校生のための、

社会問題を考えるワークショップ」を12月26日(金)に開催します。

勉強から逃げた意識高い系の量産を助長している戦犯

今回のワークショップでは、現在進行形社会問題であり、

賛否が渦めいている「防潮堤問題」を取り上げて、

皆さんと一緒に「考える」機会としていきたいと思っています

参加費は無料場所参議院議員会館で開催します。

そして、特別ゲストとして安倍昭恵総理大臣夫人

脳科学者の茂木健一郎氏をお迎えします。

ゲストがくさい(確信)

茂木健一郎っていつもこういうくさそうな活動に絡んでるな

対象高校生ですが、参加人数によっては、大学生見学も受け付けます

こうした企画等を通じて、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、

高校生達が集う学びの場づくりに全力で取り組んでいきます

ぜひ意欲溢れる、才能の原石である高校生の皆さんのイベントへのエントリーをお待ちしております

AO入試日本を変えます

AO義塾世界を変えます

それは「結果」で示してみせます

バカ量産で日本が滅ぶんやろなあ

AO義塾塾長

斎木陽平

全体的に文章が下手で草生えた

文意不明な部分多杉内

なんか尊師みたいな宗教っぽい文章で胡散臭かった(小並感)

なぜかこいつは脳内で一般入学者を大学入学がゴールの「意識低い人間」に仕立て上げてるんだよなあ

いまの日本を動かしてる官僚企業人は一般入試多数派やぞ

AO入試は小保方、Tehu、青木大和とかくさい連中ばかり

現状AO義塾は楽して難関大学に入りたいバカのための塾としか思えんわ

東大京大には関わらないでほしいです(迫真)

東大京大はこういう連中をちゃんとふるい落としてください

2014-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20141220003033

父は経営者、いわゆる社長だった。僕は「おとうさんが社長じゃないお家って、どうやって暮らしているんだろう、大丈夫なのかな・・・」というぐらい世間しらずで育った。

大人になり、まあまあの大学を出て、いくつかの技術方面でそれなりに成果を上げ知名度も得て、収入も悪くはなくなった。

だが社長ではない。起業者でもない。自分確定申告に行かないとならないレベル収入でもない。

あるとき、亡父について

「お父さんが活躍したのは高度成長期。いまの苦しい日本とは違う。あなたのほうが、もっと苦しい状況で、もっと成果を出してるよ」

と言われて、いままで見えないロールモデルとして覆いかぶさっていた父から解放された気がして、とても救われた。

また、趣味アート音楽方面でも、以前より何らかのアウトプットを出すようにした。ソーシャルメディアが豊かになったいま、見えやすアウトプット継続して出していく敷居は低くなっている。

そんなのは本当の成果じゃないって? 自分が気持ちよくて、ほかの誰かひとりでも気持ち良くできてたら、それは成果だよ。自己実現欲求の充足に寄与してる。

オナニーと同じ? そうかもしれないね。でもそれを言ったら、ランニングなんて自分メンタルフィジカル寄与してるだけで、オナニーと何も変わらない。ただオナニーよりイメージがいいだけだ。

そんなもんだよ。

2014-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20141210075617

左巻きどもは資本主義の本当の恐さを分かってないし、そもそも頭が硬くて古いから高度成長期モデルから脱却できてない

庶民は変化を嫌うし既得権益絶対に手放したくない

そもそも労働運動系の左派日本ではほとんどが基幹産業メーカー主体運営されてきたか

高度成長期モデルから思考が脱却できないのも仕方がないのかもしれないが、

21世紀感もすっかりも定着した昨今はどこもすっかり斜陽産業になり下がってるしな


個人的にはマイナンバー法が上手く転がって、失業保険生活保護が正しく再分配されるようになれば正規雇用にはまったくこだわらないのだが、

現実問題として、その辺のセーフティネット整備にまったく期待できないので、既得権は手放したくないと思っている

2014-12-03

劣等感の季節

ある種の人々は言いようのない劣等感を感じている。というか、青春期、人々の多くは言いようのない劣等感を感じているように思う。それは書物で見る限り昔からのようだ。

「その劣等感はどこから来たのか?」とか「どんな理由で感じるのか?」という問いにはあまり意味はない。おそらくそれは青年が何者でもなくて何が出来るかもわからない不安から生じているのだとは思うけれど、そんなことが分かったところで劣等感はなくならないからだ。正解でも不正解でも、あんまり意味がない。

