はてなキーワード: 馬の骨とは
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110329#p1
まあ、これは医療という立場から踏まえた合理的な考え方に基づくものだから、差別をすべきではないというのは正しいかと思う。
トリアージは差別になるだろうか、と言えば、私は差別になると考える。合理的差別だ。
救うべきものと救えないものを分類し、スクリーニングにかけるということで、より多くの命を救えるのだから、これはやむを得ない。記事も、「不要な」と前置きしてスクリーニングを否定していることを読めば、必要なスクリーニングはあるという考えが見えてくるだろう。勘違いしてはいけないのが「スクリーニングすべてが不要」ではないということだ。そこを誤解しているブコメが幾つか見られる。
「差別を許容することによって自分が差別される側に立たされるリスク」とは、差別の語の前に不要な、を補うのが望ましい。しかしながら、合理的差別のそれも、こうしたリスクを孕んでいることは疑いない。言ってしまえば戦争状態である。
「差別を許容してはならないのは、そのとき差別される人のためだけではなく、自分のためでもある。」というのは、「もし自分が差別される立場に立つ可能性」を踏まえてのものである。そうしたことを慮って差別しないこと、即ち賢い人であるというのは、恣意的な操作ではないだろうか。
また、これすらも医療の立場からの提言であり、一般的な差別全般に対しての言ではないということも注意したい。
さて、記事自体からの引用はさておき、これから差別全体について、合理非合理を交えた私なりの考え方を該当ブコメからの引用を取りつつ述べることにしたい。
Apeman 「しかし、差別を正当化する代償は安くないと私は考える」 構造的な差別についてはマジョリティにとってその代償が極めて安くすむのがこの社会の問題。
構造的な差別、というのがいかなる差別に当たるのか私は誤解しているかもしれないが、ここでは社会的差別ということに換言したい。
つまり社会構成員としての人間が、構成する社会から言わば「空気」のようにのしかかるものだ。例えば、容姿差別、性差別、学歴差別、年齢差別がこれに当たる。
今四項の差別を例示したが、前二つは先天的なもの、学歴差別は後天的な物、年齢差別は漸進的なものである。社会的に合理性をもって正当化されるのは後ろ二者で、前二者についての差別も深刻ではあるが、後者ほど合理的ではなく、日進月歩で改善も見られる。とはいえ、まだまだなのが現状だ。後者に至っては、半ば当たり前というか、「しかたがない」というような意見を耳にする。特に、企業の採用活動などを見るにつけ、それは顕著である。また、学歴差別、年齢差別のメタなものとして「知能差別」が挙げられよう。つまり、「バカは黙れ」「老害はとっとと死ね」の類である。はてなでもここらへんの差別には寛容で、ブコメでは毎日のようにバカに対する差別で賑わっている。
ここに見られるのは慣習的な使い方の「自己責任」が背景にあると思う。性差別などは先天的なものであり、それを打破するのも頷けるが、学歴差別は言ってしまえば「努力の結果」による側面が評価されがちで、できなかったのは本人のせいだ、と抑圧される。簡単な例としては、新年の銀座の福袋を確実に欲しいなら、朝来るのではなく前日前々日から並べば良い、手に入れられなかったのはそういう努力を怠ったからだ、というわけだ。他にも花見の場所取りなども似たようなものだ。要は、ある集団に序列を与えて、その上にいる人ほど大きな恩恵を与えるべき、ということである。これは、集団の下の方への保障の仕方によっては「逆差別」と言われることもあり、非常に難しい問題である。
Sinraptor 差別, 原発, 災害 今後汚染地域に住む人々が、結婚差別などにさらされることも考えられ、些細な事項であっても差別は許容しないという姿勢が必要だと思う。
まったくもってその通りであるが、これは地域差別の問題にも直結している。つまり差別する側が地縁を事由に差別される可能性は体感的に低いのである。
だいたいの人間は相手に見られたとき、悪くても「何処の馬の骨」で、評価はゼロが最低なのだ。しかし、地域が被差別になるとこのゼロがマイナスになる。非合理的な差別はだいたいが不安感情に由来する。正負の乗算が負になるように、相対的に自分が上だと分かってしまうと、それより下のものを「穢れ」として退けたくなるものなのだ。だからこそ差別をしないというのは理性的なものだし、差別をするのは本能に因るし、だから一部のはてなーは例外なく知能差別を(ry
uchya_x しかし、ここは再三差別発言を繰り返している人物が首都の知事に三度も選出されている国でもある。今度も当選するようならどうすればいいのやら。 2011/03/29
これは実はなかなか面白いもので、差別をする人の中にも「政策の支持を得るもの(優れているわけではない)」とそうでないものの二者がいて、石原慎太郎というのはこの前者に価するのではないかと考えている。つまり、差別はするけど仕事はする人として評価されているのだと思う。
リヒャルト・ワーグナーという作曲家がいるのはご存知だと思う。彼の音楽は世界で評価されているが、彼の人間性はあまり「できた」ものではなく、そこはwikipediaでも見てもらえればいいが、今でもワーグナーを支持すること、演奏することがタブーな国もあるのだ。仕事の出来と人間性に相関があるわけでもないので、いい仕事はいい仕事で評価されれば良いのだが、世の中にはそれすら禁忌なところもある。清廉潔白であるなら望ましいが、万人が聖人というわけでもないし、聖人なら仕事ができるという話でもない。
ちなみに私自身は、前都知事選では政策において石原より秀でたものはいなかったと思っている。浅野史郎はちょっといただけない(これはあくまで私の価値観だし、東京にいないので関係もないのだが)
parallel-world 社会, 差別, 医療, 災害 差別する者は損得計算のできない者だと考えている。 2011/03/29
全称的にそう言い切れるとは思わないが、一部の差別主義者は権力を得るに連れて差別思想を暴露する傾向にあるように思う。つまり、権力の高みに登るに連れて「ちょっと落ちただけでは死なない」ように思い、ネット普及前までは特に深く糾弾されるようなこともなかった。今では「バカの可視化」としてそういう発言も多くに共有されるようになり、発言リスクも高まったように思うが、それ自体は化粧のようなもので、内心に差別心を抱く人が減るという話でもないことは心したい。
概括すれば、人間というのは不完全なのだから、差別心を持つ事自体を止めることは不可能である。私たちのこの「差別をしない、あるいはするな」というのは翻ってみれば「不謹慎」と同種の圧力を産む。そしてそれは正義の刃として受け止められる。
差別については、突き進めば個々人の心がけにしかなりえないだろう。それを享受するメリットを限りなく最大化し、多くの人間がみずから進んで、快く、差別をしないよう心がける環境を醸成するのが、最善であると私は思う。
多様性の時代に権威というのはどうなのだ、と思っている人もいるだろうが、
ここ数年のウェブの流れは、多様性の時代から画一的なものへ収斂へと動いていると思う。
プラットフォームもほぼ独占の様相であり、先んじて場所を確保した利益は遅れて参入した競合他社にはそうやすやすとは渡せない。
fc2動画がコメント投稿サービスも始めたが、それ以前より莫大な数のコメントを集めたニコニコ動画との差は歴然である。あのようなサービスにとってコメントの量というのは資源だ。荒らしコメントすら他のコメントを誘引するのだ。日本においては、おそらくfc2では動画プラットフォームとしても勝てない。Youtubeでなければ勝てない。
そしてTwitterでは多くのライト層を取り込み、多くの著名人が利用している。そしてそれはリアルな社会を反映し、格差を見せつける。
それは、フォロワー数であり、それは、ひとりの著名ユーザーと多くの凡人という宗教である。
実社会で成功した人間の意見を無思考無批判に受け入れる凡人は、異教徒の声に耳をかたむけることはない。
そしてそれはときに「上から目線」であったり、「どこの馬の骨が偉そうな口を利く」と言った差別感の吐露として顕れる。
人は、寄る辺を欲しがる。
かつてはテレビや新聞がその役割を担ってきたが、その権威は失墜した。
では、その潰えたものはそのまま淘汰されればいいのだろうか。また、淘汰されるべきだと望むか。
私は、否だと思う。
旧来的メディアの権力が、新興メディアへ移ったとしても、その復権を望む人は多いはずだ。
特に、「マスゴミ」と叩いている層にそれは多いと考える。
それは逆説的には、彼らが描くあるべき姿のメディアに戻りさえすれば、喜んでそれを受け入れるはずだ。
率直に言えば、バカと、そのバカな学生が通う大学を切り捨てたとき、彼らは大学に復権を見るはずだ。最高学府の名に恥じぬ権威、泥を塗ったバカを排除することができたことで、彼らは涙を流して喜ぶに違いない、と言えば大げさか。
権威とその失墜、そしてその復古。彼らはその革命を望んでいる。
また、既存権威の失墜により移り変わった新たなメディアに権威を見出し、縋る人がいる。
それは新たな既得権益の確保であり、それはかつて旧来的なメディアが歩んだ道である。
我らは、同じことしかしていない。
でかい駅前などでやっている署名活動。あれがよくわからない。
たくさんの署名を集めてそれを権力者に見せつけることによって、自分の主張を実現させるってことは分かる。だが名前と住所がたくさん載っている署名にどれほどのパワーがあるのだろうか。ただの名簿じゃないか。オレみたいなどこぞの馬の骨の署名を千人分集めるより、政治家1人の口添えのほうが余程力があるだろうし。それよりも署名と一緒に募金をして、署名の代わりにその金を渡したほうが主張は余程通るような気もする。大事なのは人の気持ちよりも、それが効果的かどうかだ。でもそれはもしかしたら贈賄とかそんな類の犯罪になってしまうのかもしれない。そこでオレはひらめいた。名前と住所という個人情報がたんまり載った署名という名の名簿は、今の時代金になる。現金を渡すかわりに、その名簿を渡す。あとはそっちでどう活用してくれてもいい。だが私の主張も聞いてもらうぞみたいな。そう、大事なのは効果的な行動だ。気持ちじゃなくて金になるかどうかそこだけが問題なわけだ。
そんなわけでオレは署名より募金派だ。やはり現ナマほど実効的、効率的、実効的なものはない。もちろん募金するに足る案件なのか、そして募金する相手の素性が確かかどうか。そこはハッキリさせておきたい。だから駅前の募金にお金を落とすことはまずない。
ですが、彼の推進したい「光の道」のプランには同意できません。
では、NTTはそれを了解するでしょうか?簡単ですね、同意するわけがありません。正論がまかり通る世の中ではないことは、ネットの皆さんなら周知のことと思います。
彼がアクセス回線会社を作るというのは、NTTのインフラの先行者利益を捨てろ、と言っているのと同じです。事実彼は「イコールフッティング」をよく使います。
では、公正競争のためにNTTはイコールフッティングになる必要があるでしょうか?ないですね。どれだけ赤字垂れ流してでも全部独占していた方がいいじゃないですか。彼は「我々はメタルから退けというのか」と言ってますが、正にそのとおり。退いてくれればいいんです。ソフトバンクが(できればKDDIも)退いて、肩たたき間近の人にはとっとと出て行ってもらい、浮いたお金でNTTとアクセス回線整備を主に担当している東西の子会社でやればいいのです。ソフトバンクが介入する必要はありません。
これは特に孫正義が主張している「地方ほど赤字だから変えろ」という問題に直結しますが、地方民というのは基本的にいまだムラ社会から抜け切れておらず、「どこの馬の骨とも知れぬモノ」を毛嫌いします(まあ私の世代でもそういう人はいますが)
単純にメタルを光に置き換える場合、NTTとソフトバンク、どちらが信頼できるでしょう?