十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20141202220427

上の増田は嘆いているけれどその苦しさってそこまでユニークじゃない。「大人」の多くはその苦しみを経過して(乗り越えてとは言わない)大人になっているよ。

大人だってむかしは若者だったし若者だった以上にチンピラだった。Webの情報支援がなかった昔の若者はいまの若者以上に何も出来なくてずっとずっとボンクラだった。大人の多くは自己努力青春だの成長だのしてきたつもりでいるから、上から目線説教したりするかもしれかもしれないけれど、それって高度成長期があったせいであって別段昔の若者が優れてたわけじゃない。

断言する、昔の若者ボンクラだった。公平のために弁護すると、それは昔の若者能力が低かったというよりも、さまざまな課題解決のためのフレームマニュアルが共有化されていなかったせいだ。だからその時代口コミ師弟関係親族関係重要だったしコミュ障は今よりずっとスポイルされてた。また、だからこそ「無鉄砲な行動力」が重要視されていた。体当たりノウハウを積み重ねるというのが今よりずっと意味があったからだ。(なぜならそうして取得したノウハウは簡単には共有されないので差別化の原資になったからだ)。

今の若者はWebによる情報支援があり、さまざまな課題に関して極上のマニュアルを入手することが出来る。遭遇しうるありとあらゆる問題に対して、それを解決した先人がいて、おおよそどうすればいいのかわからないということがない。進学、就職研究技術的な学習恋愛人間関係法律問題。様々なマニュアルや手記がWebにはある。少なくとも手がかりは存在する。

そのメリットがある半面、隣を走ってる同年代の姿もよく見えるようになって、それが劣等感レンズとして視界をゆがめている部分があるにせよ、それでもこの情報支援は大きい。今の若者は昔の若者無意味強気ボンクラさに比べて、様々なことを実にスマートにこなす。紳士だし慌てないし礼儀正しいし、誤解を恐れずに言えば「有能」だ。

それはおそらく、いわれのない劣等感にさいなまれている増田でさえ有能なんだ。

オタクサブカルを敵視したのか、サブカルオタク差別したのか、はてなブックマークコメント欄も白熱しており、ヤンキーも巻き込んで混然としています

http://hatenanews.com/articles/201412/23089

から、この記事に見られるようなオタクサブカル、あるいはそれに加えてヤンキー同士の抗争というのも実は本質的ではない。本質劣等感だ。

いわれのない劣等感がまず先だって存在し、その劣等感は消去できない。麻痺させるしかない。劣等感麻痺させるいわば痛み止めとして、この種の抗争が存在する。ほとんどすべての人間は、無名の置換可能な消費単位しかない。若者であればそれはなおさらだ。そんなことは当たり前なのだから、そこで劣等感を感じるべきではない。しか青春期の自意識にとってはそうではないので、劣等感を感じるし、その劣等感を痛み止めするために、近しい場所にいる別の消費者罵倒してるだけだ。

歳をとるとその過程で様々なケーススタディ経験するし、見聞する。若いころ、世界には才能ある人(100点)とクズ(0点)しかいないように思う。

もちろん年を取ったこの世界にも100点の人と0点の人はいる。でもそれ以外の点数の人々もいるってわかってくる。わかってくるっていうのは、例えば42点の人がいるということじゃない。そんなことは(理論的には)若者の時だってわかっていた。

わかるのは「42点の人と41点の人の間にある差」だ。そのわずか1点の差が、彼我の間の明暗を分けるというような例をたくさん目にすることになる。「1点の差の大きさ」が実感としてわかるようになる。そもそもある年代を100点で分割すれば、任意社会人自分職場で見ることのできる人間の幅なんて5点差くらいしかないんだ。「俺の今いる会社にいるのは38点~43点」とかそんな感じ。しかたかがその5点の間の距離が、越えがたく遠いということもわかる。新入社員39点が40点に成長するのはすごく大変だ。

そしてこの点数はジャンル技能ごとに分かれていてその種類も百種類じゃ利かないってこともわかってくる。つまりどういうことかというと、人間ってのは恐ろしく膨大なパラメータ構成されていて、若いころ思ってたよりもその距離感は遠く、埋めがたく、複雑だってことだ。マクロに見てみれば確かに消費単位としての人間なんて似たようなものだけど、ミクロに見てみればAさんにできてBさんにはできない、って問題にあふれすぎている。卑近なことでいってみれば「議事録手際よくまとめてコピーして事前に配布しておく」程度のことでさえ、人間人間の間には差があって埋めがたい――それが中年になるとわかる。