国のバックボーン、すなわち信頼がある元公社と、大企業とはいえ民間の会社、田舎のおじいちゃんおばあちゃんは、どっちの人の話を信頼するでしょうか。田舎は資本主義じゃありません。社会で動くのです。
これはアクセス回線会社設立にしても同じ。自分の経営が悪いからと言って、はいはいと他人のアドバイスを聞く奴(しかもそれがコンサルでも無い同業、競争相手)が居るでしょうか。こちとら長年かけて壱からやってきたんだ。よそもののひよっこが、偉そうなくちを聞くでねえ、とげんこつ叩き込むに決まってます。
日本の市場では、たいてい買ってすぐでも開封されたなら返品、返金はしなくてよい(法的拘束力がない)
ネットや通販に限って言えば、期間内の個人都合の返品や下取り名目での返品を行ってくれるが、一般的ではない。
なぜこの文化が根付かないのだろうか。ひとつは処女信仰である。
誰も触っていないまっさらなものを初めて手に取りたいだけなのだ。事実、返品や返金はできた方が経済的にも都合がよい。
例えば、
中古と言っても、最近はアウトレット家電などの言わばキズモノを取り扱う家電屋も増えた。
だが、これらの実態は使い古しではなく売れ残りの廉売であり、中古市場の活性化とは言えない。
例えば、発売当日は定価の100%返金、3日以内は90%返金と、期間に応じて段階的に返金率を与え、レシートなしを一律0.1%で引き取るようにする。「買ってみたけど家で使ってみても効果が実感できない(マイナス某とか)」の事例や、「買ったはいいけど葬祭でお金を工面しなければならなくなったので、昨日買った家電を返品したい(けどしてもらえなかった)」などのことはこれでたいてい解消される。
もちろんレシートは紙くずではないのだから、レシートいりませんなんて慣習も薄れるだろう。泣きをみるのは紙切れ一枚から無駄にする奴だけで良い。
「売れ行きが落ちて体力が衰えるのではないか」という懸念はあるだろうが、中古市場も家電小売が囲い込めば中古購入も収入となるので、その点は問題ないと言ってよい。そもそも値引き交渉するぐらいなら下取りに出して浮いたお金で買えばいいのであり、それぐらいのこともできないからモンクレが湧くし、どこぞのオークションサイトは大繁盛なのだ。それと返金に応じるところと応じないところなら、応じてくれるところを利用するに決まっている。
そうすると、私たちはより多く選択権を与えられることになる。安い中古だが実績あるメーカーのものと、安い新品だがどこぞの馬の骨のメーカーのものだ。ブランドは大事だよね、というなら中古を買えばいいし、サイズや見栄え、全部を捨てても新品がいいというなら後者を選べばいい。図書館やブックオフすら受け付けない人間もいるのは承知している。そういう人は新品だけ買えばいい。
もちろん既にそういう小売店はあるのだが、中古専門とかではなく、新品も中古もまとめて見れること、が必要だ。
企業側にも有益
そもそも返品するというのは理由がある。小売が中古市場と新品市場を包括するということは、返品される商品から傾向を読みとり、新商品への戦略を分析するのに役立つ。これまでの既製品の押し売りから、消費者意見の反映がされるようになることを意味する。お偉いさんは店頭に立たないので、データで分析するしかないばかりか、消費者の意見に耳を貸したくても貸せない。ならば消費者の行動データをより多く集めることで、間接的に消費者意見の反映をさせること(しかもより多くの量、多くの面から)が重要だ。これを単純に二倍できるのが、新品市場に対する中古市場である。
新品にしか対応出来ていない家電小売は、ポイントで本を買おうとか、酒を取り扱ったりして迷走している。その上「売れない」とか言うんだから笑わせる。売れる市場なら目の前にある。よその業界の領域に半端に首を突っ込んで「もうけもうけ」などと抜かすな。
あと「新品が売れなくなる」と言う人がいるが、むしろ下取りなどの消費喚起を率先して行わずに「不景気だけどうち、新卒以外要らないから^^」という態度はいかがなものか。
「ブランドの価値が目減りする」と言う人もいるが、ブランドの価値とはお金でしか表せないのか、考えてみるといい。むしろ知名度のある小売が中古市場に参入することで、中古商品も洗練される。
もちろん食物、薬はダメ
いや、そりゃあさすがに当然でしょ。逆に言えばそれ以外はOKと言ってよい。すべての業界にとって次なるフロンティアが「中古市場」だ。ハコモノだけ作って中身は別物でした、なんてのは無能のやることだ。
以上、葬祭関係を一通り終えてようやっとムカつきを吐き出した増田でした。
でも明らかに説教されたくて来てんだよなー
解りきってるけどあんま認めたくないことをどこの馬の骨ともわからないやつに
敢えて言ってもらうことで己を奮い立たせてんだよ。
相談に対する回答ではないし、どこの馬の骨とも知れないヤツに説教されているようで面白くないと思うので、元増田は読まなくて良いんだが、感想というか、ふと思ったことを。
もしだ。「敵ないし仮想敵がその人間の器を決める」のならば、元増田の敵ないし仮想敵は「アルバイトや派遣社員のちゃらちゃらした若い女性」である訳だ。……それってさ、人間として非常にちっちゃいというか、いや、人間としてのちっちゃさというのは生まれ持ったものがあるにせよ、人間としての器、幅、間口を広げる努力をしている人というのは、敵ないし仮想敵も巨大な訳で、元増田の敵ないし仮想敵はあまりにもみみっちいというか。
いや、酷いことを書いてしまったけど、決して嘆いている訳でもないし、日本って、元々そういう文化(愛でる文化)なのかも知れないなあ、とも思うのだけど、少なくとも、日本の女性の志の大きさってどんどん小さくなってない?というか。例えば、大半の女性の最終目標が「専業主婦として、子孫を残し、豊かに遊んで暮らす」とかになっていないか?みたいな。
「それは、お前がマスコミに洗脳されているだけだ!」といわれればそうかも知れないし、実際、志の高い女性も俺の人生の中でいたことはいた。例えば、良い大学出ておきながら、NGO活動のために海外に行ってしまった人とか。でも、少数しか見なかったのも事実であり。男では野心家は結構いたけどさ(若いヤツも含めて)。
いや、パリス・ヒルトン辺りを仮想敵にして、「私が真のセレブになってやる!」という話ならば、おうがんばれ!と応援してしまうではないですか。女性としても魅力があるではないですか。
ところで、最近、岡田斗司夫の活動が”いろんな意味”で面白い。
http://okada.otaden.jp/e93765.html
でも、マイケルはそんな絵空事みたいな夢じゃなく、本気で、本当に、この4年で世界を環境破壊から救うつもりだった。「夢」じゃなくて具体的な「目標」だったんだ。
このマイケル・ジャクソンの器のでかさ、仮想敵の大きさ。
それならば、ユダヤの陰謀から世界を守る中二病患者が最強なのではないか?という話にもなるが、そこは「妄想力」と「想像力」の違いというか。結局、妄想力は、自分の都合の良い想定しかできないが、想像力がある人は、仕事にも使えるほどの現実主義者としての想定が出来るよね、という話でもあるし、その辺のブレンド具合で、単なる電波か、大物かが決まるんだと思う。
別に動機が嫉妬や恨みのようなマイナスの感情でも良いから、今の自分の器よりやや大きめの仮想敵を設定できるか、もしその仮想敵を打ち破ったら(見破ったら)、次の仮想敵を設定し続け、自分の器を広げていくことが出来るか、が問題ではないかな。
●=田舎者が「都会人は冷たい」という根拠
○=都会人が「田舎者は冷たい」という根拠
●考え方が皆バラバラで、お互いに合わせようとしない。
●「人それぞれ」と言って、相手の趣味や価値観に同調を求めようとしない。
○「皆一緒が一番だ」と言って、思想信条の自由まで奪おうとしてくる。
●「ぷらいばしー」とわけのわからないことを言って、自分の部屋のタンスも開けさせない。
●人に言えない秘密を作りたがるので信用できない。
○人の秘密を躊躇無くバラしまくるんで信用できない。
●いつも家に鍵をかけていて、自由に出入りさせない。 留守だったから家に上がって待ってただけなのに怒る。
○人の家に勝手に上がりこむ。鍵をかけることを非難してくる。
●何処の馬の骨とも知れない余所者と平気で付き合う
○出身地だけで人の人格を決める。常に「○○出身の人」という見方をされる。
●「困った時はお互い様」が通じない。人のことを許そうとせず、すぐ悪者にする。
○事件や事故が起こると、「困った時はお互い様」を合言葉に、後始末に困ってる加害者を擁護する。被害者は悪者。
●理屈でものを考える。 その場の勢いに乗ろうとしない。
○その場の勢いばかりで行動して、後先全く考えない。というか、考える奴を馬鹿にする。
●自分で考えようとする。人を信用していない。
○自分の頭で考えない。周りの言うままにすることが信頼の証だと思っている。
●「世間の常識はこうだ」と、ありえない話ばかりする。
○「世間の常識はこうだ」と、ありえない話ばかりする。
職員の人件費を貼り出した事件では、この市長を応援してました。
まとめてリンクを作ってくれてる人がいたので、ぜひ皆さんもご覧ください。
いやーびっくりしました。ナゼもっと早く話題にならなかったのでしょうか。
タイトルがきっこの日記だったならともかく、市長のブログですから。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607
自衛隊には戦前から『ある金持ち組織』のためにあらゆる工作をおこなう所がある
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070609
小沢一郎、池田大作、安部晋三、小泉純一郎、麻生太郎はユダヤの手先
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070625
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070629
遺伝子工学で生産された「人間豚」がレストランの高級ステーキ用
として販売されている
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070710
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20071127
「リチャード・コシミズ」の本を読んでもらいたい
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070112
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091203-OYT1T00024.htm
日米欧の関心は雇用と所得、鳩山次期政権は現実に対応出来るだろうか?
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鳩山政権は明日発足するらしい。しかし不思議や不思議、熱狂的期待感は皆無、酒井のりビー保釈と閣僚人事予測が同列のエンターテインメントになっている。この一種壮大なニヒリズムは何だろう?