その種の格差ってのはもちろん絶望でもあるんだけど、一方で解脱というか、いいことでもある。

少なくとも「世界は才能ある人(100点)とクズ(0点)でできている」みたいに乱暴で便利で安易絶望には向かわないですむようになる。

世界を二種類で塗り分けるってのはずいぶん簡単で、その若い絶望は手抜きだったんだな、ってわかるようになるんだ。

若者はまだケーススタディが足りてないから「俺は0点だ!世界はクソだ!」とか叫ぶけれど、ちゃんと観察を続ければ(たとえば)自分は28点だってのがわかってくる。もちろん自分が28点しかないってのは、そりゃたしかがっかりするけれど、27点の人との間にある圧倒的なアドバンテージも同時にわかってくる。それが解れば、28点全部を放り出して「俺は0点だ!」なんて思いもしなくなる。

それに遠いとはいえ29点の方向もわかるようになる。29点になる為の1点を100分割して28・01点のためになら多少歩くことだってできる。これはなにも努力至上主義みたいな話ではなくて、どちらかというと、真っ暗で見たことも聞いたこともない砂漠に放り出された時、地図を持ってるのと持ってないのとでは大違いだ、という話に近い。努力をしなきゃならん、すべきだ、という話ではなくて、自分に何が出来て何ができないか(=自分の点数もわからない)で生きていくのは、生死にかかわるほど不便だってももちろんだけど、ただわからないというそれだけで死ぬほど不安で不幸なことだって話だ。

そんなわけで、ここでいう若さ特有劣等感は嵐みたいなもの中年になれば消える。すくなくともどっかの職場で働いて自分の姿が見えてくれば薄れていく。1点の差を乗り越えるためにグダグダ数年を過ごせば、懐かしくなる程度には過去になる。そこだけは、おっさんとして、安心してもいいんだよ、と言いたい。

2014-11-22

子供の頃の家庭環境なんて周りには関係ない

という当たり前のことに改めて気付いた。周りにとっては良い年してアホかってだけだ。だからもちろん誰にも話さない。殴られたアザも見た目は元通り。心に傷が…なんて証明できない。親は子供が飢えなければ社会的評価はばっちり。カオスな家庭環境でも金に困らなければ素晴らしい親。戦前戦後を生きた世代高度成長期を生きた世代価値観がその点で変わっていないことに最近気付いた。

生きてるだけで丸儲けなのかもしれない。ああいう人みたいに何か才能があればまた違っただろう。才能はなくとも努力だけは人一倍していたはずだが、方向がねじれていて何も残っていない。何の希望もない。普通幸せには価値を感じない。幸せ想像できない。心は反応しない。

社会は厳しい。聞いていた通りだった。予想以上に冷酷だった。子供の頃の家庭環境匂いを少しでも表に出したら、面倒なやつと思われて捨てられるだろう。意地でも普通人間のフリをし続けなければならない。

でも、一番辛いのはねじれた人格のものだ。心は死んでいる。そうとしか表現できない。全て投げ出したいが、それをしたら戻れなくなる確信がある。だから耐えながら模索しなければならない。

最近食べ物を美味しいと感じることに気付いた。景色をきれいだと感じることに気付いた。アホみたいだがそれが最近気付いたことだ。こんなこと誰にも話せない。引かれる。でも、これが自分真実だ。あらゆるものに耐えながら、アホくさい模索をし続けるしかない。自分の心を動かすものを見つけ出さなければならない。求められた行動をするだけのロボットのような人格ではなく、温かい血が通った人格を手に入れるために。人として当たり前の土台を手に入れるために。

しかしたら全部自分が悪いだけなのかもしれない。元々精神的におかしかっただけなのかもしれない。もう理由なんてどうでもいい。生きる価値はそれ以外にない。何でこんな人生なのだろうと思う。でも仕方がない。それが現実

2014-11-14

若さと無謀さは比例しない。若さ冒険性は比例する。

冒険といっても人を巻き込む紛争は迷惑ガス抜きなら紛争以外でやればいい。

この国にはそもそも若い時代がなかった。高度成長期ですら欲得にまみれていただけ。

アニメ文化年寄りの若作りだ。反中スピーチ・反女性スピーチバカげてる。

本当の若さを学ばなければ、グローバル化は無理だ。

2014-10-23

なんではてサは「日本はいい国だ」みたいな記事を嫌うんだろう

戦前高度成長期と比べれば、差別も少なく秩序正しく社会問題も多く解決され犯罪も減り文化も発展してまあまあ暮らしやすい「いい国」になっているし、

そうなった原因の一つがリベラル言論活動にあることは間違いない。

からリベラルを増やしたいなら、そこを誇ったり成果のアピールしたっていいのに、

なぜかブコメには、日本差別満載で秩序など周囲に同調してるだけの表面的なもの内面化されてない)で社会問題だらけだといわんばかりのコメがつきやすい。

.