本来のニヒリズムではなく、投げやり、明日のことはどうでも良い、難しいことは考えない。そんな怪しい空気が日本を蔽っている。政権交代とか、個別、民主党の圧勝とかの区分けは表面的すぎないか、と多くの政治分析を眺めつつ一種違和感が私の脳裏に去来する。もっとも筆者には自民党を断固支持するというメンタリティはない。
日本の「政権交代」は結果として、イデオロギーの交替でもパラダイムの交代でもなく、或る精神の後退である。戦後日本の精神的混迷という極北状況の中で、導き出されたひとつの結論である。それは耐えられない日本の軽さの証明でもある。
ブッシュ・シニアは湾岸戦争を主導し、国連決議を成立させてイラクに空爆、圧勝をもたらした。当時、アメリカ国民の人気は90%もの支持率を誇った。しかしパパ・ブッシュは再選されなかった。クリントンがいみじくも言ったように[Stupid,It’s Economy]だった。
パパ・ブッシュは選挙中にスーパー・マーケットに立ち寄り、庶民の味方という政治演出を試みたが、まったく物価を知らない実態を写し出され、国民の多くが反発し、アーカンソウの馬の骨(クリントン)にも票が流れた。保守革命を忘れたブッシュに保守側から挑んだロス・ペローによって共和党支持票がみごとに分割し、馬の骨が漁夫の利を得た。
麻生首相は漢字が読めない漫画ファンというのはご愛敬にしても庶民の物価感覚がわからなかった。自民党支持票は大量に小沢ガールズに流れた。
クリントンは学生時代にロシアに招待され、夫人のヒラリーはニクソン弾劾キャンペーンの活動家だった。
青春時代、いわば極左にいたクリントンの政権が誕生し、保守は不安視したが、しかし政権掌握後、クリントン夫妻が選択した政策は保守主義の濃い、中間路線だった。リベラル色濃い政策は議会が反対した。
おりからのITブームにも助けられクリントンは軽々と再選を果たした。民主党を支えたのは左派イデオロギーではなく、雇用と安定と所得の増加だった。
▲「Stupid,It’s Economy」とクリントンは言った
その政策に息切れがでたときにブッシュ・ジュニアが本命ゴアを破って辛勝する。ジュニアは反テロ戦争に打って出て、やはり90%近い支持率に支えられ再選されるが、政権最後の日々は不評さくさく、ブッシュ・ジュニアの後継になる筈だったジョン・マケインはイラク戦争を表面にだして巧みに中盤戦をリードしたが、リーマン・ショック直後からの経済混迷の荒波にあっけなく飲み込まれ、どこの馬の骨とも分からないオバマに敗北した。アメリカ国民が求めたのは『気分転換』だった。
共和党の敗因は経済であって、イラクでも、アフガニスタンでもなかった。アメリカ国民は雇用と所得に関心があり、外交問題は二の次、三の次だった。
鳩山民主党は濃厚な左翼イデオロギーが支持されて勝ったのではない。経済である。つまり、選挙民にとって身近な問題は雇用と所得であり、失業増大、所得の目減りに対して殆ど無策と言って良かった自民党に対して体制保守、生活保守派さえ失望した。
明日はどうなろうと、空気の入れ換えを求めた結果が自民党の大敗を産んだのである。経済政策に何かを期待して、民主党を選んだのでもなければ、中国政策に共鳴して投票したのでもない。まさに「Stupid,It’s Economy」だった。
さて鳩山政権は誰が見ても、というより世界水準から言って三流の政治家である。一流に絶対になれないことは誰もが知っているが、二流にはなれる可能性がある。それは何か?
ヒトラーが名言を吐いたと三島由紀夫は『我が友ヒトラー』のなかで、次の台詞を用いている。「政治とは右を切り、左をきって中道を歩む」ものである。民主党イデオローグは左バネが強いが、そちらに傾斜すると政権の運営は難しいだろう。
自民党は改憲を謳い、靖国神社参拝を公約しながら実行せず、いやそれどころか後藤田、野中という極左を中枢に抱えて左傾化した。さらに自民党は連立相手の公明党バネに押されて政策を歪め、中道から左にぶれた。つまり自民党の無様な敗北は左傾化という誤断からだった。
同様に鳩山民主党が党内党友の左派路線にぶれると基本の方向性を歪め、再選はあり得なくなるだろう。鳩山次期首相が党内左派の連合、日教組、同和路線を斬る蛮勇があれば、二流の仲間入りが出来るだろう。
国民の多くは日米同盟の破綻を望んでいなければ、中国への急傾斜や東アジア共同体の成立を期待してはいない。雇用が安定し、所得が回復すること、外交にはそれほどの関心がないのである。
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通巻第2712号
>別に「別れを願え」というわけではなく、何故「彼女が自分と一緒にいて幸せになる」という発想ができないのだ。…
精神病でFラン大学中退した非モテが天下のリア充東大生様に勝てるかつーの…というのが初めに沸いた考えなのはまだまだって事か。
確かに馬の骨氏のことなんざ知らないからどうなるか分らない。彼女を不幸にしてしまうかもしれない。でも彼女が選んだ人だから、と盲目的に彼女を信じてる自分がいる。
逆に上述の理由で私が彼女をしあわせにできるか、と言うと世間的にはどうなのかな。Fラン中退非モテ<リア充東大生でしょう、常識的に考えて。
気概だけなら世界で一番しあわせにしてみせるし、全てをかなぐり捨ててでもそうしてみせる、ってのはあるけどそれでどうにかなったらこの世界はもうちょっとみんなしあわせになってると思うよ。
>でも非モテがネットで正直に本心を書きすぎるのは危ないよ。わかりやすい欠点にお説教が殺到してくるから。他人の説教なんかで治らないから苦しいのにね。
そうかな?
http://anond.hatelabo.jp/20090809191639 の続きというか結末
こんな酷い文章がここまでブックマークされるとは思わなかった。
特定とかなんですか?
インターネット怖いです。
さて、ついさっき「相手」を見送ってきた。
10時過ぎにそろそろ着くって電話があってモノレールの改札前で正座でワクテカするかの如く待ってた。
そしてしばらくして彼女はやってきた。
…あの
あなたの荷物を持って、楽しそうに話しているお隣の男性はどなたでしょうか?
うん、終わった。
喫茶店で会ったこともない何処かの馬の骨氏を含めた三人でお茶してなんか話した。何話したか覚えてないというかここでも空気だった。
あぁ、お二人さん愉しそうですね。そんな感じで見ていた。
30分くらいお茶してお土産買うの見てて彼女はゲートの向こう側に行った。
歩いている間なるべく彼女の横にいるようにしていたのだけどなんて云うのだろう、微妙な距離を感じた。彼女は意識してそうしてるのかわからないけど微妙な距離を感じた。
ゲートの前でまたね、と言ってハグする仕草したけど今度は乗ってくれなかった。そりゃそうか。
で、ゲートの向こうに行くのみ送った後馬の骨氏と別れて一人京急で帰ってきてこれ書いてる。
結論。
だめ人間は何やってもだめ
脈無いのなんて初めから分りきっていたけど、ここまで来たらもう嗤うしかない。
私は人を好きになってはいけないんだと思う。報われることもなく、想われることもなく苦しむだけだから。故に人を好きになってはいけない。
私は非モテで非モテのまま非モテとして生き、そのまま魔法遣いのまま死んでいく。
それが私の運命というか天命だと悟った。
それにあがらうべく努力したけど結局だめだった。勇気出してメールしたはいいけど結局邪魔入って空気のまま。話もできなかったし思い出なんて作れなかった。
大事なことなのでもう一度言う。
私は非モテで非モテのまま非モテとして生き、そのまま魔法遣いのまま死んでいく。
それが私の運命というか天命だと悟った。
本当に、本当にバカみたいだ…。
明日からコミケ行こうと思ったけどもういいや、引きこもってよう
以上、通信途絶
パリ名誉市民に輝くダライ・ラマ猊下、身辺に慌ただしさが滲む。「後継者は私の存命中にあるかも、外国人かもしれない。女性の可能性も」
ダライ・ラマ十四世の後継は、チベット仏教では形式的にパンチェン・ラマが指名する。
実際には法王の崩御から四十九日以後に輪廻転生があるわけだから、霊性に優れた赤ちゃんを、生前の法王の発言などのヒントに基づき、ブレーンらがチベット地区(現在のチベット自治区に限らず四川、雲南、青海省など、伝統的なチベット人居住区)をくまなく探し求めて、何人かを選抜して或る場所に集め、四歳か五歳に成長してからの霊性、知性をみて最終的に選び出す。
生前、「湖畔のほとり、山の緑ふかい場所」とかのヒントの集積による。
しかし、チベットは1951年に中国共産党に侵略され、夥しい僧侶が殺され、チベット寺院の多くが破壊され、先代パンチェン・ラマは北京に幽閉されていた。
1995年にパンチェン・ラマ後継をダライ・ラマ法王が選ぶと、その指名されたニマ少年を両親ごと中国は突如拉致し、どこの馬の骨だか分からない少年を洗脳して「パンチェン・ラマ」をいま名乗らせている。
行方不明の霊童=ニマ少年は、いま生存していれば20歳になる。
中国が“指名”した「偽パンチェン」は昨今、中国全土を行脚し、「私は共産党の指導の下で、仏教を説く」と講演して歩くため信者の中に失望が生まれている。
チベット仏教の輪廻の法則では、この「偽パンチェン」が次のダライ・ラマ十五世を選ぶことになる。
そうなれば中国共産党が指令、指示するがままの傀儡祭主が誕生することになる。
あまつさえ共産党は07年に「次期後継のダライ・ラマは最後に共産党の承認が必要」という法律を勝手に制定し、人事権とごっちゃに後継指名権を把握したつもりでいる。
チベット亡命政府のなかには、ダライ・ラマ十四世の穏健主義に反発し、独立をもとめるチベット青年党の存在が確認されている。
だが現在のダライ・ラマ猊下がインドへ亡命してすでに半世紀が経ち、十四世の後継問題は、いよいよ深刻になってきた。
最近、法王は「次期後継者は外国人かも知れないし、チベット以外の場所で育った者かも知れず、いや女性であることもある」と発言した。
ヘラルドトリビューンに拠れば、「後継者選びは私の存命中に行われる可能性もある」と示唆したという(6月9日付けIHI、一面トップ)。
当面、インドへ亡命してきたカルマパ十七世が、ダライラマ法王のもとに仕えており、周囲に拠れば、カリスマ性がともなっているという。カルマパ十七世は北京政府が指名した経緯があり、99年に亡命した。いま24歳。
「かれはおそらく後継が正式に決まるまでの暫定期間、精神的指導者の役を演じるだろう」(NYタイムズ)。
最悪のケースでは「ダライ・ラマが二人、この世に現れることになる」。まるで南北朝の再来、中国のチベット支配のえげつなさはとどまるところを知らない。
国政を担う者が地域の利権代表に堕してしまうのが多選の弊害であり、世襲は多選の一形態に過ぎない。本来ならば多選を規制すべきであるのだが、国替えはしたくないので、世襲を規制する事で多選禁止の骨を抜こうという狙いであろう。と、同時に、選挙が終わったら世襲禁止も骨抜きにするという展開までありえる。非世襲議員と言えども、地盤を固めた後は自分の直系子孫に世襲をしたいと考えるであろう。そういう人情に訴えかけて黙らせれば済む。
中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局構想は、政治が中央省庁の幹部人事に介入するという事である。課長級くらいまでは省庁内の純粋培養で恥を晒さないように教育する必要があるだろうが、それ以上は、政治任命によってでしか上がれないという制度を作り、官僚を政治家が使えるようにするという構想である。と、同時に、働いてくれた官僚には、相応の身の振り先を用意しなければならない。それは、当然、自身が政治家になるという事である。政治家が官僚よりも上になるというのであれば、官僚から政治家へと進むのが、当然の進路となるし、どこの馬の骨ともわからない政治家に使われるくらいならば、事務次官まで勤め上げた官僚出身の議員に使われた方がマシとなる。