そこに強い反発やいらつき、見下しが感じられるのだけれど、なぜだろう。

理由はいくつか思いつくが、実際の所はどうなのか教えて欲しい。

.

①下手に同意して「美しい国」みたいな文脈に回収されるのを警戒している。

②今の不満や問題に強くフォーカスしているので、自分の訴えが無視されたような気がして反発する。

③そもそも今の日本が好きじゃない。褒められるのも耐えられない。

自分より「見落としの多い」「劣った」フレームものを見ているように思えて批判したくなる。

⑤その他

2014-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20140819073324

じゃあ増田母親子供産まなければ研究成功していたかと言うと可能性低いよね。

元々子供が欲しいなんて思ってなかったんだろうし、成功出来る当てがないから子供に逃げたんでしょ?

その状況で子供を産んでなくても不幸に変わりは無いのでは。

世の母親もっと積極的にこういう話も娘にしていくべきなんじゃないの。

って、そんなの高度成長期の頃から当たり前のように母親が娘にしてきた話だと思うけど。

その時代専業主婦達が娘に自分のような人生を歩ませたくないからと娘を必死教育した結果、女性高学歴化と社会進出及び非婚化が進んだってのが定説で。

自分けが特別だと思ってる?

そして現代になってその「娘」の先駆けだった世代も歳を食い大して幸せ人生を歩んでない事が露呈したか

それを見たその下の世代専業主婦願望が広まってるわけで。歴史は繰り返す

2014-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20140722123053

高度成長期ってのはまさしく

男は働き、女は家事育児

だった時代だけど。

(まあ実際は専業主婦やってられたのは都心部在住の金持ちの奥様だけで、地方貧乏妻は働くのが当たり前だったが)

何か、本当にモノ知らないんだなー……

http://anond.hatelabo.jp/20140722113442

高度成長期なんてそれこそ「人手」が重要だったかホントに「フリーター」でも高給取りで

それこそ今の「ノマド」みたいな勘違いバカと違ってホントに金を稼げて自由、っていう存在だったんだよ。

大学に行くのがエリートって感覚はあっただろうけど、かと言って大学にいかずにもフリーターでも地方土木でも下の方でも在る程度体動かせばちゃんと稼げた時代

今は「人手」そのもの価値がなくなってきてるから結果的に一人でちょっと動けば多くの事をできるし

(そこに能力とか殆ど関係ない、ある程度以上に関してはたまたまその立場に運良く行けるかどうか)

仕事が一部に偏ってる(かと言って別にその仕事が集まってる人間が忙しいわけじゃない、からさら仕事が出来る、という悪循環。)

2014-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20140716173908

何を言ってるか全く分からないが昔よりいまのがパクリが多いという証拠を教えてくれ?

通常の知的財産権なんて20年くらいだが、高度成長期20年前にそんなに偉い特許がたくさんあったのか?

何を言ってんだお前。

http://anond.hatelabo.jp/20140716170122

いや、だから高度成長期にどんだけの勢いで特許切れが発生してるんだよ?

http://anond.hatelabo.jp/20140716151657

お前ら高度成長期にどういうことが行われてきたかから勉強しなおしてみ?

2014-07-13

グーグル創業者が語る働き方の未来 「もう必死に働かなくて良いんじゃない?」

余りにバカ金持ちの発想なんだが、

既にその結果が見えてるのに理解できないのか、このクズは。

どんどん機械化されたりすることで、実際人間による作業が必要でない部分は増えていっている。

その結果、何が起こるか。

労働力必要なくなる。

一方、同じだけのプロダクトを限られた利権たまたま手に入れられた人間が牛耳り、

それまでに労働者皆で得ていた報酬を全て独り占めするようになる。

日本高度成長期等の時に日本バブルっぽく見えたのは

まだ人手によってでしかヤリ得ない部分が多く、

人手にそれなりに報酬が払われたからだ。利益分配が行われたからだ。

(だからフリーター”という人種が生まれ、フリーターと言う人種ですら、Fullに働かなくても高級車に乗れる様な稼ぎを得てたわけだ)


勿論、利権を手にするために努力し成果を自ら出した人間も居るが、

その後得てる利権はとてもじゃないがその成果に見合うレベルのものじゃない。

そこまで行けば、はっきり言って地主の息子に生まれて何も努力せずに生きてるクズと全く同レベル

http://careerconnection.jp/biz/buttyake/content_1654.html

2014-07-07

一人目の夫とは女子中学生のころに婚約が決まった。

はてブオフ会に行こうかなって話。


関東大震災が起こった年、女子中学生であった私は結果的に当時の摂政を銃撃からお守りしたのだけど、その後、宮内大臣から直々の縁談があって、新しくできた丸ビル前で待ち合わせたのがなれ初め。