その為には、落下傘候補を定期的に押し込める選挙区を作らなければならない。多選規制は、その為の手段である。内閣が変わる度、大臣が変わる度に、議員候補が生まれてしまうのだから、それを押し込める先を作らなければならない。死ぬ前に一度でいいから大臣になりたいと、無責任なポストのばら撒きをやめさせる効果も期待できる。
世襲を制限するのでは、引退する議員の後釜にしか落下傘候補を押し込めないという事になるし、議員の秘書への地盤の譲渡は世襲ではないという理屈で、後釜に押し込む事すらできなくなりかねない。これでは、官僚の身の振り先は今まで通り天下り先という事になり、国家の為に働く官僚は出てこない。省庁の傘下に天下り先を作り、そこに天下る為に、省利庁益の為にしか働かなくなるのである。埋蔵金を削り、天下り先を削るならば、その代りとなる場所を作らなければならない。
知事よりも少ない支持しか得ていない人が首相になるという事に矛盾を感じないという現実把握能力の欠落を問題にしなければならないのであろうか。
個々人が日の丸・君が代をどう思っていようと、日の丸・君が代は現実として日本の国旗・国歌である。
卒業式シーズンである昨今、君が代を歌う時に着席するよう教育する親がいるらしい。歌わずに着席する事は、生徒の権利だと吠える教師もいる。「韓半島・中国の人間を強制連行した歴史がある」などというのが、その理由らしい。しかし、日本に住む韓国人である私から言わせて貰えれば、それは恐ろしく無責任な態度だと言わざるを得ない。
何故なら、それは国旗・国歌に託された日本の「誇り」も「罪」も、全て自分には関係ないと言っているのと同じだからである。日本の過去を良い面も悪い面も完全に否定し、さらに自らは日本人ではないと主張する行為に他ならないからである。
このような人間が「かつて日本は韓国に酷い事をしました。すみません」と土下座しても、意味がない。何故なら、その土下座している人間は日本人ではなく、単なる無国籍者だからだ。はっきり言って、そのような人間の謝罪など、冷めた目でしか見られない。
極端な話、アメリカの原爆投下をセネガル人に謝罪されても、日本人は戸惑うしかないだろう。それと同じ事だ。私は、日の丸・君が代を敬わない人間を、日本人だとは認められない。
日の丸・君が代を敬わない人間は、単に自分達の祖父母が気に入らないから、そこから逃げているだけだ。韓国人のためと言いつつ、結局は自分を可愛がっているだけである。その行為は、韓国人をも踏みにじる卑劣極まりない行為である。
そもそも、血塗られていない国旗など存在しない。我が祖国の太極旗も血に濡れている。独立を求めてとはいえ、日本の軍人や警官が太極旗の元に殺されたのは紛れもない事実であるし、さらに韓国史上最大の悲劇ともいえる韓国戦争(朝鮮戦争)では、太極旗が翻る空のもと、数え切れない同胞が殺し合った。
「デザインが気に入らない」「歌詞が少しおかしい」「ドイツのように変更すべき」等、様々な理由で国旗・国歌を変更する事はあり得る。デザインの変更という議論はあっても良いだろう。
しかし、現実に法令として国旗・国歌が「日の丸・君が代」と定められている以上、法的に変更されるまでは日の丸・君が代に対し、日本人は敬意を示さなければならない。そういう「罪深く誇り高い日本人」相手ならば、我々は腹を割って政治的な話をする事も出来るだろう。
しかし、国旗・国歌の存在そのものを否定する……すなわち、日本人として不完全な……どこの馬の骨とも知れない人間相手には、我々韓国人は熱く語る事すら出来ないのである。
言いたい事は一つである。
国旗・国歌の存在そのものを否定する日本人よ。それでも日の丸・君が代が嫌いだというのなら、勝手にするが良い。しかし、その理由を韓国人に押しつけないで欲しい! それは、結局は国旗・国歌を大切にする「普通の感性を持つ日本人」を、韓国嫌いにするだけだから。
身近にすっごい親バカ旦那がいるんだ。
身の上話をちょろっときくと、旦那さんも奥さんもそれなりに苦労して今なんとか安定した生活を手に入れて、お子さんを溺愛しつつしっかり2人で育ててる。
もちろんそれはあくまで対外的な話であって、内情では何かあったりするのかもしれない。
でも娘さんだっこしてデレデレしてる旦那さんと、しょうがないわねえ、って感じにほほえましげに見てる奥さんと、旦那さんにきゃっきゃしながら戯れてる娘さんみると、おおなんてほーむどらまてきかぞくなんだこんちくしょう、と羨ましく思ってしまう。
結婚?なにそれおいしいの?な自分だが(×結婚しない○結婚できない的意味で)、ちょっと羨ましいというか妬ましいというか。
あの一家を見ると、なんだあいつら将来どこぞの馬の骨にかわいい娘かっさらわれて結婚式で大泣きしやがれくけけけけけ、とひがまずにはいられない。
いいんだ…将来もうちょっと年収上がったら、ペット可のとこ引っ越してかわいい猫のお嫁さんかお婿さんを貰うんだ…。
さもしい1人暮らしとお別れしてやる。
「アイツは素晴らしい。あれほどの大臣はもう二度と出ない。アイツを絶対大臣にすべきだ!」
俺は日本のとある省庁に勤務するうだつのあがらない万年ヒラ公務員。で、それはお約束通りの世を偲ぶ仮の姿で、実際はアンダーグランドな省庁の仕事をこなす影の仕事人と言ったところだ。役人の隠語で『請負稼業』と呼ばれている。