あの時はまだ民本主義とか、東大新人会に勢いがあって、彼が進歩的な話をしてくれることにときめきを感じたことを今のように思い出す。

けど、あの年は甘粕大尉事件を起こしていた時代でもあり、その後の時代は彼に向いていなかった。進歩的とされた思想弾圧の結果、彼は閑職にまわされ酒と借金におぼれていった。


その時の私の窮状を救ってくださったのも、牧野伸顕閣下。幅広い人脈を持つ閣下のおかげで、私に暴力をふるうようになった彼と私の婚約関係

世間の好奇を浴びることなく解消することができた。そして、早くに妻君をなくしてた海軍のある佐官の下へ嫁げたことは、一生の中でも最大の幸福だった。

その後の戦争で、私と子供一人を残し、帰らぬこと人となってしまったのは仕方ないことかもしれないけど、悲しかったなぁ。実のところ、敗戦が決まって軍人恩給も出なくなるかもということで

今後の一家の暮らしをどうしていくのか本当に心配だったことの方が切実で、あの時のことはあまり記憶にない。なんとか生き残ったことだけを思い出す。


敗戦後何もなくなったどころか、一人目の夫よりもはるか人間的・学問的に劣っていた進歩的知識人たちが政治的にも、学問的にも跋扈しだしたことには天地動転とはこのことかと思ったけど、

その後の日本の成長は目覚ましかった。高度成長期も終わりには、国のために散った二人目の夫と将兵さんのために、南洋諸島慰霊することが出来た。あの時、ようやく戦争が終わったのだと思い、

夫が欲しがっていたゼネラルモーターズ製のシボレー模型と、子供が作っているトヨタ製のカローラ模型をたむけた。


日本と言えばまず後進的で奇形資本主義であることが当然とされた時代からうってかわって、1980年代には日本世界最高の資本主義国となっていた。

NECに勤める孫に半導体というものを説明され、湾岸戦争を見た時に、もう世界は私が知っているものではないのだと思ったものだった。


さて、どんなに年をとってもお迎えは20年前に来ると思っていたのだけれども、100をとうに超えてもまだ生きていて、このまま後2,3年生きれば県で一番長生きらしい。

「はてぶのオフ会」が話題になってるというのだけれども楽しいのかな?

2014-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20140625145025

幸福度はそれ以上上には行けないと諦めた人ほど高くなる傾向がある、と言う。

まり日本女性けが諦めている社会だという事の現れとも言える。

男性場合収入が高い人より中程度の収入の人の方が幸福度が高いのも、

高度成長期バブル期よりその後の不況期の方が幸福度が高いのも、全て↑で説明がつく。

例の野次の件ではてフェミの皆様が「自民党は女は結婚して子供産んで家にいろって言いたいのねムッキー!」つってるけど、どう考えても違うだろ。

結婚して子供産んで仕事もして(勿論男より低い給料低い地位で)、更に家事介護もして尚且つ男を立てろ、つってるだろ。

仕事しないで家にいろ」なんて一切言ってないやん。

しろ結婚しろ」「子供を産め」と言われたら「仕事はしなくていいって事ね」と解釈するあんたらの方が良いように解釈し過ぎじゃね?

実際はそれこそ一昔前の「嫁」として馬車馬のように働きつつ子供も産めつってるだろ。

高度成長期専業主婦女性の憧れとなったのは、それまでの「嫁」の役割だった「仕事家事出産育児介護も全て」よりは

家事出産育児介護だけ」の方がまだマシだったからな訳だけど、それより前の時代に戻れつってるんだろ。

より悪いって?実際そうなんだからしょうがない。

2014-06-15

ワールドカップ過熱報道は同時代性の実現に必要

現代だと趣味や嗜好が多様化していて、皆で共通の話題をすることがない。

昔ならばドラクエFFといったゲームや人気ドラマ、それに付随する音楽がそれに当たったのだろう。

増田たちも小学生の頃はゲームの話をするだけで友達になれて楽しかったはずだ。

おそらく現代では将来に振り返る時代というものがないんじゃないか。

日本が弱いからワールドカップ熱狂するには不十分であるが、同時代性の実現のためには共通の話題が必要だと思う。

国に一体感を持たせることこそが国の発展につながるはずだ。戦後高度成長期の時はおそらくそうだったはず。

2014-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20140507145759

その昔ってのは高度成長期くらいの話だろうが、その頃も働く女性の方が多数派だったわけだが。

あと平均労働時間は昔と比べたら遥かに減っている訳だが。

両方とも統計的事実

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