主な仕事としては、自分が属する省庁の予算を死守する事が目的で、文字通り、『どんな仕事でも』やるのだ。予算の取り合いが激しくなった相手省庁のスキャンダル、例えばタクシーチケットの使いこみなどをマスコミや野党にリークしたりするのも俺の役目だし、天下りや税金の無駄遣いを調査するのも俺の仕事だ。だが、省庁間の争闘は熾烈を極める。敵対する省庁の『請負稼業』を抹殺するのも仕事のうちだし、その争いの末に命を落とすものも少なくない。ただ、こういう各省庁の仕事を請け負う『請負稼業』の者が死んでも死体は出てこなかったり、過労死として処理されたりする。まさしく死して屍拾う者無しだ。
そういう俺達『請負稼業』が最も気を遣うのは、大臣の人選だ。もちろん表向きは首相が内閣を組閣する時に大臣を選ぶのだが、日本で首相がそういう権限を持っていると信じているのは、高校生くらいまでだろう。組閣の際、各省庁の大臣を決めるのは官僚だ。官僚がゴーサインを出した人選の中から、首相が派閥の力学を考慮して大臣を選ぶに過ぎない。そういうわけで、一時期サプライズ人事とか言われていたあのかつての首相の組閣も『請負稼業』がもちろん一枚噛んでいた。そうでなければここまで省庁の利権が丸残りするわけは無い。
『請負稼業』の俺は、組閣に際して、これはと思う人物を選び、調査して、省庁のトップに情報を送る。それこそ、小学校時代の作文から、今まで付き合った行きずりの女まで全て調べ上げるのだ。なるべく最初から省庁にたてつかず、弱みの多い人物が大臣にはふさわしい。そういう人物をリストアップして調査するのだ。
大臣の人選で大事な三原則がある。「無能」「従順」「人気」だ。もちろん「無能」でなくてはいけない。省庁に対して機転を利かせて予算を削ったりするような輩は死んでも大臣に出来るわけがない。そして、省庁に対して「従順」でなければならない。これも言わずもがなだ。そして、一番大事なのは、意外と「人気」なのだ。大臣に人気があれば、その省庁は叩かれなくなる。しかも無能で従順な大臣が人気があって、二回三回と留任したりすると省庁はおいしい事この上ないのだ。
そういうわけで、『請負稼業』の俺達は大臣人事には非常に気を遣う。ところが、ここ数年で新しい流れが出始めた。これまで『請負稼業』に一任されていた大臣人事なのだが、『請負稼業』と同じく、アンダーグラウンドな役割の専門家が出現し始めたのだ。その名も『大臣スカウト』だ。もちろん、隠語だが。
俺はこの『大臣スカウト』を最初は信用していなかった。死ぬ気でやってきた自分の仕事が取られたのが面白くないと言うのももちろんある。どこの馬の骨かわからない『大臣スカウト』にこの道の事が簡単にわかってたまるかという反骨心が先に立ったのだ。だが、俺は結果的にトップの命令に従い、『大臣スカウト』の意見を訊く事にした。トップの命令は絶対だし、また、トップの命令が間違っていた事は無かった。国民が危険にさらされるようなどんな失敗でもやらかす俺の省庁だが、予算を守る事に失敗した事なんて一度もないのだ。
こうして、俺は指令を受け、『大臣スカウト』に会った。どこぞの小汚い中年禿げデブなオッサンは脂でテカテカ光った顔で微笑みながら握手のために手を差し出したが、俺はゴルゴ13に倣って小学校以来握手はした事ないんだとその場で考えた嘘で本能的に握手を断った。そして、仕事でなければ絶対に話をしないであろう『大臣スカウト』に「無能」で「従順」で「人気」のある大臣候補の人選を仰いだ。『大臣スカウト』は、良い人材が見つかったら連絡する、と言ったまま一週間何の音沙汰も無かった。
『大臣スカウト』から連絡があったのは、俺が大きな仕事に区切りをつけ、久しぶりの安眠を貪っている時だった。寝ぼけながら携帯電話を取った時、ディスプレイの時計の表示はAM2:13だった。受話器から聞こえるオッサン声が『大臣スカウト』でなければ、逆探知してトドメを刺しに行っているところだ。俺は不機嫌を隠さない声で『大臣スカウト』に聞いた。
「候補は見つかったんだろうな?」
「アイツは素晴らしい。あれほどの大臣はもう二度と出ない。アイツを絶対大臣にすべきだ!」
アイツはこうして俺の省庁の大臣になった。
俺は最初『大臣スカウト』の言葉を疑っていた。確かにアイツは人気があったが、元々うるさい評論などで活躍をしていた奴だ。とても無能で従順などとは思えなかった。そこが『大臣スカウト』の慧眼だった。「何度もビデオを見て、アイツが如何に無能で目先の事しか見ていないか、自分の人気の事しか考えていないかがよくわかってきたんだ。目をつぶれば俺達の言いなりになってくれるという姿がありありと浮かんできたんだ。アイツしかいない、とすら思えた。天啓に近い確信だったよ」
俺は『大臣スカウト』の自信に満ちた神がかり的な声を聞いて、アイツの周辺調査を行い、叩くほどに出てくるスキャンダルの多さに半ば感心しながら、調査報告書をまとめてトップに提出した。自分で言うのもなんだが、これだけのスキャンダルの材料があれば、従順どころか傀儡人形だな、と少しアイツに同情するほどの充実した俺のレポートだった。
こうして俺と『大臣スカウト』が自信を持って世に送り出した大臣は、三回の留任をして、俺達の省庁に多大なる貢献をしてくれた。圧巻は、うまく世論の攻撃を交わしながら、行政改革をしてると見せかけて、俺達の省庁の天下りの巣窟の一つを完全に残すという離れ業をやってのけてくれた事だ。人気のない大臣だったら、一回目で首をすげ替えられ、こんな大仕事は成し得なかっただろう。まさしく、俺達のための大臣オブ・ジ・イヤーだった。省庁のトップから臨時のボーナスが出たほどだ。
俺は早めの仕事納めして、『大臣スカウト』に最高級ズワイガニ3匹セットをクール宅急便でお歳暮に送り、年末年始をハワイで過ごすための飛行機に乗った。